●マリアのむすめ
肌寒くも晴れ晴れとした青空。ひとけのない街路。その脇道、潜む毒の存在を彼らは知った。
撃退士たちがその場に足を踏み入れたのは偶然だった。戦闘とは縁遠い軽い依頼を終えての帰り道、悲鳴を耳にした八人は迷わず路地へと駆け込んだ。
――よくある、と言えばよくある光景だった。
薄暗い寂れた路地。もう使われていない看板や電灯、縦横無尽に伸びる配管パイプ、高く積み上げられたコンテナなど、遮蔽物がひどく多い場所だった。澄んだ蒼さが隠されてしまう程に、路地から見上げる空は狭い。
そんな見るからに廃れた場所で、ディアボロ四体とひとりの女性が対峙していた。ドラマや映画でよくあるワンシーン。バケモノに襲われる女性と、それを救いに現れた撃退士。だが。
ひとつだけ見慣れない点があった。白い烏、白い大蛇、白い獅子――そして、その獅子の上にはひとりの少女が騎乗していた。その表情は突如現れた撃退士らに驚き、動揺し、戸惑いが滲んでいる。
「何や、どういう状況や?」
場の膠着を裂くようにゼロ=シュバイツァー(
jb7501)は言い、女性と少女を見比べた。ディアボロからは女性への明確な敵意が立ち上っており、対する女性は怪我こそ無いにせよ強い動揺と緊張が見て取れた。
「あ――あんたたちには関係ないわ! 怪我したくなかったらどこか行きなさいよ! ディアボロに殺されたくないでしょう!?」
少女の声は震えていた。獅子に確りとしがみつき、脅え怯むような佇まい。それでも気丈に、そして高飛車に振る舞う姿に、様子をつぶさに観察していたアルベルト・レベッカ・ベッカー(
jb9518)は違和感を覚えた。少女は悪魔や天使の類では無さそうだが、状況で判断を行えばディアボロを指揮しているように見える。
「あの娘は――、あの娘は私の娘なんです! あの子を傷を付けないで……!」
必死な顔つきでそう言った女性は、手にしていた魔具――魔法書を握り締めたまま少女を心配そうに見詰めていた。蛇の睨みも、獅子の咆哮も、烏の嘴の恐怖も効果は無いらしい。女性に在るのは母親としての強い想いだけ。
「娘さんですか……。ならば事情を聞く為にも極力傷付けず保護しましょう」
安瀬地 治翠(
jb5992)は言いながら、女性とディアボロとの間に浮遊する盾を滑らせ庇う姿勢を取った。
「あなた方も撃退士……ですか?」
「そうだよ。だから安心してね」
青銅の紋章を手に顕現させ、Robin redbreast(
jb2203)は素早い動作で前線へとその身を滑らせる。年若い少女。けれども撃退士であるということが判るその光纏が、同じく撃退士である女性の心を揺らした。
「私もディアボロの排除を手伝います! それに、あの子と話を――」
「あなたの名前は? それから、あの子の名前も」
「え……」
前に出ようと勢い付く女性を、Camille(
jb3612)は質問で留めた。それに対し一瞬戸惑いを見せる彼女だったが、ある程度は落ち着いた歳の大人だ。質問には丁寧に答える。女性の名は若里美咲。そして、少女の名は若里鈴と言うらしい。
「そう、ありがとう。それで――ディアボロはあなたを狙ってる。つまり、あなたの娘はあなたを傷つけようとしてる」
「はい、」
「だからあなたが近づくと、彼女は興奮してしまうかもしれないし、あなたが傷ついたら、親子関係修復が難しくなるんじゃないかな」
カミーユの進言は正論だった。今、鈴はひどく興奮している。それは手に取るように判る。そんな状態の鈴の前に、彼女の行動目的である美咲が無防備に姿をさらしたらどうなってしまうか。
「だから彼女の確保は俺たちに任せてもらって、あなたは自身の身を守ることを優先してもらいたい。それが最終的に、彼女の心を守ることにも繋がると思うから」
「……そう、ですね」
大人しく頷いた美咲を庇いつつ後方へと下がる。鈴含むディアボロたちの攻撃が当たらないよう、範囲の外を意識した。
