●花々夢現
――これは全部夢、作り物のせかい。ようこそ、わたしの夢へ。
そう言って嬉しそうに笑ったルクワートの言葉に、彼らは顔を見合わせた。
夢。一言でそう言っても、おかしな点が幾つかある。たとえば、見知った顔が沢山ある、とか。たとえば、夜風が頬を撫でる仄かな冷たさを感じる、とか。そういった不審な点もすべてひっくるめて夢だと言われてしまえば、日々摩訶不思議現象と格闘する撃退士としては納得せざるを得ないのだが。
「ほほう、こいつははっきりとした夢だな」
頤の無精髭を擦りつつ、グィド・ラーメ(
jb8434)はいやにはっきりとした視界、思考を巡らせてにっかり笑う。
「せっかくの夢だ、楽しまなきゃ損だろ」
流石はおおらか年の功。あっという間に場の空気に順応し、花を楽しみ蝶を愛で、ついでに見知った顔への挨拶とでも洒落込んだ。
「夢の中での花見、か。……偶には良いかもしれん」
眩しげに空を舞う花びらを見上げたアルドラ=ヴァルキリー(
jb7894)は、なびく黒髪を押さえながら、焦がれる想い人の姿を目に留めると誘われるように歩んでいく。
「……は?夢? え、でも父さんいる、わよね……?」
寝惚け眼を擦って辺りを見渡した矢野 胡桃(
ja2617)はよくよく見知った父、矢野 古代(
jb1679)の姿を見付けるとむむと眉間にしわを寄せる。それからとてとてと駆け寄り、自身の頬っぺたをつん。
「……ねぇ父さん。ちょっとモモのほっぺにちゅーとかしてm」
「なに朝から寝ぼけた……いや、まだ寝惚けてるのかもしれないな」
軽くスルーで流しついでに古代は胡桃の頭のてっぺんをべちん。勿論手加減十二分。辺りを見渡せば、見知った顔に知らない顔、そして色とりどりの花が咲き乱れている広い花畑。
「…………いたくない、ゆめだね」
やんわりとした衝撃のみが伝わり胡桃は頭をゆらゆら、残念なような、全て夢であるという事実に胸が躍るような、そんな複雑な心境を膨らませつつ、挨拶と探索ついでに歩き出す古代の後についていく。
「夢、ですか。まあ状況的にそうとしか納得しようがない状況ではありますし、そうなんでしょう」
久遠 冴弥(
jb0754)は、辺りに広がる奇妙な花畑を眺めながら冷静に状況を分析する。
見知った顔の知人たちがまるで現実のように語り合っているのもきっと、夢の所為。
「なんで! そんな冷静なのさ! あっけおめ!」
「いえ、一応これでも混乱はしていますよ? どうしようもないので流されてるだけで。……明けましておめでとう御座います」
半ば自棄になりつつ挨拶回りをするキョウコに対し、冴弥はしずしずと一礼。礼儀正しく丁寧に、それから手を引かれて花畑に敷かれているシートへと向かう。
「随分と……面白いメンバーが揃っておるな!」
夢の中で新年の挨拶をする機会が来るとは思わなかった。
しかも、敵味方が一同に介して、である。
鍔崎 美薙(
ja0028)は嬉々としてあちこちの花を見つつ、人が集まりつつあるシートに向かうと溌剌と挨拶ひとつ。
「あけましておめでとうじゃ!」
「明けましておめでとう御座います。良い花見日和ですね」
「こんにちは……こんばんは?」
美薙の背から顔を覘かせたのは、安瀬地 治翠(
jb5992)と時入 雪人(
jb5998)の二人。
雪人は空を見上げて首を傾げるが、夜か昼かも曖昧なこの空間で、挨拶は難しい。
ということで、揃って明けましておめでとう御座います。
当主モードでしゃんと背を伸ばし挨拶を交わす雪人と、その傍らに立つ治翠。挨拶が終われば引き籠りを愛する普段の雪人に戻る――筈だったが、どうやらいつもと様子が違う。
