●メリー・メリー・クリスマス
「最良の形で救えなかった、そう自覚出来る相手に再び見える事になるとはのぅ」
招待状に描かれた『茨姫とラプンツェル』の絵を見ながら、鍔崎 美薙(
ja0028)は呟く。
「別人が犠牲になったのじゃろうから、その懺悔を思うても詮無いことじゃが……」
胸に走るのは痛みと、悼みだ。二度目の死を迎えた彼女たちを冒涜するヴァニタスの酷い行為に対する、傷み。心残りが無いとは決して言えない、そんな想いを抱いて彼女は扉の前に立つ。
1F、扉前。
マルドナ ナイド(
jb7854)はそんな美薙の横顔を眺めながら、密かに恍惚の表情を浮かべていた。
(心残り……きっと辛くて、痛くて、出来れば思い出したくない事なのでしょうね。それとまた対峙する――その苦しい事、痛いことが羨ましい……自身がその痛みを味わった時どうなってしまうのだろう?)
移動中に聞いていた、美薙の後悔の念。さぞ辛いだろう、さぞ痛いだろう。
マルドナ自身では計り知れない痛みを想像し、その空想に愉悦さえ覚え身を震わせる。
桜色に染まった頬を冷ますよう緩い溜息を吐くと、眼前の扉へと向き直った。
「意図があっての罠か、気紛れで起こした道楽か。どちらにせよ、油断は禁物ですね」
普段のおっとりとした雰囲気を消した或瀬院 由真(
ja1687)は扉に手を掛け、ゆっくりと押す。内部は薄暗いが、幾許かの明かりで視界は確保出来る。
「参りましょうか。金魚姫と鳥籠姫、でしたか」
由真と同じくして一歩踏み出すマルドナ。――と、そこで扉は閉まる。
「扉が閉まった!? ……なるほど、そういう事ですか」
「ダンスパーティーとは良く言ったもの。二名ずつに分断される仕組みのようですね」
冷静に分析する由真と共に、マルドナもまた淡々と魔法書を手に臨戦態勢を取る。
視界の端には揺蕩う金魚姫と弾ける稲妻を纏う鳥籠姫。
過去依頼に記載されていた通りの二体に対峙すると、二人は床を蹴って戦闘に入った。
●金魚姫と鳥籠姫
先ず駆け出したのは、由真。
ヒヒイロカネからシールドを具現化させ、一直線に金魚姫へと向かう。
突き出した腕から展開する横薙ぎの一撃は体重を乗せて大きく金魚の腹を裂く。
飛び散る黒血もものともせずに、確かな手応えを感じながら数歩と引き下がる。
その場を狙い定めたように部屋の隅から飛来するのは鳥籠姫の雷撃だ。
ばちばちと音を立てながら弾けたそれは、由真が翳した盾に当たって霧散する。
続けて仕返しとばかりに降り注ぐ金魚姫の水の刃は、盾を抜けて由真の頬を斬って血を散らした。
「私がカバーします。危険な時は、遠慮なく盾にして下さい」
宣言通り、由真は壁となってマルドナを庇っていた。
マルドナもその背後からただ指を咥えて眺めているわけではない。
即座に蝶を散らすアウルを練り上げると、その幻惑で金魚姫を包み込む。
目を眩ませた金魚姫を捉えるや否や由真は盾剣を構え直し、大きく抉られた少女の腹を狙って穿つ一撃を与える。溢れる黒血は少女の形をしたディアボロの唇を汚し、黒の華を咲かせる。
肉弾戦の得意でない金魚姫は逃れようと宙をもがき、喉を震わせ範囲に向けて弾き飛ばす音波を放つ。――が、由真は不動。
「そう簡単には逃しませんよ」
冷静に言い退ける由真の隣まで駆け、金色の刃を纏う大鎌を具現化させたマルドナが次いで、狙う先は金魚姫の喉。脆い姫君を襲う切っ先が裂く皮膚は捲れ、血が舞い散り、少女を痛めつける。
