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■エピローグ
「不測の事態ばかり起こる」
 大塔寺源九郎はその思いを噛み締めていた。南への光信機は、ついぞ繋がらなかった。受信側が全員死んでいたのだから繋がる訳もない。
 結果から述べるなら、ダレス・エルサメク率いる京都天界軍と、鬼島武率いる京都奪還部隊の激突は僅かに京都奪還部隊に軍配が上がった――否、あるいは、勝利などではなく痛み分けそのものである、と評する者もいた。中には敗北だ、と言い切った者もいた。
 結局の所、ダレス・エルサメクの首とサーバント達の首と北要塞と北西要塞、それらと、鬼島武の首と親衛隊員達の首どちらが戦略的に価値が重かったか、だろう――京都代将たる大天使と京都奪還部隊司令兼親衛隊長兼学園生徒会副会長のどちらが重かったか――
 源九郎は思う。
 嫌な予感がする、とは確かに言った。
 だがまさかこんな事態になろうとは。
 予想を上回る大戦果と共に予想を上回る大損害。
 大塔寺源九郎という青年は、滅多な事では頭を抱えはしなかったが、今回ばかりは頭を抱えたくなった。
 が、こんな時に限って頼りになる男はいない。死んだからだ。鬼島武は死んだ。だからこそのこの混乱なのだが。
「――僕が生き残ったか」
 状況的に言えば、死んでいたのは源九郎の方でもおかしくなかった。北の後衛部隊が負けていれば、そうなっていた筈だ。
 夜空を見上げていた青年だったが、やや経ってから一つ息を吐くと眼鏡をかけ直した。
 その時には既に、青年は常の表情に戻っていた。
「生き残ったからには仕方ないね。人の道では越えてゆけないなら、人の外の道を使うしかないか」
 呟き、青年は南へと歩いて行った。


 久遠ヶ原学園生徒会室。
「なぁ、茜ちゃん、大動員令をかけるべきやって言うたらどうする?」
 大鳥南が問いかけた。
「皺寄せ、という言葉があります。どこも人手は足りていません。西でも北でも天魔との前線は言うに及ばず、ゲート支配から解放された地でも、復興や残党討伐の為に人員は必要とされています。大動員令をかけるというのは、無理を言って各地からその人員を抽出してまとまった戦力を捻出する訳ですから、衝動で発して良いものではありません、と答えます」
 神楽坂茜は無表情で答えた。
「大動員令は、多くの人達を動かして、その生死を賭けさせる訳ですから、利益、損益、勝算、様々な事を勘案した上で、それでも全体にとって行う価値があると判断された時にこそ発せられる物です。判断は公平に行わなければなりません。私情は敵と思え生徒会役員」
「……そーやったな。模範的な回答ありがと会長。愚問やったわ。茜ちゃんは、やっぱり茜ちゃんやなぁ」
 南は薄く笑った。
「それは勿論、私が神楽坂茜ですから」
 茜は視線を逸らしながらやさぐれたように口端を吊り上げた。
「薄情と罵ってもらって結構ですよ」
「上のヒステリーに付き合わせて関係無い連中を無駄死にさせる奴のが薄情や、って言うて欲しいんかアホンダラ。応援は最低限か?」
「南ちゃんはやーさーしー、泣きそうです。どうすべきかと問いかけたら、貴女だってそう答えるでしょう?」
「マジ泣きは止めてな。まぁな、あたしら役員やし」
 大鳥南は頭を落とし、神楽坂茜は天井を見上げ、二人の少女は溜息をついた。
「……とりあえず、人間性は斬り殺しておきましょう。泣くのも喚くのも後で良い。先にすべき事があります」
「せやな。武さんが化けて出てきたらあの人もきっとそう言うわ。いや、やっぱ武さんなら言わへんかもしれへん。まぁ良い、で、どっから手ぇつける。穴、でかすぎるで、正直、途方に暮れる」
「そうですね、まず――」
 神楽坂茜が案を述べようとした時、通信機が着信の音を鳴らした。


