●黒衣の使徒
北西要塞の城壁に上がった撃退士達は、その瞬間、戦場に到達したことを思い知る。
敵の守備隊は数が少ない。これは事実だった。
しかし、そこにいたのはシュトラッサーが要塞の守りにと手元に置いたサーバントだ。
そして使徒は、ヒトの形を残したままに天の眷属となった存在。多少の指揮能力を持つサーバントが守りについているのとは全く事情が異なる。
撃退士達は城壁に到達した時点で、待ち受ける長射程サーバント達の射程範囲のうちに入ってしまったのだった。
中でも要塞の北西に展開する一班は、出会い頭と言っていいタイミングで仲間を失った。
血煙の彼方に、凶事を告げる漆黒の風。
使徒は蘆夜葦輝と名乗った。
夜来野 遥久(ja6843)の灰青の瞳に強い光が宿る。
目前の使徒が尋常でない力を持っていることは、先の一撃を見れば嫌でも判る。
(あれが如何に強力な使徒だとしても。誰一人、倒れさせはしない)
蘆夜の一片の迷いも曇りも見られない秀麗な面に、鬼灯丸(jb6304)の心は踊った。堪え切れず足を踏み出す。
「はじめまして。いきなりで悪いけど、あたしと遊んでくれる?」
否とは言わせない。
勿論、自分達が使徒を引きつけておくことが、作戦の重要なポイントであるためだ。
だがぞくぞくする様な戦いの予感に、普段は押し込めた鬼灯丸の荒ぶる魂が燃え上がる。
それを知ってか知らずか、蘆夜がほんの僅かに口元を緩めた。
「貴様も死にたいか。良いだろう。我が太刀で血の花散らすを栄誉と思え」
使徒が、動いた。
●南西より進む者達
矢を番えるサブラヒナイトの後方に、離れてゆく蘆夜の姿。
神凪 宗(ja0435)はそれを確認し、傍らの弥生 景(ja0078)に低く声をかけた。
「行くぞ」
「援護は任せて」
信頼しているからこそ、やり取りはそっけなく。
宗は両手に曲刀を構え、真正面から鎧武者に突進する。
銀色の拳銃を構えた景は、鎧武者の手元を狙ってアウルの銃弾を撃ち込んだ。
「さあ、敵はこっちよ!」
ほんの僅かの間だけでも、サーバントの気を逸らせれば。宗が動き易いはずだ。
実際、鎧武者にとっては蚊が刺す程のダメージにもならない銃撃。それでも何処か不愉快そうに、サブラヒナイトが身じろぎしたかに見えた。
その一瞬で充分だった。
相手の懐に飛び込んだ宗が、双刀を一閃。鬼道忍軍の冥魔の気を帯びた『風遁・韋駄天斬り』が、鎧武者の胴を切り裂いた。
「グオォオオオ……!」
虚ろと見える兜の口元から、怒りの咆哮。
その声が発したかのような蒼い火炎が、宗のすぐ傍で炸裂する。イシビヤポーンの放った火炎弾だった。
「宗さん!」
景が思わず声を上げる。
「……!」
髪を焦がす熱風に煽られながらも、宗は引かなかった。
ここで自分が避ければ、鎧武者が自由になる。それに砲兵は余程の事がなければ、仲間の鎧武者を巻き込むことはないだろう。ならば、接近したままこの厄介な敵をまずは倒すまで。
鎧武者の手から弓が消え、代わりに巨大な太刀が現れた。
宗が動いたのを見て、新井司(ja6034)は東へ突進。
「大詰めね。返してもらうわよ、人の世界を」
強い意志を秘めた青い瞳が輝きを増す。
来るたびに荒れて行く古都の姿は、虐げられた者の象徴のようだ。この都を、天界の手から取り戻す。かつては叶わないと思っていた願いが、今近付きつつある、確かな手応え。
青い弾丸のように接近した司は、サブラヒナイトにアウルを込めた掌を叩きつけた。
