●山に落ちた命
現場の情報。遺品の届け先。何より彼女の様子。
依頼人、雨水 百合花(ウスイ・ユリカ)の事については、疑問に感じる部分が多過ぎた。
「何が起こっているか調べる必要がありそうですね」
出発前にそう皆へ確認した木嶋香里(
jb7748)を含む撃退士達が、各所で依頼人と被害者についての事を尋ねて回ったのはその理由からだ。
狩野 峰雪(
ja0345)が警察から聞いたところ、被害者である志倉 龍久(シクラ・タツヒサ)は捜索願いは出されていない様であった。
と言うのも、彼は独り暮らしであり身寄りも居らず、そもそも出せる人間が周りに居なかった為である。
ならば百合花は何故『山で死んだ』と断言したのか。
百合花の入院しているであろう病院へリアン(
jb8788)が連絡をしてみると、「既に退院されました」との返答が返って来た。
であれば居場所は実家であろうが、そこへ連絡しようとも誰も電話に出る気配は無い。
実家へ直接訪ねても外出中か一人として出てくる様子も無く、カーテンまで閉め切られている状態であった。
更に発見した事には、雨水家と龍久が住んでいたアパートは向かい合わせの距離だった。
その彼女が言っていた山。
確かに鬱蒼とした木々が並ぶだけだ。珍しい動物が生息している訳でも無い。
この山についても調べた峰雪なら先に知る事になるが、ここは特に名前も付けられていない様な山だ。
ただ、サンカヨウの花が咲くスポットとして、地元の住民から小さな情報が記されていた。
被害者、龍久が『虹色の花』の情報を得たとすれば、インターネットでは無く人伝からではないだろうか。
その山に、百合花から託された百合の花を持ち、八人の撃退士達は中腹付近を目指していた。
全員が集まり登り始めた所で、前方に歩くリアンとジョン・ドゥ(
jb9083)へ小走りに駆け寄ったのはパウリーネ(
jb8709)だ。
ジョンの腰に強めの衝撃が加わったかと思えば、紫の髪が抱き着いて来た勢いだった。
「久しぶりの三人……何だか凄く懐かしい気分だよ!」
その言葉にリアンは前を向いたまま、ジョンは顔だけ振り向きお互いにフッと笑みを漏らす。
「お二人共、油断は禁物ですよ」
紳士的な口調と顔立ち、リアンの長身と対するように腰元ではアヴニール(
jb8821)の金髪が揺れ動いている。
山道は手入れがされてはいなかったが、然程険しい道のりでは無かった。
一般人が装備も無しに中腹に辿り着けたというのも考え難い事では無い。
「おお、此処は良い景色だね。良い所だねぇー……」
目的地の開けた場所に到着し、放ったパウリーネの第一声だ。
低所恐怖症の彼女に取って、こういった森や海の方が比較的好ましいのだろう。
だが加えて逆に、直射日光と眩しさが苦手でもある。
今はまだ日光はそれほどでも無いが、眺めの良いこの場所で果たしてどちらの感情が動くのだろうか。
喜怒哀楽の感情が判り難いパウリーネのそれは、きっと余程親しい人物で無ければ見極めるのは難しいのかもしれない。
「地面が抉れてる部分が有るわねェ……」
現場に到着と同時、周囲の確認を終えた黒百合(
ja0422)は皆に告げる。
そこにディアボロが生えていたのか、はたまた過去の戦闘の跡なのか。
状況を見るに後者の方だと、貴方達は感じる。
同じくその周囲の確認に当たったアヴニールの横で、同じくらいの長さの金髪、しかしアヴニールとは背丈も体格もがっしりとした大柄な女性、エカテリーナ・コドロワ(
jc0366)は、それまでも何度も疑問に感じた事に関して口を開いた。
「確かにあの女の言うことは不可解な点が多すぎる」
あの女、とは言うまでもなく百合花の事だろう。
森に入る前の情報を纏めてみれば、雨水百合花も志倉龍久も実在している、又はしていた。但し百合花の情報源は何処からのものか判らず、現状彼女が何処にいるのかも判明していない。
実際、こちらの質問に答える間を与えずに去ってしまったのは疑念を持つべき点だ。
だが、それらをエカテリーナはピシャリと締めた。
「しかし、本当に天魔の仕業なら取り返しの付かないことになる。今のうちにカタをつけてやる!」
締まりの有る口調で言い切ったエカテリーナに応えるかのように数人が頷く。
その鋭い眼光に射止められれば、一般人ならば大抵委縮してしまいそうだ。
未だ姿を見せないディアボロに対し、撃退士達は改めてその場を探索する。
「皆さん。気を引き締めてまずは花束を供えましょう」
香里を始め、彼が亡くなったであろうこの場所、その一番見晴らしの良い場所に歩み寄った。
途中にジョンは龍久の摘んだであろう花束を軽く探してみるが、それらしきものは見当たらない。
草花に埋もれてしまったのだろうか……。
何にせよ、少し時間を掛ける必要が有りそうだ。
先に崖の元に着いたパウリーネがその下を眺めながら誰にとも無く口を開く。
「ねぇねぇ、この崖……バンジーやったら楽しそうだよね。大自然とのダイナミックな触れ合いができそう」
間を置いても返答の無い皆にパウリーネが振り向くと、やや困った顔でジョンがこちらを見ていた。
「……あのな」
「……あれっ、そうでもない?」