「痛いでしょう、辛いでしょう。それも直ぐに終わってしまうのです」
場とそぐわぬ艶っぽい声音で囁くマルドナの眸はうっとりと蕩け、眼前で血塗れに落とされる金魚姫の痛みをなぞるよう。
ぞくぞくと身を震わせながら、彼女は大鎌を振るう。
味方の危機を知った為か否か、鳥籠姫が傍目で薄い闇の中、ばちばちと光を放つ。燐光、放電で爆ぜる雷は暗がりに良く映えた。
「いけませんね」
明かりが点いては消える、闇の中。
鳥籠の中心部、籠とコードに彩られた姫君の一際輝く個所――背から生えたノートパソコンに目を遣ったマルドナは鎌を仕舞い書を再度具現化させる。
その最中、金魚姫の歌を盾で制した由真は警戒を強め、庇護の翼の範囲にマルドナを収める。
「もっと。もっと痛みを――ええ、この屠殺場で至上の痛みを味わわせてください」
たたん、軽やかなステップを踏み、まるでダンスを踊るように魔法書を振るう。腕に纏った闇の力は一直線に鳥籠姫へと向かい――けれど、彼女を蔽う籠に弾かれる。
鳥籠姫の強みは、屈強且つ高防御の鳥籠。彼女を蔽い尽くすよう外界から隔てるその柵に、攻撃も容易くは通らない。
発電、完了。一瞬光が消え、その瞬間爆発するように弾ける。鳥籠姫を中心に爆ぜる光の奔流が、二人を呑み込む。
「……っ」
「――大丈夫です、私が護ります!」
息を呑むマルドナと、それを庇うよう立った小さな少女。庇護の翼によって肩代わりされた雷撃のダメージが由真を襲うが、それでも彼女は倒れない。
その傍らで、共に雷撃を受けた金魚姫がぼろぼろと灰になって崩れ落ちる。同士討ちの狙いは成功だった。
「さぞ痛いでしょう、有難う御座います。ああ、私がその痛みを肩代わり出来れば――ええ、柵を狙いましょう」
「同時にいきましょう。同じ箇所を狙って、壊すことに専念すれば問題無い筈です」
放電を終えて尚稲光を散らす鳥籠姫を見据えながら、二人は再度態勢を整える。
策が判れば簡単だ。じりじりと削り、柵を打ち砕いてしまえばあっという間。
発電は由真のシールドバッシュで防ぎ、その隙にマルドナが攻撃を加える。
容赦無くぶつけられる雷撃は手痛いが、自己回復で賄える。
――漸く倒れ伏した鳥籠姫を前に、二人は額の汗を拭う。
それから扉が開くのは、ほぼ同時。
金魚姫の灰から取り出された紙の表面には、『金魚姫』の頁。
『――いとし焦がれたかの人に、届かぬ想いを抱き続け。泡となった、金魚姫』
その裏面には、『鳥籠姫』の頁。
『――閉じ籠り、引き籠り、誰の言葉ももう届かない。殻を破れぬ鳥籠姫』
●ハピネスブルーバーズ
再び1Fの扉が開いた後。
それぞれ相談し、階層の担当を決め、準備も万端。
階段を上り、その先2F、扉を潜って直ぐ。
「天魔のぱあてぃ……ふざけてる」
エルレーン・バルハザード(
ja0889)は怒りを滲ませながら、ヒヒイロカネから顕現させた破魔弓を握り締める。
そして紫ノ宮莉音(
ja6473)は驚愕していた。
厨房の奥、ひょっこりと顔を覘かせたのは二人の子どもだった。揃いの青い服を着た、白い髪の少年と、黒い髪の少女。人でないと判るのは、その爪が恐ろしく長く伸びていること、程度。
「青い鳥……じゃない」
莉音の中で思い起こされるのは、報告書で読んだ、少年と少女の名前。
(イチルくんとミチルさん?)
