●いとしいひとと
樋笠家の前――寒い。肌寒いでは済まない、芯から凍えるような冷たさ。
「人命救助なあ、家の周りがこんなに冷えてんだから、中の人間凍死してんじゃねえの?」
まるで氷像のように凍結し切った家屋を見上げたカイン 大澤 (
ja8514)はざっくばらんに言い、手にしたショットガンで難なくドアを破壊する。
中に居るやも知れない人間――生死の程は不明だが、傷付けることは無い様に。遺族に恨まれることは御免だと言い、周知する。それは他のメンバーにとっても同様だった。
壊れた扉を潜るなり阻霊符を展開するのは、アラン・カートライト(
ja8773)。
「恋い焦がれた氷姫、か」
恋に恋い焦がれ融ける様な愛を誓う氷姫。一度目のキスは目印、二度目のキスは連れ去る際に。御伽噺をなぞるようなディアボロ――救済を謳うヴァニタス・アベルの所業に、些か怪訝に目を細めるアラン。
「行って来るわね」
入口を潜って直ぐ、階段。そちらに向かう四人と、別れて一階の探索に向かうエルネスタ・ミルドレッド(
jb6035)。
月詠 神削(
ja5265)、相原 陽介(
ja6361)、カイン、アランは事前に入手した間取りを見ながら樋笠雪姫の部屋へと向かった。
神削は持前の移動力を駆使し、先行してゆく。気配を潜めながら凍り付いた襖を破り、戦闘スペースを広げる。勿論、生存者の有無の確認は忘れない。
何度目かの襖を破り、そこで目に付いたのは、薄い水色の氷像に似た、影。その傍らには、氷漬けにされた青年――写真で見た通りの被害者だろう、朝倉涼介の姿。
「居たぞ。氷姫だ」
神削が追従してくるメンバーに声を潜めたまま伝えると、同じく確認したカインは聴覚を奪うべくショットガンを構え天井に向ける――が、アランに制される。
「待て、遺体が損傷する可能性が有る」
「それもそうか。……それじゃあ、行きますよっと」
言うが早いか、スパイクで氷漬けの床を踏み締め距離を詰めたカインは遺体に寄り添うようにして縋る氷姫のがら空きの腹部へと蹴りを加える。
「硬ってえなこれ」
よろめく氷姫の隙を縫い、アランは遺体を庇うよう手を伸ばした。引き抱く青年の遺体、それを捉えた氷姫は手を伸ばすが――神削の胡蝶がその体躯を狙う。
妖蝶が舞いその意識を刈り取らんと躍るものの、彼女の意識を奪うまでには至らない。氷姫は高い抵抗力でいとも容易くそれを振り払い、神削を怨念篭った眼差しで睨み付ける。
「相原、頼む」
「判りました……っ」
流れるような動作で氷漬けの遺体をアランは陽介にバトンパス、受け取った彼は遺体を戦闘の余波の届かない位置に安置した。
届かない彼。届かない想い。――呪いの声を上げる氷姫は、不気味な白銀色のオーラを纏い、腕から生やした太刀をカインに向けて振るう。氷結した太刀は横薙ぎにカインの腹を裂き、鮮血の華を咲かせる。ぼたぼたと滴る血液は、凍り付いた床を汚した。
「……っ、案外痛えな」
「大丈夫か? ――こっちだ」
誘う神削の纏わせる、再度の胡蝶の舞。――だが、通らない。氷姫はその魔法に特化した性質故、非常に高い抵抗力と防御力を誇っていた。けれど、ちらちらと舞う蝶が目障りであることは確か。次いで氷姫が狙いを定めるのは神削だ。
闘気を解放したアランはその目の離れた隙を逃さず、的の大きい側面に向かって鉄線に依る薙ぎ払いを放つ。意識をも弾き飛ばす勢いを持った薙ぎは見事命中し、それと同時に氷姫の意識は刈り取られる。
「……死角からの攻撃は有効、みたいですね……?」