その勢いにサブラヒナイトの巨体が、城壁に沓の跡を残し押し込まれる。
態勢を立て直した鎧武者、そしてその斜め後方のイシビヤポーンが司に狙いを定めた。
レガロ・アルモニア(jb1616)が正面の砲兵にゴーストアローを放ち、牽制する。
「いつまでもお前達に、ここで好き勝手にさせるつもりはない!」
正面に出る司が危険なことは間違いない。
作戦上それはやむを得ないないのかもしれないが、それでも司の負担は極力減らしたい。
レガロは持てる限りの力で、イシビヤの動きを止める。
砲兵は目標を、レガロに変えた。蒼い砲弾が空を裂いて飛び、レガロの目前に着弾する。
「な……!」
全身に焼けるような痛み。だがレガロは倒れない。倒れるわけにはいかないのだ。
司は勿論、それを感じていた。
「ごめん。でも有難う」
鎧武者と砲兵は、司の計算通りの位置に来ていた。
「集灯瞬華……捻じ伏せる……!」
青い花のように炎が舞い、二体の敵を同時に切り裂く。既にレガロの攻撃で傷を負っていた砲兵が倒れた。だがサブラヒはまだ、健在だ。目障りな存在を射抜かんと、強弓を引き絞る。
●北東を穿つ者達
城壁の南東、彪姫 千代(jb0742)は待ち構える敵に意気軒昂である。
「おー!! 敵いっぱいなんだぞー!」
七種 戒(ja1267)の身を敵から狙わせぬよう、『癒兎』をかけて送り出す。
「戒、頑張るんだぞー!」
ふっと口元に笑いをよぎらせ、戒は前方を睨みつけた。
「おう、任せとけ。誰かの故郷を天界の奴らから、とっとと取り返すためにも、な」
こんな所では負けられぬ。
息を整える間もなく飛んでくる砲撃の中、戒は身を低くして飛び出した。
「新参さんにゃ悪いけど、出オチでお帰り願おか!」
小野友真(ja6901)が戒の進路をクリアにすべく、砲兵を狙う。
そして敵もまた。
「またサブラヒ共が邪魔しやがるのぜ……!」
轟音と共に突き立つ蒼炎の矢に思わずよろめき、忌々しげにギィネシアヌ(ja5565)が呟く。
「邪魔するなら、倒して進むまでだ。さあ、全力でいこうぜ!」
月居 愁也(ja6837)が不敵な笑みを浮かべ、全身に紅蓮の炎を纏わせる。
彼らはこちらの敵を片付けて西へ侵攻し、使徒と戦っているかもしれない仲間の元へ急がねばならないのだ。
「俺の前に立ち塞がったこと、後悔させてやるのぜ!」
絡みつく蛇のような赤いアウルの輝きが銃口に集約。赤い銃弾が迸り、砲兵を貫く。
それでもまだイシビヤポーンは倒れることなく、蒼い炎の砲弾を撃ち込んでくる。
「行くで、覚悟しとけや!」
友真は笑って見せる。そうしなければプレッシャーに押しつぶされそうだった。
「気合入れ過ぎて転ぶなよ?」
「そっちこそな!」
愁也の声に、友真は迷いを振り切るように銃を構え、眼前の砲兵へ迫る。
「喰らえや!」
射程を犠牲にした、接敵。間近からの精密殺撃は外れることなく、砲兵を打ち砕いた。
「やった……!」
が、倒れる砲兵の姿が視界から消えると、そこに残るのは鎧武者の姿。
こちらが動く間に、敵もまた動いていたのだ。
「小野さん、危ない!」
エナ(ja3058)が魔法書を広げると、羽持つ光球が舞い上がる。
飛燕のように真っ直ぐに突進する光が到達する直前、サブラヒナイトは真正面の友真に向けて大太刀を振りかぶった。
澤口 凪(ja3398)がきゅっと口元を引き締める。
(学園に帰るまでが依頼なんです……!)
