●あのこのなまえ
討伐に赴く前に撃退士らは先ず、電話で少年に確認を取ることにした。
ハンズフリーの受話部から、直接少年の声が聴こえて来る。
姉に伝えたいことは今は未だ何も無いと返した少年。
「お兄さんはあの時学園に一人で来たの? パパやママさんは?」
エローナ・アイドリオン(
jb7176)は、少年へと電話越しに問いを投げる。
「……父と母は、余り姉のことを良く思っていない、そうです。放って置くべきだとも言われました」
声音が曇り、曖昧な返事。冷めた関係を予感させる、答え。
「その時……殺されかけた時のことは覚えてなくてお姉さんが大好きって覚えてるのはなんで?」
「幼かったので記憶は曖昧ですが、姉はいつも一人ぼっちだったんです。両親は姉に構わず、僕にばかり構った。僕はそれが嫌で、いつも姉を追い掛けた。そして姉は、いつも僕を優しく撫でてくれて……すみません、多分、思い出を美化してしまっているんだと、思います。酷いことをされたことは、全く覚えて無いんです」
続けられた問いに少年は言葉を選んでいないのか、たどたどしくも迷い無く返す。
「そーいうこと、みたいよ。今手あたり次第電話して確認した」
鍔崎 美薙(
ja0028)に依頼された通り家庭環境の調査を即座に行ったキョウコが斡旋所の奥から顔を出し、深々と嘆息を吐く。
「ネグレクトとまではいかなくても、相当だったみたいだね。――色々と可哀想だとは思う。でも、今はそれよりも」
「理解しがたい感情、と切って捨てるのは簡単ですが……ともかく求められるのはディアボロの撃破です。何かを言うにしてもその後でしょう」
「そういうこと」
淡々と告げた久遠 冴弥(
jb0754)に対しキョウコは頷くと、それぞれの背をぽんと叩いて見送った。
「――宜しく、お願いします」
電話越しに聴こえる声は、震えている。
それが恐怖によるものか、悲愴によるものか、判断出来る者は居なかった。
●あいしてる
ディメンションサークルを通り現場へと向かう途中の撃退士らの顔付きはそれぞれだ。
「またか。またキューサイとやらか」
うんざりした様子で頭を掻く赤坂白秋(
ja7030)と、その隣には変化を行い幼い少年の出で立ちをしたエルレーン・バルハザード(
ja0889)。
「何が『きゅーさい』だ。ひとをころすモノに変えて、幻覚の中でしあわせ? ばっかみたい、なら……催眠術のほうがましだよ!」
自身のドグマに反するヴァニタス・アベルの所業に対し怒りを露わにするエルレーンは、それ以降唇を噤む。
「そんなに救って何がしたいよ。メサイアコンプレックスってやつか?」
それは如何しようもない共依存。あの姉弟の関係もまた、一種の共依存かも知れないと、白秋は思う。
「望む夢を叶えようとするヴァニタスか……周りに被害を出さないのであれば、素晴らしい話にも聞こえるけど、結果がこれでは……お姉さんの事を思うと、依頼人さんはとても辛いんだろうね、僕達で止めなくては」
清純 ひかる(
jb8844)は意志の光を強く燈した眸で前を見据えながら、駆け足に進む。
――と、そこで、不意にひとけのない市街地、高い悲鳴が上がる。
撃退士らは顔を見合わせ、急いて声のした方角へと足を進めた。
扉が壊された商店の角を曲がって、直ぐ。
そこはまるで、血の海だった。
