県庁の北に位置するドームの中で、撃退士たちが忙しなく作業に取り組んでいた。
「こんな感じでいいのかしら?」
「はい、出来ればもっと深く掘りたいところですが‥‥。時間も限られている以上、仕方がありません」
額を拭いながら声をかけてきた御堂 龍太(jb0849)に、日下部 司(jb5638)は頷きを返す。
龍太が掘りあげたものと同じような穴が、他にも何箇所かに掘られていた。
ここにアバドンをおびき寄せて、落とすのである。
また他方では、用具室に残されていた資材を組み上げてバリケードも作られていた。神喰 茜(ja0200)はパイプ椅子をバリケードのてっぺんに放り投げるようにして置く。
「話に聞いた限りじゃ、アバドンの攻撃を止める役には立たなさそうじゃない?」
「防御用じゃなくて、身を隠すためのものだから、これでいいよ」
答えたのはソフィア・ヴァレッティ(ja1133)。バリケードはあくまでも初手を有利に運ぶためのものなのだ。
「下手な小細工は通用しないだろうけど、奇襲くらいはね」
「よしっと。こっちの穴は準備オーケーだ」
「このシートはもう少し離した方がいいか‥‥そっちを持ってくれ」
準備の出来た穴には、叶 心理(ja0625)や戸蔵 悠市 (jb5251)らの手によってグリーンのシートがかぶせられていく。さらにカモフラージュとして、穴のないところにもいくらかシートはかぶせられた。
「久々の大物ね! 相手にとって不足はないわ!」
雪室 チルル(ja0220)は作業を終えると満足そうに一つ息をつき、暴将が侵入してくると思われる方角を見定めて目を輝かせている。その奥では舞鶴 鞠萌(jb5724)とRehni Nam(ja5283)もまた、準備を整えて今は見えないその姿を待ち受けていた。
「悪い悪魔は嫌いです。だから“私”は此処で悲しみを終わらせます。止めてみせます」
「はいですよ、マリモちゃん。一緒に頑張るのです!」
すでに光纏した鞠萌に、Rehniはにっこりと笑顔を作ってみせる。
準備のほとんどが終わり、ドームの中は静けさが漂った。
ここが敵地であることが信じられなくなりそうな静謐は、誰もが感じる緊張によって作り出されていた。つまり、戦いへの予感だ。
落ち掛けた沈黙を破り、光信機から暮居 凪(ja0503)の声が響く。
『予定通り、来ているわ。‥‥気をつけてね』
戦いへの予感は激戦への確信へと変わった。全員が手を止めて所定の位置に散らばる。
「暴将アバドンに効くかどうかは分かりませんが、暗黒破砕拳を使わざるを得ないですね!」
袋井 雅人(jb1469)は沸き上がる興奮を抑えきれないと言った様子で拳を合わせる。
「各員の健闘を祈ります!」
そして、暴将を待ち受けた。
●
ドームの外にいる撃退士たちは、中の彼らよりも先にその姿を目にすることになる。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
ただ破壊の衝動に突き動かされ、『敵』と認識したものを撃滅せんと突撃してくる暴将──アバドンの姿を。
それはただの人が見たなら、逃げることすら忘れるほどの恐怖と絶望を与えうるものだ。だが、この場の撃退士に逃げだそうとするものなどはいなかった。皆、覚悟を決めているのだ。
「ふはははは! 本当に強そうな牛だな! 今夜はステーキね!」
──といっても、Unknown(jb7615)ほど軽いノリのものもやはり他にはいなかったが。
「今日も俺より強い奴に会いに来た‥‥何故ならザコキャラだから!」
闇の翼で中空に浮かび、愉しげに声を上げている。そのままだったら突進するアバドンに弾き飛ばされて終わり、となるところだったが、さすがに彼もそのつもりはないらしい。ニヤリと口角をつり上げたまま、ハイドアンドシークで静かにその場から気配を消した。
アバドンを狙撃した堕天使たちが、あとを頼むと声をかけて離脱する。残していくのは怒りの暴将だ。
天風 静流(ja0373)が最大距離から攻撃を放ち、アバドンの目を向けさせる。狂気の書から放たれた黒の波動を払おうともせず、暴将の目がギョロリと動く。
その視界に、ミズカ・カゲツ(jb5543)は敢えて侵入する。
斜め前に立って見せるだけで、暴将は彼女へ向かった。行きがけの駄賃に圧し潰し、喰らおうと、その華奢な身体へ腕を伸ばす。
腕は予想以上に早く伸びてヒヤリとしたが、ミズカは縮地の力で後方へと飛ぶように駆け、そこから逃れる。
「文字通り一瞬の気の緩みが命取りになる、と言う所でしょうか」
