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 ――細く降りしきる初春の雨が、静かにそして冷たく戦場を濡らしていた。

「くそっ。ようやく調整が終わったって時に‥‥!」
 研究所東棟の窓から粉雪の舞い散る庭を睨み、研究員の1人が毒づいた。
 撃退士達が天使達から奪い取った天界兵器の盾「氷宿・フロスヒルデ」はついに人類の手で使用可能な状態となったのだ。だがあの聖槍アドヴェンティ同様、その使用者には著しい負担がかかると予測され、本来ならば実戦投入までの間になお慎重なテストを重ねる必要があろう。
 しかし、今そんな悠長なことは言っていられない。
 調整終了とほぼ時を同じくして、研究所の北・南西・南・北東の四方面から新たな天使軍の襲来が報告されたのだ。
 まさに四面楚歌。踏みとどまって戦うにせよ、研究所から脱出して撤退するにせよ、フロスヒルデとその起動に必要な「雫」をこの場に放置するわけにはいかない。
「今のうちに移動しましょう。盾と『雫』は俺達が運びます」
 【氷宿隊】メンバーの1人、北条 秀一(ja4438)の言葉に研究員達も頷き、「雫」は専用の保管ケースに、フロスヒルデはカモフラージュ用の袋に収められていく。
「また護衛か〜」
「そうぼやくな。敵がいつ例の焔剣とやらを持ち出してくるか分からない以上、この盾が俺達の切り札なんだ」
 同じく【氷宿隊】所属、雨野 挫斬(ja0919)を窘めつつ、秀一はフロスヒルデの袋を抱え上げた。
「はぁ、ならせめて素敵な出会いを期待しようかな」
 軽く肩を竦め、挫斬は小隊メンバーや研究員達と共に第2霊査室を後にした。
 先導役を務めるのは金鞍 馬頭鬼(ja2735)。
 今のところ(西研究棟を除き)敵戦力を屋外の防衛ラインで食い止めているといえ油断はできない。偵察用の超小型サーバントが侵入している可能性もあるし、防衛ライン自体いつ突破され研究所内全てが戦場と化すか分からないからだ。
「何はともあれ、こいつだけは敵に奪い返されるわけにいかないですからね」
 そのため各方面の戦況情報や周辺の地形を常に把握し、戦闘発生に備えて攪乱や潜伏が可能な地点をピックアップ。その上で「盾と雫」を最短で目的地に運べるルートも調べ上げてある。
 東研究棟へ寄ったところで一般人の研究員を本部へ引き渡すと、【氷宿隊】はさらに中央研究棟へ向かった。
 一部の撃退士は中央棟最上階から周囲を監視、天使軍に焔剣・レーヴァティンを使う兆候が見えれば直ちに警報を発する準備を整える。
 挫斬や秀一らはフロスヒルデを守りながら2階で待機、各方面の戦況に応じて迅速に出動できる態勢を整えた。


●南側正門付近
「焔劫騎士団」のメリーゼルは正門からやや内側に入った庭の一角に立ち、じっと研究所の建物を睨んでいた。
 人間でいえばまだ12、3歳。華奢であどけない天使の少女が雪の中に佇む姿はいささか詩的な光景だが、その表情は険しい。
 やがて彼女は振り向くと、己が指揮するサーバントの軍勢を見やった。
 多数の骸骨騎士やエインフェリア(兵士霊)の群の中、ひときわ巨大な黒い影がそびえ立っている。
 体高およそ10m、直立型肉食恐竜の骨格がそのまま動き出したような超大型サーバント。
 その全身(骨だけだが)を禍々しい暗黒のオーラに包んだ、いかにも凶暴そうな怪物である。
「‥‥あの屍竜はどこから?」
「はい。国東ゲートより増援として転送されてまいりました」
 黒いイブニング風ドレスを身にまとい、細身の身体に似合わぬ大盾を背負った女性が恭しくメリーゼルに答えた。
「父様が?」
「ベテルギウス様もあなたの身を案じておられるのです。どうぞお察しください」
「‥‥」

『父様の力なんか借りなくたってメルは勝てるのですっ!』

 つい数日前までの彼女ならそう強がったことだろう。
 だがこれから戦う「敵」がそんな生やさしい相手ではないことは、メリーゼル自身が先日身を以て思い知らされている。
 また彼女に与えられた任務は焔剣・レーヴァティンが到着までの抑えであるが、単なる足止め役に甘んじるつもりはなかった。
 むしろ攻めに徹して敵の防衛ラインを突破、可能ならあの研究所に運び込まれたというフロスヒルデや「雫」を奪還する。
 そのためにも、露払いとなる強力な大型サーバントは頼もしい援軍といえた。


 一方、研究所正面玄関前方に設営された人類側防衛ライン。
 庭や研究所内からかき集めた資材で構築されたバリケードの内側で、撃退士達が着々と天使軍迎撃の準備を進めていた。
「敵も味方も戦力を補充しての最終決戦‥‥踏ん張りどころね」
 新手のサーバントが続々と侵入してくる正門方向を見やり、神凪 景(ja0078)は己に言い聞かせるように呟き武者震いした。
「何だろう、あの馬鹿でかいのは?」
 日下部 司(jb5638)は遠目からもはっきり分かる屍竜を目にして、かつて戦場で戦ったドラゴンゾンビを思い出していた。
 もっともその時の相手はディアボロだから、たまたま似た様な外観を持つサーバントもいたということだろう。
「何にせよ、あんなのが突進してきたら厄介だな‥‥」
 バリケードといっても所詮は急造りの障壁。阻霊符の効果である程度敵の侵入を阻めると言っても、物理的なパワーで破壊されればそれまでだ。
 そしてここを突破されれば、背後の中央研究棟に敵の侵入を許すことになる。
「敵の指揮官はどうやら新人騎士らしいな」
 メリーゼルが初めて撃退士と交戦した戦闘の報告書を読み返しながら、下妻笹緒(ja0544)は思案を巡らせる。
「個体戦力と指揮能力は別ものだ。実戦経験が浅いところに慣れない大軍の指揮を任せられれば自ずとどこかに隙が生じるだろう。何とかそこを突ければいいんだが‥‥」
「どうやら『雫』の解析は終わったようだし、『盾』も手に入った。強いてここに籠城する理由もないんだがな」
 島津・陸刀(ja0031)は傍らの御幸浜 霧(ja0751)をちらっと見やった。
 自分1人ならいざ知らず、恋人の霧を命の危険に晒すような事態はなるべく避けたい。
「やむを得ません。敵の目的はその雫と盾ですし、ここには大勢の一般人の方々もいらっしゃいます。彼らを置き去りにはできませんから」
(私のことならご心配なく‥‥)
 そういいたげな微笑を浮かべ、霧は陸刀の手をそっと握った。