床のタイルを汚す紅色の液体が物語る光景は、惨い。
両親が子をかばうようにして立ち塞がったのだろう。ディアボロ――るると思しき影の下に転がるのは、血塗れの女性と男性の体躯。もう息をしていないということは直ぐに判る。そして、腕に抱いた少年を慈しみ、愛でるよう激しい口付けを落とす異形。
「――うわ、あああ゛っ、あ」
上がる悲鳴は、甲高く幼い。やわらかそうな額に牙が埋まり、めきりと音を起てて簡単にひしゃげる頭蓋。陥没した頭、暫く痙攣していたが、直ぐに力を失くし垂れ落ちる手。ぼたぼたと溢れる血液にも躊躇せず、その長い爪を生やした指で首を絞め上げるその姿に――美薙は叫んだ。
「止めるのじゃ!」
勿論叫んでも無駄だとは判っている。子どもももう事切れている。
直ぐに総員は臨戦態勢を取り、それぞれの得物を具現化させた。
「……っ、其の子は弟では無いであろ?」
即座に光纏し黒い焔を足元にチラつかせる青空・アルベール(
ja0732)は、散弾銃を構えたままるるを蒼い光宿る両目で睨み据える。声に振り向いたるるはその眸を見――アウルで縛られたようその身を強張らせた。
隙を縫うよう引き金を引くのは、白秋。
撃鉄を落とすと共に猛る嵐のような銃弾の雨がるるの許に降り、幾重にも重ねられた射撃はその体躯をのけぞらせる。
るるは未だ動けず、けれども視界の端、離れた位置で大きく飛び跳ねた少年――の姿のエルレーンに、目を奪われる。ぎしり、身体を軋ませながらも近付こうと唸る。それと共に、周囲に変化が訪れた。
「何だ……? これは」
「人形?」
ダニエル・クラプトン(
jb8412)とひかるもまた、その不思議な現象に目線を上げる。
――人形だ。幾つもの人形が、まるで雪のように落ちて来ては、地に着く前にふわりと虚空へ融け消える。
「幻影、のようですね。唯視界を邪魔するものでしかない」
素早くその幻覚を察知した冴弥は仰々しくも美しい召喚獣を喚び出し、降り始めた人形に指で触れ、それが融けてゆく様を眺める。
「何の為? お姉さんの為?」
誰にともなく問いながら胡蝶の夢を纏わせ撃つエローナに、るるは見向きもしない。ただひたすらにエルレーンを見詰め、牙を震わせる。
「長い間依頼人さんと離れていたなら、今の姿は分からない……それが男の子に執着する理由かな?」
斧槍を確りと構えエルレーンの傍らで待機するひかるは、訝しげに眉を寄せながら小首を傾げる。
「壊れたものは直せば良い。……それだけの事ではないか」
庇護しカバーするべく味方それぞれの間を取る位置に立ったダニエルは呟き、拘束されたままのるるの周りで浮遊する人形を銃弾で穿つ。
美薙は珠を握り締めアウルの矢を打ち出し、後方から支援する。彼女にとっては見知った顔ばかり。連携のし易い顔ぶれの中、銃を再度構える白秋に声を掛ける。
「また一緒になったのぅ。やはり、アベルが気になってかの?」
「まあ、ちょっと――な」
よくよく見ると、るるの腕は傷だらけだった。紅い筋が幾本も散らばり、浅い傷となっている。交戦記録は無い筈、それならば何故――そう考えるより先に、白秋は地を蹴り近付き、その背面に向かって猛き牙を銀の銃口から撃ち出す。
「つれねえな、こんなイケメンを無視するかよ!」
零距離での牙の猛攻に、るるは呻く。そして呻くと同時、大きく跳躍しエルレーンの元へと向かった。頭を前に出し飛び掛かるような勢いで、大きく口を開け牙を剥く。
