●凍てついた地
(「雪がまだ、か……」)
現場に辿り着いた撃退士達の一人、南條 侑(
jb9620)は突き刺さる様な冷たい温度を肌に感じ、目の前の光景を金色の瞳に収めて思う。
見事に池一面が個体化しており、まるで天然のスケートリンク場のような印象をそこに受けた。
恐らくこれだけの現象を起こすのにもそれなりの力は必要だろう。
その隣で冷気に当てられて震える桜庭 ひなみ(
jb2471)からも、現地の温度が伺える。
行動に支障をきたさない程度には防寒を整えて来たが、芯に染みこむ寒さとはこうもこたえるものだろうか。
同じく侑とSpica=Virgia=Azlight(
ja8786)、それに草薙 タマモ(
jb4234)も持参したカイロで肌を温めて目標との戦闘に備える。
コツン、と氷の地面を踏む音がした。
誰かがそちらに目をやると、白く吐き出された息を自身の金髪に掛けてアヴニール(
jb8821)が佇む。
意外と寒くは無さそうだ。
いや、実際は緩まない寒さに身を凍えさせているのかもしれない。
だが常時から自分に出来る事を懸命にこなすのが彼女の信条であり、それは今恐らくサーバントを撃退する事にある。
揺るがぬ心に後押しされ、彼女の表情は崩れない。
サイズの合わない黒のベレー帽を小刻みに震わせ、ひなみが同姓の年上の背を見やった。
毛布入りのコートに身を包み、桜庭愛(
jc1977)の後ろ姿。
腰にまで伸びた黒髪を風が撫でて行く。
それでもただ前方を見つめ備える彼女からは、アヴニールと同じような、また別の感覚で『信念』のような何かが感じ取れた。
愛が前を見ていたのは、ただ風景を目に焼き付けていた訳では無い。
「……なんか、寂しそうだね。あの子。友達がほしいのかな」
愛が呟く。
それは外気と同化したように、誰からの目から逃れるように、しかしまるで最初からそこに居たように現れていた。
一通りカイロ等で充分に手元、胸元を温めた撃退士達の身体へ一層強い冷気が向かい、そして通り抜ける。
何も発する事は無かった。
瞳は撃退士達を見つめているようでもあり、地面へ向けられているようでもある。
言われてみればその様子は孤独を持て余した少女、に見えない事も無い。
だが、油断をしてはいけない。
(「時期が時期だし、めんどくさい……」)
一方のSpicaは、ようやく、といった様子で銀の槍を構える。
目の前に現れたサーバント、氷のウズメがすうっと顔を上げた。
氷の膜がウズメを包み込む。
何処かで、氷がひび割れた音がした。
●
かんじきを履いたタマモの足元が氷を穿った音を鳴らした。と同時に全身を光が纏う。
侑もまた緑から金色へと揺らめく光が噴き出し、二人から透過を阻害する領域が展開された。
「氷のサーバントか。手強そうね」
冷静に敵の行動を観察したタマモが、敵へと近づく前に天使の力を持って翼で上空へ羽ばたく。
情報には聞いていた。氷を武器とするサーバント。
下位は下位だが決して侮れない。本人を目の前にし、改めてそれを確認する。
「ねぇ!」
訪れていた静寂を破ったのは愛の一声だ。
「そこの女の子、あなた可愛いね。プロレスに興味ないかなー?」
無邪気なまでに問いを投げかけるも、返って来る声は無い。
女性への誘い方としても変な気はするが。
愛の言葉にも反応を見せないウズメに対し、動きだしたのは撃退士側だ。
アヴニールがタマモと対なる闇の翼を顕現させ、こちらも飛翔。
僅かな時間差を置いて侑も不可視化された翼を広げる。
向かう先に氷を纏うサーバント。
タマモが風を切る。それと同時に、サーバント……ウズメの手元に握り拳大はあろうかと言う氷の塊が生成されて行く。
その塊を中心とし、収束された氷が上下に枝を伸ばした。
塊の下方は短い持ち手に。
上方はガラスのように薄く煌めく美しい刃に。
両刃、直剣の形を取った氷を形成させたウズメはその場に置いて撃退士達を見やった。
地上、上空へと二手に分かれた撃退士達。
上空へ別れたのは二人……いや三人か。
攻撃は静かに、そして急に始まった。
ウズメが相手取る目標を定めていると、銃音が無防備なそこに突き刺さる。
