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 北西の戦場では数百の天魔が進撃し、撃退士たちがそれを必死に押し返していた。
 天使ガブリエルに率いられた煌びやかなサーバントたち。けれど、外見だけの軍団と侮れば痛い目を見ることを、撃退士たちはすでにわかっている。
 戦場である荒野を抜けられれば、長泉町の町並みと、さらには隣接する三島市がある。
 突破を許すわけにはいかないのだ。
 戦力は撃退士側が倍近い。けれども敵は天魔、楽に勝てる相手ではない。
 中でも、ガブリエル=ヘルヴォルと、その周囲を固める10体ほどのサーバントたちは容易な敵ではなかった。
 大天使と対峙する位置についているのは、20人を超す撃退士たち。
「美しさですか……それは何と比べた美なのでしょうね。私には到底、美しくなど思えないのですけれど」
 煌びやかな軍団へと冷ややかな声を浴びせたのは沙 月子(ja1773)だった。
 包み込むような陣形を取っていた敵に対し、不用意に前進して突出する撃退士は無論いない。
「ここが大一番ね……いつも言ってるけれど」
 神凪 景(ja0078)が言った。
 茶色い髪をした癖っ毛の少女は、今日は野球の道具の代わりに自動拳銃を構えていた。
「皆が繋いできた道だものね」
 肩に猫のぬいぐるみを乗せて、青空・アルベール(ja0732)は敵を眼前にしてもマイペースな態度を変えなかった。
「長々と付き合いましたが、これで終わりにしてやるですの糞天使共」
 アルベールと同じ『吸血軍』のメンバーである十八 九十七(ja4233)がクールな目で天使たちを見やった。
 2人だけでなく、吸血鬼を名乗る男をはじめとした計5人のメンバーが撃退士たちの集団の中で固まっている。
「ふふ、よりどりみどり。どこから解体しようかしら」
 強敵が群れをなしているのは誰しも一目で察している。
 実力を察した上で、なお雨野 挫斬(ja0919)は愉悦の表情を浮かべていた。
 光纏の輝きは人によって違うが彼女のそれは濁った赤の陽炎だ。
 煌めく軍団を前にして、むしろ禍々しいとすら言える輝きを彼女は身に着けていた。
 ガブリエルよりも一歩引いた場所で歌っている緑の髪をした小柄な女性型のサーバント……プロフェッサーメイデンをまず片付けなくてはならない。
 撃退士たちはすぐにそれを察していた。
 けれども、プロフェッサーメイデンとの間にもっとも警戒すべき敵、すなわちガブリエルがいるのが問題だ。
 立ちはだかる強敵に自然と少なからぬ撃退士たちの視線が集まる。
「ガブリエル程の大物を相手にするのは初めてですね」
 雫(ja1894)が呟く。
 眼鏡の奥にある表情がごく微かに変わったことに気づいた者はいただろうか。
「H、いやI……まさかJカップ!?」
 ――しかし。
 赤坂白秋(ja7030)の視線は別な理由でガブリエルに釘付けだった。
 そんな目で見られているとは露知らず、天使は金色の髪をなびかせている。
「さぁて、ナンパに参りますか☆」
 ジェラルド&ブラックパレード(ja9284)が赤い瞳を白秋に向ける。
 彼の瞳は、『きみには負けないよ』と確かに語っていた。
 そして、散開する陣形をとったサーバントたちが、撃退士たちに向かって前進を始める。
 ガブリエルの後方から歌声が響く中、戦いが始まった。


 撃退士たちの西側に位置する敵へと、少なくない人数が向かっていく。
 ラドゥ・V・アチェスタ(ja4504)は悠然と地を蹴った。
「では、往くとしよう。久々の戦場だ、大いに振るい、楽しむが良い」
 駆ける速度は仲間たちに劣らず。しかし、彼の表情はまるでそこらを散策でもしているかのように乱れがない。
『吸血軍』のメンバーたち――ラドゥ流に表現したならば、仲間でなく『下僕』となるのだが――は、遅れることなく彼に付き従う。
「ん……そうだな。俺はあんたが、いつも通り楽しめればそれで良い」
 そううそぶくのは〆垣 侘助(ja4323)。
 ラドゥと同じく阿修羅である侘助は、一歩下がった位置を保ちながらも彼と同じく前進する。
「往くぜ、つっくん! アル君! 我が君の名を戦場に轟かせるぜ!」
 銀髪のインフィルトレイター、ギィネシアヌ(ja5565)が九十七とアルベールに呼びかけた。
 後方から聞こえる仲間たちの声にいちいち振り向くラドゥではない。
 進撃するラドゥに向けて、嘲笑う双頭鷲の1体が炎の息を吐き出してきた。空を飛べる敵であるが、低空を保っているのはメイスこそが主武器であるためか。
 かわす隙間もない炎を浴びてもラドゥの足は止まるはずがない。侘助もおそらく同じはずだ。
 双頭鷲の周囲に橙色の球体が1つ浮いている。
「我は0 我は1 実と虚の狭間に 無限の夢幻を紡ごう 開け 俺の世界 グリモワールド!」
 ギィネシアヌの号令とともに無数の紅蛇が球体と鷲に襲いかかっていく。だが、鷲に向かった蛇を球体の生み出す力場が弾いていた。
 接近戦を挑むラドゥにはさしたる影響はないが、遠距離から攻撃する者にとっては厄介な代物のようだ。
「ならば、我輩が蹂躙すればよいだけのことであろう」
 無造作に振り上げたのは磨き上げられた美しい両刃剣。狼をかたどった鍔が戦場に輝く。ラドゥは長柄のメイスを構える双頭鷲へ切りかかる。
 次の瞬間、金属と金属がぶつかる音が、高らかに響いていた。
 西の敵を狙っているのは5人だけではない。
「ああもう! 鬱陶しい球体ですわね……!」
 シェリア・ロウ・ド・ロンド(jb3671)が放つ水刃も双頭鷲の周囲に飛ぶ球体を狙っていたし、その他にも幾人かの撃退士たちが西側のサーバントへと接近していく。

 北側の敵を狙うメンバーは西に向かった撃退士たちより幾分少なかった。
「さて、いくか。あの爺さんみたいなの狙えばいいんだろ?」
 面倒くさそうに頭をかいて、嶺 光太郎(jb8405)は北側に展開した学者風の老人に向かって駆け出していく。
 他にも2、3人が、北に展開する4体のサーバントへと向かっていく。

