●ある夜更けある場所で
湿気た夜の住宅街、明かりの点る部屋数は少ない。
天魔発生により実地された避難で生じた混乱は大きく、遠くでは子どもの泣き声が聞こえる。
警察による避難区域が作られつつあるその中で、夜風に金糸を流し、スマートフォンの時計を気にする一人の少女の姿があった。
先立って昇っていった仲間らとは別行動として1Fに残ったのは、ラファル A ユーティライネン(
jb4620)。
事前に調査した情報に拠れば依頼主の世帯の窓はベランダ側。彼女は窓側から侵入経路を確保し、屋内にいる敵の隙を突こうという算段だ。
「戦場が狭い室内ってのが気に入らねーが、邪魔なら全て破壊してしまえばいいさ。退避も完了していれば後はディアボロをぶっ散らばすだけの後始末だけだ」
ひとりシニカルな笑みを浮かべたラファルの眼前で、マンション全体に点っていた筈の明かりが不意にふ、と消える。そして夜空を切る細かな稲妻がある部屋を中心に生まれ、再びマンション全体に光が戻った。
「そろそろ頃合だな」
呟きは、夜風に消えて。
眼前に聳える建造物に向け地を蹴ったラファルは、足取りを速めて上階へと急く。
●電撃ビリビリクラフトワーク
「マンションの一室にディアボロが突然出現し、娘を喰った……? それとも、娘がディアボロと化した……?」
無人の階段を駆け上がる影、五人。
「何れにせよ、前兆現象の類も、何故部屋から出てこないかも判りません故、まぁ、可能であれば調査も必要ですかねぃ」
愛用のショットガンを担ぎ直しながら、正義を愛し正義を貫く正義である十八 九十七(
ja4233)はひとりごちる。
罪なき家庭に突如現れた災厄には正義の遂行者である彼女自身思うモノがあり、事後調査も視野に入れての参戦だった。
「室内に立てこもる敵戦力を殲滅せよ、か。対テロとか対ゲリラ戦なら想定できるんだが、ディアボロ相手は戦力が分からん。それに被害者がいるかもしれんし、注意してくれよ」
冷静に状況を分析し、注意を促したのは新田原 護(
ja0410)だ。元自衛官である護は推察し、先を読む能力に長けていた。
エレベーターは停止している。マンションの明かりが揺れる階段をそれぞれ駆け上がる最中、――不意に、辺りから光が消える。
「電気がっ……」
視界を掬うものは窓からこぼれる月明かりのみで、撃退士らも思わず足を止める。
予想外の事象に月島 祐希(
ja0829)が動揺の声を上げたのも束の間、その一瞬を裂いて、全員を僅かな電流が襲う。ぱちぱちと音を起てて暗闇を走ったそれは空気を滑り、指先を痺れさせ、――そうして、階段の許に明かりが再び点った。
「停電か」
痺れる手指を振りながらライトを見上げたアラン・カートライト(
ja8773)は赤の双眸を眇めて呟き、張り詰めた空気が指し示す先を促す。
「ん、あっちやな」
アランの促しに頷いた小野友真(
ja6901)はこの状況でも柔和な雰囲気を絶やさない。
五人が駆け足に目指した先には、眼に見えて帯電の様子がわかるドアと、目的の表札。
時間を持たせる余裕は無い。小さな電気の弾けるドアノブを攫むと、友真は急いて扉を開いた。
●いい子で待ってた
飛び込んで先ず一番最初に目に入って来たのは、無残な焼死体だった。
「……死んでるな」
アランは小さく言葉を漏らすと膝をつき、眼を剥いて倒れている死体にそっとハンカチをかける。
受話器を取りこぼし、玄関先に横たわる遺体。それが依頼人である母親のものであると判断するまでそう時間はかからなかった。
「部屋から貫通した電撃にやられたのかも知れんな」
「残念ですが、そうでしょうねぃ……」