距離を保ったひなみの弾丸。
侑が飛び立った背後から黒霧を帯びた銃弾が放たれたのだ。
続けて黄色の糸、タマモの振るう金属製のそれが鮮やかにウズメへと舞う。
対処に追われたウズメへと、詰め寄ったSpicaが即座に銀槍をウズメへと撃ち込む。
冷え切った氷の様に表情に変化の無かったウズメに『苦悶』の二文字が浮かび上がった。
眉根を寄せ、歯を食い縛る。
くの字に曲がった身体は予想以上に軽く飛んだ。
だが、その攻撃にも心折れる事無く、ウズメは次なる迎撃の為に位置をずらす。
そこに、一人の少女が目に入った。
距離こそ一体一ならばこちらが有利な立ち位置。
なのに、その少女、愛は仲間が上手く展開したのを確認すると来ていたコートを脱ぎ捨て、颯爽と微笑む。
蒼いワンピース。生地は小さく、肌の方が多く見える。
いつもの試合水着に凝視させられたウズメが、一瞬目を見開き、細めた。
何を思ってそれを現したのか、ウズメには理解出来なかったからだ。
唯一理解出来る事があったならば。
「寒そう? すっごい寒いよ。でも、この格好は私の決意だから」
接近した愛が拳を繰り出す。
重たい拳撃がウズメの身体を打った。
距離を取り直したウズメは、上空へと視線を向ける。
二手に分かれるならば片方を落とした方がやり易い。
特にこちらの攻撃が制限される上空は。
突き出された掌が侑に向き、アヴニールに向き、二度迷ってタマモへと向けられた。
その掌へと吸い込まれる様に氷が収束していく。
氷の動きが止まった。
瞬間、手の平から収束されていた氷が無数の礫となってタマモへ飛来する。
空中での急な回避は難しいか。
そんな事は無い。
何故なら、タマモの射程内には彼女が居たからだ。
皆を守る為の銃を備えた小さき狙撃手が。
直線状に放たれた氷の礫に銃弾が側面から妨害する。
一発、二発、三発。
五発、少しの間を置いて六発。
大き目の礫のみを撃ち抜き、その行く先を捻じ曲げたひなみの援護射撃。
それによってタマモは容易に攻撃を躱す。
「そんな攻撃、私には当たらないですよーだ」
挑発までしてみせたタマモは移動しながら振り返り、ひなみへウインクを飛ばす。
おまけと言わんばかりにひなみは射撃の最後に黒霧の弾丸までも命中させ、戻るタマモへ頷いて返し両者は自身の間合いへ移動した。
タマモと入れ替わって現れたアヴニールの銃弾もウズメを精確に狙撃する。
その金の髪が絶え間なく揺れ動く。
散りばめられた銃弾が全てウズメを穿っていく。
上空からの狙撃。この状況ならば気を付けるべきは足元の氷の地面にもある。
無闇に氷を割り、悪戯に味方の足場を制限する訳にもいかない。
ウズメへと接近した侑はSpicaと愛の間に滑空し、侑を起点として四神がもたらす守護の結界を展開していく。
これならばウズメの持つ氷の剣に恐怖する事も少なくなるだろう。
常に接近戦となるSpicaと愛の二人、特に愛には重要だ。
ウズメの背後からはタマモの糸が攻撃を重ね、挟撃の形でSpicaが武器を振り抜いた。
「ミョルニル起点の、必殺コンボ……存分に、味わって……」
その一撃、雷神の如し。
正面からまるで雷に穿たれた様なその衝撃は、ウズメは緩和に使った剣ごとウズメ自身を凄まじく揺さぶらせた。
ウズメの足がふらつく。
二歩、三歩と後退したところへ、タイミングを合わせて愛が勢いと重さを兼ねた背面をぶつけた。
大きく吹き飛ばされたウズメに愛は向き直る。
構えを直すと、意識を取られながら尚敵意を見せるウズメに対して改めて『試合』の宣言を告げた。
「さあ、はじめようか。丁度、貯水池、四角いし、まるでおあつらえ向きのリングじゃない?」
●
防御も回避も不能となったウズメに、撃退士達は一気に攻撃を仕掛ける。
ミョルニルから連なった動きでSpicaが銀槍を刺突。
愛の阻害にならないよう極力距離を取るが、必殺を自負するだけあり滑らかな動きには無駄が見られない。
「チャンス!」
小麦色の肌が空を滑走した。
白鳥の様に純白の翼がウズメの頭部へ吸い込まれる。
