●鬱々とした町
空に広がる雨雲。それは伝え聞いた通りだとすれば、相も変わらず町の上空のみを覆っていた。
その雲に隠れたのは向こうに有る筈の太陽だけでは無い。
町の活気、前向きな思考、つまりは人々の気力さえも奪いつつあるのだ。
町人達は鋼のメンタルだね、と砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)は感じるが、それが折れるのも時間の問題かもしれない。
問題と言えば今回の敵についての情報だ。
依頼者である学園の者ですら収集出来ていない石像のサーバント。
となれば、ここは町民に聞いて回った方が早いだろう。
「さて、何処から聞いて回ろうか……」
黒い短髪、若杉 英斗(
ja4230)の縁無し眼鏡が街を行き交う人々を見渡した。
対照的に、その後ろで肩をすくめたのは六道 鈴音(
ja4192)。
「こういうのは、お姉ちゃんに任せておけばいいでしょ。私より人当たりがいいしさ」
長い黒髪が生暖かい風になびけば、視線は隣の六道 琴音(
jb3515)へと移っている。
会話の先を渡され、しばし様子を伺っていた琴音に男の声が掛かった。
「こんにちは。もしかして……町の外から来なさったのかな?」
見た目は五、六十代と言ったところか。
小さな町と言うからに、見慣れない顔はすぐに判るのかもしれない。
「めずらしい石像があるときいて、見学に来ました」
琴音がそう返すと、男性の頬筋が一瞬ピクリと釣り上がるのを、共に居た八神 翼(
jb6550)は気付く。
この四名の撃退士達の足元が少々重たく見えるのは、これから丘を登ろうとする為の靴のせいだろう。
そのまま数秒間の間が空いたもので、続け様に英斗が「いつからあるのか?」と問うと、男性は目をギュッと閉じて眉根を寄せた。
「うーん……いつからって言われてもねぇ……」
町民も知らないとすれば何だろうか。
「あの石像は、ある日突然建てられていたんですか?」
穏やかな口調で問われた二つ目の質問に、男性は言葉無くゆっくりと頷く。
曰く、かの石像達は琴音の言うように、『ある日』『突然』現れたそうだ。
少なくともそれが建設される途中を見た事は無いし、この町にそれらしき伝承が有る訳でも無い。
やはり、と琴音は自答した。
『アレ』は石像がサーバント化したものでは無く、石像型のサーバントだという事だ。
それはほぼ同時に現れた雨雲、それに死亡事件からも予測出来るだろう。
「いやぁ、でもねぇ……」
粘り気の有る口調で男性が頭を垂れる。
「あんまり関わらない方が……ほら、触らぬ神に何とやらって」
●氷炎の石像
「……って言う事が聞けた訳だけど」
鈴音が情報を渡した相手は砂原、そして黒い細身の服を身に纏ったケイ・リヒャルト(
ja0004)だ。
件の石像が在る丘を登る最中、前を行く二人に簡潔な説明がなされた。
結果、得られたものと言えば住民の石像に対する恐怖感、圧迫感、と精神的にも非常に宜しくない返答ばかりだった。
だが、町に対する実質的な被害は出ていない事、またそれが石像からのものと確定していない事、関わろうとした人間の死亡事件。
それらが町の住民に暗黙の了解を生み出しているのだ。
『あれに関わったらロクな事にならない。遠目で見える分にはまだしも、壊しに行くなど自殺行為も甚だしい』と。
町民達の行動思考も解らない事は無い。
つまりは全員に立ち向かえる強さと勇気が足りなかったのだ。
天魔に対して対抗出来る者が居なければそれは無力に等しい。
等しいが、それでも他に出来る事はあったのではないか。
そう思える程に、現状の町は酷く衰えていた様子であった。
「みえた。アレが例の石像だな」
黙々と歩を進める一行が辿り着いた頂上。
その先に、遠くでも良く見える程に背の高い像が鎮座している。
二つの間の距離は意外と短い。精々8、10メートルといったところか。
全員がその前へ辿り着くと、石像達が重く、鈍い動きでこちらに振り向く。
ケイがその掌を見れば、それは依頼主が言っていた通りだった。
片方の手には焦げ跡が、もう片方には薄い氷の膜が覆っている。
直後、片方の石像が熱を帯びた。
「……散開!」
翼の言葉に全員が飛び退る。
石像の手から放たれた炎が退いた後の地面を激しく炙った。
「翼は距離を取って! あんた防御がぺらっぺらなんだから!」
「言われなくても、そうさせてもらうわよ」
鈴音が前方へ、翼が後方へと位置取りながら言葉を交わす。
