●月の出る晩に
ひとけの無い住宅街、皓々と辺りを照らす月。
無人の街に点る街灯と、反して稼動停止している信号機。
「激しい怒りに駆られて男女関係なく残忍な殺し方をする……悲恋でもしたんすかね? 分かりたくないっすけど」
情報にあった鎧武者に負けず劣らず厳つい鎧を身に纏った天羽 伊都(
jb2199)の問いかけは、誰に宛てたものでもない。恋を知り恋を楽しむ、自分自身への問いでは有ったかも知れない。判りたいとは思えない、けれど、ほんの少し引っ掛かる。
広い十字路に差し掛かる目前で、雁鉄 静寂(
jb3365)は足を止めた。
「何にせよ、あちこちで食い散らかす天魔は許せませんね」
前方遠くに敵影あり、警戒は十分。手にしたスマートフォンはハンズフリー、いつでも連絡を取れるようにと静寂が配慮した結果だ。
「それにしても赫映姫、とは大層なコードネームですね。名前の通り、月へ還って頂きたいものですが……そうは行かないようですから、俺達が”無”へ還しましょう」
行く先を見据えながら、先の戦いの傷が未だ癒えぬ樒 和紗(
jb6970)は言う。
負った傷は深く、影響も大きい。だからこそせめて自分自身の身は護ろう、その想いを持って彼女は射程寸での位置を取って弓を握る。
「これ以上、被害を出さぬ為に……天魔覆滅の威を持って、参ります」
その前方には、太刀に手をかけ戦闘態勢に入る織宮 歌乃(
jb5789)。
和を望む歌乃にとって、乱す鬼は正に毒。連ねる穏やかな日常を守る為にも彼女は強く在り、闘う。
「『月テラきれいなう( ´∀`)』っと……よーし、送信完了」
反して気軽い調子でスマートフォンの画面をタップしているのは、ソーシャル大好き、ルーガ・スレイアー(
jb2600)。
どんな場面でもぶれない彼女は皓々と輝く月の写真をパチリ、呟きサイトに投稿する。任務が終わればどんなリプライが待っているだろう、そんな他愛無い思考を巡らすルーガは大きく闇色の翼を広げ、その場から飛翔した。
その背を無言で見送るヴォルガ(
jb3968)もまた、影を追う。
八名は風を裂いて無人の街路をゆき、倒すべき目標の元へと突き進む。
――この美しい月夜の下で、全てを終わらせる為に。
近付くにつれて、場は物々しい空気に包まれていく。
交差点、明かりの点らない信号機の真下、わだかまるようにそれは居た。
長く地へ垂れる黒髪は月明かりに輝きを返し、その背から伸びた仰々しい脚は獲物を探り小刻みに揺れている。顔にあたる位置にある目玉は八つ、縦横見渡すように動く黒目は月夜に不気味に光る。血のように紅い唇は、撃退士たちを認識するや否や、ゆっくりと笑みを形作った。
――人を喰らい人を屠る、居場所を失くした赫映姫。
その背後に一体、前方に二体と、護り囲うよう位置するのはいかめしい鎧武者。
「……いきます」
姫よりも、誰よりも先に動いたのは、セレス・ダリエ(
ja0189)。
セレスが手にした魔法書から放たれるアウルの稲妻は、最大射程からの一撃。その刃は最も手前に位置していた鎧武者の肩口を灼いて、虚空に消える。
「その負の感情、わたしが断ちます、――必ず」
そしてその一手と重ねて追撃するのは同じく魔法書を手にした静寂から放たれる、血色のランス。武者に向けて一直線に突き進んだ槍はその腹を貫き夜に消える。
矢次に攻撃を向けられた最前衛の鎧武者は流石によろめく。手にしている刀を構え直すと、闘気を孕んだ眼差しを撃退士らへと向けた。
