●ムービン・キリング・トラッパー
荒された商店街。
崩れ壊れた街並み。
遠方に敵三体の姿を臨みながら、撃退士らは瓦礫の中を駆ける。
「……此度は毛色がちと違うか? だがアベルが関っておるのなら、彼らか類する者にとっての救いがあるのじゃろう」
珠を構え地を蹴る鍔崎 美薙(
ja0028)は、ひとりごちた。
「ゲームには詳しくないが、姉上に聞いて多少は理解したつもりじゃ 共感は出来ぬがな」
「現実でどんな扱いをされようと、虚構に総てを委ねた挙句化け物に成り下がるのは……やはり負け犬よ」
並走しながら視線の先――ディアボロと化した虚構の戦士たちを見詰めるのは、ナタリア・シルフィード(
ja8997)。
「仮想世界へ堕ちた現実世界の住人の成れの果、か。憐れな……」
彼らは現実世界の人間だった。そうでありながらも閉ざされた世界しか見られなかった――それを悲しいと評するのは、アルドラ=ヴァルキリー(
jb7894)。
「自由にできる世界って皆憧れると思うんだよ。私もずっと楽しい事だけなら嬉しいもの」
エローナ・アイドリオン(
jb7176)は幼い面立ちながら、キョウコから聴いた『ゲームの世界に傾倒した三人』に想いを馳せる。何でも自由になる世界。何でも思うままにゆく世界。
けれど、そんな世界はどこにも無いのだとエローナは知っていた。そうやって生きていく事が出来るのなら、今までのディアボロも――救済と呼ばれる行為を施された存在も、有り得なかったのだろうと。
彼らには、それを、自由がすべてではないのだと教えてくれる存在がいなかったのだ。両親は口を噤み言葉を失くし、遠巻きに見詰めるばかり。
エローナの両親のような、夜更かしを叱る父親も、食べ過ぎないようにとお菓子を取り去る母親も、誰もだぁれも居なかった。
(ちょっとだけ、寂しいな)
彼らには教えてくれる人が居なかったという事。
そして、エローナ自身にももう、そんな存在は居ないという事。
「……本当は、居場所がほしかったのでしょうか?」
後方を走りながら小さく呟いたユエ・アングレカム(
jb9853)の声は、他の誰にも届かなかった。
巧くいかない現実。何にも報いる事の出来ない現実。
けれどゲームの世界なら、時間さえ在れば理想の自分にいつか手が届く。
まるでそれは自己投影。けれどそれは仮想世界で、ひとりぼっち。
現実でも一人、仮想世界でも一人。
ユエは思案しながら、浅く溜息を吐いた。
――そこで不意に、スマートフォンに連絡が入る。
「そこら中罠だらけだ、注意してくれ! 地雷やら、動きを止められるのやら、スタン効果のあるやつまである!」
切羽詰ったような、現地撃退士の声だった。
見れば転がる死体は斬り棄てられたものから焼け焦げたもの、氷漬けになって倒れているものまで様々あり、敵陣の攻撃の多彩さが良く判った。
彼の言葉通り、ある一定距離まで近付いた辺りから、数歩歩く度に爆発する地面に四苦八苦させられる事になる。
反射的に跳び退ればそこまでのダメージは無くとも、直撃は避けたい威力のそれ。
現地撃退士との通信手段が無ければもっと被害が大きくなっていただろうと思うと、安瀬地 治翠(
jb5992)はぞっとした。
壁寄り、建物の影になる位置を取りながら近付いてゆく七人。
遠距離攻撃の射程範囲だろうか――ぎりぎりのラインに位置取ると、美薙とエローナは大通りへ堂々と飛び出した。
「おぬし等のような臆病者は成敗してくれよう」
「ゲームで強くっても、ここだと私達が強いんだよ!」
