黒煙すらも赤々と照らされる、火の山から駆け下る五つの影。
それを正面から迎え撃つべく、斜面を駆け上る撃退士の姿は三つだ。
煙と熱に蒸される山中を、撃退士たちは飲料水を飲み干しながら疾駆する。
「こういう風景もいい……と、言っていられない状況なのが、残念だね」
先鋒は、翼を持ち移動力に優れた風冥(
jb4764)だった。
弛緩からの緊張、という速度と柔軟性を旨とするシステマ特有の前蹴りが、先頭を走っていたサラマデルの顎先を急襲、撥ね上げる。
先陣を切った風冥に二匹の蜥蜴が逆襲を掛けるものの、矮躯の悪魔は振り回される爪や尻尾をその身に掠めつつ躱す。
風冥に続いて戦線を拓いたのは赤槻空也(
ja0813)である。
ダイナミックなドロップキックが、風冥を囲もうとする蜥蜴を弾き飛ばした。
「ヒトカゲってもっとカッコいいイメージがあったがな……ダセぇなクソ天魔!」
後から追いつく別の蜥蜴に噛みつかれようと、激情に魂を燃やす少年の闘志は揺るがない。
「……狩る」
灰里(
jb0825)が冷徹な宣告とともにロザリオより光矢を打ち出す。
漆黒の防火服に身を包んだ彼女の双眸がガスマスク越しに剣呑な光を帯び、炎にまつわるサーバントの心臓を穿たんと欲す。放たれた憎悪の箭は蜥蜴の堅牢な鱗と甲殻を割り砕く。
かくして、撃退士とサーバントという二つの大戦力が激突し、敵味方入り乱れる戦の火蓋が切って落とされた。
三人の撃退士と五匹の蜥蜴が互いの命を喰らい合う灼熱の山麓。
灰里の放つ光矢の間隙を縫って接近する蜥蜴を、風冥が捌き、転がす。
乱戦の中、後衛役に就いた灰里の背に食らいつこうとしていた別の蜥蜴へは、腕を噛まれつつも赤槻が組み付き、ジャーマンで投げ飛ばした。
かと思えば、数で勝る蜥蜴が久遠ヶ原の戦士たちを取り囲み、遠巻きに炎をまるで痰のように吐き出し、高熱の塊を浴びせかける。
煙と熱が体力と水分を奪うため、撃退士らは各自が準備した水などで身体をケアしなければならず、攻撃一辺倒には集中できない。
辛くも拮抗した戦線であった。
そのパワーバランスを崩したのは、立ちこめる煙を流星の如く切り裂き、舞い降りた里見さやか(
jb3097)である。
「お待たせ致しました!」
久遠寺渚(
jb0685)を山頂で降ろして来た堕天使が中空より参戦、登場ざまに双剣を閃かせる。
蜥蜴の装甲の薄い頚部を白色の直剣が切断、鮮血の間欠泉が湧きあがり、紅蓮の海に真紅の花が舞い散る。
「覚悟は出来てるよなァ……逆にテメェの全部潰されるって言うのはよォオッ!」
四体四、形勢が大きく変わった火の海の中、マスク越しの赤槻の咆哮が轟いた。
●燃え崩れる本殿
「使徒、発見しました! サーバントも一緒です!」
無線機を通じ、仲間への敵発見を久遠寺渚が行う。
童顔の陰陽師は、傾斜の強い石段を登ってきた使徒襲撃班の仲間へと向き直り、尋ねる。
「……行けますか?」
自らが座る場所を起点に延焼を巻き起こし、被害を刻一刻と拡大していく使徒カグリトチが、彼らの視線の先には鎮座していた。
どもりながらの少女の問いに細身の武人、翡翠龍斗(
