.


マスター:相沢
シナリオ形態:ショート
難易度:普通
参加人数:6人
サポート:1人
リプレイ完成日時:2014/12/20


みんなの思い出



オープニング

●泡に紛れて
 水の中、声を失くして泣いているのは誰?
 我儘な誰かさんを護りたい、君は騎士。

●きみは毒薬
 雲一つない星空。部活で遅くなってしまった帰り道、近道をしようと思って横道に入る。
 そこで私は、見知った顔を二つ見付ける。
 ――先生だ。そう気付くと私はすぐ、スマートフォンを取り出していた。
 繁華街の裏道。ただ先生が歩いていたのなら、別に私だって携帯を急いで取り出したりしない。先生が、学校の××先輩と一緒に、歩いていた。ホテル街。看板をくぐって出て来た二人。それから、先生は財布からお金を取り出して、先輩に渡した。
(援助交際だ)
 直ぐに判った。テレビで見たことがある。テレビでしか見たことがない。
 震える手で携帯を握り締めて、シャッターボタンを押す。何故そうしたのかは判らない。写真に収めてしまった。写真に残してしまった。誰に見せたいわけでもない。誰に見せるわけでもない。勿論、よくある脅しとか、そういうのに使いたいわけでもない。ただ、手が勝手に動いて――そう、止めさせなきゃ、と思ったのだ。いけないこと。悪いこと。
 それは正義感だ。私の胸を占める想いは正義感と――多大なるショック。尊敬している。敬愛している。そんな先生がまさか、援助交際を行っているなんて。しかも、学校の先輩と。
 ショックだったし、正直、幻滅した。でも、だからこそ止めさせなきゃいけないと思った。先生がいつか言っていた、悪いことをした人間は、更生するチャンスを与えられるべきなんだって。だから、罪は償うことが出来るんだって。
(――高崎先生)
 私は胸の中でひっそりと先生を呼んで、急いでその場を後にした。
 スマートフォンは、鞄の奥底に仕舞い込む。誰にも見せられない、見せちゃいけない。
 ただ、先生が認めてくれるように祈って――、ちょっとした、そう、保険になるかも知れないと思った。悪いことを先生はしているけど、それに気付く切欠になれるんじゃないかって。
 私は期待していた。望んでいた。夢をみていた。
 だって、先生だ。高崎先生は、私の憧れの先生だ。きっと応えてくれるに違いないと思って、私は夢をみていた。
 それに――もしかしたらこの写真だってほんとうは何かの間違いで、笑い話になるんじゃないかって、期待してた。先生が笑って、あれはこういうことなんだよって言って、私を叱ってくれるんじゃあないかって。

 ――夢を、みていた。どうしようもなく、甘い夢。

 翌日、私は部活が終わった後に先生を呼び出した。学校の屋上、夕焼けが綺麗。
「水月、どうしたんだ、相談したいことって。好きな男子でも出来たのか?」
 冗談っぽい口調で、やわらかな笑顔を向けて来る先生。
「先生」
 眼鏡越しの眸は、いつもみたいに真っ直ぐだった。
 先生はおとなで、私は子ども。先生は先生で、私は生徒。
「私、見たんです。援助交際……なんて、止めてください」
 私は率直に言った。流石に”援助交際”の声は小さかったけれど、はっきりと言った。
 その瞬間、先生の目が丸くなる。それから、吹き出して笑う。
「何言ってるんだ、水月。私が援助交際? 冗談きついぞ」
 ああ。
 先生なら認めてくれるかも知れないと思っていたけど、違った。
 ショックだ。でも、私は言わなくちゃいけない。
「……S町の繁華街で、きのう見ました。××先輩にお金を渡してるところ」
「…………」
 先生が無言になる。初めて先生が怖い、と思った。でも、私は続ける。
「それに、証拠だってあるんです。先生、お願いです。あんなことはもう止め……」
「水月、脅すつもりか?」
「え?」
 唐突に、世界が反転した。痛い。
 先生に髪を攫まれているということに気付いて、私は吃驚した。引き攫まれた髪がぶちぶちと抜けて、私は思わず声を上げる。鞄がどさりと屋上の床に落ちて、重い音を起てる。
「せんせ、い、痛いっ」
「――お前は私を脅すつもりか! 金が欲しいのか!? それとも何だ、成績か!」
 それは初めて聞いた怒号だった。いつも穏やかで静かな先生が、私を怒鳴りつけている。低い声、連なる罵声、髪が引き上げられて、無理矢理に上を向かされた。
「証拠がどうしたって? お前みたいなガキが脅そうなんて――――おい、聴いてるのか!」
「せんせ、せんせいっ……?」
 先生の目は血走っていた。はっきりと判る。これが殺意というものなんだと。肌がびりびりと震える。ああ、先生の吐いた唾が頬に飛び散る。やめて。先生、やめて。
「水月ぃ! お前はなぁ、身の程を知れ! 高校生の分際で私を脅そうなんて考え、改めろ! お前がそう言う考えなら私だって――」
 先生はそう言って、私の制服のタイを片手で攫んだ。