 そして、ガブリエルへまっすぐに接近する者も。
 龍崎海(ja0565)は翼を顕現させて、ガブリエルへ向かって移動する。
 普段は不可視化している半悪魔の翼。自分がただの人間ではないのだとわかったのはたった半年ばかり前の話だった。
 少なくとも、翼持つ天使を止めるためには、この翼が役に立ってくれる。
 阻霊符はすでに使用済みだ。海だけでなく他にも使っている者がいるだろう。
 キイ・ローランド(jb5908)が地上からついてきている。
 左右を固めるソードメイデンたちの片方には挫斬が切りかかっていた。海は彼女たちの頭上を越えてガブリエルの前にたちはだかる。
「今日も暇がないなんてつれないこと言わないよね?」
「生憎ですがその通り、急いでますの。貴方がたを蹴散らし、押し通らせていただきますわ!」
 青龍偃月刀を構えた天使の姿が、一瞬にして加速。
 海を切り裂きざまに、彼女は突破を計る。
「あんたの為ののコーディネイトなんだ、もう少し付き合ってよ」
 咄嗟に盾で受け流した海は、翼を広げてガブリエルに追いすがった。
 受け流しきれなかった衝撃で体に痛みが走っていたが、海は自らの体内にアウルを送り込んでそれをこらえる。
(守りに入っても三度までだろう、皆それまでに頼む)
 味方は敵の倍の戦力がある。ガブリエルさえ自由にさせなければ有利に戦えるはずだ。
 海は心の中で仲間たちに呼びかける。
「一度敗走した身でよくそんな見栄が切れたものだな?」
 やはり盾を構えたキイがガブリエルに声をかける。
「ふふ、やらねばならぬ時があるのです。それに、先の大戦で南部隊はわたくしに叩きのめされたのをお忘れで? 今度は、わたくしがすべてを蹴散らして差し上げますわ」
 地上へ向けて、ガブリエルは艶然と微笑みつつも高飛車に言い放った。

 戦場にはまだ歌声が響いている。
 プロフェッサーメイデンが歌い上げるのは、天球の歌、ムジカ・ムンダーナ。
 歌声は天使とサーバントたちの守りを高めて、いくらかの傷を癒し続ける。
 自由に歌わせていてはサーバントたちを倒しきることさえ難しくなる。ましてや、サーバントたちをはるかに上回るガブリエルを倒すことなど不可能に近い。
 だからこそ、ガブリエルやサーバントたちの間を抜けて、プロフェッサーをまず倒そうとする者たちがいた。
 亀山 淳紅(ja2261)は周囲にオーケストラの幻影を展開した。
「序曲は盛大に、かつ華やかに」
 飛行している者たちに劣らぬ高度にいるのは、足にまとった五線譜の力によるもの。
 厄介な敵であるということはもちろんだが、それ以上に淳紅にとってプロフェッサーメイデンを全力で叩きのめさなければならない理由があった。
「自分の歌を聴けー♪!」
 音の雨がガブリエルと共にいるソードメイデンや、近くにいたウォッチボイラーへと降り注ぐ。
「さあて、いきなり大きいのいくよ!」
 さらにはタイミングを合わせてソフィア・ヴァレッティ (ja1133)がひまわりのように配置された大きな魔法陣と無数の小さな魔法陣を出現させて、激しい光線を降り注がせる。
 落下していく彼の足元で、銃撃の音が響く。
 景が自動拳銃をソードに向けている。
 淳紅に向かって卵を投げつけようとしていたボイラーへ、カーディス=キャットフィールド(ja7927)がスナイパーライフルを向ける。
 黒猫の着ぐるみを着たカーディスは、遠めに見ると可愛らしいが、近くに来ると淳紅が見上げるほど背が高い。
「亀山さん、気をつけてください」
「ああ、わかっとる。あいつを叩きのめすまでは死なへん」
 カーディスに答えると、淳紅はサーバントたちの間にある空間へ視線を向ける。
 景が元気よく親指を立てているのが視界の端に見えた。彼女はそのまま、南側……最初にいた場所から見て西側で起こっている乱戦へと向かっていく。
「私もすぐに追いかけますから」
「頼むわ。けど、無理せんようにな、カーディス君」
 猫の着ぐるみの声と同時に、淳紅の姿がその場からかき消えていた。
 次の瞬間、青年の姿は撃退士と天使、サーバントたちの乱戦から離れた場所に出現していた。
 すなわち……プロフェッサーメイデンの背後に。
 プロフェッサーは戦場に歌声を響かせている。ソプラノの歌声が荘厳に広がっていく。
 歌と共に生きる青年には、サーバントの歌声が人間の尺度でも十分に上手だとわかった。
 けれど、だからこそこの敵には負けるわけにはいかない。
 彼にとって唯一普遍の存在意義は歌うことなのだから。
 懐をかばって上体を低くする。
「持ち歌一曲の子に負けてなんかいられへんからねっ」
 サーバントの細い喉首へと、淳紅は手を伸ばした。
 淳紅に続き、カーディスも姿を隠して移動する。

 景は移動しながら、一角獣の描かれた自動拳銃から、大剣に持ち替えた。
 ガブリエルが中央突破する仲間を妨害したときには挑発するつもりでいたが、幸いというべきか今のところ天使は海が足止めしてくれている。
 しかし、その海をウォッチボイラーが狙っていた。
「悪いけど、やらせないからねっ!」
 大剣を八相に構えて景は疾走する。
 いや、それは八相の構えと似ていたが、実際には違っていた。
 野球のバッターが、バットを構えるフォーム。普段は野球部の部長兼マネージャーを務める景にとっては、それがもっともしっくりとくる構えなのだろう。
 金髪を巻き毛にした老学者の1人へ一気に接近する。
 態勢を低くしたウォッチボイラーが拳を腰の辺りで引いた。
 フルスイングした景の大剣が、踏み込んで来たボイラーの胴を薙ぐ。
 一瞬遅れて放たれた拳。
 景は盾を活性化して受け止めようとしたが、それをかいくぐった拳は彼女の体を吹き飛ばす。
「どれだけ殴られたって、対空攻撃はさせないよ!」
 自分を鼓舞するかのように、景はボイラーへと叫んだ。

