●王子の癇癪
誰も居ない病院の中庭に、その炎陣は展開されていた。
高さは人の背丈より幾らか高い――二メートル程度だろうか、そのサークルに厚みは無く、めらめらと燃え上がりながら勢いを保ち続ける様が遠目からも良く見えた。その中には三体の兵隊のような姿と、倒れ伏す女性の姿が在った。
焼け焦げた芝生。広がる血痕。炎の中で女性はぴくりとも身動きせず、事切れているのだろうということが判る。
その周りを躍るように跳ねる姿――ブリキの王子と、その兵隊だった。
「戦闘はやっぱり怖いけど……お兄ちゃんの盾になる為頑張るのです」
視線の先で渦巻く炎にこくりと息を呑みながらメリー(
jb3287)は赤毛をなびかせヒヒイロカネを黄金のシンボルに具現化させる。
護りたい大切な人。その人の為になら、恐ろしい戦いに身を投じても構わない。それが、彼女の抱く心情。
光纏により青白い光のリボンを全身に華のように咲かせながら、メリーは遺体を――白石悠姫の身体を護るべく、地を蹴る。
「アベルのディアボロ、直接対決は初めてだが……」
炎を仰ぎ見ながらサークル目掛けて駆ける久遠 仁刀(
ja2464)は思案する。
過去に妹が関わったことの在る一連の事件、それに思いを馳せながら仁刀は曲刀を携え、視線を先へと据える。
眼前、炎越しに見えるのは既に失われてしまった命。だが、今を生きる者の為、これ以上その遺体に危害を加えさせるわけにはいかない。
撃退士らはそれぞれ抱く想いを携えて、臨戦態勢を取った。
◇
接近しなければ話は始まらない。
「この程度なら……」
燃え上がる炎のサークルを見上げた仁刀はアウルを脚に篭め大きく跳ね、誰よりも先に被害者とディアボロの元へと辿り着く。
それに反応するように、辺りを飛び跳ねていたブリキの兵隊と王子は顔を上げて仁刀の方を向いた。甲冑で隠され見えない”顔”。心も隠してしまったブリキの鎧を砕いても、もう届かない。
「ここまでして邪魔をされたくないという事ですかね……」
安瀬地 治翠(
jb5992)は立ち上る炎のサークルに近付くと、熱気に対して凍てつく空気をアウルで周囲に生み出し熱の緩和を試みる。
サークル越しに王子たちの元に届くか否かは知れないが、幾らか炎の勢いが弱まったような気がする。事実、ディアボロたちの動きがやや鈍くなる。攻撃動作に移行しようとしていた出鼻を挫く一手。
メリーはその後に追従するよう炎のサークルに近付くと、中心で倒れ伏し延焼しつつある遺体に対して庇護の翼を使用する。熱い、熱い、ジリジリと肌を灼く炎が遺体に対してどれ程ダメージを与えているのかが肌で判る。
仁刀は王子の抑えへ、メリーは遺体の保護、治翠は兵隊との間に割り込み、残りの面子はもう一体へと集中攻撃を向ける。
「早期決着が望ましい、ですね」
「ああ。――確りと終わらせてやろう」
炎の壁を自身の体躯が焦げることも厭わず駆け抜け――その中心でアウルを弾けさせるのは、アルドラ=ヴァルキリー(
jb7894)。凍てつく氷と共にディアボロを襲うのは、深い睡眠。
抵抗のいとまも与えず吹き荒れた凍てつくアウルに呑み込まれた三体は眠りに落ち、それを確認した六道 鈴音(
ja4192)はやや離れた距離から複数体を範囲に収めると、瞬時に練り上げたアウルの焔を炸裂させる。
「そんなに炎が好きなら、まとめて火葬してあげるわよ。喰らえ、六道赤龍覇!」
立ち上る真紅の龍、火花舞い起こる炎の渦が纏めてブリキの兵隊と王子を焼き、鎧を灼けつかせていく。
特別炎への耐性があるという風には見受けられない。鈴音の炎に呑み込まれた鎧は一瞬で色褪せ、目覚めたディアボロたちは恨みがましく彼女に視線を向け、斧を掲げた。
――けれど、そうはさせない。と言わんばかりに兵隊のがら空きの腹をアサルトライフルで狙い撃つのは、九条 静真(
