●職員室
Trrrr
厳めしい顔の教師が職員室の机上で騒ぐ電話の受話器を取る。
受話器からは女子の悲鳴が上がる。
「たすけてセンセー! 怖い、怖いよー!」
それは今にも泣き出しそうに切羽詰まった、女子中高生の甲高い涙声だ。
並々ならぬ逼迫した声色に教師も一瞬、平静を失う。
「天魔が出たのか!?」
しかし問いの答えは、予想を大きく外れる。
「あのね、体育館倉庫のおかたづけしてたら貧血でくらくらってなって……気づいたら真っ暗で閉められてて出れないよっ! 怖い、出してよセンセー!」
受話器を握る教員は鼻白んだ。
撃退士たるもの、それくらい自分の力でどうにかしろ!
思わずそう叫びそうになってしまったが、すっかり恐慌に陥った少女の心情を慮り、眉間に手をやる。
気が付いたら暗所に閉じ込められ、出口も閉じられた状況ではパニックを引き起こしても仕方がない。
そう自分に言い聞かせ
「分かった。今から助けに行く。どこの体育倉庫だ」
絞り出すように言った。
そして同僚に一声かけ、職員室を出る。
●体育倉庫内
「ごめんねーセンセ☆」
暗い体育倉庫内。
職員室直通の電話を掛け終えた新崎ふゆみ(
ja8965)ことヘルメス・☆は、金の髪を手で弄びながら、舌を突き出し悪戯っぽい笑いを漏らす。
その笑みが、ヘルメスたちの状況開始の狼煙となる。
●中庭
「ヤヌスα、作戦通り職員室より誘き出される。尚、中庭の窓は予想通り物質透過対策がされておるようだ」
巡回する教師の目を潜りぬけ職員室に面する中庭に侵入し、茂みに身を隠しながら職員室内を監視していた黒兎吹雪(
jb3504)は仲間に伝達した。
作戦に際しテスト用紙を護る教師は、古き神話で『扉の神』を表すヤヌスの名を付けられていた。
職員室に待機するヤヌスはα、β、γ、廊下を守護する二人はδ、ε、中庭を見回る者はζとラベリングされている。
「やれやれ。どうなるものか」
ヤヌス・ζに見付からぬよう気配を殺しながら、吹雪は老人のような口調で述懐した。
●廊下南側
「ぶるわははは!」
突如として鳴り響いたガラスの割れる音、その後立て続けに湧き上がったむさ苦しい奇声に、職員室へ と繋がる南側の廊下を警備していた教師が音がする方角へと走る。
刃引きがなされた槍を構え、笑い声が上がる二階の教室へと駆ける。
そして戸をスライドさせ教室内に踏み入る。
笑い声は教卓の下。
野太い声を上げそうなゴツい生徒が教卓の中に縮こまっている様を想像し、教師は薄ら寒いものを感じたが意を決し覗きこむ。
しかしそこには。
ポツンと置かれた携帯音楽プレイヤーだけ。
録音された笑い声だけが延々とスピーカーから漏れ出ていた。
教師が自分の失策を悟った時、入ってきた扉が勢いよく閉ざされた。
慌てて扉へと駆け寄り引き開けようとするもびくともしない。
教室のもう片方あるスライドドアへと行き開けようと試すが、そちらも同様に動かない。
そのドアの向こう。
アクア・J。アルビス(
jb1455)がつっかえ棒を施したドアの前に、他の教室から運んだ机や椅子をせっせと積む。
「闇夜に煌く稲妻! 怪盗アクアマリン見参ですー」
黒タキシードと仮面を纏った彼女はノリノリで、ヤヌスεを教室内に閉じ込める作業に勤しんでいた。
●廊下、北側
「頑張って作戦を成功させるぞー!」
ヘルメス・シンこと緋野慎(
ja8541)は元気いっぱいに言うと、作戦を実行に移す。
廊下の曲がり角に身を隠し、ヤヌスδの背後に小石を投じた。
硬質な音を立て石が床を転がる。
ヤヌスδがその音に気付き振り向く。
しかし武器を展開し周囲を警戒するだけで、その場から動こうとはしない。