「どうしたんですか?」
「……少し不思議なんだ。この空間にいると、いつもより気が楽でさ」
治翠の問いに、雪人は自身でもよく判らない、といった風で返した。
そして、いつもであれば背後に隠れようとする雪人が今日は治翠の隣に腰を下ろす。
その変化におやと思った治翠だったが口には出さず、ふと顔を上げると髪に銀の花をさしたアベルと目が合った。
「……よくお似合いで」
褒める。これまた素直に厭味なく。褒められた当人はと言えば、若干不服そうに眉間を顰めている、が――水に流す。いっそにこやかに笑ってしまおうとアベルが腹を括った所で、雪人の視線に気が付いた。
金髪にきれいに咲く花を見た雪人は、すっと無言で顔を逸らす。
「きみ今笑わなかったかい」
「そんなことは」
雪人は決して目を合わせない。それに目敏く反応したアベルは腹を括り切れなかったらしい。若干のダメージを受けつつ、グラスに注がれたリキュールを一気に飲み乾す。
「なんじゃ、可愛いではないか。おぬしにそのような趣味があったとは驚きじゃな」
「まあね。可愛い花だろ?」
髪に添えられた花を茶化すでもなく素直な言葉を並べた美薙に対し、アベルは半ば冗句交じりに笑って返す。
満足気に頷いた美薙はぽんと手を打ち、閃いたとばかりに笑って言う。
「うむ。そのついでに簪もつけぬか?」
「……酔っ払いか何かかな?」
「酔ってはおらぬぞ! 九州女子じゃからな」
ふふんと胸を張る美薙の手には御猪口がひとつ。
因みに御酌は治翠が進んで引き受けており、今年も彼の気配りはばっちりだ。
オレンジジュースを飲み始めた雪人は年齢的に酒を呑める呑めないの話で盛り上がるキョウコとウヅキの間でぽつり、
「念の為に言っておきますが、俺はこう見えても大学生ですからね?」
と呟いて二人を驚かせた。それだけではなくルクワートもアベルも驚いているのには流石に雪人の目も据わるというものだろう。
ちょっとした冗談に笑い、相手の冗談にはきちんと釘をさす。明るくて、無邪気。そんな調子の当主――雪人を見守りながら、治翠は安堵する。いつもとは違う。けれどそれは、当主としての重責が抜け切った、自然体でいるということだろう。
シートに置かれたいちごオレ、バナナオレ。じゃあ私はこれ――なんて言いながらピンク色のパッケージを手に取るキョウコは普段通りで、夢と現の境界が曖昧になる錯覚を覚える。
「呼んで頂いた事に感謝を」
「わあ! 治翠くん治翠くん、――ほらっ」
初めて逢った時のようにつぼみを花咲かせる恵みをアウルで紡いでみせた治翠に対し、ルクワートはきらきらと表情を輝かせながら同様に花のつぼみを手に取る。そして、念じると同時に綻ぶ花びら。
「お揃い!」
「良いですね」
花開いた二輪を合わせて、白の冥魔は花が咲いたように笑う。
「ルクワート嬢ちゃんにアベルの坊主、こんばんはだぜ」
「あ、グィドのおじさま! 逢いたかったよお!」
「おじ……おじさまって俺か! 悪くねえな!」
思わぬ呼び名に面食らったグィドも、綻ぶ笑顔につられてにっこり。
少女のようにはしゃいで抱き着くルクワートを宥めつつ、何やらわいわい騒いでいるキョウコとウヅキにも水をやる。
「おや、見慣れない可愛い嬢ちゃんの顔もあるな」
「あ、どーも! 私はスーパー可愛い学生撃退士キョウコちゃんで、こっちがけっこう可愛い学生撃退士ウヅキちゃんでーす!」
「はいはい。あ、初めましてですがお名前は窺っています。依頼の斡旋事務を手伝っているので」