 ――そこから先の記憶は、ほとんどない。

 先生が私をぶった。何度も何度もぶった。それから、千切れたタイが私の首に巻き付けられて、息が出来なくなった。声が出なくて、涙しか出なくて、私は次第に意識を失っていった。



 教師は肩で息をしながら少女を担いで、貯水タンクの中に投げ入れた。
 どぼん。水音。
 それから教師は眼鏡を外し、汗を拭う。眼鏡にも水が飛び散ってしまった。ワイシャツの襟で拭う。
 ――そこで、ふと少女が落とした鞄に気が付く。証拠がどうだとか言っていた。そうだ、何が証拠だかは知らないが、消さなくては。
 鞄に手を伸ばそうとしたところで、教師は目を丸くする。貯水タンクから、頭が覘いていた。あたま。人間の、頭。
「は……?」
 確かに殺した筈だ。殴った。首を絞めた。そして死んだ。その筈の少女の頭が、こちらを見ていた。血の涙を流しながら、こちらを見ている。
「なっ……」
「きみは、報いを受けなくちゃいけない」
「……!?」
 教師が声に振り向くと、いつの間にか金髪の男が立っていた。
 何者かは判らない。判らないが、逃げなくてはいけない。そう思った。鞄も何もかも置いて、教師はその場から駆け出した。ドアは開く。階段を駆け下りる。早く、早く、早く逃げないと、殺される。そう、本能的に感じ取った狡賢い教師は、最良の選択をした。
 その場に取り残される、”遺体だったもの”と、金髪の男。
「……ごめんよ。俺にきみを救うことは出来ないんだ」
 男――アベル(jz0254)は申し訳無さそうに呟いて、貯水タンクから這い出て来るディアボロを痛ましげな眸で見詰めた。

●ゆめに溺れた人魚姫
「依頼だよ。場所はS高校。通報者は学校の事務員で、事態はよく判んないことになっちゃってる。……ディアボロ、そしてヴァニタスアベルの関連する事件だってことは確かなんだけどさ」
 キョウコは言いながら一通の書簡をデスクに置いた。そこに記されているのは、『人魚姫』のイラストと、その名前。救済を謳い、求める冥魔からのものであると、知っている者は一目見て判る。
「何のタネが在るのかは判らない。でも、不可解な点が多いのは確か」
 言いながら広げられた書類には、細かな情報が記載されていた。
 ――出現したディアボロは、”タカサキセンセイ”と呻きながら彷徨っている。
 ――水のヴェールが学校の出入り口を覆っている。が、出入りに支障はないようだ。
 ――但し、一名の男性教諭のみが取り残されており、迅速な救助を必要としている。
「私らは私らで、出来ることをする。……それだけ。ね」
 沈黙。そして、間を置かずに撃退士らは立ち上がり、急いでその場を後にした。