●守るべき命
 研究所屋上にはディメンションサークルが設置され、それを通して久遠ヶ原学園からの増援や物資が転移されて来る。だがこの転移装置はあくまで学園からの一方通行であり、脱出用には使えない。
 その為、南側正門が万一の際の脱出ルートとされているが、撃退士達が盾や雫を持って研究所の外に出れば当然天使軍から集中攻撃を受けるだろう。
 そしてもう1つの問題は研究員とその家族。所員宿舎から救出された人々も含めて主に屋内実験棟に避難しているが、彼らを連れて天使軍の包囲網を強硬突破するのは極めて困難といわざるを得ない。

「すまない。ちょっと通してくれ」
 正面玄関から出て来たリョウ(ja0563)が、忙しく動き回る友軍の撃退士やバリケードの間を器用にかいくぐって行く。
 その片手に握られたのは、鉄パイプにシーツの切れ端を結び着けた即席の「白旗」。
 それに気付いた撃退士の1人が見とがめた。
「何だそりゃ? おい、まさか――」
「ああ、安心しろ。敵の指揮官とちょっと話をしてくる」
 初めて交戦した日、彼女は自ら「一般人と負傷者の退去」を要求してきた。
 一口に「騎士道」といっても人間と天使のそれが同じものか、そして彼女以外の天使がどう考えているかは知る由もないが、少なくともメリーゼルという天使は「非戦闘員を巻き添えにするのは騎士道にもとる」という信念の持ち主らしい。
 もっとも今でもそう思っているか分からないが、この際犠牲者を減らすためにもできるだけのことはしておきたかった。
(天使に白旗の意味が分かるかどうか‥‥ま、あの使徒なら分かるだろう)

 魔具・魔装を身につけず、白旗をかかげて近づくリョウの姿に気付いたメリーゼルは案の定不思議そうに首を傾げたが、使徒の女が何事かささやくと、片手を上げてサーバント達に攻撃を控えるように命じた。
 リョウのことを「軍使」と判断したのだろう。
「また会ったな『光閃緋弓』メリーゼル。君の潔さが、真実のものであると信じさせてくれ」
「撃退士のリョウですね。何の用ですか?」
「戦闘の前に、研究所内にいる一般人の避難について話し合いたい」
「バルシーク様から話は聞きました」
 突然、メリーゼルがリョウをきっと睨み付けた。
「――なぜあの場所に一般人を残したのですか? 戦いになれば巻き込まれると分かっていたはずなのに!」
「彼らは‥‥自らの意志であの場に踏みとどまってくれた。彼らにしか出来ない使命を果たすために」
 まさかあの件を天使から糾弾されるとは思わず、リョウも反論する。
「そういう貴様達は焔剣の実験のため人間の街ひとつ滅ぼしたな? それが騎士のやることなのか?」
 メリーゼルが苦しげに顔を歪め、目を逸らした。
「だからこそ‥‥こんな戦いは一刻も早く終わらせるべきなのです。これ以上無益な犠牲者を増やさないために!」
「その件について今ここで言い争うつもりはない。そして研究員を守れなかった事は俺達の落ち度だ。――それを認めた上で、もう一度お願いしたい。非戦闘員の避難と、研究所の敷地外に出た後の安全の保証を」
 僅かな逡巡の後、メリーゼルは答えた。
「‥‥30分の猶予を与えます。避難者がそちらの勢力圏に移動するまで、彼らに手出ししないよう後方の友軍に申し送りましょう。詳しいことは、私の使徒‥‥クミコと打ち合わせて下さい」
 焔劫騎士団メンバーといっても、今回の戦いにおいて彼女は一方面の前線指揮官に過ぎない。
 おそらくはこれが独断で出来るぎりぎりの「譲歩」とみてよいだろう。
「感謝する」
「礼には及びません。敵であっても、自らの同胞のため身命を賭した勇士達の魂に‥‥安らぎがあらんことを」
 それだけ言い残すと、メリーゼルは踵を返してサーバント群の方へ立ち去り、入れ替わりにクミコが進み出た。
 予めこうした状況を想定していたかの様に、使徒の女は淡々とした口調で天使側の「条件」を告げてくる。
 曰く、「持ち出せる物は防寒具や携帯食など必要最小限とする」「車両の使用は認めるが、内部で不実をすれば交渉は即時破棄される」等々。
 彼女がフロスヒルデや「雫」の持ち出しを警戒しているのは明かだ。
 むろんリョウもそんな小細工で非戦闘員を危険に晒すつもりはない。ましてやあの盾と雫は、いずれ天使側が投入するであろうレーバティンに対抗し得る貴重な戦力なのだから。

