.








●虚を突く者、虚を纏う者
 南からは、大軍の激突する戦闘の喧噪が。
 北からは、天に轟く巨獣の咆哮が。
 遠く、遠く、しかし確かに聞こえてきて。

 けれど今、この県庁一帯は寒気がするほどの完全な静寂に包まれていた。彼方からの音がその静けさをより引き立てる。
「ここまでは順調かな」
 県庁ビルの北側外壁を目前に、一行の先頭に立つ龍崎海(ja0565)は、布に包んだ細長い物を抱え直しながら落ち着いた声音で言う。
 主力のディアボロたちを陽動部隊が南へ惹きつけ、最大戦力のアバドンを挑発して単騎で北へ誘い出し、海たち二十人の強襲班は県庁への侵入を図る。
 目標は、あの破壊の権化のようなアバドンに唯一指示しうる悪魔。参謀と思しきトゥラハウスの首。
「仲間があいつを引き離してくれたのだ、台無しにするものか」
 大炊御門 菫(ja0436)が生真面目な口調で返す。手にした槍に力はこもるが、経験を積み重ねてきた今、そこに力みはない。
「思い返せば、随分と長い動乱だったが‥‥奴を仕留めれば、終わるのだな」
 リンド=エル・ベルンフォーヘン(jb4728)が感慨深げに呟いた。龍人の猛々しい姿ながら、性格はむしろ落ち着いている。
(必ず、ここで群魔という悪夢を終わらせる)
 藤堂 猛流(jb7225)も静かに決意する。多くの知友に縁のある地での決戦に、心は昂ぶった。
「勝てねば次回作へ続くというところでしょうな。その時は今回と役者一新ということもありえますが」
 オーデン・ソル・キャドー(jb2706)が飄々と話す。今日もがんもどき型マスクに素顔は隠れているが、口元には皮肉げな笑みが軽く浮かんでいるのだろう。
「無策でぼんやりしているとは思えませんしね」
 全員にハンズフリーの光信機とライト、ホイッスルが行き渡っていることを確認しつつクリフ・ロジャーズ(jb2560)が応じた。
「群馬各地で出くわした様々なディアボロが集められているようだし、面倒な護衛がいることくらいは覚悟しておくべきよね」
 ナナシ(jb3008)の言に一同は緊張を新たにする。何より厄介なことに、本命のトゥラハウス自身が撃退士と交戦経験がなく、強さも能力も未知数なのだ。
「でも、いくつもパターンを想定して、対策は立てられるだけ立ててきました」
「うちの大切な部員君、頼りにしてるわよ♪」
 雪ノ下正光(jb1519)の言葉に、彼が属するクラブの部長である雁久良 霧依(jb0827)が肯く。普段は学園の一角で故郷の名産・下仁田ネギを栽培しつつ奔放な生活を満喫している彼女だが、今日はいつもより真剣な顔をしていた。
「ドブネズミさんたちに、故郷で好き勝手してくれたお礼をしないとね」
「行きましょう」
 闘気解放で力を高めながら雫(ja1894)が言う。十人は眼前の蔦に覆われた壁へ、十人は建物を回り込んで東側の玄関へ向かった。



「来たか」
 一階の玄関ロビー。仕込みを済ませて中央の柱にもたれていたトゥラハウスは、北側の壁が猛烈な攻撃を受ける音と振動で敵の到来を知った。
「‥‥入口から来ない理由もないだろう。タイミングを合わせ、同士討ちを避けての十字砲火というところか」
 みすみす攻撃を受けるのもバカバカしい。
 念話で直衛のディアボロたちに指令をしつつ、トゥラハウスは移動する。
 そして左手から、黒い煙をばらまき始めた。