リプレイ本文

●人魚姫と王子様
 撃退士らが学校の敷地に入ると、それの存在は直ぐに判った。
 校舎一面に張り巡らされる水のヴェール。大きなドーム状で、まるで結界だ。屋上までもを覆っており、たとえ救助者が屋上にいたとしても、空から救い出すことは不可能だろう。
「アベルと誰かに執着するディアボロ、ですか」
 また”悲劇”が起こった。そう理解するには十分だった。安瀬地 治翠(jb5992)は目を一度伏せてから、駆けて校舎へと向かう。
「ディアボロの張った結界から出られないことと、『タカサキセンセイ』の呟きを考えるとディアボロと高崎先生には何かしら繋がりがあるのかもしれません……考えるのは後ですね、今は急がないと」
 憂いを帯びた眼差しで言うユウ(jb5639)を尻目に、アルドラ=ヴァルキリー(jb7894)も短く「ああ」と呟いた。
 これまでの事件から、何故ディアボロが彼を追うのかは想像がついていた。強い執着を抱いているに違いない。そも、ディアボロというもの、ヴァニタスというものはそういう風に創られることが多い。自身が悪魔であり、アベルに纏わる依頼に関わっていたアルドラはそれを理解していた。
 事前に入手していた要救助者――高崎誠の電話番号に円城寺 遥(jc0540)がコールすると、妨害も何も無くあっさりと繋がった。
「も、しもしっ」
「あんたが高崎誠さんか? 久遠ヶ原の撃退士だ。学校の依頼を受けてあんたを助けに来たぜ、今何所に居る?」
 淡々と告げるのは、落ち着かせる為でもある。相当動揺しているらしい相手は、しどろもどろに言葉をまごつかせている。
「わ、私はっ、屋上にいて! それで、あいつが! 来てっ」
 あいつ。それが高崎を狙っているディアボロだということは直ぐに判った。急がねば、間に合わなくなるかも知れない。
「――判った。出来るだけ逃げ続けてくれ。直ぐに向かう」
 場が屋上であると判れば、そこに向かうのは簡単だ。今回撃退士には翼を持つ者が四人いる。つまり、屋上に向かい、仲間を抱えて飛行すれば良い。そうすれば直ぐに着くことが可能だ。
「急ぐとしましょうかねぇ。どうやら奴さんと教諭はもう遭遇しちまってるみたいでさ」
 百目鬼 揺籠(jb8361)は屋上を見上げ言い、布にアウルを纏わせる。妖、紛い物。創り出された一対の大翼は、大きく広がり治翠を抱えるとふわりと宙に浮いた。
「――さてはて。鬼が飛べねぇなんてのは、一体誰の戯言で?」
 救出者の恐怖を拭う為にロングコートを纏ったチョコーレ・イトゥ(jb2736)は同じく遥を抱え上げ、それと同時にユウは阻霊符を発動させる。
 翼のはためく音をそれぞれは聴きながら、足場を乗継ぎ飛び継ぎ、屋上へと急行した。

●泡沫の夢を泳ぐ
 屋上に辿り着くと、貯水タンクの裏、フェンスの傍でがたがたと震える男――高崎誠と、それを捜すようにうろついているディアボロの姿があった。ディアボロと言っても見た目は少女だ。水でぬめついた鱗の生えた肌、人魚然とした下半身、それらを除けると、顔立ちは完全に少女のそれだった。それに、首に絡む水濡れた女学生のタイ。
「あの姿……生徒をディアボロ化したのか」
 チョコーレは遥を地に下ろすなり苦く笑って言い、ロングコートを脱ぎ捨て灰色をした金属糸を取り出した。

