●e.g.強欲の挺身
戦況は最悪だった。
敗れた撃退士たちは蜘蛛の子を散らすよう去り、逃れ、そこに盾を構えて立ち竦む一人の少女、御堂・玲獅(
ja0388)。
誰も倒させない。誰も屠らせない。そう誓った彼女はたった一人、殿になるまで立続け、そして、見事仲間が逃れるだけの時間を稼いだ。
後は玲獅が逃れるのみ。けれど、一人きりで場に残された、その姿をディアボロが見逃す筈もない。背を向けることも出来ず、一進一退の場で、獣は吼えた。
「……っ!」
全身を貫く衝動、熱、痛み、綯交ぜになる意識。
見れば盾を弾いた剛槍が全身を貫き、鮮血が噴出していた。助かる訳がないと、一目見て判る。治癒の力も使い切った今、後は朽ち果てるのみ。
「私はッ……」
轟と風が唸る。感情の波、アウルがうねり、竜巻を起こす。
未だだ。未だ。未だ、何も成し得ていない。そう、玲獅の心は叫んでいた。
痛みに薄れつつある意識の中で、彼女は覚醒する。
「――きみは?」
誰か、の声。耳に届いた声音に促されるよう、血を吐きながら玲獅は叫ぶ。
「未だ、誰も救えていないッ――!」
全身を支配する痛みよりも先に、欲が走った。
人々を救いたいと思った。
今も尚、誰かに傷付けられている人がいる。天魔に殺されている人がいる。自ら死を選ぶ人もいる。その人たちを、救いたい。
パズルのピースの歪んだ、音。
――自らの手で、救い<殺め>たい。
それは堪らなく強欲で、そうして奉仕に満ちる、純粋な感情だった。
アベルは笑って、その手を取った。
癒しに殉じる聖職者たる彼女の、麗しき心に哀悼を篭めて。
彼女が持ち得た感情は、奉仕と強欲。
ただただ人を護るという思いと、狂気的な救済への欲。
――生が希望であると、誰が決めたのだろう。
――死が絶望であると、誰が決めたのだろう。
彼女は――玲獅だったモノは、強く信仰する。
与えられる筈の苦痛も、死への恐怖も、その強い渇望は奉仕の心で塗り潰す。
招かれざる死を振り撒いて、それがあたかも救いであるかのように振るう。
「貴方たちには辛い日々が待っています。現実はどこまでも悪意に満ちています。悪意は貴方達の事情などお構いなしに、貴方達を踏みにじる。――だからこそ私は貴方達を護り、救いたいのです」
そこに生まれる致命的な欠陥に、血色のドレスを翻して謳う彼女は気付けない。
それが誰の救いにも為り得ないことを。それがただの独り善がりの行為でしかないことを。
――――強く癒しを求めた彼女に与えられた名は、終焉の癒し手<ヒーリング・クローザー>。
救済者として振る舞い続ける彼女は、歪んだ癒しの風を巡らせ駆ける。
「きみは何所まで行くのかな?」
「誰も傷付かない未来まで」
いつしか斃される為に。
その身に救済の刃が突き立てられる、その日まで。
●e.g.淵から這い出す
「うそだよ……おししょーさま、うそだよね?」
呟きをかき消すようにけたたましく響く笑い声は、エルレーン・バルハザード(
ja0889)を斬り伏せた天魔のもの。力、早さ、何もかもが圧倒されていると、彼女は理解した。
抉られ続けるように痛む傷、朦朧とする意識。
はらわたはずたずただった。咥内は血に塗れ、吐瀉物は汚濁した紅。
――ふと、過る記憶。
それが走馬灯と呼ぶべきものだったのかどうかは、彼女自身も判らない。
ただの、記憶の残滓。
脳裏に浮かぶのは、自分を救い、護ってくれた、エルレーンにとって母親そのものだった女師匠。
(「おししょーさまはきっと、私を見ていてくれる!」)
今でも鮮明に思い出せる彼女の姿。
けれど、亡くなってしまった。だからこそ継いだ、『護る』こと。
