●赤ずきんは帰って来ない
夕暮れ、ひなびた商店街を行き過ぎた畦道を通り、駆ける、駆ける。
暫くして、明らかに”自然”な”不自然”は、直ぐに察知することが出来た。
僻地に出たディメンション・サークルからひた走って来た撃退士らには、それがつい今しがた起こった出来事による弊害であるのだと判った。
木だ。木が生えている。そこら中に勿論樹木は生い茂っているが、それだけではない。
文字通りコンクリートを勢い良く突き破り根ざしている植物が何本も何本も連なり、大きな道を作っていた。
畦道と交差し一本の線のように伸びる草木の道には、色とりどりの花々も咲き誇る。
茜色に染まりつつある田舎道には幸いにも近辺に人通りは無かった。
「この辺りから市街地まで1キロ強……って所かな。ディアボロの速さに拠るけど、足止めして急げば何とかなりそうだ」
マップから逆算した距離を無線で伝えながら、青空・アルベール(
ja0732)もまた、駆ける、駆ける。
彼らは道に沿い、樹木を分け、道を分け、小さな林道を駆け続けた。
「どこに行こうとしてるんかね……」
草木を掻き分け先行する宇田川 千鶴(
ja1613)は、草花の歪な道筋を眺めながら言う。
「領域開拓型ディアボロと言う感じですね。こんなモノが量産されて大量に走り回る事態というのは……人間側にとって厳しい状況なので量産される前に叩いてしまいたいですね」
そして少し離れた位置を併走するのは仁良井 叶伊(
ja0618)。
「破壊行動をするわけでもなく、ただ一方に向かうだけ、ですか。こうした敵は、総じて一つの意識に縛られるものです」
大振りのライフルを背負った石田 神楽(
ja4485)もまた、静かな笑みを浮かべたまま言う。
吹きつける秋風に辺り中の樹木がきしきしと軋み、木の葉がさざめく。
疾走――その後、前方を駆けていた千鶴が敵影、背後を捉える。
草花が所々からはみ出す赤いずきんにひょろ長い身体。蔓草から随分長く伸びた指先をぷらぷら揺らし、軽やかなステップをキメる姿はまるで陽気なハイキング。
「――敵さん、おったよ」
捉えるが早いがその背に向かって一直線に放たれたアウルの一撃は、ゆらりと揺れ動いた蔓草を僅かに刈り取り空に散らせる。それから一拍の間を置いて、ゆっくりと赤いずきんの首が回った。
――身を裂く何かに振り向いた首の付け根には切り裂かれたかのような傷跡と共に赤い花が垂れ咲き、遠目から見れば血のようだと思えなくもない。傷跡に密集するよう生えた蔓草は大きく歪に膨らんで、本来顔があるべき場所にそれはなく、うねり絡まった蔓草だけがみっちりと詰められ存在していた。
赤いずきんを被った、蔦の化け物。――赤ずきんは長い首を傾げ、蔦を翻すと再度前へと向き直り、蔓の絡まり合う足を伸ばしてステップを再開させた。
「全くいい趣味ね?」
スナイパーライフルを構える矢野 胡桃(
ja2617)の皮肉めいた言葉を皮切りに、戦闘は開始された。
●ある日森の中狼さんと
もう助からない。それは、一目瞭然だった。
ただそこに、助けたいと思うかどうかの意志は伴えないが。
「ッ大体なァ! てめえら来ンのが遅過ぎんだ、ッよ! ■■ッ! ■■ッ!」
草花草木咲き誇る大道の一番始まりに位置する林道の外れ、そこに男はいた。
男の左腕はもう、見えなくなっていた。
通話記録から伝えられた通り『種を植え付けられた』のだろう、上腕だったろう位置から伸びた蔦が幾重にも絡まり、指先まですっかり覆い隠してしまっている。
「俺がッ、俺がどんな目に遭ってっかも知らずにそんな面でよく来れたモンだよ!」
