●伝承の潜む森
九州北部に位置した森の中。
六人の撃退士達がそこに到着した時には、既に真夜中も真夜中。
光源と言えば黒井 明斗(
jb0525)の持つソーラーランタンくらいのものであるが、この分なら葛城 巴(
jc1251)も準備した懐中電灯はまだ使用しなくても大丈夫だろう。
そのランタンを手元に、皆の足元を照らす明斗は銀縁眼鏡を指で押し上げると前をみながらふと口を開いた。
「時々思うのですが、よく伝承を用いたディアボロやサーバント事件とかありますけど、もしかしたら人界にスパイとか放ってるんですかね」
サーバントは伝承神話を用いた姿を持つ事が多いと言われる。
それは創造主の都合による部分もあるが、「天界が伝承を利用した」とも考えられれば「サーバントが起こした事件がそのまま伝承になった」とも考えられるかもしれない。
早々に答えは出ないと思われるが、では、ディアボロはどうだろうか。
用途に適した姿を持ったディアボロが伝承となった理由。
「大方、酔狂な悪魔が都市伝説をモチーフにしたディアボロでも作ったんでしょう」
ランタンの光に黒い長髪を照らし出した六道 鈴音(
ja4192)がそう返答すると、一拍置いて明斗が喉を唸らせる。
ともあれ、火のない所に煙は立たぬ、とも言う。
過去にこの森で何か起こったのではあろう。
夜闇に青い髪を潜ませる僅(
jb8838)は、声に出す事無く、好物への考えを胸中に巡らせる。
蓋を開ければ結局天魔だが、伝承が存在している事自体に彼の興味を引きつけたようだ。
明斗達からそれ以上の問答が聞こえなかったところを見ると、彼自身そこまで答えを出したい質問でも無かったらしい。
「如月さん、これを……」
短い会話が終わるか終わらないか、そう言って巴が前を歩く如月 千織(
jb1803)に手渡したのは空の容器だ。
無愛想な表情で真横に居たローニア レグルス(
jc1480)が見た限りでは、何かを詰め込むのに適して居そうな小さ目の容器。
詰まりは料理の持ち帰り用のそれである。
その容器から森の奥深くへと、ローニアは瞳孔の無い青い瞳で見据えた。
同時に、明斗が周辺地図を今一度広げる。やはり、場所はここで間違い無さそうだ。
鬼が出るか蛇が出るか。
もしくは蛇の鬼が出るか。
不気味に静まり返る森の中に、一行は足を進めて行く。
●誘いの魔の手
「……町からは結構離れて来ましたね」
手元の地図と方位磁石を見比べた後、明斗は顔を上げて呟いた。
そこにはローニアと千識の二人がこちらを見返す視線を送っているが、その他三人の姿は見受けられない。
鈴音、僅、巴の三人は後方から前方三人(明斗、千識、レグルス)を付ける『後を付け隊』として息を潜ませている。
一方先を行く『導かれ隊』の三人は、勿論面喰い婆との接触が目的だ。
しかし、接触と言ってもよくよく思い返してみればこちらは老婆が現れるのをひたすら待つのみだ。
時刻は問題の丑三つ時。このまま小屋へ向かった方が早いのではないだろうか。
そう誰かが思い始めた時であった。
砂利を蹴る音。
最初にそれを耳にしたのはローニアだ。
次第にこちらへ近づくその音は、もう数秒もすれば尾行隊の三人にも微かに聞こえてくるかもしれない。
そして、その音と共に暗がりからぬっとりと姿を現したのは、紛れもない、一人の老婆であった。
ランタンの照らす少量の光源でさえもしっかり見て取れる皺だらけの顔。
曲がり気味の腰のせいか撃退士達よりも随分と低身長に見える。
着物にモンペ姿。頭巾を被っているので見えないが、前髪だけでも白髪が多く灰色の髪に見える。
その老婆は千識達三人の目の前まで歩いて立ち止まると、ゆっくり顔を上げて話し掛けた。
「お困りかえ?」
来た……!
