●熱気が凄くて
スーツの通気性とか、そんなものが果たしてどれだけ意味があるのだろう――秋武 心矢(
ja9605)は額の汗を拭って、切にそう思った。
暑い。ひたすらに暑くて熱い。もう夏は終ったというのに酷い暑さであった。目的地へ近づけば近付くほど、ジリジリと熱気が増してくる……それだけ情報通り、この先にディアボロがいる証左にもなっている訳なのだが。
「スーツを着てる自分が馬鹿らしく思えるな……だが、他の皆の前で元刑事が素っ裸になる訳にもいかん……手っ取り早く片付けないとな」
心矢が周囲に目を配れば、自分と同じように辟易とした仲間達の姿がある。
水分を摂りながら、タオルで汗を拭いながら……幽鬼染みた足取りで、一歩一歩目的地へ近付いていく。
「この時期に暑くする天魔とか、まるで嫌がらせだね……。早めに倒しちゃいたい……あー、飲み物いる人ー。熱中症とか脱水症状にならないように小まめに言ってねー」
冷たい飲み物をゴクゴクと飲みながら声を掛ける高峰 彩香(
ja5000)。そんな彼女に「はーい」と応える仲間達。こんなこともあろうかと、クーラーボックスには飲料水が一杯だ。暑いのが解っているのだから、準備に手抜かりは無い。
しかもそれは彩香一人に限った事ではなくアレーシャ・V・チェレンコフ(
jb0467)も同様だ。
濡らしタオルを配りながら、凍らせたペットボトルを額に当てながら、どうにかこうにかこの暑さに耐えている。
「……暑いのは嫌いだからさっさと終わらせたいわ……それにしても、炎の男、ねぇ。今年の夏が暑いのはそいつの所為だったりするのかしら? ……なら、私怨も込めていたぶらないとね」
ふふふと、うっすらと口元を釣り上げるアレーシャ。服の胸元をパタパタさせて風を送り込み――何か気を抜けば、今にも脱ぎだしそうな目付きをしている。生まれ故郷がこれほど暑くなかったのもあって、まさに怒り心頭といった様子。
「しかし炎の男……全身を炎に包まれたディアブロか。人の理合いとは違った相手だな。こういう奴等と戦うのは、それはそれでまた面白い――」
額に汗を浮ばせて――汗だけを浮ばせるだけで終らせた大澤 秀虎(
ja0206)が、まだ見ぬ敵を思って呟きを漏らした。
撃退士として……というよりも剣士としての理念だけがそこにある。暑さも感じてはいるのだろうが、生理現象の域を脱さない。ただ、どうやって斬るかだけを思案する――平時に生きれぬ鬼の貌。
そんな鬼の傍で――妙に笑顔な男が一人。
何だろう。他の皆と、顔の質が違う。何かバカンスに行く前の人のような顔な気が。
「よーし! 海だー! 泳ぐぞー! この暑さなら、さぞ海は気持ちいいぜー!!」
……根本的に何かを勘違いしている彪姫 千代(
jb0742)であった。まさかこの男、今回の仕事を海水浴と勘違いしておるのではあるまいな。否、そんな事がある筈が無い。こちとら天魔と鎬を削る撃退士なのだ。そんな勘違いをして天魔退治に赴く者が居る筈無いのである。多分。
「……まあでも、勘違いしたくもなるか……やっと涼しくなりかけてきたのに、こんな暑い仕事なんだ……はぁ、今から気が滅入る……」
桝本 侑吾(
ja8758)は、濡らしタオルや凍ったペットボトル等々で首辺りを冷やしながら呟く。
どこからどう見てもやる気が無い。頭にあるのは冷たい飲み物とか、アイスクリームの事だし。これから戦うファイヤー男の事なぞ、もうどうだっていい気がしてきていた。
まあ、それは彼一人に限った事ではなく、ほぼ全員に言える事でもあったのだが。
しかして、そんな一同の気持ちは無視して――戦場は目の前に。
勢い良く燃えている、人ならざる天魔の姿が、彼らの瞳に映っていた。
●ファイヤー男
戦う前に決めていた事があった。前衛後衛の位置などがそれだ。戦いにおいて陣形は大切な事。事前に決めて戦闘を有利に進めようとした彼らの行動に、何ら不備は無い。
だが……何かもうこの暑さというか熱さは近付きたくない。前衛陣はめっちゃ顔しかめている。
「……見ているだけで暑いの! ほんと、迷惑この上ない天魔なの。愛ちゃんがきちんと後衛で援護して懲らしめるの! だから前で戦う兄様姉様は頑張ってなの!」