そんな訳がない。二人はディアボロ化し、死んだ。それは頭で理解していたし、実際に確かめて――冥魔であるのだと理解した。
「ひどいな、こんなの」
莉音は薙刀を構えながら呟く。
絵本に綴じられてしまった青い鳥は帰れない。居場所も失くした青い鳥。
「……それでもでぃあぼろは、たおすしかないのっ!」
潜行状態を維持したままフロアを駆け抜け、エルレーンは”敵”として認識した少女へと向けて蝶の乱舞を放つ。
しかし、黒髪の少女はけらけらと笑いながらその蝶を躱す。
エルレーンには目も向けず、どこかおどおどとした白髪の少年は莉音へ向かい、その爪を振るう。
「っ……」
攻撃は然程重くはない。向けられた爪を薙刀でいなしながら、莉音は攻撃を弾き返す。
その元に無邪気に笑いながら駆けてくる黒髪。
けれどその背を再度狙ったのは、エルレーンの舞う胡蝶。
見事決まった蝶の舞に、足取りが覚束なくなる黒髪。その隙を逃さず矢を番えるエルレーンを尻目に、莉音は眼前で更に追撃し爪を伸ばす白髪に一歩斬り込む。
「……やるしかない」
胸元を斬り裂かれ、表情を歪める白髪の少年。
それがディアボロだと判っていながら尚、痛む思いが有るのもまた事実。
――と、その時。
「とんでけ! 私のかぁいい、┌(┌ ^o^)┐ちゃんたちーッ!」
黒髪の死角から狙いを定めたエルレーンの壮絶たるオーラ、ここに極まれり。
矢を放つエルレーンの背後には背後霊よろしく巨大な┌(┌ ^o^)┐の残像が浮かび上がり、更にはボーイズラブの神様が微笑みかけ、┌(┌ ^o^)┐が黒髪へ二連撃目の攻撃を仕掛ける。
朦朧状態から復帰するも、時既に遅し。黒髪の少女も腐女子に――なんてことは無い。隙を縫った莉音が少女の背を斬り伏せた。
「ごめんね」
莉音の謝罪は、あくまで小さく。相手がディアボロであるなら、その呪縛から解放してやることが救いなのだと思う。
床に伏した少女を見た白髪の少年は、まるで――ディアボロであるのに、まるで本当の子どもであるかのように涙を目いっぱいに溜め、表情を歪める。ゆっくりと宙に浮かび上がり、癇癪を引き起こしたかのように泣き声を上げ始めた。
『うわあぁああぁあぁん!』
宙を飛ぶ。くるりくるりと飛び、舞う姿は地で戦う為の武器を持つ莉音には捕え切れない。
風を切り、宙を舞い。けたたましく声を上げながら涙を流す白髪の少年を狙い、エルレーンは弓に矢を番えた。――が。
『――お母さん! お母さぁん!』
響く、泣き声。ディアボロのものであるのに、子どものもののように聞こえる。
それに感化されたように、エルレーンは激しく動揺した。
「わ、私だって……」
エルレーンが番えるアウルの矢が、指からこぼれ落ちそうになる。
「――おかぁさんが、ままが欲しかったよおおおぉ!」
その慟哭にも似た叫びは、少年が流す涙と大差無い。
愛されたかった。愛したかった。母親の、愛が欲しかった。
その心中は計り知れない。
白髪の少年に、もう敵意は無いようにも見て取れた。ただただ、請いて乞いて、涙する。
――エルレーンは涙を拭い未だ戦慄く指を叱咤して、莉音はしくしくと痛む胸を抑え付けながら、それぞれの荒れ狂う心境の中幸福の青い鳥に別れを告げた。
白髪の少年の遺体からひらりと落ちた紙は、『ハピネスブルーバーズ』の頁。
『――幸福は、暖かなお家の暖炉の前に。届かない、気付かない、築けない、青い鳥たち』
●赤ずきんと赫映姫
3F。開いたドアの内側に垂れる糸と蔓。
「これが探偵の盛装ってねぇ」
スーツにコート、ドレスコードは確りと。
雨宮 歩(
ja3810)は気怠げに言い、直刀をだらりとぶら下げ3Fのフロアへと足を踏み入れる。
薄暗い空間、転がったマネキンは不気味な風体を醸し出している。