静流や桐ケ作真亜子(jb7709)が攻撃を加えつつ、アバドンをドームの入場口へ誘導していく。ミズカは一足先に飛び込んだ。
アバドンは一直線に向かってくる。
「──入るぞ!」
限界まで引きつけて、静流が叫ぶ。誘導に関わっていたものたちが一斉に入場口へ飛び込む。
誰かが阻霊符を発動していたため、暴将はそのままドームの外壁に突っ込んだ。壁が破砕されて瓦礫が散り、アバドンは一度足を止める。だがまるでダメージを受けた様子もなかった。
砕かれた壁から土煙が上がる中、アバドンは顔を上げた。
「ニンゲン‥‥ニンゲン‥‥!」
ドームをまるで人間を喰らうことを邪魔する存在であるかのように憎々しげに見つめる中。
頭上から、何かが飛び降りてきた。逆手にされた剣とともに。
剣先はアバドンの首に突き刺さった。体液が飛び散り、アバドンは突然の痛みに咆哮する。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
「アバドン! 私のことを覚えているか?」
その首に降り立ち、剣の柄を握っているのは山里赤薔薇(jb4090)だった。先日の戦いで重傷を負わされた彼女は、怒りの形相で暴将へと訴える。
「今日は仲間も沢山いる! 今ここで必ず討ち滅ぼす!」
アバドンは赤薔薇に応えることはなかった。ただ鬱陶しげに頭を振ると、再びドームの外壁へ突撃したのだ。
ガシャンと派手な音がして、壁がぼろぼろと崩れ落ちる。当然赤薔薇にも破片がいくつも打ち当たったが、彼女は剣を離さない。
「死ね、死ね! 貴様が死なないと、また大勢の人たちが色んな物を奪われる!」
苛烈なまでに敵意を剥き出しに、体のあちこちから血を流しながら暴将へと食らいつく。
強い意志は尽きることはなかったが、体はそうはいかなかった。アバドンがさらにドーム内に侵入しようと壁に突撃を加えると、剣が離れ、赤薔薇は破片のつぶてを浴びながら地面に落とされた。
『ドームの外で負傷者一名。重傷みたいね。誰か救助に回れる?』
「それなら、私が」
凪からの通信が入り、イシュタル(jb2619)が答えた。先の戦闘の傷が癒えていない彼女は、どのみち戦闘には耐えられない。
「その分、他の役目くらいは果たさないといけないわね‥‥」
イシュタルがドームの外へと向かった直後。また建物が揺れた。
「‥‥来るぞ!」
誰とも無く声が上がり、全員が身構える。入場口の上方にある観客席に亀裂が入り、盛り上がる。
悪魔の腕がまず一本、コンクリートをまき散らしながら突き上げられ。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!! ニンゲン、ニンゲンン!!!」
荒ぶる暴将が、姿を現した。
●
アバドンは観客席を左右の腕と体躯で掻き分けながら全身を露わにした。暴将の前ではドームの外壁はまるで発泡スチロールか何かで出来ているようにしか見えない。
「うわぁ‥‥実際に見ると想像以上にぶっ飛んでるね」
茜はその様子を眺めて薄ら笑う。だが呆れるばかりではない。
「まぁ、だからこそ斬り甲斐がある‥‥!」
すでに顕現している刀の柄を握り、笑みを浮かべたまま暴将を見据える。
「獲物としては上等‥‥狩って差し上げましょう」
その後ろでは沙 月子(ja1773)がやはり微笑みを浮かべている。ただし、少々妖しげに舌なめずりを加えていた。
「前回は、追われる立場だった」
司は厳しい戦いとなった先日の依頼を思い返す。
「だけど、今回は俺達が打って出る番だ。例え、個では劣っていても仲間たちと一緒なら絶対にやり遂げられる!」
力強く言い切ると、ランスの切っ先を暴将へと向け、大地を強く踏みしめた。
「ほらほら、あたいはこっちよ! かかってこーい!」
再び動き出そうとするアバドンに呼びかけたのはチルルだ。用意した拡声器で遠くから呼びかけると、ドーム内に声がわんわんと響いた。
「そして私はここだ! ふはははは!」
さらに気配を消していたUnknownがアバドンの頭上に姿を現す。おちょくるように挑発すると、アバドンは喉の奥でうなり声をあげる。
「障害物で標的の進路を妨害する程度の知恵はあるようだ‥‥囮と言えど油断は出来んな」
悠市は先の戦いで戦友から聞いた話を思い出し、気を引き締める。
そして、召喚獣を喚び出した。
「頼むぞ、スレイプニル」
黒の馬竜は応えて一声嘶くと、滑るように空を駆けてアバドンの前へと向かう。そして槍のようにとがった右腕でアバドンを斬りつけた。
「よし、下がれ!」