早くも酔いが回ったのか楽しげに笑い声を上げて纏わりつくキョウコと、それを押し退けつつもくもくと酒を呑むウヅキ。初夢の中でも相も変わらず凸凹コンビは健在だ。
その様子を静かに眺めていた冴弥は、ふと疑問に思ったことを呟く。
「欲しいと思ったものが出てくる……材料や調理器具もでしょうか?」
数秒すると、冴弥の手にはボウルや泡立て器、それに卵や小麦粉まで。
「完成品が出るならわざわざ作らなくてもという気もしますが、こういう催し物は準備から楽しいものだとも思うんです。自分が作るものは皆さんの口に合うだろうかと想像したりしながら作る楽しみとか――」
冴弥の論にも一理ある。ぽんぽんと何から何まで生み出していた行為を恥じるようにルクワートはしょげ、そんな彼女に冴弥は手を差し伸べる。
――一緒に作ってみませんか? と。
「な、何を作るの? わたし、やってみたい!」
「そうですね……うーん、マドレーヌでも」
興味津々といった様子で頬を上気させるルクワートにエプロンを握らせつつ、キョウコとウヅキ、それに美薙へも声を掛ける。
「ふむ、楽しそうじゃな。まどれえぬ……とか言ったか。なに、気合で何とかなるというもの。それに夢の中じゃしな!」
自信満々に袖を捲る美薙は、ボウルを攫んで気合十分。
フラグが一本立ちました。ちーん。
和気藹々とお菓子作りに励み始める彼女たちを眺めつつ、極々普通の世間話に興じるアベルとアルドラの二人。
――だったが。
「どーも、初めましてアベル君。で、隣の子は君の想い人かい?」
やってくるなり言った古代が指差す先は、アルドラ。その言葉にアルドラは瞬間湯沸かし器よろしく真っ赤になっている。が、アベルは首を左右に振り、きっぱりと否定を添える。
「違うよ」
「え? 違う? でも俺の父性レーダーは恋している女の子の気配を……あっ」
真っ赤を行き過ぎて撃沈したアルドラに気付くと、古代パパも口許に手を当てあらあら。やるね色男、なんて茶化しつつ、樹から垂れる花々に目をやると手をぽん。
「――そうだ、折角の夢だし、隣の御嬢さんとお揃いの花簪はどうかな?」
「……賛成だ」
不死鳥の如く復活を遂げたアルドラが未だ赤い顔を上げると同時にどこからともなく差し出したのは、大輪のハナミズキ。自身の黒髪にそっとさし、もう片方をアベルへと向ける。
「受け取ってはくれないだろうか?」
「へぇー……ほぉ……」
アルドラが選んだハナミズキを見て意地の悪い笑みを浮かべた古代はにまにまと笑う。花言葉を知ってのものだろう。狂う調子にアルドラはたじろぐものの、アベルがその花を手に取るとごくりと息を呑んだ。
「生憎と、花はもう間に合っているから――」
アベルが横目で指し示すのは、先程髪にさされた銀の花。
それから軽く摘まんだハナミズキを振ると、煌びやかな星屑が散ると共に別のものへと変じさせた。――穂に成る赤色の花筒、可愛らしい花が連なるそれは緋衣草。
「サルビアだよ。花言葉は――家族愛。ぴったりだろ?」
にこやかに笑いながらその花を古代の耳裏にさすと、アベルは揃いの花を胡桃にも差し出した。女性の髪には触れない、それが礼儀。
「似合っている、な」
少し名残惜しげに花を見詰めるアルドラに気付いたのか、胡桃は古代の背を押しその場から離れ始める。
「ほら、父さん。二人っきりにしてあげないと」
「ん? あーそうだな。所でモモ、あっちの花から甘い香りが――」
どこか切なげで、けれど満たされたような表情をしたアルドラと、空を眺めているアベルを置いて、どたばた親子の冒険は続く。