――と、不意に、暗がりで物影が動く。
咄嗟に構えた刀は正解だった。弾ける火花、ギチギチと噛み合う鍔と爪。――歩の元へ跳躍して来た赫映姫だった。
「早速お出ましかぁ。ボクはこっちのお姫様と踊る、そっちの相手は任せたよぉ」
「了解です。……行きますよ」
赫映姫は男を優先して狙う、その性質を過去の報告書で理解してのことだ。
のんびりとした口調で歩は告げ、追撃を回避するべく横に跳ぶ。
佐藤 七佳(
ja0030)は頷くと同時に背に輝く翼を展開し、床を蹴る。
遠目に窺える、赤ずきんの姿。蔦を伸ばし花を綻ばせ、七佳たちの来訪をまるで歓迎しているようだった。
「さぁ、無様に踊ろうかぁ」
歩がサイドステップで噛み付きを避けると、赫映姫は怒り狂ったように唸り声を上げる。
『――――アイしてェエエエエェエエェエエェエエエ!』
耳を劈く慟哭。心からの悲痛な叫び声。
間近で叫びを耳にした歩のみならず、宙空へ届いた叫びに七佳もまた意識を朦朧とさせられ、失墜する。
再度、赫映姫の噛み付き。回避を試みるものの、失敗。急所に直撃こそせずとも歩の腕に牙が喰い込む。
「ッ……やるねぇ」
みしみしと鳴る腕の骨の痛みに眉を顰める。ぼたりと落ちる血、痛い、痛いが、――痛みで醒めた御蔭で逃れることは出来る。軋む腕ごと振り払い、刃で斬り付ける。
「ダンスの仕方を教えてあげるよぉ、お姫様はお転婆みたいだからさぁ」
歩に軽口を乗せる余裕は有った。生か死か、そのスリルはまた格別で。
地に落ちた七佳に向かって軽やかなスキップと共に訪れるのは、赤ずきん。
純白の淡い光を纏った七佳を見下ろした赤ずきんの、長く長く伸びた蔦の指が指し示す先からぽろりと落ちる、小さな種。それは付着すると同時にするするとその蔦を伸ばし、皮膚に埋まり込み寄生する。
「……っ」
皮膚を食い破る鋭い痛み。跳ね除けるべく腕を振り払えども、種は剥がれない。力が抜けていくような感覚すら覚える。――宿木の効果だった。
七佳は再度翼を広げ地を蹴ると、上空から赤ずきんの大きな頭部目掛けて刀を叩き込む。武器を介してアウルを直接打ち込む技、封意。
「人ではなく天でもない、けれど心は人の側。故に貴方を斬り伏せるわ」
打ち付けられた衝撃に意識を刈り取られた赤ずきんは黙し、ただ項垂れて七佳の声を聴く。届いているのかさえ判らないその声も、今となっては無意味なことだった。
歩が赫映姫を文字通り惹きつけ、その隙に昏倒したままの赤ずきんを七佳が叩く。
「させないよぉ」
昏倒状態から復帰した赤ずきんは、赫映姫の相手をしながらの歩の血色の鎖に絡め取られ動けない。
室内を自由自在に飛行する七佳は壁を蹴り付け、勢いを乗せて赤ずきんの後頭部に向かって斬り付ける。舞い散る花弁、砕け散る蔓草の頭。
「天の力と人の技の組み合わせ、この機動はその一つになり得るわね」
七佳は告げると、二の句より先に袈裟斬りに振り下ろした。
回避するより先に叩かれてしまえば逃れる術もない。
赤ずきんは頭からぼろぼろと崩れ、土塊と、なった。
赫映姫を捉えていた歩は数歩とステップを踏み、散らされた糸を回避し、その脇腹に黒い刀身を叩き込む。
「――それじゃあ、ダンスもそろそろ終幕と行きますかぁ」
歩の皮肉めいた笑みと共に雑じる、狂気めいた声音。
一歩進み斬り込んで、二歩弾かれて後退する。そんなダンスが心地好い。
赫映姫に正面から向き合う歩と、その背後から狙い斬る七佳。
かぎ爪の鋭い一撃はスクールジャケットを犠牲に難なく逃れ、死角から太刀を振るう。
そして封意によって封じ込められた赫映姫を打ち倒すまで、そう時間は掛からなかった。
赤ずきんの土塊からひらりと滑り落ちた紙の表面には、『赤ずきん』の頁。