腰を抜かして座り込んだまま、けれど訪れた撃退士が女だと判るや否や唾を吐き散らし始める男の体に黙々と応急手当を施し始めた七種 戒(
ja1267)は引き攣りそうになる頬を何とか抑えつつ、短く嘆息を吐く。
「何とか言えよ、あァアア!? 大体なァ、お前らッ、お前ら撃退士がちゃんと仕事してりゃあこんな――……こんな――……ッッ!?」
「災難だったな、もう大丈夫だ」
手当てを終えた戒を尻目にその背後から声をかけたのは、アウトローのアウルを纏うアラン・カートライト(
ja8773)。
スーツを着こなすその姿を――顔を見据えた男は脅えたように目を見開き、ヒ、と短く息を逃して唇を震わせる。
「てめッ、ハァ!? てめッ、戻って来……オイッ、俺はやってねえッ……やッ、やって、オイッ、く、来んな、来んな、やめッ」
「……? どうした?」
「ぶ、ぶ、ぶッ、ぶっ■すぞてめえッ! 俺は、俺ァ、俺はやれるからな、俺はやれるやれるやれるお前なんてやれ、やれる絶対今度こそ目撃者なんて絶対■ってやる■ってやる全員――……ッ! ウァアあアァアッ!」
最早男は軽い恐慌状態に陥っていた。恐怖にがちがちと合わない歯の根を震わせ、腕から生える蔓草を痛みにもがきながら毟りアランへと投げつける。
当のアランだけではなく戒も、出会い頭の男の奇行には首を捻るしかない。
そうこうする間にも、みしみしと音を起てながら蔓は男の身体を蝕んでゆく。腕から首へと伸びる蔦が絡み、男の呼吸が一瞬止まる。
「ヒッ」
「……時間を置いてく、後は頼むぜ?」
小声で胸中渦巻く怪訝さは隠しつつアランの肩を叩き、情報収集は一先ず任せ、役目を終えた戒は戦地へと向かう。
その背を見送る姿は、もう一つ。
「このナイフあなたの? 血の匂いね」
「ヒギャアッ!」
男の死角から現れたのは、上空で待機していたクレール・ボージェ(
jb2756)だった。手には先程草花に埋もれている所から拾い出した一本の血塗れのナイフ。
見知らぬ女、その背から伸びた大きな黒い翼には白目すら剥きそうになるが、何とか意識はとどめ地を濡らしながら唇を震わせる。
「あ、あく、あくッ、悪魔ッ! 悪魔とッ、あく……ッ!?」
「あら、怯えなくてもいいわよ。私を満足させてくれたら魂は奪わないと約束してあげるわ。うふふ、それに慌てなくても大丈夫よ、ここに私が居る間は貴方には手を出させないわ」
それはこの臆病な男にとっては余りにも怖ろしく、けれど逃れることの出来ない提案だった。
がちがちと歯を鳴らしながら何度も何度も頷く男に対し、クレールは満足そうに笑んでみせる。
クレールが口許に寄せてやった瓶からウォッカを口に含むと、男は小さく咳き込んだ後改めて周囲を見回した。
最後にアランを仰ぎ見て、目をしばたたかせると同時に安堵の息を漏らす。
「ヒッ、ぐ……!」
けれど。
みちり、みちり。今度は蔓草が喉を渡りもう片腕へと伸び、侵食を開始する。伸びた蔓はゆっくりと、けれど確実に肌を蔽ってゆき、緩やかにしなり体躯を締め上げた。
男に痛みへの耐性などない。耐性も無ければ堪え性もない男の混乱していた頭も、生命の危険を感じて若干冴えたらしい。
「……ッな、なァ、助けてくれ、助けッ、俺を助けてくれッ、何でも言う、何でもするからッ」
男の無様な命乞いをどこか醒めた眼差しで眺めながら、アランは救急箱から取り出した包帯で男の腕を蔦ごと巻き締めてすかさず問う。
「なら聞くが、何故俺を怖がった? ディアボロにでも見えたのか?」
「ち、ちが、うッ! あんたがッ……あんたが一瞬アイツに見えて、それでッ」
「アイツ? アイツって誰かしら? ディアボロ以外に誰か居たの?」