悠市の声を聞くよりも早く、スレイプニルは身を翻した。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
いくつかの敵の姿を認識し、暴将がはじけるように飛び出す。Unknownの消えた上空へと腕を振るい、スレイプニルを追い、チルルへと咆哮を浴びせる。
アバドンは足下を気にする様子はない。しかし巨大な暴将を、二メートル四方の罠へ導くのはなかなか大変だった。長谷川アレクサンドラみずほ(jb4139)なども加わって誘導するが、アバドンは最初の穴を避けて通ってしまう。
罠に落ちる前にバリケードを破壊されてはたまらない。チルルは別の穴に誘導しようと声を張りながら駆ける。アバドンからつかず離れずの位置にいたスレイプニルが続こうとした。
だが射程をかすめた一瞬を暴将は見逃さなかった。腕が薙ぎ払われ、馬竜がフィールドに叩きつけられる。
「ぐあっ‥‥!」
それは悠市が地面に叩きつけられるのと同じ事だった。後方にいた彼は激しい衝撃に膝を突く。
しかしすぐ側には御堂・玲獅(ja0388)がいて、即座に彼を癒した。
「大丈夫ですか?」
「ああ、何とかな‥‥」
その間にも、アバドンは敵を求める。今度の狙いはチルルだ。身を沈め、突撃姿勢となって一直線に彼女を目指す。
だがそれこそがチルルの──ここにいる全員の思惑通りだった。
勢いに乗ろうとした一歩目が、グリーンのシートにかかる。何もない空白を、野太い足が踏み抜いた。
「やった! 今度はバッチリね!」
片足をとられ、アバドンが転倒する。チルルの拡声器越しの快哉がドームに響いた。
「今です!」
暴将は顔面を地面に叩きつけられた。そこへ司が号令する。
バリケードに身を潜めていたものたちが一斉に飛び出した。Rehniが巨体の中央を狙ってコメットを叩きつけたのを皮切りに、身構えていた後衛陣が集中攻撃を展開する。
「暴将と言えども、これならどうかな?」
杖の先端から光輝の弾丸を撃ち出しつつ、ソフィア。彼女のもの以外にも、アウルの力がいくつも戦いの力となって暴将の眼前ではじけた。
「そちらが暴力の塊ならこちらは数の暴力です」
楯清十郎(ja2990)は接近戦を挑む。正面ははずしながらも、果敢にカオスレートを引き上げて魔法を撃ち込む。島津・陸刀(ja0031)はいくらか距離をあけ、ロケットパンチの拳圧でアバドンの鼻面を『殴りつけた』。
(長いこと辛い想いをさせた人達がいる‥‥悲しい想いをした人達がいる‥‥)
稲葉 奈津(jb5860)は想う。長くこの地を取り戻せなかったことで傷ついた多くの人々を、早く暖かく包んであげたい、と。
「そのためにっ! ここで消えてもらうわよ!! アバドン!!」
全霊を込めた想いとともに、白熱したエネルギーを叩き込む。
(やはり、一度は試しておきたいですね)
月子は慎重に距離を測る。彼女の『咎釘』──束縛スキルを使用するには、それなりに接近しなければならない。しかしもし暴将の動きをさらに数秒でも抑え込めれば、かなりの有利になるはずだった。
「やるなら、今」
顔色が計れなくなるほど味方の攻撃に包まれているアバドンの上空にいくつもの釘が浮かび上がり、その体を幾重にも貫いた。
効果を見定めようと、身を乗り出す。
「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
そのとき暴将が吼えた。舐めるな、と言わんばかりに。
右腕が払われる。清十郎はスキルでカオスレートを消して受けたが、攻撃の勢いまでは捌ききれない。彼の様に接近していた何人かがまとめて払いとばされる。
さらに暴将は勢いよく穴から飛び出した。ダメージを受けていないのではとさえ感じさせる俊敏な動きで、月子の立つ辺りまで一気に詰め寄る。
「‥‥!」
左腕が振り払われる一瞬、黒い影が素早く割り込んで彼女を抱えた。
まとめて薙ぎ払われる。だが月子が受けたのは飛ばされた衝撃のみ。
フィールドの上を転がった彼女が起きあがって目に入ったのは、背中に大きな傷を作って倒れているUnknownの姿だった。
「やってくれましたね‥‥」
月子は微笑む。新たな感情を乗せてアバドンを見やった。
穴から抜け出たアバドンが力を落としている様子はまるでなかった。
「コメットが当たった筈なのに‥‥効いてないのです?」
Rehniは首を傾げる。彼女が落とした隕石の礫は、確かにその巨体を、頭や背中の部分を捉えていたはずだった。
先の戦闘では、状態異常が効いたらしき報告もあったが、何かの間違いだったのだろうか? しかしそのことを深く考察する余裕はない。