祈りを籠めるように意識を集中し、友真を支援する回避射撃。
「絶対に、皆で帰ります!」
友真自身も死に物狂いで銃弾を放ち、鎧武者の腕を狙う。
「負けへんでッ……!」
だが二人同時の回避射撃を持ってしても、刃を逸らすことは叶わなかった。
「小野さんっ!」
凪の短い悲鳴を、友真は聞いた気がした。
(やって……もうたか……)
鮮血を撒き散らし、友真は仰向けに吹き飛んだ。
「友真ァ! くそ……ッ!!」
鎧武者に駆け寄り、愁也は拳を叩き込む。
真っ先に友真の無事を確認したい。だが、これ以上の追撃をさせぬためにも、まずは目前の敵を倒さねばならないのだ。
背後から千代が声をかける。
「愁也、ちょっとどくんだぞー! 『炎虎』、いっぱい暴れるんだぞー!!」
牙を剥く虎のように猛々しい炎が鎧武者に襲いかかる。
「今です!」
エナが再び魔法書にアウルを籠める。
さしものサブラヒナイトも、絶え間ない魔法攻撃に晒され、動きが鈍りはじめた。
「残りのイシビヤは任せるのぜ!」
力強いギィネシアヌの声。背後からアサルトライフルが火を噴く音。
そう、負けたと思う時が負ける時なのだ。どんなことがあっても、絶対に諦めない。
「行くぜ、木偶人形!」
愁也を包むアウルの炎が一層強く燃え上がる。
●北西の使徒
蘆夜がふわりと宙を舞った。
血飛沫の中、鬼灯丸がゆっくりと倒れて行く。
(ガムでもつけて嫌がらせするつもりだったけどね……さすがにそんな暇はなかったね……)
星杜 焔(ja5378)は紅葉 公(ja2931)と頷き合う。
「援護します」
公は霊符を取り出すと、アウルの雷を蘆夜に向かって奔らせた。
魔法が効かない相手だとは聞いている。だが、ほんの一瞬、こちらに意識を向けてくれれば充分だ。
相手が人間の知識と知能を持った存在であるならば。攻撃された、そのことは理解できるはずだ。
焔はその一瞬の隙に、鬼灯丸と使徒の間に割り込む。
次に攻撃を受ければ鬼灯丸の生命が危ない。焔は万一の場合に備え、庇護の翼で鬼灯丸を庇う。
「くれぐれもお気をつけて。想像以上の相手のようです」
遥久がアウルの鎧をかけつつ、桐生 直哉(ja3043)を送りだす。
「有難う、大丈夫だ。無理はしない。後は頼んだ」
だが頷く直哉の眼には、静かな怒りが湛えられていた。
理不尽な力に屈することなど、絶対に認めない。
拳に力を籠めると、東で弓を引き絞るサブラヒナイトへ向かって駆け出した。
その後ろ姿をゆっくり見届ける暇はない。
目前に迫る蘆夜に、三善 千種(jb0872)が毅然と立ち向かう。
「男のくせに私より目立つって、なんか許せないのよねー!」
いつも通りの明るい笑顔のまま、『八卦石縛風』を使徒の顔めがけて叩きつけた。
巻き上がる砂嵐が蘆夜を包み込む。
「石像になったら、飾りとしては悪くないかもよ!」
だが砂嵐が薄まると、黒い狩衣の袖をゆっくりと眼前から下ろし、薄く笑いを浮かべる蘆夜の姿が現れた。
「アウルを操る陰陽師か。小癪な真似を」
黒衣の使徒は頭上に太刀を捧げ持ち、次の瞬間、それを振り下ろす。
凄まじい熱波と水蒸気が使徒の周囲に巻き起こり、嵐となって荒れ狂った。
「……!!」
陽炎の彼方に、蘆夜の姿が揺らめく。
(あ……大丈夫みたい……?)