 交渉の経過は上空で待機した堕天のMaha Kali Ma(jb6317)(マハー・カーリー・マー)が情報網【目】を通し本部に伝えていた。
「交渉がうまくいかず、戦闘中の撤退に邪魔が入るのは嫌ですからね」
 たとえメリーゼルが非戦闘員の避難に同意しても、途中の裏切り、ないしは他の天使やその配下サーバントによる妨害も懸念される。
 こちらからの情報発信と共に、他の戦域の状況や敵味方の動きを把握して周辺を警戒するのも彼女の役目だ。
 やがてリョウのスマホから通信が入り、天使側が条件付きで避難を認めたこと、自分はこれから研究所に引き返し速やかに避難準備に入る旨が伝えられた。
「30分ですか‥‥かなり厳しい条件ですが、この際1人でも多く避難できるに越したことはありませんわね」
 やがて彼女は正門側の天使陣営に向けて降下した。
 避難者達の脱出に立ち会うためだ。
 マハーからの連絡を受け、江戸川 騎士(jb5439)も立ち会いに加わるため南正門に向かう。
「状況からして撤退路に伏兵はなさそうだが‥‥それでもエキサイトしたサーバントあたりが何をしでかすか分からないからね」
 いざとなったらマハーと連携し、避難の人々を守りながら屋内に引き上げるつもりであった。
「まぁ、出来ればヤバいことにならないといいけど・・・・」


 研究所の屋内実験棟に避難している非戦闘員は研究員やその家族も含めおよそ200名。
 30分という短い時間で脱出できる人数には限りがある。
 しかも南正面玄関前を除く研究所の周囲では既に戦闘が始まっていた。
 避難者の中には天使の言葉を信用できず外に出るのを躊躇う者、あるいは「解析データを守るため自分はここに留まる」と言い張る研究員も少なくない。
 懸命の説得に応じ、女性や子供、負傷者を中心に100名近くがまだ動かせる車両に分乗し研究所から脱出する運びとなった。
 それ以上は、交渉でもぎ取った猶予での脱出は難しいと断念したからだ。
 クミコの強い監視の視線の下、車両はサーバント群が一時的に開いた撤退路を通って研究所を後にする。
 最後の車両が無事に通過するのを見届けた後、マハーも人類側陣営に帰還した。
 
 いよいよ戦いが始まる。
 小雨の雪は、いつしか雪へと代わり戦場を淡く白に染めている。
 サーバントの群は再び撤退路を塞ぎ、屍竜の巨体がのっそりと部隊の正面に進み出た。
 屍竜を先頭に骸骨騎士や兵士霊で鏃のような三角形を構成する、いわゆる魚鱗の陣。
 1点突破の吶喊攻撃で防衛ラインを蹴散らし、そのまま中央研究棟へ攻め込もうというメリーゼルの意図は明かだ。
 自らは三角形の底辺にあたる「本陣」についたメリーゼルが、姉と慕うアルリエルから贈られた短剣を振りかざし叫んだ。
「天界の正義のため、焔劫騎士団の誇りにかけ、我らはこれより不退転の決意を以て進軍を開始する――全軍突撃! 天に栄光あれ!!」
『――!!』
 人語を話さぬサーバントも唱和するかの如く喊声を上げた。


●暗黒の巨竜
「来やがったな」
 中央棟屋上に陣取った杜七五三太(ja0107)が低い声で呟く。
 その近くでは【黒星結】所属の青鹿 うみ(ja1298)も身を潜め、敵軍の動向を観察し情報網【目】を通して逐一友軍に報告していた。
 七五三太の視界に、魚鱗陣の後衛で緋色に輝く弓を天に向けるメリーゼルの姿が映った。
「気をつけろ、範囲攻撃が来るぞ!」
 地上の友軍にスマホで警告を発した直後、メリーゼルの放った1本の矢が空中で無数に分裂、流星群のごとく撃退士達に降り注いだ。
 骨騎士や兵士霊の中で弓を武器とする者達も、主に続いて一斉に矢を放つ。
 これらの攻撃に対処する暇も与えず、地上の防衛ラインを守る撃退士の眼前に街路樹をなぎ倒しながら屍竜の巨体が迫った。
「あたしに出来る全力を尽くすの‥‥」
 華桜りりか(jb6883)は破魔弓にアウルの矢をつがえ、後方から屍竜を射る。
「標的、ロック。殲滅開始‥‥」
 Spica=Virgia=Azlight(ja8786)(スピカ・ヴァルジア・アズライト)は体内に流れる悪魔の血の力、銀色に煌めく半透明の翼を広げ飛翔、射程内に入った怪物への狙撃を開始。
 その他の撃退士も遠距離魔法や射撃武器で屍竜を攻撃するが、巨大サーバントの突進を食い止めるには至らず、人類側陣営に接近した屍竜は骨だけの顎をくわっと開き黒い腐敗ブレスを放射した。
 広範囲に広がるブレスを浴びた撃退士達の肌や魔装がどす黒く染まる。
 直接的なダメージはさほど大きくないものの、それは彼らの装備や肉体を蝕み、じわじわと生命や防御力を削っていく恐るべき呪詛の漆黒。
「いけない!」
 逸宮 焔寿(ja2900)がが起こした風は彼女の空色の髪を揺らし吹き抜け疲弊した仲間達を癒やしていく。
 焔寿と同じくし、アイリス・レイバルド(jb1510)は聖なる刻印を施し腐敗への耐性を高める。
「・・・・けど」
 刻印を結い終えたアイリスの無機質な瞳に屍竜の姿が映る。その間に屍竜はバリケードに突入。大木の様な後肢と長大な尻尾で進路状の障害物を撃退士ごと蹴散らし、真っ直ぐ中央棟を目指す。
 その後から馬型サーバントを駆る骨騎士達が続き、当初の防衛ラインから後方の噴水付近まで押し込まれてしまった。
 だが撃退士側も手をこまねいていたわけではない。
 魔法書を掲げ、スピカと連携する形で屍竜を攻撃していたErie Schwagerin(ja9642)(エリー・シュヴェーゲリン)は、サーバントが戦友を狙いブレスを吐こうと口を開けたところへ遠距離魔法をお見舞いした。
 慌てて口を閉じた屍竜が今度はエリーを狙ってブレスを吐こうとするが、そこへスピカの銃弾が浴びせられる。
 2人は互いに射線が重ならないよう移動しつつ口狙いの攻撃を繰り返し、敵のブレスを封じようと図った。
「お尻ペンペンだっちゃ」
 敵軍の眼前に飛び出した御供 瞳(jb6018)が尻を突き出し、あかんべーして挑発。
 これに激昂――したかどうかは定かでないが、進路上に現れた瞳を踏み潰そうと屍竜が大きく後肢を振り上げた。
 鉤爪を伸ばした巨大な足が瞳の小さな体をひとたまりもなく踏み潰す!
 ――かのように見えたが、少女は苦痛に顔を歪めながらも、頭上に掲げた盾で屍竜の足を受け止め懸命に耐えていた。
「旦那様、見える、奴の攻撃が見えるだっちゃよ!」
 ちなみに「旦那様」とは生き別れになった瞳の恩人。最愛の存在を身近に感じることで彼女は戦闘時のモチベーションを最大限に上げているのだ。
 一瞬動きを止めた屍竜の足元へ、中央棟の屋上からインガルフチェーンで地上へ降下した七五三太が駆け寄る。
「小さいからって舐めんなよ!」
 大地を踏みしめるもう一方の後肢めがけベルフェゴルの鉄槌を叩き込む!
 この一撃はさすがに効いたか、さしもの屍竜もその巨体をぐらりと傾けた。
 これをチャンスと一気に攻撃を集中する撃退士達だが――。
「ぐっ!?」
 ブレス攻撃の死角から屍竜への狙撃を続けていたスピカは肩口に激痛を覚えた。
 予想外の方角からの攻撃。
 見れば正門側、地上数mの高さに純白の翼を広げた天使が浮かび、緋色の弓に二の矢を番えている。
 本陣のメリーゼルが浮上し、屍竜を攻撃する撃退士達に次々と矢を放ち始めたのだ。
 腐敗ブレスの範囲外からアウトレンジ攻撃を行う後衛の撃退士にも、さらに遠方からの矢が射かけられる。
 序盤の範囲攻撃と違い単体への狙撃であるが、その分狙いは正確、ダメージも大きい。
 その隙に屍竜が態勢を立て直し、他のサーバント達も喊声を上げて突撃してくる。
 人類側の防衛線はさらに中央棟の方へと押し込まれていった。