「一撃で、とはいかないようですね」
 北側からの音を聞きながら、東側の十人は玄関前の植え込みに潜む。エルム(ja6475)は光信機で情報交換する。
「手は尽くしてるんだけど、ね!」
 答えるは北側の月臣 朔羅(ja0820)。エルムのイヤホンが捉える、思ったより近い破砕音。朔羅もまた力を振るっている。
 罠を張られていようが強敵が待ち構えていようが打ち破るための彼らの対応手は、二方向から同時突入しての一斉攻撃。ただロビーへ通じる大きな通路は玄関しかなく、北側からは壁を壊して入ることにした。
「待っていま‥‥あ」
「どうしたの?」
「中から、煙が」
 本来ガラス張りの玄関は、薄汚れて(あるいはわざと汚されて)内部を見通すのは困難だ。さらに今、締め切られているドアから煙が漏れ出ている。
「煙が充満しきると、やばくないか?」
 アダム(jb2614)の懸念は妥当だ。恐らくは壁の破壊を受けての、煙の発生。それを看過していては、同時攻撃のメリット以上のデメリットが生じかねない。結城 馨(ja0037)も同意する。
「魔法による完全な暗闇なんてことになったら、手の打ちようもないですね」
「毒ではなさそうだ」
 無造作にも見える歩みで漏れた煙に近づいた影野 恭弥(ja0018)が確認する。
「玄関班は、少し先行させてもらう」
「こちらも急ぐわ、くれぐれも気をつけて!」
 菫は朔羅たち北側班に告げると、先陣を切って槍を突き出す。あえなく砕けたドアを踏み越え、十人は県庁内部に突入した。

 玄関を抜ければロビー。広さは二十メートル四方というところか。中央に太い柱、床にはあちこちにソファや自動販売機などが散乱し、床全体にコードがのたくっている。
 ロビー内部にはかなりの煙が蔓延していた。外からの日差しもあり、何も見えないというほどではないが、誰がいるか何があるかを見分けるのは黄昏時のように難しい。
「アバドンに易々と蹴散らされる羽虫どもが」
 そこに浮かぶ影が、六つ。
「奴の目を盗んでこそこそ忍び込んだようだが、私の居城へ何用だ?」
 男にしてはやや高い声。どの影が声を発したかはわからない。ならば全員倒すまで。
「のこのこお出ましとは話が早いな」
 リンドとオーデン、アダムが並ぶ。アダムはかっこいいポーズまで決めていた。
「いくぞっ必殺‥‥封!砲!!」
 三人のルインズブレイドが、影だけでなく室内のすべてを破壊する勢いで技を放つ。それぞれが重ならないようにして広範囲に攻撃!
 彼らの横に並び、猛流はショットガンで、エルムは和弓の鶺鴒で、霧依はコメットで、恭弥はエンゼレイターで、三人の範囲外の目につくものを撃ち抜いていった。
 それらを食らった影は、棒立ちのまま、あるいは倒れあるいは吹き飛び、壊れたパイプ椅子や観葉植物の鉢に姿を変える。床のコードなどへ油断なく目を配りながら、馨は北側班に報告した。
「敵は幻を使ってきます、『蛇』の可能性大!」
 ただ、中央柱の傍にいる影だけは、よろめきつつもまだ倒れていない。
「そいつは冥魔です!」
 正光の冥魔認識を受けて菫が前へ出る。突き出した槍は確実に刺し貫き、しかし間近で見る、酷薄な笑みを浮かべた白皙の美貌は一向に揺らがない。
 一拍遅れ、正体が露わになる。まともな顔すらない雑な造作の人型ディアボロは、力なく倒れた。
「くだらない手だ‥‥自分の居城、などと語る貴様はトゥラハウスで間違いないな? 姿を見せたらどうだ」
「言われるまでもない」
 声に動揺は見られない。
「だが、歓迎の準備をしたのでな。まずはそれを馳走しよう」
 部屋の様子に注意を払っていた馨は、不意に気づく。
 範囲攻撃がいくつも炸裂したのに、床のコードは千切れてもいない!
「床に気を――」
 退避しながらの警告はわずかに遅く。
 コードが生き物のように跳ね上がり、鞭のようにしなり、馨以外の全員を高速で襲う!
「危ない!」
 エルムはどうにか回避に成功した。菫は一度瞬くと、一瞬赤い瞳に変わり、槍で捌く。カオスレートを変動させ、ほとんど傷はない。
「部長!」
 正光は隣の霧依に防壁陣。受け防御ができた彼女は、カオスレート差の割にまだ軽い傷で済む。しかし正光自身はかなりのダメージ。
 猛流やオーデン、リンドも負傷。シールドに成功したアダムも天使ゆえ傷は大きい。
 そんな中でも恭弥の受けたダメージは多大だった。生命力九割減。一旦は倒れ、立ち上がりはしたもののボロボロだ。

 長く伸ばしてコードのごとく見せかけていた腕と指が、手元に戻り右腕となる。事前の準備が必要で連発はできないが、後は各個撃破で済むだろう。
 自身の発した煙幕越しに恭弥や正光の姿を見てトゥラハウスはほくそ笑む。撃退士などしょせんはあの程度の存在。アバドンほどの力がなくとも、倒すには造作もない。
 ただ、偶然にも回避した者や、ほぼ無傷で乗り切った者もいるのは気に食わない。
 蛇に次の指示を与えつつ、トゥラハウスは突出していた菫に近寄った。