同時に言葉を出す二人に、アヴニールが溜息混じりに呟く。
「呑気じゃのう……」
同意を求めるようにアヴニールが自分就きの執事を見上げる。が、その執事であるリアンは全く逆、峰雪と黒百合の方角を見ていた。
「お嬢」
一言、リアンが声を発する。
それに答えようとした時、代わりにしたのは黒百合の声。
「そこかしらァ……」
草花の群れる広い地の外側、森と連なり崖の付近に見つけた違和感。
それは周囲のどの木々より黒ずんで捻じれた一本の樹木、そしてそれを挟むように地面に植え付けられた二つの大きな二色の花。
声と同時に放たれた長大な弓からの一矢がその根元に突き刺さる。
途端、粘土のようにぐにゃぐにゃとその樹木が体躯を揺らめかせた。
「『綺麗な花には毒がある』とはよく言ったもんだが、こいつはシャレにならんぞ」
エカテリーナに対し。
まるで、こちらへ威嚇してくるかのように。
まるで、怨念の込められた邪悪な意思が有るように。
「来ますよ!」
香里の言葉に、樹木の側の地面が弾けた。否、そこから飛び出した。
一つの樹木を背に、蠢く二つの花。
貴方達は確信するだろう。
間違い無い。こいつらこそ、志倉龍久なる男性を殺し、その願いを無に帰した元凶なのだと。
●
戦闘開始後、各自の対応は迅速だった。
敵の確認直後に香里の刻んだ聖なる刻印はエカテリーナ、アヴニール、パウリーネの三人に。
それを皮切りに全員が散開する。
現場の遺品に注意して崖から退いた峰雪、その後ろでリアンが天魔の翼を具現化させて上昇し、一陣の風が巻き上がる。
三体全てを巻き込んだ峰雪の多様な色を持つ爆発に続き、箒の様な羽根の群れに腰を下ろしたパウリーネ、リアンと同じく翼を持ったジョンも飛翔した。
空中で振り向いたジョンが背後の恋人、パウリーネへと声を掛ける。
「一緒に出るのは初めてだな。日頃話す通りだ。パウリーネの前は私、私の後ろはパウリーネだ」
コクリと頷くパウリーネの下で黒紫色の炎を纏わせたのは、体内のアウルを暴走させて力を高めたエカテリーナだ。
迫る二体の花、赤い花にアヴニールが、青い花に黒百合がそれぞれ射撃を命中させ、迂闊な接近を阻害した。
野放し状態となった樹木のディアボロが狙ったのは、一番距離が近かった峰雪に対して鞭の枝を叩き込む。
が、その間に入った一人の女性が目標への攻撃をさせなかった。
「これ以上、傷つく人は出させません!」
香里によって受け止められた二本の枝、が、しなやかな感触になって喉元に締めついて来る。
息が止められる……空気が通らない……!
その苦しみから解放したのは一発の銃弾。
「害草は遠慮なく処分させてもらう、悪く思うな!」
構えると同時に放たれたエカテリーナの超高速の銃弾が、ディアボロの枝を撃ち抜いたのだ。
もう片方の枝にはワイヤーが絡みつき、垂直落下したパウリーネに斬り落とされる。
その隙に攻撃対象を青い花へと変えた峰雪は、もっともアウルの通る方角、そして物理的には花の飛ばす花粉が来ない風上へと移動した。
その上空、ジョンの傍らでは光が瞬いたかと思うと、現れたのは蒼い炎の鳥。
「彼女から離れるな。行け」
一鳴きした式神の鳳凰はパウリーネの元へ、自身は樹木の元へ飛来する。
同じく上空で花のディアボロ達を翻弄してみせる薄い青色の髪は、リアンによる撹乱。
「どうした、貴様らの攻撃を当ててみせろ」
先程の紳士然とした様子とは一変、片眼鏡の奥を光らせたリアンの動きに惑う花。
攻撃を仕掛けるにも空中に居るのでは自慢の牙も届く筈が無い。
唯一機会が有るとすれば降下した瞬間だがそれも時折の急降下、彼の魔法は牙の射程外だ。
仮に絶好の機会が訪れても、香里の巨大と思える防壁に拒まれる。
その香里も自身の肉体の活性化で即座に回復する術を持っている。
遠距離に位置する撃退士全員、対応するならば。
二体の花が中央の口をギュッと閉じ、その場で身を震わせる。
その動作をリアンは見逃さなかった。
先程とは全く違う動作。直接攻撃してくる訳では無いのなら恐らく……。
瞬時、風上へと移動、直後に花から花粉が撒き散らされる。
成程、どうやら自然の物理には影響される様で、花粉はそのまま風下へと流されて行く。
一連の動作が終わった直後、花達に襲い掛かったのは峰雪の水の刃、アヴニールの銃弾。
更にその背後から迫り来るは、黒百合が放つ燃え盛る劫火。
「きゃはァ、塵も残さずに燃え尽きろォ♪」
瞬く間に炎の海へと飲まれた花達が、声とも取れぬ悍ましい音を発した。
花粉すらも塵と化し、花弁の全てが燃やし尽くされていく。
やがてその根の先まで灰になるまで、炎が止む事は無かった。
再び対象を失った樹木のディアボロが向かった先は、花に対応していた撃退士達だ。
だが、そこに三つの予期せぬ攻撃が飛来してきた。
一つはパウリーネが放った無数の闇の玉。
一つは森の遮蔽から狙撃されるエカテリーナの銃弾。
そしてもう一つは。
「動くな。そして抗うな」
銃弾や弓矢等では無い。ましてや拳や蹴りでも無い。
そこに迫ったのは『巨大な威圧感』。
だが、その威圧に樹木は気圧される他無かった。
ただの一歩たりとも動く事が出来ない。
残った枝ならば仕掛けられるか?