(「だから敵を倒して、悪い天魔をころしてころしてころすのっ!」)
敵を倒す剣、仲間を護る盾。
その想いだけを胸に撃退士として戦い続けて来たエルレーン。
(「いっしょーけんめぇがんばる私をっ、天国で見ていてくれるのっ!」)
それは宛ら機械のように。敵を殺し、殺し続け、自分の感情をも殺し続けた。それはすべて師の為。
けれど、エルレーンは負けた。負けてしまった。
動かぬ体では戦うことが出来ず、恐らくこのまま死に絶えるのだろう。
もう剣にも、盾にもなることが出来ない。
「私なんて、戦えない私なんて、もう……いらないのかなぁ?!」
「そうかも知れないね」
アベルの声。――そこで、存在意義を失ったエルレーンの意識は崩れ去った。
剣士の誇りも消え失せた、一人の憐れな少女の成り果てた先の姿は一体の――
Ξ┌(┌ ^o^)┐バーン
崩れ去った精神、朽ち果てた肉体、その最後彼女に残されたのは、┌(┌ ^o^)┐の本能。
「………………想定外だね」
戸惑いすら浮かべたアベルの声にも耳を貸さず、エルレーンだったモノはザカザカと辺りを歩き回る。
その鳴き声は何を――ナニを思ってか、ホモォホモォと遠吠えにも似ている。
エルレーンの意識は途絶えれど、エルえもんのPNは絶えず。
ホモォソードを背に担ぎ、ホモォビームに目を光らせ、撃退士を、一般人を、次々と駆逐(ホモォ)する。
妄想を糧に次々と製本されていく同人誌の剣を何かの液体でしとどに濡らしながら、闇夜を駆け抜ける姿は人々の目には捉えられない。
すべてを失くした末に残った残滓を掻き集めた少女。
――――彼女に与えられた名前は、猛き意志を抱く┌(┌ ^o^)┐<すごくつよいホモォ>。
└(┐卍^o^)卍ドゥルルルと空を華麗に舞いながら、絶望を振り撒く姿を見上げつつアベルは呟く。
「………………これもひとつの形、か」
若干所か大分ドン引いているのは間違い無い。
撃退士が彼女を屠るまで、彼女は腐のオーラを撒き散らすことを、止めない。
●e.g.静謐なる王の歌
饐えたガソリンの臭い。独特のつんとくる臭いに何故だか笑ってしまって、ぬめるライターを手に一人で肩を揺らした。
――亀山 淳紅(
ja2261)は歌を愛していた。
肺を一杯に膨らませる空気、喉を震わせる感覚、頭から背筋を抜けていくような快感。沢山の人が自分の歌を耳にして、胸を、腹を、身体を揺らす拍手が鼓膜に響いて、家族全員が褒めてくれて、友達皆と一緒に、心臓が潰れてしまいそうな程の楽しい演奏をして、隣にいる恋人が、幸せそうに笑ってくれて――それなのに、もう、出来なくなってしまった。
ディアボロに潰された喉。下された診断によれば回復は絶望的、喋ることが叶えば御の字、歌を唄うなんて以ての外。
失くしてしまった歌。失くしてしまった存在意義。
歌えない自分なんて要らない、生きている意味なんて何所かへ行ってしまった、――歌いたくて、苦しくて、それなのにどうにもならなくて、――だから、この歌<人生>は、ここでフィナーレ。
(――御清聴、ありがとうございました)
揮発し目に染み喉に染みるガソリンが痛くて、苦くて、喉を気遣おうとして、そんなこともう無意味なんだと、自嘲した。
「 」
「――きみはそれで、満足なのかな?」
届かない謝罪、声にならない声に被せられる、問い掛け。返事の声は出ない。判っている癖に、とくしゃりと歪めた顔は、果たして相手に見えただろうか。
壊れた涙腺はただただ涙を流し続け、歌を唄っていた時のような――歌を唄っていた時と変わらない、笑顔でライターの火を点ける。
――爆ぜる焔、激しく燃え盛る紅。誰にも拭われることの無かった涙は焔に融けて、消えた。