焔は自分を守ってくれたスピアに、そっと心で感謝する。
「それだけ? 馬鹿にしないでほしいなっ!」
千種が挑発するように、わざと明るい声をあげた。
「成程。幻術は貴様ら全員には効かぬというわけか」
全員には。
その言葉の意図を理解するより先に、遥久の肩に鋭い熱が走った。
「何……?」
「……う……あ……!!」
苦悶の声に振り向くと、こちらに向き直った直哉が銃を構えているのが見えた。
すぐにクリアランスで正気に戻すか。
そう思った時には、直哉のマークから逃れたサブラヒナイトが蒼炎の矢を放っていた。
只管真っ直ぐに、進路を抉る天界の矢。
遥久が咄嗟に楯で受け止めるが、千種も余波を食らう。
「私は大丈夫。後はよろしくねっ」
さすがに挑発はここまでと、千種は『明鏡止水』で身を隠す。
頷く遥久は、ほんの僅かな逡巡の末、己の傷を最低限回復する。
己を道標と呼び、目指し来る親友のために。この要塞を陥落させ、仲間と共に帰るために。
自分が倒れては元も子もないのだ。
しかしその行動が、蘆夜の目を引いた。
「貴様は癒し手か」
涼やかな声と共に、斬撃が襲いかかる。
遥久の腕が、構えた楯ごとあらぬ方向に捻じ曲げられた。
瞬時に繰り出される斬撃、また斬撃。
「ほう、良く耐えるな。だが流石に辛かろう。終わりにしてやろう」
笑みを含んだ声が告げた。
思わず目を見張った、焔の目前で。
突如、使徒の太刀が不自然に止まる。
僅かに眉根を寄せると、蘆夜はそのまま踵を返し、駆け出した。
「あっ……!」
既に使徒をひきつけておく余力はない。
公は皆が追撃を受けずに済んで助かったと思う反面、役割を全うできなかったことを思い知る。
だが、こうしてはいられない。一つ首を振り、きっと顔を上げた。
「せめて、残るサーバントを撃退しましょう。負傷した方がこれ以上傷を負わないように」
気を取り直すと歯を食いしばり、霊符に力を籠める。
●南東を駆ける者達
梯子を支える饗(jb2588)に見送られて、南東から攻め入る撃退士達が城壁上に到達する。
ここから周囲のサーバントを撃破し、監視塔に向かう。それが彼らの役割だ。
そして到達時点から、戦闘は開始している。
(……そろそろ京都は返して貰わねぇとな)
叶 心理(ja0625)が具現化した洋弓を構えた。
「よし。作戦開始だ……援護するぜ」
「そっちのサブラヒ、任せたよ」
與那城 麻耶(ja0250)が即座に動いた。
(厄介な範囲攻撃は極力撃たせないようにね……)
目指すは正面の、イシビヤポーン。既に大砲を構え、今まさに砲弾を放たんとしていた。
蒼炎の塊が麻耶を弾き飛ばすと見えた瞬間、その軌跡が僅かにそれる。
「今のうちに、頼むぜ」
心理が麻耶の背中に呟く。叶流『葉落』が功を奏し、麻耶は無傷で砲兵との距離を詰める。
タイミングを計り抜刀・煌華の鞘を払うと、曲刀からアウルの刃が飛び出し、砲兵の身体を切り裂いた。
ほんの僅か、イシビヤは身を捩ったかに見えた。だがすぐさま大砲を構え直すと、その砲身で麻耶を殴りつける。
それほど強い一撃ではない。麻耶は腰を落とし、それに耐えた。
「こっちも行くぜ」
小田切ルビィ(ja0841)が秀麗な顔に不敵な笑み浮かべる。
「援護するわ。正面のサブラヒ、行くわよ」
猫のそれを思わせる巫 聖羅(ja3916)の瞳に、強い光が宿った。
「――纏めて灰にしてあげる……!」
フレイムシュートの炎が鎧武者の全身を覆い尽くす。
「おい聖羅、間違って俺に当ててくれるなよ?」
軽口を叩く余裕は、兄妹共に並び立つ故に生まれるものだろうか。
ルビィは大太刀を手に、舞踏を思わせる優雅な足捌きで鎧武者に接近。
「手元がガラ空きだぜ」
言うが早いか大太刀を振るう。
相手が普通の敵ならば、腕の一本も跳ね飛ばしていただろう。