 神谷春樹(jb7335)は、青い色をした2丁一対の拳銃で敵を狙っていた。
 攻撃する相手は海と戦う天使や挫斬と戦うソードメイデン、西側のウォッチボイラー……けして、特定の相手に攻撃を集中してはいなかった。
 倒すことを目的とするならば、当然攻撃は集中すべきだろう。
 だが、春樹の目的は前線に出てきている敵ではなかった。
「亀山さんやキャットフィールドさんがプロフェッサーのところにたどり着きましたから、そろそろ僕も仕掛けたいところですが……」
 北西方向へ少しずつ進みながら、春樹は2人と戦っているプロフェッサーメイデンを見やる。
 まず倒すべき歌声の乙女を狙うために、彼は前線をわずかずつ押し上げていた。
 狙うためには射線も通さなければならない。淳紅たちは射線をふさがないよう意識して動いてくれているようだが、敵はむしろふさいでくるだろう。
 かつて迫撃の達人に憧れた彼には矢面に立っている仲間が少しばかり羨ましい。
 けれども、そのスタイルが自分に向いていないことは自覚している。
 プロフェッサーメイデンを、春樹は射程に捕らえる。
 青い拳銃をヒヒイロカネに収納し、代わりに長銃身のスナイパーライフルを抜く。
 スコープを覗き込む。
 見目麗しき乙女の姿が、彼の青い瞳に映った。
「悪いけど、いつまでも歌わせておくわけにはいかないんです」
 乙女の口元に、スコープの照準を合わせる。
 引き金を引くと、鋭い弾丸の一閃が、プロフェッサーメイデンに向かって飛んでいった。


 プロフェッサーメイデンを狙って、中央突破を計ったのは淳紅とカーディスだけではなかった。
 シエル・ウェスト(jb6351)は影に紛れて身を隠す。
 ナイトウォーカーである彼女にとって、敵に見つからないように移動するのは得手とするところ。もちろん、気を引いてくれた仲間の支援があってのことだが。
「これ以上の厄介事は起こる前に潰さないと……!」
 緑の髪をポニーテールにした少女は笛を構える。
 けれど、その顔に表情はない。顔そのものがないのだ。
 シエルが悪魔として顕現したときの姿であった五方星がそこにある。姿だけではなく立ち居振る舞いも、自分の甘さを知って以来はかつてのものに戻していた。
 クラリネットを吹いても音がしない。いや、聞こえないだけだ。
 特殊な音域で響く音……無論、気づかれるときは気づかれてしまうだろうが、それでもプロフェッサーメイデンや淳紅の歌ほどには目立たないことは確かだ。
 敵と違って、撃退士側には戦場で明確な指揮官がいない。戦術的にはどうこうあるのかもしれないが、上司という存在を嫌うシエルには戦いやすい環境だ。
 そう、はぐれ悪魔になる前の、あのクソ上司と付き合っていた時期よりは、はるかにマシだろう。
 乱戦の向こうから、春樹やユウ(jb5639)のスナイパーライフルがさらにメイデンを襲う。
 その衝撃を隠れ蓑にして、シエルはさらに笛を奏でた。
 カーディスは気配を消したまま、プロフェッサーの周囲にはりつく。
 北側の双頭鷲が、淳紅や彼を狙ってブレスを吐いてくる。
 それ以外の敵がプロフェッサーの救援に駆けつける余裕はさすがにないようだった。
 彼が気配を消している分、主にプロフェッサーとの戦闘を繰り広げることになっているのは淳紅だ。
 腹部を狙って繰り出される繊手。
 一見すれば、とても人を打ち砕くような威力があるとは思えない。
 けれど当たった瞬間に放たれる重力波は、美しき歌声からは想像もつかない威力を秘める。
(いや、外見と戦力が一致しない者は久遠ヶ原にも数多くおりますか)
 守りを打ち砕き、人を吹き飛ばす拳を振るいながら、プロフェッサーはあくまで歌っていた。
 煌びやかだが、苛烈に襲いかかるガブリエルの軍団を象徴するかのように。
 青年の腹部を狙うサーバントの拳だが、上体を低くして懐をかばいながら戦っているおかげで、淳紅でもどうにか避けることができるようだった。
 淳紅も歌っている。
 プロフェッサーほどではないまでも高い音域の歌声だ。
 そして、細い首に手をかけて、彼が歌うと手のひらから雷鳴が放たれる。
「横から狙うのを卑怯とは言わせませんよ。最後に立っていた者が勝者なのですから」
 カーディスがプロフェッサーの側面から攻撃をしかけた。背後に回りたいところではあるが、狙撃役の射線をさえぎってしまう可能性がある。
 闇を纏った猫の着ぐるみは扱いづらい大剣を素早い動きで振るった。
 手に光を纏って、プロフェッサーは死角から繰り出された刃をどうにか受け流す。
 振りぬいた剣が加速した。
 カーディスが長身をひねり、さらにもう一閃大剣でサーバントの翼を狙う。
 純白の翼から、無数の羽が舞い散った。
 カーディスの攻撃を受けても、プロフェッサーが飛んで逃げるような様子はなかった。
 ソフィアは大型のライフルでプロフェッサーメイデンを狙っていた。
 前に出過ぎれば、狙撃していることに目をつけられるだろう。ガブリエルがこちらに動こうとしてきた時には少し肝が冷えたが、鴉守 凛(ja5462)が邪魔をしてくれた。
 2200mmの長銃身を誇る88mm弾のライフル。
 その破壊力は十分に高い。
 淳紅やカーディスと戦いながら、プロフェッサーは歌声を響かせる。
 けれどその声は淳紅の歌声と決して調和することはない。
 春樹のライフルも確実に敵を撃ち抜いている。目立ちはしないが、シエルもクラリネットを奏でてさらなる衝撃波を起こしていた。
 プロフェッサーの拳を、カーディスが紙一重で回避する。
 撃退士たちも幾分傷ついていたものの、プロフェッサーメイデンのダメージとは比べ物にならない。
 他の敵に対応してくれている仲間たちのおかげなのだろう、敵方の支援も散発的なものにとどまっていた。
「能力が厄介だからね。狙わせてもらうよ」
 力強いソフィアの言葉。
 陽光を吸い込んだかのような褐色の肌を、陽光を思わせる金色のアウルが包み込んだ。
 ソフィアは出し惜しみせずに銃弾を叩き込む。
 太陽のごとき輝きを放つ弾丸が、美しき乙女を撃ち抜いて、歌声を永遠に止めさせた。
「とりあえずは片付いたねっ。けど、一息つく暇はないか……」
「ええ、傷を負った方も増えているようです。まだまだ、がんばりましょう」
 明るい笑顔を春樹に向けると、彼もソフィアに微笑み返してくれた。
「体の調子はどうですか、亀山君」
「なんてことあらへん。腹はきっちり守っとったから、そのおかげやな。もっともっと……こいつよりでっかく響かせたるで、僕の歌」
 倒したプロフェッサーのそばでカーディスと淳紅が言葉を交わす。
 シエルも演奏していたクラリネットをルーン文字が刻まれた宝石の欠片に持ち替える。
 目立たず、気づかれず……混戦の中を彼女は疾駆する。
 援護を行っていた双頭鷲は仲間との合流を図って後退していた。
 プロフェッサーメイデンを倒した者達は、休む間もなく再び動き出した。


