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 県庁東方。
 フリーランス、或いは撃退庁の戦士たちは変わらずに奮闘していた。
 戦いは長引いていた。倒しても倒しても押し寄せる魔勢。次第に蓄積されていく疲弊と怪我。進まない戦線。
「(――よくやってくれます)」
 女性職員はこっそり息を吐いた。
 誰も逃げず、投げ出さず、懸命に『脅威』足り得ている。だからこそ長引いている。終わらない死地は、注文通りに動いてくれている何よりの証だった。
 光信機を握る手に力が入る。
 届いている吉報は二つ。
 県庁南方、陽動が完璧に完遂された旨。
 県庁北方、最大の懸念であった暴将・アバドンの討伐が成功した旨。
 最上と言える報告に、更なる期待を抱かずにはいられない。情報が欠落し、文字通りの『敵地』に赴いた学園の撃退士らは、果たしてどうなったのか――。
 一際大きな音がした。悲鳴と絶叫と怒号の合唱。顔を向ければ、右翼を任せていた部隊が遂に押し込まれつつある。
 そして顔を向けた瞬間、汗に塗れていた光信機が声を吐き出していた。
 慌てて顔に近づける。飛び込んで来る、県庁攻略に赴いた女生徒の声は涙に濡れていた。
 一言一句、漏らさず聞き届ける。
 死地から飛んできた嗚咽交じりの訴えに、女性職員は一度、ゆっくり、大きく頷いた。

「もちろん、構いませんよ。どうぞ、高らかに」

 腕を降ろし、職員は声を張った。
 明確に鈍化した敵らから距離を置き、戦士らは指揮官の指示を待つ。
 確認する為に。
 今の言葉を、もう一度聞く為に。


「作戦の変更を通達します!
 陽動は終了です! これから――ここからは、残党狩りです!」


 湧き上がる歓声。


「可能な限り『野良ディアボロ』を討伐してください!!」


 その声を聞くと、先程までの疲労が嘘だったように霧散し、意気軒昂な撃退士らが意志を失ったディアボロを掃討し始めた。
 その声を挙げた途端、先程までの凛とした様子が嘘のように、女性職員は腰砕けになって倒れ込んでしまう。
 随伴していた調査隊長が慌てて彼女を抱え止めた。
「可愛い所もあるじゃないか」
「必死に隠していましたから」
「この任務に就いてからか」
「この任務に就いてからです」
 細く、長く息を吐いた。目の前では一転、楽勝とさえ表現できそうな戦況が繰り広げられている。
「……でも――」
「――それも今日まで、か?」
 職員は微かに口角を上げ、目を閉じて首を振った。
「まだです。まだまだ、これからです」
 目じりを拭い、立ち上がる。




 トゥラハウスとアバドンを同時に失った魔勢は完全に勢いを落としていた。
 前橋市にたむろしていたディアボロは使命を失くし、気の向くままに自主的に撤退していく。もぬけの殻、と言って差支えのない程度にまで。
 同じことは近郊の市町村にも言えた。国道を、田畑を、住宅地を跋扈していたディアボロは、山々や林の中に姿を隠していく。
 そう、隠れていく。
 魔勢の数は、それでも尚健在だった。今はただ、指導者を失った故に活動を停止しているに過ぎない。新たな『誰か』が現れれば、至極あっさりと本来の行動を再開することだろう。
 それだけではない。前橋市以外にも強大な力を持った冥魔は居る。彼らが、彼女らが今後、居座り続けるのか撤退するかは、今はまだ誰にも判らない。
 諸手を挙げて喜ぶことはできない。予断は未だに許されない。