だが、鎧武者はほとんど痛手を受けたように見えなかった。今度は蒼い大太刀がルビィ目がけて打ち下ろされる。
「させるか……!」
心理の援護射撃に弾かれた大太刀が、ルビィの肩口を掠めた。直撃を免れただけ幸運と言えよう。
「先に行く。後は頼んだよ」
大鎌を手に、立里 伊吹(ja3039)がその脇をすり抜け、回廊に進む。
回廊上の二体のイシビヤが、伊吹の方を向いた。
ルビィの深紅の瞳に宿る闘志が、輝きを増す。
「全く、面倒な奴だぜ」
「大丈夫? もう一撃行くわよ、巻き込まれないでね!」
聖羅が放つ魔法の炎が、確実に鎧武者の体力を削って行った。
三人の連携に、満足に動くこともできずサブラヒナイトはついに倒れた。
だが、休む暇はない。
「與那城、大丈夫か!」
麻耶は二体目のイシビヤの砲撃を受けていた。
「南国の陽、甘く見ないでね」
淡々とした物言いは変わることなく。傷を負い、血を流しながらも、気力で抜刀を振るう。
「後は任せて!」
忍術書を開いた聖羅が声を上げる。
風の刃が奔り、イシビヤを責め苛む。
「與那城、お疲れだ。とりあえず血を止めるぜ」
心理が応急手当で傷を塞ぐ。だが、全てを使いきるわけにはいかなかった。
伊吹が回廊上で戦い続けている。
監視塔に登らせまいと、伊吹の進路を塞ぐ砲兵。
接近した一体は大鎌で対処ができた。だが、並行して西側にかかる回廊上にも砲兵はいたのだ。
こちらの攻撃の届かない場所から届く砲弾は、容赦なく伊吹の身を焼く。
「ここで……倒れるわけにはいかないんだ……!」
猛攻に晒されながらも、伊吹は耐える。
その熱に歪んだ視界の中、西側の回廊の砲兵が吹き飛んだ。
「……あれは……!」
南西に集まっていた敵を撃破した仲間が、回廊を突き進むのが見えた。
「よし、このまま北上する!」
離れ離れになっていた互いの姿を確認したことで、身のうちに力が漲る。
目指すは、そびえたつ監視塔。
あそこに到達すれば、この要塞は落ちるのだ。
●回廊の彼方
監視塔の東側に、居並ぶサーバント達。
隙間なく守りを固めるその姿を見上げて、イアン・J・アルビス(ja0084)は誰にともなく呟いた。
「この戦いで終わらせたいところですね」
それはこの作戦に参加した全員の気持ちだろう。
京都の中央部は、もうずいぶんと長い間戦場となっている。もうそろそろ決着をつけねばならない。
ここにたどり着いた一人の戦士として、全力を尽くすことを胸に誓う。
「さあ、今回こそは京都を返していただきましょう」
イアンが楯を構え、意識を集中する。そのまま前進。
タウントによりサーバント達の注意が、イアンに向く。
「僕以外に攻撃なんてさせませんよ。おとなしくしていてください」
我が身は楯そのもの。
全ての砲火を引き受ける。
夏木 夕乃(ja9092)の小柄な身体が、暖かいオレンジ色の輝きを纏う。
まだあどけないその顔が、ぐっと引き締まった。
「今回の仕事が『勝つこと』ならば。それを遂行するだけです……なんちて」
不意に普段の夕乃の顔が戻ってくる。気負いを捨て、魔法書を開けば浮かび上がる、魔眼に十二芒星の魔女の紋章。
ひと際アウルの輝きが強くなった瞬間、生み出された巨大な火の玉が並び立つサブラヒナイトを襲う。
立て直す暇を与えまいと、藤井 雪彦(jb4731)が続いた。
「雑魚はボクに任せて♪ 皆は先に行ってくれ!!」
人懐こい笑顔で、軽くウィンク。まるでちょっとデートにでも行って来る、と言わんばかりに。
だが取った行動は、冷静かつ冷酷。
「全力で行くよ〜♪ ……ボクと会って生きて帰れっと思うなよ〜☆」
笑顔を崩さぬまま魔法書を開き、蠱毒を見舞う。強烈な炎の波動が作り出す毒蛇の幻影が、鎧武者に絡み付き、首筋に牙を立てた。
ここで雪室 チルル(ja0220)が、監視塔へと昇る回廊に躍り出た。
「大きな身体で、ドヤ顔してて気に入らないわ! あたいがやっつけてやる!」