 戦場の西側では、プロフェッサーを倒すまでもなく撃退士たちが優勢だった。
 アルベールは神経を研ぎ澄ませ、双頭鷲の1体を狙う。
『吸血軍』の仲間であるラドゥと戦うサーバントの周囲には、すでに橙色の球体は浮いていない。
 双頭鷲への遠距離攻撃に反応するEファランクスをまず片付けないことには攻撃を集中することもままならない。
 仲間の1人であるギィネシアヌもそう考えていたし、シェリアなど同じことを考えている射撃役もいた。
「ファランクスはもう1個、早めに壊してしまわないとね」
 橙の球体そのものを狙えば、動かないことはわかっている。
「ギィネシアヌ、あっちのファランクスも片付けるよ」
「ああ、そっちも軽く壊してやるぜ!」
 ショットガンを構えるアルベールにあわせて、ギィネシアヌもアサルトライフルを向ける。
 ライフルの銃身に巻きついていた真紅の蛇が銃口に潜り込む。
 彼女が引き金を引くと、霧をまとった蛇がファランクスに牙を突き立てる。
 アルベールは蝙蝠の模様が刻まれたショットガンで銃撃を重ねる。
 さしたる時間をかけることもなく球体は消え去っていた。
「さあ、それじゃ後は各個撃破だ」
 ブレスに巻き込まれないよう、アルベールはギィネシアヌから少し距離を取った。
 鷲に銃口を向けて神経を研ぎ澄ませる。
 乱戦の中に放った散弾は鷲の身を穿つと、その血を啜り始め、鷲の身が落下してゆく。
 侘助はラドゥとともに、低空を飛ぶ嘲笑う双頭鷲と戦いを繰り広げていた。
 アルベールの弾丸が鷲を叩き落したところに、ラドゥが襲いかかる。
 主たる男はすでに、自らの闘気を解放していた。
 策もなく、戦術もなく、ただ力のままに剣を振るうラドゥ。それこそが彼のあるべき姿だ。小細工を弄するなどラドゥ・V・アチェスタらしくない。
 無言のままに、侘助も主の攻撃に合わせて巨大鋏を振るった。
 炎の翼を大きく羽ばたかせて双頭鷲が再び宙を舞った。
 長柄のメイスがラドゥの体に叩き込まれる。
 苦痛の声が赤い瞳の男から漏れることはない。攻撃を受けながらもラドゥが高らかに笑う。
「いつまでもいい気になってるんじゃないですの」
 九十七が放ったショットガンが、再び鷲を大地に叩き落す。
 ギィネシアヌが背後から蛇を放ち、アルベールも追撃を加える。
 インレ(jb3056)も隙を逃さずに、手刀の一撃を放つ。翼は陽炎のように吹き散り、突き抜けた手刀は鷲の背を強打した。
 起き上がろうとした鷲の脇腹を侘助の鋏が突くが、ラメラー・アーマーの前に火花と共に弾かれる。
 敵の装甲が厚い。
 しかし一撃の衝撃は抜けてゆく。
 僅かながら動きの止まった瞬間――正面から美しい両刃の剣が鷲の胸元に吸い込まれるように突き立った。
 吸血軍の主の美麗ながらも鋭い剛剣は、頑強な装甲を真っ向から突き破り、もろともに鷲の身を貫いた。
 断末魔の声。
「愉快だ、実に……楽しい、戦場はこうでなくては」
 負った傷を気に留めることもなく、ラドゥは血塗れたの剣を引き抜き次なる敵へと視線を向ける。
「見せてくれ、あんたが全てを蹂躙する背中を。それが俺の主の姿だ」
 誰にも聞こえぬ声で呟くと、侘助は主を追って動き出す。

 挫斬は戦場の中央でソードメイデンと戦っていた。
 プロフェッサーを狙う淳紅やシエル、ソフィアが通り抜けざまに範囲攻撃に巻き込んでいった敵だ。
 けれど、傷ついてなお容易く倒せる相手ではなかった。
 円形盾が挫斬の剣を受け止める。
 ソードの周囲に超重力の力場が発生した。長剣から白い光が伸びて、挫斬の体を切り裂こうとする。
 一瞬のうちに幾度も振るわれる刃を、挫斬のほうも円形盾でどうにか受け流す。
 互いに無傷ではない。
 盾で受け止めきれる程度の威力ではないのだ。
 先ほどまで、敵はその傷が癒えていた。けれどもプロフェッサーメイデンが倒された今、受け止めきれなかったダメージがソードメイデンを追い詰める。
「本気出すよ!」
 挫斬は両刃の大剣に持ち替えた。
 燃えるような赤い刃には、炎を意味する紋様が刻まれている。
 重傷を負いながらも挫斬の攻撃をしのいできたソードメイデンは、間違いなく強敵だ。無傷の状態から戦っていれば勝てるかどうか怪しい。
 けれども、だからこそ、挫斬の顔にはこらえきれない笑みが浮かぶ。
 光刃に切られ、血まみれになるほどの挫斬の体が熱くなる。
 上段に振りかぶった剣を叩きつける。
 幾度刃を振り下ろしたのか、もう挫斬は数えてはいなかった。
 やがて、盾を打ち破って、炎の剣はサーバントの首を叩き切る。
「ふふ……素敵だったわ、あなた。キスしてあげたいけど……時間がないから、ごめんね」
 まるで恋人に語りかけるような熱のこもった言葉を投げかけると、挫斬は次に解体すべき相手を探し始めた。