●背水の陣
「ここまでの指揮は敵ながら見事。‥‥だがまだ若いな」
 敵軍の先鋒が中央棟玄関のすぐ目前に迫る危機を迎えながら、笹緒はなお冷静さを失っていなかった。
 魚鱗陣による突撃は確かに電撃戦の定石であるが、その陣型から側面からの迂回攻撃に弱いという欠点がある。
 そして今、笹緒を含む撃退士の別働隊――対天使/使徒班は街路樹などの障害物を巧みに利用して屍竜の突撃を迂回、後衛にいるメリーゼルの本陣を目指し移動していた。
 守るべき防衛線から離れての奇襲攻撃――これはある意味人類側にとって「賭け」である。
 メリーゼルの周囲は使徒のクミコと精鋭の兵士霊達が固め、また戦闘が長引き屍竜の突破を許せばこの戦域の人類軍は総崩れとなるだろう。
「‥‥だが徒に籠城を続けてもこちらの被害が増すばかり。今打って出れば本陣を衝いて敵将を退けるチャンスもある」
 決意の表情で槍を召喚する大炊御門 菫(ja0436)。
「信じよう、仲間達があのサーバントを抑えてくれることを。そして1本の矢と化して攻め寄せて来た敵は、私達の手で横からへし折る!」
 かつての天魔大戦においては「撤退中の部隊による反転突撃」という離れ業が演じられたが、今また死中に活を求めるための奇策が実行されようとしていた。
 対天使班の1人、雪風 時雨(jb1445)にはある思惑があったが、それを実行するためにはなるべく敵の本陣に接近する必要がある。
「皆、すまぬな‥‥頼んだぞ」
 それまでの護衛を周囲の仲間に託すのだった。
 奇襲といっても、戦場は比較的広さの限られた研究所敷地内。
 間もなく上空のメリーゼルも撃退士の接近に気付いたらしく、先鋒の屍竜を援護していた天使軍の矢や攻撃魔法が一斉に浴びせかけられてきた。
 撃退士側も、陰影の翼で中に舞い上がった黒百合(ja0422)がまずスナイパーライフルの銃撃を仕掛けた。
「天使を堕とすのは悪魔の大事なお仕事よねェ‥‥きゃはァ♪」
 アウルの銃弾を素早くかわしたメリーゼルがすかさず反撃の一矢を放ってくる。
 その動きは天使といえ、つい先日重体を負った者とは思えない。
 空蝉でこれを回避した黒百合だが、地上の兵士霊達が一斉に矢を射かけてきたため、やむなく地上へと舞い戻った。
「何か特別な術でカバーしてるのかしら? でもそれは勇気でなく無謀という行為よォ」
 幸いこの方面の敵軍で飛行能力を持つのはメリーゼル1人の様だが、こちらが空中戦を挑めば護衛サーバントからの集中砲火を浴びることとなる。
 菫は空中の天使に向かい声を張り上げた。
「同じ騎士団でもアルリエルは飛ばずに戦ったぞ? そんな風に空を逃げ回って、おまえは先輩の顔に泥を塗るつもりか!?」
「見え見えの挑発‥‥ですがアルお姉様の名を軽々しく使うのは許せないのですっ!」
 音もなくメリーゼルは地上へ降下してきた。
 クミコが細い眉をひそめるも、あえて口は挟まない。
 彼女としても「主」が同じ地上にいた方が守りやすいと判断したのだろう。
 だがこれを好機とみた時雨は直ちにストレイシオンを召喚。
「皆、よくぞここまで我を連れてきてくれた! この健闘に我も応えよう!」
 実体化した蒼竜が力強い咆吼を上げるや、周囲にいる仲間達の戦意を一気に鼓舞する。
 それを合図に撃退士達は天使軍本陣への一斉攻撃を開始した。
「さあ邪魔者は引っ込んでもらおうか!」
「墜落、してしまいなさいな」
 森田良助(ja9460)の構えたライフルから嵐の如き弾幕が吐き出され、機嶋 結(ja0725)のロザリオから無数の光の矢が放たれる。
(いけっ!)
 仲間達からやや距離を置いて潜行していた今本 頼博(jb8352)が和弓から矢を放ち、さらに間合いを詰めるとファイアワークスによる範囲攻撃で追い打ちをかけた。
 鳳 蒼姫(ja3762)はファイヤーブレイクの大火球で密集した敵を焼き払う。
 マズルフラッシュに魔法の閃光、色とりどりの光と炎が爆ぜて荒れ狂い、兵士霊達がまとめてなぎ倒されていく。
「さあ、今のうちに!」
 蒼姫の言葉を受け、鳳 静矢(ja3856)が盾と刀を構え突撃、しぶとく立ち上がろうとする兵士霊を切り捨てた。
「静矢さん、格好いいですねぃ」
「無駄口叩いてないで次、行くぞ!」
 再び武具を構えるふたり。
「お兄様と、お姉様はわたくしがお守り致します・・・・」
 鳳夫妻と行動を共にする支倉 英蓮(jb7524)も自らの白雷獅子王因子を開放、白雪の様なオーラをまとい弓、布槍と間合いに応じて魔具を切り替え兵士霊にとどめを刺していく。
 時雨のスキルに気付いたメリーゼルの矢が彼に集中する。
 ホーリーヴェールを展開して耐えるが、ついに体力が尽きて時雨はその場に倒れた。
「くっ‥‥だが構わん。皆、後のことは頼んだぞ‥‥」
 その頃になると、周囲の護衛サーバントはあらかた片付いていた。
 中央棟方面で戦っていた一部の兵士霊が異変に気付いたか、慌てたように引き返してくる。
「また会ったね。卑怯者の僕の名前は森田良助。射撃の腕前、どちらが上か勝負しよう」
「望むところなのですっ!」
 先の戦闘でも戦った良助の顔に気付いたメリーゼルの弓が一層強い光輝を放つ。
 菫は敵の反撃に備え、自らと周囲の仲間をアウルの霧で包み込み防御を高めた。
 一時的に孤立状態になった主を庇うつもりか、大盾を構えてクミコが前に出た。
 同時に半球状の青白い光が主従を包み込む。何らかの防御魔法だろう。
 街路樹の一本に上った笹緒はメリーゼルを狙いラグナロクを撃ち込むが、光の防御膜に阻まれ威力は半減した様だった。
「出来るだけ彼女を攪乱しましょう。サーバントとの連携でメリーゼルを支援されると厄介よ」
 対使徒班所属の巫 聖羅(ja3916)が同班の仲間達に警戒を促した。
 周囲の友軍が倒れたことを悟ったメリーゼルは再び帚星の範囲攻撃を繰り出す。
「なんてこと、ないよ!」
 防壁陣でこれを凌いだ神崎・倭子(ja0063)が盾を掲げ、アウルの光をまといながらクミコに突撃。盾と盾がぶつかる鈍い音が戦場に響き渡った。
「ボク達はここで得たものを持ち帰らなければならないから!」
 意図的なリークだが、それを聞いた天使の顔色が変わった。
「やはりあの盾はここに‥‥?」
(メリーゼル様、今は戦いに専念してください!)
 クミコが念話で窘めるが、結果的にそれは彼女自身の注意を逸らすこととなった。
 一瞬鈍った彼女の動きを、エルネスタ・ミルドレッド(jb6035)は見逃さない。
「集中、した方がいいわよ」
 5本の指にそれぞれはめた異形の指輪から5つの竜巻が生じ、上下左右から使徒に襲いかかった。
 使徒は咄嗟に錫杖を差し上げ、竜巻を吸収してこの攻撃をやり過ごす。
 ほぼ同時にクロエ・キャラハン(jb1839)がヨーヨーを投げつけた。
 大盾でこれを防ごうとしたクミコだが、盾の縁に引っかかったヨーヨーは半円を描いて彼女の背中を直撃した。
「くっ‥‥!」
 僅かにたじろいだクミコの隙をつき、側方に周り込んだ神谷春樹(jb7335)がダークショットの銃撃を浴びせる。
「卑怯と罵られても構わないよ。それで傷つく人を減らせるならね」
「よくもクミコを!」
 自らが攻撃を受けている時は平静を保っていたメリーゼルが、激昂して春樹に緋閃の3連射を射かける。
 同じく対使徒班のロキ(jb7437)がマジックシールドを発動、辛うじて春樹へのダメージを和らげた。
「ありがとう、ロキさん」
「あまり無茶しないでくれよ(君ひとりの命じゃないんだから‥‥)」
 後半の言葉は口に出さず呑み込むロキ。
 そのとき、ふとメリーゼルとクミコの関係が気になった。
(あの2人はいったい‥‥?)
 単なる主従ではない。あたかも母娘か姉妹のごとく、互いが互いを守ろうと懸命になっている――そんな気がするのだ。そしてそれは、ロキ自身が友人の春樹に対して抱く特別な感情と重なる想いでもある。
「(だからといって手加減はしないけどね)『create』」
 異界の呼び手でクミコを足止め、氷雪の如きオーラをまとって増幅した魔法攻撃を仕掛ける。
 使徒の女はそれらの攻撃に尽く耐えたが、その間に他の撃退士が割り込む形で徐々に主の天使と引き離される形となった。
「貴方が実質的な司令塔ね?」
 聖羅がクミコの頭上で魔法の火球を炸裂させた。
「ふふ、そんなご大層なものじゃないわ。私はただあの子を――」
 そこまで言って口をつぐみ、クミコが錫杖から稲妻の様な魔法攻撃を撃ち返す。
 とっさに防御する聖羅だが、その攻撃は敵の強靭な防御力に比べて不釣り合いに貧弱なものだった。
 使徒の能力は主となる天使からどれだけ力を分け与えられるかで決まる。
 あるいはクミコが使徒化する際、攻撃力を切り捨てほぼ全ての力を防御面に注ぎ込まれたとすれば、彼女の特異な戦闘スタイルにも納得がいくだろう。
 どちらがそれを望んだかは謎だが。
「ボクらの役目は彼女を倒すことじゃない。少しでも長くメリーゼルから引き離すことだよ!」
 倭子が仲間達に呼びかけ、自らもフォースでクミコを攻撃。これを受け止めた使徒の女は大盾ごと後方に弾き飛ばされた。
「行かせません・・・・あなたの相手は私達です」
 クロエもまた冥闇鉄扇から闇の弾丸を放ち、ヨーヨーを駆使してクミコが主の元へ近づけないよう間断ない攻撃を加え続ける。
「わたくしにも守らねばならない人達がいるのです!」
 エネルギーブレイドを振りかざした英蓮が最後の因子を開放し、使徒に向かい果敢に斬り込んでいった。


