●速さを求めた塵芥
周囲を森林に囲まれた、今は誰も通らぬ峠。
頂上から麓、果ては広がる森林を一望出来る上空に、一人の少女が浮かび上がっていた。
漆黒の髪に紅のメッシュ。
気配を殺して赤く煌めく瞳で見下ろす紅 鬼姫(
ja0444)の真下には、豪快な排気音を上げる三体のディアボロの姿。
余りの五月蝿さに探すという以前の問題であったが、どうやら今まさにバイクで駆け出す瞬間の様だ。
発見出来たや否や、そのディアボロ達は小さな黒い影となって風を切って行く。
が、最高速度には達していないのか、通常のバイクでもまだ追い越せそうなスピード。
『敵視認。移動速度確認……一分後にはそちらに到着するかと?』
携帯電話で連絡を終えた鬼姫が遁甲を解除する。
阻霊符を……と考えた手元には無い。そのまま、バイクらへと滑空するとギョッとした先頭の赤毛に並走する。
「お先に、ですの」
一言、煽りを入れて仲間の居るパーキングエリアへ。
数秒して、後ろで排気音が高鳴るのが聞こえた。
『……了解』
ほぼ同時刻。麓の無人パーキングエリアで薄氷 帝(
jc1947)はそう受け答えると、携帯を操作するのと逆の手でマフラーをずらして口を動かした。
「約一分程でこっちに来る様だ」
それを聞いた他の撃退士達が戦闘の準備に入る。
敵の誘引先はこのパーキングエリアに。
その為に麓の入り口付近には予め鬼姫とベアトリーチェ・ヴォルピ(
jb9382)によって簡易的なバリケードを施してあり、撃退士達はその前に陣取っている。
パーキングエリア内にも逢見仙也(
jc1616)がトリモチや泥の罠を仕掛けているが、阻霊符か陣でも使用しない限りは矢張り、実質的な効果は望めないだろう。
が、邪魔をする奴がここに居る。
そう思わせる事は出来るかもしれない。
(「大規模作戦を除けば、まともな戦闘依頼参加は夏以来か」)
勘が鈍ってないと良いんだが。
そう願い、月詠 神削(
ja5265)は近づくエンジン音を前に白い大鎌を構えその時を待つ。
すぐ前方から凄まじい殺気を感知した仙也だが、決してディアボロからでは無い。
大剣を手に敵を待ちわびる天王寺千里(
jc0392)のものだ。
依頼出立前から既に殺意に満ち溢れていた千里。『この戦いには絶対に負けられない』。言葉に出さずともこの様子だけで一目瞭然と言ったところか。
やがて上空に鬼姫と思われる影が大きくなるのが見え、その直後に撃退士達の立つ正面に光が見え隠れする。
最初は頂上近く。と思えば次は既に中腹辺りまで来ている。
想像以上だ。鬼姫の連絡が無ければ対応が遅れていたかもしれない。
「来た……スピードに魅せられた……ヤロー共……」
ベアトリーチェの持つ髑髏が明々と照らされる。
合わせてベアトリーチェは黒色の鎧を纏った馬竜を召喚。仙也も天魔の翼を背に現す。
撃退士達が横並びになったその先頭で神削が大鎌を肩に乗せ、掌を上に向けて人差し指で挑発した。
視線はディアボロ達を外さず、顔を小さくパーキングエリアの方向へ動かし、悠々と中に入っていく。
『こっちへ来い。相手をしてやる』
恐いなら逃げても良いがな。
恐らくは神削の挑発をそう受け取ったのだろう。
先程も鬼姫から煽りを入れられ、ここはディアボロ達にしても引くに引けぬ状況だ。
空ぶかしで反撃の意を示すディアボロ達が後を追い迫って来る。
赤いモヒカンのディアボロがパーキングエリアへ。
紫髪、金髪のディアボロもそれに続く……と、突然バイクの傍を大きな影が横切った。
紫髪が驚いた様に見えたが、横切ったのは馬だ。蒼煙を纏った大きな馬。
それに騎乗している者は、ともすれば小学生の様な少女。
「口縄で……顔面……引き摺り回すぞ……コノヤロー……」
まるでヤンキー漫画のそれのような煽りを入れ、ベアトリーチェが紫髪と並走する。
急カーブでキツイ砂埃を上げた先に、赤毛と金髪が大鎌から巻布へと持ち替えた神削に襲い掛かる光景が目に入った。
だが、勢いを付け過ぎたかその両者の攻撃は易々と躱されてしまう。
攻撃動作は単調。予備動作も大きい。見極められれば回避は難しくない。
紫髪も挑発行為の返しにベアトリーチェへと攻撃に転じようとするが、位置が悪い。
彼の攻撃はバイクによる突進。真横に並走されてはそれも難しい。
並走していた紫髪が痺れを切らし、急転換しようとしたその時、悪寒を感じて急転換は急停止に変わった。
直後、紫髪の乗ったバイクの前面を二本の小太刀が掠める。
「惜しかったですの」
空より襲来した鬼姫が、空中に在りながら半身を返して少しの距離を取る。
直前まで気配が無かった。今、止まらなければ確実に首を持っていかれていた……。
と言うより、コイツは先程の女ではないか。
睨み付ける紫髪とは対照に、少女達は睨み返しもせず、傍観もせず、ただそこに敵対していた。
一方、金髪の目の前にも眩い光を放出させ邪魔する影が立ち塞がった。
気付いて尚金髪は直進する。邪魔をするなら、轢けば良い。
「少し止まってくれ。なに、ちょっと免停になるだけだ」
青年、帝が形成した雷の剣が金髪に振り下ろされる。
上空からは仙也が車輪を目標とした矢を射出したのも見えた。
金髪は雷を身に浴びながらも、尚も考える。
このまま前に出て躱すか?