――数秒後、調理しながら更に(エア)酔いが回ったキョウコにその場のしんみりとした空気が爆破されたのは言うまでもない。
騒々しさが去っていった後。
元気なものだ。それに引っ掻き回されるそれぞれも中々楽しそうで、アベルはつられて小さく笑う。
「ねぇ、ストーリーテラーアベル」
何時の間に訪れたのか、樹を隔ててアベルと背中合わせ。胡桃が静かに語り掛けた。
「貴方が幸せになってくれることを、願っているわ」
「変わり者だね、きみは」
「そう、かしら? ――それはお互い様だと思うけれど」
微かな笑い交じりに返された言葉にアベルが振り向くと、そこに胡桃の姿はない。古代の元へと駆けていった少女の後ろ姿だけ。
「忙しないな」
落ちて来た花びらを掌に収め、束の間の休息にアベルは笑う。
◇
出来上がったマドレーヌは、同じ型で作った筈なのにかたちは大小様々、口当たりも、風味もまるで違う。整ったものから、いびつなものまで多種多様。……一部くず鉄と化しているのは気の所為、夢の所為、だろう。
それらを配り歩きつつ、ふと耳にした言葉の意味をルクワートはグィドに尋ねる。
「ねえねえ、グィドのおじさま。縁起物ってなぁに?」
「お? 一富士二鷹三茄子っていってな、初夢に見ると縁起がいいって言われてるんだぜ」
「へえー!」
富士山がこれ。鷹がこれ。茄子がこれで――と言いながらグィドが想像を巡らせると、夜の雲が割れて後光を放つ富士が神々しく現れ、鷹がグィドのジャケットの内側からマジックの鳩さんよろしく飛び出し、茄子がころんと頭に落ちてきた。
「はっはっは、こりゃあめでたいな! 全部飛び込んできた!」
夢とは言え余りの展開に笑い出すグィドの傍らで、ルクワートもつられてにこにこと笑う。
誰もが笑って、誰もがともだち。
そんな世界であるからこそ、こうして敵である筈のルクワートやアベルと対話が出来る。そう考えると、アルドラはこの時間がたとえ夢であるとしても掛け替えのないもののように思えて、きゅっと唇を噛み締めた。
「普段は依頼で世話になってばかりだな。いつも感謝する」
「へ? いーってことよ! 私はただ斡旋してるだけだからねっ」
「そうですよ。余り褒めないでやってください、調子に乗りますから」
普段はただ事務的に書類の手続きをするばかりで、あまり会話することのないキョウコやウヅキ。彼女たちへも、アルドラは折角の機会だ、感謝を添えて置きたいと思った。
「肩が凝っているんじゃないか?」
笑みを深めたアルドラは、キョウコの肩をねぎらいの意を込めてほぐし始める。あーきもちいー、そこー、なんていうはしたないもといだらしない声は、この場限りで皆聴かないふりをする。
「ルクワート。素敵なお花見に招待してくれてありがとう」
「胡桃ちゃん、来てくれてありがとうっ……それに、ええっと……?」
「私の父さん、よ。はじめまして、かしら? 仲良くしてね?」
父の背を押しつつ胡桃が辿り着いたのはルクワートのもと。
「初めまして、ルクワート」
先程のアベルとアルドラを茶化していた古代はどこへやら。
大人の風格漂わせる雰囲気で丁寧に一礼、それからキリリ。
「矢野古代だ。――親をしている」
「わあ、かっこいい! 流石胡桃ちゃんのお父さん!」
そうでしょう×∞。なんて、娘の称賛の声が聴こえたかどうかはさておいて。
胡桃とルクワートは花畑に腰を下ろすとガールズトークと銘打ち、手作りのお菓子を食べつつ紅茶を呑んで、和気藹々と話し始める。
クールかっこいい(二重)古代はというと。
(如何しようガールズトーク始まったんだけどこれお父さん混ざっていいの? 好きな男の子の話されたらどんな顔したらいいのかちょっとわかんないんだけど。)