敵との距離は未だ、十数メートル。
相手の射程に入るギリギリの位置からスコープを覘いた御堂・玲獅(
ja0388)の銃撃は、しなる竹のように背を曲げた赫映姫の脇を通り抜け、敢え無く外れる。想定以上に能力値が高い。
「回避能力が高いようです。纏まって攻撃すべきでしょう」
物理か魔法か、どちらが通るかは未だ判らない。
判別をつける時間はもうない。玲獅は味方の盾になるべくヒヒイロカネから盾を具現化させると、距離を詰め出した敵軍の前へ走り込んでゆく。
「参りましょう。私が護ります故に、全力で攻めてくださいませ」
言う歌乃の位置取りは、中衛。誰もを護れるように、誰もが助かるように。
敵のレンジを警戒しつつ、アウルの焔を燃やして陣を展開する。立ち昇る紅蓮は彼女たちを守護し、庇う術となる。
紅蓮により月明かりを喪った赫映姫が、吼える。
「へい、お姉さん良い足してるね? どこ行ったらそういう美脚になるの? ゲート? ――っと!」
赫映姫へ向けての挑発の意を篭めた台詞を言い終えるより先に、伊都はシールドを展開する。姫君が伊都の姿を見るなり――否、伊都を認識するや否や、八本の脚が犇めく背を地に向け跳躍したからだ。
「させません」
そのタイミングを追って背を貫くのは、歌乃の振り抜きざまの一太刀から放たれる、獅子を模すアウルで形作られた真紅の爪牙。しかしながら、目前の獲物のみに意識を向けた赫映姫の勢いは、殺げない。
猛進する姫君の鋭い牙は空を切り盾を掠めるものの、ただそれだけだった。
長い黒髪を振り乱して踊った彼女の口付けが、抜群の防御を誇る伊都の硬い装具を通ることはない。
「ヴォルガ、危ないです!」
遠方で弓を引き絞り的を撃つ和紗が、姫君の動向にいち早く気付き声を上げる。
獲物を得損ね、次に標的にされたのはヴォルガだ。赫映姫は女性陣には見向きもせずに、なりふり構わない様子で跳躍を重ねる。
ヴォルガは咄嗟に大剣を盾に身を庇うものの、執拗に追い縋る牙の攻撃にバランスを崩され腕に喰らい付かれる。
しかし赫映姫もまた、その跳躍を追って放たれたセレスの雷撃で腹を灼かれる。避けようの無い状態から狙われた一撃に呻く姫君は、ヴォルガの腕に牙を沈めたまま髪を振り乱してかぶりを振った。
「ッ……」
「蜘蛛女やーい、こっちを見てろなのだー!(;´Д`)」
受けた攻撃の反動を利用したヴォルガのスマッシュは、本来以上の鋭さで姫君――否、おぞましい形相の蜘蛛女の腹を打つ。大剣が重く鈍い音を起ててめり込むと同時に、上空で翼をはためかせたルーガの射撃がその背に落ちる。
連ねられた攻めに、さしもの赫映姫も堪え切れずに口を離して後ずさる。
正に乱戦という言葉が当て嵌まる状況だが、撃退士も、また鎧武者もただ立ち竦んでいるわけではない。
最大射程を取った位置から撃たれる静寂のアウルの槍とセレスの雷撃、そして玲獅の銃弾に、鎧武者の二体は刀から弓へと武器を持ち替え進軍する。――結果的に、敵戦力の出来る限りの分断に成功していた。
赫映姫の背後に位置して矢を放っていた一体が一歩踏み出した脚に力を篭め、空に向かってギリギリと弓を軋ませ引き絞る。
「いっ、……痛いなう! ちょこっとだけな!」
空を舞うルーガに向けての強撃は、彼女の腿を掠める。が、ダメージ自体は焔陣で緩和されている為深刻なものではない。痛みを堪えつつ闇夜を飛行し、あくまで霍乱と注意を引く為に、赫夜姫へと矢を射ち続ける。