”娘”がもしも人間のままであるなら生存はほぼ絶望的であるとの認識が深まる。それと同時に、急かなければならないとも。
「広めの作りやけど戦闘するにゃ流石に狭いな」
生活感溢れる室内を見渡しながら友真は呟き、五人で滑るには狭過ぎる室内の家具の間を縫って行く。
人体の焦げたにおいの充満する玄関を抜け、リビングを通り倒れた父親を行き過ぎ、そうして進むたびに肌を裂くような静電気が撃退士らの身体を走る。奥へ進めば進む程強まるその帯電に、ディアボロの存在を肌で確かめる彼らは一室の前で足を止めた。
――泣き声だ。
悲痛で、憾みを深く篭めた泣き声が、ドア越しに響く。その微かな声音に気付いてしまった彼らは、足を止めざるを得ない。討伐対象であるディアボロのものか、人間である娘のものかは、直ぐに判ってしまう。
「嫌な予感しかしねぇ。……でも、やるしかないだろ」
ロザリオを握り締めた祐希は深々と息を吐くと、ドアノブに手をかける。ばちばちと大きく音を起てて帯電する金属製のノブを引き大きく開け放つと、それが総員への合図となった。
開放されたドアの向こう、一人すすり泣く少女。――長い髪に、黒目がちの眸。ヘッドフォンを嵌めて涙を流すその姿は、人間に極々近かった。その全身を蔽い隠す鳥籠と、背から生えたノートパソコンさえ無ければ。
電脳セカイの鳥籠姫と呼ぶに相応しいその恰好は、彼ら撃退士に一瞬の躊躇いを生む。が、それも一瞬。事前に得ていた情報で、ある程度の覚悟はそれぞれ出来ていた。
(嘘だろ、これ……まだ……助けられるんじゃ……)
祐希は胸中の騒ぎに息を呑んで唇を噛む。揺らがないと言えば嘘になる。だが此処は戦場であり、眼前の相手から迸る敵意は明確に自身へと向けられていた。
「囚われのお姫さんの解放、やな」
鳥籠姫が動くより先に素早く銃弾を放ったのは、友真。誰よりも早く動いた指先は精密に狙いを定めた先で引き金を引き、鳥籠の隙間を正確に縫い少女の姿をしたディアボロを打ち抜いた。
添うような動作でアラン、九十七もまた引き金を引く。九十七のアウルを篭めた弾は直線上に座す的に向かいめり込み、籠ごと撃ち抜き、蔽う柵には僅かながら罅が入った。
「行くぞっ!」
護がアウルで練り上げた砲台から撃ち出すは、目くらましの一瞬の爆炎を生むグレネード。着弾すると共に敵を甞める焔を這わし、鳥籠姫を中心に爆発すると直ぐにその煙幕は霧散した。
すべての攻撃が重ねられた後、祐希が数歩と前に出て放った掌からのアウルの一撃は、鳥籠の柵の一部を欠けさせる。
不意を打たれた鳥籠姫が柵を鳴らし細かな稲光を纏うと、改めて敵性を確かめ殺意を孕んだ眼差しを撃退士たちへと向ける。
電極に蝕まれたその腕を伸ばさんと向き直った時、不意にぱん、と窓硝子が割れる音。
「背中ががら空きじゃねーか、――沈めてやるぜ!」
打ち合わせに合わせて爆炎での攻撃を確認後ベランダからラファルが硝子を打ち破り飛び込んだのだ。進入と同時に自身の機械化した四肢の偽装を解除し、解放したミサイルランチャーから影の刃を内包する誘導弾を無数に発射する。
背から射程範囲内ギリギリから打ち込んだ弾道の着弾は早い。早いが、――刃を散りばめさせたラファルの四肢を、雷撃が灼く。
「か、は……ッ!」
背後からの攻撃であれば問題ないとの慢心が無かったわけではない。
電撃を放った鳥籠姫の背には、翼のように広げられたノートパソコン。そこから放たれた一撃はラファルの機械ごと全身を貫き、運動伝達機能を麻痺させてしまう。痙攣しながら床に倒れ伏す少女に、鳥籠姫は見向きもしない。
肉の焦げるにおいと、機械質が燃えるにおいが部屋を満たし、割れた窓硝子から吹き抜ける夜風がそれを浚う。