「もう一個!」
場所を移動し彼はさらに空き缶を転がす。先程よりもけたたましい音が鳴り響く。
けれども教師は持ち場を離れず、油断のない視線を辺りに巡らせるだけだ。
何故ならそれは攪乱戦における定石。天魔との戦闘でもよく使われる常套手段である。
そのことを重々理解しておきながら引っ掛かるほど、久遠ヶ原学園の教師もお人好しでもない。
「それなら!」
ニンジャマスクで正体を隠した慎は、自らの身を一瞬だけ晒した。
すぐに忍装束を翻し、遁甲の術と無音歩行を用いて、獣の身のこなしで夜の校舎の曲がり角へと消える。
ヤヌスδが、彼の背を追う。
●とある教室
「あー、あー」
発声練習をしたミハイル・エッカート(
jb0544)は内線電話に手を伸ばし職員室へコール。
「こっちは校舎の見回り班だ。暴れている覆面生徒たちの数が予想よりも多い。誰か増援をよこしてくれ」
事前に調べておいた警備担当者の声を真似て電話する。
しかし返答は彼の予想外のものだった。
「オーケイ合言葉は?」
職員間での通信は全て合言葉が用意されていたのだ。
「合言葉は?」
訝しむ声が受話器より上がる。
無言のまま彼は受話器を下ろした。
ミハイルは顔を歪ませ考える。
どうしたら仲間を無事職員室へと送りこめるのか。
熟考の末、ヘルメス・無量大数はスマホを取り出し思い付いた作戦を侵入班の二人に伝える。
●廊下、南側
「これで逃げられないですー」
一仕事やり終えたを怪盗アクアマリン。扉の前に堆く積まれた机の量は必要性があるのか疑義を感じるレベルだ。
しかし、ドン!と轟音が響き、彼女の目の前の堆積物が大きく揺れる。
撃退士相手には生半なバリケードでは足止めにしかならない。
再び、ドン、と重低音。
「逃げるが勝ちです―」
そう言うや、アクアは廊下の窓に向け疾駆、硝子を割り二階から飛びおりる。
眼下には植えられた木。
飛び降りた彼女の後ろ髪を掠めながら、ヤヌスεが弾き飛ばした椅子が通過する。
後方では、巻き添えを食らい叩き割られる硝子の悲鳴。
●廊下某所
ふゆみを体育倉庫から助け出し明るい所まで送り届けたヤヌスαは、職員室へと戻る廊下を歩く。
その帰路、暗い廊下の中ほどに蹲る一人の少女の姿を発見した。
「おい、どうした」
やや警戒しつつもαはその陰へ近寄る。
「あ、先生……どうも、こんばんは」
廊下に膝をついていた並木坂マオ(
ja0317)は弱々しい笑みを教師へと見せる。
「もう下校時間はとっくの昔に過ぎてるぞ。まさかお前も騒ぎ回ってる奴らの仲間か」
「違いますよ。なんか学校で騒ぎが起きてるって聞いて、それを取材に来た新聞部員です」
マオは不審がるαに使い捨てカメラを示す。
「ただ、追い掛け回る人たちの取材してたら、この前依頼で受けた傷が痛んできて」
マオは腹部を抑えこれ見よがしに呻く。
「大丈夫か!?」
幾らかの警戒心を薄めたαがマオに歩み寄る。
そしてその教師の手が自分の肩に掛かる時。
マオはこっそりと、しかし鋭く自分の腹を殴り付けた。
「ごふぁっ!」
手を貸そうとしたαへド派手に、振り向きざまに彼女は吐血した。
「う、うおぉ!」
鉄臭い鮮血を顔へ吐きつけられたαが尻もちをつく。
「あ、やばっ……傷が、開い、ちゃった。てへ」
蒼白な顔でマオは倒れ込んだ。依頼で受けた重傷を自ら抉る、渾身の作戦だ。
「しっかりしろ!」
本物の血に取り乱したαがマオを抱き起こし呼びかける。
しかしマオは気絶した演技に移行。
そしてαにより総合病院へと運ばれながら彼女は、密かにスマホで、仲間へとヤヌスαの完全排除の成功を伝えた。
●職員室