伊都は再度味方を庇うよう立つと、玲獅から治癒の光を受けながら手負いの姫君へ向かい前進する。
自身に注意が向くと判れば話は早い。鎧武者を打ち倒すまでの時間稼ぎには十分過ぎる程。
態勢を整え直し鎧武者へと向き合うヴォルガと背を合わせ、ルインズブレイド二人はそれぞれの敵に相対した。
重体の身に戦弓は些か重い。持てる力を振り絞り、和紗は弓を引く。
「もう少し……射程が長ければ。俺の出来る範囲でやるしかありませんね」
盾となる味方を射線で撃たないよう気を付けながら、打ち合わせた通りに重ねる攻撃。
和紗は黙考する。
鎧武者の矢には、張り巡らされた守護の焔陣の中で一度耐え切れるかどうか。
(砂埃に塗れてでも、あいつらの矢には当たらない)
それは重い覚悟を持って戦場に来た者の、強い意志。
和紗より少し後ろ、持ち得る射程ギリギリから、セレスもまた黙々と稲妻を放ち続ける。
目標は、進軍する最前の鎧武者。攻撃を受け続け、消耗しているその一体。
「少しは効いて下さいよ……!」
合わせて和紗も狙撃する際、強く矢に篭めるのは光のカオスレート。
弧を描いて宙を裂いた矢は、暗褐色の鎧に包まれた腹に深々と突き刺さる。
静寂が狙い穿った血色の槍がその傷だらけの腹を追って貫き、漸くと鎧武者は活動を止めた。
残されたのは、誰もその姿を狙わず、フリーになっている一体。
矢を番え、弱っている和紗を射たんとするその武者に、歌乃はすかさずアウルを篭めて、椿姫風による真紅の呪詛を与える。
舞い上がる椿の花弁が幾重にもなり武者の鎧を傷付け、その身体を端から石へと変じさせていく。
「自由にその刃と鏃、泳がせさせはしません。私の仲間を傷つけさせも、絶対に」
長い髪を流して緋願の太刀で切り結ぶ歌乃の姿はまるで、紅の獅子。
その隙を狙ってヴォルガも再度アウルを篭めた斬り込みを滑らせる。矢継ぎ早に背から届いたセレスと静寂の二色のアウルに貫かれた鎧武者は砕け、その真紅に染まった身体を崩して絶命した。
赫映姫は伊都に夢中だった。
伸ばした糸を手繰れど、玲獅の治癒で掻き消されてしまえば伊都を得ることは出来ず。
牙を剥き噛み付いては逃げられての繰り返し。
治癒を施されながら、シールドの展開で防御を行う。
戦場の舞踏会の演目は、詰め合いのダンス。
そんな彼に、彼女は実に夢中だった。それゆえ気付けない。
「じゃあ、そろそろくらいまっくすなんだぞー!」
高度を下げたルーガが赫映姫へと狙いを定め、アウルを篭めた強弓を引き絞っていることに。
それは彼女にとって、一瞬の出来事だった。
ウエポンバッシュ。――思い人から引き剥がされ、背後から弓を絞っていた鎧武者へとぶつかる。跳躍をしようにも、バランスを崩した姿勢では間に合わない。
「私の一撃は重いぞー、耐えられるかー?( ´∀`)」
「いきますよ!」
掛け声に伴い振り抜かれた大剣と、弾かれた弦。
ほぼ同時、そして二方向から放たれた激しい衝撃波に、赫映姫と鎧武者は逃れる術を持たなかった。
攻撃の余韻で動けずにいる赫映姫が、よろめきながらその唇を開く。
――響く、高く、そして激しい慟哭の、声。
撃退士たちの鼓膜を揺さ振り、脳を揺さ振る。
それは一抹の夢を見せる、赫映姫の怨嗟の声。
●赫映姫の慟哭
私が悪いのですか。
(愛して欲しいと言ったのに)
私が悪いのでした。
けれど世界も悪いのです。
(愛して欲しいと言ったのに!)