目前のサブラヒナイトの姿に、チルルが毒づく。
威圧するように立ち塞がり、強矢を放つ敵。
その攻撃が肩を掠めるのをものともせず、小さな身体が礫のようにぶつかって行く。
手にした杖から生み出されたアウルが、チルルの腕に氷塊のように集約。
「邪魔なのよ! どきなさい!」
氷壊『アイスマスブレード』をまともに受け、鎧武者が巨体を後ろに滑らせた。
チルルと同時にミズカ・カゲツ(jb5543)も駆け出す。
この監視塔を制圧すれば、要塞は陥落したも同然。使徒といえど、監視塔の上と下で挟撃を受けて自由に動くことは難しいだろう。それを警戒しているからこそ、東側に厚い守りを配しているのだ。
「厳しい戦いになりますが、全力を尽くしましょう」
いつも通りの、静かな目。
ミズカは白銀の疾風のように鎧武者に接近すると、肩も砕けよとばかりに掌底を撃ち込んだ。
しなやかな細身からは想像もつかない力に押し込まれ、サブラヒナイトが否応なしに後退する。
――道が開いた。
後は只管、押し進むのみ。
楯を構えたイアンを先頭に、一歩、また一歩と回廊を進む。
「いつもと逆ですね。どいていてください、できればこの先ずっと」
イアンを目がけ、砲兵は炎弾を放ち、鎧武者は炎矢を射る。その衝撃を楯に受けながら、イアンは突き進む。
「あとちょっと、今の位置から動かないでねー!」
夕乃の立つ場所から狙いやすい配置に、サブラヒ二体とイシビヤが一体。ファイヤーブレイクは残り一弾。
「あったれー!」
爆炎がサーバント達を包み込む。
「夕乃ちゃん、さすがだねっ♪ ボクも負けてられないな」
雪彦が笑顔を見せる。その笑顔が敵に向くと、険しい物に変じた。
「そう、ボクはボクにできることをっ!! 撃退士の力を思い知れっ!!」
使える手段は、使えるうちに。出し惜しみをしている暇はない。
残る一体の鎧武者にも、幻影の毒蛇が絡みついた。
●高みを目指して
西側の城壁上。牧野 穂鳥(ja2029)が瞑目するように眼を閉じる。ほの暗い緑色のアウルが蔦の形をとり、華奢な身体を包み込むように全身に広がった。
これまでに幾度、この地を踏んだだろう。そしてその度に、多くの血を流してきた。
次に訪れる時こそ、焼く為にではなく。癒し、潤す為に訪れたい。
その為にも怯むことなく。
(たとえ今この間に、標的になるならそれもよし。仲間の助けとなるなら、囮になるのもいいでしょう)
静かに力を溜める穂鳥を視界の端にとどめ、強羅 龍仁(ja8161)が咥えていた電子煙草を、少し名残惜しそうにしまった。
「さすがに不法占拠も長すぎるだろう。そろそろ返して貰わないとだな」
こちらを威圧するように並んだサーバント達を、不敵な笑みを浮かべ眺める。
「まあ、返してくれと言って返して食える連中でもなし。強引に取り返すしかないだろうな」
周囲の仲間の位置を確認し、護りを固めるアウルの衣で包み込む。
蓮城 真緋呂(jb6120)の藍色の瞳が、緋色に変わった。
皆がこれまで積み重ねてきた血と汗は、決して無駄にしない。今日ここにたどり着くまでに更に流れた、全ての血も。
「全身全霊で行くわ」
声に出したのは、それだけ。だがその静かな言葉には、強い決意が宿る。
宣戦布告代わりとばかり投げつけた扇が、敵に当たって手元に戻った。
それに反応し、鎧武者は蒼い火矢を番える。
「ここが正念場だ! 踏ん張れ」
龍仁が腕に構えた楯を構え、進み出る。
遁甲の術で気配を消し、犬乃 さんぽ(ja1272)が飛び出した。
収容所にはまだ多くの人達が捕らわれている。一日も早く彼らを全て解放し、美しい古都を取り戻す。この要塞を落とすことが、その決め手になるはずだ。
「行けっ、ボクのヨーヨー達……鋼鉄流星ヨーヨー★シャワー!」
無数のヨーヨーがさんぽの手から繰り出され、イシビヤポーンを打ち据える。
