●自己肯定
茜色の空が明々と燃えて街を照らしている。
影は随分長く伸びた。タイルを蹴って駆ける、撃退士たち七人の姿。
それぞれ憂うは、その真の姿も知らぬ姫君の為。
「硝子は細工次第で繊細で美しくなり、さりとて割れやすいモノ……行き着く先が紛い物になってしまった彼女は細工を間違え、罅割れてしまったのでしょう」
銀糸を背に靡かせ目を一度伏せたユーノ(
jb3004)は呟き、視界に映った影を見遣ってヒヒイロカネを握り締めた。
「――ならばせめて、華々しく砕け散りなさいな。魂の残滓も、少しは煌めくかもしれませんの」
虚空を目指して進むダンス、虚無に囚われた愚かな姫君のステップ。
誰も知らない、誰にも判らない。真偽の程は、硝子のヴェールに包まれたまま。
「……ただ空虚で、故に寂しいのでしょう、きっと」
安瀬地 治翠(
jb5992)は硝子姫の存在を味方に周知させ、目撃証言のある民間人の有無を探るべく視線を巡らせる。
「自分の出来る事を……精一杯果たしましょう」
盾役として先行する機嶋 結(
ja0725)の後を追う面々の中、卯月 アリス(
jb9358)もまた抱く強い意志は同じ。
救済を謳うヴァニタス・アベル。彼の思惑は知れない。けれどこうして冥魔と化してしまった者が居るなら、撃退士たちはそれを討つまでだ。そして討つだけでは無く、”救う”事が出来れば何かが見えるやも知れない――。そう、アリスは願う。
「アベルのお兄さんが関わってるなら、何かお願い叶えてるのかもなんだよ。今までも人間の時に大事だった事覚えてたもん」
エローナ・アイドリオン(
jb7176)は、相棒たる人形――リックを抱えたまま奔り、あどけない表情のまま言う。それは、硝子姫の罪を知らない、知る必要のない、澄んだ眸。
「一体何を探しているの……?」
彷徨い踊る硝子姫を目にしたアルベルト・レベッカ・ベッカー(
jb9518)はその整った眉を寄せ訝しむ。硝子姫を討つべく、結を中心に散開しながら小さく呟きを落とした。
詰まる距離、狭まる間隔。
その最中、ひい、と呻くような声が路地裏から聴こえた。
後方を治翠と共に走っていたユエ・アングレカム(
jb9853)が振り向くと、そこには数人の青年たちの姿。怯え揺れる眼差し、彼らが逃げ遅れたと言われている要救助者だろう。
「私たちは久遠ヶ原の撃退士です、ご安心を」
ユエがはっきりと言うと、男たちは抜かした腰のまま幾度か頷いて息を抜いた。口が利けるという事で、安堵したようだった。
「では、私たちはあちらへ」
「また後程合流致します」
治翠とユエが班から分かれ、要救助者の待つ路地裏へと足を進めていく。
結、ユーノ、エローナ、アリス、アルベルト、の五人は取り囲むように硝子姫と思しき影と対峙する。それは正しく、ビンゴ。夕陽を浴びて煌めく透明な硝子、まるで全身を硝子で作られたかのような容貌にはその名が相応しい。
「本当に硝子で出来たお姫様みたいね。……哀しいくらい、綺麗だわ」
悼むようなアリスの言葉。それを皮切りに、戦闘開始の合図となった。
◇
硝子で出来た姫君の正面に立つ位置に移動し、注目のアウルを練り上げる結に、彼女は夢中になる。
「結ちゃん、宜しくねっ」
「……あの、一応、学年は上なのですけどね。お姉ちゃんじゃ駄目なのかしら?」
エローナの元気の良い声が背面から響くと同時、結は若干肩を落としつつ攻撃を惹き付け続ける。
その反対方向、死角に位置する事で攻撃の狙いから逃れるのはユーノ。戦力低下を見越して、開幕の攻撃は控えて行く方針だ。アリスも同じく、死角からの不意打ち狙いで杭を構える。
