●
ふわり。
瓦礫の山となった第一霊査室に赤毛の少女が舞い降りる。
レギュリア。若手でありながら京都ではザインエルの下で戦い、その後ツインバベル《双剣の天女》に身を寄せる歴戦の天使である。
そんな彼女だが、
「……ぷぅ」
今は不機嫌そうに頬を膨らませていた。足元の小石を蹴飛ばす様はまさしく年相応の少女である。
もともとはゴライアス(のくそじじぃ)がちゃんと盾を持っていけば、こんなことにはならなかった。
そのせいで彼女自身、こんな戦場にまで駆り出される羽目になったのだから。
だが、それを責めても後の祭り。
そも、盾を撃退士に奪われたのは完全に自分の落ち度。
なら、ケジメは自らがつけねばなるまい。
「待ってなさいよ人間共」
彼女は南東の方角に目を向けた。
西研究棟。その屋上に集結する複数の影。
「あいつらに直接聞いてやるわ」
撃退士の誰かが盾と雫を持っているに違いない。
彼女は体を浮かす。高度を、冬の寒風がさらに強く感じられるほどにまで羽根を広げる。
先の戦いで彼女の体は傷だらけ。されども闘志に欠けはなし。
「口を割らなければ体に聞く。やり方なんていくらでもあるんだから」
彼女は空を蹴るように飛び出した。それに追従する箱型のサーバント聖煉瓦の群れ。
その手に愛用のライフルを構え、天の狙撃手は駆ける。
祝福を与えよう。この弾丸に胸を射抜かれ、心安らかに死ぬがよい。
●
「いま出来る事を命懸けでやるのみ……」
黒井 明斗(jb0525)は屋上のさらに上、給水タンクによじ登った状態で北西方向に睨みを利かせていた。
サーバント。そしてその中心を飛翔する天使レギュリア。
彼らが引き付ける、敵。
体中の傷が痛む。群馬で受けた傷が癒えぬままの出撃。
未熟。故に前線に立てぬ。悔しさが明斗の心を満たした。
だがそこで立ち止まっている暇はない。彼は手持ちの携帯電話を通話状態にする。
「黒井です。来ましたよみなさん、各員戦闘準備。囮班は行動を開始してください」
スピーカーから「了解」という多数の声が漏れる。それぞれの戦いが動きだしたのだ。
「さて、来やがったな」
屋上から下のフロアに降りたキイ・ローランド(jb5908)は窓から外を眺め呟く。そこからは屋上へと進軍する大量のサーバントが見えていた。
まだ敵は彼らに気付いていない。ふとキイは手元に目を移す。
その手には大きなケースが抱えられていた。
小学生程度なら隠れられそうなほどの大きさを持つ箱。それは“何か”が入っているようである。
その“何か”とは何のことか。
人類の秘密兵器?それとも、今まさにレギュリアが奪還に燃えている氷宿『フロスヒルデ』?
――否。どちらでもない。
偽物である。中にはどこにでもあるような普通の盾が納められていた。
レギュリアは奪われたフロスヒルデを取り戻す為に躍起となっている。
そんな彼女の目の前に盾の存在を匂わす存在をチラつかせれば、間違いなく彼らを襲いに地上まで下りてくるだろう。
そうすれば屋内や地上に隠れている味方が総攻撃をかけ、一気呵成にレギュリアを墜とすのみ。
天使を討つ。
(……血が……いつもより熱い……!?)