淳紅は、沢山のものを護れなかった。
色んな事柄で足を引っ張って、どうしようもなく弱くて惨めな自分が大嫌いだった。
それでも、自分には歌が有った。
――それは、たった一つの切欠で崩れてしまう、弱者の妄信。
歌という一欠けらピースが外れたことで、すべてを崩した淳紅の世界は、脆い。
唄えなくなった世界で、歌以上のアイデンティティを見付けることが出来なかった。
恋人、家族、友人より、歌を選択してしまった、ひとつのパラレル・ワールド。
(「知っとる? 人が、人の思い出の中で一番最初に忘れるものはな、”声”なんやって。せやから自分は、皆の中から一番最初に消えてくんよ」)
最も歌を貴んだ、最も歌を愛した彼の終幕に声は無く。
(「だから大丈夫、大丈夫――」)
――――彼に与えられた名前は、歌亡きの王<サイレンス・レクイエム>。
誰にも届かない。
もうその喉は歌を紡ぐことが叶わない。
焔に塗れ、灼け爛れた喉ではもう、何も。
「勿体無いね」
誰の耳にも届かない歌を聴きながら、アベルは呟く。
●e.g.茨で身を削る者
圧倒的な敗戦。撤収の指示が遅過ぎたこの戦場で、たった一人取り残された者がいた。久遠 仁刀(
ja2464)。
殿を務め、撤退を――定められていた機を逃してしまった仁刀は指示に背を向けて、剣を振るう。対峙するは隻腕剣士の使徒――彼を越えねばならぬと意識していた為か否か、振り絞る力は正に決死。
けれど、未だ届かない。常人ならざる力、アウルを行使して尚、彼には及ばない。
最期の力を以て向かった仁刀は斬り伏せられ、そして、散った。
「―――――」
眼前の男が何と言ったのかは、判らない。視線が一度合って、それだけ。
膝を折り、倒れ伏していく自分が映せたのは、ただそこまで。
どくどくと脈打つ傷口から流れ出る夥しい量の血、血、血、血。
もがこうにも痛みが制して邪魔をする。
命の灯が潰えるのもまた、時間の問題だった。
ぜいぜいと喉が鳴き、鼓動が煩い程に耳障り。
「悔しくは無いのかい?」
血の海に伏せる仁刀に問い掛ける、声。
言葉を返せる訳がない。
幾度となく敗北し、護りたかった者を護れず、夢見た先――並の撃退士では有り得ない存在に成り得ることが出来ないという、無念、絶望。
そこで生まれるのは憤怒だ。
望んだ者には成り得ない。一生を以てして、届かなかった夢、希望。
夢見た先の欲望は随分肥大し膨らみ弾けんばかりに育っていたが、実の所は収穫さえ出来ずに枯れ果ててしまう些細なもので。
月に手を伸ばし届かぬことに怒るのでは無い。月を伸ばしても尚届かせる術を手に入れられなかった自分自身に失望し、激昂した。
「きみには努力が足りなかったんじゃない。素養が無かっただけさ」
笑ってアベルは言い、眼前に一枚の絵本の頁を落とした。
刻まれている絵柄は、棘だらけの甲冑に身を包んだ騎士の姿。
「厄介だね、人間ってさ。強欲で、その癖弱虫で」
嘲るわけではない。ただ、心底憐れむように彼は言った。
仁刀は理知的な青年だった。
芯の部分で、自分自身の限界を理解している。
そう納得しながらも、手放すことの出来ない想いが彼には有った。
幾度と無く経験して来た敗北と離別。護りたかった者も、その心も護ることが出来ず、眼前に突き付けられたのは、自分自身の矮小さ。
今にもひび割れ砕け散ってしまいそうな現状に、そうして機は遣って来た。
死。幾ら手を伸ばしても届かない、絶対的な存在への屈辱、雪辱。
生涯、バカにされ続けて来た。見返してやろうと思って生きて来た。鍛錬を積んだ、その結果漸くと周りから認められかけて来た。――そこで、アウルの発現だ。努力の成果も皆水の泡、アウルが有ったから、アウルの力の御蔭、――全部全部、聞き飽きた。