十字模様の付いたグローブが魔法でコーティングされた糸をしならせ、羽ばたかれた糸がウズメの頭部に炸裂する。
ウズメの攻撃範囲外からはひなみが黒の、アヴニールが散弾の銃弾を撃ち込み、その付近まで舞い戻った侑が蛇の幻影を生み出す。
幻影。と言えど侮るなかれ。
氷の地を滑るように這う幻影の蛇はすかさずウズメの首元へと飛び掛かる。
ウズメの視界が激しく渦巻いた。
目の前にいるSpicaが左へ、右へとしてもいない移動をする。
幻影の持った毒牙がウズメの体内を支配したのだ。
「闘いに私情は挟まない」
間を置かずに愛が蹴りを叩き込み、更にウズメの足元がぐらついた。
ついに、膝をついた。
隙を逃さずにひなみが銃弾を撃ち込む。
銃音が終わり、また銃音が鳴る。
「この好機、逃す手はないのう」
ひなみの弾丸が右肩を、アヴニールの弾丸が左の脇腹へと命中する。
二発の銃弾が裂いた中を、タマモの糸が一閃した。
思わず、ウズメは離れて行くタマモを睨む、が連撃は続く。
侑が生み出した二匹目の幻影蛇が、その脇腹に再び毒を流し込む。
「余所見をしている暇が有るのか……?」
ウズメが悶えた。
苦し紛れに片手を振り上げる。
いや、振り上げているつもりだったのだ。自分では。
弱弱しく震えながら、念力でも送り込むかのようにゆっくりと上げられた手は誰も捉える事無く、再びダラリと垂れ下がる。
垂れ下がった手の方向に重心が傾き、何とか握りしめていた氷の剣が手の中から滑り落ちた。
撃退士達を相手に踊り疲れたように動く中、ウズメの懐に愛が踏み込む。
「そう、会話をするように楽しく。せめて、楽しく。これから倒されるこの少女に笑顔をむけて」
凍り付いた冬の池で、愛は静かに微笑んだ。
最初はウズメの倒れる方と同じく右側へ。
同時に左側へとステップを踏み、流れる様に蹴りが入る。
踊り終えたウズメの前に、新たな参加者が舞い込んだ。
「天と冥の、隔たり……その身で、味わうといい……」
その時ウズメは確かに感じたのだ。
Spicaの持った銀槍が一瞬、紫炎纏う剣の姿になった事を。
そしてその剣は自身の身体を斬り裂いていた事実を。
飽くまでも槍の一閃ではある擬似再現されたSpicaの剣は、すぐさま元の銀槍へと戻る。
ウズメが、正面から地に伏せた。
最早敵意も、戦意も、何の反応すら感じ取れない。
溶け散っていくウズメの身体を愛はしっかりと目に焼き付け、佇んだ。
もしもこのサーバントに、私達人間と同じくらいの感情があったならば……一体何を思って相まみえたのだろうか。
その心を知るものはもう誰も居ない。いや、元から居なかったのかもしれない。
雲の合間から太陽が『彼女』の跡を照らし出す。
差した日の光が、やけに暖かく感じた。
●
徐々に溶け行く氷上でSpicaはひなみと共に歩く。
スケート靴が有ればまだ滑りは出来たろうが、勿論貯水池にそんな準備は無い。
作戦や行動の邪魔にならなければ持参しても良いかもしれない。
今回の様な状況が頻繁に起こっても困り物だが。
ひなみはSpicaと歩く中、チラリと愛の方を見た。
桜庭。初めて出会った同姓の先輩。
彼女は自分の信念を貫くような言動で、ウズメとも真剣勝負で臨む姿。
普段は天真爛漫な彼女とは、意外に気が合う……かもしれない。
視線に気付いた愛がフッと振り返る。
大き目の帽子をと頭を下に下げ、ひなみは自分の視界を遮った。
「有難う御座いましたー」
自動ドアに足を踏み入れると、短い軽快な音楽が見送る。
覇気の有るような無いような、中途半端な礼を受けて、侑はコンビニを出た。
暫く、と言っても然程の距離では無かったが、肉まんとおでんの入ったレジ袋をぶら下げて歩いているとツリ目の少女が目に映る。
「お腹減ってたの?」
タマモが袋を見て寄って来る。
相変わらず白が大半を占めている服だが、池の上ではないのでかんじきは外したようだ。
「暖かい物が食べたかっただけだ」
ぶっきらぼうに侑は返す。
「良い香りがするの」
突然掛けられた声に対して驚いた様子も無く振り返ると、アヴニールが袋の横で並んでいる。
侑は軽く溜息を吐いた。
また、コンビニに寄る事になるかもしれない。