●喪う事
昼休みの屋上。
青々とした色は高く雲は穏やかに千切れてゆく、そんな晴れやかな空。
それとは反した心持で一人空を見上げて黙り込むキョウコ(jz0239)。
彼女を蝕んでいるのは夢だ、夢を見た。恐ろしく、そして儚い夢を見た。
その所為であんな子ども染みた口論なんて――と、先程より少しばかり冷静になったキョウコはため息を吐く。
明らかに落ち込んではいなくとも、何所か気落ちしている。そんな姿を目に留めるなり、ゆっくりと近付いて来る人影二つ。
「こんにちは、キョウコ先輩」
「お邪魔させて頂きますね、こんにちは」
ランチを提げた星杜 藤花(
ja0292)と、飲み物を携えた安瀬地 治翠(
jb5992)だった。
「あー、安瀬地君……と、星杜さん? だっけ。お友達同士仲良くランチ? なら場所でも開け――」
キョウコは言いつつ据えていた腰を上げ掛ける。が。
「いえ、ご一緒にどうかなと。先日はお疲れ様でした」
「はじめまして。斡旋所で見かけたことはあるけど話をするのは初めてですね」
言うなり傍らに腰を下ろす治翠と藤花に、キョウコは敏く片眉を跳ねる。――ものの、続きは口にしない。小さく息を洩らすと、後ろ頭を掻きつつ彼女は呟くように洩らした。
「じゃ、御一緒させて貰いましょうかね。生憎ランチは持って来て無いけど」
「お持ちしました。腹が減っては何とやらですし、食べながらお話しましょう」
「良かったら、こちらもどうですか? つい買ってしまうのですが……多分余るので」
いそいそとランチセットを取り出す藤花と、飲み物を取り出す治翠。ほのぼのとした雰囲気の二人に影響されたか、キョウコは強張らせていた肩をゆっくりと落とす。
「子どもの頃、幼馴染が好きだったんです。今は珈琲ばかりを好んでいて、少し寂しくも有るんですが」
「へえ。安瀬地君の幼馴染くんって、一緒に良くいる子かな? 一応、依頼見に来る子の名前は大体覚えてるから――……じゃあ私、いちごオレもーらい!」
その代りにといったていで、半分渡す、藤花のくれたサンドイッチ。
遠慮無く頬張るキョウコの隣で自分自身もおとなしくランチを広げながら、藤花はしずしずと尋ねかける。
「最近浮かない顔をしているようですがなにかあったんですか……?」
そこまで顔に出ていただろうか、と目を丸くして、それからキョウコは小さく吹き出した。
「二人共、アレでしょ。ウヅキに頼まれでもしたの?」
「口論しているのも、見掛けましたし」
困ったように眉根を寄せる藤花を尻目に、飲物の封を切り口を付けるキョウコ。治翠は穏やかにその様子を窺う。
「参ったなあ。あいつ、御節介なんだから」
「ウヅキさんとの付き合いは長いんですか?」
「そーだね、相当かも」
治翠の問い掛け。既に得ている情報だが、改めて問掛けるとその重みは深くなる。
「パートナーみたいですね、それって」
ふんわりと笑って言う藤花に目を瞠り固まったキョウコは、真顔で勢いよく首を左右に振る。
「ち、違うって」
「大切な人、って言い方も出来ますよ。……わたし、こう見えて結婚しています。だから、もし大切な人が傷ついたらと思うといつも怖いです。わたしは戦いが苦手ですしね」
キョウコは無言でサンドイッチを一口。膝元に置いた飲物を取ると、軽くストローを齧る。
「そう言えば、先日嫌な夢を見まして」
事も無さげに言う治翠に、彼女はばっと顔を上げた。
治翠が見た悪夢は、大切な人を喪いたくないと言う渇望。
冥魔の歪んだ救済を否定して尚縋る程に必死だった夢。
少し、似ている。
「夢は夢だと、判ってるんです。だからこそ、現実にならぬ様どうすべきか考えています。答えは未だ出ていませんが、矢張り肩を並べて戦い、護りたいことは揺るがないんですよ」