(悲しい気持ちはいらないの、楽しい気持ちでいっぱいにしたいの!)
 スピネル・クリムゾン(jb7168)は、そのため――仲間を守り勝利を得るため――に最善を尽くしていた。
 炎の烙印を壁の破壊に取り組む主力陣に使いきり、少しでも早く破壊できるよう能力を強化する。同時攻撃こそ叶わなかったが、それでも遅れは最小限に留まるだろう。
 ナナシが魔法書のフェアリーテイルから光の玉を放ち、穴をさらに深くする。
 ナナシやスピネル――冥魔や天使に抱く苦々しい思いを内心に留めつつ、負傷状態で来てしまった水無月 神奈(ja0914)は剣魂で自己回復に努める。
「これ、でっ!」
 朔羅が放つ「紅薊」、指を鳴らすや火炎が直線状に爆発し、ついに二人通れるほどの穴が空く。
「まずは俺が行く」
「敵の総本山ねェ。さてェ、喉元を食い破りましょうかァ‥‥♪」
 海と、壁走りを事前に用いていた黒百合(ja0422)がまず踏み込み、八人が後に続く。
 だが彼らは、煙の向こうに広がる光景に眉を顰めた。
「フハハハハハハハ!」
「新手の到着か。さあ、遠慮なく攻めるがいい。私はここだ」
「ここにもいるぞ?」
「ここにもいるぞ?」
「フハハハハハハハ!」
「フハハハハハハハ!」
「フハハハハハハハ!」
 悪魔らしき三人のまったく同じ影。そのうち二つは右手を鞭のごとく伸縮させている。
「悪趣味な真似を‥‥私は菫だ!」
「私はエルムです! 同士討ちに気をつけて!」
 笑いにかぶさるように、悪魔の姿から菫とエルムの声がする。だがその近く、菫の姿をした者も、悪魔に槍を構えて菫の声を発した。
「貴様はトゥラハウスで間違いないな?」
 誰が誰やら判然としない。さらにあちこちで吹き鳴らされるホイッスルの音。
「のこのこお出ましとは話が早いな」
「そいつは冥魔です!」
 文脈が判然としない発言も混じり、場は混沌としてきた。
「『蛇』の話聞いてなかったら、危なかったわねェ」
「しかも前より強化されてますね。今度は声や音まで再現ですか」
 天井でひとまず待機の黒百合に真下のクリフが小声で言う。
 桐生市を支配する准男爵ファズラ。彼女の制作による蛇型ディアボロは、生物無機物を問わず手近な対象五体へ幻を強制的に付与する。最初に戦った時はホイッスルの音で同士討ちを避けて退けたが、今回はそこも対策されている模様。
「まずは蛇をどうにかしたいな」
 海が生命探知を用いた。半径十五メートル強の探知範囲の中、明らかに不自然な位置に一つ反応が。
「柱の天井近くに一体!」
 海が叫ぶと同時、柱を取り巻く模様と思われたものが、石の質感そのままに動き出し、柱の陰に消える。
 そして、北側班にも変化が生じた。
「小細工もいいところですねえ」
 鴉守 凛(ja5462)が。
「これは‥‥」
「忌々しい!」
「なるほど、武器を構えると腕が伸びるように見えるのか。無駄に演出に凝ってるな」
 さらに雫と神奈と海も、トゥラハウスの姿に変貌する。
「どうすんだこれ?」
 藤村 将(jb5690)が戸惑いの声を上げる。敵はボコボコにすればいいとシンプルに臨む青年にとって、今回は面倒臭いことこの上ない。
「突入前に打ち合わせた通りよ」
「あー、あのミーティングね」
 朔羅に言われホイッスルをくわえる将だが。
「こんなピッピピッピ鳴ってたら、吹き方変えるくらいじゃ区別になんねーよ!」
 ホイッスルの音は先ほどよりも増えていた。幻影を新たに付与された面々からも音が頻繁に発せられている。
 笛は打開策にならない。どのトゥラハウスが本物か。いや、味方の誰かに化けている可能性の方が高そうだ。しかしそれをこの騒音と煙幕の中どうやって識別するか。
「フハハハハハハハ!」
「フハハハハハハハ!」
「フハハハハハハハ!」
 二十人以上の敵と味方が混在する戦場は、しばし膠着状態に陥った。