チルルが再び果敢にアバドンの前に立ち、拡声器で呼び立てる。反響する声を嫌ってか、暴将はまたしても直線的に彼女を追う。チルルを追い立てる相手を、四方から後衛が撃つ格好だ。
「目潰しが効くとは思えねぇが、トラップの成功率を上げねぇとな」
心理は突進を受けないよう注意しながら斜め前に立ち、顔面を狙って射撃している。
久遠 仁刀(ja2464)は迫る敵の斜め正面に立ち、機会を伺っていた。
(一度受けたからこそ分かる、あれとはまともに打ち合えない)
どれほど熟練の撃退士といえども、よくて数発、下手を打てば一発で落とされかねない暴力。
だからこそ、彼は飛び込まず、効果的な一撃を狙える瞬間を待っていたのだ。
「受けろ、暴将!」
裂帛の気合いを込めて武器を振るう。刀身に帯びたオーラがそのまま切っ先となって伸びて、アバドンの顎を下から叩いた。
斬られた場所に新たな傷が生まれ、体液が吹き出したが、暴将は勢いを落とさず先へ進む。だが直後に踏み出した足が一歩分左に流れた。
そこはまたしても穴の設置された場所だった。アバドンは今度は横倒しにさせられる。先ほどよりも無様に、深く。
「──此度で三度目。死ぬつもりはありませんが、命は賭けましょう」
マキナ・ベルヴェルク(ja0067)がここは一番にアバドンに接近し、素早く一撃を叩きつける。
「すげーな、まるで闘牛みてー」
見たままの感想を漏らしながら、野崎 杏里(ja0065)も刀を手に迫る。彼女はアバドンの眼前に立つと跳躍し、その巨大な角を狙って払った。
「図体がでかくても、脳を揺らしてやればッ!」
さらに着地後、今度は顎を叩く。対角線をつくことで威力を増す狙いだが、果たして効果はあるのか。
彼女と入れ替わるようにして、今度は茜だ。
「固そうな皮膚だね‥‥なら!」
振り抜いた刀から生じた衝撃波は、僅かに開かれた暴将の口に飛び込み、口中を切り裂く。
剥き出しにされた牙は人間の皮膚を易々と斬り裂くだろう。静流はギラリと並ぶそれの前に立ちながら、恐れず気を練り上げる。
頭部へ向けて、ひらめく連撃。出来るだけ同じ箇所を狙って、一撃、二撃、三撃──。
「砕けぬなら砕けるまでやるだけさ。躊躇わずに‥‥だ」
赤黒い皮膚がはじけて、体液が飛び散る。まだ御しきれぬ大技を、骨をも砕けよとばかりに振るう。
暴将の全身に、撃退士たちの攻撃がいくつも叩きつけられ、降り注いではじけた。だがその巨体に決定的な負傷はまだ見られない。
「メンドクサイ敵だな」
中村 巧(jb6167)はその様子をごく端的に評した。確かにその通りだ。ちなみにそれをふまえた彼の感想もまた端的なものである。
「でもなんとかなるか」
顔面、特に目を狙って剣を振るう。その刃先からもまた光が迸ってアバドンへと伸びていく。
後方では心理が力を練っていた。
「こいつで‥‥どうだ!」
蒼き光を纏った口伝の一矢が、やはりアバドンの顔へ。
「さあいきますよ、暴将アバドン!」
そして雅人は敵の正面へ躍り出ると、口上も高らかに拳を振りかぶった。
「一切の迷いを捨て放つは全てを破砕する一撃! 暗黒破砕拳!!」
いくつものアウルが混ぜこぜになって暴将の顔を一点、叩く。
アバドンの右目がそれで、潰れた。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!」
此度のアバドンの咆哮は、痛みか、怒りか。
「や、やりまし──っ!?」
雅人が言いかけ、しかし成果を確認する間もなく突風の様にぶつかってきた腕に弾き飛ばされた。
アバドンの攻撃はそれで終わらず、がむしゃらに両腕と尾を振り回して雅人のみならず周囲にいた撃退士を一掃する。
「くっ‥‥」
「大丈夫? フォローするから一旦後方へ下がって!」
膝をつきかけた司に鳳 覚羅(ja0562)が声をかける。彼は怒りにまかせて吼える暴将を冷や汗混じりに見上げた。
「知性の欠片も無さそうだけどあの巨体でこの攻撃能力‥‥受けたら終わりだね」
そう、暴将には知性と呼べるものがなかった。もしそれを持っていたなら、あるいは補うものがあったなら、こうまで易々とトラップにかかり、消えない傷を負わされることもなかっただろう。
トゥラハウスは駒を用意はしていた。だがそれは暴将には届かなかったのだ。
●
暴将アバドンがドームに迫ったとき、その威容を目の当たりにしながらも、祁答院 久慈(jb1068)は別の場所に目をやっていた。
「力を活かす頭脳。必要でいて良いサポートだね」
そのように考えていたからだ。
かくして、迫り来る暴将のだいぶ後ろに、それは見えた。小さな人影。もっとも、小さく見えるのは暴将が巨大であるからだが。