力が欲しかった。純粋な、力が欲しかった。
――――彼に与えられた名前は、茨杯の騎士<ニイド・エルダー>。
怒りに任せて剣を振るう。薙ぎ払い、斬り捨て、自らの茨で自身をも傷付けながら、彼はゆく。
●e.g.雨降り14時冬の雨
雨が降っていた。
冬の雨。雪には成り得ない、冷たい雨。
雨宮 歩(
ja3810)はその雨の中、ひとつの始まりとも、終わりとも呼べる戦いに興じていた。
自身は血色のオーラを翼の様に舞わせ斬りかかり、相手は紫電のオーラをライフルに纏わせ銃弾を放つ。
歩は笑い、敵――彼の始まりと呼んでも良い男も笑っていた。
(『つまらない生き方ですね』)
初めて逢った時に言われた言葉を思い出す。
(「なら面白い生き方を教えてくれるか」)
子供の様な反論。それに対して男は笑った。
(『その依頼、引き受けましょう。ようこそ、音桐探偵事務所へ』)
それが歩の始まりだった。
探偵の仕事を手伝わされる内に自分自身も探偵となり、撃退士としての素養を見出され、戦い方の基礎も教わった。
そんな彼は事務所を歩に任せて旅立ち、再会した時は敵対者。
何故戦うことになったのかを問う程ナンセンスな男ではない。
重要なのは、決着を着けることだけ。
「お前はボクの始まりだ。だから、ボクの手で終わらせる」
それは宣誓。
戦いながら二人は笑う。恋人も友達も、憎い敵のことも忘れて、ただ目の前の敵を殺す為に戦い、愉しみを見出し笑った。
向ける刃は本気で斬る為。向ける銃口は本気で撃ち抜く為。
それは傍から見ずとも殺し合い、だった。
本気の殺意をぶつけ合う二人は、本気の一撃を繰り広げ合う。
そうして何もかもを忘れて笑い、斬り、撃ち、躍り殺し合った結果。
歩の刃は彼の心臓を貫き、彼の銃弾は歩の内臓を引き裂きずたずたにした。
先に逝ったのは彼の師たる男で、最後の最期まで微笑んでいた。
(ボクもきっと同じように、笑って逝くだろう)
歩はそれでも構わなかった。
他の何よりも求めていたモノを得て逝くのだから、同じように笑って、笑って逝くのだろうと。
「ああ、本当に愉しいなぁ」
笑う、嗤う、哂う、狂った道化の様に笑い続け、歩はその生を終えた。
その二人の血塗れのダンスを眺めていた男が一人。
「本当、人って判らないなあ」
嘗て人だった彼はそう呟いて、傘を手に、一枚の絵本の頁を水たまりに落とす。
描かれているイラストは、降り頻る雨の中笑う道化師の姿。
つまらない人生と称された自身の生を、変えて欲しいと願った。
変えようと告げ、変えてくれた人。
恩人とも呼べるその人が、何故敵となったのかは判らない。
けれどただ、終止符を自分の手で打つことが出来るのなら、それは何よりの至福であると思えたのだ。
笑う、嗤う、哂う、ただただ愉しみ、まるで恋しい人を求めるかのように刃を振るった。
それは正しく歩にとって真の救済であったのかも知れない。
――――彼に与えられた名前は、雨下の道化<レイニー・ジョーカー>。
カードを斬り、ナイフを投げ、雨下で彼は延々とジャグリングを続ける。
今はもう動かない亡骸の傍ら、一人で笑い続ける。
●e.g.罪深き両腕
二兎を追う者は一兎をも得ず。
妹と恋人、どちらを護るかの判断は一歩遅く、刹那が境目となって双方を失うこととなる。
「――フレディ!」
混乱した戦場。同時に届いた声に顔を上げたフレデリック・アルバート(
jb7056)は、眼前で自身を護るよう立ち塞がった愛しい従妹の姿に目を瞠る。
胸を貫く剛爪はあっさりと彼女を屠り、振り抜き様に再度フレデリックに狙いを定めた。