実に置いてけぼりを喰らっている。
トークはこのお菓子がおいしい、に始まり惚気自慢へと移る。
「うちの父さん、かっこういいでしょう? 渋いでしょう? 自慢なのよ」
「モモ、その話題はガールズトークではないってのは俺でもわかる」
冷静な指摘。すてき! ときらきらおめめで見詰めるルクワート以外は誤魔化せないか、胡桃はそれじゃあ、と話題を切り替える。
「ねぇ、ルクワート。今度一緒に、私のお勧めのケーキ屋さんに行ってみない? ――父さんのおごりで、ね」
立てられた人差し指に、ルクワートは満面の笑みで指を添えた。
「うん!」
月光を浴びる蝶がひらひらと舞い、胡桃の髪に簪のように留まる。
思わず身動きストップ、蝶を逃さぬよう静止――した所でやって来たのはアルドラ。
「や、ルクワート。ひとつ、私とも付き合ってはもらえんか?」
ガールズトークにまた一人参戦。
なんとなーく、どことなーく居心地が悪い古代はさておいて、女子三人は楽しく世間話に花を咲かせる。ついでに、どういうタイプが好みだとか、どういう花が好きだとか、エトセトラエトセトラ。話の種は尽きない。
◇
手の空いている者(=皆)を呼び集めて、グィドがででんと広げるは――大きな白紙。
「正月らしい遊びをしようぜ。ずばり、福笑いだ」
とはグィドの談。
「ふむ、福笑いとな。――よし、乗った。任せるが良い」
随分乗り気の美薙と反して、ルクワートはルールが判らず首を傾げる。
そんな彼女に対し判り易く且つ端的にグィドが説明すると、何となくではあるが理解したらしい。
目隠しをして顔の輪郭のイラストの上に顔のパーツを並べていき、どんな顔が出来るかを楽しむもの。人数が居れば予想以上に盛り上がる、お正月の伝統的ゲームだ。
「せっかくだから、互いの似顔絵を描いて、それでやってみねぇか? ……おーい、アベルの坊主もせっかくだからやろうぜ、お互いの顔を描きあうのも楽しいだろう?」
説明こそ聴きながらも我関せずといった面持ちだったアベルをグィドは名指しで呼び寄せる。
「いや、俺は見てるだけで……」
「ふふん、俺様の格好いい顔を再現するのが厳しいんだろ?」
「……いや、――まあ、確かにそれはあるかな」
確り断りを入れようとした矢先にずいと前に出るグィドに対し若干引け腰になりつつ、アベルはしげしげとその顔を見る。無精髭。彼とは無縁の類だ。
何せ救済を謳い童話寓話の絵本を連ねる者なのだから、当然と言えば当然だろう。
「良いではないか、夢じゃろう? 夢を見ておるのじゃから大丈夫じゃ、お主がどんなに前衛的な顔を描いたとしても、笑わぬぞ」
「いやあの、」
「んー、おっさんの顔が嫌だって? よし、なら美人の美薙嬢ちゃんを描きたいってことだな!」
言いながらずいと美薙の背を押すグィドに、美薙も目が点、アベルもきょとん。さあさあと筆と紙を手渡され、向き合うこと数秒。
アベルとて、ここまで来て断るような男ではない。
大人しく腰を据え直して、筆を片手に美薙をじっと見詰める。
「絵を描くのはあまり得意ではないが、夢の中ならイケそうな気がするのじゃ!」
眼前の見本と紙を見比べむむと暫し唸っていた美薙だったが、筆を滑らす道筋を決めてしまえばあっという間。やたらと豪快な筆致で、どことなくゆるキャラを彷彿とさせる仕上がりのアベルが描き上がった。頭の花は勿論忘れず確りと。
「……まあ、得意でも無ければ苦手でも無いけど」
言いながらさらさらと仕上げたアベルの絵柄は、筆で描いているのにも関わらず絵本調。無骨さは無く、素朴で可愛らしい美薙の似顔絵が出来上がった。