『――愛し愛され囲われて、届かぬ世界に恋をした。罰を受けた赤ずきん』
その裏面には、『赫映姫』の頁。
『――愛され愛でられ持て囃されて、届かぬ夢を憎悪した。愛を忘れた赫映姫』
●茨姫とラプンツェル
4F。さざめく髪が、撃退士二人を出迎えた。
「――わざわざ似せるとは、キリカ達にも、今我らを迎えるべく待っていた者たちにも酷い事のように思うぞ」
美薙は眼前に広がる光景を見据え、小さく呟いた。
薄闇に泥むその場所で。以前はバンシーと呼ばれていたモノと、キリカと呼ばれていたモノ――茨姫と、ラプンツェル。二人が身を寄せ合うようにして、部屋の中心に佇んでいた。
「母と娘の演舞か、お手柔らかに」
アラン・カートライト(
ja8773)もまた一瞬眉を顰めるものの、直ぐに表情を切り替え笑ってみせる。
彼が手にしているのは空色の金属糸。誰よりも早く駆けると同時に構え、ラプンツェルへ向けて大きく薙ぎ払う。
舞い散る髪の毛、飛び散る血液。
篭められたアウルに弾かれるように仰け反ったラプンツェルは、そのまま意識を失った。
鈍い動きで鎌を持ち上げる茨姫に対し、美薙が放つは胡蝶の舞。
「すまぬが、今暫く夢現の中に居て貰うぞ、茨姫」
蝶は茨姫の身体に忙しく纏わりつき、そして終いに彼女の意識を朦朧に沈めた。
意識を奪われたままのラプンツェルの髪はざわめきを失い、はらはらと地に落ちる。
再度戦斧を手に具現化させるアランの背後、美薙は玲瓏と涼やかな音を響かせながら結んだ連珠を引き握った。
「今此処で再度終わらせることになろうとは思わなんだ。……何を考えておる、アベル」
珠から放たれる光の矢はラプンツェルの髪を灼き、虚空へと掻き消える。
未だ意識が虚ろなままの茨姫に視線を送りながら、アランはラプンツェルの髪を大きく刈り取った。
「レディの命を奪うのは少し抵抗が有るがな」
ざっくりと根元から切り取られた髪は宙に散らばり解けてゆき、残された髪はざわめき出し床を這う。
見開かれるラプンツェルの両目、それと同時に完全に生気を取り戻した髪。揺蕩いながら涙を零す彼女は、刈り取られた髪に手を伸ばすと緩やかに撫でる。すると、ずるずると髪は伸び、同じ長さまで生え揃った。
「……成る程、矢張り自在に伸びるのじゃな」
茨姫に対し胡蝶を再び見舞わせながら、様子をつぶさに観察した美薙は言う。
髪は元通りに戻る。けれど、収穫は大きい。
「再度伸ばす為には時間が必要……って所か?」
空色の金属糸に再び持ち替えたアランは目を細めて言う。
涙を流すラプンツェルが歌うは、嘆きの歌。歌声と共に自身と茨姫の周りに仄紅い光を燈すと、そこで歌は止む。
「何が強化されたかは判らぬが……備えるぞっ、カートライト殿!」
美薙の声と共に、視界を蔽うが如く伸びる一対の太い茨。
視線を寄越せばそこには胡蝶の夢から復帰した、茨姫の姿。
伸ばした茨を手繰り、美薙の首に絡め絞め上げる。ぎしぎしと軋む幹が骨を喰らい、棘が首を苛み血を迸らせ、彼女はもがき息を詰める。
「……、……っ」
「おっと、させねえぜ」
間を置かずに茨を斬り裂くアランと、咳込みながらも自身に治癒を施す美薙。
二人の連携は完璧、隙はない。
しかし、その傍らまで這い寄ったラプンツェルの髪束は容赦無く二人を斬り裂いた。
回避出来るタイミングではない。アランは腿を、咄嗟に薙刀を構えた美薙は腕を裂かれ、手傷を負った。裂傷からはだくだくと血が溢れ、二人の衣服を濡らす。
血を吸った栗色の髪は紅く紅く、茨の花が咲いてゆく。
「ぬしに倒れられては困るからのぅ、大盤振る舞いじゃ」
茨姫の大鎌にはアランが立ち向かう。ラプンツェルを引き付けながらの立ち回りは些か厳しくも、降り注ぐ美薙の治癒の光で持ち堪える。