「居たんだよッ! 俺、俺が、ガキ殺して……それでッ、そしたらそこの奴みたいな金髪野郎が来てッ、そしたら生き返っちまったんだよッ! ガキが! 化けもんになって!」
クレールの問いかけに答える男は必死だった。
必死になる間も蔓草は身体を蔽い、締め付け、段々と呼吸が苦しくなってくる。心なしか気だるさもあり、種を植え付けられた片腕が脈打っているような感覚さえあった。
「化けもんになったからディアボロって奴で間違いねーって思ったんだよッ! サーバントってのは天使のもんなんだろ!? それならディアボロだって……と、とにかく男については全然覚えてねえ、金髪で、黒いコートでッ……、ッグ、ァ、あア! ひッ」
早口で捲くし立てる男の声を切るように、伸びた蔦が大きくうねる。一度蔦が大きく膨らんだかと思うと男の顔色が変わり、不意に蒼白になった。見ると、植えつけられた種が大きく育ち、蔓の所々にはいつの間にか花を咲かせる蕾を実らせていた。
「た、助けッ」
そこからはあっという間だった。見る間に男の様相は乾涸びてゆき、悲鳴が伸びる間も、二人が声を掛ける間もなく男はミイラ同然となって蔓草に締め上げられる。
残されたのは、二人と、ヒトだったモノ。もう息はしていない。
「仕方ねえ、行くか」
「ええ、そうしましょうか」
情報はこれ以上集められない。そう判断した二人は合流へ向け、それぞれ地を蹴った。
●猟師さんのお手並み拝見
「では、いつも通り参りましょうか」
追撃は神楽。赤ずきんの射程外、自身の腕と同化した銃から発砲音と共に放たれる一線は狙いを違わず赤ずきんの後頭部を貫き、そして、銃弾はそのまま前方へと走って行った。
位置を外した訳ではない。再度振り向いた赤ずきんの顔と思しき部分は絡み合う蔦が大きく裂け割れて、赤いずきんには破けた痕。
「残念ながら君の往くべきはもうそっちじゃないよ」
宥めるよう言うアルベールの狙いは足。赤ずきんは動作こそ遅く見えるものの、市街地までの距離を考えれば十分脅威に成り得るスピードだった。
銃弾は蔓草の絡まり合った足に当たり、赤ずきんの姿が僅かによろめく。
バランスは余り良く出来ていないらしいそのディアボロに対し、撃退士らは矢次に攻撃を浴びせかせる。
次にアウルの弾丸を放ったのは胡桃。
「迷子の赤ずきん……おかえりは、あちら、ね」
木々を縫った敵影前方から、スコープを覘き足へ向けて狙いを定めた鋭い一撃。
赤ずきんは何か悲鳴のような音を上げながらよろめき、そして何とか踏み止まる。
五人を完全に敵対認識したのか、そのふらふらとした足取りで撃退士へ――間近に居た千鶴に対して向き直り、余り早いとは言えない動作で片腕を上げる。
「――……っ!」
予備動作が大きい分隙も大きいが、何が来るかも判らない。
千鶴は地を強く蹴り勢い付けて首許を薙ぎ払うと次いで大きく後退し、血しぶきのように赤い花を散らす。
ひょろ長く伸びた腕の先を見やると、赤ずきんの手のひらからは幾粒かの大振りの種がこぼれ落ちていた。
「依頼主にかけられていたのはあの種による宿木かも知れません。それに、根による回復や花粉を模した範囲攻撃にも注意しましょう」
ハンズフリーを通して周知させる神楽は、流石の観察眼。その手から放たれた、裂ける位置をも予測した上で胴に放たれた銃弾に、赤ずきんの脇腹は巻き込んだ蔓草ごと吹っ飛んだ。
「気を引き締めて、迅速に対処しましょう」
それを追うのは叶伊の雷撃だ。弾ける雷光の刃は赤ずきんの纏う蔓草を灼き、手にしていた種はすべて地にばら撒かれた。
多方位から放たれる攻撃の嵐に赤ずきんは反撃の姿勢を止め踵を返すものの、そうはいかない。足を狙うアルベールと胡桃、腹を穿つ神楽、叶伊の雷符、そして跳躍と共に脳天から打ち付けられる千鶴の一刀に、赤ずきんは容易くその身を倒した。