少女の兄でありフレデリックの恋人であるアラン・カートライト(
ja8773)は急いた。妹が生きている等と楽観しない、直ぐに判った、彼女が事切れているのだと。だからこそ急いた、恋人までもを喪う訳にはいかないと振り翳した腕はしかし、獲物を見誤った。
薄い金髪、少女と同じ色の眸、飛び散る鮮血に倒れていく身体。すべてがスローモーションのように見えた。
フレデリックは予想外の方向から自身に斬り掛かった斧が行き過ぎ、最期に見得た恋人の姿にふと安堵し、掠れた声で彼の名を静かに呼んだ。
(――嗚呼、なんて酷い顔をしてるんだ。そんな顔しなくて好いだろ、可笑しいな)
「アラン、」
(此処に居られて、好かった)
告げる言葉は最後まで紡げずに。
アランは茫然と立ち竦んでいた。
何所かしこから上がる悲鳴や、喧噪、それらも耳障りなノイズとしか捉えられず、ただ、茫然と二つの亡骸を見下ろしていた。
(――俺が殺した)
恋人を――?
受け入れられない事実。
立て続けに喪った命、立て続けに喪った宝物。
己自身の死さえ受け入れる間なく、アランはディアボロの牙に砕かれ逝った。
「誰が悪いのかな?」
響くアベルの声。
誰が。誰の所為。誰が悪い――。
恋人の最期の言葉はアランには届かない。
救いは無く、残されたのは絶望のみ。
彼は強欲で、そうして非道く理不尽だった。
執着心に囚われ、二人の存在に生かされる幸福を望み、自分勝手で独善的な生涯。
相手の感情を思いやることなく、省みることなく、自分の望む侭に愛した(果たしてそれは愛だったのか?)。
唯、手に入れたかった。
両手で抱いていたかった。
譲れなかった、一人とて逃してやる心算は無かった。
二兎を追って、幸福を謳う未来以外は、必要としていなかった。
アランにとって、それが最上で、当然のことだったからだ。
――――彼に与えられた名前は、強欲たる罪人<クリミナル・ハンド>。
強欲で、傲慢たる想い、願い。
罪人たる所以は、一つの心で二つの心を求めてしまったこと。
罪深き腕から血を滴らせながら、彼は空虚に笑う。
生きる世界に還らなくては。
其処で彼らを護り続ければ、きっと、きっとまた逢えるだろうと信じて。
「嗚呼、愛してる。俺の世界は、」
罪によって肥大した両腕を掲げ、アランだったモノは亡骸を求めて彷徨う。
救いも、希望も、何も無い世界。
彷徨い続ける彼を、支える大樹はもう居ない。
「腕が二つ有っても、心は一つしか無いのに。欲深いね」
アベルは小さく告げると頁を捲り、新たに書き記された頁を冷めた眼差しで眺めた。
●e.g.空虚の姫君
羽空 ユウ(
jb0015)にとって死とは、生命活動の停止。ただそれだけのことだと思っていた。
身も蓋もないと言われても構わず、そうして、変わることの無かった父母への諦観は深くなる一方。
「あの、男、と、女、は……変わら、なかった、の、ね」
父と母を見て思う。二人は何も変わらないのだと。人は変化する生き物であっても、そうでない人種もいる。そういう側の人間であったのだと。
「あの子の学校からだと思っていたら――チッ、あいつめ、裏切ったな」
父母の悪態。憎々しげな言葉。それを耳にしたユウは、目を細める。
(裏切り……おかしなことを、人は、裏切る、もの)
唐突に母親が笑った。
「ふふ、あなた。もう、無理よ――ふふ、ね、ねぇ、もう、死んで――しまいましょうか」
(無理、なのは、初めから……産まれ、落ちた私)
ユウは失望していた。諦め切っていた。
自分自身の生も、環境も、全て。
母親の手首から血が滲んでいることに気付くと、目を瞬いた。
(……隠さ、なくて、よかった、の?)