●幻を穿つ光
「龍崎だ。その怪我、幻覚ではないよね?」
「頼む。‥‥その姿に癒やされるというのも妙な話だが」
 トゥラハウスの姿にされている海が、比較的近くにいて怪我が酷かったリンドをライトヒールで回復する。

「そらそらそら、どうした撃退士?」
 菫の姿をした者が、まだばらけきれていない北側班の中央部へ槍を突き出す仕草をした。
 するとそこから撃ち出されたものが、雫と神奈と将とナナシの中心で弾け、四人全員を襲う!
「これは、鞭?」
 ナナシと雫はかろうじて回避するが、神奈と将は鋭く打たれる。
 そして菫の姿をした者は煙の中に消え‥‥
「今度は‥‥また狂った事態になってますねえ」
 凛と雫の姿は変わらずトゥラハウスのまま。そしてやたらと増えたのが凛の姿だ。
「私たちに化けてくれればコメットぶち込んであげるのに」
 ライトヒールを使いつつぼやく霧依に、治療されながら正光が答える。
「前衛の、地上で動く人をちゃんと選んでますね。でもコメットはやめた方が。味方の恐れもありますから」
「今度は凛か‥‥私は菫だ!」
「私はエルムです!」
 凛の姿の菫からは、自身の声とともにさっきのエルムの声も発せられる。
「私は菫だ!」
「本当は龍崎なんだけど‥‥聞き取ってもらうのは難しいかな」
「この騒ぎの中では、少し離れるともう無理だろうな」
 凛の姿にされて菫の台詞を発する海に、リンドが苦慮する。
「幻の数は、五以上十未満ほど。蛇は二体ですね。ここで幻を出し惜しみする理由もないでしょうし」
 馨が煙幕越しのぼやけた視界と各人の報告や叫びからどうにか事態を分析しようとする。
「固まっていると先ほどの攻撃がまた来る。分散しないと――」
「下手に動いたらなおさらトゥラハウスの思う壺です。こちらは動かずにいれば、動いた者こそが敵として炙り出しが――」
「じっとしてたら俺の仕事なんかねえぞ!」
 光信機での神奈の呼びかけに馨が答え、近接戦専門の将がさらに反論する。
「お、俺はトゥラハウスじゃないからな!」
「わかってるぞ、とうどう!」
 自身の傷を剣魂で治しつつ、アダムは隣にいて悪魔の姿にされた猛流へ声をかける。
「蛇を倒せば幻は使えなくなるんだよね? どこにいるのかな〜」
 翼で空を飛ぶスピネルが、誰を攻撃するのも難しいため、南西隅の自動販売機を魔法書で攻撃してみる。すると自動販売機が身をよじって動き出した。
「これ、敵っぽいよ!」
 堕天使少女の声に、北西にいた凛と朔羅が動く。持ち替えた弓に射られ、最後に朔羅の扇でとどめ。人型の、いかにも雑魚という風情の正体を現して崩れ落ちる。天井を駆け寄った黒百合が手を出すまでもなかった。
「なんでこんな奴、隠していたのかしら?」
 朔羅は首を傾げた。



「準備は胸で。合図は俺が叫びます。二度目以降はナナシさん、朔羅さん、黒百合さんの順で。それ以降も必要な場合は馨さんが指示を。タイミングが肝心なので、ひとまず時間を稼ぎます」
 クリフが光信機にそっと告げる。ハイドアンドシークを駆使しつつこっそりロビーに踏み込んだ彼は、敵に叫び声を察知されてはいない。それは遁甲の術を使った忍軍たちも同様。
 準備を始めた仲間たちの動きを気取られぬよう、クリフはトゥラハウスに話しかける。
「部下をすぐ見限って切り捨てる上司って器が知れてますよね」
 時間稼ぎ。と同時に、長く関わってきた『彼女』たちへの思い入れが深いのも事実。
 オーデンも慇懃に問いかける。
「知り合いに工作の得意なお嬢さんがいましてね。いや、敵なのですが‥‥敵とはいえ、互いに死力を尽くしてきた相手。蔑ろにされるのは、良い気分ではないのですよ」
「何のことだ?」
「やはり彼女にかけていた恩情はその程度でしたか‥‥」
「トゥラハウス」
 トゥラハウスの姿で雫も声を張り上げた。
「なぜ、ファズラを切り捨てたのですか」