「ヤバい、ラファルちゃんっ!」
倒れ込んだラファルを目にした友真は床を蹴り、咄嗟にリボルバーを構え鳥籠姫の足許に射撃しつつ保護に当たる。
「まだまだ!! インフィルトレイターは特殊弾が売りなんでな、その身体でも溶かしておけ!」
護はそれをアシストするように鳥籠姫へ酸を篭めた銃弾を打ち込むが、避けるべく揺れた籠の前には掠めるのみで終わった。
後衛に位置する撃ち手たちを守る為にアランと祐希は室内へと滑り込み、それぞれが敵影をはっきりと捉え柵へ、はたまた鳥籠姫本体へと攻撃を撃ち込む。
「専門職やなくて悪いけど、応急手当にはなるやろ」
「そろそろ籠、壊れたりするんじゃないですかねぃ」
ラファルに対し手当を行う友真の横で冷静にショットガンを構えた九十七はトリガーに指をかけ、仲間たちの間を射って座す姫君と共に楼する鳥籠を、一直線に穿通させた。
●私のお城
邪魔しないで、
近寄らないで、
傷付けないで、
(世界は私の邪魔ばかりするの、世界は私を邪魔者扱いするの、世界に近寄れないのは私なの、世界に近寄りたいとも思えないの、世界は私を傷付けるの、世界を傷つける術なんて私は持っていないのに、お願い、お願い、助けて、私をどうか、このままにしておいて!)
――自由になんて、なりたくない!
●トリガー・発砲
九十七の銃弾によって砕け散った鳥籠と、涙を流して取り乱す少女の形をした、ディアボロ。
その現実と、全員の思考の中一瞬の内に流れ込んだ膨大な情報は、撃退士たちを僅かに混乱させた。
選択を誤った一人の少女のちっぽけな夢物語と、大きな我侭。
哀しみと憎しみ、悔恨に塗れたひとつの記憶だった。
「な、んだよこれッ……こいつ、言葉、わかってるのか……!?」
「……外の魅力を説く騎士みたいな役割だろ。進んで囚われてる物好きなお姫様にな」
冗談めかして言うアランの中には微かな既視感が生まれていた。すすり泣く少女と、満面の笑顔を向ける双子。相似が無いと言えば嘘になる状況に、苛む現実。
泣き声が増す。――けれど、撃退士たちの鋭気は挫けない。
鳥籠が壊されたことがトリガーになり、空気に満ちる静電気が増したように肌で感じると、前衛二人は後衛との斜線を取りながら片やベッドに乗り上げ、片や椅子を蹴り付け足場を作ると再度戦闘準備を整える。
少女は籠を解き放った九十七へ向けて憾みの電撃を放つものの、切れた射線が壁を焼き、貫通して尚後一歩の所で届かない。
「お姫さんは外がお嫌いな様子やな」
「ぶち壊……取敢えず倒して見れば判るのではないかと、ええ、はい」
今にも弾けてしまいそうな程濃密な磁場を生みながら、眦からは血にも似た濃い褐色の涙を流す鳥籠姫へ、それぞれが対峙する。
「それじゃあ、ダンスといこうぜ、お姫様」
持ち替えたヒヒイロカネから具現化させた血斧を手に、静かな物腰で少女を誘う姿は至極紳士的で。
始まりは、極々簡単。
たった一歩、外へと踏み出せば良いのだから。
ワルツを覚え損ねた鳥籠姫の、泣き喚く子どものような攻撃が雨のように降り注ぐ。
指先から、背のパソコンから、届く範囲目掛けてがむしゃらに放たれる電撃は、撃退士たちを手当たり次第に穿つ。
「……ッ!」
「チッ……!」
後方から回避の為にと撃ち出された弾丸は当たれど既に解き放たれてしまった雷撃に対しては然程意味を成さない。
アラン、祐希共に精度こそ低くとも威力が増した一撃を喰らい、よろめきながらも何とか床を踏み締める。
「俺だって、ここで殺されてやる訳にはいかねーんだよ……!」