「嗚呼、レディを残して倒れる様なんて見せやしねえさ」
告げる軽口は余裕めかし、目にも止まらぬ速さで金属糸を手繰るアラン。
一発、二発。連続で繰り出された攻撃は、二人の姫君、双方に加えられる。
それと同時に、ラプンツェルは膝を折った。
ざわめいていた髪が萎んでゆく。美薙にとっては二度目の光景――ラプンツェルの死、だった。
「カートライト殿、注意するのじゃ。母子の情も模倣されている可能性が有る。これまでと違う動きや強力な攻撃に備えるのじゃよ」
美薙の言葉と共に、茨姫によって薙ぎ払われる大鎌。
『――――――――!』
声無き慟哭が呼ぶ名は、誰のものか。
大鎌を固く握り締める茨姫に向けて放つアランの薙ぎ払いは意識を浚い、けれど鎌を取り落すまでには至らず。
怨嗟の声を洩らしながら嘆く茨姫の声は呪詛にも似ている。
高く伸びる悲鳴に耳を塞げど効果は無く、辛うじて立ち留まった美薙はアランに治癒の光を施した。
決して手放さない大鎌。止め処無く垂れる紅涙。
共に多量の血を流しながら、それでも二人は彼女を屠る。
茨姫の亡骸からこぼれ落ちた紙は、『茨姫とラプンツェル』の頁。
『――もう誰の手にも届かない、愛の絆の物語。茨に塗れた姫君と、無知で無垢な野萵苣姫』
●花咲みの饗宴
八人が戦いを終えた先。
階段を上り切った5F、閉ざされた扉の前に立っていたのは――一人の女。
ブルーグレーの眸。銀髪を背に流し、フリルやレースがふんだんにあしらわれたカクテルドレスを纏う、面立ちの整った若い女だ。
撃退士らの姿を目に留めると、表情を輝かせて両手を合わせる。
「はあい、チケット……じゃなかった、絵本の頁はわたしにちょうだいね。ちゃんと揃えたなんて凄いよ、みんな強いんだねえ!」
至極気の抜ける、場にそぐわない声音でころころと笑いながら銀髪の女は頬を染める。
「レディ、こんな所で一人寒かっただろう。貴女の名前を教えてくれよ」
「わたしはねえ、ルクワート!」
警戒も含めて軽く尋ねたアランだったが、その返答には些か拍子抜けしてしまう。
久遠ヶ原で確認されている悪魔、ヴァニタス、天使、使徒、何れにも当て嵌まらない名前。
「ルクって呼んでくれても良いし、もちろんルクワートでも良いよ。でもルーシィはだめ、何だか違うなまえみたいだから」
彼らの手から絵本の頁を回収しつつ、ルクワートは頬を綻ばせて告げる。
「さあみんな、パーティーの続きをしようよ。アベルもお部屋で待ってるから」
アベル。パーティーの招待主、救済を謳うヴァニタス。
それぞれが改めて気を引き締め警戒は怠らず、彼女の示すまま、開かれる扉の先へと足を踏み入れた。
薄暗く、ただただ広いスタジオだった場所の残骸。中心には大きなテーブルが置かれており、人数分のティーカップと菓子類が並べられている。
そこで待っていたのは、黒のコートを身に纏う金髪の男。扉が開くと不機嫌な様子で頬杖を突いたまま、ゆっくりと視線を撃退士らに向ける。
男は貼り付けたような御座なりな笑みを浮かべ、嘆息を逃しながら大仰に諸手を広げてみせた。
「ようこそ、パーティー会場へ。ダンスは楽しんで頂けたかな?」
その様子に、以前の報告書に目を通していた者たちは胸中で疑念を抱いた。アベルは慇懃無礼な態度、余裕綽々たる素振りが目立つ相手だと記載されていた筈だった。
警戒する撃退士らを気にするでもなく、ルクワートは軽やかな足取りでアベルの元に駆け寄り、椅子に腰掛ける。
「噂通りの金髪、アベルだろ、知ってるぜ」
「俺もきみのことを良く知ってるよ。名前以外は、ね」
アランの台詞に微かに笑って見せたアベルは、ティーカップを手に取ると緩慢な動作で口付ける。
「初めまして。ボクは音桐探偵事務所所長、雨宮 歩。――愉しいパーティーに招待してくれてありがとう。生憎とダンスの相手は途中退場してしまったけどねぇ」