「予想通りだ。僕たちは、あれを抑えよう」
背後を振り返る。そこには彼が信頼する仲間たちがいて、彼に頷きを返してくれた。
「私は私の仕事をするまで」
「ああ‥‥皆だけを危険な場所に置くことは出来ない」
宮鷺カヅキ(ja1962)は淡々と言ったが、リコリス=ワグテール(jb4194)が続いたことに少し眉根を寄せた。
「あんまり無理しちゃダメよ? ただでさえ抱え込みすぎるんだから」
彼女の気持ちはRufa=Klauwell(jb2181)が代弁してくれた。
彼らをはじめとした数人が、暴将の進行ルートから静かに外れる。暴将は気にせずに、ドームの外壁に向かって突っ込んでいく。
少し遅れて、全力で暴将を追いかけるもの。一人だ。ディアボロではないだろう。
だが相手が何者であっても、久慈が予想したような力を持っているものであるならここで止めるのが最善だ。
「ここをお通しするわけには参りません」
カヅキが滑るようにして男──トゥラハウスの使い魔の前に立つ。使い魔は吐き捨てるように言った。
「どけ、人間。邪魔をしないのなら見逃してやる」
「悪いけど、そうはいかないよ」
黒の甲冑に全身を包んだ天羽 伊都(jb2199)が進み出て、威圧するように。
「君にはここで死んでもらえると、いろいろとメリットがあるからね。通りたきゃ命を置いてきな!」
「相手は群馬の総大将、勝てる相手とは思えねェが、やられっぱなしで黙ってるほどには根性腐っても無ェんでね」
さりげなく使い魔の背後に回るのは、マクシミオ・アレクサンダー(ja2145)。
「つーわけで、まずはてめェからさね。心配ねえぜ、何回でも昇天させてやっからよォ‥‥あ、地獄送りの方が良いかィ?」
あんたの命が対価なら、何処までだって連れてってやらァ──マクシミオは眼帯に隠されていない左目を細めてニィと笑った。
使い魔は眼球を忙しなく動かした。舌打ちが聞こえる。「っ‥‥トゥラハウス様の‥‥こんなところで‥‥」
その言葉の真意を問う必要はない。メンバーは一斉に攻撃を開始した。
「やああっ!」
伊都が大剣を振りかぶって斬りかかる。使い魔はそれを受け、いなしたが、圧力を受けて後方へと下がる。
「おっと、どこへも行かさんぜ」
だがそこにはマクシミオがいて、白銀の穂先を突き出した。
カヅキとRufaは距離をとって展開し、十字の射撃を浴びせる。使い魔が忌々しげに顔を歪めた。その視線が上空へ向く。
「!」
久慈がすかさず追撃したが、相手はそれを躱すと瞬時に翼を顕現し、上空へと飛び上がる。
「貴様等の相手などしていられるか!」
「いいや、してもらわねばな」
声はさらに上空から聞こえた。と同時に不可視の弾丸によって腹部を抉られ、使い魔は敢えなく地面に落下する。
空を抑えていたのはテス=エイキャトルス(jb4109)。達観した笑みを浮かべて使い魔を見下ろす。
「先へは行かせんぞ、小童」
「『はぐれ』めが‥‥!」
使い魔は呻いたが、素早く目標を変更した。まず右腕から電撃を放ち、マクシミオを怯ませる。
「うォッ」
さらに左腕を伸ばして伊都に向けた。前後を囲む二人を一時的にでも排除して強引に突破しようというのだ。
だがその伸ばされた手元で弾丸が爆ぜ、電撃は伊都を捉えなかった。
「微力でも‥‥邪魔にはなるだろう?」
リコリスが拳銃を構えたまま、呟くように言う。
そのころには、アバドンの姿はドームの中に消えていた。使い魔は地団駄を踏んだ。
「貴様等、キサマラッ、貴様らぁああっ!!」
その後も、使い魔は隙を見ては囲みを突破しようとした。彼が覚悟を決めてその場にいるものを殲滅しようとしたならば、此方の被害も大きくなったかもしれない、彼もまた悪魔なのだから。
だが彼はそうしなかった。トゥラハウスの使い魔として忠実に使命に従うことを至上としてきた彼にとって、「アバドンを補佐しろ」という命令こそが絶対であり、何物にも優先される事項だったのだ。
「があああっ!」
苛立つ使い魔が髪を振り乱して吼える。顔面には血が張り付いている。
「だいぶ弱ってきたんじゃない?」
「ああ、このままここで‥‥!」
Rufaの言葉に久慈は頷いた。敵の表情には必死さが見て取れる一方で、動きは徐々に鈍くなっている。
使い魔がまた飛んだ。テスが抑えているドームの方角とは逆へ。回り込もうとしたのか、撤退しようとしたのか。
いずれにしても、それは失敗した。数メートルと上昇しないうちにカヅキの弾丸を受けて動きを止める。
「逃がしゃしねェよ!」