彼女の父は母の自傷行為を見ると暗い気分になるからと嫌がっていた。
だからこそ隠さなければと、だからこそ無かったことにしなければと、彼女は仕舞っていた。けれど、そうでなくても良いと母親は証明して見せている。
「また、血が、臓物が、流れる」
空に流れる煌めき、血、臓物、それらは美しく、儚く、そうして淡泊だ。
希薄な感情で呟くユウに、父母は見向きもしない。そう、それで良い。
過去に父母から成された行為を思い出しては、ユウは目を細める。表情に、感情に表わす術を知らない為だ。欠落してしまった、感情。
「貴方、もうダメよ、死んでしまいましょうか」
うわごとのように繰り返しながら諦めを告げる母親と、焦りを隠しもせずに舌打ちをする父親。
その狭間に挟まれたユウはただ茫然と、二人を見ていた。
実の、血の繋がった親子である筈の二人を見ていた。
しばらくして、眼前に転がるのは言葉通り自害した母親の亡骸。生命活動を停止した、母親だったモノ。
そして、眼前には得物で狙われる父親。――助けよう、と思った。それは親愛の情等ではなく、罪への贖罪を――初めて願った意志によるもので。
「簡単に……終わる、事が出来る、なんて、思わない、で」
ユウは父に向けて呟くと、奪ったナイフを握り締めて唇を噛み締める。
そうして、貫くのは喉元。過去に潰されてしまった喉を上書きするように、自らの意志で上書きするように、貫く。
少女の結末は、ある種喜劇的。
空虚な姫君の御終いは紅い華を散らし、空虚な器に色を付けた。
――――彼女に与えられた名前は空虚の人形<ヴォイド・パペット>。
からからと回る運命の歯車に導かれ、少女の人形は振り回される。
「可哀想だね」
アベルの小さく洩らした一言に、人形はかくりと首を垂れた。
●e.g.輝石の軌跡
御堂島流紗(
jb3866)が幼い頃に戦で失くしてしまった居場所。
それ以来ずっと居場所を捜し求め、放浪を繰り返し、傷付き傷付け返しながら、旅の果て、孤独と絶望の果てに漸く見付けた楽園。受け入れて、受け入れ返し、暖かな安寧を得た場所が、久遠ヶ原。
「私、今とっても幸せなんです〜!」
緩やかな時が流れ、美しき風景に笑い合い睦み合う仲間、そして自身が護るべき場所。
この場が戦火に巻き込まれたのならば何を賭しても護り抜こうと誓い、その時が来ないことを祈った。けれど――願いは虚しいもの、戦火は楽園を襲う。笑い合った学び舎、競い合った同朋たち、そのすべてを護り通す為に、誓いを果たす時。
流紗は彼女の居場所を護る為に力の限り戦い、護り抜いた代償に払うことになったのは己の命。
地を嘗め、息を潰し、声を失くして流紗は眠りについた。――けれど。
「それできみは満足?」
「――何、ですかぁ?」
「命を賭して護って、救って。その結果、居場所だけ残して、自分自身は退場――なんて。そんな貧乏籤、誰が引いて喜ぶんだろ?」
アベルの問い掛けに、流紗は目を瞬かせた。
居場所は護られた。大切な場所。大切な風景。大切な同朋。けれど、――この後も、果たしてこの場所は護られるのだろうか。有るべき姿を犯されぬのであろうか。
護らなければならない。ここに有るべき姿を、この美しき居場所を。護らなければいけない、ここに流れる穏やかで決して乱されぬ時を。
けれど、その風景の中にはもう”私”が居ない。一片を失った此処は果たして本当に、元の護るべき場所なのだろうか? 護るべき価値は有るのだろうか?
(――あえて問おう。ここは本当に私の望んでいた楽園か?)