jb7992)。あくまで仲間を援護する形で敵の意識を浚うべく立ち回る彼。
それを上空から見下ろし、状況把握に努めるのはアリーチェ・ハーグリーヴス(
jb3240)。
見事前方へと気を取られている兵隊の後方から、魔力の流れを研ぎ澄まし、狙いを定める。
「よーし、やっちゃうよー」
アリーチェの”声”を媒介として魔力に変換されたアウルの音波が小型スピーカーから放たれ、兵隊の背中を穿つ。意識を取り戻すと同時に跳ね出したその動きによって部位狙いこそ出来なかったものの、浅くはない一撃が盾での防御をさせずにぶち当たった。
撃退士らの流れるような集中攻撃を受けて尚、立ち続けるブリキの小柄な一体――王子が掲げた斧から焔の渦がサークルを中心としたポイントに巻き上がる。
遠距離から攻撃していた鈴音、アリーチェ、静真以外を呑み込む猛る焔。
勿論、メリーが庇護の翼をかける遺体諸共紅色は撃退士を呑み込んだ。
「……っまさか」
彼らはディアボロが遺体に固執し、傷付けることは厭うものだとばかり予測していたが――どうやら違うらしい。
荒れ狂う熱波が肺を侵し肌を焼く激痛にそれぞれが顔を顰めながら、その中で渦の中心近くにいたアルドラは意識を失う。
そして、サークルに突入しアルドラを庇いに走るメリーの、確認の為腕につけていたブロマイドが燃えてゆく。どうやらサークルの炎には燃焼効果があるらしい、その結果を周知する。
「写真が燃えちゃったのです! 遺体を移動させるのは危険かも知れません!」
尚且つ、ディアボロたちは遺体への攻撃を躊躇しない。
「……無理に遺体を隔離させるよりは、庇い続ける方が未だマシ、といった所か」
燃え焦がす焔の渦から抜け、小さく咳込みながら凛とした眼差しで王子を見据える仁刀の一閃がひらめく。
瞬きは二度。王子と兵隊一体を斬り付ける刃の閃きは速過ぎて視界には映らない。
その太刀筋によって地にゆっくりと崩れる、兵隊のうち一体。
「よくもやってくれたわね! 私の炎とどっちがアツイか、勝負してやろうじゃない!」
炎のサークルの中で倒れ伏す味方を目にした鈴音は届かないことに歯噛みしながら霊符を握り締め、仕返しとばかりに紅蓮の炎と漆黒の炎を束ねた一撃を残された兵隊に撃ち込む。
中庭は炎と斬撃が入り乱れ、凄惨な状況だった。
メリーは遺体を一心に護り続け、自身の傷を増やしていく。
彼女らを庇うように治翠と静真はディアボロらの注意を惹きつけ、その攻撃姿勢を崩させる。
何とか意識を取り戻したアルドラは傷深い身体を引き摺りながらも宙へその身を躍らせ、色取り取りの火花を兵隊と王子へ向け降り注がせる。
再び仁刀の攻撃が見事ぶち当たり王子の体躯を大きく肩口から袈裟斬りに薙いだ瞬間、辺りを囲っていた炎のサークルが、弾けた。
「来るぞ――……!」
撃退士らの元に襲い来るのは幻影。弾ける炎、渦巻くひかり、耳を劈かんばかりの、叫び声。
●凝り固まった錫の王
――俺が世界一完璧で俺が世界一完全で、不完全な連中を支配することが出来る唯一の人間で。
(本当は知っていた。目を瞑って耳を塞いで口を閉ざしていた。本当は知らなかった)
――俺に向けられるすべての言葉が毒のようで、沼のようで、澱のようで、いつの間にか雁字搦めにされていた。
(嘘だらけの現実。逃げ出そうと足掻いてみても、片方の脚だけでは足りない。真実だらけの現実)
――そんな小汚い世界の中、彼女だけが煌めいていた、輝いていた、本当の『真実』をくれるのだと思った。
(本当は、全部全部知っていた。彼女が誰のものなのか、彼女がどんなひとなのか、彼女は俺のものではないということまで、知っていた。それでも、俺は彼女が欲しいと思った。彼女が俺のものになれば欠けた世界が完成されるものだと思った。思い込んで、逃げ道をまた、作った)
