どうしてこうなった。
立体の高速道路の交差点上、中央の守りを固め全体の指揮を採っている北條泉はそう思う。
戦略自体が土台無茶だった――とまでは思わない、賭けの要素はあったが、いけない事もなかったように北條にも思われた。で、なければ、流石に援軍に出るのは反対した。いける筈だった。
ではこの状況は何か。
外周を固めていた筈の味方の守りが突破され、北條が全体を指揮してる中央防衛部隊は三方から雪崩れ込んできた撃退士部隊より猛攻を受けている。
東から侵入してきた敵は手強かったが、数は少なくなんとか跳ね返し粉砕して打ち払う事に成功していた。竜王ハーウェルは撤退に追い込まれたようだが、問題ないラインでの仕事を果たしていたらしい。天使でもなく使徒でもなくサーバントであるが、あの金焔の竜王はなかなか頼りになる。
西の赤髪巨人は討たれたらしかった。さもありなん。サーバントとしては強い力を持っていたと聞いていたが、やはり一方面を支えるには荷が重かったか。
問題は、北條の主が守っていた筈の北からも強烈に侵攻を受けているという事であり、さらにガブリエル・ヘルヴォルに並ぶ強者だった筈のサリエル・レシュが固めていた南側からも、というか、南側からこそ最も強烈な怒涛の攻勢を受けている事だ。
撤退してきたガブリエルは押し込まれた前線の指揮を再び採って支えているが、サリエル・レシュの消息は途絶えていた。
思う。
それほどまでに、撃退士達は強いのか。
「死天使様は……どうなされたんでしょうねぇ」
北條は呟き、天を仰いだ。
「まさか――」
最悪の予想が脳裏をよぎる。
「……大丈夫……イズミ、赤い天使さまは大丈夫……」
光の塗りつぶされた黒い瞳を北條へと向けて、白い肌の女が言った。共に中央の指揮を採っている使徒、名はリカ、死天使サリエルの片腕だ。ダークブラウンの髪の青年使徒は片眉を上げて水兵服の少女の瞳を見返す。
「私には、解る……貴方も……ガブリエル様の事なら、解るでしょう……?」
北條が言葉を返そうと口を開いた時、周囲の巨人達が一斉に咆吼をあげ始めた。
「……なんだぁ?」
青年が視線を向けると、赤く染まった襤褸きれを身にまとった、血塗れの少女が、大鎌を重そうに肩に担いで、アスファルトの路上をひたひたと歩いてこちらへと向かって来ているのが見えた。
北條は始め、それが誰だか解らなかった。だが、やがて気付き、そして予感した。この一戦の結末を。
「……御免、負けた」
青年が予感した事を、死天使サリエル・レシュは言葉に出して言った。
死天使の背後の彼方、最終ラインのサーバント達を打ち破り猛進して来る撃退士達の一団の姿を北條の目は捉え、確信した。
この攻勢を防ぎきる事は、不可能である、と。
●
「押せ押せ押せ押せ! 敵の中心部までもう少しだッ!! だが慌てるな、無駄に焦ってヘマすんじゃねーぞぉ、この戦は勝ち戦だぁあああっ!! 勝って飲む酒は美味いからなァ!! 死んだら飲めねーぞオマエラッ!! 生き残って勝て!!!!」
企業の撃退長、山県が無線で配下の企業撃退士達へと叫んでいる。つい先日までの気落ちのしようが嘘のようである。ノリノリだ。
壁際に敵を追い詰めて最後に大振りして逆転されそうな人だなぁ、と源九郎は思い、案外素でこういうノリの人はそのまま押し切ってしまうものなのかもしれない、とも思った。
ともあれ、久遠ヶ原の書記長は最後に大振りするつもりは無かった。気を抜く事なく堅実に、再編された部隊を投入してゆく。
「戦況は優勢、最後の踏ん張りどころだ。総員、無理はいらない、が、最後まで気は抜かないでくれ。ここまで来れば、当然の事を当然に詰めていけば勝てる。ミスをしなければ、付け込む隙を与えずに圧殺できる。ゲート展開の阻止まで後少しだ」
大塔寺源九郎はそう無線に声を流したのだった。
●
東西南北、四方の戦域の要点において、撃退士達はサリエル・ガブリエル連合軍のその防衛ラインを突破する事に成功。
敵外周の守りの突破にした四部隊は中心部を守る敵の後衛部隊へと四方より猛攻を仕掛けた。
使徒のリカや北條を始め、一旦撤退したサリエル、ガブリエル、ハーウェルもまた中心部分で指揮を採り防衛線を展開したが、西、北、南の三方より猛攻を受け、さらに南の撃退士達の勢いは一際強烈だった。
十分な余力を残していた撃退士達は天軍の防御を突き破り、中心部、交差するバイパスの上でゲート展開の詠唱に専念し無防備と化していたイスカリオテへと弾丸を叩き込む事に成功する。