護りたいと願うこと、誓うこと。
護られる側であったキョウコは、護る者の意志を聞いて何を思うのか。
「自分でモヤモヤしているだけだときっと打開策を見つけるのは難しいかと思うんです。……私も、大切なものを喪うのは、とても怖い」
藤花の言葉には、キョウコと同様に喪うことへの恐怖が混じっていた。
「思っていることを、少しでも主張したほうが、いいのではないかって。そんな気がします」
大切なものを喪うということは、想像するだけで怖い。
「そして、貴女は本当はどうしたいんですか?」
治翠の問い。ただ戦闘に行かせず、それだけで本当に良いのか。そんな無茶を通して、どうするつもりなのか。
――未だ、答えは出ない。
「……もうちょっと、考えてみるわ」
キョウコは曖昧に笑い、それから昼休みを終える鐘の音に立ち上がった二人を見送り、礼を言った。
●言葉にする事
「私と話、ですか。こちらで構いません。私は……私たちにとっては、此処がホームのようなものなので」
斡旋所の隅、夢屋 一二三(
jb7847)とダニエル・クラプトン(
jb8412)はウヅキと共に着席した。
「キョウコとは随分親しいようね。親友……というものなのかしら」
「腐れ縁といった言葉が近いかも知れません。親友は、少しこそばゆいです」
一二三の言葉に対して返すウヅキは何所か穏やかだった。
ダニエルは黙したまま、その様子を眺めている。
「キョウコのどういう所が好き? 嫌いな所は?」
ウヅキは暫し考え、それから好きな所は幾つか挙がった。嫌いな所も同数か、それ以上。
「それが友と呼ぶ者なのだろう」
「そうですね」
ダニエルの言葉に頷いたウヅキの頬が少し弛む。
それは姉の顔。そして、親愛なる友を思う顔。
「ねえ、もしも本音を聞いてそれが対処できないものなら、どうするの?」
一二三は尋ね続ける。彼女がキョウコをどう思っているのか、どう考えているのか。それが一二三自身に足りない感情で有るから。
「その時になったら考えます。でも、それは無いとも思ってるんですよ。だからこそ、もう少し頼ってくれればとも思うんですが」
僅かに興味をそそられたようにウヅキを見詰める一二三を尻目に、ダニエルは切り出した。
「キョウコ殿の真意を聞くにあたり、ウヅキ殿にも変えるべき所があるのではないかと私は思うのだ。まぁ老人の戯言とでも思って聞いてくれ」
ダニエルの言葉にウヅキは目を丸くする。
「私が、ですか」
「ああ、そうとも」
険しい顔立ちの割には穏やかで包容力の有る雰囲気に絆され、ウヅキは頷いて先を促した。
「強いというのは弱いという事なのだと私は考えている。例えばウヅキ殿は芯が強く、ちょっとした事では音を上げないだろう。増してやキョウコ殿の事は妹の様に思っているのだろう? ならばキョウコ殿の前では猶更弱さを見せる事が出来ないはずだ」
「……そう、ですね。あの子の前では特に、年上ぶってしまっているかも知れません」
思い当たる節が有った。誰にも、彼女にさえ言わない、言えないこと。言う必要が無いと思っていたこと。
「それはウヅキ殿の弱さだと思うのだ。キョウコ殿はウヅキ殿に本音を打ち明けないとの事だがそれも当然だ、ウヅキ殿がキョウコ殿に弱さを、本音を打ち明けねば相手も応えてはくれまい」
ダニエルの言葉には説得力が有った。
それは長き人生を歩んだ重みであり、人としての生を謳歌した彼有ってのもの。
「対等な関係こそ友人というものではないか? どう思うかはウヅキ殿次第ではあるが、もう一度お互い話合うべきだと思うぞ」
「……そうですね。もう少し落ち着いて、あの子が話そうとしてくれるなら」