いや、それもパウリーネの黒玉によって弾かれる。エカテリーナの銃もそれを許さない。
その樹木の目の前に黄金の槍が具現化された。
神々しくも何処か儚さを内に秘めた輝き。
動けぬ以上、その一撃に倒れる他、ディアボロの道は無かった。
●
「有りました。これが、彼女の言っていた花の様ですね」
香里が手に持つその中に、枯れた花がボロボロに朽ちた白い紙束に包まれていた。
各自の協力も有り、戦闘場所は然程荒れずに済んだようだ。
改めて百合花から託された花をその崖に供える。
皆が祈りを捧げる中、ジョンとリアンならば気付いただろうか。
パウリーネが見せた、悲し気な表情に。
リアンも心中、亡くなった主人夫妻、その娘のアヴニールを思い遣る。
ふとアヴニールが森から開けた部分を見ると、小さな、白い花が咲いているのが目に入った。
「これがサンカヨウ、ですね」
リアンが屈んだアヴニールに声を掛けた。
「サンカヨウの花言葉はー……何だっけー……?」
その花を見て、パウリーネも可憐に咲くそれを見つめる。
親愛の情。幸せ。それがこの花の花言葉だ。
きっと青年は、知らず内にこの花を百合花へ届ける事に導かれていたのかもしれない。
「……初めて見るけど……可愛くて綺麗な花だねぇ……」
ぼんやりと見つめるパウリーネの傍ら、峰雪は別の色の花を見つける。
そこだけ雨でも降ったのか、樹木からの水分でも落ちたか地面が湿っている。
それは、正確には同じ花だ。ただ、この花は一つ特殊な個性が有った。
濡れると花弁が透明になるのだ。
「……あぁ、そうか」
峰雪は花を一つ取り、見晴らしの良い崖へと照らした。
この場所ならば、雨の降った後に虹が良く見えるだろう。
峰雪の推測は正しかった。
『雨の後、虹を映す透明な花』。
それが青年、志倉龍久の聞いた虹色の花の正体だったのだ。
●願いは果たされ
「……はい?」
下山後、撃退士達が百合花の実家に向かい、出て来た女性に言われた一言はそれだった。
同時に、ある程度予測していた事実を言い渡される。
「いえ、そんな筈は……だってそれ、つい先日の事ですよね? その頃お姉ちゃんはもう……」
依頼人、雨水百合花は既に亡くなっていた。
退院後、突然体調を崩し、病院への手配も出来ぬまま息を引き取ったそうだ。
「ずっと体が弱かったんです。病院でもいつ倒れてもおかしくないって言われて……お姉ちゃん、それ聞いてたみたいで……せめて最後に家に帰りたい、って」
百合花の妹が言うには、「もしかしたら家に居るのかもしれない。お別れを言いたい」。そう言っていたそうだ。
未だに何の事か理解出来ていないが、少し残念そうだった姉の顔は忘れられなかったと言う。
「花が好きな人でした。珍しい花が咲いてるって聞いたら、そんな身体なのに山に行った事もあるんです」
でも知ってます? と妹は問う。
「山の女神って、女性を嫌うらしいんですよ。私そこんとこ良く知らないんですけど、憑りつかれたらどうすんの! って怒っちゃって」
仏壇に枯れ切ったサンカヨウが供えられた。残念ながら他に龍久の遺品となる様な物は無かったが、姉の遺志ならば、と快くその花を受け取って貰えた。
線香の香りが全員の鼻孔を刺激する。
そう言えば、と妹は突然口を開く。
「私の部屋に書置きが有ったんです。お姉ちゃんの字だと思うんだけど……『あの人を見つけてあげて』って」
いつ書いたんだろう? と自問する妹が顔を上げる。途端、目を丸くして台所の母に声を掛けた。
「お母さん、お姉ちゃんの写真変えた?」
「そんな訳無いでしょ!」
母の返しに、妹は小首を傾げる。
「こんなお姉ちゃんの笑った写真、有ったかな……」
学園で見た百合花が見せなかった顔。
両目を閉じて穏やかに微笑んだその表情は、きっと貴方達に向けられた笑顔だ。