 挫斬がソードメイデンと戦っている間にも、戦いは続いていた。
 シェリアは西側にいたもう1体の嘲笑う双頭鷲に激しい風の渦を放っていた。
 ファランクスのおかげで思うように翻弄はできていなかったものの、少なくとも彼女のおかげで鷲はプロフェッサーメイデンの救援に向かうことはできないでいた。
 邪魔だった橙色の球体ももうない。
 吹き付けられた炎の吐息がシェリアの白い肌を焼く。
「貴方に幾つ攻撃を当てれば、その腹立たしい目を苦痛に歪める事ができるのかしら?」
 手のひらを敵に向けると、そこから激しい風の渦が走った。
 翼や、メイス、2つの頭部がシェリアの魔法で激しく振り回される。
 渦が収まっても、敵はなお風に揺られているかのようによろめき続けている。
 さらに周囲の撃退士たちが、朦朧状態に陥った双頭鷲に攻撃をしかけた。
「あら、残念。1人で倒してあげるつもりでしたのに」
 ことさらに胸を張ってシェリアは告げる。金色のアウルをまとった銀色の髪が揺れる。
「それはすまないことをした。余計なことだったか?」
「別に構いませんわ。こだわるほどの相手ではありませんもの。一気に倒してしまいますわね」
 通り過ぎざまにインレからかけられた声に、シェリアは応じる。
「ならば、遠慮はなしでいくとしよう」
 右半身から無数の刃を生やした悪魔がその足を大地に叩きつける。
 力強い震脚から、彼は一気に鷲へと接近していった。
 シェリアはその間に次なる魔法を用意していた。
 炎の塊を作り出す。仲間たちの攻撃にさらされる敵に向かって狙いをつけた。
 放った炎は過たずサーバントに命中し、双頭鷲が燃え上がる。
「鷲の焼き鳥って美味しいのかしら?」
 炎の中に崩れ落ちる敵の姿を見て、彼女は呟いた。
 残ったウォッチボイラーの片方は景に抑えられていたが、もう片方が卵を撃退士たちに投げつけてくる。
 九十七はボイラーたちに迫ると、ショットガンを向けた。
『ポンッ』
 軽い音とともに飛んでいったものは、散弾ではない。
 榴弾は放物線を描いて2体のボイラーの間に落下する。
 ボイラーたちを巻き込んで、大爆発が起こった。
「ざまあみやがれ、この……」
 口を押さえて、九十七は言葉を止める。
 爆発を機と見てラドゥ、侘助、インレが巻き起こった爆煙の中に飛び込んでいく。
 撃退士達は容赦なく暴れまわっていた。景はアウルの濃度を高めた大剣で敵を切り裂いていたし、挫斬もすべてを解体せんとばかりに大剣を乱暴に振り回している。
 天魔は皆殺しにすることが正義と信ずる九十七にとっては快い光景だ。
「九十七ちゃんもたまにはあんな風にど派手に暴れたいですの。知ってますけどね、向いていないことは」
 ラドゥの剣をボイラーは光を宿した腕で受け止めれど、吸血鬼の破壊力は防御を粉砕しその上から打撃を与えてゆく。衝撃に鈍ったその隙を突きインレの鋼糸と侘助の鋏がボイラーを切り裂く。
 さらにアルベールやギィネシアヌが援護射撃を重ねてゆく。
「ま、九十七ちゃんの出番はなさげってことですねぃ」
 再び放り込んだ榴弾の爆発で、まずボイラーのうち1体が倒れていた。
 インレは西側で残った最後の敵であるウォッチボイラーに接近する。
 拳を固めた敵に対し、彼は横合いから炎のように赤い糸を飛ばしていた。
 踏み込みが浅い。
 ボイラーは素早くラドゥへ接近し、けれどラドゥはボイラーが拳を繰り出すよりも速くに剛剣を繰り出した。
 しかしボイラーは低く入って、剛剣を光を宿した左腕で捌きながら掻い潜る。
 殺しきれぬ破壊力がボイラーの左腕から血飛沫を噴出させたが、敵もまたさる者、その捨て身ともいえる右の拳がラドゥを吹き飛ばしてゆく。
 地面が凹むほどにインレは強く踏み込んで、一気にボイラーを追う。
 隻腕のインレは左の手指をまっすぐにそろえる。
 手刀を繰り出す動きの中で、脚、腰、腕が自然とねじれ、体内で螺旋状に勁が練られる。
 禍を断つ一撃と化したインレの手刀は、傷ついたサーバントの体を両断していた。
 ガブリエルのほうへと視線を向ける。
 海や凛がその攻撃を妨げているが、相手は天使。余裕のある動きではない。
「手を伸ばす先にあるモノは、月ではなく尊きモノだ」
 呟いて、インレはガブリエルへと向かう。
『吸血軍』は北上しながら遭遇した敵を攻撃するようだった。他の撃退士たちも、それぞれガブリエルや残った敵を狙うために動き出した。


 西側のサーバントたちが撃退士たちに圧倒されているころ、天使ガブリエルは乱戦から少し外れた場所にいた。
 ひたすら彼女を追ってくる海をまず片付けるために、彼女は一時足を止めていた。
 影野 恭弥(ja0018)はガブリエルやそのそばにいるソードメイデンをスナイパーライフルで狙っていた。
 彼は凛を盾にするように動いていた。
 ガブリエルの動きを制限しようと動く凛に合わせた結果、彼もまたガブリエルと対峙することになっていた。
(アウルを効率化した武器ならガブリエルにも通じる。問題ない)
 表情を変えることなく、恭弥は冷静に天使を狙う。
 凛を壁にすることにも迷いはない。
 彼女のほうも、高い攻撃力を持つ恭弥を守ってくれているようだった。
 天使が青龍偃月刀を振り上げる。
 狙う相手はキイだ。海もそうだが、自ら狙われるように仕向けていたキイの傷はすでに深い。
 それでもなお、狙われるのは望むところとばかりに少年が盾を掲げる。
 ガブリエルが攻撃をしかける瞬間、恭弥は自らの体を漆黒に染めていた。
 髪も武器も身に着けている防具もすべてが黒く染まったのだ。
 いかな闇が彼の中に宿っているのか、知る者は本人以外にいない……ただ、今の恭弥の姿を見ればそれが明るいものではなかろうと想像したかもしれない。
 とはいえ、仮に他人がなにを感じようと、恭弥がそれを意に介することはおそらくなかっただろう。
 ただ引き金を引く機をうかがうのみ。
 そして、それは偃月刀を振り下ろしきった瞬間に訪れた。
 黒い炎をまとった弾丸が銃口から飛び出す。
 弾丸は過たずガブリエルの体を貫通する。
 切り裂かれたキイが鋼の決意でもって立っていたが、恭弥が彼に目を向けることはなかった。
 西側にいた敵を倒した撃退士たちの一部がガブリエルとの戦いに加わってくる。
 拳に布を巻きつけたマキナ・ベルヴェルク(ja0067)や、禍々しい紅の光を放つ雫(ja1894)らが一気にガブリエルへと接近していた。
 同じく接近したインレの右半身からは軋みをあげて巨大な刃が無数に現れる。
 凛は撃退士たちに囲まれようと意に介さないガブリエルを静かに見つめた。
 他の者たちがガブリエルをどう思っているかはわからない……が、少なくとも彼女は天使に対して憎しみを抱いてはいなかった。
 心のうちにある望みは、誰にも語ることはできない。
 視線の先にいるのは、薄い白衣で豊かな肢体を包んだ少女。
 見た目だけなら、凛とさして変わらぬ歳ごろにも見える少女。
 久遠ヶ原学園の撃退士たちと戦いながら、ガブリエルはそれでも微笑を時折覗かせる。
 戦に狂ったような笑いではない。
 柔らかく上品な――しかし何処か不敵で高飛車な――微笑みで、彼女は撃退士たちを見つめていた。
 ――羨ましい。
 凛の語れぬ想いを彼女が知るはずはない。認めて欲しい、知って欲しい。けれど語れない。
 ならば……。
 偃月刀が竜巻のごとく高速で走り、マキナを切り裂く。
 凛は鉄色をした地味な鎖鞭を、ガブリエルの細い首に向けて放つ。
 けれど、ガブリエルの偃月刀はそれを弾き、たやすく捌く。
 防がれたことを凛は意に介さなかった。いかなガブリエルとて、無限に攻撃を防ぎ続けられるわけではない。
 キイはガブリエルを攻める戦力が増えても、攻撃に参加しようとはしなかった。
 いや、戦力が増えたからこそ攻撃には参加できない。
 仲間を守ることこそ彼の役目だからだ。
 マキナに向かってガブリエルが加速する。
 なぎ払われる偃月刀の前に、キイは迷うことなく立ちはだかった。
 すでに傷だらけの体にさらなる傷が刻まれる。さしものキイも意識を手放すほどの一撃。
 だが、彼はまだ倒れるわけにはいかない。
 騎士たる彼は、自らに任じた役割をまっとうするために立つのだ。
 青白いオーラが輝きを増す。窮地に陥った彼の中で、さらなる力が湧き出してくる。
「どうした。この盾はまだ砕けてはいないぞ」
 立ち上がったキイの傷が、わずかずつながら回復していく。
 もっとも、その速度はガブリエルの攻撃力からすれば十分とはいえない。
 それでもキイは立っていられる限りガブリエルの攻撃を防ぎ続けるつもりだった。
 少年の体を切り裂いた勢いのままに移動する天使に、海が追いすがる。
 痛む体をおして、キイも彼らを追う。
 きっと、次はもう倒れるよりないのだと、彼にはわかっていた。