されど世界が悪いのです。
私を愛さなかった世界。
(愛して、愛して、愛して、愛して、愛して)
私を愛せなかった世界。
ただただ、居場所が欲しかった。――温かな、私だけの、いとおしい、場所が。
●ホーム・シック
視界はブラック、世界もブラック。
髪を振り乱して慟哭する赫映姫の悲鳴、からの幻覚。
伊都は先ず、目を疑った。
幻覚の中で、赫映姫は笑っていたのだ。否、赫映姫だと思しき女性が、笑っていた。温かな家庭を夢見たひとりの――恋人と変わらない、極普通の女性が狂い、心を壊し、自害に至るまでの顛末。
我侭な女だと、自業自得だと笑うことも出来る。出来る筈なのに、伊都は何も継げる言葉を持たなかった。
他の何名かも幻覚を見せ付けられたのだろう、悲痛そうな面持ちが窺える者もいる。
無表情のセレスは、小さく息を洩らす。それが何を思ってのものかは判らない。
静寂の胸中は揺れていた。迷いがあるわけではない。ただ、痛ましい。重ねた業と、束ねることが出来なかった、想い。このまま朽ちるだろう赫映姫が求めていたものを、彼女は何も与えることは出来ないのだから。
「あなたの業をわたしが断ちます!」
だから、静寂は与える温かな言葉の代わりに憾みを断つ。
「……赤き鬼姫の妄念、此処にて鎮めさせて頂きます」
紅色のアウルを纏う歌乃もまた、赫映姫へと向け振り抜いた太刀を手に静かに告げる。
撃退士たちは彼女の道を断つ他に、力を持たない。
ディアボロと化してしまった人間を救う手段はそれ以外に存在しない。
寧ろそれこそが、悪夢から解放する唯一の方法だった。
「――コメットを発動します。敵から4m以上離れて下さい!」
傍らで朽ち果てる鎧武者の姿を見ながら赫映姫は何を想っただろう。何かを想えたのだろうか。
そんな考えを巡らせながらも、玲獅の心に迷いはない。
仲間たちが作り上げたチャンスを逃すつもりはなく、注意を促し巻き込みの危険性が無いことを確認すると同時に二体のディアボロの元にアウルの彗星を落とし赫映姫をその場に押し留める。
「ルーガちゃんのドーン!といってみよう☆なう( ´∀`)」
「もう一発いきますよっと!」
ルーガと伊都の二度目の封砲もまた、同時。
重圧の枷が嵌められたまま二段攻撃の衝撃波が打ち付けられると赫映姫は大きくのけぞり、その両脚を震えさせる。
幾度かの痙攣。そして、糸のように乱れた髪を纏った彼女はぴくりとも動かなくなった。
安堵の息をつく撃退士たちの間を、冷たい夜風が吹き抜けていく。
「……あなたの想いを、わたしは忘れません」
静けさを割ったのは、赫映姫の遺体を見詰める静寂のさみしげな声。
「赫映姫、さようなら、御機嫌よう」
弓を手に近付いて来た和紗もまた、煤けた着物を纏った死体を見下ろして呟くように別れを告げた。
●届かなかった××さまの声
土に還った赫映姫。
玲獅から施される癒しの風を受け、それぞれの手当てを終えた、後。
「――私と来るかね?」
何か思うところでも在ったのか。
ヴォルガは表情のわからない顔で、足許の死体へと問い掛ける。
骸になってしまった女には、もう届かない。
彼が後始末と称して斬り落とした首がごろりと転がり、大剣からは黒血が滴った。
女の首は、笑いも泣きもせず、ただ、無表情に転がっていた。
「『今日も楽勝だったなう(*´ω`)』……と。すっかり回復したし、もう問題ないのだー!」
スマートフォンを取り出して再度賑やかなサイトを楽しむのは、ルーガ。
――ディアボロの見せた夢が”事実”だったのか、”幻”だったのか。
それは、彼女にも、彼にも、誰にも知り得ないことなのだから。
戻らない夢、戻らない姫。
レジャーシートに包まれた身元も知れぬ元ディアボロは、彼女の抱いた夢と共に一筋の煙となって、その歪な”生”に幕を下ろした。
●舞台裏、花咲みの人
カフェの一席。
戦闘の様子を手鏡に映し眺めていた女は、椅子に深く腰を掛けるとため息をつく。
「可哀想、ひとりぼっちで死んじゃった」
「そうかな? 皆に遊んで貰えたじゃないか」
飄々と言い放つ金髪の男を尻目に、女は首を傾げる。
「わたしもいつか遊んで貰えるのかな」
「さあね」
男は眼を眇めて笑うと肩を竦め、カップを手に取った。
――戯曲は続く、未だこの先まで。