流紗は目を閉じる。そうして、ゆっくりとその目蓋を開いた。
(そうでなければ……壊して作りなおせばいいだけ)
空洞に流れ込んだ情の奔流は、強く、激しい。
流紗は穏やかな笑みを一度浮かべ、そうして、再度生まれ変わった身を噛み締めながら、地を蹴った。
流紗の求めた世界に、彼女が居ない。
彼女が孤独に歯噛みし、絶望に涙した末に得た世界に、彼女が居ない。
それは何て不幸で、何て悲痛。
世界で一番安寧を求めていた流紗が、戦いの最中に身を落とし、そうして居場所諸共息絶える。
誰もの平和を願っていた彼女が、全ての犠牲を背負って死する定め。
余りに非道な生に、生を渇望した彼女が再度生まれ変わるは、世界を構築するディアボロ。
新しい世界。新しい居場所。久遠ヶ原を護る為、久遠ヶ原を新しく作り変える。
彼女にとって、それが至上の願いであり、至上の幸福。
――――彼女に与えられた名前は、安寧の輝石<エンジェライト・クォーツ>。
白磁の翼を広げながら、同朋を灼き払い、学び舎を打ち砕き、流紗は涙を流す。
その涙が意志あってのものか否かは、もう誰も判らない。
●e.g.城塞の翠
「雪人さんっ!」
「っ……!」
隙を突かれた。安瀬地 治翠(
jb5992)の盾の合間を縫って攻撃して来たディアボロに腹を薙がれ、時入 雪人(
jb5998)は息を抜く。唇から洩れ出る鮮血、浅手では無さそうだった。
その体を労わる様担ぎ後退した治翠は、戦慄く吐息をひた隠しながら、そっと雪人を木陰に横たわらせる。
短く繋げる学園への連絡。応答は、了承。時間は掛かるだろうが、それまで持ち堪えれば雪人を護り通すことが出来るだろう。
「どうか、無事で」
いつものように何所か困った様な表情で告げると、雪人は何か言いたげに唇を開く。けれど、それも一瞬で、大量の出血によって直ぐに意識は失った。
敵の数は少なくない。確認しただけでも四体。そもそもこの数を二人で相手にしようという状況が間違っていたのだと、改めて思い知らされる。
幾ら防御に特化しているとはいえ、四対一ともなれば多勢に無勢。
義務? 本能? 祈り? それとも執着? 呪い? ――無情さを覆さんばかりの直向きさで、治翠は敵を引き付け続ける。
雪人が本家の当主だから、自分が分家の次男だからだとか、そんな打算的な考えは一切無い。家人が何がしかの役割を持つ中、一人だけ求められず、期待されず、背負う物も無く、その全ては許されず自由と言う名の鎖だけを与えられた。そうして邪魔にならない様生きるしかない自分に、結果として居場所を与えてくれた存在。
雪人を護りたい。ただ、その一心で戦う治翠を、容赦無く切り裂く、牙、爪。
囮となっている所為で、雪人の容態は判らない。もしかしたら手遅れかも知れない。もしかしたら、新手に殺されてしまっているかも知れない。
吹き上がる不安は山となり、けれど、体は動かない。攻防の末先に訪れたのは、治翠の限界だった。
「……やあ、きみは”救い”が欲しいだろ?」
脳裏に直接語り掛けるような、声。彼はその正体を知っている。アベル。救済を命題に掲げるヴァニタス。
「……貴方ですか。貴方の掲げる救済は、認めない」
けれど。――利用は、させて貰う。
「私は未だここで立って、あの子を護らなければいけないのです」
それは冥魔との契約。
死した屍を利用させる代わりに、自身の願いを、欲望を、叶えさせるということ。
「――ハル?」
同じ覚醒者だったからだけでなく、お互いに何かを補っていた、そんな関係。
引き籠る雪人を笑顔で外に連れ出す、親友で、兄の様な存在。
増援に助け起こされ、真っ先に治翠の姿を探す。
あの、安心させてくれる笑顔を見たい。
「ハル」
けれど呼び掛けた先、振り向いたのは。
撃退士と闘う、大きな盾を持ったディアボロ。新手のものかと思ったが、直ぐに違うと判る。翠の目。
「ハルっ……!」
「駄目です、動いては! あなたまで死んでしまいます!」
「ハルっ、ハル、ハル!」
伸ばす手、薄れる視界、二度とかち合うことの無かった、本当の二人の目線。
――――彼に与えられた名は、不動の城塞<フォート・グリーン>。
護るべき主を背に、その身を削り続ける。
●e.g.気付けぬ演者
蓮城 真緋呂(
jb6120)は狼狽していた。
眼前で倒れ伏す男。友人。大量に流れ出る血液、踏み躙られ、蹴り飛ばされ、ああ、首がかくりと折れた。
「どうして……っ!?」
眼前の彼が死んでいる、のは明らかだった。
そうして、狼狽からふと我に返って、気付く。
「……っ」
深々と胸を貫く剣。息が出来ず、呼吸をしようと息を吐くと、がぼりと溢れる黒血。
(嘘だ、うそだ、ウソダ、――全部、真実だなんて、そんな、どうしして!)