深手を負ったイスカリオテはゲート展開を断念、未だ総数では倍する程に勝っていた天界軍だったが、その兵力は市の外周部の包囲にも割かれており、戦える数は圧倒的といえる程ではなかった。この一戦で中核を粉砕された天界軍は一旦市の北方へと後退する。
学園、企業連合、撃退庁の連合部隊は富士市の中心部の奪還を果たすと、中心部の守りを固めた。再び天界軍が地脈の集結点へと攻勢を仕掛けて来ても、学園よりの大規模部隊が到着するまで守りきる為である。
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「……従軍、有難う。この街での戦いは終わった。皆、自分が帰るべき場所に帰って、アタシも山に帰る」
サリエル・レシュは虚ろな瞳で肩を落とし居並ぶ一同にそう告げた。
「何を弱気になってますのっ?! まだ戦力はあります。もう一戦して地脈点を奪還し、再挑戦すれば良いのではありませんの?」
ガブリエルは怒気を双眸に孕んで死天使の少女を睨み据えた。
「解った。俺は西に帰る」
吉良峰時々は頷きそう答えた。機動戦に秀でた使徒は援軍であって、ここでの一戦は本来の彼の、彼等の任務では無い。彼にも彼の予定がある。
「有難う、助かったよ吉良峰時々、西の方々によろしくね……」
「サリエル!」
「時間切れだよガブリエル! アタシ達は賭けに負けたんだっ! もしこれから首尾よくまた中心部を再制圧できても、久遠ヶ原とかいう所から撃退士達が大量にやってくる。多分、流石に、もう一週間も人員が集結しないって事はない。三日でもどうだろう。明日には到着してもおかしくはないんだ」
頭を抱えて死天使は言った。
「御免、御免……一日も早くゲートに戻って、守りを固めた方が良いかもしれない」
「謝罪の言葉なんて聞きたくありませんわ! まったく、美しくない言葉ばかり吐きますわね。しっかりなさい。というか、ゲートの守りですって……?」
ガブリエルは眉を顰めた。
「まぁ俺が人間達なら攻めるだろうな」
黒外套のイスカリオテは、やはり何処か他人事のように投げ槍に言った。
ブロンドの大天使から視線を向けられると男は大儀そうに口を開く。
「話に聞く久遠ヶ原とやらの大動員令というのは、恐らく、そう頻繁に出せる類のものではないのだろう。過去を聞くにその全てが結集されても短期間で解散されている。人員を集中させるというのは、それだけでコストがかかるのだ。折角集めた戦力だ、コストをかけて集めるだけ集めておいて、何もさせずに帰らせる、なんて事をお前だったらするか? 俺だったらしない。そして富士市には手近な場所にゲートが二つある。人間達にとっては、この二つの存在は大いに邪魔だろうな。こちらが弱体化している今は、連中にとってまたとない好機だろう」
その言葉を聞いてガブリエルは艶然と微笑した。
「なるほど……負けっぱなしというのは、美しくありませんの。再戦の機会はまだある、という事ですわね?」
「幸か不幸かは知らんがな。俺も動けない所を殴られて終わり、というのは好きではない。偶にはやる気を出して、欲をかくと後悔するという事を人間達に教えてやろうかと思っている所だ」
「弱くなってから本気だすとか言われましても」
「ふん、それでもまだまだお前等には負けんよ小娘ども。原住民どもにも目にもの見せてやる」
イスカリオテは口端をあげて笑うとそう言ったのだった。
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夕焼けが地平の彼方で燃えている。
「意外に、諦めが良い」
ビルの屋上、大塔寺源九郎は富士市の包囲を解いて、それぞれ北と東へと撤退してゆくサリエル・ガブリエルの両軍の姿を遠望しながらそうひとりごちた。
「もう少し足掻いてくれたら、存分に背中を追撃してやれたのだけどねぇ」
先刻、あと数日で大規模部隊が富士市へと向かえるとの報告を生徒会長から受けた所だった。撃退士側が千を超えていたならともかく、現在の五百少々では流石に千を超える両軍団へと追撃をかけるのは厳しい。下手をすれば逆撃を貰って殲滅されてしまう。
「まぁ良い、一県に大ゲートが二つもあるというのは、迷惑千万極まりない。そろそろ、静岡からご退場願おうか」
書記長は呟くと踵を返し、再びビルの中へとその姿を消していったのだった。
了
エピローグ 担当マスター:望月誠司