ja7594)は不敵な笑みを浮かべる。
「人間を辞めた奴に負けはしない。このまま傍観していても、本殿はおろか森全てがなくなってしまいそうだしな」
屋根を失くし、崩落した梁に火炎の舌を巻き付かせる本殿を前にして、それでも少年はクールに嘯いた。
まだまだ子供の域を出ない風貌の楊礼信(
jb3855)も、盾と剣を構えつつ頷く。
「里見さんたちがこちらに来るまでの間に、僕たちだけでなんとか被害を食い止めるより他はなさそうですね。……それにしても、人々の大切にする神社を破壊しようとはまさしく神をも恐れぬ所業。天界というのは存外、歪んでいるようですね」
翡翠と渚がスポーツドリンクと麦茶を呷り喉を潤す。
そして三人は、炎上する高床の木造建築に乗りこんだ。
「冥府の弾の味は、お気に召すかな?」
アサルトライフルでフルオート射撃を加えながら翡翠が接敵する。
毎分六百発の連射により僅か三秒で弾倉は空になった。
退魔の鉛弾はサーバントの燃える甲殻にぶつかり火花を上げ、ひしゃげて転がる。
屈んだ礼信が銃弾に後ろ髪を掠めつつも、火炎が揺れる床の上を疾駆する。
「……邪魔ヲ、スルナ!」
紅蓮を纏う使徒は、礼信目掛け、槍の刺突を放つ。
礼信は盾を掲げ防ぎ、その一方でアルマスブレイドを振るい、サラマデルを牽制する。
戦線からやや離れた位置に立った渚は五芒の星を描き、四神結界を紡ぐ。
翡翠がシルバーレガースに装備を切り替え、礼信の隣に立って戦列に加わる。
渚を狙おうと蜥蜴が動けば、翡翠はその進路を塞ぐような蹴りを繰り出し、蜥蜴と炎の使徒を妨害する。礼信もその意を酌み、防御優先の時間を稼いだ。
蜥蜴の吐き掛ける炎の痰を盾が防ぎ、爪牙を脚技が蹴り弾く。
そこへ突き出される燃える槍の穂先が、じりじりと前衛の戦士を削る。二人は傷口を焦がし、吹き出る血泡を煮え滾らせ炎の舞台を舞った。
「出来ました!」
そして渚のソプラノボイスが上がり、球状の半透明の膜が展開、四神の加護を与える大結界が発動した。域内に身を置く撃退士の筋肉が締まり、骨に腱、果ては毛髪の一本一本まで強化される。
「目障リダ!」
四神結界の厄介性を察知したカグリトチが、体重の軽い礼信を盾もろとも弾き飛ばし、体調が万全でない陰陽師目掛け詰め寄る。
「させんっ!」
常に渚の方に注意を向けていた翡翠が身を翻し疾走する。そして着物姿の少女を抱きかかえ、跳躍した。
炎槍が翡翠の背を抉るが、庇われる渚には届かない。
追撃し二人纏めて串刺そうと使徒が槍を閃かせる。
だが、その間に礼信が割って入り、迫撃を許さない。
「怪我人はじっとしていろっ!」
渚を敵の攻撃が届かない場所にまで運ぶと、翡翠は礼信が一人で三体の敵を相手にする戦場へと、踵を返した。
劣勢だった。
どう贔屓目に見ても、劣勢である。
回避と防御を優先させているとはいえ、天魔の嚇怒の焔と斬閃が前衛の二人の身を襲い、焼き裂く。四神結界に加え、渚の乾坤網が狙撃支援と重ねて二人の戦闘を補助するが、それらを以ってしても旗色は悪い。
敵だけでなく周囲から押し寄せる炎、次々と焼け抜けていく足場が、煙と熱と相まって、彼らを苦しめた。