●氷宿覚醒
 中央棟方面では、たけり狂う屍竜を相手に撃退士達の死闘が続いていた。
 屍竜1体ならばまだ何とかなったろうが、厄介なのはその後ろから続々と詰めかける骨騎兵の大部隊だ。
 味方の屍竜と連携するわけでなし、また後方の本陣で戦闘が発生し兵士霊達が引き返した後も、何事もなかったかの様に研究所目指して突進していく。
 おそらくメリーゼルから「何があろうとひたすら制圧前進」のみを命じられているのだろう。
「・・・・撃つ」
 鴉守 凛(ja5462)が骨騎士の乗馬を狙いショットガンを撃つと、銃口から散弾の代わりに無数の妖蝶が飛び出し馬型サーバントを包み込んだ。
 朦朧となった馬がバランスを崩し、地面に投げ出された骨騎士へ駆け寄りとどめを刺す。
「次から次へと‥‥」
 普段は無口な彼女がぼやきとも怒りともつかぬ呟きがもれる。
「ひぅ‥‥な、なんかグロっぽいのがいっぱいですよぉ」
 魔具の大鉈を構えつつもおどおどと腰が引けた緋桜 咲希(jb8685)の姿は、一見すると何かの間違いで迷いこんだ一般人の少女の様でもある。
 だが彼女に目をつけた骨騎兵が正面からチャージをかけた瞬間、素早く側面に回って乗馬の横腹に大鉈の一撃。
 落馬したサーバントを背中で踏みつけ、急所(と思われる)の頭部や脊髄、骨盤を手当たり次第に砕いて息の根を止めるまで攻撃を続ける。
「あハっ、骨っテ簡単に折レるんだネぇ? ポきぽキってイッちゃオっか?」
 イッてしまったのは敵のサーバントか咲希自身か、それはあえて問わぬが吉であろう。
「ここから先は一歩たりとも通さん!」
 正面玄関のすぐ前に陣取った陸刀が突入してきたサーバント馬の足をめがけてハンズ・オブ・グローリーの拳圧を飛ばし、落馬してなお立ち上がる骨騎士に間合いを詰めると直の拳撃で粉砕した。
 そのやや後方で寄り添うように控えた霧は飛燕翔扇を飛ばして敵の乗馬を攻撃すると共に、周囲の友軍で傷ついた者がいれば適時回復スキルを施す。しかし最後のヒール1回分だけは他でもない恋人の陸刀のために温存していた。
「あの腐った竜も心配だけど‥‥とにかく今は防衛ラインの維持。骸骨どもを建物に入れるわけにはいかないよね」
 正面玄関と噴水の中間あたりに立った景は、専ら屍竜の脇を通り過ぎて来た骨騎士の対応に回っていた。
 撃退士を見るなり加速して突っ込んでくる骨騎士を盾で食い止め、乗馬の足を狙い槍をフルスイング。落馬した敵サーバントを容赦なく仕留めていく。
 一方、司は後方でメリーゼルと戦っている仲間達を案じていた。
 本来なら彼らと共に本陣へ向かい一点突破を支援するはずだったが、屍竜という予期せぬ伏兵が現れたため中央棟防衛のためこの場に残ったのだ。
 天使を直衛する兵士霊を吹き飛ばすはずだった封砲を連発、押し寄せる骨騎士どもを撃破していく。
「この場は俺たちで守り抜く。だからみんな、心置きなく天使と戦ってくれよ!」