「見たかっ! ニンジャの投げるヨーヨーは、バズーカなんかより強いんだよっ!」
強気の笑みを浮かべると、続いて接敵。隼突きの鋭い一撃が、イシビヤの身体を貫く。たまらず振り回した大砲を、さんぽは軽いステップで回避する。
「遅い……これがニンジャの速さだ!」
紀浦 梓遠(ja8860)が後に続く。溢れ出したアウルの光が蒼い花弁を形作り、その後に散った。
「最後ぐらい、僕も頑張らないとね」
目指すはさんぽの攻撃を受けた砲兵。確実に数を減らし、監視塔に攻め込む足がかりを。
「そんなところで邪魔するからいけないんだよ?」
何の躊躇もない流れるような動作で長大な重い剣を振りかぶると、叩き潰された砲兵が石の床に沈んだ。
「次はお前か?」
梓遠が長剣を構え直す。
「少しの間だけ、下がっていてください」
穂鳥の静かな、だが強い意志を湛えた声。
広げた魔法書から、目もくらむような激しい閃光が迸る。
神々の黄昏を意味する強力な、だが危険な魔法の輝き。
直撃を受けたイシビヤポーンと、サブラヒナイトのほとんど半身が吹き飛ぶほどの、凄まじい魔法攻撃だった。
それでもまだ、鎧武者は残った腕に大太刀を構え、引き下がらない。
「どかないなら力づくで押し通るまで」
真緋呂のサンダーブレードに打たれ、鎧武者は棒立ちになった。
「よし、とどめだ」
長剣を白雪珠に持ち替えた梓遠が、更に追撃。ついに鎧武者は大きな音を立てて倒れた。
それを確認し、穂鳥は大きく息をついた。
激しい疲労に足元がふらつく。大きな術を使えば、術者はその代償も引き受けることになる。
仮にここを狙われれば、ひとたまりもないだろう。
「少しの間の我慢だ、しっかりしろよ」
龍仁が穂鳥を気遣い、背後に庇う。
「少し休めば大丈夫です」
気丈に答え、穂鳥は顔を上げる。そして再び力を溜めると、残るサブラヒナイトを見据えた。
●嵐を呼ぶ鬼神
監視塔の東側を固めていたサーバントは、押し寄せる撃退士達の前に次々と駆逐されて行った。
「やったね! あたいが一番乗りっ!」
チルルが吹き飛ばした鎧武者の身体を飛び越え、監視塔の上に躍り出た。
「監視塔もらいーっと!」
大きな学園旗を取り出し、はためかせる。
それは、南北の撃退士達に更なる勇気を与えた。まずは目標の第一段階をクリアしたのだ。
「お、やったか。後は雑魚の掃討だな」
戒が目を細めた。
バレットストームの余波で巻き起こった砂塵の中、目前の砲兵が大砲を振りかぶる。
それを叩き落とし、引き寄せて構えた銃で精密殺撃を放ち、確実に倒す。
「偶にはガチの殴り合いもよかろーて」
倒れた砲兵を蹴り飛ばし、監視塔に到達。すぐさま西に向き直り、大砲を構えた別の砲兵を銃撃する。
そこで突然、戒の表情が強張った。
「あ、やべ」
砲兵の彼方から、黒い影が接近するのが見えたのだ。
――使徒が駆け上がってくる。
「七種さん、援護します。無理はしないでください」
後を追って回廊を上がってきたエナが、魔法書の光弾で蘆夜の進路を阻む。
ひらり。
使徒は軽く宙を舞い、狩衣の袖でその光を受け止める。
「悪イケメンはいねぇがぁッ! 悪イケメンはどこだぁッ!」
ギィネシアヌが、自身こそ鬼神の形相で回廊を駆け上がってきた。
狙撃銃よりはきっと、出刃包丁がよく似合うだろう。
鋭く辺りを見回すと、黒い長髪をなびかせた蘆夜の姿。
「来たか、優男。俺は優男ってのが嫌いでねぇ」
ニヤリと笑うと、即座に銃身を引き寄せる。幸い直線上に味方はいない。
「どうにもそのいけ好かない顔に一発ぶちかましてみたくなるのだ」
言うなり、腕に巻き付いていた紅い光が銃口に集約。それは巨大な真紅の蛇の姿となって、蘆夜に襲いかかった。
それに対し、使徒はただ大太刀を振るうのみ。いなすように赤光の奔流を散らす。
じり、と蘆夜の爪先が東に進む。