後方から援護の為待機している陽介は、氷姫の様子をつぶさに観察していた。
反射の使用タイミングは未だ読めない。だが、ディアボロにとっても虎の子なのだろうか、簡単に使う素振りは見えない。
スタンによって意識を失った氷姫に対し、神削、カイン、アランの攻撃が次々と当たる。
予想以上に硬い身体は、ひび割れる事無くその攻撃を受け続けた。
エルネスタは一階の一部屋を探索し、――そして、見付けた。
台所に立ったまま氷漬けとなっている壮年の女性の姿。居間で椅子に腰掛けたまま氷漬けになっている壮年の男性の姿。
それが樋笠雪姫の両親であるということは、直ぐに判った。
凍てつき震える程に寒い部屋の中で二つの死体を見詰め、エルネスタは細い息を吐いた。
運び出さなければならない。もしかしたら、氷姫の放つ攻撃の余波を喰らうかも知れないのだ。そうでなくとも、氷像の侭放置では憐れ過ぎる。
スマートフォンから流れ出た情報に依れば、朝倉涼介もまた、二階で死体と化しているらしい。
はじめから『期待するな』と言われていた、生存者。その通りになっていたことに対して、特別な感慨を抱いたわけではない。
救えなかった命。元々潰えていた命を、救うことなんて、出来ない。
エルネスタは黙ったまま、ひとり静かに遺体を外へと運び出し始めた。
氷姫の絶叫と共に、吹き荒れる流氷のオーラが室内を支配する。凍てつく風、それが何らかの攻撃の事前動作だと素早く察知した神削は、向けられた狙いを外す為に黒く輝く霜を纏わせる。――が、その行為は高い魔法命中を誇る彼女にとって意味を成さない。
神削を狙って氷姫の手指から伸びた蔦は、彼の体躯に絡み、纏い、そして芯から凍えさせてゆく。急激に下がる体温に背を跳ねさせた神削は、凍り付いて身動きを封じられた足許を見遣りながら歯の根を震わせる。
「月詠、一旦下がれ」
「悪いな、……そうさせて貰う」
半ば無理矢理部屋から押し出され、陽介と入れ替わるようにする神削。氷の蔦によって束縛された身体と、寒さに奪われてゆく体温ではまともに戦うことは出来ない。
(両親との繋がりを汚すみたいで気に喰わないけど……キレイ事は言えないか、この前も使ったし)
カインが物心ついた頃に教わった截拳道。自身にとっては慣れた体術の扱いであり、基礎でもある。力を抜き、それから顔面を狙って突き出す拳のジャブ。そこから膝を狙い踏み躙るよう力を籠めた横蹴りは敢え無く外れるものの、頭部への肘打ちはクリティカルヒットした。
「ご両親の遺体は外に搬送したわ。もう一人は――……ああ、遺体は無事ね、良かった」
階段を急いて駆け上がり辿り着いたのは、エルネスタ。目に入るのは神削の横で横たわる、氷漬けの遺体の姿。
「御姫様との舞踏は佳境。皆で一緒にどうだ?」
こんな時でも軽口を絶やさないアランは皮肉めいて笑って見せ、手にしたエクスキューショナーを大振りに奮う。
「こんな僕でも少しでもお役に立てれば……」
地力が劣っている、と自覚する陽介は、それでも果敢に拳を氷姫へと向ける。連携を重視し、攻撃を躊躇わない、それもまた強さの内。
撃退士らに囲まれた氷姫は細い悲鳴を上げ、戦慄き、そして頭を抱えるようにして白銀の髪を振り乱す。そして、その唇から紡がれる歌は、か細く、儚い。
――それは、届かぬ恋物語を謳う歌。
慕情を抱いて、震わせ、彼らの鼓膜を揺らす唄。
●夢見た姫君の口吻けは
ずっとずっと、好きだったんだよ。
ずっとずっと、恋してたんだよ。
――――だから、ねえ、ずっと一緒に居よう?