 対屍竜戦にあたる撃退士達の戦いも熾烈を極めていた。
 周囲を取り巻き地上から空中から包囲攻撃を繰り返す撃退士に業を煮やしたか、屍竜は腐敗ブレスと炎ブレスを使い分け一層苛烈な攻撃を仕掛けてきたからだ。
 当初「黒の障壁」を展開しブレスの被害から友軍を守っていたアイリスだが、殆どの支援スキルを使い果たし、今は最後に残った「神の兵士」で仲間達が意識不明になるのを防ぎ、辛うじて戦線を支えている状況だ。
 傷を負って倒れた撃退士達を、暗黒の巨竜は容赦なく踏みつけ、尻尾を叩き付けて暴れ回る。
(この戦いからはさぞかし美しい芸術が生まれそう‥‥生き残れれば、の話だけど)
 事態の深刻さは理解しつつも、持ち前の観察癖からつい己を含め一歩離れた視点からそう思ってしまう。
 そんな彼女の視界に新たな「観察対象」が現れた。
 大きな袋とケースを抱え、正面玄関から走り出してきた【氷宿隊】メンバーである。
「本当に使うの? これは『焔剣』対策の‥‥」
「やむを得ない。これ以上仲間達がやられるのを見ていられるか!」
 挫斬の問いかけに秀一が答えた。
 情報網【目】から屍竜のブレスの影響が大きく、ジリジリと形成が傾き始めたことを知らされ、この戦域における氷宿・フロスヒルデの使用を決断したのだ。
「仕方ないねぇ。こうなりゃ2人は盾を使うことだけ考えて、他のことはあたしらに任せな」
 腹を括ったアサニエル(jb5431)が光の翼を広げて飛び上がり、上空の警戒にあたる。
「そうそう。たとえあんた達が気絶しても盾は敵に奪わせないから、思い切ってやっちゃいなさい」
 ユグ=ルーインズ(jb4265)は前方に出ると、シールドバッシュで骨騎士のチャージを正面から受け止めた。
 秀一と挫斬は袋からフロスヒルデを取り出すと、姿を現した美しい盾に「雫」の1つを嵌め込む。
 研究者の話では、その都度一つを嵌めこむのではなく全部同時に嵌め込む方が効果が強くなるということだった。
 手持ちの「雫」を嵌め込んだ挫斬は、その嵌める為のくぼみが一つ空いている事に気付いた。
「あれ? これで全部だよね」
「研究者さん達が隠してないなら全部のはずよ?」
 間違いないとユグも首をかしげる。
「何にしても時間が無い。これで発動しよう」
「りょーかい」
 秀一が一人で抱えるには大きすぎるその盾に手をかけると、それに合わせ挫斬も手をかける。
 そして、二人横に並ぶ形で屍竜に向けて高々とかざした。