(打開策を「考えている」「だけ」か)
 撃退士が思いの外粘る(一当てすれば半数は戦闘不能にできると考えていた)とは思いつつも、トゥラハウスは自身に有利な現状に慢心していた。彼らの問いも「単なる」時間稼ぎと受け取った。
 ゆえに、余興とばかりに応じる。もちろん声の位置は探られないよう細工して。
「我々は、歯車だ」
「え?」
「アバドンは壊す。私はその手綱を取る。他の悪魔もヴァニタスもディアボロも私の命令の下それぞれの任務を果たす。そして人間は魂を収穫される。歯車はそれぞれがそれぞれの役割を果たすことで機能する」
 言いながら、右手を一直線に伸ばす。突かれたエルムとリンド、オーデンにアダムが血を流す。凛の姿だったトゥラハウスは煙の中へ逃げ、また蛇による幻を纏う。同時に蛇の一方が、海に毒牙による攻撃を加えていた。

「これはまた‥‥」
 オーデンが、傷のせいでなく首を振る。かつて気ままに生き、今はおでんへの愛に殉じてはぐれとなった彼とは、およそ対極にある発想だ。
「ファズラは、安全な場所で長期的に魂を収穫しディアボロを制作するには好適の存在。しかし群馬全土が戦場となった今は、収穫も制作も遅い穀潰し。変化した状況に適応できないならば、より適切な歯車に交換するのは当然だろう? 適者生存、優勝劣敗、弱肉強食、貴様らにとっても珍しい話ではあるまい?」
「各個の意志は? 恩に報いようとした思いは?」
「自由意志など幻想に過ぎん。我々は与えられた役割に徹する以外に道などない。勝手な恩義などこちらの知ったことか」
 問い続けるクリフを鼻で笑うトゥラハウス。雫は静かに怒りを滾らせる。
「打算に徹するなら、ファズラを欺き続ける手もあったでしょうに。ずいぶん半端で無駄なやり口ですね」
 クリフは、鼻で笑い返した。人当たりの良い彼には珍しい、蔑みの表情。
「何?」
「あなたの底の浅さは見えました。元より逃がすつもりはありませんでしたが、これで何の躊躇もなく倒せる」
「恐怖で気が触れたか? 同士討ちなど、お優しい貴様らにはできない相談――」
「蛇の幻に、音以外の対策を何もしていないと思っていましたか?」
 クリフが鋭い声で叫ぶ。
「光を!」



 撃退士たちは、片手で胸に構えたライトを一斉に点灯させた。煙幕を貫き光が走る。
 だが二十の光が入り乱れる中、光を放たぬ影が三つ。
 蛇は光も模写できる。しかしそれを再現できるのは次に付与した幻から。不意に一斉に点灯されては対応不可能!
「鬼が見つかったなら、かくれんぼは終わりだ。皆行くぞ!」
 菫の声に応じ、一同は瞬時に殺到する。

「驚天動地屠ル也!」
 リンドが口から衝撃波を放ち、海の向こうにいた雫の姿の敵を撃つ。
「私の剣がどこまで届くか‥‥全力を出し尽くすまでよ」
 弥生姫を活性化したエルムが「翡翠」の一撃! 一瞬ながら動きを止めることに成功し、菫やオーデンが包囲に加わり追撃する。
「この手応え、蛇です!」
 状況を見極めつつ、海は再び負傷していたリンドにライトヒールを施した。
「まずは傷を治そう。俺まで出張る必要はなさそうだ」

「しがみついてでも動きを止める!」
 猛流は閃滅を使って敵との距離を詰め、攻撃は放棄して密着しての行動阻害を図る。敵が凛の姿というのは当初の想定外だが、敵なのだから仕方がない。
「うおおっ! ぬるぬるしやがる! こいつ蛇か!!」
 困惑顔の少女の姿をした敵とくんずほぐれつ、それでも猛流は動きの封じ込めには成功していた。そこへ朔羅やスピネルが向かう。

「なら、奴か」
 恭弥は残る一体、こちらも雫の姿をした敵にアウルの弾丸を撃ち込んだ。
 寸前に気づいてうろたえるトゥラハウスだが、撃たれたのに痛みはない。
「傷が酷くて放つアウルもなくなったか? ハハハ!」
 顔を歪め嘲笑するトゥラハウスを、恭弥は無感情に見つめる。