 ジェラルドはソードメイデンと戦いながら乱戦の中でガブリエルに近づいていっていた。
 赤黒い闘気を振りまいてソードの長剣と斬りあいながら、彼の狙いはソードではなかった。
 西側の敵を倒した者たちがしかけるよりもずっと早く、彼はガブリエルの隙をうかがい続けていたのだ。
 攻撃役が増えたことでようやく彼の我慢は実を結ぶことになりそうだ。
 はたからはまじめに戦う気がないように見えていたかもしれないが、彼の得意分野は小細工を弄することだ。
 移動したガブリエルを、海が背後から突き刺そうとする。
 とっさに振り向いた天使が、攻撃を偃月刀で捌く。
 さらに他の撃退士たちも追ってきていた。ガブリエルの注意が完全にそちらに向いている。
 けれど、そこはジェラルドがしかけられる距離だった。あつらえ向きに、先ほど地上の撃退士を狙ったガブリエルはまだ空中に戻っていない。
 天才的な観察眼をアウルによって強化したジェラルドには狙うべき場所がはっきりと見えている。
「ハァイ、お嬢さん☆ ちょっと、遊ぼうよ♪」
 至近距離からライフルを叩きつける。
 その一撃は、ガブリエルを一瞬とはいえ無力化する。
 痛みに強い彼女に効くのはわずかな時間だけだ。
 けれど、そのわずかな時間で、凛が盾を彼女の顔に押し当てる。
「刻むしか……ありませんよねぇ……」
 呟きが彼女の口から漏れた。
 漆黒の刃が無数に現れて、ガブリエルの周辺を無軌道に乱舞する。刃の動きは緻密ではないが、無傷ではいられぬほどの密度で天使に襲いかかる。
 他の仲間たちも、いっせいに攻撃をしかけていた。