体中から沸き立つ血潮。全身が金色に輝くオーラに包まれ、リーゼロッテ 御剣(jb6732)の心が跳ねる。
強敵の出現。そしてこれから行うべき囮作戦に、知らず掌から汗が噴き出していた。
「おいあんた、大丈夫かい?」
歌乃(jb7987)はリーゼロッテの肩に手を掛けた。
「緊張するのはわかるけどよ、もっと肩の力抜きな。じゃねぇとここ一番でしくじるぜ?」
「……そうだね」
リーゼロッテは答える。いつもの快活さは失せ、今は真逆の冷徹さが窺えた。
深く息を吐く。吸う、そして吐く。
「ありがとう。少し気が楽になったわ」
「そうかい、そりゃよかった」
口元をにやり、とだけ動かして歌乃は笑う。そして彼女はキイの持つ箱を軽く小突いた。
「さ、早いとこコイツを外に運んじまおうぜ」
「そうだな」
キイは頷く。そしてがらり、と窓を開けた。
目線は遙か上空を征く赤毛の天使。
「あの時の天使か」
たった数日前の出来事。竜を引き連れ、彼女は“盾”を運ぼうとしていた。それを彼らは奪い取った。
箱を抱えあげる。心持ち窓から見えやすいように。
彼の体をオーラが纏う。それは敵の注意をひきつけ、注目を集める「タウント」。
「盾が欲しいなら奪い返してみろ」
その効果はすぐに現れた。
レギュリアが彼らを見る。両者の視線が空中で結びついた。
●
「盾!?」
レギュリアは微かに感じた気配に目を向けた。
多くの撃退士が集まる西研究棟の屋上、その下のフロアを進む3人の人影。その1人は大きな箱を抱えている。
そして、屋上から小さな炎があがる。
「追わせへんで!」
桃香 椿(jb6036)のショットガンが火を噴いた。弾丸は上空に位置するレギュリアまで届くことはない。
だが、彼女の気を引くことはできる。
聖煉瓦が壁となり弾丸を弾く。それにも拘わらず椿はショットガンを撃ち続けた。
「ここは通しませんよ!」
ファティナ・V・アイゼンブルク(ja0454)も雷霆の書を開き、レギュリアへと雷の刃を向けた。
まるで、何かから守るように。
(……あれから目を引こうとしている?)
レギュリアは考える。
屋上にいる者が、下のフロアへ抜けようとしている人間を守るために戦っているとしたら?
護送?何を?
――盾?
「……」
無言。しばし彼女は口を閉ざす。
「行って」
周囲の聖煉瓦に指示を出す。彼女の命令に従い、複数の黒い聖煉瓦が一斉に降下していった。
目指すは階下――ケースを持って移動する3人のもとへ。
それを見て明斗は携帯に指示を出した。
「複数の聖煉瓦が下の階へ向かっています!急ぎ迎撃してください!」
「いけません……あちらに向かわれては……!」
Viena・S・Tola(jb2720)は非常に焦った様子で屋上から飛び降りる。
途中、闇の翼を広げると一転して上昇。聖煉瓦の行く手を阻んだ。
「はぁ……!」
手には氷雪霊符。氷状の刃を生み出して聖煉瓦に飛ばす。いくつもの氷刃が突き刺さるが、敵は立ち止まる気配を見せない。
そのまま聖煉瓦は建物へと突き進む。
「フロスヒルデと雫は渡さないよ!」
屋上にいた川澄文歌(jb7507)が聖煉瓦を追撃する。
破魔弓に弓をつがえ、引き絞ったのち放つ。聖煉瓦に矢が刺さった。
それにも拘わらず、サーバント達は気にせず建物内部へ向かう。
「私が守ります!」
効果が薄いと見た彼女はその手に火球を作り出した。
黒い髪が炎に照らされ紅蓮に染まる。
「いっけぇ!」
炎陣球が聖煉瓦の群れを包み込んだ。火柱と煙が迸る。
同時に、ガラスが次々と割れる音。何体か研究棟内部に進入したらしい。
「くぅ、ごめん黒井君!何体か研究棟内に入っちゃった!」
「充分です。建物内にも何人か布陣してますので後は彼らに任せましょう」
悔しげに呻く文歌を通話機越しに明斗は慰める。
「それよりもレギュリアは……!?」
空を見上げ、彼は思わず声を詰まらせた。レギュリアの姿が見えない。
いや、レギュリアはどこにも行ってはいない。間違いなくレギュリアはそこにいる。だが姿が見えない。
彼女は数多の聖煉瓦を自らの周囲に浮かべ、サーバントの城壁を作り上げていた。
●
「聖煉瓦がこっちに来てるってさ!」