●いとしいからと
幾度も同じ様なものを観たアランにはそれが幻覚だ、と直ぐに判る。それが何の意味も成さない、唯の想いの欠片であるということも。
恋をした少女。叶わない人に恋をして、叶わない想いを抱いて、潰れてしまいそうな恋心の行方を失くしてしまった少女の物語。
カインはその幻覚を振り払うよう手の甲を噛み切り、それぞれもまた、徐々に現実感を取り戻していく。
「悪趣味だな」
氷が融け復帰した神削は眉を顰めて正直な感想を言い、同感だというように廊下に下がった陽介もまた目を眇めた。
氷姫はぽろぽろと氷の欠片を溢し泣いていた。その隙を突いてアランは薙ぎ払いを繰り出し――そして、それと同時に浮かび上がった淡い光を宿したヴェールがそれを弾いた。ぶつかる衝撃、同時にアランに襲い来る眩暈。
「っ……」
「大丈夫? ――下がりましょう」
エルネスタは言いながらアランの身体を引き、壁へと凭れかけさせる。
互いのサポート体制は万全だった。束縛を喰らった仲間、昏倒した仲間を直ぐさま部屋の外へと連れ出す味方の誰か。作戦は成功したと言えよう。
氷のヴェールは直ぐに掻き消える。取り囲んだ撃退士たちは期を待ち、そして矢次に攻撃を加えてゆく。
氷姫はエルネスタに向かい氷の太刀を振るうものの、それは予測回避で容易く避けられる。
死角に回り込むよう急いて動いたカインは、目で見ているとは限らない――そう判断した上で、背面を拳で穿つ。それに呼応するよう目を見開いた氷姫は眼前にいたエルネスタへがむしゃらにブレスを放つ。
「っ……!」
寒さで身動きを制限される程ではなくとも、冷たく煌めく息吹がエルネスタの身体を覆う。その背中から陽介は割り入り、庇うようにして彼女の前に立った。
「魔法攻撃は余り喰らいたくないですね。予備動作でも見付けられれば良いんですけど」
マグナムバーストで包んだ拳を構えながら、陽介は再度つぶさに氷姫を観察する。
味方を倒れさせるわけにはいかない。自分も――また、そう。傷付くことは、怖い。
氷姫の背後に回り不意打ちするカインを見ながら、神削はアウルを篭めて目にも留まらぬ速さで氷姫へと殴り掛かる。反射攻撃の存在は脅威だが、多少でしかない。
何より、氷姫の消耗は目に見えて明らかだった。
崩れ始めた氷、ひび割れる身体。
彼女が倒れたのは、数発を撃退士から喰らい――数秒後。
恋に恋い焦がれた氷姫は、朽ちて水たまりと、なった。
●救済の意味
横たわらされたそれら。氷姫の死と共に融け始めた氷塊は水たまりをアスファルトに作っていき、徐々に三つの遺体を空の下に曝していく。損傷の無い、綺麗なままの姿。
「ああ、そうだね。――ただ倒すだけじゃない、それが答えだ」
中空から、蒼い羽根が幾枚か散る。その先、視線を持ち上げると、隣家の屋根の上にいつの間にか金髪の男、ヴァニタス・アベルが立っていた。広げられた絵本、背には蒼い一対の翼が在る。
何所かやわらかな眼差しで告げられる言葉に、彼らは首を傾ぐ。
神削はアベルを一瞥するものの、それだけ。任務は終了、天魔相手に答える必要は無いと考えたからだ。
そんな彼とは反して、陽介は躊躇いがちに口を開いた。
「……答え、ですか?」
「――きみたちに問おう。本当の救済って、何だと思う?」
ヴァニタスから投げ掛けられる、本当の救済とは。
問い掛けに篭められた意味を探るより先に、口に出したのはカインだ。
「救済? そんなもんないよ、当人の自己満足だろ?」
「そう、ですね。……、本当の救済なんて、無いと思います。救済なんてのは、自分の価値観を強引に売ってる自己満足の行為に過ぎませんし」
陽介も同じく、自己満足だと、切って捨てる言葉。それに対し否定するでもなく、受け入れるでもなく、アベルはただ屋根の上で目を細めて笑っていた。