アルベルトとエローナは左右に広がり、硝子姫を中心に包囲網を敷く形となった。
初手はエローナ。左手に嵌めた人形――リックの口の中から覘いた銃口は真っ直ぐ硝子姫へと狙いを定め、薄く膜を張った硝子を遠距離から撃ち抜く。ぴしり、容易く罅割れるヴェール。それと同時に、幾本かの硝子の破片が、一番近くに立っていた結へと飛び散った。硝子の筋のようなそれは、きらきらと夕焼けを弾いて結の肌を刻む。
エローナの攻撃も全く関さずといった風に結を見詰め続ける硝子姫は、硝子で出来たドレスを引き摺り指先を持ち上げる短い動作を足すと、結を中心に硝子の飛礫を降らせる。――予備動作ほぼ無しに降り注ぐ、鋭利な硝子の雹。咄嗟に身を丸める結。
「っ、皆さん、巻き込まれていませんかっ!」
「こちらは大丈夫ですの。それより機嶋様、傷を」
降り頻る雨を、身体を丸めたとはいえまともに喰らった結は、背中すべてが傷だらけだった。細かい物から深い物まで数えればきりがない。血の筋が幾つも出来た身体は一度よろめくものの、直ぐに駆け寄ったユーノが彼女を支え、治癒のアウルを注ぎ込めば僅かながら与えられた傷が癒えていく。
構えたアサルトライフルからアウルの強弾を放ちつつ、アルベルトは結の様子を見詰めて顔を顰める。
「きつそうね。早めに終わらせましょう。……彼女の為にも」
彼女、と名指すのは硝子姫。女性が傷付く姿は余り見たくない。男の娘然とした彼――そう、口調や声音こそ女性らしいが、アルベルトはれっきとした男。しかもフェミニストと来れば、味方が傷付く姿を厭うのは当然と言えよう。
「……もう言葉は届かない、と知っているけれど」
雹の射程を寸でで回避したアリスは一歩前へ踏み込み、杭を硝子の体躯へと打ち込む。タウントで意識が集中している上、死角からの一撃だ、回避はし辛いだろう。
(――それでも、何か伝えなければ、救わなければ)
ぴしぴしと罅割れ、爆ぜる硝子。飛び散る破片。最も近い位置に居たアリスは破片を身に受け目を細め、肌裂く痛みを堪える。
「攻撃を当てると反撃されちゃうみたい?」
「ええ、その様ですね。厄介な技ですの」
エローナの観察眼に頷くユーノは、数歩と退いたアリスにもまた治癒のアウルを翳しながら言う。
硝子姫の意識は未だ結にある。つまり、対象を変えたのではなく対象が変わった。無意識の中の反撃。
撃退士らは前衛以外は出来るだけ接敵し過ぎぬよう気を配りながら、攻撃を交わす。
攻撃の対象が大きく外れているチャンスを狙い、エローナは妖蝶の誘い――胡蝶を仕掛ける。それは見事硝子姫の頭部にぶち当たり、その意識を刈り取った。
そこで、ハンズフリーのスマートフォンから聴こえ続けていた会話が、不意に荒ぐ。
『ちょ、ちょっと殴っただけだぜ! だって抵抗するから! 酒も入ってたし、仕方ねぇだろ! そしたら動かなくなって――……』
それは、事件の真相だった。
マキという娘が居た。家出娘の多いこの街で、見付けられず終い、夜に消えた娘、硝子姫。
そして、硝子姫を殺したのは――――。
●責任転嫁
一方、青年らを保護するべく路地裏に踏み入った治翠とユエは彼らを落ち着かせるべく言葉を選んでいた。
ユエの使ったマインドケアの効果も大きいだろう、青年たちは落ち着きを取り戻し始める。幸いにも深い傷を負った者は居ない。
「所で。あの天魔の事、御存じなんですか?」
大分離れた大通り、そこまで誘導する道すがら。ユエが青年へ尋ねると、青年らは動揺したように声を上げた。
「そうだ、マキ」
「なぁ、あいつはマキなのか? 俺たちに復讐しに来たのか?」
「マキさん、ですか。お知り合いで?」
「いや、その……」
復讐。二人が敏く耳に捉えた言葉。