「……おどろおどろしい図体の割には案外――……ッ」
そう言いかけて、千鶴は気付いてしまう。先程首を掻き切った際に花弁と共に転がり落ちたものが何であったのか。
――それは迷子札だった。名前、住所、電話番号。それらが記載された一枚の薄汚れたタグ。もがく赤ずきんの傍ら、転がったタグを咄嗟に拾い上げると表情の変化は隠したまま即座にその場から退くべく跳んだ。
それから、発砲音が、一つ、二つ。
「遅れて失敬。ちょいと狼さんの相手に時間が掛かってな」
神楽の発砲に合わせて狙撃を行った戒のものだ。
無様にも地面に転がり朦朧ともがくディアボロに対し、撃退士らは攻撃の雨を降らせる。
「赤ずきんは最後、狼に食べられちゃうんだったっけ?」
アルベールの撃つ酸の雨。
銃弾を、それぞれの攻撃を身に受けながら、それでも赤ずきんはゆっくりと立ち上がる。
ボロボロと崩れ落ちる蔓に構いもせず、向かう意識は前方、同一方向。
そして、赤ずきんは、啼いた。
『――ヤメテヨォオオオォオオォオオォオオ!!』
慟哭と共に開いた花々が鎌首を擡げ、一斉に花粉を散らして視界を巻く。
●迷子の迷子の赤ずきん
どうして邪魔するの?
どうして痛いことをするの?
どうしておばあちゃんの家にいかせてくれないの?
ねえどうして?
(やっぱりお外は怖い所だったの?)
お母さん、約束やぶって、ごめんなさい。
●メリーメリー×××エンド
撃退士たちの視界に過ぎったのは、幼い子どもが母親に笑顔を向ける姿。泣きながら蹲る姿。自分たちを、自分を、哀しげな眼差しで見据える姿。
花粉。花粉の見せた幻影。そうだと気付いた者は居ても、咄嗟には動けない。
「花粉の幻惑か何かでしょう、気を付けてください」
言うが早いか発砲。逸早く状況を伝えた神楽の狙いは、幻覚を見て尚揺らがない。それは皆同じだった。
(――ああもしかしたら、本当に救われるべきは君だったのかな)
躊躇いを呑んだアルベールの口許が僅かに揺れる。
助けることの叶わない幼子。気付かないふりをして、気付いても笑って、それがヒーロー。
一発、アウルで灼けた蔓草の脚を撃ち抜く。
「仕事はするがね、他は知らんよ。――敵まで想う程、この腕は長くない」
戒もまた続けて発砲する。だからこそ全力で穿ち、斃す。それが彼女なりの”優しさ”。
「だいじょぶ、……怖くないよ、すぐ終わるから」
「誰に作られたのか――……なんて、尋ねても判りませんね」
そして胡桃の四発目。続く叶伊の五発目。
「……終いにしよか」
苦鳴を上げ続ける赤ずきんを前に、千鶴は誰にともなく呟いた。痛みを噛み潰すよう顰めた眉は前衛ゆえに誰にも悟られることはない。
風を切り背に追い縋る、一閃。
――アランとクレールの二人が現場に着く頃、赤ずきんも彼の咲かせた道も既に枯れ落ちていた。
●めでたしめでたし
撃退士らの手によって討伐されたディアボロは、残されていた荷物や迷子札によって身元が判明した。
結果的にその保護者の元に無事荷物は受け渡された――のだが、その時の狂乱ぶりは無残なものだった。声を嗄らして泣き喚き物に当り散らす母親、宥める祖母。
悲痛な嘆きと叫びに渡すべき言葉を持たない彼らは、ただ一礼してその場を去った。
アランが携帯したボイスレコーダーから得られた情報は、僅かなものだった。
判ったのは、『金髪の青年が子どもの死体を目の前でディアボロ化させた』ということのみ。
現状では悪魔かヴァニタスかの判別は出来ないものの、学園は類似する目撃証言や事例を調査する方針を固めた。