歌乃が面白くもなさそうな表情で告げる。キイは走りながらチッ、と舌を打った。
「レギュリアはどうした。こっちに全然撃ってこないぞ」
盾を奪いにレギュリアが降りてきているのなら、窓越しに彼女が撃ってくるということは充分に予想できる。
現にキイはそれを見越し、わざと窓際を走っているのだ。
自前の盾を構え、いつでも狙撃から防御できる姿勢を作っている。
だがレギュリアは撃ってこない。
沈黙。かつん、と廊下を叩く足音だけが不気味に鳴り響いた。
「よくわかんねぇ。一応は高度を落としたみてぇだが、なんか予想外の事が起こったらしい」
「予想外……?」
リーゼロッテは首を傾げた。その予想外の事態を考える間もなく。
――目の前のガラスが砕け散った。
「聖煉瓦!?」
爆炎と共に窓ガラスから突っ込んでくる聖煉瓦の群れ。それらは廊下に整列し、彼らの行く道を塞ぐように立ちはだかる。
同時に後方のガラスも吹き飛んだ。挟み撃ち。
「くそ、囲まれた!」
廊下は狭く細長い作りとなっている。聖煉瓦が数体並ぶだけでもそれは充分な「壁」であった。
じり、じり、と。
前後でフォーメーションを組んだ聖煉瓦達が3人を押し潰そうと近づいてくる。
と、
「……やらせはしないさ」
閃光が走った。同時に聖煉瓦が裏側から弾け飛んだ。
「全員、聖煉瓦に一点集中。もし赤い聖煉瓦がいればそちらを狙って」
その言葉を引き金に聖煉瓦が1体ずつ砕け散る。
それはちょうど屋内に布陣していた【ダイス】である。
「……これ以上、先には行かせられないな」
彼女は窓の外へちら、と目線を向けた。
「助力いたします……」
同時に黒い翼が聖煉瓦を追って飛び込んでくる。迎撃にでたヴィエナがそのまま中に入ってきたのだ。
後ろにリコリス=ワグテール(jb4194)達、側面からはヴィエナ。逆に聖煉瓦が囲まれる状況。
圧倒的、有利。
「砕け散れぇ!」
月島 祐希(ja0829)のファイアーブレイクの熱風が廊下を満たし、聖煉瓦の体にいくつものヒビを入れた。
「さあて、予定が狂っちまったが殲滅戦と行こうじゃねーか」
マクシミオ・アレクサンダー(ja2145)のメタトロニオスが光った。祐希が入れたヒビに穂先を付き刺し、
「おらぁ!!」
テコの原理で一気に跳ね上げる。聖煉瓦の硬い体が砕け散った。
だが聖煉瓦も黙ってはいない。
不意を突かれたもののすぐに態勢を取り直し【ダイス】との戦闘態勢に入る。
複数の聖煉瓦が天上まで飛び上がり、そのまま重力に従い自由落下。
「ぐっ、この……!」
それをまともに受けたマクシミオは一度後退し距離を取る。
「邪魔なんだよ!」
マクシミオが下がったのを見て祐希は前へと飛び出した。
「やる時は全力で撃ち放つ」
廊下に霧が立ち込める。それは毒をまき散らすポイズンミスト。
「そして殺す」
ぼろりぼろり、と土塊が零れ落ちた。
毒霧から免れた聖煉瓦も、
「あっつい炎をオミマイするんだよ!くらえー!」
聖火を纏わせたアルギュロスでサラ・U(jb4507)が打ちのめす。銀色の軌跡を残して聖煉瓦が砕け散った。
「今のうちに行って!」
出来た道を彼女は小麦色の指先で指し示した。
「逃げ道ふさがれちゃったら……えーと何だっけ……そうそう、モトもコもないんだよ!」
「ありがとよ!」
箱を抱え上げ、キイ達は廊下を駆けだした。
「ここは頼んだぜあんたら」
「ありがとう」
歌乃とリーゼロッテもそれに続く。
「ここから先は、行っちゃダメなんだから!」
サラの直剣が追撃しようとする聖煉瓦の行く手を阻む。剣戟の音が後方にフェードアウト。
ケースを持った3人はようやく窮地から脱することができたのであった。
●
エイルズレトラ マステリオ(ja2224)は砂を噛み締めるように空を見上げた。
研究棟の壁を走りレギュリアの側面と思われる場所へ廻り込む。
狙いをつけ、スナイパーライフルの引き金を引いた。
聖煉瓦が体を割り込ませて弾丸を弾く。その傷を赤い聖煉瓦がすぐさま癒す。
それに気付いたレギュリアが反撃の銃弾を放った。
スクールジャケットを犠牲にそれを躱す。
また研究棟の壁を走り、エイルズレトラは彼女から距離を取った。いつまでたってもレギュリアに攻撃が届かない。