そうしてカミーユは阻霊符を取り出し、アウルを篭めて発動させた。
(ディアボロを貸し与えた黒幕が、どこかで見物しているかもしれない。――ディアボロは鈴じゃなくて、黒幕の指示に従ってるだけかもしれない)
念には念を。
ディアボロは何も無い所からは生まれない。
裏で糸を引く悪魔が存在している筈だった。
そう考えるのは、皆同じ。
「あの娘に怪我はさせないようにしよう。アンタは下がっていてくれ」
ディアボロの狙いは母親、美咲。そう読んだチョコーレ・イトゥ(
jb2736)は彼女にそう告げると、凹凸や看板等で遮蔽物の多い壁に着目して足許にアウルを集中させた。
「随分派手な親子ゲンカやなぁ」
率直な感想を口にしながら笑うゼロに、切羽詰った表情をしていた美咲が頬を弛めて吹き出す。そうですね、と笑う彼女は僅かながらも緊張がほぐれたらしい。
翼を広げ宙空に舞い、適当な足場を捉えるとゼロは大鎌を携え、看板のひとつに留まる白い烏に狙いを定める。地上に比べ上空は障害物の多さで狭過ぎる為、機動力が大きく削がれるのが難点か。
壁を這い地を這い、縦横無尽に移動する白蛇が目に痛い。
白獅子は場の空気が変わったことに気付いたのか、大きくひとつ唸り声を上げた。
「……っ、何でジャマするのよ! 私ばっかり!」
ディアボロの庇護を受ける少女は癇癪めいた声で喚く。
数で言えば撃退士側が多勢だ。元は鈴自身が母親に強いていた状況だが、逆転してしまえば恐怖と怒りしか沸いて来ない。
――烈火の如く憤怒した鈴は、ディアボロを指揮して咆えた。
それが、戦闘開始の合図となった。
●惑うゆび
持前の機動力と俊敏さを以て空中を戦場に選んだゼロだったが、この空間では些か分が悪いようにも思えた。的が小さく、得物を振るおうにも動きが制限されてしまう。
烏はパイプのひとつに留まっている。接近に気付くと、愛らしいとも言える黒い眸を瞬かせ、ゼロを見た。
「さて、俺も速さには自信あるねん。どっちのカラスが早いか比べてみるか?」
言うが早いかゼロは壁を蹴り跳躍、具現化させた鎌を振り抜き烏のいる空間を斬り裂く――が、手応えはない。
見ればパイプからその身を落とし、烏は攻撃を回避していた。ひらりと空を舞う動作に無駄はない。そのサイズも手伝って、狙いをつけるのは少々厳しそうだ。
「ちょっと――遣り辛いわね」
レベッカは小さく呟き、構えた小銃に光のアウルを篭めて発砲する。
場は狭い路地だ。射線を通し易い場所はほぼ無さそうだった。足場を利用し上から狙おうにも、至る所に伸びている配線や大きなパイプが邪魔をする。
未だマシだろうと見たコンテナの上から仕方なく撃ったが、それもまた外れ。頭部狙いは難しい。相手は止まっているわけではない。俊敏に動き、そして遮蔽物も多くある。その状態で頭部を射ることが如何に難しいかは、レベッカも感覚で判る筈だ。
「残念。でも、次は外さないわ」
つとめて冷静に、確実に。
癇癪を起こす鈴とは正反対の思考で、けれど彼女の思考をなぞるよう、情報の整理を行う。
――娘が母親を襲う。
このおかしな状況からして、鈴が美咲に対して負の感情を抱いているということは明白だった。
どんな理由であるのかは、未だ判らない。けれども、母親を護衛するカミーユがある程度の話を聴き出すだろう。
不意に白烏がはばたきの軌道を変え、目にも留まらぬ速さでゼロの眸を狙った。その速度はまるで白い弾丸。鋭い嘴が抉るように進む一撃、まともに当たればただでは済まない。
「やりおるなぁ」
が、ゼロは軽い身のこなしで直撃は避けた。烏の鋭い一撃はこめかみの辺りを掠めるだけに留まり、垂れ落ちる血を拭ってゼロは笑う。傷口から滲む痺れのような感覚は、容易く払い落とせた。
血に染まる嘴を持つ烏が、かあと鳴いて手狭な空を旋回する。
「何かが裏で動いているのか?」