職員室の扉がノックとともに、そこそこ大きな音を立てて引き開けられた。
室内に残ったβ、γの視線が同時にそちらに向く。
「すみません。私、×××社V兵器開発部の△△△と申しますが」
顔を覗かせたのはミハイル。
ダークスーツに身を包んだ彼はサラリーマンの雰囲気を放ちながら懐より、職業柄所持している偽の名刺を差し出す。
そして今は不在のαの名を出し、新しいV兵器開発に際し意見を聞くための約束をしていたと告げる。
海外のV兵器開発企業が学園の人間と意見交換をすることはよくある話だ。
だが職員室内に残ったβとγは、こんな夜分に意見交換を行う約束をするものかと疑いを向ける。
βが確認のため、αの携帯へと電話を掛ける。
しかし病院内は携帯の電源を切らねばならない。
マオによって総合病院へと排除されたαが電話に出られる筈もない。
さらに生徒には見えない彼の容姿と、堂々と出された名刺が信憑性を生み、一応の所、彼は職員室内の応接ソファまで案内された。
壁に背を向ける方のソファに深々とミハイルは腰かける。
彼の視線の向こうで動くのは二つの小さな影。
ミハイルが注目を集め進入した扉の反対側から、音を殺し見事進入を果たしたエイルズレトラ・マステリオ(
ja2224)とエンフィス・レローネ(
jb1420)だ。
小柄な二人は屈み、机の陰に身を隠しながら、最奥にある金庫へと接近する。
その時。
「うおおお!」
猛々しくも凛冽とした雄叫びとともに、一人の覆面の生徒が教室の扉を開いた。
忍ぶ気ゼロ、ダイナミックに登場した長身の男にβが驚きつつも武器を展開、対峙する。
「我が名はヘルメス・ブレード! いざ、まかり通る!」
手甲に牙のような刃が取り付けられた格闘用武器を構え、榊十朗太(
ja0984)が名乗りを上げる。
●職員室より少し離れた廊下
十朗太が裂帛の気合とともに突き出した手甲を、βがナイフのようなV兵器で弾き、お返しとばかりに三連の突きを眉間、喉、丹田へと向け繰り出す。
尋常ならざる突きの速度に舌を巻きつつも、十朗太は身を引き、体を逸らし、爪で防ぎ耐え凌ぐ。
職員室から戦場を移し、無理矢理ながらβの誘い出しには成功した十朗太。
苦戦するものの、己の役目を果たさんと勇猛に、暗闇の学校を舞う。
●またも職員室
突然の闖入者が去り、一人職員室に残ったγがミハイルの応対をする。
その後ろでコソコソと蠢く二人の撃退士。
ブロック分けをされた教員たちの机の間を矮躯が蠢く。
だが途中。
「あ、あわわ……」
自らのスカートの裾を踏みつけたヘルメス・Eことエンフィス。
寸での所でエンフィスは職員机に手をつき、転倒を回避する。
しかし今度は手を着いた衝撃で、山積みにされていた書類が崩れ始める。
エイルズレトラが咄嗟に紙を支え、全身を使って崩落を防ぐ。
「こほん!」
紙が上げる小さな音を、ミハイルが咳払いの音で誤魔化す。
エイルズレトラはゴソゴソと机を直しながら、何やらパソコンに向かい、スマホを接続し操り始める。
エンフィスはエイルズレトラと別行動で一人で金庫へと向かう。
そして彼女は金庫の前に辿り着く。
「えと……『59、603』」
――Piiiiiii
解錠に合わせ、電子音が鳴り響き、扉が大仰に開いた。
さすがにこれは咳払いでも誤魔化し切れなかった。
ヤヌスγと、扉に手を伸ばすエンフィスの目が合う。
「こ、コラーッ!」
怒声に身を竦めつつもヘルメス・Eの投擲したクールシュライバーが照明のスイッチに直撃、室内の明かりを落とす。
その一秒後。
中庭に待機していた吹雪が雷霆の書の雷槍を召喚、眩い紫電が闇夜を裂き疾駆。職員室の真ん中らへんの窓に直撃!