 ――『タカサキセンセイ』。

 人魚姫は撃退士らを目に留めるなり、そう呟いた。何度も何度も。掠れた声音だが、聴こえない程ではない。はっきりと、タカサキセンセイ、とその名を呼んでいる。
「”タカサキセンセイ”? ……要救助者の方、の名前ですね」
 治翠は片眉を跳ねさせ言う。それから、保護するように高崎の元へと向かった。ユウとアルドラは人魚姫の抑えに向かう。
 高崎を場から逃れさせようにも、屋上には一面に水の滴が飛ばされていた。触れればどうなるかは判らない。そして幸運にも、高崎は水の滴の当たらない範囲――壁の隅に張り付くようにしてしゃがみ込んでいた。
「あのディアボロは『タカサキセンセイ』としきりに言っていたが…お前の事だろう?」
「え? あ、………あ、」
「それと、お前だけあのヴェールを通れなかったそうだが、何か心当たりはないのか?」
 チョコーレに問われた高崎は顔を青くし、それから口籠った。
「それより、ソレ。何なんだ? 学生バッグみてぇだけど――」
 高崎が大事そうに抱え込んでいたバッグを不審に思った遥が手を伸ばすと、異様な程に拒絶し、後退る。
「そんなモンより今は逃げることを優先してくだせぇ。それにしても執拗にレディに迫られるなんざ、一体何したんですかぃ?」
 揺籠は飄々と――あくまで軽い口調で言いながらバッグを取り上げてしまうと、高崎を屋上の更に奥、人魚姫の視界外へと押し込んだ。何か言いたげだった高崎だったが、有無を言わせぬ態度と、にじり寄ろうとする人魚姫を見て大人しく従った。
 これから何所か場所を変え逃がすという手は、余り得策では無いと撃退士らは判断した。敢えて場所を変えさせるより、この場で庇いながら倒してしまった方が早い。
「さて。陸に上がった人魚姫、――共に踊って貰おうか」
「何が有ったのかは、判りません。ですが、あなたはディアボロ。……眠っていただきます」
 アルドラとユウは背に流れる黒髪をなびかせながら、それぞれの得物を手に人魚姫と向き合う。チョコーレ、遥、揺籠、そして治翠も同じく。背に庇うよう、攻撃の手が届かぬよう盾になる位置取りでそれぞれが高崎を護り、ディアボロと対峙した。



 初手は闇の翼で飛行したままのユウ。雷光を発する拳銃で狙いを定めるは、移動を阻害すべく足許――人魚のひれ。轟雷の如し発砲音、見事ぶち当たりひれの水の膜が剥がれ融ける。
「何故、あの方の名前を呼び続けるのですか」
 攻撃を喰らいながらも、人魚姫は高崎を呼ぶ声を止めない。
 勿論尋ねたとして、答えが返る訳でも無ければ理解されるとも思っていない。もう彼女はディアボロで、意識などない。唯の執念で呼び続けているのだとしたら、それは――果たして。
 手近な位置にいたチョコーレに対し炎のアウルを纏わせ刻印付けた遥もまた、怪訝に表情を顰めている。
「何にせよ、彼女を倒せば真相は判るやも知れません。あの”アベル”のディアボロですから、幻覚で何かを伝えて来る筈」
 浮遊する盾を活性化した治翠は確信めいた口調でそう言い、近くの中空を舞う、攻撃を阻害する滴をひとつ破壊した。――それと同時に起こる、小規模な爆発。
 飛距離はあれど、爆発の範囲はそう広くない。そう判断した揺籠もまた、矢をつがえて弓で射る。
 遠巻きに弾ける爆音を聴きながら、チョコーレは人魚姫の振るう水の劔を咄嗟に躱して金属糸で斬り付ける。人魚姫から上がる水飛沫と、大きく裂かれたチョコーレの横腹から飛び散る鮮血。躱し切れない程、姫君の命中精度は高いようだ。
 それと同時に展開された淡い水色の光――それが人魚姫による沼の精製だと気付くと、それぞれ退避し、可能な者は宙にホバリングした。地面にはボトルグリーンの泡立つ沼が現れる。
「童話の人魚姫は、恋が報われずに死んでしまう。……何か、関連が在るのだろうか」
 アルドラは射程外から矢を放ちながら、双眸を細めてその姿を捉える。――”童話”の人魚姫は、自身に重なる所が在るように思えた。叶わぬ恋をした人魚姫。泡になって消えてしまう、哀しい恋物語。