城壁を突破できない。
「これでもダメか!」
聖煉瓦が彼女を中心として円陣を組む。そして攻撃が来れば体を張ってでも防御に動く。
たとえレギュリアを背後から襲っても、それは聖煉瓦にとって“正面”である。
「硬っいなぁ、これじゃ大物まで届かんやん」
エイルズレトラの道を開けようと椿はショットガンを撃ちまくる。
撃退士達の多くが彼の攻撃を起点として攻撃を行っている。だが、行動がバラバラなので足並みがそろわない。
硬い防御力を持った聖煉瓦を単独で倒すには時間がかかる。それに加え、
「あの赤いん何なん!ばり邪魔やけん!」
椿は赤い聖煉瓦を睨み付けた。
やっとヒビが入ったかと思えばそいつが傷を治してしまうのだ。これではレギュリアに手傷を負わせることすらできそうにない。
「自身の失敗は自ら挽回するということですか……」
ファティナも必死にエイルズレトラの攻撃に合わせて雷上の刃を飛ばしている。やかましいぐらいの射撃。それも聖煉瓦に阻まれてレギュリアには届かない。
「屋上からただ撃ってるだけでは突破はまず不可能……!」
だが彼女に焦りはない。もうじき囮班の作戦が功を奏するはず。それまでは必死に抵抗を続けるしかないのだ。
「なら、空から行くしかないわね」
邪念を振り払いイシュタル(jb2619)は空を飛翔する。
祈念を乗せ、槍を掲げ、彼女は突撃する。聖煉瓦が彼女に体当たりを仕掛けた。
避ける。返す刀で槍を振るう。聖煉瓦の体に穂先が突き刺さる。
周囲から複数の聖煉瓦が襲い掛かった。
「きゃ!?」
槍を抜く動作を狙われ、一体の聖煉瓦が彼女にその身を叩きつける。加えて2発、3発と打ち据える硬い煉瓦の群れ。
何もない空中では身を隠すこともできない。
「悪いけど」
そしてレギュリア。聖煉瓦の隙間から彼女の銃口がイシュタルを向いていた。
「連携を取るのはあなた達の専売特許じゃないのよ。落ちなさい堕天使」
白と黒の双弾、鶺鴒がイシュタルを襲う。
「かはぁっ!!」
直撃。一斉に離れる聖煉瓦を尻目に彼女は地上へと墜落していった。
「あぶねぇ!」
そこに研究棟の窓から飛び降りる一つの影。それは風羽 千尋(ja8222)。
「オーライ、オーライ……よし!」
落下するイシュタルの体を支える。そのまま地面へと落下。衝撃に体中が痛むものの大事はない。
急ぎライトヒールを彼女へと施した。
「おいお前、大丈夫か?」
「う……まだ、痛ぅ……」
「無理すんな。退けねぇのはわかるけど、生きる事捨てんじゃねぇぞ。とりあえず小隊長のとこに運んで……」
その時、彼らの頭上から射撃音が轟く。
「赤い聖煉瓦……見えた」
窓から身を乗りだし、宮鷺カヅキ(ja1962)は聖煉瓦の砦へオートマチックの銃身を向けた。
狙いは回復役。落ち着いて狙えば当たらないこともない。
「2人とも今のうちにこっちへ上がってきてください!」
同時に彼女は地上にいる千尋達へと声を掛けた。
「そこに居てはいい的です。ほら、言った傍から……!」
地上へと降下する数体の聖煉瓦。それは落ちたイシュタルを狙う後続の敵。
カヅキは回避射撃の一撃で攻撃を逸らした。
「早くこちらへ!」
「おう、あんがとな!」
負傷したイシュタルを抱え千尋は急いで南へ移動。建物内へ入っていった。
「まずは、厄介なものから……潰しておこうか」
それを確認したリコリスは指示を下す。
屋内の敵を一掃した【ダイス】は、空に浮かぶ聖煉瓦に向けその力を一斉に解き放った。
狙いは回復役である赤い聖煉瓦。それを壊してしまえば敵は回復手段を失くす。
「ここが勝負の分かれ目です……全力で行きましょう……!」
「さて……一気に抉じ開けるか」
祁答院 久慈(jb1068)のファイアーワークスが花火のように爆発する。複数の聖煉瓦を巻き込み、その身に傷を負わせた。
【ダイス】の他にも赤い聖煉瓦を集中攻撃するものはいる。
「あれさえ壊しちゃえば!」
ナナシ(jb3008)はその小さな身を隠しつつ赤い目標にアハト・アハトの銃口を向けた。
欠ける体、そして加わる集中攻撃。崩れる牙城。
「やった……!」