「役者不足だったみたいだね、それは失礼。俺の不備だよ」
歩の皮肉にも関せずといった風に肩を竦めると舌を出し、アベルは首を左右に振る。
そのおかしな様子に疑問を口にしたのはルクワートだった。
「アベル、どうして怒ったままなの?」
「……」
落ちる沈黙。
「私達をここに呼んだ意図は何ですか。只の気紛れか、それとも、何か企んでいる事でも?」
その沈黙を斬るようにはっきりと尋ねる由真の台詞に、アベルの眉が跳ねる。
「そこの悪魔の気紛れだよ。――俺はこんなことやりたくなんかなかった」
「こんなこと?」
鸚鵡返しに問う七佳に対し、アベルは更に深い嘆息を吐く。
悪魔、と頤で示された当のルクワートはきょとんとした顔でアベルを見詰めている。
「そうさ。……そりゃあ、似た境遇の人間なんて幾らでも居るからね、素体には困らない。でも、それじゃあ救済はどうなるんだ? 彼や、彼女たちへの救いは? こんな限られた状況で何が出来る。真の救済なんて出来っこない」
「あの時、あたし達に『期待』していると言ったな」
「そう、俺はきみたちに期待してる。……だからこそ、彼や彼女たちをこんな捨て駒みたいな扱いはしたくなかった」
悲愴さすら窺えるアベルの嘆きに交わす美薙の呟きに雑じるは、興味。
彼や彼女、が何を指すのかは直ぐに判った。先に述べられた、ディアボロの素体。
ディアボロを造り出すヴァニタスであるアベルが、ディアボロをただ造ることを厭だと言う。
「きゅうさい、って……何? 私たちを呼んだのは、でぃあぼろをころさせたいだけじゃないの?」
エルレーンはアベルに問う。けれど、返るのは沈黙。
それと同時に、呆けた顔をしているルクワートにアランは尋ねた。
「貴女のような美人が居るのに、其処の男はいつも何してるんだろうな。俺にはどうも理解出来ねえが、貴女は理解してるのか?」
「それは――あ」
「……ルクワート、約束だろ」
「――うん、ないしょ」
アランの問いに答えようと口を開きかけたルクワートだったが、釘を刺すヴァニタスに頷く悪魔。上下関係は明確に理解出来ても、その関係性までは図れない。
「救済って、何ですか?」
「知ってる? 一部のディアボロもそうだけど、ヴァニタスは、生前の欲望に従って動くんだよ」
莉音の問い掛けにはアベルではなく、ルクワートがクッキーを齧りながら口を開いた。
アベルが制する間も与えず、鈴を転がすように笑いながら言う。
「アベルは少しだけ違うけれど……この子もねっこは変わらないの。救いたいって気持ちが一番、誰よりも強くて、そうしてヴァニタスになったから」
「ルクワート」
「良いじゃない、これくらい。わたしもお喋りしたいんだもん」
飄々と言って退けたルクワートを尻目に、莉音は続けた。
「たとえディアボロ化した彼らが撃退士に倒されなくても、絶望に押し潰される寸前の心を異形の中に抱えて彷徨い続けるしかない。それが救済? 別の道を探すこともできず、奇跡を追い続けることが?」
続けられた言葉を耳に、マルドナは口許に薄らと一瞬笑みを浮かべる。
救いたいという気持ち、苦しみ、痛みを掬い上げるという行為、それらに共感を覚えたと同時に、ディアボロと化した被害者――彼ら乃至彼女らの痛みを想像し、高揚した為だ。しかしマルドナのその表情も、直ぐに消え失せる。
「救われたいのは、あなた?」
「……本当に、撃退士は夢見がちだね。きみで二人目だよ、似た台詞は」
莉音の言葉にアベルははっきりと告げると同時に、笑いを堪えるように美薙に視線を移す。
それまで押し黙っていた七佳は視線を上げると唇を開いた。