 戦場の北側では、サーバントとの戦いがまだ続いている。
 光太郎はウォッチボイラーと接近戦を繰り広げていた。
 月子も同じ敵に、後方で弓から黒いアウルの炎を放って攻撃していた。
 残った敵には、白秋が自動拳銃で弾の雨を降らせていた。とはいえ、鷲のうち1体はプロフェッサーメイデンを囲む撃退士たちのほうに行ってしまっていたが。
 白秋が戦っている相手の後方に回り込みながら、もう1人誰かが戦っているようだった。
 ボイラーの拳が光太郎を狙ってくる。
「食らうかよっ」
 大地を叩くとアウルでできた畳が現れて、ボイラーの視界から彼を隠した。
 単なる物理的な攻撃ならば、回避に長ける光太郎にそうそう当たるものではない。ただ、ウォッチボイラーの拳は魔法的な攻撃としても放てるようだった。
 そうなると、光太郎のほうがいくらか分が悪い。
 畳返しでしのごうとはするが、運が悪いと拳から放たれる衝撃波に吹き飛ばされてしまう。それほど体力があるわけでない光太郎にはきつい状況だった。
 地面を叩いた姿勢から無理やり畳の横に回りこむ。
 戦場に響いていた歌はいつの間にか聞こえなくなっていた。プロフェッサーメイデンを倒しに行った者たちは、たぶんうまくやったのだろう。
「サーバントは弱ってますよ。自分から前に出ておいて、負けたりしないですよね、嶺さん」
「面倒だけど、しっかりやることはやらなきゃいけないよなあ」
 ため息をつきながら、体を起こす途中、虚を突くように無造作な蹴りをボイラーに放つ。
 撃退士になる前から光太郎は喧嘩には長けていた。実は引いていたらしい天使の血のおかげもあるのかもしれない。
 正面からやっては光太郎の攻撃技術では機敏なボイラー相手にあてるのは困難だった。ことごとくをかわされ、捌かれる。だが、型どおりの武術にはない無茶苦茶な蹴りも彼にとってはお手の物だ。
 胴体に触れた瞬間、足先からアウルを流し込む。
 ボイラーの動きが止まった。
 月子が持った弓からアウルを放ってサーバントを撃つ。
 渾身の力を込めて光太郎が脚を振り下ろした。動けないボイラーの、腹の辺りを踏みつけるように蹴りつけると、ようやく敵は意識を失ってくれた。
 背後から炎が襲ってきたのは、その瞬間だった。
 プロフェッサーがいたほうから後退してきた双頭鷲のブレスで狙われたのだ。
 ボイラーとの戦いで、もう畳を作り出すアウルは残っていない。
「爺さんがもう1人まだ残ってんだけどな……はぁ」
 ため息をつきながら、光太郎は意識を失った。
 狗猫 魅依(jb6919)はプロフェッサーメイデンの歌が止まった時点で、本格的な行動を始めた。
 闇がなくとも、ナイトウォーカーである彼女は隠れることができる。
 荒野であろうとも隠れる場所はあるのだ。
 白秋と戦っているボイラーや鷲の背後に回りこむように猫耳猫尻尾の悪魔は移動する。普段は1本しかない尻尾が2本に増えているのは光纏の影響だ。
 側面へ回り込みながら、白秋が自動拳銃を双頭鷲に向けて放つ。
 直線状に飛んだ貫通力の高い弾丸は、橙色の光球をから撃ちだされた光弾の嵐の中で失速。球体を傷つけながらも鷲には届かなかった。
 正面からの攻撃でなくとも、Eファランクスは自動的に反応するものらしい。
 だが、どちらも巻き込んでしまえば問題ない。
「ぶっっとべぇ!!」
 三日月のように鋭い刃がいくつも魅衣は放った。実力的には白秋に及ばないが、魔界からの影響を非常に強く受けている魅衣の攻撃は、天界の住人にはよく効く。
 刃はファランクスを引き裂いて、消滅させていた。
「はくしゅう、ファランクスは消したよ!」
「おう、助かるぜ。欲を言えば、もっとおっぱいの大きい子に援護してもらいたかったけどな」
 猫など一呑みにしてしまいそうな、肉食獣を思わす笑みを浮かべる。
「……失礼なこというにゃ!」
 な行の音がうまく発音できない。
 双頭鷲の反撃を受けないよう、魅衣はすぐさま影に紛れる。
「冗談さ。助かったのは本当だけどな!」
 移動する彼女の耳に、白秋の声が聞こえてきた。
 双頭鷲に続いて、プロフェッサーメイデンを倒した仲間たちが近づいてきている。
 ユウが自動拳銃から銃弾が鷲を狙っていた。
 カーディスや淳紅は白秋たちの援護に向かうようだった。
 さらに、炎が地を這い、孔雀の羽のごとく広がる火柱となる。シエルの魔法だ。
 月子はウォッチボイラーが倒れた後、近づいてくる双頭鷲に弓を向けた。
 ソードメイデンを倒しに行くつもりだったが、北側の戦場はまだ手が要りそうだ。
 彼女には、特定の敵との戦いにこだわりはない。
 欲しいのはスリルだ。一見するとただ大人しそうなだけの少女しか見えない月子だったが、好戦的で危険を好む一面を隠している。
 長柄のメイスを手に双頭鷲が突進してくる。
 接近戦を挑まれて、月子は狂気じみた笑みを浮かべた。それは、けして恐怖からではない。
 振り下ろされる鈍器の一撃をしっかりと見すえたままで月子はそれを顔で受け止める。
 一撃を食らいながらも、彼女は魔道書を取り出して黒い炎で鷲を包み込んだ。
「この距離でやりあうのも楽しいですけどね。あなたはどうですか?」
 こらえ切れない笑みを浮かべながら至近距離で語りかける。
 作戦行動中でないならば、本当にこのまま戦ってもいいとすら彼女は思った。
 距離を取る。
 追ってきた敵を彼女は弓で狙った。狙撃するユウの弾丸が鷲を守るファランクスを消したのを見逃さず、弓から放つアウルの炎が鷲を焼く。
 北上してきた『吸血軍』の者たちが、さらに鷲との戦いに加わったのはその時だ。
 ギィネシアヌやアルベール、九十七が射撃を加える。
 新手と距離を取りながら双頭鷲は月子に炎を放ってきた。
「見た目も振る舞いも……どこも美しくないですよ」
 炎に焼かれながら、月子は冷ややかに告げた。
 背中から斬られた鷲が、無様に落下する様を見つめながら。
 最初に北側にいた双頭鷲とボイラーが1体ずつ倒れた。残っているのも1体ずつだ。
 白秋は、なおも双頭鷲とボイラーをまとめて相手取っていた。
 まず倒そうと狙っていた敵は双頭鷲のほうだ。
 先ほど魅衣がEファランクスを壊してくれたおかげで、もはや鷲に防御はない。
 それでも2対2ではさすがに厳しい戦いだったが、カーディスと淳紅が支援に加わってくれている。
 銃把に竜が刻まれた自動拳銃を敵に向ける。
 金色の瞳が、まずは双頭鷲を、ついでボイラーを見すえる。狙った2体の敵へ向かって、彼は暴風のような猛射撃を浴びせていた。
 戦闘に加わったのは淳紅たちだけではない。
 狙撃銃から自動拳銃に持ち替えたユウも射撃に参加していたし、挫斬が飛び込んできて鷲へと大剣を振り下ろす。
 弾雨の陰ために白秋を見失った双頭鷲は、新たに現れた2人を見比べると、挫斬に向かって一気にメイスを叩き付けた。
「キャハハ! どいつもこいつも解体してあげるわ!」
 挫斬の白い服が赤く染まっている。
 血にまみれながらも、彼女は痛みを感じていない動きで大剣を激しく振り回す。
 三日月の刃や、火柱が包み込んでいるのは、身を隠しながら戦っている魅衣とシエルだろう。
 やがてラドゥの両刃剣や、侘助の巨大鋏も鷲を攻めるのに加わった。
「そう簡単にくたばらせはしないから!」
 ショットガンで治癒効果のあるアウルの光を挫斬に降らせたのはアルベールだった。
 2つの頭部を白秋の弾丸に貫かれて双頭鷲が沈黙するまで、さほどの時間はかからない。
 幾人かがソードメイデンを倒しに向かい、残った撃退士たちはウォッチボイラーと対峙する。