「――ああ、そう、僕だ。うん、まぁ僕はなんとか生きてるよ、有難う」
 京都の南方、結界の外、源九郎は通信機を手にしていた。
「担当直入に言うと、大動員令を発して欲しい――あぁね、うん、それは解った上で言っている。だがね、公平にあらんとするあまり、反動で逆の方向に針を振ってしまうのも公平とは言わないんじゃないかな。考えても見てくれ聡明なる会長殿、ここまで押して退くはないだろうよ。要塞は総て陥落させたんだ。あとは東西南北の大収容所を陥落させれば市民を救出できる。おまけに敵はダレスが死んで総指揮官が不在。今がチャンスなんだ。なんでこれを見逃す?」
 青年は言う。
「こちらも鬼島さん達がいなくなって満足に身動きが取れないんじゃないかって? だから、そこを大動員令をかけて補うんじゃないか。大体、逆にもし万一ここで退いたらマスメディアは撃退士についてなんと報道すると思うかね? 引き分け? 敗北って言うに決まってるだろ。京都はかかってる期間が違う。それだけにその二文字を言わせてはならない。公は見放さないだろうけども、企業の幾つかには見放されてしまうんじゃないかなぁ。その時の久遠ヶ原の損害は想像もしたくないね僕は。だから、逆に、大動員令を出すべき時だよ今は。絶対に勝たなければならなくなった」
 青年は飄々といつもの調子で語る。
「――こちらが大戦力を集めれば、敵もそれに対応して大軍団を送り込んでくる? 大丈夫、敵は弱体化している。今千人単位で押せば必ず京都は奪還できるさ」
『では、ザインエルについては?』
 通信機越しに聞こえてくる女の声に青年は軽快に答えた。
「それは杞憂だよ。今の今まで動かなかった奴が、ここまで劣勢になってから戻ってくると思うかい? もう奴に京都ゲートを守る気なんてないのさ。僕は奴が戻って来る可能性は低いと見るね。ともかく、今がチャンスなんだ」
 源九郎は思う。鬼島武には多大な義理があった。だから彼なりにずっと誠実にやってきた。しかし、神楽坂茜に義理があるかと言えば――無くはないが、鬼島に対する程ではない。それを彼女は知らない。だから、源九郎の言葉を信じる。
『……勝算はあるんですか?』
「当然。僕が進んで負けるような勝負をやった事があったかい?」
 男は思う。
 京都は取り戻されなくてはならないのだ。流されてきた血にかけて。
 例え、ザインエルと正面激突するような事になったとしても。


 異界。天界と冥魔が凌ぎを削る戦線。
 ザインエルの配下ダレス・エルサメクが死亡したという報せは、その戦線を預かる老司令官の耳にも届いていた。
「司令殿」
 硬い具足の音を立てながら、透き通った石で造られたホールを一柱の若い天使が進んでくる。
 来ると思った、と玉座に腰掛ける老天使は胸中で呟いた。
「地球へと帰還する許しを戴きたい」
 偉丈夫ザインエルは真っ直ぐに切り出してきた。
「前も言ったと思うがな」
 この戦域は天界有利で進んでいるとはいえ、未だ敵の戦力は健在だった。そして、ここまで天界有利で進んでいるのはザインエルの働きによる所が大きい。彼がいなくなったら、また元の木阿弥になってしまう。
「こちらも逼迫しております故。いや既に遅きに過ぎました。しかし、だからといって戻らない訳にはいきませぬ。俺の帰りを待っている者どもがおるのです」
「眼前の悪魔どもは未だ撃破しきれておらん。組織的な抵抗力を保持しておる」
「では、眼前の悪魔どもを撃破しきれば良いのですな」
 老天使は沈黙した。
 何を馬鹿な、と思う。これだけの時間をかけても倒しきれていない相手なのだ。これを今日明日で片付けられる訳が無い。そんな馬鹿な事を強行しようとすれば、さしものザインエルとて無事で済む訳がない。最悪でなくとも普通に死ぬ。
 男の目を見る。
 緋色の瞳は刃の如き光を放っていた。
 本気だ。
「……待て、ザインエル、御主は多くの者達に未来を渇望されている男なのだぞ。こんな所で、そんな事で、無理を強行する必要があるのか」
「ここで命を賭けられない男の未来など高が知れている!」
 力天使が吼えた。
「……失礼、しかし、司令殿はそうは思われませぬか?」
「血気に逸るべきではない」
「ご理解いただけなかったのは残念です。では」
 世の中、止めても無駄な男達がいる。
 どうして奴等は危険と解っている領域に進んで飛び込んでゆくのか。
「…………若い!」
 去ってゆく大男の背中を眺めながら、老天使は溜息をつくのだった。



 終わりの始まりが終わり、その結果を受けて、人と天魔が動き始める。
 古都を目指して。
 京都を巡る最後にして最大の戦風が、彼の地に吹き荒れようとしていた。


エピローグ 担当マスター:望月誠司








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