衝撃で一面のガラスが全て弾け飛んだ。
雷剣を放つやすぐに吹雪は物質透過を発動、逃亡。
唐突な現象に目を丸くしつつも、吹雪の存在に気付いたヤヌスζが、これ見よがしに逃げる吹雪を追う。
それに合わせミハイルは、ポケットの中でピンを抜いた発煙手榴弾を自分の足元に落とし、蹴り転がす。
手榴弾がはあたかも、窓の外から投げ込まれたかのように床を滑る。そして白い煙が濛々と上がった。
「ケホッ、煙た、何ですこれ!」
さも被害者面して、煙に巻きこまれたミハイルが噎せる。
ヤヌスγが思わずミハイルの様子を気遣う。
その隙にエンフィスが試験用紙を奪取、ハイドアンドシークとナイトミストを二重発動して暗闇へ。
密かにパソコンとの接続を切り終えたエイルズレトラはというと窓の縁に足を掛け、黒いシルクハットを胸に当て、カボチャマスクの頭で優雅に一礼。
「フハハハハ! 私はヘルメス・パンプキン! 諸君、また会おう!」
トランプを撒き散らしながら中庭へと飛び出す。そして壁を駆け上がり、瞬く間に姿を闇の中へと消した。
●廊下
珠のような汗を滴らせ十朗太は教師の猛攻を凌ぐ。
さしもの彼も教師相手では防御で手一杯だった。
そこへ、アクアを取り逃したヤヌスεが音を聞き駆け付ける。
二対一はいよいよ不味い、十朗太がそう覚悟した時。
εの横合から鈴木悠司(
ja0226)が襲い掛かった。彼の役割は逃走時の退路確保であった。
地を滑りながらも悠司の拳を槍で受けるε。
さらに廊下へ、円柱型の物体が投げ込まれる。窓の外から発煙手榴弾を投じたのは、帰った振りをしたふゆみ。
「逃げるよっ!」
悠司が窓を飛び越え逃げる。
十朗太も遅滞なくその反対側へ逃亡する。
彼の背後では煙幕に視界を潰された教師が静止の声を上げるが、縮地を用いて風となった彼は闇に逃れる。
●合流地点
「……試験の、問題です」
「ありがとう! これで、試験は大丈夫だ!」
ヘルメスたちは歓喜に沸いた。その様に撃退士たちの顔にも笑みが伝播する。
しかし吹雪がポツリと漏らす。
「盗んだことがバレてしまったのでは、新しい問題が作られるのではないのか?」
彼の発言に場が凍りついた。
「僕もそれについて考えました。なので」
固まった空気を崩すように、エイルズレトラが切り出す。
「エンフィスちゃんが机の書類を崩した時、机の上に置いてあったUSBとパソコンの共有データフォルダを発見しましてね。ふゆみちゃんの助言を思い出したんですよ。」
彼は自らのスマホを差し出した。
「じゃあそれに、データが入ってるんだね!」
目を輝かせながら慎が叫ぶ。
「それらしいデータを一つ見つけましたので、もしもの時はこちらを参考に勉強するといいでしょう」
ヘルメスたちは今度こそ、歓喜の渦に飲み込まれた。
●テスト当日
受け取った試験の解答を完璧に丸暗記し、これで満点は確実とほくそ笑むヘルメスたちは、机の前に伏せられた解答用紙と問題用紙を前に、早くも勝利を確信していた。
「開始!」
教師の掛声を合図に、紙が裏返される音が教室中に響いた。
もはや問題を見ずとも丸暗記した解答を紙に写すだけで足る、ヘルメスらはそう思っていた。
しかし。ヘルメスたちの顔が恐怖と戦慄で凍りつく。
「「「も……問題が違う!?」」」」
予言されていた未来ではあっても、向き合うのは辛いものである。
●数後日
絶望に打ちひしがれたヘルメスたちは追試に臨む。
「追試、開始!」
暗澹とした面持ちで彼らは問題用紙を表にする。
その時またも彼らに衝撃が走った。
それは何故か見覚えのある、問題たちの並びであった。
そう。彼らが入手したのは追試用の問題だったのだ。
「「「ば、バカな!!」」」
絶望の再臨。
なまじっか勉強してきただけにもはや丸暗記した筈の解答など忘却の果て。その内容を覚えている筈もなく。