 だが、
 それでも、撃退士らが死中からもぎ取った戦果が余りにも大きかったことは間違えようのない事実で。




 魔界。
 その、淀んだ空と濁った大地の間で、名前を呼ばれたドクサは気だるげに振り向いた。
 ニタニタと笑みを浮かべる下級も下級の悪魔が、おどけるような仕草で彼女のすぐ傍らに腰を降ろしてくる。
「連中、死んだそうじゃねえか」
 またその話か。ドクサは溜息をつき、腰を浮かせて距離を置く。
「評判になってんぜ。大口叩いたトゥラハウスも、大口開けてたアバドンも、原住民にやられる程度だったのか、ってなあ?」
 つい、とあごを上げるドクサ。
「アバドン様は無敵だったし、トゥラハウスもアイツなりに苦労してたんだよ。外野がグダグダ語ってんなウゼェ」
「負けちまえば一緒だろうが」
 この一言を待っていたドクサは、きょとん、と目を開いて見せる。
「……お前、友達いないだろ。もしかして、まだ『原住民なんて敵じゃないでちゅー』とか思ってる?」
「……あ?」
「アホらし。時代に遅れたアホに話すことなんてねーよ。とっとと失せろ邪魔臭ぇ」
「てっ、テメェ――!」
 大業に息を吐き、ドクサは仰け反った。
「あのアバドン様がやられたんだよ? これだけで並の悪魔なら冷や汗モンだと思うんだけど。並以下のアンタなら尚更そうなるべきじゃん?」
「そ、れは……ってか、そうだ! 同胞を殺されておめおめとテメェだけ逃げ帰ってきやがって!!」
「バぁっカお前ホンっト話わかってねーな。アバドン様を倒すような連中がいる場所から、なんっとか生き残ったドクサ『だけ』が『速攻で』『生還』してきたんだよ。
 『お前みたいな』『同胞』をのこのこ向こうに行かせないようにする為に」
「お……おぅ?」
「ったく、仕方ねーなぁ。教えてやるよ。ドクサが向こうで見てきたこと全部」
 胸の下で腕を組み、胸の内で小さく笑う。
 これでいい。自分だけが生き延びた理由づけにもなるし、『お願い』にも応えたろう。全ての同胞に伝えるのはどだい無理な話、目の前のこれより知能のある者や『お偉いさん』はさすがに欺けないだろうし、命知らずや向こう見ずはむしろ血を滾らせるかも知れないが、そこまでは知ったことではない。もう2、3回語って回ったら、その後は今度こそ何処かに隠れてしまえばいい。臆病者と背中を指さされるだろうが、事実なので仕方がない。
「な、なあ、それで、向こうはどうだったんだよ?」
 すっかり居住まいを正した悪魔に鼻を鳴らし、ドクサは盛大に装飾した真実を並べていく。
 あちらで遭った撃退士と、命を落としたアバドンに思いを馳せ、そしてほんの僅かだけ、トゥラハウスを偲びながら。




 暫くして。
 前橋近郊や離れた市町村に冥魔の目撃例が少なくなったことを受け、学園は一般人の群馬県立ち入りについて許可を出した。我先にと人々は群馬県に飛び込んだ。残存ゲートの影響が未だに残っていると、厳重注意が付随しているにも関わらず。
 彼らは一様に、変わり果てた群馬県の姿を見て溜息と肩を落とした。建物は倒壊し、各地には激戦の傷痕が色濃く残っていた。
 それでも彼らは足を進め、手を動かす。僅かにでも、そして必ずや前に進む為に。
 撃退士が取り戻してくれたこの地を、二度と失うことのないように。


 先にも述べたとおり、予断も油断も全く許されない状況は続いている。
 特大の脅威は潰えたが、全ての脅威を拭い去られたわけでは、ないからだ。
 しかし、それでも、昨日までとは明らかに異なる点も、また確かに在る。


 それは、群馬県が人の手に戻ったこと。
 今後起こるであろう群馬県での戦いが、『侵攻』ではなく『防衛』となったこと。


 そのことを、装いを変えられた県庁と、幾分小さくなり出したゲートの間で、からっ風にたなびく紫色の県旗が、何よりも雄弁に物語っていた。


【了】


エピローグ 担当マスター:十三番








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