「ふん、ふふん、ふふーん♪」
一人の少女が獣道にも近い山道を、拾った木の棒を振りながら鼻歌交じりに歩く。頭にはウシャンカを被っている。
雪室チルル(
ja0220)だ。
内心の緊張など億尾にも出さず、学校帰りの女児の体を装い歩く。
その様を影野恭弥(
ja0018)と桜花(
jb0392)が、遥か遠く離れたポイントから見守る。スモーキーブランチ柄の迷彩服に顔にはペインティング、ニット帽を装備し、さらにはギリースーツまで被っているため、遠影はおろか近距離からでもそこに人が居ることなど看過できそうにない。
恭弥がCT-3のスコープを覗き、観測手の役を担う桜花がスポッティングスコープを構える。
「はぁ。気持ちは分かるよ、気持ちはさ……」
単独で森を歩くチルルを見ながら、桜花は小さく溜息を漏らす。
そこには、頭がぶっ飛んだ天魔に対してのみならず、護るべき者を囮に使うという自分を責める成分も含蓄されていた。
奥歯でガムを噛む恭弥は桜花へチラリと一度視線を向けるが、無言のままスコープへと戻した。
●
それは不意に現れた。
中空より音も無く、真赤な面を着けた天狗が唐突にチルルの背後に降り立つ。
そしてまずは手をチルルの口許へ運び、口腔内に丸めた布を押しこむ。
不測の事態に突如として襲われると、殆どの確率で人間は背を丸め両手を掲げ、さながらファイティングポーズのような姿勢になることは統計で広く知られている。
撃退士であるチルルもその例に漏れず、拳を握り脇を締めた。
そんな反射行動の筋肉に逆らわぬよう、天狗はチルルの腕を捻り後へと回しフレックス・カフを嵌め、閉める。腰に手を回しチルルの矮躯を持ち上げ、足にはリング状にしていた縄を通し、片端を引っ張ることで動きを封じる。後は縄の片端をカフに括り連結させるだけだ。
あっという間に捕縛は完了した。その間、僅か五秒以下。
たまたま上方を見上げその襲来を偶然にも見たりしなければ、悲鳴を上げる猶予すらない、特殊部隊じみた手並みである。
天狗は遅滞なくボディチェックを行う。携帯などといった、児童らの居所を知らせる利器を片っ端から奪取し、捨てる。
「携帯の二台持ちか。最近のロリはすっかり文明に毒されたものだ」
捕えた上物の獲物に興奮を隠さず、天狗が一人ごちる。
その約二キロ先から恭弥が狙撃した。
一射目はチルルに命中。空薬莢を排出しリロード、エイム、スナイプ。
二射目は天狗の法衣の裾へヒットし、マーキングが完了する。
●
「なんつーか、頭おかし過ぎだろ」
追撃班の虎落九朗(
jb0008)は漏らす。
「子供ばかり攫うなんてね。何か裏があるのか、それとも……」
並走するグラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)も同意を返す。
「天狗様に土蜘蛛様。どれほど強いのかしら。愉しみですわ」
先陣を切るフィンブル(
jb2738)は凶悪な笑みを先程から口の端に浮かべる。
天狗に気取られぬよう、互いの姿すらも見えない距離を保ちつつ、マーキングした狙撃班の通信を頼りに三人は山中を進んだ。
しかしそこへ恭弥から嬉しくない連絡が入る。
「マーキングの効果が切れた」
十分間という制限時間内に敵は居城へと辿り着かなかった。
三人は全力で疾走する。
だが、まるで風のように駆け去った天狗の姿を肉眼で捉えることはなかった。
●
「手荒な真似をして悪かった」
チルルの拘束具を解いた天狗は彼女と目線を合わせるよう膝を着き、赤く痕が付いた手足へ治癒を施す。
「あ、あたいをこれからどうするの?」
ただの無力な子供みたく、チルルは上目遣いに天狗を見た。