煽り口上は勇者御一行へ向けた。のっぺらぼうの顔がそれぞれ振り向き――二人を獲物として認識した三体は、それぞれ行動を開始した。勇者と思しき甲冑姿のディアボロは二人の元に一直線に駆け、狩人は弓を構え、ローブを纏った魔法使いは淡い光を周囲へ放ちその光は彼らを包んだ。味方へ何らかの能力向上を図ったのだろう。
隠れ潜む残り五人の撃退士の傍を駆け抜け、美薙とエローナの元へ真っ直ぐ向かう勇者。距離は取れた、向かって来る銃弾を避けながら剣を構える勇者を尻目に、五人は大通りへと繰り出す。
「撃退士レベッカがあらわれた! ……なんちゃって」
言いながら長いブロンドをなびかせ魔法使いを狙い撃つのは、アルベルト・レベッカ・ベッカー(
jb9518)。
それは正しく奇襲。美薙とエローナに気を取られていた魔法使いにその銃弾は見事ぶち当たり、回避や防御のいとまはない。
けれど、これで気付かれた。五人対二体、二人対一体の構図に持ち込んだ――筈だったが。
「……!? 待つのじゃ!」
後方の五人を認識するなり、勇者はくるりと背を向けその一塊の元へと剣を携え疾駆した。
それは味方を省みた結果と言うより、ただ本能のまま――より多くの獲物を狩るという本能のまま、理性も何も無く向かって来ているようだった。
「逃げるのか? まこと臆病者じゃのぅ」
「余所見なんてしないでこっちを向きなよ!」
美薙とエローナの挑発に、勇者は見向きもしない。
その背に向かって攻撃を仕掛けるものの、躱されるか受け止められるかのどちらかで、振り向く様子は欠片もない。――元より勇者はディアボロだ、人の言葉を理解するわけもない。
そうする間にも、狩人と魔法使いは五人から距離を取るよう移動していく。
「行かせないわ」
その後を追い縋るように放たれるのは、ナタリアのファイヤーブレイク。狩人の巻き込みを狙うが、それは距離を取られていた為外れ。だが、魔法使いには見事着弾し、弾けた業火がその身を灼き焦がす。浅くないダメージ。
「此処で留まって頂きます」
予め聖なる刻印を受けていた治翠は駆けて狩人に肉薄しようとするものの、地張りのタイルを弾き炸裂する地雷に被弾する。その傷も厭わず攻め入る治翠の蔓の鞭が狩人に奔るが、背後へステップを踏んだ狩人に回避されてしまう。だが、隣接する事は出来た。
その背を過ぎて前に出たアルドラが距離を取ろうと離れる魔法使いに向けるは、鋭い無数の月の刃。その猛攻を光の障壁を張って何とか凌いだ魔法使いは、淡い光に一瞬包まれるとローブについた傷を一瞬で癒してみせる。
範囲攻撃を警戒し、距離を取って銃を構えるアルベルトは魔法使いを狙い再度アウルを集中させた一撃を放つ。その銃弾は身体を捩るのっぺらぼうの魔法使いの顔先を掠め、ぎりぎりのところで通り過ぎていった。
最後衛に位置していたユエはナタリアの傍に駆け寄ると急いて治癒の光を施し、彼女が地雷で受けた傷跡を僅かに塞いだ。他にも傷を受けた者は多くいる。そう、ユエが考えた時――目前まで勇者は迫って来ていた。
「……っ!」
勇者の踏み込みの重い一閃を咄嗟に剣で受け止めるユエだったが、その重みにびりびりと腕が痺れる。受け流そうとしたダメージは直接ユエの痩躯に入り、痛みに思わず彼女は顔を顰めた。
「この重さは少し厳しい、です」
ユエは呟き、眼前の勇者を見据える。癒し手を狙い攻撃する姿に一瞬知能があるのでは、と疑ってしまう。だが、それも恐らく本能によるものなのだろう。生前の『ネット上』での姿をトレースしたもの。
彼らが歴戦の戦士である――という事は間違いない。
それを示すかの如く、勇者たちは”撃退士らと同じ”動きを取って来る。
連携し、後衛を狙う。それが最善の手であると、ディアボロたちは刻み込まれた本能で理解していた。