「燃エロォォオ!」
けたたましい叫びを上げ、カグリトチが槍を大きく振り回す。
槍の穂先と石突に巻き付いた煉獄の炎が円弧を描き、爆散する。
翡翠と礼信の身を飲み込む、広範囲の炎蛇だ。
爆炎に揉まれ、二人の身体が宙を舞う。
さらにそこへ襲い来るのは、狡猾な蜥蜴の体当たりと尾であった。
捌いて屈み、躱して伏せる翡翠と礼信が、怒涛の連撃をやり過ごす。蹴撃と斬撃の応酬を行うが、勢いに乗った三体の天魔は止まらない。
不味い。
三人の脳裏に焦燥の種火が起こる。
業火に生きながらにして焙られているというのに、撃退士らの背には氷塊を流し込まれたような寒気が走っていた。
刻一刻と社全体には火の手が広がり、戦場となった本殿も崩落していく。四方を囲んでいた壁も三方が崩れる。
熱がこもり蒸されるような苦痛は減ったが、状況は厳しい。
中でも消耗が激しいのは翡翠だった。仲間を庇った代償の傷は彼が思ったよりも深く、断裂した筋肉のせいで十全の体術の発動を妨げる。
渚の狙撃の鉛玉は爆風に巻かれ軌道を乱され焼け石に水の状態、礼信も全身に数えきれぬ裂傷と火傷を負いながら、蜥蜴の甲殻を割り、カグリトチの狩衣を浅く裂くのが精一杯である。
焼け落ちる祭殿に葉、絶望が灼熱とともに揺らめいていた。
そこへ、真白き旋風が吹きこんだ。
「……私は堕天使サトミエル、思う所あり人間に味方させて頂きます! どなたのシュトラッサーかは存じませんが、覚悟!」
純白の翼に煤を纏いながらも飛来した里見さやかだ。
彼女の振るう白刃が、あわやという所まで迫ったカグリトチの槍と絡み合い、激突の火花を散らす。
そして、正面を里見に押さえられ、当然の如くガラ空きとなった使徒の背に、灰里の鎖鞭が襲い掛かる!
「やっと、見つけた。火炎を操る天魔……狩る」
爛々と目を光らせ狂喜する灰里の鞭打が、カグリトチの燃える肉を引き千切り、沸騰する血潮を吹きこぼれさせる。
二人は山麓での戦線が安定し、蜥蜴の残党を風冥と赤槻に任せ、社へと登って来たのだ。
傾いた天秤の皿が、水平に持ち上がった。
窒息寸前まで呼吸を乱された礼信と翡翠が、薄くなくなった酸素を肺腑いっぱいに吸い込む。
「口伝のみで伝えられし秘奥の業……受けて貰おうか。この技を使うのは、初めてでな……加減はできんぞ!」
全身に金色の闘志を漲らせた翡翠が凍れる激情を燃え上がらせ、乾坤一擲の蹴撃をカグリトチに向け繰り出す。
翡翠鬼影流秘奥義『亢竜天昇』! 彼の右脚に巻き付いた一匹の黄龍が、中段蹴りが撃ち込まれると同時に炎の使徒の脇腹に喰らい付き、噛み千切った。
「ギィイィィ!」
口角より血泡をカグリトチが漏らす。
その向こう側では、鋭い刺突を礼信が神速の勢いで打ち出していた。
肩口に蜥蜴の放った火炎を纏わり付かせながらも、蜥蜴の下顎を貫通し脳髄と脳幹を穿つ、氷のような一撃。
とうとう蜥蜴の一匹が絶命したのであった。
「エェェェイ、チョロチョロト、鬱陶シイ!」
憤怒の形相で、使徒は本日一番の炎蛇を辺り一面に召喚した。
爆風と共に、螺旋を描く蛇が戦場を這い廻る!