「滅せよ、外道!」
 トゥラハウスの姿の雫が、雫の姿のトゥラハウスに徹しを決める。初めての手応え。
「おら、くたばりやがれ! こちとら鬱憤溜まってんだ!」
 横から将が闘気解放からの破山。そこへ背後から神奈も剣を振るう。
「悪魔は力が全てではないのかな。悪魔らしく‥‥小細工なしでいきませんかねえ」
 凛が包囲を完成させ、パールクラッシュ。斧を頭上から力任せに振り降ろすが、盾らしき物に阻まれる。
「私はアバドンのような筋肉バカとは違う!」
「あなたもあまり知恵は回らないようですが」
 クリフのファイアワークスが、隙のできたトゥラハウスのみを包み込む。
「次は腰よ」
 ナナシが「煌めく剣の炎」で追い打ちをかけながら、全員にそっと指示を出す。

●群れは、ほどけて
「貴様らあっ!!」
 包囲する四人を、苛立ちで顔を引きつらせる雫の姿のトゥラハウスが薙ぎ払う。全員吹き飛ばされ、将は気を失った。
 かなりの手傷を負った。自分の見通しが甘すぎたことをトゥラハウスはようやく悟る。
 ここはもう退却すべきか。アバドンが未だに戻って来ないことも不安を煽る。幻と煙幕を使い続ければ、脱出は難しくないはず。
 だがその時。
「喜べ、お前ごときに聖槍を使ってやるんだから」
 海の声が、策士を縫い止める。
 聖槍アドヴェンティ。県境結界を自ら壊して撃退士を招いた時、アバドン相手に持って来ればと期待していた神器。それが今、ここに?
 今の声の主がロビーに入って来た時のことを思い出す。主武装の魔法書とは反対の手に長い包みを持っていた。普通の武器なら収納できるはず。これまで用いずにいたのは、幻で相手の位置を掴めなかったからと考えればおかしくない。
 神器奪取の功績さえあれば、群馬でのこれまでの収穫と併せ、たぶん惨敗の咎は帳消しになる。
「光を!」
 ナナシの声。だがタイミングを間違えている。
 トゥラハウスは腰の光を確かめてから煙幕を濃くし、蛇に幻を使わせた。今度は珍妙なマスクをかぶった男に化ける。
 何食わぬ顔で声の方向へ移動し、天使らしき少年の横に進んだ時。
 少年は何のためらいも見せず、トゥラハウスの心臓に矢を放つ!
「な、なぜだ‥‥?!」
 今は自分も幻のライトを点けている。敵と断定できるはずがないのに。
 オーデンの友であるアダムは胸を張って言う。
「おまえからは、おでんの匂いがしない!」
「愚かな、私から常に放たれる、おでんの香りはマネできませんよ」
 なんだ、それは。
 呆然とするトゥラハウスを、本物のオーデンが斬る。その真逆からリンドが渾身の力で斬りかかった。
「もう隠れられる場所もない、ここがお主の死に場所だ!」
「そんなことにはならん!」
 包囲されそうになるのをかわし、もう一体の蛇にも幻を使わせる。移動しながら左手からの煙幕を限界以上に放って、まず視界を徹底的に遮ろうと――
 したところに、痛烈な銃撃を食らった。
「ぐううっ?!!」
 天界の気を帯びたアウルの銃弾。ただでさえ減っていた体力をさらに削りきる一弾。
「マーキングを知らないとはな」
 完全に位置を把握してから「白銀の退魔弾」を撃ち込んだ恭弥が、平坦な声へわずかに呆れを混ぜて言った。

