●腐海と言うか異界と言うか
「……おう」
それは誰の漏らした呟きであったか。一人? それとも全員? ただ解る事は、皆が皆目前の惨状を見て絶句したという事実のみ。聞いてはいたが、よもやこれ程とは。
「ど……どうやったらここまで放置できるの……?」
引き攣った顔で呟く東城 夜刀彦(
ja6047)。彼の言葉は誠にごもっとも。どうすればこんな惨状にしてしまえるのか。
乱雑に本棚に入れられた蔵書。これはジャンルも順番も滅茶苦茶だ。
机の上に置きっ放しの本。まだ良く解らないが漫画本も散乱しているような。
貸し出し記録に関しては全く当てにならない。そもそもこの魔窟から本を借りる者が居るのか。
まあ、そんな中でも期待一杯夢一杯な者も居るが。
「わーい図書室だー。本がいっぱいだとわくわくしてくるよねー。ボク、本の匂い嗅いでるだけで嬉しくなっちゃうよー。まずはカーテン閉めて日を遮って……うぇーい」
眠たげなタレ目を爛々と輝かせて、鬼燈 しきみ(
ja3040)が足の踏み場も無いような図書室を陽気に散策する。活字大好き本大好きな彼女にとっては、この程度然したる問題は無いらしい。カーテン閉めた後、意気揚々とそこら辺を物色していた。
だが、しきみが最初にカーテンを締めたのは好判断である。
窓からぽかぽかと差し込む春の日差しは、昼の時間では悪魔的な威力を持つ。
(「なんていう危険な空間……こんな大役、私に勤まるかな? ううん、世界人類の平和のため、この私がやるしかないっ! 眠気も誘惑も全部倒して、皆でお茶会楽しむんだっ!」)
ぐっと拳を握り締め、心中で決意を新たにする菊開 すみれ(
ja6392)。
様々なジャンルがあるこの図書室には、思わずページを捲ってしまう誘惑があるだろう。
カーテン閉めても尚、室内に満ちる春のぽかぽか感は眠気を誘う事だろう。
その全てを打ち倒し――勝利のお茶とお菓子を楽しむのだと、すみれは心に誓ったのだった。
「色々と挫けそうな光景だけど……まぁやるからにはとことんやるわよー!」
ついでに料理のレシピも探してやるー、と声を上げてメフィス・エナ(
ja7041)が魔界(誤字にあらず)に一歩足を踏み込む。メフィスが作った多数のパイが食べられるか否かは、この蔵書整理がどれだけ早く終るかに掛かっている。いくら何でも夜景を背景にお茶飲むのは嫌だ。折角天気が良いのだから、春の日差しの下でのんびり頂きたい。
他の者達もチームに分かれて、行動を開始する。
敵は多数にして強大。果たして彼等はこの強敵を撃破出来るのであろうか――?
●戦闘中
「……乱雑なのは勿体無いことだ。これだけ多くのジャンルが取り揃えられているのなら、整理を怠ってさえいなければ良き図書室になったであろうに」
散在している本をジャンル別に取り分けながら夜来野 遥久(
ja6843)は残念そうに呟く。
まずは書架の本を全て再分類する作業に取り掛かっているのだが、蔵書の種類はかなり多岐に渡っている。内容などを見ている訳ではないが、古い本や珍しい本なども幾つか見えており、色々と興味を刺激する。
桃枝 灰慈(
ja0847)も同じように本を分け、まずはジャンル別にとダンボールに入れながら遥久の意見に同意を示した。
「そうだねぇ。聞きしに勝るこの量。ちゃんと管理してれば良かったのにねぇ……ふぁ。聞きしに勝るのはこの眠気もだね。何でこんなにあったかいんだろう……」
「昼食を控えめにしていたのが幸いだな。この部屋の過ごしやすさは、気持ちだけでどうにかなるものではないぞ……ええい、適度に窓を開け、新鮮な空気を入れなければ」
井筒 智秋(
ja6267)は早速の敵の攻撃(誤字にあらず)に、眉根を寄せて応戦していた。
時折、窓や戸を開けて風を入れるのだが、終始開けていると風で本が捲れて鬱陶しい事限りなし。それに結構肌寒くて、地味に作業の手が遅れてしまう。閉じても開けても上手く行かない。話に聞いていたが、間違いなくこの図書室は強敵であった。
「今は眠くなくてもいつ寝てしまうか分かりませんからね〜。小まめに対策しておきましょう。ストレッチしたりツボ押したり……って、何してるんですか、ラグナさん?」
「ぬ!? い、いや、素性の知れぬ本があったのでな。少し検分していただけだ。や、やましい事などしていない! 本当だぞ!?」
「んー? ……あー! グラビア雑誌読んでるー!!」
エステル・ブランタード(