「厄災の炎を祓え! フロスヒルデ!」



 メリーゼルが異変に気付いたのは、ちょうど研究所側から援軍の兵士霊達が駆けつけてきた時だった。
 屍竜と骨騎兵を突撃させた中央棟の方角から、青白い光柱が天を突き、次いで薄青く煌めく水膜が空を覆っていくのが見えた。
「あれは‥‥!」
 美しくも不可思議な光景に一瞬心奪われた少女天使は、すぐ我に返ると慌てて兵士霊達に号令した。
「何をしてるのですか? 直ちに全軍突撃、フロスヒルデと『雫』を取り戻すのです!」
 だがその行動は、周囲の撃退士達に隙を見せる致命的な瞬間となった。
「‥‥好機」
 それまでタイミングをうかがっていた雫(ja1894)が動く。
 闘気開放。増幅されたアウルが粉雪のごとく周囲に舞い散り、振りかざした大剣が冴えた光を放った。
「――!」
 殺気を感じ取ったメリーゼルが武器を緋弓から短剣に持ち替えた時、既に雫の大剣は至近に迫っていた。
「散り逝きなさい!」
 大剣の刃が天使の肩口に食い込み血飛沫を上げる。
 だが次の瞬間、メリーゼルの短剣も雫の腹に深々と突き刺さっていた。
 意識が飛びそうな激痛の中、雫の視線は天使の首筋、そこに浮かぶ血の紋様――アブサールが施した血化粧に釘付けとなった。
「そういうことだったの‥‥血で血を洗う。貴方に施された力を私の足掻きで打ち消す!」
「何を――」
 雫は自らの腹を刺したメリーゼルの腕を取り、逆に渾身の力を込めて傷口を広げた。
 破裂した水風船のごとく吹き出す鮮血が天使の少女を頭から爪先まで真紅に染め上げる。
 メリーゼルは雫にとどめを刺すことも忘れ、己の首筋を押さえて棒立ちになった。
 彼女に動揺を与えた原因は肩に受けた斬撃だけでないことは明かだった。
 実のところ、人間の血を浴びたからといって血化粧の効果が打ち消されるわけではない。
 しかし雫の、自らの死をも辞せぬ行動が、借り物の力で決戦を挑んだメリーゼルの覚悟を揺るがしたことは明白だった。
 次の瞬間、周りを取り囲む撃退士達も一斉に仕掛けた。
「‥‥いきなり暗黒破砕拳!」
 戦闘が始まる前から潜伏スキルを駆使し味方にも気付かれぬまま忍び寄っていた袋井 雅人(jb1469)が姿を現し、拳と言いつつ銃撃を浴びせた。
 それは一切の迷いを捨て、全てを破壊する一撃。しかも立て続けに3発。
「うっ‥‥」
 雅人の容赦の無い銃撃を受け、よろけるメリーゼル。
「いきなり攻撃しておいて言うのも変ですけど――命まで取ろうとは思いません。あなたには、撤退してもらいたいんです!」
 そう叫ぶ雅人。長谷川アレクサンドラみずほ(jb4139)は全身のアウルを脚部に集中、蝶が舞うような動きで兵士霊達の妨害をかわし、メリーゼルに詰め寄った。
「メリーゼルさん! わたくしと勝負ですわ!」
 ぐっと拳を突き出すみずほに対し、よろよろと短剣を構え直すメリーゼル。
(できれば貴方とはもっと綺麗なリングで戦いたかったですが‥‥)
 それでもみずほは己の殺戮衝動を開放、破壊的なスピードを与えられた拳を躊躇いなく天使のボディに叩き込む。
 ごふっ。身体をくの字に折って吐血するメリーゼルに向かい、全身のアウルを拳に集中して金色に輝く右ストレートを見舞った。
 華奢な少女天使の体が木の葉のように吹き飛ぶ。
 その先に待っていたのははぐれ悪魔のユウ(jb5639)だった。
「もう終わらせましょう‥‥あなた自身が望んだように」
 哀しげな表情で槍を構え直し、メリーゼルに烈風突きを放つ。
 後方に吹き飛んだところを縮地で追い、さらに烈風突き。
「‥‥」
 もはや反撃することもなく、サンドバッグのごとくなすがままにされながら、それでもメリーゼルは倒れなかった。
 やりきれない気持ちになったユウはそこで槍を下ろし、とどめの攻撃を黒百合に譲った。
「もォいいのよォメルちゃァん‥‥お姉さんが優しく可愛がって上げるわァ」
 彼女の目的はメリーゼルの殲滅ではなく、あくまで「生け捕り」である。
 それでも万全を期すため、闇遁を乗せた銃撃を零距離から天使の全身に浴びせた。