「勘違いをしていた」
 海が淡々と述べる。
「貴様は実力があるからアバドンの副官を任され、奴を制御する力を与えられていると俺は思い込んでいた」
 これまで交戦経験がなかったことも、気づくのに遅れた一因だろう。
「しかし逆だ。貴様は、たまたまアバドンを制御できるから副官の地位に就くことができただけの――弱者だ」
「先ほどの一太刀、ずいぶん手応えが軽かったが、雑兵と考えれば無理もない」
 神奈がつまらなそうに言う。
「さっきの隠れていた雑魚は、危なくなった時の影武者のつもりだったのかしら?」
「恐らくそうでしょうね。彼我の戦力差も把握できていなかったせいで無駄にしてしまったようだけど」
 朔羅の推測に馨が肯う。とどめとばかりに海が付け足した。
「ああ、ちなみにこの槍は偽物だ。残念だったな」
「黙れ黙れ黙れえいっ!!」
 自尊心をズタズタにされ、トゥラハウスは煙幕の中を逃げる。
 しかし天井から黒百合に襲われた。間一髪で兜割りを回避。
「なぜだ!? なぜわかる?!」
「ナナちゃんならどれだけボロボロになってもそんなみっともない顔はしないわよォ?」
 指摘を受けたナナシの姿のトゥラハウスに、脱出を警戒していた本物が背後から襲いかかる。
「それに今、外に出ようとするのは間違いなく撃退士じゃないわよね」
 剣の炎に、トゥラハウスの翼は断ち切られた。
「やはり逃げるか」
 逃走に備え脱出ルートの見当をつけていたのは菫も同じ。神速の踏み込みで威力を増し、予測不能の軌道で突き出される槍が、カオスレートを天界に大きく傾けた状態でトゥラハウスを襲う!
 防ごうと盾を作った右腕が、肩口まで槍に貫かれて消し飛んだ。
「ぎゃあああああああああっ!!!」
 ありったけの力で左腕を振り回し、煙幕を放出できるだけ放出する。かつて感じたことのない痛みに左手も悲鳴を上げる。
 それでもその甲斐あって、ロビーは五感を封じきるほどの完全な暗闇に陥る。
 トゥラハウスは命からがら脱出できた。

「どこへ向かったのでしょう」
「外へ逃げるわけもなし、間違いなくゲートでしょうね」
 煙幕の引いたロビー。エルムの呟きに、クリフが上り階段を指さす。
「蛇は何人か残ればどうにでもなります。皆さんは上へ!」
 大剣を構えながら雫が言った。



「アバドンめ、なぜあんな見え見えの挑発に‥‥」
 階段を必死に駆け上がりながら、ナナシの姿のトゥラハウスは恨み言を垂れ流す。
「いや、せめてドクサがいれば守りは堅かったはず。あいつらが組めば早々に撃退士どもを蹴散らして戻って来たろうに‥‥」
 失われた右腕。今後使い物になるかわからない左腕。敗走による今後の失墜。喪失の痛みと悔しさは、身近な対象への罵詈雑言に転化した。
「ファズラめ、これまで目をかけてやったくせに、自陣に籠もりおって‥‥奴のよこした蛇がもう少しマシな能力を持っていれば、こんなことには‥‥」
 己が領地での闘争に明け暮れる者、軍議に一度も顔を出さなかった者、ふらりとあちこちをうろつく者、高い戦力を持ちながらほんのわずかしか県庁防衛へ供出しなかった者‥‥八つ当たりの呪詛は途切れることがない。
「こんなもの、いくら個々の腕が立とうと単なる群れだ! 勝てるものか!!」

 気づけば階段は終わっていた。
 屋上への扉を開けると、なぜかここにいたドクサが目を見開いて腕を突き出し、黄金の障壁を展開しようとする。
「私だ」
 トゥラハウスの声に、少女悪魔は気の抜けたような笑いを漏らした。
「ずいぶん可愛くなったじゃん」
「ここで何をしている」
 今さらのことを問う。
「用済みらしく、観客席で見物してたんだよ」
 怒鳴りつけたくなるのを必死に堪えた。今のこいつは、使える。
「奴らが来る。撤退だ。手を貸せ、飛べぬ」
 あくまで強気に出る。用済みに乞い願うなど、あってはならない。
「‥‥」
 口を曲げたままトゥラハウスの差し出した左手を取り、ドクサは翼を広げゲートへ飛ぶ。

 地を離れた瞬間、トゥラハウスの姿が元に戻った。階下の蛇が倒されたのだろう。
「‥‥どんな連中を相手にしてんのか、アンタは理解してなかったんだよ」
 返す言葉を思いつかず、別のことを聞く。返答は予想できたが。
「他の場所は」
「全部負けた。みんな死んだ」
 南も北も、静かなものだ。撃退士どもはいるはずだが、歓喜の叫びにもすでに飽きたということか。
「貴様がいれば、戦況は変わっていた」
 言っても詮ない言葉が、舌先からこぼれ出る。
「だよね。ドクサのこと嫌いでしょ」
 ゲートを目前に、おためごかしを言う気にもなれなかった。
「当然だ」
「だよね。ドクサも考えたんだけど、やっぱりアンタ嫌いだよ」
 ドクサが。
 左手を。
 離す。