ウヅキはダニエルの言葉に少し頬を綻ばせると笑い、小さく頷いた。
「どんなに仲が良くても言葉にしないと判らないこともあると、歌にもあるわ」
一二三も同じく頷いて、一節を諳んじる。
それは今のキョウコとウヅキに最も必要で、重要な事柄だった。
●話す事
昼休みもとうに過ぎ、授業が始まる頃合い。
一人呆けたまま座り込むキョウコの背後、唐突に物の弾ける音一つ。
「んあっ!?」
パァン、と盛大な音を起てて爆ぜた袋の音に背を跳ねさせ振り向いたキョウコの視線の先には、いつの間にやら忍び込んだ紫苑(
jb8416)。
「さぼりですかぃ? わりぃおひとだ」
「あー吃驚した。そういうきみもサボり?」
「へい。きょうはおひさまきらきらぽかぽかでさぁ、おれがこわくなけりゃいっしょにさぼらせてくだせぇ」
恐れる所かやや呆れ笑うキョウコが頷くが早いか、隣に座り巾着から駄菓子を落とす紫苑。
「えすけーぷにゃうめーもんがつきもんでさ!」
「ばっち来いおっ菓子ー!」
ぱん、と両手を合わせたキョウコを見ながら朗らかに笑う紫苑はぺっこり一礼。互いに名を名乗り合い、駄菓子を摘まみながら雑談に耽る。
「さっきの、みてたんでさ。けんかですかぃ?」
「……あんだけ激しくやってりゃ見られるか」
一度菓子への手を止めかけるも、再び黙々と食べ始めるキョウコ。
話してはみないかと問う紫苑に対し僅かに笑うと、菓子の包みを開けた。
「怖い夢、見たんだよね。初夢って奴で」
「へえ。キョウコのねえさんはしってやすか。いいゆめはひとにははなしちゃいけないんでさ、とられちまう」
頷き合う二人と、積み重なる菓子の包み紙。
「だから、わるいゆめはどんどんはなすべきなんでさ。そのゆめまさゆめにはしたかねえだろぃ」
正夢。その単語に眉を跳ねさせたキョウコは一旦口籠り、それから肩を落とすとへらりと笑った。
「知り合い……んーん、友達が死んじゃう夢、見ちゃって。しかも私を庇ってんの、バカみたいでしょ」
「嫌な夢ね」
気付けば背後に人が居た。ウヅキから話を聞いて、丁度上って来た一二三だ。
「でしょ? ばかばかしいにも程が有るって感じ」
「キョウコは、その人……ウヅキをどう思っているの?」
「……超絶バカで、お人よしで、頑固で、意地っ張りで、面倒見ばっかり良くて、自己犠牲だって喜んでしちゃいますよ! って感じ」
キョウコの言葉には悪態が多い割に、声音はやわらかかった。
「キョウコはウタは好き?」
唐突な問いに、彼女は瞬く。
「好きだよ。でもどうして?」
「ウタは私の魂、私を私とする総て。もしも紡ぐことができなくなったら……私は迷いなく死ぬわ。そこに未練は何もないから」
淡々と連ねる一二三の声に、紫苑とキョウコは耳を傾ける。
「キョウコはどう? 人間は死ぬ間際に未練や後悔が浮かぶことも多いそうよ」
未練、後悔。
夢の中で見た、彼女の死。
そこで生まれたのは何だったのか。――そうだ、後悔。未練。後悔の王と名を付けられた、あの奇妙な夢。
「思いは言葉に出来る時に相手へ届けておいたほうがいいと思うわ。互いに生きてる時じゃないとちゃんと伝えられないでしょう?」
「……。……中々難易度が高いもんだけどね」
頬を掻くキョウコに、紫苑は声を上げる。
「キョウコのねえさん、てぇだしてくだせぇ、て!」
「へ?」
咄嗟に差し出した手の上に乗せられたのは、大玉の飴一粒。
「これぁですねぃ! おれひぞうのあめだまなんでさ! まだだれにもあげたことねぇんですぜ!」
「そんな大事なものどうして」
「これなめると、たべおわるまでちょーむてきになるのろいがかかってんでさ! だからこれなめて、しっかりなかなおりするんですぜぃ」