 ――『タカサキセンセイ』。

 ディアボロはすすり泣くように呼ぶ。その声は高崎にも届いているだろうに、「早く殺せ」だとか、「早くどうにかしろ」の一点張りだ。
 撃退士としても余り良い気分ではないが、彼の態度は尚更事態を煽るように思えた。
「ちぃとばかり静かにしてて貰えませんかねぇ。そっち、行っちまいますよ?」
「ひっ」
 口調こそ穏やかだが脅しとも取れる揺籠の言葉に息を呑んだ高崎は、口を噤んで身を丸くした。
 沼の効果か、急に動きが倍加した人魚姫を捉えるのは、更にその先をゆくスピードを持つユウ。誰よりも何よりも素早く隣接し、銃で薙ぎ払いの一撃を与える。素早さこそ高くとも回避はそうない人魚姫は一発で眩暈を起こしその場に崩れ込み、――けれど、それでも名を呼ぶ。タカサキセンセイ。ただ、それだけ呼び続ける。
「何が有ったっつーんだよ……」
 ディアボロのそれが憂いを帯びた声に聴こえるのは気の所為だろうか。顰めた表情のまま銃を構えた遥は、隙を逃さず即アウルの銃弾を撃ち込む。
 飛び散る水飛沫は彼女の血。鮮やかな青が目を浚う。
 人魚姫が意識を失うと同時に周囲に多数浮遊していた水の滴は落下し、ぼたぼたと水溜りを作った。
 そして、治翠は遠目に見た。人魚姫が静かに泣いている。それに気付くと同時、視界は水のヴェールに包まれ、鈍色の幻影が全員の視界を奪った。

●盲信した夢
 信じてた。信じてた。心のどこかで願ってた。

 ――先生はいいひとだ先生は罪を認めてくれる先生は優しい先生は誰に対しても優しいからもしかしたら断れなかったのかも知れない先生は悪くない先生は何にも悪くないそう悪くないから私は先生に現実を受け止めて欲しくてでも先生はなんにも悪くない。

 私、先生のことが大好きだったよ。恋とか愛とか、そういうのじゃない。だけどね先生、私は先生の誠実さに惹かれたよ。ね、先生。先生は、いま、――ああ、そうだ、ねえ、幸せですか。私がいなくなって、嫌なことなんてきっとない。だから、先生は幸せですか。

(そうなら、良かったなぁ。)

 ねえ先生、ごめんなさい。だから、そう。――許して、ください。

●人魚姫は陸で躍る
 人魚姫は身を打ち震わせながら、泣いていた。水で濡れた粘膜質なほおが、はっきりと判る程に大粒の――まるで宝石のようなしずくで濡れていた。

 ――視えた幻影は、ひとつの事件だ。

 先程学生バッグを抱え込んでいた高崎の態度の御蔭で、あっさりと状況は読めた。少女が教師の所謂”援助交際”の現場を目の当たりにし、それを咎め、その結果殺された。そう、高崎誠は生徒――水月和姫を殺害したのだ。
 そうであれば、人魚姫が高崎に執着する理由も撃退士たちにはっきりと判った。そして、高崎が殺害現場――屋上に戻った理由も判る。残留物を処理しようとしていたのだ。だから、バッグを奪おうとした、取り乱した。
「なるほど。なにがあったか想像はつくな」
 チョコーレは頷きながら、グリースを引く。人魚姫はその攻撃に成す術もなく――まるで受け入れるかのように、空色の血飛沫を飛ばす。
 少女が写真を撮り、改心を訴え、それを聴いた高崎は激昂した。そして殺害。それなのに、少女は高崎を怨むでもなく、許しを請う、それだけの為に死を厭った。
「期待と幻滅の中、更生を願ったのも事実。……けれどそれ以上に彼女は彼を敬愛していたんですね」
 痛ましげに呟く治翠は背に庇う高崎を見た。彼も幻覚を見たのだろう、目を見開き、唇を戦慄かせている。それがどういった感情によるものかは判らない。
「虚しいですね。もう終わってしまっては、何も届かないということが」
 昏倒から復帰した人魚姫に直に銃を突きつけ、ユウは容赦せず放つ。ぱあん、弾ける銃声。けれどその表情は濁る。
 それに対して僅かに抵抗するよう人魚姫は鞭を振るった。飛び散る水の飛礫に範囲内に者たちは傷を負うが、些細なことだ。
「眠れ、憐れな人魚姫。――次は良い夢を臨めるよう」
 アルドラの言葉と共に、一筋の弓が人魚姫の脆くなった体躯を撃ち抜く。
 長い長い夢を見て、最期の最後に希望を託した姫君は、涙を流しながら物言わぬ骸となった。