可憐な女児の仕草に天狗は天を仰ぎ、頭を振る。
「大丈夫だ。酷いことは何もしない」
天狗は自らの豊満な胸へとチルルを押し付け、少女の髪の香りを肺腑いっぱいに吸い込みながら言う。その荒い鼻息を前にしては、あまり説得力はない。
「そうだ、不安なら皆の所へと連れて行こう。ここには君と同じくらいの子が他にもたくさん居る。きっと仲良くなれる筈だ」
天狗はチルルの手を引き、奥へと連れていく。
天狗と土蜘蛛の根城は、山の岩壁をくり抜いて作られた洞穴のようなものだった。
コンクリや金属で補強され、近代的な作りである。照明が室内を照らし、空調機器が作動、奥からはモーター音も響く。カメラが天上の片隅に下がり、さながら悪の結社の秘密基地の様相を呈していた。
「こんな所まで電気が?」
予想外の設備にチルルは目を剥く。
「ああ。火山帯から地熱発電を行い電力を引いている。我が同胞がこの施設を一から作ったんだ、凄いだろう?」
天狗は自慢げに語る。
そして枝分かれした通路をいくつも抜け、一つの扉の前へと辿り着く。
他と比べ、異様に分厚い。
やたらと重々しいノブを引き、扉を開く。白い靄が隙間から漏れ出て足元を流れた。
「……う、嘘」
そこは冷気に包まれる、巨大な冷凍室であった。食肉工場の業務用保存庫のみたいな、広大な空間だ。
しかし置かれているのは枝肉ではない。
「素晴らしいだろ? 綺麗だろ?」
中にあったのは、巨大な氷柱。
柱の内部では眠るように瞳を閉じた子供が凍り付いていた。大奥の一幕を再現したのか、豪奢な着物を纏わされ、化粧を施され、髪も結われている。
氷柱は一本だけではない。
オペラ座の舞台を模した瀟洒なものから、天下分け目の関ヶ原を彷彿とさせるもの、西洋甲冑を着せられた勇壮なもの。
芸術作品とでも言うつもりか。囚われた子供たちは、聖堂宮殿の天井画みたく様々な場面の一幕シュチュエーションを表現させられているが、テーマには一貫性がない。
「完璧な姿、愛らしく美しいままにこの子たちは永遠を手に入れた。老いて醜く、無様になることも無い。生きながらにして至高の芸術性とリリシズムを得て眠るのだ!」
天狗は氷柱の一つへと歩み寄り、心底愛おしげに表面を撫でる。
「これを全て作った我自身も驚きなことだ。子供たちの個性が出るのか、これらの氷は舐めてみるとどれも甘くて、それでいて全部微妙に味が違う。少し塩っぽかったり、香り高かったり、苦味があったり。同じ水を用いているというのに」
陶然と、天狗は子供の氷柱に頬擦りし、チルルに向き直る。
「君の氷は一体、どんな味がするのか? テーマはもう決まっている。お風呂に入って身を清め、化粧をしたら皆の仲間に入れてあげよう」
寒村育ちで寒さに耐性があるというのに、冷凍室の中に居るチルルの背には寒気が走り震えを覚えた。
その時、施設内にアラート音が鳴り響く。そしてスピーカーから、女性にしては低音の声が降り注いだ。
『天狗! 侵入者!』
若干冷静さを欠いた声だ。
『撃退士、数は五! 正面扉から来とるよ! ……うわっ!』
●
警報音が鳴り響く根城内へと、四人の撃退士が雪崩れ込む。
九朗はバスタードソード、グラルスは魔法書を手に進む。
大きな分岐路に差しかかると、屋内制圧向きの装備をした恭弥と桜花がペアを組み、別れた。
CQBの定石に則った動きで、インフィルトレイターの二人は互いの死角を補いながら進行する。コーナーのクリアはカットパイとクイックピークを合理的に使い分け、一方がハンドサインで合図を出し、他方が次の角へと先行。移動の際には銃口を前面に構え頭を平行移動させるシュートオンムーブを徹底する。