――――御伽噺の結末のようにこんなにも幸福になることが出来た俺はきっと、世界一幸せ者になれたに違いない。世界一幸福で、満ち足りて、漸く息が出来て、足りない片脚でも確りと踏み締めて立つことが、やっと出来たんだ。父さん、母さん、一緒に行こう。
だから、ああそうだ。名も知らぬあいつに、生まれて初めてこの言葉を口にしよう。
”×××××――”
●相違が生んだ偶然
全員の目を奪って流れ込んで来たのは、一人の少年の短い人生だった。
他者と違うということで傷付けられて、傷付いて、我儘ばかり振り撒いて、他者の好意にあぐらをかいて、真実の情に餓えて歯噛みした少年。
誰かに救われたかった。誰かを救うことなんて出来ないから、誰かに救われたかった。そう、思い込み続けた少年。その焦げ付いた手に触れたのが偶々彼女――そう、白石悠姫だっただけで、本当は誰でも良かったのだ。
すべては偶然で、ひとつも必然なんかない。不幸な事故の積み重なり。
「二ノ宮皇太には同情しないけれど……アベルってヴァニタスは人の心の隙間を衝くのが巧妙な奴なのね」
鈴音はよろめく王子を真っ直ぐ睨み付けたまま、霊符を構えて再度臨戦態勢を取る。
炎のサークルは幻覚が消えると共に厚みを増し、撃退士らと残るディアボロとを包み込んでいた。
「愛した思いは否定しません。ですが――」
治翠は兵士を盾槍で斬り付けながら言葉を飲み込んだ。
他に幾らでもやり方は在っただろう。必然でなく偶然であるのなら、尚の事。
だからこそ、惜しいと思った。少年にとっての救済がこうであることが、ひどく惜しいと思った。
「誰もが不完全で誰もが完璧ではないのです。そうでなければ、貴方がこの方を愛する事すらなかったでしょうに」
「哀れと言うか幸せと言うか……複雑だな」
治翠の言葉を耳にしながら、アルドラは少しばかり眩暈がした。 流れ込んでくる情報量が多過ぎたということではない。
――自身はブリキの王子、少年のように、自分勝手では無いだろうか。
あのヴァニタスに向けるこの想いは何なのだろうか。情なのだろうか。恋なのだろうか。はたまたなさけ、いやはや皆目見当もつかない。慕情と名を付けるには未だ、未だ何も知ら無さ過ぎる。
アルドラは首を振って、脳裏に過ぎった考えを斬り棄てた。
(……道連れ、か……)
静真は不意に見せ付けられた情景に警戒を濃くしながら、胸中に沸いた驚きを飲み下す。
(何が変わったんやろ……何が残ったんやろ……何が手に入ったのやろ……)
周囲と異なる目で見られること、囁かれる言葉、全部全部嫌だった。
向けられる視線が、全て同情的に見える。全部が本当に嫌だった。
――何故なら静真もまた、周りと異なる存在だったからだ。出ない声、その所為で簡単には通じない意志。
静真が一番嫌だったのは、そう思う自分自身。けれど、周りが悪いと思わなければ崩れてしまいそうになる。
(……それでも、間違っとる)
王子が犯した過ち、それは人を殺め、人の大切なひとを奪ったこと。我儘に、癇癪に身を任せ、 ひとりの人間の人生を終わらせてしまったこと。
彼に対して同情心が動かないでは無かった。けれど――だからこそ、止めねばならないと思った。
(アンタは俺と、よぉ似とる。……もっと早く……もっと違う場所で……会えていたら、良かったのに)
けれどもう後悔は届かない。過去よりずっと先に、この現在は在る。
「完璧なんて嘘なのです! 完璧なら悠姫さんを思う事すら無いのです!」
メリーの声。それは純然たる事実だった。
不完全過ぎた少年。否、本当は完璧な人間なんて存在していないのだろう。どこかしらが欠けているのが人間。
そうして王子の焦がれた想い――焦り?