「力を与えることもまた人を救うことになり得るでしょう。でも、人の世界に害を為した時、害悪として駆除される。 ……死を撒き散らすことが望みなら救済ですが、そうでないならあなたは結果的に救えてはいません」
「好きに取ると良い。俺はこれからも救済を続ける、それが俺の矜持だからね」
その凛とした、宣言にも似た言葉にも淡々と返し、アベルは眼鏡のヘッドを押さえて笑った。
「どうやらお茶は楽しんで貰えないみたいだ。俺たちはそろそろ行くことにするよ」
「えーっ! まだ全然お話出来て無いのに?」
カップをソーサーに戻し立ち上がるアベルに対し、ルクワートは不満も露わに頬を膨らませる。それを制したのは歩とエルレーン。
「せっかくこうやって会ったんだ、もっと話を聞きたいかなぁ。お前の事を物語の様に、童話のようにねぇ」
「そう、童話が好きなんだったよね。他の童話は、例えば何が好き?」
「……童話も好きだけど、寓話や伝承も好み、かな。誰も知らない誰かだけの話も好き」
どこか寂しげに笑うと、アベルはルクワートの腕を引いた。
不服げな彼女だったが、冷めた表情を目にすると眉を下げて促されるまま出口へ向けて付いて行く。
その背中は相も変わらず隙だらけだが、冷えた空気が追随を許さない。
「なあ」
背に掛かる、声。
「見知った顔が足りなかった。今宵の子達のようにお前は呼べるだろ? 二人だけ居ないのは何故だ」
「――呼ばないよ。真の救済を得た彼らの魂を冒涜することは、俺には出来ない。それはきみが……『救済』した本人が一番判ってるんじゃないのか?」
尚も縋るアランの問い掛けに、アベルは肩越しに振り返り目を伏せる。
真の救済の意味。アランが顧みた過去の事件の中に答えが有ると、冥魔は言う。
「そうか。……それと、もう一つ。レディ、その絵本は貴女の贈り物だろうか」
「うん、そうだよ! わたしが頑張って作った大事な絵本。白紙の頁にアベルの思いが詰まっていって、頁がいっぱいになったらアベルはわたしと遊んでくれるって約束してるの!」
振り向いたルクワートの嬉々とした答えに、一番動揺した姿を見せたのはアベル当人だった。
頭を押さえ項垂れ、盛大な溜息ひとつ。
「…………想定以上だよ。ルクワート、きみって奴は本当に」
「下手な上司を持つと苦労しますね」
項垂れるアベルに対し、冷めた眼差しを添えるマルドナ。
「パーティー、とやらにも大した意味は有りそうにありませんね。彼女の様子だと」
「そう、ですね。本当に、有りの侭の話でしょう」
あくまで冷静な由真に、同意するよう頷く七佳。
ルクワートはその言葉に小首を傾げると、口許に笑みを刷く。
「楽しかったよ、あんまりお話出来なかったのは残念だけど、また遊んでね。これからもちゃんと見てるから――」
ドレスの裾を摘まんで一礼。
そして御辞儀を挟んで数秒後、ぷつり、光源が途絶える。
「あっ、待ってよおアベル、置いてっちゃやだあ!」
咄嗟にヒヒイロカネに手を掛け警戒を強める撃退士たちの気を知ってか知らずか、響くのは気の抜ける声。
暗闇の中、次第に遠ざかっていく気配。
階段を降りていく足音を耳にしながら、八人は得た情報を逃さぬよう、確りと噛み締めていた。
結果、学園にもたらされた情報は大きい。
救済を謳うヴァニタスの真意までは図れずとも、その上に立つ悪魔の存在と、その外殻。また、撃退士とディアボロとの戦闘を監視している、という可能性についても聞き出すことが出来た。
それらは直ちにデータ化され、過去の事案との照合を含め、今後の更なる調査への糸口となることは明白だった。
●迷子の迷子の、
「救済――そうだ、俺は救済しなくちゃいけない」
アベルは笑って言った。
風に捲られていく絵本の頁を見詰めながら、『救い』を求める迷い子を求め、彼は宵を彷徨う。