そして二人は一つの大部屋の前へと辿り着く。
内部から戦闘音が響く部屋の扉を恭弥が銃床で打ち破り、バヨネットハンドガンを構えた桜花が突入する。
中では土蜘蛛と、物質透過で先に侵入したフィンブルが剣戟を交わしていた。
「ねえ土蜘蛛様! 貴女の幼児を愛でる『萌え』とはどういうものなのかしら?」
大剣を大上段から打ち下ろし、年若き天使は問う。
「『萌え』? そがんもんと一緒にすんな! あたしらの子供たちへの愛はそんがんチャラついたもんじゃなか、子供の素晴らしさは世界普遍の真理たい!」
刀を横薙ぎ一閃し蜘蛛は低く吠える。
紙一重で躱すフィンブルへ追撃を行わず、土蜘蛛は身を躍らせ退いた。
次の刹那には、そこを恭弥と桜花の射撃が通り抜ける。
「だからこそ、無理矢理攫うって考え方は間違ってるよ!」
ダブルアクションのトリガーで9mmパラベラム弾を矢継ぎ早に撃ち、ホールドオープンになると弾倉を交換、遊底を引きまた土蜘蛛を狙い撃つ。
「とりあえずどんな顔してるのか見せてもらおうか」
激情に駆られた桜花とは対照的に、恭弥はあくまで冷然と引鉄を引いた。FS80の三点バーストが、鉛弾を避け弾く土蜘蛛を追う。
「厄介やね!」
掩蔽に身を隠した蜘蛛は舌打ち交じりに漏らした。
「そんな所に隠れてないで、もっともっともっとわたくしと殺し愛ましょう!」
遮蔽物もろとも土蜘蛛を両断せんと、フィンブルがツヴァイハンダーDを振り抜く。
阻霊符により透過を禁じられた土蜘蛛は前転し回避、起き上がり様に刀を逆胴に振るうが、フィンブルの脇腹を浅く裂くに留まる。桜花の弾丸が肩口を掠め、恭弥の精密射撃が面を削ぐため、土蜘蛛は追撃に移れない。
はぐれ悪魔が現状厄介な二人を潰しにかかろうとすれば、その進路上に『シールド』展開のフィンブルが立ち塞がり、後衛への攻撃を肩代わりし受け止める。
「邪魔! あたしの愛が欲しかったらあと十歳は若返って来んね!」
細身の刀身であるというのに蜘蛛は剛の一撃を放ち、フィンブルを弾き飛ばす。
そして退魔の弾丸を掠めながらも恭弥へ肉迫し刺突を放った。
首を捻り躱す恭弥の頬と耳の肉を鋭利な切先が抉るが、彼の表情は何の痛痒も感じないかのように変わらない。
臆すること無く、恭弥は自動式拳銃に握り変え至近距離で発砲する。
●
「よもや攫ったロリが、撃退士だったとはな!」
天狗が呻きつつ、跳躍。
背に『封砲』を受け負傷した彼女の足元を、チルルの巨剣が過る。
別室へ連れて行き一時的に軟禁しようとする天狗へのチルルの奇襲は成功した。
冷凍庫から離れた廊下で交戦する二人に、九朗とグラルスが追いつき加勢する。
「黒玉の渦よ、すべてを呑み込め!」
グラルスの『ジェット・ヴォーテクス』が退くチルルと入れ替わり、吹き荒れた。
短く唸る天狗も扇を掲げ、振るう。天狗の手元から逆巻く風の鉾が生じ、うねった。
二つの嵐が相殺しあい、衝撃を辺り一面に巻き散らす。
「土蜘蛛の言う通り警察電波の傍受、ボディチェックもしっかりやったというのに! 何故ここが分かった!」
戦扇から鎌鼬を放つ天狗が叫んだ。
風の刃を打ち落とす九朗が不敵な笑みを浮かべ、答える。
「CIS-CATSってシステム、知ってるか? 地理プロファイリングの円仮説にRigelと合わせて使えば、犯人の居場所が分かるんだよ」
「ま、割り出された場所が何もない山だから、アジトと入り口がどの辺りにあるのかは、フィンブルさんの物質透過能力が必要だったけどね」
グラルスが九朗の言葉を引き継ぐ。
「行くぜ変態天魔!」
人質をとる隙など与えず、九朗が迫る。