マクシミオが腕を伸ばし、槍の穂先で使い魔を捉えた。そのまま引き戻し、地面に叩きつける。
最後は、伊都。倒れ込んだ使い魔の胸元、そこを狙いとして。
「これで──」
チェックメイト、だ。
「こ、こんな‥‥こんなトコロ、でッ‥‥」
血の海に塗れて、使い魔は悔しげに言葉を吐いた。合間合間で赤い泡を吹きながら。
「ト、トゥラハウス、様、がはっ‥‥申し訳、ござい──」
謝罪の言葉すら吐き出しきれず、使い魔はその場で息絶えた。
「あとは、中だが‥‥」
その死を確認したあと、リコリスはドームを顧みる。引き剥がしに成功したとはいえ、暴将はそれ単体で恐るべき力を誇るのだ。
ドーム内にいるイシュタルと定期連絡を行っている久慈が仲間に告げた。
「連絡は続いてる。──ただ状況は楽観できるレベルじゃ無いみたいだね」
「なら、もう一働きしねェとな」
マクシミオの言葉に皆頷き、休息もとらずに駆けだした。
「壊すしかないのなら、それは既に災害だ。命ではない」
ただ一人、テスは余裕のある微笑みを浮かべたまま。
「故、災害ならば乗り越えてみせよ、人の子よ」
誰にも聞こえぬ言葉を贈ってから、歩き出した。
●
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!!」
怒りにまかせて力を振るう暴将はスタンドの壁を削り取りながら動き回り、そのたびに撃退士に手痛い負傷を与えていた。
何度目かの突撃は、ミズカが抜刀の衝撃を与えた直後だった。それまで巧みに暴将の突撃を躱してきた彼女だったが、ついにそうしきれずに、細い身体が大きく宙を舞った。
「ミズカちゃん!」
地面に叩きつけられた彼女のもとへ深森 木葉(jb1711)が駆けつけるが、ミズカは目を覚まさない。木葉は暴将を見上げた。
「ねえ。こんなひどいことはやめて、お家に帰ってよ‥‥」
訴えの返事は暴力でしかない。また腕が払われて、前線の味方が飛ばされる。木葉の目の前には、奈津がごろごろと転がってきた。
回復しようとするが、奈津は首を振って起きあがる。
「私よりも攻撃力の高い仲間を、お願い。私はあなたや、彼らを、この身に代えても護ってみせるから!」
体に傷を刻んだまま、正面を向く。木葉の返事は待たず、奈津は再びアバドンのもとへと向かった。
アバドンも今や無傷ではない。潰れた右目ばかりでなく、体のあちこちにそれと分かる痕があり、体液が流れている箇所もあった。それでも、暴将の勢いは衰えない。むしろ苛烈さを増していくかのようですらあった。
『白虹』を使い切った仁刀は、隙を見てその懐に飛び込んだ。さらなる痛撃を与えんと、剣の切っ先に乗せた光を暴将の喉元に叩きつける。皮膚が破れ、そこからも血とおぼしき体液が吹き出す。
だが直後、視界外から暴将の右手が飛んできて、仁刀を捉えた。弾き飛ばすのではなく、『掴み取った』。
「ぐあっ!?」
潰されんばかりに掴まれ、身動きもかなわず仁刀は呻く。だがそれも一瞬。彼は投げ飛ばされた。
「えっ‥‥」
猛スピードで投じられた仁刀はそのまま弾丸となった。その先にいた鞠萌は一瞬身を固めてしまう。だが衝突直前、Rehniが体を投げ出す。
仁刀を受け止めることは叶わなかった。弾かれてなお仁刀は勢いを減じきれずにスタンドの壁に激突する。
「れ、レフニーさん!」
彼女の体は、庇われる格好になった鞠萌が受け止めた。だがRehniも痛みに顔を歪めた表情のまま、動かない。
「よくも‥‥よくも!」
鞠萌はRehniをそっと寝かせると、アバドンを強く睨みつけた。
アバドンが片目をギョロリと動かす。
「っと、目が合っちまったか」
陸刀は自分が次に狙われることを察した。
すでに戦闘不能となっているものは少なくない。前線の人数は減ってきていた。陸刀は覚悟を決め、周りに告げた。
「25秒もたせる。‥‥その間に何とか、な」
同意を得る間もなく、暴将が向かってくる。陸刀は白火を宿した右手で心臓をドンと叩き、髪を白に染めてそれを待ち受けた。
「ぐおっ‥‥!」
真っ正面から受け止める。鼻面にしがみついて勢いを止めようとするが、一人では如何ともしがたい。
影野 明日香(jb3801)は当初一歩引いた位置で味方の回復に当たっていたが、ここへ来て前に上がった。陸刀の隣に並び、緊急活性したワイヤーで自身と暴将をつなぐと、相手を止めるべく両足を踏ん張った。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
二人を圧しきろうとしてアバドンは吼える。明日香は負けじと声を返した。
「倒れないわよ。人であり、撃退士であり、姉である私は、ここで倒れちゃいけないのよ」