長い身体をくねらせ向かってきた白蛇と対峙しながら、アルドラ=ヴァルキリー(
jb7894)は眉を顰める。
洋弓を引き絞り、地を奔る蛇に撃つ。星の燐光を纏うその矢はしかし地に刺さり、霧散した。不規則な動きで這う蛇は俊敏で、狙いを定め辛い。
「多感な年頃だろう、親の意思を子は誤解し易い。双方の意思を汲んでやれれば尚良いのだが」
次なる矢を番えようと構えたアルドラの許に、もう一匹の蛇が奔る。
足許を狙って這う白蛇が、アルドラのバランスを崩させた。思わずたたらを踏んだ彼女が、態勢を持ち直そうとした所で蛇はその腿に牙を立てようと鎌首を持ち上げる。
牙がやわい肉に喰い込まんとする瞬間――にぶい金属音。
「させませんよ」
「……む、すまない」
大蛇の口が開かれた瞬間、すかさず予測防御で回り込んだ治翠が攻撃を食い止めた。
盾に咬みつく大蛇の間抜け面は隙だらけ。治翠は両手を帯電させるや否やその体躯を攫み一気に雷を流し込んだ。雷撃を受けた蛇は暫し身を痙攣させ、その後くてりと動かなくなる。時折跳ねることから息はあるようだが、スタンで動きを封じることに成功した。
「そのディアボロはどうしたの?」
ロビンの澄んだ声が場に響いた。彼女は紋章を携えて、意識を失った蛇の頭部を容赦なくぶち抜く。その片手間に、ロビンは次の質問を鈴に投げ掛ける。
「なんでお母さんを襲ってるの?」
ぶちぶちと繊維が裂ける音がして、ダメージを負った蛇は二つに分裂した。裂けたそばから増殖していくさまはおぞましささえ感じるが、ロビンは何も気に留めていない。獅子に隠れる鈴を真っ直ぐ見詰めて、小首を傾げた。
「……あ、あの女が悪いのよ! それに、お母さんなんかじゃない!」
「そっか、お母さんが嫌いで、見返したいんだ」
「っ!」
図星。鈴の顔が露骨に引き攣った。
少女が何事かを喚くと、白獅子はロビンの姿を視界から掻き消すように白い焔を広範囲に放つ。無論、あくまで威嚇でしかないそれはロビンを燃やすには至らず、辺りの瓦礫が焦土と化すのみ。
「あ゛〜…反抗期ってヤツかねェ」
親娘。その単語を耳にした法水 写楽(
ja0581)は頭を掻き、ディアボロに縋りつく鈴を見て目を細める。
「ただ、ブッ斃して終わりってワケにゃいかねェからな……ったく、とんだ反抗期だぜ」
白蛇一対が散開してやや開けた通りを駆け抜けた写楽は、両手に銃を携え無造作に獅子を撃つ。
悪魔が関わっているのは明白だろう。そうなれば、鈴とディアボロが何らかの形でリンクさせられている可能性もある。その危険を考え、獅子に直接当てるのではなく、掠める程度の位置を狙って弾丸を放った。
「取敢えず……最終目的、そこの敵を指揮している嬢ちゃんの確保」
目論み通り写楽の放った弾は白獅子を僅かに掠め――そして、鈴には何の変化も訪れなかった。直接では無いにせよ攻撃を向けられたという事実に彼女の表情は引き攣り怯んでいたようだったが、痛みに顔を顰めるなどといったことはない。
戦闘慣れしていない極普通の少女。それが、写楽の感じた鈴への感想。
その少女に武器を与えた者が他にいる。それは確かな事実だった。
「事情がよくわからんな。親子喧嘩はよくある話だろうが、ディアボロまで使って、というのは人間界では早々ないだろう」
壁を駆けて蛇の許に向かうチョコーレは、怪訝にそう呟いた。
同様に壁を這い上がる一匹を捉えると、手にした金属糸で白蛇の長い体躯を絡め取る。するりと抜け出さんと伸びた蛇はしかしその糸に締め上げられ、あろうことか糸の絡まった箇所から二つに分割された。地に落ちた頭はそこから尾が生え、壁に這う身体は刈り取られた箇所から頭が生えた。
「ふん。攻撃で増える敵……少々骨が折れる、か」
特に驚くでもなく言うチョコーレの足許を、蛇がすいと抜けて行った。
母親である美咲を狙っているのだろう。彼女も撃退士であるとは言え、出来る限り戦闘は避けさせたい。