真緋呂は黒血をぼたぼたと垂らしながら蹲る。撃退士として、これが致命傷だと判った。誰かが口々に喚いて、何かを叫んでいる。でももうそれも聴こえず、ただ自身の鼓動ががんがんと響いているだけだ。
『いやだ』
未だ死にたくない、真緋呂はそう願った。
彼を助けなければ、――助からなくとも、何も出来ないのは嫌だ、と。
せめて仇を。ディアボロを倒さなくては。
「――それがきみの望み?」
「そう、お願い、私は――」
悲痛な叫びは、アベルに届いたのか、否か。
特別な人はいつも居なくなってしまうから、だから真緋呂は『特別』は要らないと思って生きて来た。
彼はただの友人で、だから居なくなったりしない。特別でなければ居なくならない、そう信じ込んで来た。
けれども、居なくなってしまったから特別だった訳じゃあない。きっと、居なくなる前から特別だったのだ。
(今頃気付いて馬鹿だなぁ……)
もう届かない、伝えることの出来ない想い。
本当は伝えることが出来なくても、友人のままでも傍に居られるだけで幸せだった。
十分に、幸せだった。
「何度大切な人を喪えば良いのかしら」
「――きみの弱さの分だけ」
掬い上げた砂。手指の間からこぼれ落ちていく、後悔と、絶望。
これ以上は――――。
『いやだ』
それは心の底からの、悲愴の叫び。
掻き毟りたい、胸奥の痛み。悼み。溢れ出る叫び。
過去、壊滅してしまった町。喪った家族、友人、みんな、みんな。
『特別』な人は居なくなってしまう。それならば、『特別』を作らなければ良い。
そう、願っていたのに。
いつの間にか出来てしまう、いつの間にかその位置に有ってしまう。
願ったわけではないのに、祈ったわけではないのに。
寧ろ逆を想っていた筈なのに――。
(もしも蘇ることが出来るのならば、もしそれが憎い冥魔の手であっても、私はその手を取ろう)
それが例え撃退士として、理に反することであるとしても。
彼を救うことが出来ないとしても、彼の仇を取る為に。
彼を屠ったディアボロは、絶対に許さないのだと。
「その後は――どうなるのかしら?」
真緋呂には、判らずとも、もうどうだって良かった。
とても眠くて堪らなくて、疲れてしまった。
――彼女に与えられた名前は、返報の演者<ルーサー・ラヴァー>
仇たるディアボロを、一匹残らず潰し尽すまで、その動きを止めることはない。
●夢から覚めて
目蓋を開けば見慣れた天井と、見慣れた寝具。
余りにもリアルだった光景と、平穏過ぎる朝とのギャップに暫し沈んだ後、胸に秘める想いはそれぞれに、夢見は終わる。
悪夢をただの悪夢にし実現などさせぬ為、彼、彼女らは新しい一日に向けて歩き出した。