そして後方へと、叫ぶ。
「人の意地を見せなさい。乗り越えるべき壁がここにあるのだから!」
その言葉に、満身創痍の彼らは奮起した。杏里がまた飛び上がり、アバドンの角を叩く。間髪入れずに、アバドンの直近に迫っていた清十郎が杖先で顎を殴りつけた。
「ゴアッ‥‥」
アバドンが、止まった。
罠に落ちたのではなく、撃退士が止めたのだ。
「よもや生きて帰れる等とは思っておらぬであろうな、賊が!!」
最大の好機に、フィオナ・ボールドウィン(ja2611)が飛び出す。アバドンの側面に立ち、『円卓の武威』を起動する。
普段ならばいくつもの魔力球を浮かび上がらせるその技が、彼女の背後にただ一つ、巨大な壁のごとき魔力の塊を形成する。仁王立ちの彼女の怒りがそうさせたのだ。
「我を喰らおうなどという愚行‥‥死をもって詫びろ!」
射出された武器はアバドンの右脚に殺到し、肉を抉る。
「今だ‥‥!」
さらに覚羅が肉薄し、抉られた傷口のさらに奥を狙う。人の肉体の部位で言えば、アキレス腱だ。
斬りつけ、斬り裂く。固い感触に負けじとアウルを込めると、後方からも援護の攻撃が着弾した。
それらが全て止み、覚羅が刀身をアバドンの肉体から引き抜くと──。
「ガ、ア、アアアッ──」
立ち上がろうとして、よろめく。暴将は、ドスンと膝を突いた。
撃退士たちの間に、いける、という感覚が芽生える。暴将アバドンといえど、これだけの攻撃を浴びれば、無敵ではない──。
「ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
否。認めぬ。断じて認めぬ。
暴将のプライドを乗せた咆哮がドームに響きわたる。左腕で陸刀、杏里らを排除すると、両翼を広げた。
「いけないっ」
清十郎が飛びかかって翼を打つが、それだけでは暴将は止まらない。振り落とされて、フィールドに叩きつけられる。
脚を破壊された暴将は、飛び上がった。スタンドの壁を突き崩しながら高度を上げ、ドームの天井付近まで上昇する。細かな姿勢制御などは出来ないらしく、度々ぶつかっては瓦礫を散らした。ドームの天井を支えているワイヤーも何本かちぎれる。
「何とかしないと、建物がもたないかもね」
ソフィアが見上げ、アバドンを狙って射撃する。射程のあるものはとにかく全員、そうするしかない。
アバドンはしばらく上空を飛び回った後、一気に高度を落として突撃してきた。衝撃波がバリケードを吹き飛ばし、撃退士を薙ぎ倒す。
「やられるかぁ! 死んでも帰るんだよ、待っている人の場所に!」
「そうよ! 皆頑張ってるのに、こんなところで死んでなんかいられねぇってのよぉ!」
鞠萌が、龍太が叫ぶ。昂ぶる想いをアウルに乗せて、アバドンへの射撃を続ける。
「絶対に負けないよ」
巧もまた、軋む体にむち打って立ち上がる。前に立てる人間はもう多くはない。もっとも、今の状況では前衛も後衛もさほど関係はなくなってきていた。
「これは‥‥結構キてるねェ」
崩れた入場口からマクシミオら使い魔の対応に当たっていたものたちが入ってきたのはこのタイミングだった。
「すぐに援護に入りましょう」
カヅキが言い、メンバーに合流する。久慈は冷静にアバドンを見上げた。
「だけど‥‥もう少しなんじゃないのかな?」
暴将はあきらかに正常な状態ではない。それは傷を負わされた怒り、そればかりではない。
追いつめられているのだ。暴将自身が。
こちらの被害も甚大だ。だが全滅はしていない。牙はまだ残っている。
「スリルのある戦いだけれど‥‥そろそろ終わりにしたいところですね」
月子が言った。アバドンはなおも方々にぶつかって瓦礫を作り出しながら、次の突撃の機会を狙っている。
「でしたら、私が──援護を頼みます」
マキナは暴将を見上げながら、仲間たちから離れゆく。自分を狙えとばかりに強い視線を送った。
かくして、暴将は彼女を見た。降りてくる。
と、横に並ぶものがあった。
「でかい図体で飛び回られて鬱陶しい」
「──これを、最後に」
マキナはフィオナと並び立ったまま、自らの光纏を黄金へと変質させた。
アバドンが上空から降りてくる。
「撃て、撃て、撃て!」
誰ともなしに叫び、持ちうる限りの攻撃手段がアバドンを撃ち抜く。翼に穴があき、顔の肉が抉れる。
「──ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「我々の世界に土足で踏み込む不届きものが、そろそろ沈め!」