それとも直接バイクを矢にぶつけて車輪への被害を減らすか?
用意された答えはどちらもノーだ。
そうしようにもバイクが、いや、帝の雷剣で自身の腕が言う事を効かない。
咄嗟に体勢こそ崩さなかったものの、金髪が仙也の矢を躱せる術は無かった。
激しい金属音が散ったのはその横からだ。
音を生み出したのはバットと大剣。
「てめぇが親分だな、だったらアタシがてめぇをボッコボコに叩き潰してやるぜ!」
荒々しく振り回された黒色の大剣が幾度と無くバットとぶつかり合う。
だが、何とか千里の攻撃を凌いだのも束の間。
その殺意に偽りなく、バットを構える隙に猛烈な蹴りによって赤毛がバイクから叩き落とされた。
地面に突っ伏しながら、赤毛は第一にバイクとの距離を測る。
大丈夫だ。然程離れている訳では無い。
痛みを訴えるように蹴られた部分を押さえて赤毛が立ち上がる。
バイクへ駆け寄ろうとした赤毛だが、動きがピタリと止まった。
その鼻先に切っ先を向けた千里が睨みを利かせていたのだ。
千里がにじり寄る。気圧された赤毛が同じ歩幅で後退する。
嘗ての番長魂に焔が灯ってしまったと言うのか。
今ここに、血で血を洗う親分同士の死闘が始まった。
●翻弄された掌の上
紫髪が方向転換を開始した。
見定めた標的はベアトリーチェ。
あの大鎌を持った黒髪の男も舐めた真似をしてくれたが、この女も大概だ。
しかし、付かず離れずで纏わりつくスレイプニルが邪魔をしてベアトリーチェに辿り着けない。
標的をスレイプニルに変更した紫髪が地面を足で蹴り、速度を一気に加速させる。
が、その目の前を鬼姫が高速で横切り、対象を見失ってしまった。
「鬼さん此方、ですの」
あの銀髪の女と馬竜に近付けさせない気か。
と思いきや、今度はスレイプニルが突然突っ込んで来るではないか。
陽動か……いや、止まる気配が無い!
判断を鈍らせた紫髪の顔面に、スレイプニルからの強烈な一撃が綺麗に入った。
やはり、あの女が先か……。
飛びそうになった意識を何とか取り戻した紫髪は再度標的を変える。
が、加速した先が不味かった。
背後に聞こえるバイクの駆動音。
金髪と隣同士に位置してしまった紫髪の身体に髪が絡みつく。
鬼姫か? ベアトリーチェか?