けれどその攻撃は、身の丈の倍以上の武具を掲げたひかるの元に吸い込まれるようにして槍を咬む。重い一撃。ぎちぎちと金属と牙とが鳴り合いながら、踏み止まり防御の姿勢を崩さないひかる。
「僕の領域では、誰も傷つけさせない!」
思わぬ防御にぎょろりとした目を見開いたるるだったが、それも束の間、死角から放たれたアルベールの銃弾が浮遊する人形を打ち砕く。
――ふわりふわ、浮かんで揺れる人形の影。
少年の姿をしたエルレーンを見詰め嬉しそうに大きな口を広げて笑うるる。
(……いくら、最初からちょっとくるってたっていっても、にんげんじゃなくなったら、もう誰も救えない)
それはこのディアボロの創造主たるヴァニタスへの憎しみ。闘志を燃やしたエルレーンの身体が刹那白銀に輝く┌(┌ ^o^)┐となり、高速でるるの体躯を二度貫く。その素早さ、韋駄天の如し。
その背に向かって再度放たれたエローナの胡蝶を、るるはものともしない。”弟”との再会を邪魔する者たち。先に始末すべきは其方か。そう考えるだけの知性が在ったのかは判らないが、るるの大きな目玉はぐるぐると蠢く。
「ふむ。何を考えているのやら」
一対の銃を構えたダニエルの射撃はるるの脇腹を掠めるのみ。回避能力もそう低くは無いらしい敵を見据えながら、彼は注意深く味方を見回した。
「今のキミ、キミを家族として大好きだと言った弟さんには、とても見せられないな」
ひかるは先程の攻防で負った傷を美薙のアウルに癒されながら、槍斧を振り翳す。薙いで下ろされた刃は夕刻の茜空を返し閃き、けれどそれは爪で弾かれ押し戻される。
それを見た冴弥は召喚獣に騎乗したまま獣を行使し、宙に浮遊したまま人形の雨の中で指示をする。召喚獣から目にも留まらぬ勢いで繰り出される一撃は、世界から断絶されたような錯覚を与えた。
「手は届かせやしませんから」
淡々と告げる冴弥の声は、事実。宙を浮く標的に対し、るるの腕は届かない。
人形を再構築する素振りの見えないるるを前にして、アルベールは思案する。
(人形は弟さんなのかな。それとも、君自身?)
降り頻る人形。戦闘の邪魔とまではいかなくとも、気が散るのは確かで。
るるの傷付いた腕を狙撃しながら、アルベールは言う。
「君の弟さんは君のこと「家族として大好きだった」って。だから私たちが来たんだよ」
退いたひかるとエルレーン、取り残されたるる。その許に降り注ぐ白秋の銃弾の嵐。
「――それが弟さんの愛情だと言うなら、それを届けるだけなのだ」
アルベールの台詞にまるで呼応するようなタイミングで、人形たちの淡い輝きが一斉に増す。――それは、くりかえすゆめ。永久の夢想。
●ゆめをみていたみたい
そう! やっと私は気付いたの! お人形なんてうそ! お人形なんて偽物! ”練習”に使ったお人形は要らない! 本当の弟はどこ? 本当の私の宝物はどこ? 私が壊した『きみ』はどこ? 私が殺した。私が壊した。でも生きてるの。だってまだ必要だもの。私には『きみ』が必要で、『きみ』には私が必要。そうなの。
どこ? どこ? どこ? ねえ、ねえ、ねえ、ねえ! どこに隠しているの? どこに仕舞っているの? ――あはっ、隠れんぼかな、鬼ごっこかな、可愛い可愛い『きみ』!