一気呵成の攻勢により赤煉瓦は瞬く間に減少していくのであった。
「よし、もう一度!」
数を減らした聖煉瓦の隙間を縫うようにエイルズレトラが最接近する。
執拗にレギュリアの背後を獲るように動く。だが、その動きも聖煉瓦に見張られては難しい。
なんとか隙を見つけライフルを放つ。だが、やはり聖煉瓦が身を挺してガードに入る。
それと同時に陰影の翼を広げ、別方向から龍崎海(ja0565)はレギュリアへと接近していった。
「アセナスはいないか」
右手にアウルの力で作りあげた槍を握り、そして振りかぶる。
「まずはこちらに注意をひかないと」
投擲。
輝きが尾を引く。空気を引き裂き、ヴァルキリージャベリンが彼女へと迫る。
案の定、聖煉瓦が壁となった。
轟音。埃と石粒が吹き飛び、聖煉瓦に亀裂を入れる。
先程までと違い回復手の行動が遅い。それは【ダイス】が赤い聖煉瓦を次々と討取っているから。
このまま錐のように穴を開け続ければいずれは突破も可能。
しかし、注意をひいた代償に隠れる場所のない空中を飛ぶその身を閃光が貫く。
「空で勝負したいなんて、ひょっとしてなめられてるのかしら」
撃ち落とした敵を一瞥し、レギュリアは新たな目標へトリガーを引いた。
しかし、全体的に見れば順調な攻勢が続く。だが、
「……攻撃が薄いな」
誰かが一抹の不安を感じつぶやいた。
ここまで聖煉瓦は積極的な攻撃行動を見せていない。あくまでレギュリアを守り、近づこうとする者に体当たりを加えるだけ。
様子を窺っているのか?
その時、
「待て、話が違う!」
戦場に怒号が響いた。それは今まさに銃を放とうとしたエイルズレトラの声。
「盾をどこへ持っていくんです!」
盾。その単語はこの場にいるものの意識を攫うのに十分な言葉。
一斉に目線が北を向く。地上では3人の人物がケースを持ってどこかへ行こうとしていた。
キイ・ローランド。リーゼロッテ御剣。そして歌乃。
「盾、ね……あいつらが?」
彼の叫び声にレギュリアは呟く。まるで胡散臭いものをみるように。
(まさか……!)
地上に落ちた海は回復をも惜しんで、即座に指示役である黒井に連絡した。通話状態になる間もなく彼は叫ぶ。
「黒井さん、すぐに地上にいる人達を引き揚げさせてください!このままでは……!」
そう告げる彼らの上空で、彼女はゆっくりと銃口を地上に向けた。
●
「来たぞ」
撃退士達がレギュリア迎撃のため布陣した西研究棟。そこから北寄りに行ったところに、建物がコの字となっている袋小路があった。
その植え込みに隠れ影野 恭弥(ja0018)は自慢のライフルを上空に構える。その照準は降下しつつあるレギュリアへ真っ直ぐ向けられていた。
先ほど囮班が外へ出ていく気配を感じた。それを追ってきたのであろう。
読み通り。
「うに!皆で頑張ろうなんだね!」
彼の隣で真野 縁(ja3294)は手に汗を握りしめる。
もうじきここは戦場となる。回復役である彼女はただひたすら敵の動きを図るばかり。
同様に若杉 英斗(ja4230)も気合いを入れる。
何があってもここを通さない。その気構えは微塵も揺るぎがない。
体を張ってでも恭弥を守る。
「影野さんは狙撃に集中してください。守りは俺達が……」
「ああ」
恭弥は軽く頷いてみせた。
「頼りにしてる……さて」
スコープを覗き込みながら彼は銃把を握りしめる。レティクルの中央にレギュリアを捉えた。
その全身は漆黒に染まり、彼の内側から狂気が溢れだす。
「ズドーン」
囁き声は炸裂音に代わる。銃口から黒い炎が飛出し、レギュリアに襲い掛かった。
だが、
「うに!?」
縁は驚きに思わず声をあげた。
レギュリアは回避した。恭弥の必殺の一撃を。空中でその身を華麗に翻して。
「なんで!?今のはどう考えても避けられる弾じゃ……!」
驚愕に目を見開く若杉。それに答えるように彼のポケットから電話が震えだした。
『黒井です!急いでそこから離脱してください!』
「――あいつ」
恭弥は即座に立ち上がった。
「今のは撃ってくるのがわかってた動きだ。完全に……」
『囮がバレています!作戦は中止!今すぐ離脱を――!』
刹那、眩いほどの蒼い光が彼らを包み込んだ。
●
「やっぱりね」