聞いていた情報と同じ台詞。この老婆が『面喰い婆』である事はほぼ確定だ。
「えぇ……少し道に迷ってしまったみたいで」
千識の口が動いた。
彼女の言葉を聞いた老婆が、下がり気味の口角をぐっと上げる。
「そうかいそうかい。男が『三人』で立ち往生しているのが見えたから何事かと思ったよ……ここからだと町も遠いしもう夜も遅い。この先にアタシの住んでる小屋があるから、そこで一晩明かして行きな」
しゃがれた声と共に老婆は森の奥を指す。恐らく、小屋はそちらに在るのだろう。
明斗が千識、ローニアと顔を見合わせると、老婆に向かって返答する。
「では、申し訳御座いませんが一晩宜しくお願い致します」
「ふぇっふぇっ、そちらの外人さんは今にも眠りこけてしまいそうじゃからのう。なぁに、心配せんでも小屋はすぐそこだよ。さ、おいで」
外人さん、とは間違いなくローニアの事を言ったのだと思われる。
見れば確かに疲れ切ったように肩を落とし、普段の無愛想さも相まってか元気が有るようには見えない。
そんな三人の顔を見比べ、老婆がクルリと反転して歩き出す。
後ろ手に両手を組んだ背を三人は追いかけ始めた。
「……老婆との接触に成功。現在小屋に移動中……みたいです」
携帯端末を操作しながら鈴音が呟いた。
明斗からの定期連絡だ。
「了解。では……私達も慎重に行きましょう」
巴の言葉に僅と鈴音も頷く。
老婆含める四人の後を付けて行くと、小屋までの道はそれほど遠くでない事が判った。
写真で見た時よりも一層古い小屋だ。
生活を送るのなら必要最低限の間取りしか無いのではないか、と思える程であり、雨風は凌げるだろうがこの季節の寒さを耐えるには少々心許ない印象を受ける。
外観だけならまだ判らないが、あの狭い空間が苦手な……例えば巴なら拒否感を覚えるかもしれない。
そんな小屋の中に四人が入って行くのが見えた。
うっすらと言えどそれが見えたのは、小屋からは既に明かりが漏れていたからだ。
「三人共無事中に入れたようです」
双眼鏡で様子を確認した鈴音が二人に向かって言う。
身を隠す木々は小屋の周囲にも有るが、明かりが見える以上近づかない方が無難だろう。
「ここまで順調ですね……」
何か異変は有りましたか? と問う巴に、特徴的な語尾で僅が答える。
「今のところ特に何もな、い」
「取り敢えずは合図が来るまで待機、ね……」
鈴音が再び双眼鏡を構える。
そのレンズには、明かりの中揺れ動く影がチラリと映った。
●狭き小屋の攻防
導かれ隊の三人が案内されたのは、入ってすぐの居間だった。
壁に燭台で取り付けられた蝋燭、そして目の前の小さな庵がこの小屋から見えた明かりの元だろう。
庵には鍋が置かれてあり、そこから漏れ出す湯気が居間の天井を巡っていた。
「さぁて、丁度鍋が煮えてきたところだよ。さ、森に迷って疲れたろう。遠慮せずにお食べ。山菜料理も持ってくるからね」
「あ、お手伝いしますよ」
千識が立ち上がる。が、立ち上がったところで老婆が千識を制止した。
「おや、有難う。でもせっかくの客人なんだ、ゆっくりしといてくれ」
制止はされたが、これで怪しまれる可能性は一つ減っただろう。
老婆が撃退士達に背を向けた瞬間、明斗は老婆の背を見据えた。
見た感じでは親切な老婆。会話をしてもボロは出そうにない。
だが、こちらには異形を認識する術が有る。老婆の背に見えたのは……。
明斗の手元が動く。
同時、外で待機していた三人に連絡が届いた。
『お待たせしました、目標です』
小屋の中にいる他二人にも念押しに静かに忠告を入れる。
「食べる方は居ないと思いますが、間違いないので食べないで下さい」
山菜料理を持ってきた老婆に対し、三人の内ローニアが視線を上げた。
「ニホン食い物、イラン」
日本の食べ物には不慣れだ。そう言って首を振ったローニアに、老婆は奥の部屋を勧めた。
「外人さんはお疲れだったね。寝床ならあっちにあるよ」
その後、やや短い時間であったが食事の談笑が機械的に行われた。恐らくどちらも、だ。
取り分けられた料理が減ったように見えたのは、千識が隙を見て持ち帰り用の容器に詰め込んだからである。
先に布団に包まったローニアは携帯を手元に、明斗と千識の二人も料理を余り減らさなかった事に疑問を抱かれたが、千識が上手く申し訳なさそうに「食欲よりも疲れの方が勝ってしまったようで……」とフォローを入れた事により、大して怪しまれずに寝床へと案内された。
そうして小屋の明かりも消えた頃。
ゴトリ、と重い物が床に落ちた音で、小屋の三人は寝転がりながら警戒を強めた事だろう。
部屋を隔てているのは薄い壁と障子だ。スッ……とスライドさせた音は、恐らく障子を開けた音に違いない。
ディアボロである事は明斗によって確定した。ならば動くのは今だろう。
障子を開けたのはやはり老婆だった。ただ、その手には大きな鉈を持っていたが。
「ふぇっふぇっ。若い男が三人もやって来るとは、今日はついてるねぇ」
ローニアが外の三人へ合図を送る為、最低限の動きで携帯を操作するのとほぼ同時、老婆が鉈を振り上げる。