その考えは皆同じ。分裂し攻撃を分散させ始めた白蛇に上空から気付いたゼロは、看板を蹴り付け急速落下すると蛇の行く手を阻むよう壁に鎌を突き立て強く睨めつけた。
「通せんぼ、ってなぁ」
状況把握と連携封じは常にゼロの思考の中に。
白蛇の向かわんとする先は撃退士らにとっての背後、位置取りが不利になるのは避けなければならない。敵の数が多ければ多い程、視野は広く持つべきなのだ。
「厄介だな。分裂させ纏めて倒せば或いは、と思ったんだが」
アルドラはアテが外れた、とばかりに呟いた。敢えて分裂を誘ってファイアワークスで纏めて爆ぜさせる――そう考えていたものの、削り切れずにいる。
縦横無尽に這い回り、場を攪乱する白蛇。頭数を減らさないことには話にならないが、如何せん素早く、早い逃げ足の所為で攻撃を当て辛い。
動きを止めようにも、攻撃が当たらなければ意味が無い。
背後から爆発に紛れて近付いた一匹がアルドラに足許から巻き付き、その四肢を激しく軋ませた。
「がっ……!」
骨が肉が内臓が軋む軋む軋む。鋭利な鱗が皮膚を裂いて血を迸らせ、強い締め付けはアルドラの自由を奪い呼吸も奪う。次第に色を失っていく唇からは、鮮血が溢れ出す。
治翠やチョコーレがカバーに入ろうにも、蛇に攻撃をすればアルドラにも衝撃がいく可能性のあるこの状況では実行に移せない。出来ることと言えば、彼女の周りに追い打ちをかけんと這い寄って来た蛇を蹴散らすことだけだ。
コンテナの上方から戦況を見るレベッカは、見て取れる若干の不利に眉を跳ね上げる。
白蛇は一定のスピードで増殖し続け、地上の仲間は苦戦を強いられている。このままでは路地は蛇のプールになってしまうかも知れない。
獅子はと言えば、写楽が対峙しているものの、これといった一手を決められずにいる。それもその筈、獅子はひどく耐久に優れており、更には一撃も重い。辛うじて避け続けている写楽だったが、あの牙や爪が当たれば一溜りもないだろう。
この状況で鈴が攻撃に出ないのは、未だ躊躇いがある所為か。
そこまで分析したレベッカは、改めて目の前の敵、白烏へと目を据える。
「早く堕ちなさい――よね!」
次なる弾は、ヘッドショットではなく胴体狙いの光の一撃。とは言え、元々の的が小さい上に素早い烏。手練れのインフィルトレイターであるレベッカの狙撃を以てしても、ちょこまかと躍る烏の胸元の羽毛を掠めるだけに留まった。しかし、命中は命中。幾許かの羽毛が舞うと同時に、黒い血液が若干だが飛び散った。レベッカがアウルを篭めたスターショットはカオスレート差大、掠めただけでも痛手の筈だ。
遠巻きに戦闘の様子を見守りながら、カミーユは美咲を落ち着かせるよう専念していた。
美咲が飛び出したら、直ぐに追えるよう。
敵が美咲に向かってきたら、阻めるよう。
宥める言葉を投げかけながら、カミーユは美咲を庇うよう矢面に立つ。
「彼女がどうやってディアボロを率いているのかは分からないけど、黒幕の狙いは、彼女にあなたを傷つけさせることなんじゃないかな」
「……悪魔であれば、やりそうなことですね」
悲痛そうな声。我が子が悪魔に誑かされたとあれば、当然の反応だろう。
「そんな悲観しないで。あなたが無事でさえいれば、後で彼女と話し合うことができるんだから」
それも尤もな話。先ずはこの状況を片付けなければならない。
カミーユの言葉に、美咲は静かに頷いた。
戦局が難航しているのは撃退士である美咲には直ぐ判ったが、八人の撃退士を信じて大人しく待つことに彼女は決めた。彼女は物分りの良い大人で、社会に出ている撃退士だ。
カミーユは彼女が落ち着きを取り戻すと、他愛の無い世間話をするかのように事情を聴き始めた。
「何か親子関係が拗れるようなことがあったの?」
この質問で得た答えは幾つもあった。
彼女たちは義理の親子であるということ。
実の母親は彼女の妹で、随分昔に父親と共に天魔に襲われ亡くなってしまったということ。