大瑠璃を放った姿勢のまま彼女は呟く。足下の地上は蒼いビームによって広範囲を焼き払われていた。
地上から飛んできた銃弾。それがどれだけ避けづらいものでも、来るのが予見できていれば万全ではない身であれ回避できないことはない。
レギュリアはケースを持って走る3人組を見た時から疑問に思っていた。
彼らを守る為に動いていた撃退士達の行動。そこから大事なものを運んでいたことは予想できる。
氷宿フロスヒルデ。それは天使にとって大切な戦器であり、人間にとっての大事な切り札。
しかし、そんな重要なものを5人10人で運ぶならともかく、たった3人でどこへ運ぼうというのか。
明かに手薄すぎる。
どうぞ襲ってくださいと言っているようなものだ。
「そんな事をするような愚者じゃないのは、もう知ってるの。何度も、辛酸舐めさせられてるんだから」
やるなら、細心の注意を払うだろう。不測の事態で裏切り者が出たなら、もっと多くの人間が動くはずだ。
「やっぱり、なめられてるのね」
そして彼女は先の戦いで狙撃によって深い傷を負い、盾を奪われたという経験がある。
ケースを運んだ3人が行き着いた先。コの字に折れ曲がった、建物の袋小路。狙撃手として考えれば当然其処には。
「どうせそこにいっぱい隠れてるんでしょう? 私を狙い撃つために!」
レギュリアのライフルにエネルギーが込められた。
「念のためもう一発!」
再度、囮班ごと吹き飛ばすように大瑠璃が放たれる。
「恭弥さん!」
地上にいる英斗は必死に庇護の翼を広げ、伏せる恭弥を守り包んでいた。
「俺がいるかぎり、やらせない!」
「英斗くん!無茶はだめなんだよ!」
その横から即座に縁が傷を癒した。だが、2人分のダメージを受け持つにはダメージが大きすぎる。
英斗は恭弥を抱えたまま倒れ込んだ。
「さすが若杉、イケメン」
「へへ。あ、ありがと……」
「うにぃ!英斗くんはじっとしてるんだよー!」
全力で縁は英斗の回復に励む。そして恭弥は再びスナイパーライフルで狙い定める。
「倒したと思ったか?同じ轍は踏まないさ」
引きつけは不完全で、射程距離はギリギリ。だが、撃てないことはない。
交戦再開。レギュリアに対する対空射撃が開始された。
「やってくれたなぁホンマ、今のは痛かったで!」
建物の影に潜伏していたゼロ=シュバイツァー(jb7501)が闇の翼を背に受けて飛び立った。
ちらり、と背後に目を移す。
「ジェラやん……行くで!」
「いいぜゼロぽん☆」
視線の先からジェラルド&ブラックパレード(ja9284)が突貫を掛ける。
彼は武器をアサルトライフルに持ち替えた。
鋭い観察眼がレギュリアの急所を捉え、発射。大瑠璃を撃つために降下したレギュリアに襲い掛かる。
しかし図ったかのように聖煉瓦が降下し、彼女の身を守る盾となった。ジェラルドの銃弾が硬い立方体の体に次々とヒット。
「さて、すこーし……おとなしくしてね☆……あとはよろしく、ゼロぽん☆」
「任された。ほな、踊ってもらおか?」
スタンした聖煉瓦に闇の塊を叩き込み文字通り吹き飛ばす。壁となる聖煉瓦を次々となぎ倒していく。
「やるわね!」
それを見たレギュリアは咄嗟に銃口をゼロに向けた。そして放たれる黒と白の閃光。
「うぉあ!」
鶺鴒の輝きがゼロを包み込んだ。地面に落ちるゼロ。
「ただでやられるかよ!」
落ち際にガトリング砲を斉射。だがそれも聖煉瓦に阻まれる。攻撃は無意味に終わった。
いや、決して無意味ではない。それを遠くから眺める者がいたのだ。
「……」
嶺 光太郎(jb8405)。フードを深く被り、ひたすら身を隠す男。
その役割は観察にあった。ただ敵を見て、敵の特徴を知り、それを味方に伝える役目。
特に今回は聖煉瓦にわからない特徴がいくつか存在している。それを素早く判明させるのが彼の目的であった。
そして彼は“何か”に気づきつつあった。
「……あん?」
ガトリングを一身に受けた黒煉瓦の様子がおかしい。ヒビだらけの体をぶるぶると震わしている。
――何かしらの予兆を感じる。
「まさか、いや……一応、連絡しとくか」
携帯を黒井に繋ぐ。
『はい、黒井です』