「また随分可愛い絵を描くのぅ」
「アベルの坊主、中々やるな。だがおっさんも――っと!」
グィドの見事な筆さばきが決まる。
全力の一筆入魂だ。描く相手は――ルクワート。
彼女は頻りに首を傾げながら筆を握り、あっまちがえた! なんて声を上げつつ奮闘している。
そうこうする内に、お互い完成。見せ合うと――。
グィドの描いたルクワートは、豪快な性格とは反して繊細で、丁寧。ためいきが出る程巧い。髪の毛の艶、眸のきらめきまで表現している点には驚きを禁じ得ない。力作、と言って過言ではない代物だ。どこで学んだその技術。正直絵師を副職にすると言われても納得出来る。
対するルクワートは、というと。
「ごめんね、ちょっとおひげの所失敗しちゃった」
どこがおひげの所なのかさえ皆目見当つかないブツが仕上がっていた。大きく大胆に描かれた丸に、目らしき点々、それから鼻、眉、口、耳、とパーツらしきものこそ揃ってはいるものの、位置はばらばら、ぶっちゃけキメラ。絵心が無いどころの騒ぎではない。曰くのおひげはぐしゃぐしゃのミミズだろうか。
余りの出来に沈黙する周りだったが、グィドははっはと笑ってルクワートの頭を撫でる。
「愛嬌があっていいじゃねぇか! 嬢ちゃんの絵は親しみ易くて良いな!」
「ほんと? ほんと?」
出し惜しみなく向けられる優しさに、ルクワートのグィドへの懐き度はうなぎのぼり。
福笑い一番手は、興味津々のルクワート。
「ルクワート嬢ちゃん、おっさんをイケメンに作ってくれよ?」
「えへへ、まっかせて!」
長い袖を捲って張り切るルクワートと、それを応援する声に紛れてキョウコがおっさんばりの野次を入れる。
「あーっと右右ぃ! いや上だね! むしろ一周回って! そんでジャンp――」
「キョウコさん。ルクワートが困っていますよ」
いちごオレで酔っ払ったお手軽キョウコをウヅキと共に宥めつつ、冴弥はルクワートへヒントを投げる。少し上、右、行き過ぎた、左――。
そうして出来上がった顔は、他の誰とも被らない、ただ一つのもの。
皆で作ったマドレーヌと同じだ。手作りだから、どれ一つとして同じかたちのものはない。
世界で一つ、自分だけの宝物。
◇
花見の席から少し外れた細い小道。添うように生えた蒼い薔薇が、散策していた治翠の目に留まる。奇跡と呼ばれたブルーローズ。隣席で目が合ったキョウコを手招きすると、彼女はその花の珍しさに手を打って喜んだ。
「凄い凄い! 何でもありじゃん!」
治翠は壊れ物を扱うように花を優しく摘み取って、それからキョウコの髪にそっと添えた。
「へ」
「とてもよくお似合いです」
さらりと褒めるスマートさにキョウコはたじろぎ、遠目から見ていたウヅキがくすくすと笑う。
「どうしました?」
「いえ、花が綺麗だなあと思いまして。お酒が進みます」
尋ねた冴弥はウヅキの視線の先を見てああと小さく呟いて、それから先程皆で作ったマドレーヌに手をつける。さくりと割れる洋菓子からは、夢であるのに香るバターの甘さ。
「みんなで食べるお菓子はすっごく美味しい!」
ルクワートは両手にマドレーヌで御満悦。作り手によって形がばらばらなのもまた、味がある。お菓子を楽しみながら、他愛無い話に花を咲かせる。
「好きなお花?」
「はい。私は菫ですね。決して華々しく咲き誇るものではありませんが、静かに訴えかけてくる花というか」
「すみれ……」
花の種類を知らないらしい。小首を傾げるルクワートに対し、美薙が掌を広げて頷いてみせる。