 水膜の展開に後押しされた撃退士の攻撃に、屍竜が戸惑うように吼える。
「一気にこうげきなの、です‥‥!」
 フロスヒルデの効果で僅かづつダメージを回復した撃退士達は立ち上がり、りりかの号令で再び集中攻撃を再開していた。
 りりか自身は治癒膏を使い果たすまで仲間の生命回復に務めた後、自らも炸裂符で総攻撃に加わった。
 それから、どれだけの攻撃を加えただろうか。
 降り注ぐ氷光の恵みを受け、攻撃の手を休めない撃退士の猛攻に、さしもの巨大サーバントも蓄積したダメージに耐えきれなくなったか、全身を包んでいた暗黒のオーラが徐々に薄れ、やがて完全に四散した瞬間、巨竜の骨格はガラガラと音を立てて崩れ去った。
 だがまだ戦いは終わらない。
 生き残りの骨騎士、そして再び引き返してきた兵士霊達が、氷宿を奪い返すべくその使用者に向かい一斉に群がって来たのだ。
「まぁ、予想通りだから防がせて貰いますよっ」
 最後の一言と共に繰り出された激しい一閃で、サーバントの頭蓋を砕いた。
 しかし、敵の数は多く直ぐに抜けた穴を埋められる戦況に眉をひそめる事をやめられない。
「馬頭鬼さん、俺のことはいいから、彼女を‥‥あとこいつも」
 フロスヒルデを持つ秀一は、同じく隣でふらつく挫斬を支えるようにしながらも盾を構え続けていた。
「まだまだ、大丈夫」
 挫斬はそう言うが、覇気はない。
「ここで奪われたら本末転倒よ、引きましょう」
 既にシールドバッシュを使い切ったユグの提案に、一同は頷いた。
 問題の竜を倒した以上、あとは氷宿の効果がなくても大丈夫だろう。
 氷宿使用で大幅に精神力を削られたが、それだけが消耗の原因ではない。
 【氷宿隊】の面々は、展開している間中敵の猛攻に晒された為、誰もが無傷では居られなかった。
 フロスヒルデを託し、足止めを引き受けようという秀一に一喝したのは、丁度彼へ危害を加えようとしていた兵士を叩き伏したアサニエルだ。
「カッコつけてんじゃないわよ。あんたも一緒に来るの!」
 秀一と挫斬をアサニエルが担ぎ、ユグが殿を務める形で【氷宿隊】は研究所の建物へ撤退していった。


●春はまだ遠く
「‥‥?」
 黒百合は怪訝そうにトリガーを引く手を止めた。
 メリーゼルの体には並の天使ならとうに死んでいるほどの攻撃が叩き込まれた――そのはずだった。
 にもかかわらず、彼女はまだ倒れない。
 いや、何よりメリーゼル自身が不思議そうに己の両掌を握ったり開いたりして自分が生きていることを確かめている様だった。
「‥‥ふ‥‥」
 己と雫の血で全身朱に塗れた天使の口許に微かな笑いが浮かび、その両眼がかっと見開かれた。
「ふふふ‥‥あははは! まだ‥‥まだやれるのです‥‥っ!!」
 血化粧の効果がまだ消えてないことに気付いたのだ。
 ただしそれは彼女の生命力を引き替えにした諸刃の剣でもあったが。
 メリーゼルの片手にあの緋弓が出現し、周囲の撃退士達に猛然と連射を開始した。
 最後の集中攻撃に加わった者達がその身に矢を受け、次々と倒れていく。
 黒百合は咄嗟に空蝉で回避を図るも。
「――その術はもう見切ったのです!」
 空蝉で回避できる周囲1mの空間に間隔を開けた緋閃が打ち込まれ、その矢の1本を胸に受けた少女は地面に膝をついた。

(クミコ‥‥聞こえますか? 私にあの術を――痛覚遮断をかけるのですっ)
 やや離れた場所で対使徒班の撃退士達と戦っていたクミコは主の念話を聞いて愕然とした。
(いけません! そんなお体でこれ以上戦ったら、本当に死んでしまいます!)
(‥‥構いません。あの盾が、フロスヒルデがすぐ目の前にあるのです。この場で取り戻せるなら、メルの命など安いものなのです!)
(もう充分です! 間もなくすれば自ずと勝負は決まります!)
(主の命令が‥‥聞けないというのですか?)
(アルリエル様との誓いを忘れたのですか? こんな所で命を捨てて、あの方や騎士団の皆様が喜ぶとでも?)
(‥‥)

 メリーゼルがふと弓を引く手を止め、俯き加減で黙り込んだ。
 撃退士達に念話の内容までは聞こえないが、彼女とクミコの間でどんなやりとりがあったか、2人の表情からおおよその見当は付く。
 ――潮時。
 そんな言葉が一同の脳裏を過ぎった。
「勝敗は決したわ。私達がこれ以上戦っても無意味に血が流れるだけよ?」
 まだしも話の通じそうなクミコに、聖羅が暗に停戦を持ちかける。
「メリーゼルさん、ここは退いて下さい! そして、お互いベストな状態の時にまた再戦しましょう」
 自らも深手を負った苦しい息の下から、雅人もメリーゼルに語りかけた。
 このまま戦闘を続行すれば、おそらくは焔劫騎士団の1柱を葬り去れるだろう。
 だがその代償として、重体となって倒れた仲間の誰かが命を落とすかもしれないのだ。
 或いは、もしメリーゼルを討つ作戦でまとまっていればもっと違ったのかもしれない。

 全ては推論でしか無いが、いずれにせよこの戦場の勝敗は今決したのだ。

 メリーゼルの側に駆け寄り、血まみれの主を抱きしめたクミコが人類には理解できない言葉でなにごとか叫んだ。
 と同時に、生き残りのサーバント達が戦闘を止め、正門方向へゆっくりと移動を開始した。
 天界騎士の少女は俯いたまま一言も発しない。
 無言のうちに停戦に同意した――ということだろう。
 サーバントの残党で周囲を固めると、クミコは盾を構えたままメリーゼルの肩を抱き、注意深くその場から立ち去っていった。


 精も根も尽き果て、噴水の側で座りこんだエリーに、対使徒戦から戻ってきたエルネスタが手を差し伸べた。
「‥‥?」
「大丈夫? これが終わったら‥‥話があるの‥‥」

 いつしか雪は止み、雲間から日の光が差し込んだ。
 敵将メリーゼルを取り逃がしたといえ、研究所南正門前の戦いで人類側は天使軍撃退に成功。万一の際の撤退路を確保した。
 しかし程なくして、全軍の通信機に急の知らせが届けられる。
 
 四国の地に、春の訪れは遠かった。


【南】正門庭園  担当マスター:ちまだり








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