祐希の傷は浅くない。鼻腔の奥で血のにおいが滲み、傍目から憐れになる程取り乱した少女の形をした魔物の姿が霞む。喉奥に絡む鉄錆を吐き出すと、ベッドに紅い鮮血が飛び散った。
「今や!」
「……悪いっ!」
銃声は、今一度。回避の為にと再度放たれた銃弾は鳥籠姫のバランスを崩し、祐希を前衛場から離脱させることに成功した。
「――自分だけで完結する世界は幸福か?」
一対一となってしまったダンスの舞台で、アランは返事が無いと知りながら鳥籠姫へと問う。
踏み込みざまに斬り下げる重い一撃は、少女の腹を大きく縦に裂く。
飛び散る血は赤黒く、視界を奪われないよう一歩と引き下がると、痛みにもがいての悪あがきか電撃を纏った腕で振り払う一撃が飛んでくる。
意識を奪うには十分過ぎるアランの立ち回りに、鳥籠姫は夢中だった。
けれど隙を編んだアランの消耗もまた激しい。
背を撃つ護も奮戦しているが、磨耗する一方の前線では戦況は些か厳しい。
祐希に宛てて応急手当を施す友真の脇を抜けて、九十七は廊下を駆け、雷撃の隙間を縫い、跳ぶ。
「良い子はもう寝る時間ですのッ!」
バチバチと放電する稲光を振り切って、翳された掌に集まるは超圧超熱のアウルの焔。手指の隙間から漏れる圧は規格外、触れると同時、龍の息吹が鳥籠姫の頭部で激しく炸裂した。
飛び散る脳漿と黒血が部屋に散らばりくたりと膝を折る鳥籠姫の姿を前に、撃退士たちは漸く安堵の息を吐いた。
●隠されてしまったノートと隠してしまったノート
戦闘後、少女の背から引き剥がしたパソコンからは一枚のハードディスクを得ることが出来たが、結果的に、その中身には不審な通信記録などは残っていなかった。
極普通にインターネットにアクセスし、ファイルをダウンロードし、ブックマークを残していった記録。また、メッセンジャーに残されていたデータにアクセスした所、連絡先にも不審な点は見当たらない。
一点謎として残されたのは、『少女が事件発生当日、”自分自身のアカウント”とチャットを行っていた』ということのみ。
『可哀想に、きみは被害者だね』
『そうだよ、きみは、可哀想だ』
この二つのメッセージが、少女のアカウントから最後に発信されたもの。
不審と言えば不審だが、結局それがディアボロ化に関わっているかどうかについては調べることが出来なかった。
他に残されていたのは怨恨と、憾みと、辛み、恐怖、哀しみ、そういった負の感情が刻み込まれたテキストファイルが詰まったフォルダがひとつ。
「外が怖い女の子か……親御さんも甘やかせてしまったな。良かれとやったことが最悪を招く……悲しいことだな」
沈痛な面持ちで言う護の隣で、ハードディスクにアクセスしながら捜索している友真があ、と声を上げる。
「何だ?」
覘き込んだラファルが画面を覗き込むと、そこに有るのはファイルネーム、『dear.txt』。
ファイルを開くとそこには、
”お父さん、お母さん、大好き。長生きしてね”
の一文だけが保存されていた。
ブックマークには、母の日、父の日のプレゼントの選び方。
画像フォルダには、数々の家族写真。
「……少し怖がりな子、やってんな」
ぽつりと呟いた友真の隣で、拳を硬く握り締めた祐希が項垂れる。
「助けられる道も、探せばあったのか……? いや、でも……助かったとしても、家族を殺した罪を背負って生きる、なんて」
外で生きることを少女が望んでいなかった以上、何を選べばベターであるかの選択であるかも、何を選べばベストであるかも元より無かった。
「俺は王子様にゃなれへんなぁ」
パソコンをシャットダウンして、寂しげに友真は笑う。
「……はっきりもすっきりもしない事件ですねぃ」
九十七の肩を落とした呟きは、教室の中静かに散っていった。