「嶺だ。なんか黒煉瓦の様子がおかしいんだが……」
『おかしい?』
「ああ。なんか体震わせて、今にも――爆発でもすんじゃねぇのかって感じだなありゃ」
『……わかりました。みんなには距離を取るように言っておきます。ありがとうございました』
そうして嶺は観察を続ける。やがて、黒井の指示を受けて人々は聖煉瓦から距離を取るようになった。
すぐに結果に結びついた。一体の黒煉瓦の震えが大きくなったのだ。
「げ、マジかよ」
空を見上げていた嶺は慌てて顔を伏せる。体力を失った黒煉瓦が大きく爆ぜた。
それに連鎖するように黒煉瓦が次々と爆発。大きな爆炎を巻き上げる。一気に土煙が充満した。
「耐えられなかったのね……よく今まで持ってくれたわ」
レギュリアはサーバントを憐れむように囁く。
自爆能力。それが黒煉瓦に与えられた能力であった。
壁に利用したときは自らも巻き込まれる危険性も考慮した。だが、そのリスクを推してでも狙撃から身を守る方をとった。
それが撃退士の囮に対する自らの策。
どうせなら爆発に相手を巻き込みたかったところだが、寸前のところで逃げられてしまったらしい。
「よく察知できたものね、まったく」
聖煉瓦の残した粉塵が彼女の視界を覆う。周囲からは攻撃の気配を感じられない。
否。
「うおおおおぉぉ!」
ひとつだけあった。土煙をかき分け、爆発の炎に体中をボロボロにしながらも突入する男。
「とにかくチャンスを……チャンスを見逃すな……!」
必死に自分に言い聞かせ、佐藤 としお(ja2489)はレギュリアに飛びついた。
「な!?」
彼女もさすがに驚きを隠せなかった。自ら大怪我を負うことも厭わず、爆発から仲間達が離れる一方ひとり身を挺して飛び込む。
決死の特攻であった。
「喰らえ!」
必殺のイカロスバレットを放つ。銃弾がレギュリアの翼を射抜いた。血が飛び散った。
「が、はぁ!」
必死の銃弾、その一撃は彼女は薄く悲鳴を上げさせ地上へと追い落とすのであった。
「――よし」
そしてやりおおせた表情でとしおも地面へと落下する。研究所の地面に鈍い音が鳴り響いた。
「た、たいへんなの〜!」
屋上でそれを見届けた若菜 白兎(ja2109)は思わず悲鳴を上げる。
彼女は急いで階下に向かおうとした、ところで足を止める。
まだ聖煉瓦との戦いで手傷を負ったものは残っている。
「まったく、いい迷惑よね」
爆発に巻き込まれないよう注意しながら田村 ケイ(ja0582)は聖煉瓦にトドメを刺した。
爆発の範囲より得物であるヨルムンガルドの射程の方が長い。距離を取るのは簡単にできる。
「レギュリア……京都でも名前は聞いたし、本当にこれまでよく戦ってるもの。感心するわ」
発砲音が鳴り響いた。それは地上に落ちたレギュリアを狙い撃つ。
「けど、そろそろ休んでもいいんじゃない?有給ぐらい使えば?」
わりとのんびりとした口調で一人呟く。それが聞こえたのか聞こえてないのか、階下から反撃の一発が飛んできた。
その銃弾がケイの肩を掠る。
「痛ぅ……まったくホント働き者なんだから」
「わわ、今治すのです!」
そんな彼女に若菜は近づいてライトヒールを施す。
彼女は屋上をあっちこっちと回復に専念して動き回っていた。そのおかげで味方のダメージは驚くほど少ない。
それはレギュリアが聖煉瓦で守りの布陣をひいたこととも関係あるだろうが、これだけ長時間万全の状態を保っていられるのは彼女の功績である。
だが、今は地上で戦っている味方の負傷が気になって仕方がない。特に飛べもしないのに屋上から飛び降り、爆発に巻き込まれたとしおが心配でたまらなかった。
そんな彼女の肩をぽん、と叩く大きな手。
「ここは任せなさい」
ダニエル・クラプトン(jb8412)であった。
「若菜殿のように傷を癒すことはできないが、皆を守る力ぐらいならある。ここは君のおかげで怪我人が少ない。早く下へ向かいたまえ」
「――はい、なの!」
力強い言葉。それを受け白兔は走った。下で戦い、傷ついている者の元へと。
「さて、我ながら大きなことを言ったものだ」
英国生まれの半人半魔。できることは庇護の翼を広げ、他人の傷を受け止めること。
そのほかに何ができる?