治翠が穏やかな表情のまま問いに問いを返す搦め手で返すと、肩を貸されていた青年は焦りにも似た何かを以て視線を彷徨わせる。
「ちょ、ちょっと殴っただけだぜ! だって抵抗するから! 酒も入ってたし、仕方ねぇだろ! そしたら動かなくなって――……」
「おい、」
「皆やったんだ! 俺だけが悪いんじゃねぇ! でも、まさか化物になっちまうなんて」
仲間の制止の声も聴かずに早口の青年がぺらぺらと自身の罪状を述べる中、治翠は内心納得する。過去の”救済”から――何か繋がる糸と糸が在る筈だと、思っていたのだ。そこで合点が行く。
「マキさんとあなた方はどういうご関係だったのでしょう」
大通りまで、もう直ぐだ。酒臭い青年たちの顔が期待に輝いた隙を突いて、ユエは尋ねる。
「顔見知り、ダチ、そんくらいだよ。お嬢ちゃんには未だ判んねぇ、オトモダチ」
下卑た笑いを浮かべて告げる青年の内一人はユエに酒臭い吐息を吹き掛け、げらげらと声を上げた。酷く下劣。
救うべき対象。されど、彼らは醜い。傲慢だ。
但し、この会話はハンズフリーで味方、及び斡旋所へと繋がっている。
この後の始末――然るべき場所に突き出すか否かは、学園に委ねられた、というわけだ。
二人は青年らを近くの避難所まで誘導し、急いて戦闘現場へと駆け戻った。
●自己否定
リジェネーションを用い自身の傷を癒しながら、結は胸中を占める複雑な感情に唇を浅く噛む。
自身の過去を重ね合わせ、硝子姫に向けるは強い憎悪と同情。
「悪魔に堕ちれば……消す他はありませんけど」
彼女にとっての彼女は、憎しみの対象の眷属であり、一人で生きる事の辛さを理解出来る”人”であった。
きっと、家出をして、独りぼっちが辛かった、寂しかった。その気持ちは痛い程判る。この身に刺さる硝子の破片と同じように、身を裂かれる想いだったに違いない。
そして、要救助者だった青年たち――殺してしまいたいとさえ思った。薄汚い人間。
「どうしてお兄さんたちはお姉さんにひどい事をしたのかな」
戸惑いに揺れる、エローナの眼差し。年若い少女だ、理解出来る筈もない。左手にはリック、尋ね掛けても、銃を放つ為、大きく口を開けたままの彼が今返事を返す事は出来ない。
「……どうしたら彼女を救う事が出来るの?」
アリスは問い掛けながら杭を打ち込み、その身に硝子の破片を浴びる。
それは与えられた命題。――それを読み解くのが、この場に誘われた者たちにとっての使命。
「まるで悪い夢を見てる気分ね」
回避射撃で硝子姫の攻撃の軌道を巧くずらしながら、アルベルトは飄々とした相貌を保ったまま曖昧に笑う。僅か掠れたソプラノは、何を想ってか。
「お待たせ致しました、皆さん避難完了です」
急いてその場を訪れたのは、民間人の避難を終えて戻って来た治翠とユエ。
そこに不意に、笑い声が響いた。
まるで、玩具の様な。機械仕掛けの様な、冷たい、そうして無機的な。
――あははははははは。
それが攻撃を受けヴェールを全て崩し果てた硝子姫から上がっているものだと気付いた瞬間、撃退士は一様に身構える。
幻覚が、来る。
●自業自得
痛いのも、辛いのも、苦しいのも、全部全部自業自得。
あたしが悪いんだって、そうだよね。
だけど、あたしの為にどうしても必要だった。
だって、あたしは空っぽ。独りぼっち。
ああ、そうだ。
(――さみしい、って)
こういうこと。
ああそうだ、やっぱり。
全部全部自業自得。
ぜんぶあたしが悪いんだ。
●承認欲求
ぱあ、と閃いた光が消えた後、そこには笑い続けて鞭を振るう硝子姫が一人。幻覚の中、ひとりきりで踊っていた少女はもう居ない。