ja4894)が眠気覚ましのツボ押したりストレッチして、頑張って眠気を誤魔化しているその横ではラグナ・グラウシード(
ja3538)がグラビア写真集を、じっくりしっかり見定めていた。剣の道に己を捧げるとか言っていた癖に、水着美女に見移りするとは全くけしからん騎士である。
そんなやり取りを聞いて、鋭敏聴覚を駆使してその内容を詳しく聴こうとする十五歳の少女も居たが。えっちなのはいけないと思いつつ、興味は尽きぬらしい。
だが、そんなやり取りを放置する訳にはいかない。結わいた白銀の髪を揺らして、少女が立ち上がる。
「皆さん! ここは本来、静かに本を読む場所です! キチンとしましょう! 立ち読みしない、眠気に負けない! 物見さんを見習いましょう、あんなに真面目に取り組んでいるんですよ」
自分自身も微妙にうつらうつらと船を漕ぎながら、森部エイミー(
ja6516)が皆を叱咤する。
まだ作業開始したばかりだと言うのに、昼の陽気に押されかけている。これではいけないと、作業開始する前に誓った決意を口にした。
そんなエイミーが示す先には、真面目に丁寧に書架の整頓を行う物見 岳士(
ja0823)の姿が。
流石は誰に対しても礼儀正しくを常にする男。蔵書整理にも緩みが無い。
だが、見逃してはならない。彼は時折――ちらりちらりと視線が動く。
「…………」
無言で、けれども微妙にうずうずした様子で見るものは軍事系図鑑に雑誌。古い物も取り揃えられており、岳士の興味を良い具合に刺激する。
作業は続く。ジャンル別に別けるだけだと言うのに、誘惑の多い作業は続く。
「雪平さん? 早くも眠りかけてません? そんな人には……眠気覚ましのツボー!」
「ね、眠ってない眠ってないー。私は起きていたー……菊開ちゃんこそ、その手に持っているの何かなぁ? 私には漫画本に見えるんだけどなぁ?」
「い、いや、読んではいませんよ? ただ、昔読んだ事のあるものだったので、ちょっと懐かしくなっただけ……ふわぁ! ほ、頬を摘んではらめれすよ?」
「うりゃうりゃー。お仕置きー」
同班の雪平 暦(
ja7064)とすみれは、共に注意し合いながら、眠気と漫画の誘惑に対抗する。
もう、個人の力でどうにかなるような相手では無いのだ。童心に返ってしまうほど懐かしい漫画や雑誌は見つかるし、部屋の中はぽかぽか暖かくて眠気を誘うし。
戦いは続く。仲間達と力を合わせながら。
●テンション降下中
「……エイミーちゃん、岳士。しきみちゃんココア淹れて来るけど飲むー……?」
「……お願いします……かなり厳しいので……」
「……エイミーさん。目の下にリップクリームは危険です……程ほどに……」
図鑑、趣味系担当の三名は、襲い掛かる睡魔にかなりやられている状態だった。しきみが、じゃあ淹れてくるよーと言いながら、ふらつく足取りで退室する。ちなみに、しきみの持参したココアを飲むのは既に三回目だったり。
他二名もかなりの危険区域。目の下にリップクリームという危うい事をしているエイミーの目は、物凄くかっ開いている。適度に休憩を入れてる岳士にしてもダメージは大きい。
そうなのである。ジャンル分けが終った為、漫画本やグラビアの誘惑攻撃は鳴りを潜めているが、睡魔の攻撃は激しさを増している。だってもう、この部屋居心地良すぎるんだもの。
「お腹空いたな……お茶会まだかな……疲れたなぁ」
「眠気覚ましのガムならあるよ? 一ついるかい東城君?」
「僕にも頼む……何度も外に出ては作業がはかどらないからな」
うつらうつらと目蓋をこすり頑張って目録をつける夜刀彦に、灰慈は持参したガムを勧める。図書室で飲食は――何て言ってられないのだ。寝る。寝てしまう。作業に集中して眠気を誤魔化していた智秋も、遂にはガムに手を伸ばす。色々と限界だった。
「頑張って耐えませんとね……これが終ればお茶会です。メフィス殿の作ったパイが楽しみですし」
「そうです。お茶会が待ってますし、ちゃっちゃとやっちゃいましょう……えっと、これはそっちで。そっちがこっちで……あ、あと冷却シート私にも下さい」
遥久とメフィス。二人は揃って額に冷却シート貼り付けて整理に勤しんでいた。
この蔵書整理が終れば、美味しくて楽しいお茶会が待っている。これさえ、これさえ終れば――それだけを心を支えに戦い続ける撃退士。まあ、全然撃退しきれていないのだが。
「ラグナさん? ラグナさん!」