「作り物の勇者殿は、現実から逃げて何を威張るのか。夢浸り、――遊びはここまでじゃ」
言いながら美薙が伸ばす聖なる鎖もまた、勇者のサイドステップで避けられる。タフで、俊敏。聞き及んでいた通りの性能だ。
近付かずには鎖は放てない。その傍らに攻撃を受けたユエと、回復を受けたナタリアは居る――まずい状況だ、と彼女らが気付いた時にはもう既に遅く、三人を覆うような広範囲の大魔法の魔法陣が地に浮き上がっていた。
「避け――……っ!?」
大気の震えから危険を察知し避けてください、そう叫ぼうとした治翠に対し、狩人は弓に矢を番え、しならせる弓に魔力を篭め、穿つ矢で治翠を大きく弾き飛ばす。ノックバックさせられた先は――――魔法陣の中心、勇者の直ぐ傍。
その瞬間、魔法は完成する。
「駄目っ……!」
「えっ!?」
ナタリアから離れ過ぎないよう、いつでも彼女を護る事が出来るよう、そう立ち位置を心掛けていたアルベルトは思わず声を上げ、ナタリアを魔法陣から突き飛ばす。
それと同時、中空から降り注ぐ無数の焔の隕石、礫が彼らと彼女らを襲う。燃え上がるそれらが美薙、ユエ、治翠、アルベルトを包み、声を上げる暇もなく灼き付けられる。
勇者はその土煙の中で平然と立っている事から、識別可能の魔法であるのだろう。
「お姉さんたち!」
二人、倒れる音。煙が晴れると同時、勇者に向けて兎人形の口、銃口を向けていたエローナの悲痛な声が響く。咄嗟に防御の姿勢を取った美薙と治翠は兎も角、隕石が直撃したユエとアルベルトは地に倒れ込む。彼女と彼を庇うように立つ治翠は、狩人の抑えへ向かえない。
「……皆、堪えてくれ!」
それを見ていたアルドラは助け起こしに向かいたい気を堪えつつ、再度クレセントサイスを魔法使いにぶち込む。ディアボロたちは、倒す事でしか救済は望めない。そして、倒さなければ味方を護る事も恐らく叶わないだろう。
「どうして……」
突き飛ばされ尻もちをつき茫然としているナタリアの視線の先には、焔に焦がされ倒れ伏したアルベルトの姿が在った。何故庇ったのか。何故あの人が。何故、何故、何故、何故、――ナタリアは冷静さを欠いて、ロザリオをきつく握り締める。
助け起こしに向かえば、今度は自分諸共大魔法が彼を襲うかも知れない。そんな考えが過ぎれば、足は踏み止まる。彼女は唇を固く噛み戦慄く自身を静め、ロザリオから光の刃を魔法使いへと放った。裂かれゆくローブ、それも構わず魔法使いはそののっぺらぼうの顔を地に伏した二人へと向けた。
「止めなさい! ――止めて、こっちを向くのよ!」
「そうだ、余所見をするな。お前の相手は私たちだ」
ナタリアとアルドラが放つ攻撃を障壁で受け流しながら、魔法使いは再度杖を掲げ、淡いオーラを纏って輝く。
「こっち! こっち! リックと私はまだぴんぴんしてるんだよ!」
ライトヒールで自らに治癒を施す美薙に対して刃を振り被る勇者の背に、エローナの挑発たる銃弾が突き刺さる。後背からの攻撃。けれど勇者が気を惹かれるのは目先の獲物で、それはヒーラーであり、美薙であり、ディアボロは剣を再度振り翳す。
「みすみす受けてやれる程、おぬしの攻撃は軽くは無さそうじゃ」
言いながら美薙はブレスシールドで受けるものの、その重い斬撃の閃きに膝をつく。気を失うまでは行かずとも、くらくらする。体重を乗せた重い一撃、まともに喰らえば一発で意識が飛んでしまうだろう。
治翠が二人を抱え運ぶ隙は無い。狩人が穿つ矢が、進路方向に見えるあからさまな罠が、進もうとする足取りの邪魔をする。
「撤退も考えなければならない状況かも知れません!」