鈍重な動きで撃退士達を追う石像へ、アウルの銃弾が撃ち込まれた。
先手で攻撃を仕掛けて来た方を炎とするなら、こちらが氷の石像か。
その氷の石像に銃痕を残したケイに対し、炎の石像が拳を振り上げる。
が、その拳はケイにでは無く、眼前に踊り出た一人の男によって遮られた。
「お前の相手はこっちだ!」
ケイと石像の間で英斗が腕に装着した盾を突きだす。
白銀の円盾、その名を『飛龍』。
刃を備えた盾の斬撃が炎の石像に襲い掛かった。
その背後、氷の石像へと飛来したのは砂原によって生み出された幻影の蛇。
その蛇の一噛みに「まさか」と石像は思っただろう。
まだ十分に余力を残している筈の氷の石像が、ガクリと膝を落としたのだ。
原因は脇腹……そこに残された銃痕。
ケイの穿った穴から腐食が広がっているのだ。
更には、その傷跡から蛇の毒が流れ込んで来る。
鈍重な動きを更に鈍らせた氷の石像へ翼の弾丸が続けて撃ち込まれる。
「サーバントは、私が一体残らず殲滅してやるわっ!!」
使命感か、いや……憎しみ、だろうか。
石像、サーバントを目の当たりにした彼女からは普段の落ち着いた印象が想像出来ない。
その前方で電撃を体中に帯びた少女が唸る。
「私の炎で蒸発させてやるわ!」
意気込む鈴音に稲妻が走った。
その増幅、蓄積された電撃が氷の石像に向かって放たれる。
避ける暇も無く、電撃を浴びた石像へ呪符の妖怪が飛び掛かった。
「鈴音、翼ちゃん、無理はダメよ」
大人し目の口調で二人に忠告が入る。
言葉は、冷静に二人を援護する琴音からであった。
数メートル向こうでは激しくぶつかり合う石と盾の音が響いていた。
炎の石像、それを相手に一人で戦うは英斗。
英斗の刃が空を薙ぐ。
と思えば、石像の拳も同じ空を切った。
炎の石像の拳が思う様に当たらないのは訳が有った。
蝶が、舞っていたのだ。
黒い蝶が。
決してそれだけが理由では無いし、英斗の能力の高さも相まっての事だろう。
その戦法を掛けた相手は炎の石像では無かったかもしれない。
だが、戦場を舞い踊る揚羽蝶、ケイが視界の端に度々映り込む事によって、結果的に石像の注意が逸れてしまったのは事実だ。
やがて、鬱陶しくなったのだろう。再び炎の石像の両手に熱が込められる。
同時、氷の石像が微かに反応した。
が、それだけだ。先程の鈴音の攻撃からはまだ立ち直っていない。
十分に熱を溜めた炎の石像。そこへ叩きつけられたのは英斗の盾だった。
「好きにさせるかよ!」
石像の両手から解き放たれた炎が空中に霧散する。
その一部始終をケイと同じく、砂原が持つデジタルビデオカメラはしっかりと記録していた事だろう。
その間にやや動きを取り戻した氷の石像に対し、青紫と緑のオッドアイが視線を移した。
その者、砂原はすかさず巨大な火球を叩き込む。
燃え上がる石像。声の無い苦痛。
そこに声が轟いた。
「雷帝の名において、敵を殲滅する!」
大気をも切り裂く翼の雷。
それは彼女の最も得意とする技。
「死ねぇ! 雷帝虚空撃!!」
雷が再び石像へ降り掛かる。
激しく瞬く雷光を眼前に、燃え上がったのは漆黒と紅蓮の炎。
鈴音の帯びるそれらが束となり、氷の石像へと向けられる。
「くらえっ! 六道呪炎煉獄!!」
対象を焼き尽くすまで燃え上がると言われる六道家に伝わる炎の魔術最大奥義。
炎が雷光の中を駆け巡る。
「さすがね鈴音。奥義の六道呪炎煉獄をここまで使えるなんて」
琴音がその炎を見ながら呟いた。
炎は言い伝えの通り、氷の石像を灰にするまでの間。
一度も絶える事は無かった。
「お待たせ、英斗! 私が来たからもう安心よ!」
氷の石像撃破後、すぐさま対象を変えた鈴音が英斗へ言い放つ。
「鈴音には負けていられないわ」
すぐ後には翼も続く。と、鈴音の方へ掌底が繰り出された。
瞬時、鈴音は身を退く……が、あと数瞬の間が足りない。
避け、から防御へ体勢を切り替えた鈴音だが、その掌底は揺れる金髪の影によって弾かれた。
「や、女の子怪我させる訳にいかないしさ?」
飄々と言ってのける砂原はその勢いで再び毒の蛇を顕現する。
蛇たちに紛れ、ケイも黒い霧を纏わせた銃弾を、それも知識から効率化されたアウルの銃弾を放つ。
それらが噛みつきに掛かると同時に、炎の石像に無数の手が伸ばされた。
鈴音の援護に続いて、琴音が呪符の攻撃を仕掛けた。
琴音のアウルが禍々しい『何か』の形に具現化され、石像を襲う。
仰け反った石像に、こちらにもとケイが腐敗の、翼が不可視の銃弾を撃ち込んだ。
未だ膝を付かない炎の石像。両手を前方に突き出す。