周 愛奈(
ja9363)が後衛で幻想動物図鑑を開き、小型の動物達を生み攻撃――しつつ前衛陣に檄を飛ばしている。小等部のちっちゃな女の子が頑張れ頑張れと言って来る。本来ならば笑顔で応えたいところだが、この熱さでは即答できない。「ええ〜……近付くの〜……」と言った言葉が顔に張り付いている。
「作戦は事前に決めたでしょう? 私はここで戦況を見ながら魔法攻撃しますから、ほら頑張ってください」
彩・ギネヴィア・パラダイン(
ja0173)なんかは充分距離を取った所で、よっこいしょとクーラーボックスの上に座り影の槍を撃ち出している。しかも遁甲の術使用で気配を消す始末。動き回らない事に尽力をしているではないか。
色々と後衛陣に怨み辛みをぶつけたい気分になりがちだが……そうも言ってられない。あまね(
ja1985)は服の内側にスプレーふりかけて――すぐに涼しくなるのは錯覚なのだと身と心で理解する羽目になったけど――気を改めて敵を見据える。忍刀・雀蜂の柄を手に握り。
「これが冬のさなかなら喜ばれたかもなのー……でも今はただのお邪魔虫なのー。さっさと倒して涼しくするのー!」
接近し、そして高く跳躍。一気呵成にファイヤー男の頭部に忍刀を突き刺すあまね。その勢いに朦朧としたのか、ゆらめくファイヤー男。
すぐさま攻撃を繋げようとする一同だが、敵とて黙って打たれるだけの木石ではない。
反撃の手が襲い掛かる……全方位に飛ぶ焔弾。
「熱い熱い熱いのれすよ! 火、火、火を消すのれす! 火元は根元から消すのれす!」
舌足らずな声で、きゃわきゃわ騒ぐulula(
jb0716)。そうして騒ぎつつも、火気の元であるファイヤー男に光の弾丸を撃ち出す。攻撃は当り、着実にダメージは刻まれているのであろうが……あのファイヤー男の熱気はまだまだ治まる様子が無い。
「暑苦しいんでな、全力でやらせてもらう――」
未だ撃ち出される焔弾。そんな焔の弾雨を突っ切り接近するは秀虎。大太刀を肩に担ぎ、その胴を薙ぎ払う。破山。山をも砕くその一閃は炎に包まれた天魔の身体を切り裂いて――あるいはそれを上回る威力で反撃される。近距離から放たれた焔弾が、秀虎の身体を包み込んだ。
「まだまだぁ! ガンガン行かせて貰うよ!」
秀虎の別方向――側面から攻め込んだ彩香が後に続く。フレイム&ゲイル。炎と風の二撃が天魔を襲い、その体躯を打つ。一方方向から攻撃を重ねるつもりは毛頭無い。確実に倒す為に、包囲し、数の利を活かす。
「頑張れよ前衛組……! 帰ったらソフトクリーム奢ってやるぞ……!」
そんな前衛陣の攻勢を視界に映し、中衛から心矢が光の弾丸を撃つ。口から飛び出た激励の言葉は、戦闘終了後の楽しみを否応無く刺激する。この暑さに耐え切った後の氷菓子は、大層美味なものに違いあるまい。
だがそれも全て、敵を倒した後の事。
戦闘は続く。天魔の炎と、撃退士の力がぶつかり合う。
●燃闘
アレーシャの持つ円盾が、炎の弾を受け止める。前衛で壁として天魔の攻撃を受け止めていた彼女であったが――あまりの熱気に顔をしかめる。
「……キツイ、わね……っ!」
仲間に視線を送り、すぐさま後方に退くアレーシャ。額には珠の様な汗がびっしりと浮んでおり、体に蓄積している痛みもそれなりに多い。長時間壁として戦い続けることは至難と言えた。
「うははは! つえーなアイツは! 伊達に燃えてる訳じゃ無いってか! いいぜいいぜ、俺も燃えてきたぜ!」
そのような敵の猛攻に晒されつつも、千代の気概はむしろ逆に高まる。闇の力を拳に集め、一気に解き放つ。直線上に放たれた闇の奔流は燃え盛る敵の体を、諸共呑み込む。
「まだまだいくぜー! それ、ドッカーン!」
「……ただでさえ暑いのに、どうして味方にも暑い奴がいるんだよ……まあいいや、フォローはするよ」
飛び込んでいく千代を呆れた様子で眺めつつ、湧き出る汗を拭い、侑吾は忍苦無を投擲する。
少しでも敵の気を逸らす為、千代の飛び込む別方向からの攻撃だ。ファイヤー男も攻め込む千代と援護する侑吾、どちらに的を絞ろうか迷っている様子だった。
「……チャンスなの。一気にいくの」
「愛ちゃんも行くの! 機は逃さないの!」