それを見上げるエルネスタは、凛とした眼差しを向けて言う。
「あなたの救済した相手が満足したのなら、救済は果たされているじゃない? あの子も、これで満足だと言うならそれでいいのでしょう」
唇は笑んだまま、アベルの片眉が跳ねる。
「けれど……周りは救われないわね。あの子一人に、何人犠牲になったかしら。救済の為に必要な犠牲? それとも、死ぬことが救いなんて狂言を言う口かしら?」
「まさか」
アベルが短く告げたのは、少しばかりの哀愁を募らせた言葉。けれど、被害が出たのもまた事実。だからこそ、アベルはそれ以上の否定をしない。そこら中で起こっている天魔事件と然して変わりないと告げるエルネスタに、苦く笑って返す彼の浮かべる表情は曖昧だった。
「ま、あなたがこれを救済だと言うなら否定はしないわ。肯定もしないけど」
真の救いなんて存在しない。沼に一度落ちてしまえば取り戻せない。それが過ち。贖罪し切れない程の罪を背負ったエルネスタは、救われたい等と――希望を抱いてはならないと、胸に秘め。
それからアランは一歩進み出、蒼い羽根を溢すアベルを見上げた。
「俺が関わった中に答えがあるとお前は言ったな。お前曰く真の救済を得た」
かぼちゃ頭のジャックに、鏡映しのキョウ。それらに二度と触れないと、アベルは過去に――花の綻ぶ饗宴で言った。
「明るい未来へと僅かでも変えられること。其処に、意味と価値を持つこと。唯化け物になりました、では終われないだろ? 唯の死で、唯化け物になっただけで、終わらなかった」
アランの言葉にアベルは興味深そうに双眸を眇め、それから息を吐く。それは感嘆。
「違っても構わねえよ、俺は今後も答えの事例を作る。そうして答えを見出すだろう。お前はそれ迄大人しく待っとけ。――……アランだ、きっと長い付き合いになるぜ、アベル」
「……アラン、それがきみの答えか。期待するのも、案外悪いものじゃないな」
アベルはそこまで返すと、開いた絵本の頁をなぞり翼をはためかせた。
――叶わない願い、届かない想い、叶えられない願い、届けられない想い。
それら全てを内包した過去の『救済』に何の意味が在るのか、アベルは未だ明らかにする気は無いようだった。
「有難う、撃退士の諸兄ら。きみたちの答えが聴けて良かったよ」
笑うアベルは屋根を蹴り、宙へと跳ぶ。
空へと融けゆく蒼の羽根を散らしながら、次第にその姿は見えなくなっていった。
氷姫討伐終了の旨を学園に連絡し、暫く。一組の男女が樋笠家の前に訪れた。
朝倉涼介――生前の姿のまま横たわる遺体を目に留めた壮年の女性は一歩前へと踏み出し、息を呑む。
「涼介、涼介っ……」
氷の残骸を避け、駆け寄り、その後を追う壮年の男性。
――そう、二人は、朝倉涼介の両親だった。
斡旋所から連絡を受け直ぐに駆けつけ――そして、目にしたのは息子の亡骸。息をしていないと直ぐに判ったのは、未だ身体の半分以上が氷に蔽われていたからだ。
息子の死を悟り、それでも。
「ああ……本当に、有難う御座います……この子を、確りと弔ってあげることが出来ます……」
母親は涙をぼろぼろと流しながら撃退士らに感謝の意を述べた。
父親は目頭を手で覆いながら、何度も何度も頭を下げる。
死んでしまった彼は還らない。
それでも、弔うことが出来る、まともに――生前の姿を保たせたまま、救い出すことが出来た。それは、大きな功績と言えよう。
程無くして、救急車を手配した朝倉夫妻は息子の遺体と共にその場を去った。
二人は何度も何度も礼を述べ、涙ながらに感謝を伝え、その様子に、――春の訪れを予感させる天気と重ねて撃退士らは息を吐いた。
――本当の救済って、何?
リフレインする、キーワード。
対する答えは、直ぐそこに。