鈴は美咲に懐かず、それでも美咲は鈴を彼女なりに愛した。けれどその想いは伝わらず、反発されてばかりだということ。
「感情の行き違い……かな」
「……はい」
カミーユは遠目で判る鈴の面立ちを見ながらそう言った。
感情を持て余して、感情に呑まれて、揉みくちゃになってしまっている娘。
きっと寂しいのだろう。きっと辛いのだろう。そういったことは直ぐに判った。両親を亡くした子どもというのはいつだって理不尽で、そして世界にもその理不尽さを感じている。
美咲の表情はひどく疲れてはいたが、子を心配する母親そのものの顔だった。
「お互いに、本当の親子じゃないからって、どこかで一線を引いて、本音で話せてなかったのかも」
本音で話し合えなければ、本当の親子だっていつかは破綻する。
カミーユの言葉に美咲は表情を曇らせ、項垂れた。それは肯定。
「まずは確り叱って……それから彼女の話しを聴いて、本音で話して」
不安げな顔をする美咲を見返し、カミーユは「大丈夫だよ」と明るく笑う。
若い母親。実の子どもすら持っていないのに、たったひとりで義理の娘を育てる苦労と決意は想像以上だろう。
カミーユはその肩をぽんと軽く叩いて、迫り来る白蛇と向き直る。
「親子喧嘩にしてはちょっとスケールが大きいけど、何とかするよ。それに……あなたは、誰かに頼るのも必要なんじゃないかな?」
巻き付いていた白蛇がアルドラを解放すると、彼女は気絶し冷たい地面に倒れ込む。それを見た美咲がカバーに向かおうとするのを制し、カミーユは飛び付いて来た白蛇に、カウンターで掌底を見舞った。
●Sweet trick 01
氷の夜想曲。ロビンは自身を中心とした周囲に凍てつく氷の空気を纏わせ、分裂していく蛇たちを巻き込んだ。数匹の蛇は眠りに落ち、数匹の蛇は辺りを這い撃退士に狙いを定める。
アウルの奔流が収まった後、ロビンは又も鈴に話し掛ける。
義理とは言え母親を狙う理由。ディアボロの入手方法。他にも聴きたいことは幾つかある。
話を合わせ、喋らせ、そして隙を作らせる。
「お母さんを殺したいの? お母さんに参りましたって言わせたいの? お母さんによくできましたって言われたいの?」
「やめ……お、お母さんなんかじゃ……」
可愛らしい声で、けれど淡々と言い連ねるロビンに、鈴はたじろぎながら言う。それでもロビンは追撃を弛めない。
「お母さんに強くなれって言われたから強くなりたいの?」
「違……」
「お母さんが鈴の希望通りにしたら攻撃やめる?」
「……っ」
鈴の動揺は火を見るより明らかだった。
目が泳ぎ、唇は蒼褪め、今にも泣き出しそうだ。
ロビンの言葉に揺り動かされ、視線は美咲へ向いている。
確かな隙。捕縛、もしくは投降が望めるかも知れない。
そう思った時、不意に甲高い声が周囲に響いた。
『オカアサン! オカアサン!』
唐突に聴こえた、奇妙な声に一同は顔を上げた。
『オカアサン! オカアサン!』
くるくると巧みに、そしておちょくるようにゼロとレベッカの攻撃から逃げ回る烏。まるでインコやオウムのように、耳障りなまでに高い声を発していた。飛び散る血飛沫が点々と烏に黒い染みを作る。
「何や、これ」
『チガウチガウチガウ! オカアサンジャナイ!』
今度は低く響く獅子の声。どこか機械めいたそれに撃退士らが違和感を覚えるより先に、鈴が悲鳴を上げた。
「ああああああああ!」
「鈴っ……!?」
「大丈夫だよ。……でも、妙だね」
娘の叫び声を耳にしてすかさず駆け寄ろうとする美咲を、カミーユが押し留める。そして、鈴の身体に外傷が何もないことを確かめると母としての気が逸る彼女を宥めながら伝えた。
『ツヨクナリタイ』
『ツヨクナレナイ』
数匹の蛇が揃って鳴いた。そこまで行き着いて、鈴の様子と合わせて撃退士らは理解する。――これらすべては、鈴の言葉そのものであるのだと。