●るる、るるる
撃退士らの眼裏に一瞬過ぎったのは、薄暗い明かりの下で幾度も幾度も人形を絞め上げ、斬り裂き、抱き潰し、傷だらけにしていく一人の女の姿。その人形は、るるの周りで浮遊している人形に酷似している。そして、ふとした瞬間に、弟と思しき少年の面影が映る。
「……っ、また幻覚のようじゃな」
「るるのお姉さんは、昔の弟さんを探してるの?」
ほぼ全員同時に晴れた幻覚を振り払い、美薙、エローナが先ず声を上げる。
理解出来ない。それが感想。愛情を求めた、無理矢理に愛情を与えた、正気を疑う獰猛さ。
「……るるの感情は理解できません」
冴弥は見せ付けられた感情の塊を一蹴する。
けれど。
(けど……兄妹でも殺したい気持ちはある、のでしょうか。なら、兄さんは一度でも私を消そうとは思わなかったのでしょうか。――自己肯定感を得る為の親からの目を、病弱で奪っていた私を……)
不安は表情に僅か滲む。その肩を軽く叩くのは、ダニエル。
「気を奪われてはいかん、幻覚は幻覚だ。……何、爺の御節介だ、大目に見てくれ」
「……ええ、有難う御座います」
半包囲する形でるるを取り囲む撃退士らは、それぞれの想いを胸に挑む。
「正直、判らないことだらけなんだよ。……でも……お姉さんに聞くのはできないんだよね」
ディアボロとは会話は出来ない。そう以前の事件で知ったエローナ。ひとつ前に進んだ少女が、再度見せられる夢は暗く、苦いゆめ。
るるは治癒役と見て取った美薙の元に大きく跳ねると、次いで両腕を大きく薙ぎ払う。伸びた腕が美薙を防御の鉄扇ごと弾き、その意識を刈り取った。
「くっ……」
「させねーのだよっ」
追撃はさせぬとばかりにアルベールの指が引き金を引く。散弾はるるの身体をばらばらと穿つ。
その攻撃に重ねるようにして突き進むエルレーンの白銀の一閃が煌めいた。
更に重ねられる白秋の追撃、猛銃の牙。狙い穿たれ続けたるるの片腕はもうぼろぼろだった。だらりと垂れ落ちた片腕、黒血に塗れ今にも千切れ落ちそうだ。
冴弥が指示するがままに猛る召喚獣は自身の属性を変化させ、その輝きを増す。
覚束ない足取りでぎょろついた目玉を剥くるるに対し光の銃を撃つ、エローナ。
ダニエルは美薙を庇うよう前に立ち塞がり、ひかるは斧槍を振るい横腹を薙いだ。
何れの攻撃を受けても尚、るるは笑っていた。楽しそうにけたけたと、けらけらと笑い、跳躍し、もう片腕のみとなった爪を振るい牙で穿つ。
一撃一撃は重くとも、意識を取り戻した美薙の振るう治癒で回復は何とか事足りた。
携えていた人形はもういない。降り頻る人形は護ってはくれない。そんな中で尚、弟を求め――捕まえようと、地中に潜らせた腕でエルレーンの両足を攫む。しかし攫んだと思ったそれはスクールジャケット、ただの身代わりだった。
地面から隙だらけのまま腕を生やした相手を彼らが放っておく筈もない。
一斉に攻撃をその身に受けたるるは腕を引き抜き暫くふらついていたが、最後に冴弥のスレイプニルの一撃を受け、漸く膝を付く。
手にはスクールジャケットを握り締めたまま”弟”に一歩近付こうとして、動きを止めた。
――そうして、辺りに降り頻っていた人形は、忽然と消える。
るるの、彼女の夢想が断ち切られた瞬間だった。
●ゆめのおわり
「有難う……有難う、御座います、」
連絡を受け現場へと送られた彼――弟は、嗚咽を溢して『姉』だったモノの残骸を見下ろした。ディアボロと化したその姿に面影は殆どない。けれど、本能的に判る、彼には判る。
「姉を人として送らせてくれることに、どれだけ感謝しても、感謝し切れません。許されないことを沢山してしまったのに」
提案者であるアルベールは目を細めて笑うと頷く。
よくよく見ると、彼の首には薄らと過去に受けた爪痕のようなものがあった。るるの腕に刻まれていた幾筋もの爪痕とよく似た。
「有難う――本当に、皆さん有難う御座いました」
少年は涙を払い大きく頭を下げると、業者に促されるまま車へと乗り込んだ。
るる――否、ヨリコの遺体もシートに包まれ、搬入される。
タイヤを回し走り去っていく車を眩しそうに眺めながら、白秋は緩く息を吐く。
(――前に進む勇気に喝采を)
同じくして姉を持っていた者。そして亡くしてしまった者。白秋は過去を引き摺り尚ここまで駆けて来た。反して少年は前へと進もうとしている。ならば、掛ける言葉は必要ない。
「ままならないもんだな、家族ってのは」
ただ常より何所か曖昧な笑みを刻んで、白秋は呟いた。
一同は群青色に染まりつつある空を見上げながら、ゆっくりと帰路へと向け歩き出す。
――それぞれの、帰るべき場所へ。