忍刀を逆手に構え、再度天魔の頭部に突き刺すあまね。機を逃さず、素早く電撃による一撃を叩き込む愛奈。防御が崩れ、スタン効果が天魔を襲う。燃え盛るファイヤー男の動きが、目に見えて鈍くなる。
「――では、やる気ゼロもこの辺りにしておきますか」
サングラスを外し、鋭い目付きで敵を見据える彩。魔具を半透明な緑色の触手が巻き付き――瞬時にその触手が細長く伸び、燃え盛る天魔の体に突き刺さる。認識阻害、ブラインドヴァイパー。彩の本気の一撃が、天魔の瞳を曇らせる。
「火を消すのは水らけれはないのれすよ♪ 剣でも充分消せるのれす」
ululaの持つルーンブレイドが生み出せし赤刃が天魔を攻撃する。燃える赤を切り裂く、斬刃の赤。重なり続く撃退士達の攻撃はファイヤー男の身体を、確実に消耗させていった。
「体勢を立て直す……必要は無いな。このまま一気に押し通らせてもらおうか」
「当然。もうそろそろ、暑さは収まってもらわないとね!」
心矢が弾丸を撃ち、彩香もまたアサルトライフルの引き金を弾く。二種の弾は容易に天魔の身体を穿ち、敵に更なる傷を刻む。
終始放たれた焔弾で仲間全員が負傷している。全方位に撃つ焔も厄介で傷を負わずに済む者は一人として居なかった。それだけ強く厄介な敵である証拠。
しかし――致命的なまでの負傷を負ったものはいない。傷を負いつつも……その力は未だ万全。
再度、盾を構えるアレーシャ。盾で前面を隠しつつ前進し、道を切り開く。
その道を駆けるは――秀虎。黒き剣鬼が焔の迫る。担いだ白刃が煌いて、天魔の身体を斬る。
その一刀。肩口から袈裟懸けに斬ったその一刀が、闘いを終えて焔を消す斬風となった。
●ではアイスの時間
「Take a break and cool down, Heat guy……と言ったところですね。ふぅー……一気に涼しくなりました」
やれやれどっこいしょー、と言った幻聴が聴こえてきそうな様子でクーラーボックスの上に座り、持参してきた氷菓子をぱくつく彩。もう嫌です。動きたくありませんといったご様子。
そしてそれは彼女一人に限った事ではない。前衛で盾役で頑張っていたアレーシャなんかは日陰でぶっ倒れてうんうん呻いている始末。あれは脱水症状ではなかろうか。
「飲み物欲しい人ー……うん、全員ね。解ってる。人数分用意してあるから……それにしても……まだ暑いー……」
手を挙げた仲間達に飲み物を配りつつ、侑吾ももう嫌です、こんな仕事はもう嫌ですと項垂れた目で空を見上げていた。青空の向こうに、悠々と麦茶を飲んでいた米屋の娘さんの姿が浮ぶ。ちくしょう、一人だけ文明利器の恩恵に預かりやがってと、色々と妬みの感情が。
「あー……本当に疲れたし暑かったわ……なんか一人、まだ元気なのが居るんだけど……」
呆とした眼で水分補給をしていた彩香が、遠い目で海の方を見詰めると……元気良く泳いでる男の姿が見える。「よっしゃー! いい気持ちだぜー!」とか、元気一杯な声が聴こえてくる。緑色の髪で、つい先程まで一緒に戦っていた仲間のような気がする。深くは考えずに彩香はそっと目を逸らすのだった。
「さて……では一応無事に仕事は終えた訳だし……帰りに俺がソフトクリームを奢ろう。戦闘中に約束もしたしな」
心矢の言ったその一言で目を輝かせる者達がいる。あまねとか、愛奈とか、ululaとか。あまねなんかは小動物染みたちっこい体でとてとてと素早く駆け寄り、上目遣いで目を輝かせる。愛奈も「喜んでいただきますの兄様!」と目を爛々とさせている。ululaだって「美味しそうなのれす……早く食べたいのれす……」と訴えかえるような瞳で見詰めてくる。
「……少しは遠慮してくれよ……?」
思わず顔が引き攣るが、心矢が言える台詞はそれくらいである。前言撤回したら目の前の三人が項垂れるのが目に見えているのだから。
まあもっとも――この三人のみならず、他の面子も「おお、ソフトクリームか、いいねぇ」等と言いながら、誘蛾灯の如く近寄ってきて居たりするのだが。ちなみに、さっきまで泳いでいた筈の緑色の髪の男までそこ居る。何時の間に来たというのか。
そうして、心矢が財布の中身の心配をし始めていた頃、秀虎は静かに冷たい水を飲み涼を取っていた。
なに、男は黙って水である――。