「黙って! 黙りなさいよ! やめてよ!」
顔を真っ赤に染めながら獅子の毛を強く握り威圧する鈴だが、それ如きでディアボロが留まるわけがない。
「あの悪魔の女っ……! 何よ、最初からっ……」
「悪魔の女?」
毒づきに対し鸚鵡返しに尋ねるチョコーレを、鈴はきっと睨み付けた。
「そうよ! 力をくれるって言ったのに、こんなっ」
「成る程。悪魔から助力を得て、ディアボロを利用しているのだな」
チョコーレの冷静な指摘に、鈴ははっとして口籠る。
今はこれだけ情報が入れば十分だった。この調子なら、後から幾らでも引き出せるだろう。
――ディアボロを倒し、鈴を捕縛することが叶えば、だが。
攻撃を受けた個体を狙って仕留めんとする治翠を茶化すように蛇は頻繁に位置を変え伸縮し、攻撃を逃れる。
白蛇の行動パターンは、正しく攪乱。撃退士側からの攻撃を分散させるよう散り散りになって動き、壁も地も、すべてを使って行動範囲を広げる。数が増える敵を相手取るのであれば、臨機応変な連携は不可欠だったようにも思える。
白烏は、時間さえ掛ければ撃ち落とすことが出来る。そう、ゼロとレベッカは確信していた。烏の攻撃は素早く精度も高いが、特別重くはない。二人で纏めて仕掛ければ、稀に当たる。事実、白烏は重なる攻撃で徐々に動きが鈍くなってきていた。
そして白獅子は、と言えば。
「嬢ちゃんはブッ斃したりはしねェよ。嬢ちゃんは、――な」
「……っ、来ないでよ!」
写楽は獅子の攻撃を利用し、距離を詰めて対峙していた。
獅子の攻撃は爪と牙、そして焔。攻撃よりも回避に専念していた写楽は、掠る程度の被害で済んでいる。とは言っても、獅子の攻撃は相当に重い。じりじりと削られている写楽の身体は傷だらけだった。
鈴は写楽を攻撃せずにいた。魔法書を手にしていたものの、怖気付いていたのだ。
だが。
悪魔がディアボロに施していた悪戯は、悪魔にとっても予想外の効果を与えた。
「来ないでって言ってるでしょ……!」
ディアボロの哄笑にも似た斉唱は、鈴の感情の臨界点を超えさせた。
キャパシティ・オーバー、とどのつまり逆上だ。
鈴は写楽に向かって魔法書を振り翳し、そして迸る電気のアウル――スタンエッジを放つ。
白獅子を警戒していた写楽は、鈴の魔法を避けられない。
「――くッ」
「あ……」
鈴の放った雷撃を受け、膝を折り倒れ込む写楽。とは言っても致命傷ではない。スタンエッジ、その効果によって眩暈を起こして倒れただけだ。攻撃が命中したこと、それによって人の自由を奪ったこと、それらに戸惑いを露わにした鈴は、咄嗟に獅子から降りようとした。
――しかし、地に伏すより数秒早く、獅子がその隙を狙って白い焔を放ち写楽を灼いた。
ぼう。
焔は一瞬にして燃え上がり、写楽の全身を包む。茫然としている鈴の目の前で、人の肉が焦げるにおいが広がる。悲鳴すら上げることなく意識を失った写楽が今度こそ倒れ込むと、鈴は蒼白になった。
「――――いやああああああああああああああ!」
鈴の二度目の絶叫。
その声に呼応したように、白獅子は頭を上げて大きく一吼えした。
「法水さん!」
獅子の攻撃の直撃を喰らった写楽が重症だということははっきりと判った。
盾を張り巡らせながら駆け寄った治翠が彼を助け起こすと、意識こそ無くとも息はあることに気付き、無意識に安堵の表情を浮かべる。
それを見ていた鈴はディアボロに攻撃命令を下すでもなく、怯んだ表情のまま唇を噛み締め、それから獅子に震える声で囁いた。
「……逃げよう。逃げて。あの人が死んじゃう」
その声が聴こえたのは、獅子の近くで写楽を庇い介抱していた治翠にだけ。
「待ってください。あなたは……」
治翠が何事かと引き留める言葉をかけようとしたものの、それより先に鈴を乗せた獅子は踵を返した。ゼロがその後を追おうと壁を蹴るものの、その行く手はちょこまかと躍る烏に遮られた。
「邪魔すんなや!」