それを目の当たりにした仁刀は、若干の渋面を浮かべながら曲刀の柄を握り締める。
「つくづく嫌な相手だ。血で錆びかけたこっちの焦りまで再燃しかねん」
対峙する片脚の王子は、砕けた鎧を纏ったまま、斧を手に仁刀に狙いを定めていた。
「なら、これで満足か?」
そのさまを真っ向から見据えながら――仁刀は手にした曲刀を自身の腿へと突き刺した。唐突に飛び散る鮮血にメリーが声を上げるが、仁刀は意に介さない。
「どうせ至近距離でのドツキ合いだ、片足きかないくらい大した事でもない」
けれど仁刀は理解していた。この行為で対等に近付いたとは思わないだろう、思考はもう既にない。それに、どうしたって「差」は無くならない。きっと、誰もが自分が優れていると思う為の差を探し出す。それが、人間。
ブリキの王子は、ただただ運が悪かった。余りに見え易い「差」を持っていたのだから。
「赤の他人の宗教家の無責任な一言だけをよすがに生きてた子供。完全とか不完全とかじゃなくてそれは個性なんだって、彼女なら新たな視線を教えられたかもしれないのに――未来と可能性を奪ったのは、アベルだよ」
上空で魔具を構えたまま淡々と言うのは、アリーチェ。ただし、そう口にする反面で、彼女は王子に同情もしなければ、亡くなった彼女を気の毒だとは思わなかった。
(だって人間の人生なんて、あたしには関係ないし、どうでもいいしー★)
それが彼女、アリーチェ・ハーグリーヴス。刹那的な快楽主義者で、本能のまま生き、猫のように自由奔放で気紛れ、そして高慢。
(ただ、アベルが拘ってる絵本による救済には、すっごく興味ある〜)
未だ年端も行かない子どもに何を期待し、何を考えたのか。子どもが、どんな結末を迎えれば満足するのか。
(アベルの目的を把握して、あいつを自在に一喜一憂させることができるようになれば、楽しそうじゃ〜ん♪)
――そう考える本心は隠したまま、あくまで表向きの表情でアリーチェは傷付いた王子たちを見下ろした。
◇
残り一体となった兵士と、王子とが倒れるのはほぼ同時だった。
すべてが終わるころにはもう、判っていた、撃退士全員が理解していた。
――倒れ伏す兵士が、王子の素体である二ノ宮皇太の両親であろうということを。
一回り程大きな身体。幻覚で過ぎった数シーン。それらすべてが、二体のディアボロが彼の両親であるのだろうという予測に繋がったからだ。
そうして、戦いを終えた後にメリーが調査を依頼したことによって、両親の姿もが忽然と消えているということが判明する。
それで確定、それでビンゴ。
救済を謳うヴァニタス・アベルにまつわる事件で在るのなら――その結末はほぼ間違い無いと言って良いだろう。
「結局、皆死んでしまった。……これの何が救済になるっていうのよ」
憤る鈴音の口惜しげな呟きは、炎に焼け焦げた芝生にぽつり落ちて消えた。
●御伽噺と違えた現実
遺された男――白石悠姫の配偶者に対し、撃退士らが出来ることは限られていたが、その中でもたった一つ、護り通すことが出来た彼女の亡骸。
脚以外はほぼほぼ損傷なく病院に預けられた妻の遺体を引き取った白石氏の心の傷は、徐々に回復へと向かっているという。
――生きる者が未来へと歩む足掛けとして、彼らが護ったモノは大きい。