 落ちる。
「ドクサァァァァァ!!」
 叫ぶ。もう他に何もできない。
 落ちる。
 奴らのせいだ奴らのせいだ奴らのせいだ。
 奴らとは誰なのか。もう撃退士を憎んでいるのかドクサやアバドンたちを恨んでいるのか自分でもわからない。強いて言えば、自分以外のあらゆる他者。
 落ちる。
 歯車は歯車らしくすればいい。アバドンは破壊し、自分はそれを制御し、部下どもは自分の命令に従い、人間どもは魂を差し出す。それですべてがうまく回ったのに。
 さらに喚き立てようとした時、自分の命令で柄にもない任務に駆り出された使い魔の姿を、なぜかふと思い出した。
 自分の意向に従い討伐された悪魔たち。
 聖槍を意識して、まだ存在していた県境結界を破壊して撃退士を招き入れた自分。
「歯車に徹しきれなかったのは‥‥俺もか」
 落ちて。
「ハァイ♪」
 屋上へ真っ先に駆け込んだ撃退士が、ニヤリと笑いながら三連刃の鎌を振り抜く。
 それがトゥラハウスの見た最後の光景だった。



「アバドン様もトゥラハウスも倒すとか、アンタらどんだけなんだよ‥‥」
 黒百合を先頭にぞろぞろと屋上へ現れる撃退士に、上空のドクサは嘆息しかできない。怖れを通り越して呆れる。そしてわずかの後悔も。
「でもドクサがあの日、もっとちゃんとあの子を守れてれば、こうは、ここまではならなかったよね、きっと」
 その原因となった半球の破壊者、そしてその後も何度も関わり散々なトラウマを植えつけてくれたナナシと黒百合が、こちらを見上げて笑う。いきなり襲われる距離でもないのに、ドクサは背筋を寒くする。
「降りてきて、『遊び』ましょォ♪」
「おまえの上司を泣かせに来たんだけど‥‥もう泣くこともできないな。『遊ぶ』か?」
 死体を検分していた海までもドクサに絡んできた。
「冗談言うなよ絶対嫌だかんね!!」

「トゥラハウス、確かに討ち取りました」
 霧依が屋上の片隅で本部と連絡を取る。見下ろすは滅茶苦茶にされた故郷。
 だが、自分たちは生き延び、そして勝ったのだ。
「一つ、お願いをしていいでしょうか」
 涙を流して話す霧依に、正光ももらい泣きをしそうになっていた。

 もう戦闘はなさそうだと判断し、猛流はハーモニカを取り出す。近くにいたスピネルと凛はその調べに聞き入る。
「綺麗な音だけど‥‥ちょっと寂しいね」
「ですねえ」
 前橋の空に、死者を悼むように、哀切な音色が響いた。

「ドクサは魔界に引っ込む! 二度とこっちには来ない! 誓ったっていい!」
「全然やる気ねーじゃんあいつ。戦う気も失せるっての」
 必死に言い立てるドクサに、将は萎える。彼の喜びは自分より上の者を倒すことにあるのだ。
「うん、手出しはしないわ」
 ナナシが落ち着いた態度で言う。先ほどみじめな顔をしていたトゥラハウスとの、あまりにもあまりな差。
「同じ姿でも、やっぱ全然違うな‥‥」
「何か言った?」
「べぇっつに。で何、取引? ドクサ手ぶらなんだけど」
「取引なんかじゃないわ。これは、友達としてのお願い、という話」
「友達ィ?! ふざけんな!」
 ドクサは吐き捨てるが、ナナシは微笑む。
「喧嘩友達程度には気に入ってるわよ」
 ふざけているわけではないと悟り、ドクサは渋々ながら話を続ける。
「‥‥何だよ、お願いって」
「あなたには、魔界で人間がただの獲物じゃないことを喧伝して欲しい。いつか冥魔と対等な交渉ができるように」
 ドクサの目が点になった。

 晩秋の蒼天に浮かぶ門は、作り手たちの意図はともかく、荘厳な趣を備えていた。
 そこへ飛んでいくドクサにナナシが明るく声を掛けた。
「ドクサー元気でね!!」
「二度とその面見せんな、バーカ!!」
 最後まで悪態をつきながら、ドクサは一度振り向きあっかんべーをする。
 そして背を向けると、思案顔をしながらゲートの中へ消えていった。



【県庁強襲】 担当マスター:茶務夏








推奨環境:Internet Explorer7, FireFox3.6以上のブラウザ