――なんでも。
「我らは力を付けた!」
彼は拳を振り上げた。その場にいた撃退士達を鼓舞するように。
「唯搾取されるだけの時は終わった、今こそ反抗の時!行こう、そして勝つのだ!」
鬨の声が上がった。その場にいた一般の撃退士にも彼の勇気に気力が湧き上がる。
(レギュリア殿か……)
そしてダニエルは思う。遠くにて見た盾奪還に燃える天使。
(……出来得るならば言葉を交わしてみたかったところだ)
こうして屋上の士気が高まる一方、階下では激しい戦いが繰り広げられていた。
「私の全力!食らえぇ!!」
三日月のような刃が放たれる。シエル・ウェスト(jb6351)のクレセントサイスが防御に廻る聖煉瓦ごとレギュリアを切り裂いた。
「この鬱陶しい!」
苛立たしげにレギュリアは飛行を続けた。そしてライフルを発射。シエルの血が飛沫となる。
「しぶといでありますね。まったく、一度きりだったのに……」
「そうね。こっちももう大技を出す気力もないわー」
「……それは本当でありますか?」
「自分の胸に聞いてみたらいいんじゃないの?」
ふふ、と。2人は小さく笑いあった。
「ブラフは通じないでありますか。本当に厄介な相手でありますね」
「それはどうも」
レギュリアは丁寧にお辞儀する。撃退士達の猛攻により傷だらけだが、それと反比例するように頭は冷静なようである。
彼女は一気に距離を開けた。ダメージを負った翼で必死に上空へと舞い上がる。
「そろそろケリを付けるわよ!」
ライフルを構えた。銃身にエネルギーを込めて大瑠璃の範囲攻撃で一気に薙ぎ払うその構え。
そして、絶好のチャンス。
建物の陰から少女が飛び出した。赤煉瓦を葬ってから遁甲でじっと身をひそめ、一度のチャンスにすべてを掛けるその瞳。
アハト・アハトに蛍火にも似た赤い光を纏わせナナシは突撃する。
「やあぁぁぁ!」
射撃体勢に入ったレギュリアは完全に不意を突かれる形となった。
「これでお終い!」
銃口から飛び出した光は天使であるレギュリアの肩口を大きく穿った。
「がはぁ!」
噴出する血液。だが天使は落ちない。
「この、よくも!」
レギュリアは銃口をナナシへと向けた。そして大瑠璃を彼女一人のために放つ。
「くぅ――きゃぁぁ!」
咄嗟に空蝉を使うが、広範囲を狙った大瑠璃に逃げ場はない。蒼い輝きが彼女を焼き尽し、一瞬にしてその意識を奪い取る。
「はぁ、はぁ、あぁ……」
レギュリアは大きく、そして荒々しく息をついた。
受けたダメージがかなり大きい。これ以上戦闘を継続させるには無理がある。
そしてまだ、周囲には彼女の敵が大勢残っている。回復役を失った聖煉瓦もあまり持ちそうにない。
決断の時が迫っていた。
「……ぷぅ」
彼女は不機嫌そうに頬を膨らました。
盾は奪われた。そしてその奪還にも失敗。考えたくもない、まるで悪夢のようである。
傷ついた体に鞭を打って北西の空へと飛び上がった。
「レギュリアが逃げるぞ!追え!」
後方から追っ手のかかる声が聞こえてきた。彼女は振り向き、そしてライフルを構える。
「ああもう、こっちくんな!」
レギュリアは苛立ち紛れに戦場に残る聖煉瓦を次々と打ち抜いていった。
限界を超えた聖煉瓦が次々と自爆する。大量の爆音。熱風と煙がレギュリアを守る盾となる。
「こういうことはあまり言いたくないんだけど――覚えてなさいよ。次は必ず……!」
天使は天へと逃げ去った。撃退士達をその場に残し、捨て台詞を吐いて。
やがて爆風による煙が西研究棟から消えた時、
「勝った……」
その場にいた撃退士の誰かが呟いた。
「勝った!俺達天使に勝ったんだ!」
はしゃぎ声が広がる。それは西研究棟の勝利を告げる歓声であった。
【南西】西研究棟屋上 担当マスター:ユウガタノクマ