「菫は小さいが、凛として咲く愛らしい花じゃ」
形を思い浮かべると、容易く菫の花が一輪掌の上に乗った。
「凄いですね。夢とはいえ……手品の様です」
「かわいい!」
感嘆する冴弥に、はしゃぐルクワート。
花が綻ぶように笑う彼女たちの真ん中で、菫はちょこんと房を揺らした。
――花言葉は、小さな幸せ。
この場にいる者たちが一同に介して笑い合うなんてことがどんなに得難いかは皆判っている。だから、夢として、笑う。
◇
蒼薔薇の小道を抜けて、茂みを潜って、雪人と治翠は仄明るい空間へと辿り着いた。生い茂る木々と小さな花々で空は蔽い隠されているのに、寒くもなく、あたたかい。
ひと二人が入れば窮屈に感じるその隔たれた場所で、雪人は大輪の花を見付けた。
「……この華、暖かい」
金色の光を灯す華。眩し過ぎず、けれど確りとした光を湛え、不思議な暖かさを放っている。
(――ああ、これは)
見る者を魅了するだけでない、見る者を――雪人を安心させるようなぬくもりを抱く、その華。そこで、彼は思い出す。過去に亡くした母の姿、父の姿。凛と強く、けれど優しく佇むその華はどこか、似ていた。
「そうか……。この華があるから、俺はここが落ち着くんだ」
過ぎる過去は、ともすれば触れてしまいたいと思う程近く、目を凝らさなければ届かない程遠い。思い出すぬくもり。けれど、雪人は今を生きる。
隣にいる治翠を見て改めてこの”現在”を認識しつつ、雪人は金色の華に触れた。
「……暖かいな」
「ええ」
今だけは、このぬくもりに触れていたい。
いつか、この暖かさが無くてもこうして皆と遊べるように。
今はまだ、この懐かしさに心を預ける。
◇
夢の終わりが近付く足音が聴こえる。
はしゃぐ女子たちを尻目に、樹に凭れそれを眺める男二人。
古代と、アベル。
彼が余りに無防備な顔をしていたから、古代は何気なしに聞いた。
「所でアベル君。――どうして人を救おうってなったんだい?」
アベルは目を丸くすると、口にしていた花の茎を唇から抜き取った。
「これは夢だ。起きれば忘れてしまうのに?」
「……忘れても、聞いてみたい事。一つの標になる気がして」
古代の迷いなく出した答えにアベルは小さく笑った。
手から茎がぽたりと地に落ち、落ちた場所から芽が出て蔓が伸びた。枝分かれした先でつぼみが膨らみ、花が咲き、甘い芳香を漂わせる。
その一本を摘み取りながら、アベルは珍しく屈託ない表情で笑った。
「ただ、救えなかったからだよ」
そう言って、古代を見付けて駆け寄って来た少女胡桃に目を遣った。見れば頭にはサルビアに加えて薄桃の花飾り。
「ねぇ父さん、おいしい花があるの」
「花が? おいしい?」
好奇に表情を明るめた胡桃は半信半疑の父に向かってこくこく頷いて、それから花飾りが落ちないようそっと手で髪を押さえた。
アベルは楽しげに笑いながら手近な所から花を二輪抜き取ると、それぞれ古代と胡桃に向ける。
「二人共食べてみて御覧。まるで――目が醒めるように甘いから」
「いただきます、ね」
「え、この花が甘い……のか?」
夢だからだろうか。何の疑いも無く花を一枚ずつ齧る胡桃。それを尻目に古代がええいままよと丸ごと口に放ると、舌先からふわりと砂糖菓子のようなにおいが広がった。
「あ、本当に甘――」
言い掛けて、眩暈。最後まで言い終えるより先に、思考はブラック・アウト。
全てが希薄になっていって、感覚が融けていって、温もりに雑じって、真冬の微睡みに似たそれに身を委ねて――。
◇