その両手から放たれたのは、これまでとは一層威力の違う炎の渦。
ただじっとやられていた訳では無い。溜めていた。全員を纏めて焼き尽くせるこの時まで。
放出された炎が何かとぶつかった。
撃退士では無い。その撃退士、鈴音が放つ紅蓮と漆黒の炎だ。
「お前の炎と私の炎、どっちが上か、勝負よ!」
せめぎ合う、二つの炎。
確かにこれ程までと言うような力は込めた筈だ。
だのに、波はそちらを味方した。
六道の奥義が、サーバントの炎を押し込んでいく。
打ち負けた……。
そう、感じ取れた瞬間だった。
大きく踏み込んだ影が一つ。
そうだ、忘れてはならなかった。
「くらえ、セイクリッドインパクト!!」
衝撃が石像を貫き、空中に振動する。
大きく、重く響く穿った音の後で、白銀に輝く英斗の魔具が振り抜かれた。
一歩、二歩、炎の石像は歩を退る。
そうして氷の石像と同じく膝から地面に着くと、抵抗も無しに俯せに倒れ込んだ。
このまま灰となるのに、然程の時間も掛からないであろう。
その直後、一陣の風が吹いた。
それまでのねっとりとした風では無く、戦闘を労うような柔らかい風だ。
ふと、鈴音が空を見上げた。
割れている。
黒い雲が、町の中心から二つに裂けつつある。
そこから差し込むべき暖かな光は、やっとこの町に希望をもたらすのだ。
●
町はと言うと、思いの他変わりは無かった。
外を歩く住民達は浮かない表情をしているし、雨雲が消えて行く事で喜んではいるものの内心何処か複雑そうだ。
そんな町の町長宅に撃退士達は訪れている。
「私達は久遠ヶ原学園から派遣された撃退士です。石像を調査したところ、天魔である事が確認されたため、撃破いたしました」
そうでしたか……有難う御座います。
そう礼を告げる町長であるが、これも内心の不安を隠しきれてはいない。
この町は、住民はどうなるのだろうか。
天魔に手を出した事で報復に合わないだろうか。
事前に聞いた事から考えると、心配するのは大方そんなところだろう。
石像がサーバントであったという証拠に、ケイと砂原の撮った動画が町長の目に映される。
こちらを振り向く二体の大きな像。放たれる炎の渦。
そこには、確かに撃退士達と戦う石像達の姿、その一部始終が映されていた。
「討伐後、雨雲も無くなりましたし、町長でしたら因果関係もご理解頂けますね?」
砂原の問いかけに町長が頷いたのは、一先ず納得せざるを得ないからだろう。
「くだらない強迫観念にかられてサーバントを野放しにしておいた貴方がたに、なんの責任もないと考えているのですか?」
きつく詰め寄った翼に、町長からの返答は無かった。
確かに、早くに対策出来ていれば死人が出るには至らなかったかもしれない。
ただの一般人からの不安がここまで被害を増幅させたと言っても良いだろう。
「住民への説明もお願いします」
そう言って微笑する砂原に、町長は又も頷いて答えた。
恐らく、撃退士達が帰った後に説明はなされるであろう。
だが、これも恐らく、住民達は薄々でも感付いていた。
突然現れた石像、それと同時期に雨雲、その石像の付近では遺体。
これだけ絡めれば嫌でも考えの一つには至る。
これからは早急に連絡します、との話を受け、町は平穏を取り戻した。
根本的な何かは解決し切れていない。
だが、これで人々の平和は取り戻せたのだ。
十分、依頼には成功したと言って良い。
●温泉に行こうよ
町長宅後、琴音がポロリと呟いた。
「せっかく知人が四人揃って同じ依頼にきたんだから、温泉にでも寄って帰りたいわね」
「いいですね。俺も琴音さんと温泉いきたいです!」
合間を入れずに英斗が即答する。
「若杉ちゃん、鼻の下伸びてるよ」
後ろで微笑する砂原、それに気付いて英斗を小突きながら鈴音も答える。
「私も! せっかくだから寄り道賛成!」
温泉が近場に在るかは探してみないと判らないが、そう遠くもないだろう。
小突かれた脇腹を抑えながら、英斗は琴音を見やった。
(「混浴だったら、もっとうれしいけど……」)
「混浴だったら、もっとうれしいけど……」
内心と同じ女性の声が聞こえて来たもので、英斗は慌てて隣を見るとケイがいつのまにか隣に立っている。
「顔に書いてるわ」
幸いにして誰にも聞こえていなかったようだ。
「近くに宿がないか探してみます」
翼の提案で、その日泊まれる宿が携帯機器の画面に表示された。
これだけ切り替えが早いと不安な面もすぐに解決してしまいそうだ。
この町もどうか、そんな活気有る一面を早く取り戻して貰いたい。