「――はっ! す、すまない寝ていたか……むぅ、やはり興味の薄い事をしていると眠気が強まるな。ここはグラビア本の一つでも見て気分転換……」
「……まだまだ元気そうですね。一杯運搬するもの残ってますから頼まれてくれますか?」
「……任せてくれ。引き受けよう。自ら進んで引き受けよう!」
大事な事なので二回言いながら、ラグナがエステルの頼みを聞き、体力仕事に精を出す。男だし長身だし、高所の本棚の整理は彼の役目なのだ。既に仕舞い込まれ、厳重にガムテープで梱包されている「持ち込み本」に後ろ髪を引かれつつ、騎士は再び本と睡魔と戦う。
「むむむー……ツボも効かなくなってきたよ。困ったなぁ……」
「目薬とハッカ飴あるよ? 使う?」
「あぁ、ありがとう。……頑張ろうね。これが終ればティータイムだよ。私、とっておきの桜の紅茶を振舞うんだぁ……」
「わぁ、楽しみだなー……」
暦とすみれは両者とも虚ろな目で互いを励ましあい、今に至っている。その横で夜刀彦が「俺、桜餅や柏餅持ってきましたよ」と声を掛ければ、「うわぁい」と元気があるんだか無いんだかよく解らない様子で返事をする始末。
限界値が近いのだ。皆が皆、すっかりやられてしまっている。
今、一同を支えているのは、お仕事終了後のお茶会の存在だ。最早、美味しいお茶とお菓子を目的に皆は戦っている。目蓋をこすりながら目録をつけ、こっくりこっくり船を漕ぎながら整理し、ふらつく足取りで運搬し……身も心もボロボロにしながら、戦いは続く。
開始当初のテンションは影も形も無い。
ただ、優雅なティーを目指して――走り続けた。
●兵どもが夢の跡
戦いは、終わった。
事前に立てられた作戦のおかげであろう。作業をローテーションして進めるのも良かった。班分けして各自注意し合う体制も素晴らしかった。
だが――強敵だったのだ。お茶会を目的にする事で、戦意を絶やさぬ作戦とて有効だったが……そもそも、お茶会まで体力が保つのか、という問題を考慮していなかった。
その結末は此処にある。夕暮れの屋上。燃え尽きた戦士達が、橙色の世界を前にする。
「うぇーい……頑張った……しきみちゃん頑張ったんだぁ……」
紅茶のカップを両手で持ちながら、しきみが遠くを見つめていた。ああ、夕日が目に染みる。
「……仕事が終ったら、気になる本を読むつもりでいた」
「私もだ。グラビ……ではなく、持ち込み本の中に気になる書物があったのでな」
「自分も気になる軍事関係の本がありました……ですが二人とも。今から読みに戻る気力はありますか?」
岳士が智秋とラグナの両名に問い掛けると、二人は「……ふっ」と虚しい笑みを浮かべる。
限界だった。損傷率が高すぎる。こうして夕日眺めながらお茶とお菓子を食べるのが精一杯だ。
「桜とともに春の訪れをどうぞ……心も身体も休まりますよ」
「本当だ、いい匂いがする……桜の紅茶も美味しいけど、こっちも春らしくていいね……」
遥久の配るダージリンを一口飲み、夜刀彦が一時の平穏に浸かる。
ああ、この安らぎに辿り着くまでどれだけの苦難を乗り越えた事か。夢の国に旅立ちかけた回数は数知れず、使用した冷却シートの枚数も数知れず。二人は妙に年老いた雰囲気で茶を楽しんでいた。
「エステル。雑用はもういいわ……いいのよ。私達は、もう休んでいいのよ……さぁ、パイをどうぞ……」
「……いいですかね? 私達、もう休んでいいんですかね?」
「いいんですよ……もう許されたんです。目の下にリップクリームなんて、もう塗らなくていいんです」
メフィス、エステル、エイミーの三人は、手作りアップルパイやカスタードパイをもぐもぐ食べながら、平和の何たるかを学ぶ。睡魔に抗う必要も無く、自由気ままにお菓子を食べれる今に感動を覚えながら。ああ、夕日が眩しいなぁ。
「むにゃ……むにゃ……ねてません……ねてませんよー……」
「もういんだよ雪平さん。僕達はもう寝ていいんだ。春の日差しに、負けたっていいんだ……」
半分、夢の世界に旅立っている暦。そんな暦に、優しく休息を勧める灰慈。
もういい。この茶を飲んで、美味しいお菓子を食べた後は――心行くまで寝てしまおう。
「とても手強い強敵だった……これで世界の平和は守られたんだね……ありがとう皆。お疲れ様皆……私達は、これで自由になったんだよ」
すみれが夕日を見つめながら、桜の紅茶を味わいながら皆の健闘を称える。
おめでとう、ありがとう、と。にっこり微笑んで――そして皆が、同じ台詞を口にする。
お疲れ様、お休みなさい――と。