張る治翠の声が、氷の嵐に掻き消されるのはほぼ同時。
魔法使いがアルドラとナタリアから集中攻撃を受けながらも尚放つ、激しい氷嵐。細かな粒が立っている者を、倒れ伏す者を、全てを斬り裂き凍てつく寒さで身動きをも奪う。
執拗な攻撃に、辛うじて立っていた美薙も治翠もゆっくりと倒れ込む。肌の表面は凍り付き、直ぐに動く事も出来そうにない。何より、癒し手である二人が沈んでしまった以上、軽くない傷を負った者が目を醒ます事は無いだろう。
――撃退士側は、残り三人。ディアボロもまた、三体。
ジリ貧だった。逃げ果せなければ、これ以上の甚大な被害――死者が出る可能性もある。それ程までにディアボロたちは強力で、撃退士たちをかき乱した。
撃退士たちの作戦と見込み以上にディアボロたちが強かった、ただそれだけ。歴戦の戦士たる彼らが、普段通り罠を敷き、撒き、それに撃退士らが掛かってしまった。
「……駄目だ、頃合いだろう。撤退だ」
完全に状況を把握し、判断したアルドラの声にナタリアとエローナは苦々しい顔で頷き、倒れ伏す四人をそれぞれ抱え上げる。
既に戦闘不能となっている者に向け刃を振り下ろそうとする勇者をエローナがエアロバーストで吹き飛ばし、何とか護り凌ぐ。
アルドラのファイアワークスが弾け、追い縋る魔法使いと狩人の遠距離攻撃を牽制する。ナタリアのロザリオが放つ光の刃も同様だ。
何が何でも、彼女らは護り抜かねばならなかった。仲間を。味方を。
「……っ」
ナタリアは焔の飛礫によって傷だらけになったアルベルトを見て、ぐっと唇を噛む。――ナタリアを護って傷付いた彼。どうして。想いは尽きず、彼女の心を惑わせる。
かくして、焔や光を撒き散らしながら、彼女たちはディアボロ三体から逃れ果せる事に成功した。取り残されるのは、壊れた街並みと、ディアボロたちのみ。
「……ダメだよって、言ってあげられなかったよ」
――エローナの寂しげな呟きは、駆ける風の中で消える。
撃退士らの奮闘によって齎された時間により、避難途中だった住民は全員無事に退避する事が出来た。
また、ディアボロ三体の行方は杳として知れないが、その後目撃される事はなかった。
●空想シャットアウト
誰も居なくなり、三体が辺り構わず破壊の限りを尽くし、更なる獲物を捜そうと見渡した時――意識に留まるのは、”味方”だったモノたち。
暫しの間を置いて、勇者は魔法使いへと斬り掛かる。魔法使いは勇者へと雷を閃かせ、狩人は魔法使いを引き絞った弓で射る。それは闘いだった。狩りだった。狩猟だった。元来彼らは仲間意識で結託していたわけではなかったのだ。ただ獲物がいたから本能で共闘しただけ。それらがすべて居なくなればどうなるか――それがこの、末路。思うがままに暴れ、新しい獲物を作り狩る。
乱闘状態となり暴れている三体。広い戦場へ、広い戦場へ。場を求めて走るディアボロたち。
そこに、金髪碧眼の青年――アベルが蒼い翼をはためかせ地に降り立ち、のっぺらぼうの彼らの前に立ち塞がった。
「……」
アベルは憐れみを篭めた眼差しで三体を見詰め、指を鳴らす。
彼はディアボロの創造主。それを獲物だと認識するより先に、ディアボロ三体は膝をつき、動きを止めた。
無力化されたディアボロたちは、もう二度と空想の世界を駆ける事など出来ない。世界のお終い。
手にした絵本がぱらぱらと捲れある頁が開かれると、そこに、ディアボロの身体から抜け落ちた何かが白い糸のように伸び吸い込まれていく。
「……悪かったね」
ぽつり落とされた謝罪の言葉は、もう誰にも届かない。
アベルは動きを止めたディアボロたちを見下ろすと切なげに眸を細めながら、絵本を閉じひとり唇を噛んだ。