フィオナは円卓の武威で迎え撃つ。放たれた武器がアバドンの翼を斬り裂き、さらに後方からの追撃で片翼がついに千切れた。
「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああアアア!!!!!」
アバドンは錐揉み回転しながらも、右腕を突き出した。眼前の敵を喰い破る。その意思はここにおいても明確だった。
マキナは無言。刹那の時に全てを込めるべく、待ち受けて。
突き出された右腕を最低限の動きで躱し、持てる力を全て解き放つ。
アバドンは、彼女らを巻き込んで墜落した。
●
「どう、なったんだ?」
もうもうと湧き立つ土煙に顔をしかめながら、心理は状況を把握しようとする。
アバドンは、その巨体をフィールドに伏していた。一歩、二歩、近づく。動かない。
「勝った‥‥の?」
龍太もまた呆然と呟いた。暴将の咆哮と破壊の音が止んで、その言葉は不自然なほど響きわたる。
「勝っ──」
鞠萌が声を上げようとしたとき、背後で大きな音が響いた。
慌てて振り返るが、それはもちろんアバドンが起こした音ではない。天井から資材が剥がれ落ちて、観客席を砕いたのだ。
「あら‥‥まずいですね」
月子がどこかのんびりした口調で言う。最後にアバドンが暴れ回ったせいで、ドームはもはや限界を迎えていたのだ。
「皆さん、こちらへ!」
玲獅が声を響かせる。いざというときの退路は彼女が確保していた。
動けないものたちをそれぞれに背負い、抱えて、皆が彼女に従う。心理はアバドンのもっとも近くで倒れているマキナのもとに駆け寄り、動かない彼女を抱え上げる。
そのときアバドンの目を見ようとしたが、それは潰れている右目側だったので表情を伺うことはできなかった。
「お早く‥‥もうもちません!」
「ああ、すぐ行くぜ!」
心理は玲獅に返事を投げると、出口に向かった。
一行がドームから出て少しも行かないうちに、轟音は耳を覆わんばかりのものになった。ドームの天井がいよいよ崩れ始めたのだ。
暴将アバドンをそこに残したまま、ドームが崩壊していく。
「やった‥‥んですよね?」
その光景を見ながら、Rehniを背負った鞠萌が遠慮がちに呟いた。
「アバドンに‥‥」
「勝った、ね」
ソフィアがそう言った。咎めるものはなかった。
それでようやく、撃退士たちは勝利の歓声を上げたのだ。
『ドームの崩壊を確認したわ。そちらの状況は?』
光信機から凪の声が響く。イシュタルがそれに応えた。
「けが人は多いけど、死者はいないわ。アバドンは、私たちが」
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
声を遮る咆哮が、響いた。
直後、ドーム跡を覆う瓦礫が盛り上がる。最初に見えたのは、左腕。
「嘘だろ‥‥?」
誰かの呟きが虚ろに響く。だが暴将アバドンは、瓦礫を押し分けて確かに姿を現した。
角は折れ、顔の肉は抉れて骨が露出し、右腕は無惨に砕けていたが、それでも暴将はそこにいた。片翼だけで不自然に浮き上がり、撃退士たちの方を向く。潰れていなかったはずの左目からも大量に体液が流れ出し、もはや見えているのかも定かではない。
「ニン‥‥ゲン‥‥、ニンゲン‥‥!」
アバドンはドーム跡から飛び上がった。
「‥‥! ダメよ、逃がしちゃ!」
龍太が咄嗟に叫んだが、アバドンはこの期に及んでも、その選択をしなかった。暴将は撃退士たちの方へ向かって飛んだのだ。
大きく蛇行しながらも、撃退士たちの前に降り立ったアバドンは、左腕を振りかぶる。そこへ、いくつものアウルの光がたたき込まれた。
「お願い‥‥、もう、来ないで‥‥!」
木葉が最後に放った一撃が、アバドンの左手に当たった。暴将は大きくバランスを崩す。
「ニン‥‥ゲン‥‥!」
そして、そのまま前のめりに倒れた。ズシンと大きな音が、撃退士たちを揺らす。
「今度は、どうだ‥‥?」
皆疲労の色の濃いままに、しかし油断は出来なかった。注意深く囲んで、そのまま数分。
暴将が再び動き出すことは、ついになかった。
「やっ、た‥‥!」
「やったの?」
「やったみたいですね」
「やったわね!」
今度こそ、彼らは心からの歓声を上げる。
暴将アバドン、討ち取ったり。
●
『南にはこちらの戦果を伝えたわ。皆、お疲れさま』
「さて、あとは‥‥」
「本命がどうなるか、だね」
群馬の総大将たるアバドンを撃破したことは大きな戦果だ。だが肝心の場所はまだ残っている。
そこを叩いて初めて、『この地を奪還した』と言えるのだ。
南にそびえる県庁を、誰ともなしに皆が見た。
あとは、待つばかりだ。
【暴将討伐】 担当マスター:嶋本圭太郎