掌には"のろい"の掛かった飴玉。見詰めながら、キョウコは吹き出して笑う。
「頑張ってやろうじゃん」
呟いて、紫苑とはハイタッチして別れた。勿論、その意味を良く判っていない一二三ともだ。
●伝える事
寒さが増してきた夕刻、Camille(
jb3612)の訪れに思わずと吹き出したキョウコは笑った。
「今日はお客さんが多いわー。彼奴依頼か何かでもした訳?」
「そこまで判ってるんなら話が早いじゃない」
笑って隣に座るCamilleにキョウコは頷くと、深々とため息を吐く。
「ちょっと冷静になってね」
「戦闘依頼に行くな、だなんて……まるで自分の家来に命令してるみたいね。自分の駒が、自分より優秀な成績を修めるのが恐くて嫉妬した?」
態と明後日の方向に飛ばされるボール。それに対し諦め半分、納得半分でノーと返すキョウコ。
「違うよ。私は怖いんだ、彼奴が死んじゃうの」
「そうだよね」
もう誤魔化しは効かない。にっこりと笑って言うCamille、彼は続ける。
「ウヅキ、暫く戦闘依頼は控えるって言ってたけど……でも、戦闘から遠ざけたって、人はいつどこで死ぬか判らない。皆、明日は約束されてないんだ」
「うん」
それは撃退士でなくとも皆同じ。理解していた筈だった。頭の中では、理性では十二分に判っている。だからこそ恐れたのかも知れない、だからこそ怯えたのかも知れない。
「一番恐いのは、喪うことじゃなくて、伝えられずに会えなくなること。もし、今日のままの状態で別れを迎えたら……後悔しない?」
Camilleの問い掛けに、キョウコは目を細める。
「危ない目に遭わせたくないなら、自分が護っちゃえば良いんだよ。一般人になら出来ないことでも、撃退士なら可能でしょ」
はっと顔を上げたキョウコに、Camilleは笑ってみせる。
「素直になりなよ、喧嘩になんてする必要ない」
キョウコ自身、それは判っていたことだった。
今日一日色々な人に出逢い、背中を押され、決めたこと。
――漸く、彼女の中で答えは決まった。
Camilleに背中を押され、キョウコは立ち上がりスカートの裾を払う。
「一丁遣ってやりますか」
「そうそう、その意気。女は度胸だよ」
生まれて初めて告げる、大事な人へのある種の告白。
キョウコは大きく息を吸って、紫苑から受け取った飴玉を口に投げ入れた。
●伝わること
斡旋所に再び顔を出したキョウコに、ダニエルと話をしていたウヅキはひどく驚いた。
まさか彼女が来るとは思っても見なかった為だ。
そして、話をした。ウヅキが死ぬ夢を見たということ。
言い方こそぞんざいだったが、虚偽は何一つ含まれていない、本音。
「何だそんなことですか。それに何を今更、私はあなたを護りますよ」
「バッ」
一番恐れていた肯定。けれど、ウヅキは続ける。
「でも、それはあなたも同じでしょう。きっと私を護るに決まってます」
気付かなかった、気付いていなかった事実。キョウコは目を丸くすると、自分の胸に尋ねる。――答えは、イエス。
「だから私も怖いですよ。あなたが死んだら、なんて」
「……」
それはほぼ初めて聞くウヅキの弱音だった。
「恥ずかしいこと言いますからね? だからこそ護るんですよ。護り合うんです。私たちは友達ですから」
「……!」
キョウコは暫く口をぱくぱくさせていたが、耳を赤くすると項垂れ自身の服の裾を握り締める。
「…………友達なのは認めてやっても良いよ」
「素直じゃないですね」
斡旋所の隅に固まった六人もまた、その様子を眺めながら安堵の息を吐く。
依頼は一件落着。夢から始まった仲たがいは、現実と結びついて新たな形を成した。
――確かな友情という、形無きカタチを。