「お前は――生徒を手に掛けたのか」
「……」
 黙り込んでいた高崎に、チョコーレは声を掛けた。
「名は水月和姫さん。心当たりは有りますね?」
「……」
 先読みを使用し高崎の言葉を掬ったのは、治翠。切なげに僅か眇められた眸は、射るように男を見た。
 揺籠は追撃するよう、そして宥めかすようゆっくりとした調子で諭す。
「罪を腹に隠し続けりゃ、そりゃぁ海にも沈みますぜ」
 まるで幼子をあやすような口振り。この高圧的で傲慢な教師にはそれ位が適当だと考えたのだろう。それに対し困窮した表情を見せる高崎だったが、ち、と舌打ちをひとつこぼした。
「あの悪魔の所為だ。あいつの所為で、全部滅茶苦茶になった」
「悪魔の所為、ですか」
「そもそも、水月があんなことを言わなければ、しなければこんなことにもならかった。自業自得だ、自業じ――」
 だん。
 高崎に向かって向けられた拳、それは遥のもの。しかし、それは彼の背後にぶち当たり、壁に僅か罅を入れさせる。目を丸くして畏縮する高崎を真っ向から見据えながら、遥は言った。
「テメーみてぇな野郎は気に食わねぇんだよ。悪いことをしたのは誰だ。人を殺したのは誰だ。それで何が教師だ、胸糞悪ぃ。……償えよ。あいつの為にも、全部受け止めて、最期位は信じさせてやれよ」
 殺された少女。勘違いや思い込みはあったとは言え、それはすべて善意によるもの。それを悪だと、それを罵る高崎が、遥は許せなかった。
 治翠は彼を宥めながらも、彼女の遺品であるバッグを手に高崎に言う。
「今回得た情報等は、全て然るべき場に提出させて頂きます。……それが彼女へのせめてもの餞、あなたに出来る最大の贖罪になるかと」
「……私は」
 それまで黙っていたユウは、目を一度伏せると高崎に向かい真っ直ぐ見詰めて言った。
「彼女が見せた幻覚は、彼女が望んだ未来の一つだと思います。あなたは、幸せを願われていた。……彼女の為にも貴方自身の為にも罪を償いそして生きてください」
「……」
 高崎は、今度こそ口を開くことはなかった。
 自らの負った罪。それを知り尚、自身を慕い、幸福を願った少女。正しく命の灯火が消えて泡となった、人魚姫。
 撃退士たちは暫し唇を閉ざし、ディアボロの亡骸を前に短く黙祷した。



 結局、高崎誠は保護された後、撃退士と共に向かった警察署で自身の犯した罪を自白した。幾度も幾度も買春を行っていたこと。そして、ひとを、生徒を殺したこと。
 撃退士たちはそれに加えて証拠品――彼女の遺したバッグの中に入っていた携帯、そして一部始終を話し、証人としてそれぞれが事情を語った。

 ――少女が信じた、”先生”。

 最期の最後、人としての生を閉ざされ、ディアボロとしての仮初めの生を終え、――やっと、信じていた悲願が、彼岸で叶う時。
「……泡になった後の人魚姫は、幸せになれたんですかねぇ」
 揺籠は小さくぼやくように呟き、空を見上げた。
 気付けば、空は泣いていた。ぽつぽつと降り出した小粒の雨は闘いを終えた撃退士らを濡らし、彼らは無言で、けれどほんの少し表情を弛め――少女の魂が救われただろうことを祈りながら、帰路へとついた。


依頼結果

依頼成功度:大成功
MVP: chevalier de chocolat・チョコーレ・イトゥ(jb2736)
 鳥目百瞳の妖・百目鬼 揺籠(jb8361)
重体: −
面白かった!:5人

chevalier de chocolat・
チョコーレ・イトゥ(jb2736)

卒業 男 鬼道忍軍
優しき強さを抱く・
ユウ(jb5639)

大学部5年7組 女 阿修羅
花咲ませし翠・
安瀬地 治翠(jb5992)

大学部7年183組 男 アカシックレコーダー:タイプA
天使を堕とす救いの魔・
アルドラ=ヴァルキリー(jb7894)

卒業 女 ナイトウォーカー
鳥目百瞳の妖・
百目鬼 揺籠(jb8361)

卒業 男 阿修羅
優しき不良少年・
円城寺 遥(jc0540)

大学部2年117組 男 アカシックレコーダー:タイプA