「まずいわね」
南の回廊から顔を出し、聖羅がルビィを振り返る。
「だが、囲んでるんだ。纏めてかかりゃ何とかなるさ」
ルビィが蘆夜を睨んだまま立ち上がり、構えた剣を振り下ろす。
「――そろそろ祭りは終わりだぜ……ッ!」
封砲が敷石を舐め、真っ直ぐ使徒に向かい迸る。
「……!!」
烏帽子が吹き飛び、秀麗な顔に紅い筋が走った。
使徒の表情から、余裕が失われる。
こちらを睨む使徒の背後に迫る味方の姿。聖羅はそれに気付かせまいと、フレイムシュートの炎塊を叩きつける。
「さあ、これでどう?」
効かなくてもいい。ほんの僅かの間、こちらに意識が向けば。
その隙を北側の面々は逃さなかった。
「さっきのお返しだ、受け取れ」
直哉が駆け出し、接近。黒いアウルの靄が脚部に集まる。
鋭い一蹴が蘆夜の腿に叩きこまれた。
「く……ッ!」
使徒が苦悶の表情で振り向いた。その目に、紅い髪を炎のように逆立たせ突進してくる愁也が映る。
「よう優男っ、ひとつお相手願うぜ!」
軽い口調と裏腹に、思いの丈を籠めた薙ぎ払いを叩きつける。
大切な親友が、こいつに斬り伏せられた。信じられない。信じたくない。認めない。
貴様のその命で、必ず償わせる。
「甘いわ!」
蘆夜は無傷の足で敷石の床を蹴ると、高く跳躍。
それが合図であったかのように、西の回廊から蒼い炎の砲弾が浴びせられた。
未だ健在な砲兵が駆けつけたのだ。
イシビヤを前に立たせ、蘆夜は監視塔を見渡す。
「どうにも悪い流れが続くものだ」
裏目に次ぐ裏目。
個々の戦力は恐れるに足らない。
だが、ただ命じられたことに従うだけのサーバントとは違う、意志を持ち、判断力を備えた人間の集団の力。
大天使に強大な力を与えられ、ひとりで立つことに慣れていた蘆夜は、それを忘れていた。
「ダレス様には申し開きのしようもないな」
足が痛む。久しく忘れていた感覚だ。内袖を噛んで引き裂き、足を縛る。
「だがいずれ挽回の機会は頂けよう」
引いたはずの蘆夜が、東へと駆け出した。
「何っ!?」
龍仁が瞬時に楯を構え直す。
常識で考えれば、もっとも層の厚いこちらへ来るとは考えにくい。だが理由を考えている暇はなかった。
「無駄な足掻きはせぬことだ」
蘆夜が駆けながら、大太刀を振るう。
突然砂嵐が撒き上がり、蘆夜の周囲を覆い尽くした。
「まだ出し惜しみしてたとはねっ!」
雪彦が砂嵐を避けながら、薄眼で使徒の行方を追い続ける。
まずいことに、何人かは砂嵐の中で、身動きが取れなくなったらしい。
その時、白銀の影が鋭く過る。ミズカだった。
「逃げるのですか」
蘆夜の前に立ちはだかる。
少し時間を稼げば、皆で仕留められるだろう。ミズカは構えた直刀ごと、使徒にぶつかって行く。
「命が惜しければ、そこをどけ!」
鋭い声と鋭い一閃が、ミズカを打ち据えた。
白銀の髪がぱっと散り、赤い飛沫が床に落ちる。だが、ミズカは倒れなかった。
「はぐれたとは言え悪魔の身、そう簡単に倒れる訳にはいきません!」
一か八かの死活。だがそれは余りに危険な行為だった。
ミズカは蘆夜の口元が緩むのを見た。まるで、憐れむように。
大太刀が光輝の残像を残し、赤い奔流がミズカの身体から迸る。
それを振り返りもせず、蘆夜が跳躍。最初に監視塔の西に降り立った時と同じように、東の城壁へと飛び降りる。
使徒は黒い旋風のように城壁を駆け抜け、いずこへともなく走り去った。
指揮官を失ったサーバントは、もはや脅威ではなかった。
要塞の陥落に意気上がる撃退士達は、余勢をかって全ての敵を討ち取ってゆく。
動く敵の消えた監視塔の中央に、チルルが立てた学園旗が翻った。
「あたいたち要塞落としたんだよっ!」
誇らしげな声が響き渡る。
呼応して要塞の内外から起こった歓声は石壁に反響し、人間の勝利を謳い上げるのだった。
【西】北西要塞 担当マスター:樹シロカ