それは紫髪の視線の先、彼女達の背後から放たれた幻影。
静かに、そして隙を逃さず的確に弱点を突く事を務めた神削からの束縛。
そうだ、移動も攻撃方法もバイクばかりの今回のディアボロ達に、束縛という手段は最も有効的である。
「脇見運転はよくないな」
その背後で金髪に迫った帝が近接格闘で殴打を与え、空中からは仙也の矢が飛来する。
「コイツは避けられないだろう?」
鱗の様な物が見え隠れした、仙也の手元から放たれた紅蓮の一矢。
それは、今度こそ確実に金髪の乗る前輪を射抜いた。
同時に、鈍く乾いた音がパーキングエリアの中に響く。
赤毛のバットが千里を捉えた……後に、それを片腕で防御し、バットごと薙ぎ払った音だ。
音と一緒に地面を滑って来たのは金属のバット、それに加えて赤毛のディアボロ。
「ンなもんかてめぇ! 仮にも頭なら根性見せやがれ!」
ロングコートを翻し、さながら……いやどう見ても不良の啖呵を切り、砂利を踏み躙って千里が迫る。
その有様を遠巻きに見守り、金髪と紫髪は震え上がった。
バット相手に大剣だと。
ナメたもん使って来やがる方が悪い。
丸腰相手にまだやる気か。
ったり前だ。
「この北関東無双の千里様に喧嘩売って、五体満足で帰れるなんて思うんじゃねぇぞ!」
千里の怒号が、意識を刈り取られた赤毛の耳を劈いた。
だが、金髪も紫髪も他人事では無い。
再度言うが、紫髪は加速した先が悪かった。
「ドーン……」
金髪と隣り合ったその場所を、ベアトリーチェの指示の元、スレイプニルが二匹一気に薙ぎ払う。
二匹が吹っ飛んだ先に、高く飛翔した鬼姫が紫髪の首元目がけて小太刀を振り下ろした。
「首狩りの名……鬼姫は気に入ってますの」
崩れ落ちる胴体から鮮血が舞い散る。
分断された首が宙に回転した。
「貴方の首も、いただきますの」
表情筋を動かさずに視線だけ鬼姫から紫髪へ、紫髪から鬼姫へと移したベアトリーチェは心の中で小さく呟く。
(「この感じ……ジャスティス……」)
仲間の血飛沫が痺れの回った金髪にも降り注ぐ。
辛うじて動けはする。まともな反撃手段は一つも無いが。
更に言えば、止めを刺すように金髪にも神削の『髪芝居』が縛りを掛ける。
幻影に縛られる金髪には見向きもせず、パイルバンカーへと持ち替えた千里が接近したのはやはり赤毛だった。
赤毛の腹に幾度も杭が打ち込められ、次いで撃たれた帝と仙也の紅き矢が赤毛を掠めて金髪へと突き刺さる。
再び大剣へと戻した千里が、武器を構えた、のまでは見えた。
豪快。剛撃。
目にも止まらぬ速さで振り抜かれた千里の一閃。
ずれた行く視界が千里を映し、神削を映し、そして自身の身体を映す。
命が無くなるその一瞬、痛みは遅れてやってきた。
痺れ縛られと必死の抵抗を見せる金髪に千里は剣を向ける。
「トンズラしようったって無駄だぜ。たとえ神様に祈ってもこの千里様からは逃げられやしねぇ!」
金髪が己の幻影の中でもがく。
右に。左に。自由の効かぬ身体で、まるで泣き損なった駄々っ子のように。
その腹部に神削の掌底が突き刺さった。
左腕には光を、右腕には闇を宿した混沌の拳。
「……これで終わりだ」
拳は腹部にめり込み、そのまま殴り抜ける。
光と闇の容赦無い一撃は赤毛のディアボロをただの肉塊へと変えるにはあまりにも一瞬で、あまりにも充分過ぎる力であった。
●月夜、何を見て何想う
パーキングエリア内では、仕掛けた罠を除去する面々が見受けられた。
その作業の途中、そう言えば、と仙也は思い出す。
「どうかしたか?」
「……いや」
帝の問いかけに仙也は感情無く返す。
暴走族についての対策を講じて来たが、防音に繋がるものは有れど直接関与する案は少なかった。
中には族に立ち向かった情報も見られたが、実際のところかは定かでは無い。
つまりは結局、こうして物理的に退治するのが早い、という事かもしれない。
撃退士だからこそ出来る手段で、決して一般人が真似すべきでは無いが。
作業を中断した仙也は治癒の力を活性し、そのまま千里の治癒へと赴く。
「よく出来ましたの。ビーチェに怪我はありませんの?」
ベアトリーチェの頭を撫でながら、鬼姫は戦闘が無事に終わった労いを彼女に掛けた。
コクリ、と頷くベアトリーチェは何処となく嬉しそうに見えない事も無い。
ベアトリーチェを抱えた鬼姫が再び悪魔の翼を広げる。
足蹴で瓦礫を処理する千里の横で「何処へ?」と問うた神削に、腕の中でベアトリーチェが答える。
「空の……旅……ゴーゴー……」
「ふふ、それでは皆様、一時の静寂に満ちた素敵な月夜を……」
鬼姫が飛び立つ。
皆が小さくなっていくその上空で、ベアトリーチェはポツリと呟いた。
「将来……私も……バイク乗ると……カッコいい……?」
「えぇ、きっと、ですの」
バイクの光よりも柔らかな月夜に二人の姿が照らされる。
今回のディアボロ達の様にならなければ、そんな将来もきっと悪く無い。