現実になれば嫌でも思い出す依頼のことも今だけは脇に置いて、まるで何事も無かったかのようにアベルやルクワートと対話している。そう穏やかに在れるこの空間が不思議で、治翠は眩しげに辺りを見渡す。
それはまるでそうであれば良かったと思う自身の理想が夢に出てきたのかも知れないと錯覚する程に。
誰も傷付くことなく笑い合い、花を愛でて酒を酌み交わし、敵味方の全てを忘れて語り合う。
――金色の華。
護るべき存在である雪人が、優しい思い出の両親をやわらかに思い出せる場所。
「――ただ望みの侭に在れたなら」
「ハル?」
ぽつりと漏らした呟きは、雪人の耳に入ったらしい。無邪気な表情、首を傾げる姿にふ、と笑いがこぼれた。
「いえ、何でもありません」
そこにいつかの世界を垣間見て、治翠は優しく笑った。
次第に、二人は穏やかな眠りに落ちていく。
微睡んでいく思考。なずんでいく視界。
夢の中で見る夢。――それはとても優しい、世界の夢だった。
目覚めた後は変わらない日常に戻るとしても、今だけは。
(……もう少しだけ、優しい夢を)
目覚めたら、夢のような夢の断片を思い出して、花飾りを買いに行こう。金の花と銀の花、そして蒼。夢は夢、形無き物、確りと覚えてはいないけれど、残滓を掬って今を紡ぐのだ。
◇
宴も終幕。
眠りに落ち始めた皆にそっと毛布を掛けて遣って、一息。
最後の散策に出た美薙はふと足を止めた。
「寒梅かとおもうたら、これは桜か?」
華時雨、舞い散る花びらは雪のよう。
深々と花びらを落とし、小さな湖に波紋を作る。
水面は桜の花びらで白く染まっていた。
「よもやこんなに早い花見になるとはな。夢幻でも桜はやはり美しいのぅ」
桜の雨を降らせる大樹を見上げながら、美薙は夢心地で息を吐いた。
こんなに楽しくて穏やかでも、夢にはいつか終わりが訪れる。
儚く散りゆく、桜のように。
こうして酒を酌み交わし語り合う――それが現実では有り得ないからこそ、夢が眩しいと思った。
花を愛でる美薙の傍らには、いつの間にかアルドラが立っていた。ハナミズキの簪をさした彼女は、普段より大人びて映る。
「もしこの花が、各々の心を映すものだったりしたのならば。……皆の花は、どのようなものじゃろうのぅ」
湖に映る自身の姿を見詰めながら、美薙は誰にともなく呟いた。
その言葉に、アルドラは凍えそうな程冷えた銀の華が一輪だけ咲いていた姿を思い出していた。ひとしずくの露を湛えて風に揺られていたそれ。
「きっと皆、――綺麗だ」
明瞭で、けれど切なさを孕んだ声でアルドラは言う。
美薙が静かに視線を上げると、月は変わらず皓々と輝いていた。
治翠、雪人が二人並んで座ったまま。そしてすっかり眠りこけたグィドの隣には並んでルクワートが猫のように身を丸くして横たわっていた。キョウコとウヅキは冴弥を囲んで花畑の中心で、古代と胡桃は樹に凭れ掛かって二人仲良く寝息を起てる。その輪から、いつの間にかアベルは姿を消していた。
「さて、あたし達も眠るとしようかのぅ」
「ああ――」
名残惜しいが、長居は出来まい。夢には終わりが、そして終わりの次には始まりが待っている。たとえそれがどんなものであろうと、前へ進む、それが生きるということ。
二人は目を瞑り、花の芳香を確かに感じながら、ゆっくりと意識を手放した。
●夢々酩酊
――ああ。夢を見ていたような気がする。
古代は見慣れた天井に目を細めた。
「なんか、変な夢見た……?」
顔を見合わせれば、愛娘、胡桃もどうやら同じらしい。
いつもと変わらない朝の眩しさにその内容はすっかり忘れてしまったけれど――何所か一つ腑に落ちたような気分で、古代は口の中に残る不思議な甘みを噛み締めた。