その後ろからチルルが続き、グラルスがブラッドストーン・ハンドを詠唱する。
「嗚呼、不味い」
ぼそりと天狗は呟いた。
天狗の一本下駄の鉄底が九朗の斬撃と火花を散らし、打ち合う。
重力など感じさせない動きで堕天使は腰を捻り、逆脚の回し蹴りを九朗の胸へ入れ、彼我の距離を取った。
チルルが踏み込み、大剣を打ち下ろす。
山伏姿の堕天使は腕を浅く裂かれつつ跳び避け、戦扇を振るおうとする。
が、面の上からでも分かる懊悩を見せ、ロリに対する反撃を躊躇した。
そこへグラルスの『トルマリン・アロー』が一直線に飛翔する。
雷矢が天狗の大腿部で爆ぜ、機動力を奪う。
「不味い不味い不味いぞこれは!」
冷や汗ダラダラの天狗がよろめきながらも着地、風を巻き起こし撃退士との距離を稼ぐ。
「天狗!」
そんな天狗の背に引き攣った声が届く。
振り返った堕天使が見たのは、恭弥の『紅血』に脇腹を盛大に抉られた土蜘蛛の姿だった。
「ここはもうダメ! 逃げるばい!」
蜘蛛の巣のように縦横に通路が展開される基地内を土蜘蛛が潰走する。
「賛成だ!」
再度の突風を巻き起こした天狗は、踵を返しその背に続く。走りながらライトヒールの応急処置も行う。
「逃げようったってそうはいかないよ!」
グラルスたちも当然追う。曲がりくねる通路で、途中で桜花らと合流し追撃をかける。
地の利は天魔らにあるため、そう易々と追いついたり先回りはできない。
けれども数の差で、徐々に彼らは二つの敵影を囲い込んでいく。
そしてとうとう、最奥の部屋へと追い詰めた。
「終わりだな」
頬や全身から血を流す恭弥がアルビオンを構え、容赦のない宣告を行う。
だが脂汗を垂らす土蜘蛛はシニカルに笑う。
「それはどうやろ?」
重傷の土蜘蛛は壁に設置された仰々しいスイッチを叩き押す
轟!
と次の瞬間には爆音が鳴り響き、天魔の背後の壁が外へと向け、爆ぜた。
土煙と共に、光と大気が施設内へと直接に吹き込む。
「今ので、こん施設に仕掛けた爆薬も作動した! 三分以内にここは山ごと吹っ飛ぶよ!」
翼を広げた土蜘蛛が哄笑する。
「早よ冷凍庫の子供たちば連れて、あんたらも脱出せんばやね!」
そう言うや、二体の天魔は風に乗り飛び立った。
桜花と恭弥が射撃するが風の影響で弾道が逸れまくり、その翼を捉えることは叶わない。
「……さてどうする?」
切迫感など欠片も感じられない声で、恭弥が言う。
「子供たちを助けなきゃ!」
至極真っ当な答えを、桜花が叫んだ。
●
「危険なことをさせて、ごめんなさい……」
「いいって、あたいが自分で言いだしたことなんだし」
抱き締める桜花に、チルルは苦笑し逆に宥める。
「あーあ。もう少しで捕まえれたのにな」
悔しげな溜息を九朗が漏らした。
「もっと愛し合いたかったのに」
名残惜しそうにフィンブルも唇を尖らせる。
「いいじゃないか。子供たちを救えただけ」
病床上の、あとは意識を取り戻すだけという子供たちを眺め、グラルスが笑う。
天魔を逃してから一同は大急ぎで氷柱を抱え脱出したものの、三分経っても基地は爆発しなかった。それどころか、調査してみても発破装置の類は一つたりとも出てこない。結局、施設内の解凍装置で子供たちを元の姿に戻し、救命ヘリで街へと搬送したのであった。
「ま、あいつらのロリショタへの愛は一応の所、本物だったってことだな」
風船ガムを膨らませ、恭弥が述懐した。
●某所
「あれだけ時間を掛けて作った基地を奪われてしまったが、どうする?」
「あ? あんぐらいであたしの子供たちへの愛情が止むとでも思っとっとね?」
「……愚問だったな」
「あんたは?」
「答えは聞くまでもないだろう?」