炎蛇の範囲内に居た四人の撃退士たちは、各々の武器を掲げ荒れ狂う猛火に必死に抗う。
里見と灰里は腰を落とし、炎嵐に巻き上げられないよう堪えた。
しかし、先刻からたった二人で前線を維持していた翡翠と礼信は荒れ狂う爆炎に耐えきれず、吹き飛ばされる。
耐久限度を超えた床板をぶち破り背中から地面に叩き付けられた礼信と翡翠。
直剣を杖に、礼信はなんとか立ち上がり、傷塗れの自分の身体に治癒を施す。
体力を削り散らされた翡翠は、立ち上がれない。気力や根性、意思の力とは無関係に、生物としての限界が彼の肉体を侵し、意識を刈り取っていた。
駆け寄る渚の肩を借り、礼信はよろめきながらも、戦線に立ち戻ろうと足を踏み出す。だが彼の視界は明滅し、レッドシグナルを鳴らしている。
灼熱に身を焦がす里見が双剣で使徒の矛を受け流す。
灰里も、防火服の上からでも容赦なく体力を削る緋炎に顔を顰めるが、紺碧の鎖鞭をまるで生物のように扱い、二人の女戦士はカグリトチとサラマデルの猛攻を耐え凌ぐ。
逆転しかけていた形勢は再び、不利の様相を呈し始めていた。
「僕が見ていない世界を壊す不届き者は、君かな?」
その声は唐突に、カグリトチの背後に静かに湧いた。
突如として降って湧いた美声に、カグリトチが驚愕しつつも振り返ろうとする。
そんな使徒の側頭部を打ち抜く、掌打。
「ちまちまと様子を見るのは僕には無理みたいだ」
関節などまるでないかのような撓る一撃とともに、風冥が言い放った。
風冥と共に、遅ればせながら追いついてきた赤槻が、叫ぶ。
「だらァ!」
駆ける赤槻は立っていた蜥蜴へラリアット、からのチョークスリーパーホールドを掛け、頸動脈を絞めるどころか、太い頚骨を折り砕く!
「テメェがボスかよ……覚悟、できてンだろうなァ……?」
浅くない手傷を負ってもなお意気軒昂の少年は、黒斑から炎のような気を発し、瞳を金色に輝かせる。
「チッ! ワラワラ湧キヤガッテ!」
最早裸単騎となったカグリトチは、燃える怒髪を天をも突かんばかりに逆立たせ、憤慨する。
「全員、燃エテ無クナレ!」
使徒の嚇怒が焔となって顕現し、炎蛇がのたうつ。地上のありとあらゆる物を飲み干すばかりの、吹き荒ぶ劫火であった。
一つでも多くの生命を燃やしつくそうと放たれる獄炎。
里見と風冥のコンビが延焼を少しでも減らすべく、炎蛇を叩き落として回る。
二人の翼を、渚の術式が高熱から守る。
「テメェが消し炭になりやがれッッ!」
炎の腕を縫って、低空のタックルを赤槻が、カグリトチの正面から仕掛けた。
組み付く彼の肌を使徒の灼熱の狩衣が焼くが、悲鳴一つ洩らさない。
突き飛ばされたカグリトチの先で待ち構えていたのは灰里である。
「ナイスです、赤槻さん」
隈が目立つ双眸に炯々とした光を宿し、灰里が唸りを上げる鎖鞭を振るった。
敵味方有象無象の区別なく、全てを切り裂く三日月型の無数の刃『クレセントサイス』が使徒に突き立った。
「ギイイイィィィィィィィィッ……!」
絞り出すような絶叫を使徒が上げ、転がる。
転がり辿り着いた先には、礼信と渚。
「終わりです!」
「さようなら」
氷刃と銃弾が、カグリトチが見た最期の光景だった。
●
上空からは、防災ヘリによる散水が降り注ぎ、麓からは消防車が吐き出す幾条もの噴水が炎と闘う。
あちこちでは音を立てて鎮火され、または未だに橙の焔が揺らいでいる。
桑は半分以上が燃え、樫は辛くも火の手を逃れ、杉の雑木林はほぼ全焼してなくなり、黒坊主である。
灰里は怪我をしてもなお消火活動に参加し、炎の息の根を止めに奔走していた。
無視できない重篤な負傷者は仲間の手によってすぐに最寄りの病院へと搬送され、治療を受けている頃合いであろう。
「なんか、あん時みたいだな……」
遠い目をした赤槻が荒廃した神社を見渡し故郷を思い出したが、すぐに頭を振り、消火活動に加わる。
自分が見たことのない世界を愛する風冥はというと、ただ一人荒れて焦げた神社を歩み、一本だけ聳える巨木の前で立ち止まる。
注連縄が切れ、紙垂が燃え落ち、枝葉の先もいくらか焼けていたが、樹齢は悠に千年を超すであろう大木は、それでも厳然と佇立していた。
「これが、僕が見たいと願った世界なんだね」
昇り始めた朝日に照らされる神木に向け呟く風冥の言葉は、大火の直後に吹く強風に攫われ、溶けて消えた。