その直後であった。
千識の携帯が小屋どころか付近の森まで響く大音量を鳴らしたのだ。
怯んだ老婆に対し、千識、明斗、ローニアの三人はすかさず飛び起きる。
数歩後退った老婆に対し、白い帯状の何かが纏わりついた。
千識による束縛だ。
掛かったな、と言わんばかりに睨み据える千識。その身体に見えたのは純白の左翼。
抵抗する間も無く捕えられた老婆へと、明斗が生み出した妖蝶が次々に襲い掛かる。
予期せぬ不意打ちに何の対策もしていなかったのか、老婆は束縛されたままに蝶の乱舞に意識を失いかけた。
正確には辛うじて意識は保ったままであったが、しかし、老婆にとってはそれは大差無かったかもしれない。
何せ、自らの視界が突然薄闇に閉ざされたのだから。
薄闇の隙間にこの闇を施したローニアを目で追ったが、この状態では老婆の攻撃もろくに届かない。
そのローニアからの合図で光纏及び阻霊符の発動を完了した鈴音が、一瞬の間に薄闇の中に降り立った。
「やっと正体を現したわね!」
対した四名の撃退士。いや……まだ外から音が聞こえる。
老婆はおもむろに鉈を投げつけたが、それは誰に当たる事無く小屋の壁に突き刺さった。
鉈を躱した千識の掌には青い魔法陣が出現する。
現れると同時に氷の剣が直線状に老婆へ撃ち放たれる。
氷の剣が砕かれると同時、鈴音の霊符による炎が老婆に纏わりついた。
束縛する白帯を解くのにはまだ時間が掛かりそうだ。
仮に解けたとして正面に立つ明斗の位置、撃退士を攻撃するのに邪魔でならない。
しかし、手が無い訳では無かった。
「小癪な!」
老婆は自身の足元を蛇の尾へと変化させる。
振り回したその尾の距離は、明斗の懐へ届くのには十分だった。
「ぐっ……!」
右から左へ、尾の払われた方向へと明斗に衝撃が襲い掛かる。
「大丈夫ですか!?」
巴の声、と同時に魔具のトロンボーンから津波の様な衝撃音が老婆に向けて発せられた。
入り口の方を見やると、そこには僅の姿も在る。
全員が老婆を取り囲む形となったところで、まさにその時、僅の放った鎖が老婆へ絡みついた。
縛られ塞がれ、更に縛られ。
最早老婆、いや、本体を現した面喰い婆に動く事は出来ないのではないだろうか。
だが、まだ油断は禁物だ。
すっかり身動きの取れなくなった面喰い婆へ鈴音は全身を流れる電流を浴びせる。
次いで千識の氷の剣、明斗の妖蝶が波状となって面喰い婆を貫いた。
冷えた感触が面喰い婆の傷に染みこむ。
いや、違う。これは違う。
『背筋が凍る』とはまさにこの事。
先程から姿の見えない男が一人居たではないか。
瞬間、隙だらけの面喰い婆の背後から強烈な一撃が叩き込まれる。
近づくまで気配を断つ。ローニアの闇討ち。
余りの衝撃に再び意識を飛ばしそうになる面喰い婆だが、撃退士達の攻撃が止む事は無い。
僅が明斗へ回復を施す間、巴の銃弾が面喰い婆へと撃ち込まれる。
力を振り絞り反撃を試みる面喰い婆だが、それも叶わぬ夢だった。
身体が痺れ切ったのか、動かせないのだ。
そう、今目の前に居る、鈴音によって!
「さぁ、ケシズミにしてあげるわ。六道呪炎煉獄!!」
紅蓮と漆黒の炎が織りなす六道家に伝わりし最大奥義。
かつて先祖がそうしたと伝えられるように、いやそれよりかはだいぶ規模は小さいかもしれないが、邪悪なる蛇への制裁を下さんと燃え盛った。
業火に飲まれる面喰い婆。これは、最早言葉通り消し炭になるまで消える事はないだろう。
苦し気な悲鳴と共に、面喰い婆は悔し気に言葉を発する。
「ぐぁああぁ……! こんな……折角……男共が来たというのにィ……!」
「残念、僕は女だよ」
千識が事も無げに止めの一撃を投げ掛けた。
それが霧散していく面喰い婆に果たして聞こえたか定かでは無いが、恐らくここ一番の悔しさだったのではないだろうか。
●
面喰い婆の討伐後、千識の手から巴へと、例の持ち帰り容器が手渡された。
横では僅が『怪異』の姿をデジタルカメラに収めているが、灰となった今では何かの証拠として残すのは難しいかもしれない。
もっとも、僅にとってはオカルトに関係している事であれば問題無いのかもしれないが。
「有難う御座います」
容器を手渡された巴が一言礼を述べた。
「因みに、何に使うんですか? これ」
千識がそう問うと、巴はそれを荷に詰めながら答える。
「これを研究すれば不眠に悩む人の役に立つかもしれません」
果たしてどうだろう。「小腹も空いたし……」と慎重に手を付ける様子をローニアは見たが、その後に何が起こったかについては今語るには少し長くなりそうだ。
「それにしても、どこから来たんですかね」
明斗の疑問に対し、鈴音は首を傾げた。
「さぁ……何か有れば調べてみましょうか」
もしかしたらこの辺りに手が掛りがあるかもしれない、との事。
ディアボロが突然発生する手掛かり。
もしそれが判明すれば、こういった伝承の紐も解かれて行くだろう。
まだ多く潜む日本の伝承。
もしかしたら、貴方達の知る伝承にも天魔が関わっている可能性が有るかもしれない。