ゼロは言葉と共に鎌を振り払い烏を見事斬り棄てたが、それは大きなタイムラグとなる。
「逃さないわよ!」
レベッカが瞬時に練り上げたアウルのマーキング。鈴に向かってその弾丸は撃ち込まれ、それに当人は気付くことなく獅子にしがみつく。
ぼう。
幾度目かの焔が上がった。恐らくは追手を防ぐ為だろう。白獅子は振り向きざまに壁や地へ手当たり次第に焔を放ち、通り道を塞いだ。
築き上げられた焔の壁。徐々に火の丈は小さくなるが、立ち込める熱気と煙は視界と行動の自由を奪う。
もやの向こう。鈴を乗せた獅子の背は次第に小さくなり、路地を抜け切った所で翼を広げて空へと舞った。みるみる内に高度を上げる獅子を追うことは不可能だろう。
何より、ディアボロが未だ場に残っている。その上負傷者も出ているのだ、放置しておく訳にはいかない。
――結局、すべてを討伐し終えたのは夕刻になった頃だった。
マーキングの効果は消えて、首謀者・若里鈴は行方知れず。撃退士らは少女の再襲撃の可能性も考え、若里美咲を暫く学園で保護することに決めた。
「鈴、また来るだろうね」
「ああ、そうだろうな。次逢う時は――もっと手荒に応対しなければならんかも知れん」
ロビンが誰にともなく呟いた言葉にチョコーレは頷き、疲れ果て、保健室のベッドで眠りについた美咲を見た。
去り際の鈴の言葉を治翠は仲間に共有したが、彼女の真意、彼女の裏で糸を引く存在については判らぬまま終わった。
――マリア・ベル。マリアの娘。開いてはいけない扉を覘いたのはだぁれ。深淵に足を踏み入れたのはだぁれ。その背中を押したのは、その手に武器を持たせたのは、だぁれ。
●幕間
獅子のはばたきにしがみつきながら必死に逃げ出して、すっかり陽の落ちた郊外、廃墟で鈴は漸くと一息ついた。身体中についた埃や瓦礫の粒を洗い流したいが、それも今は叶わない。
不意に、廃墟内に響く足音。咄嗟に鈴は獅子の影に身を隠すが、顔を覘かせた銀髪の女悪魔――ルクワートに気付くと湧き立つ怒りを露わに立ち上がった。
「馬鹿悪魔!」
「はあいスズちゃん、こんばんは」
スカートの裾を摘まんで会釈する暢気な挨拶に、更に怒りが倍増した。感覚的には八つ当たりにも似ている。母親と二人で対峙するつもりが、要らぬ横槍が入って、ろくな会話も出来ずに終わってしまった。それに、人を傷付けた。母を傷付けるつもりでディアボロを率いたのに、他人を傷付けた。それらの事実が頭を巡って、パンクしてしまいそうだった。
「あんた、何よ! あんな細工してっ……」
「あ、ばれちゃったあ。悪戯だよ、面白くなかった?」
「面白いわけないでしょ! 最低よ! あの女だって逃しちゃうし……!」
逃がしちゃう、と言葉にすると、ひどく虚しくなった。
結局逃げ出したのは自分だった。庇護されたのはあの女だった。
鈴は負け犬だ。そして同時に、人を傷付けた犯罪者でもある。
あの時もっと対話が出来ていれば、後戻りすることも出来たかも知れない。けれど、もう遅い。親子喧嘩の枠はとっくに踏み抜いた。そう、鈴は気付いてしまった。
「じゃあもうやめる?」
「まさか!」
どこかわくわくとした表情で尋ねたルクワートに対し、少女は強く否定した。その瞬間、辺りの温度が少しばかり下がったことに、取り乱している鈴は気付かない、気付けない。
「次のディアボロをちょうだい。細工もしないで。もっともっと強いやつ。――……もう決めたの。あの女を殺すんだ」
「なぁんだ、やめないの……」
鈴の決意を孕んだ台詞を大して興味がないといった風に受け流したルクワートは、ちいさくため息を吐いて肩を落とした。
獅子の横で丸くなってしゃがみ込む鈴を一度見て、彼女は踵を返して外へと向かう。
「やっぱり、我儘な子はきらぁい。アベルを困らせる子は――どうしちゃおうか?」
蒼の眸に映る月は、真ん丸望月。
無垢の狂気を孕んだ問いは、空を巡って答えも無く草原に転がった。