「――家出は、私もした事がありますね。嫌な現実から目を逸らせて楽でいいですよね、嫌いじゃないです」
茫洋とした輪郭をなぞるように言うユエに、硝子姫は何の反応も示さなかった。
「街を歩けば似たような人は大勢いて、自分だけじゃないという安心と、自分が悪い訳じゃないという自己肯定と責任転嫁。それだけで気持ちが楽になりますし。でも毎回辿り着く答えは、現実逃避しても、何も変わらないという事。現実と向き合わない自分は、現実から見向きもされなかったから。――甘い夢が見れたとしても、ほんの一瞬だけで」
ユエの独白に見向きもしない硝子姫に、ユエも又見向きはしない。ただ滔々と呟きながら、傷を深く負ったアリスにアウルを翳す。
「自業自得? ――それでも、殺されて良い理由に成りませんよ」
どこそこに散らばる遺体を担ぎ、戦地から遠ざけながら、治翠はきっぱりと言う。
「その空虚感は誰にでもあり、故に埋めるために無意識に渇望するそのものを探すのも当然」
治翠にもまた、過去に捜した居場所が在った。運よく、否、大切なひとに与えて貰う事が出来た今ではもう、捜す必要も無いけれど。
「貴女は、焦りすぎですの」
武器を触媒に魔力を撃ち込み、それを媒介として生命力同士を接続する――血絡。相手の治癒力を、自己回復に利用する技。それを用い傷をカバーしながら、ユーノもまた硝子姫へと語り掛ける。
「本当に欲しいものなど、一生の終わりまでに見つかるかどうか……敢えて言うなら、貴女が欲しかったモノは『本当に欲しいモノを見つけ、手に入れた自分』だったんじゃありませんの?」
焦り、求め、結果、破滅してしまった硝子姫。彼女にはもう言葉を返す術がない。それは、皆が皆、理解していた。冥魔と化してしまった以上、彼女に幾ら言葉を掛けれど意志が返る訳は無い。
「お姉さんには、もう何も届かないんだよね。でも……ね。お姉さんも、寂しい、って言えれば良かったのかな」
寂しいと言えなかった少女の幻影を思い出し、エローナは痛ましげに眉を寄せながら唇を結ぶ。
エローナは気付く事が出来た。口にする事が出来た。
「現実から逃げては駄目。あなたは一人じゃない……」
アリスの杭を伴っての言葉は、決して彼女に届く事は無い。
それは、飛び散る硝子の破片から見て明らかだった。
けれど。それぞれの言葉と共に向けられる終わりへのカウントダウンを受けて、硝子の装飾はどんどん剥がれ落ちて行く。
「帰りましょうか、マキさん」
治翠は穏やかな笑みを湛えてマキだった”硝子姫”に言った。
満身創痍になりながらも盾としての役割を努め、味方の攻撃をサポートする結。
降り注ぐ攻撃に宙を舞う硝子片の泣き声は、次第に弱くなっていく。
――虚飾のドレスはもう散った。
――砕けた脚で踊る必要は、もう無い。
マキだった少女に、返る時。
◇
陽は落ちて、硝子の体躯も地に落ちて。
「やはり、悪魔は悪魔ですね」
マキたる彼女の最期を穢し、何が救済なのかと結は憤る。
安らかに眠らせる訳では無く暴れさせ、他人が持っていた彼女の思い出も化け物として潰す。
「救い難い……悪魔ですよ。本当に」
「本当に、そうなのかな?」
疑問符を携えたエローナの呟きは、小さく。
「どういう事なの?」
「わかんない。……アベルのお兄さんは――まだわからないことだらけなんだよ」
アルベルトの問い掛けに答えるエローナは人形をぎゅっと抱き締め、硝子塗れのその場で静かに空を見上げた。
●???
その日、治翠の報告により少女の身元が判明し、彼女を殺害した青年達の身柄は確保された。
それはひとつの、救済。
――一人。
頁を閉じたアベルは満足気に小さく笑みを浮かべ、絵本の表紙を撫でた。