 ジェラルドのおかげで集中攻撃を受けて、それでもなおガブリエルは耐え切り……これまで仲間たちへの攻撃を防ぎ続けてきたキイを打ち倒した。
 海や凛、他の壁役の者たちも気絶してもおかしくない領域に達している。
 この戦場での敵は数を減らしていたが、ガブリエルの軍勢はここにいた者たちだけではない。
 ガブリエルを攻略しない限り、他の戦場からどんどんパワーバランスが崩れてしまう。
 マキナは布を巻きつけた拳を握り、ガブリエルへと接近する。
 天使の機動力は高い。そしてその素早い動きをどうにか捉えたとしても、護りもまた強力なのだ。
 とはいえ、プロフェッサーメイデンによる回復がなくなったおかげで勝ちの目があった。もしもメイデンを放置していれば、倒しきることができずにいつか負けていただろう。
「その得物で捌くのもそろそろ限界ではないですか?」
「そうお思いでしたら、やってごらんなさい」
 不敵に微笑むガブリエルの言葉の真意はわからない――案外余裕が無くなってきているのかもしれない。
 しかし、それでも至極困難である、という事がマキナにはわかっていた。得物を使わぬ体捌きだけでもガブリエルは格段に早い。
 けれども――絶対というほどではない。
 確かに超レベルの速度だ。その上、見た目の軽装さとは裏腹に防御も厚い。
 だが非常に難しいが、実現不可能というほどではない。
 徹底して自分を客観視しつつも、彼女はそう結論付けていた。
 サーバントたちとの戦いで温存していたアウルの技をすべて使い切れば、いくらかなりとも打撃を与えることはできる可能性はある。
「持てる総てを以て」
 左の手に巻いた布……伝説上の生物の皮膚とも言われるそれを硬く握る。
 右腕から現れるアウルの黒焔より渇望が発現して、それが『終焉』へと転化する。
 ガブリエルは一撃目を回避し、さらにしかけた二撃目を偃月刀でそらした。
 長柄の偃月刀が竜巻のごとく激しい螺旋を描き、円運動で切っ先を加速させマキナを襲う。比類なく重い一撃。
 瞬間、マキナの体を覆う光纏と髪がが黄金へと変化し、刹那の間彼女に死を超越させた。
 刹那が過ぎれば倒れることは不可避。それでも、なおマキナは前に出る。
 雫は波打つ大剣を、やはり幾度も振るい続けていた。
 彼女の剣も確実性は高くない。
 ただ、天使が攻撃の大半を防いでみせる中、恭弥の銃弾は少なからずガブリエルの体をとらえていた。黒く焼かれた肩口と胴体の傷は彼によるものだ。
 やはり後方から太陽の弾丸で援護するソフィアの攻撃も半分は当たっている。
 凛はガブリエルが彼のほうへ行かないように妨害できる位置にいる。
 ジェラルドやインレも隙をうかがい、海は天使が飛翔するのに備えて上空から狙っていた。
 臆することなく、雫もアウルを燃焼させる。
 粉雪のごとくアウルが周囲を舞い、焔のように波打つ刀身は蒼く冷たい月へと変じる。
 翼を狙って当てることなどできることではない。
「蒼天より地に堕ちろ、ガブリエル!」
 全力で振りぬいた刃が、花のごときガブリエルの微笑を散らせようと襲いかかる。
 側面から振り抜いた一閃は――ぎりぎりのところで、天使の胴体をとらえた。
「……当たると厄介ですわね、あなたの剣は」
 手ごたえはあった。けれどもガブリエルはまだ倒れない。
 反撃と繰り出された竜巻のごとき一撃が、雫の体を直撃する。
 気力を振り絞って立つ……その段階を一気に飛び越え、ガブリエルの偃月刀は雫に致命的な傷を負わせていた。

 北側の戦場は、ようやくサーバントたちがすべて倒れていた。
「アハハ! さぁ! あたしと一緒に死にましょう!」
 狂ったような挫斬の声を最後に、ウォッチボイラーの魔弾が炸裂する音が聞こえなくなった。
 ユウはソードメイデンを撃ち抜いている。
 傷だらけになっているのは、守りを気にせずにメイデンと戦い続けた結果である。
 春樹が先ほど手当てをしてくれていたが、まだまだ完全な状態とはいえない。
 それでもユウは、闇の翼を広げてガブリエルとの戦いに向かった。
「私の力は誰かを護るためのもの。そうですよね」
 ここにいない誰かへの誓いを思い起こす。
 紫電のアウルを放つ自動拳銃をしっかりと握って、ユウはガブリエルへの攻撃に参加する。
 早い上に頑健な天使だが、多数を一度に攻撃する手段は持たない。
 雫に続いてマキナも倒れていたものの、撃退士側の戦力はまだ残っている。
 無論、ユウだけでなく他にサーバントを片付けていた者たちも少なからず戦いに加わっている。
「ガブリエル! 此処に貴様が手折って良い花など一つも無いと知れ!!」
 一瞬できた隙に、インレが硬気功で鋼と化した体を面で叩きつける。
 動きの止まった隙に、撃退士たちの攻撃が一気にガブリエルを捕らえた。
 ――だがそれは、ようやくガブリエルに切り札を使わせたに過ぎなかった。
 しなやかな肢体に絡むように浮遊している帯状衣に蓄積していた力を天使が解放する。
 撃退士たちの目の前でガブリエルにつけた傷が癒えていく。
 ユウだけが、その瞬間を狙っていた。
「完全な守勢になるその一瞬の隙、逃しませんよ」
 翼を羽ばたかせようとするガブリエル。
 ユウは傷ついた体に、限界を超える動きを強いる。
 連続して放つ銃弾。
 獲物を一撃でしとめるという拳銃から放つそれをガブリエルは3度までもかわしてみせる……しかし、4度目がどうにか天使をとらえた。
「ふふ……やりますわね! けれど一撃ではわたくしは沈められません!」
 唸りをあげて振るわれた反撃の刃が、ユウを空から落とす。
 白秋はユウを倒すために動きを止めたガブリエルを見逃さなかった。
 再び空へと逃れようとする天使を止めるべく、彼はアウルの力を使う。
「一目惚れしたんだ。付き合ってくれよ」
 現れたのは銀色の美女。
 目隠しをした美女は、慈愛に満ちた動作で両腕を広げる。
 広げた翼を抱きとめられるような異様な腕ではない。
 女に餓えた男のような、焦った動きでもない。
 その動きは、ただ愛を込めた抱擁にしか見えなかった。
 にもかかわらず、美女の両腕はガブリエルをきつく抱きしめて……そして、消え失せる。
 ガブリエルは翼を広げようとした。けれど、それは動かない。飛び上がることができない。
「あら……一目惚れした相手を無理やり縛り付けるなんて、ずいぶんと強引な男ですわね?」
「はっ。優しくするだけじゃあ、女は逃げるばかりさ。違うかい?」
 不可視の力が、彼女を縫いとめている。いや、抱き止めている、というべきだろうか。
 おそらくは最後のチャンス。
 撃退士たちが一斉に攻撃をしかける。
 ガブリエルはまったく動けないわけではなかった。けれども動きは大幅に鈍り、その場から動くことはどうあってもできないようだった。
 恭弥とソフィアの銃弾がガブリエルをとらえる。
 凛の縛鎖が飛び、ジェラルドが驚嘆すべき観察眼を発揮し、インレが全身で打撃を与える。
 他にもガブリエル戦に加わっていた撃退士たちが相次いで攻撃を加えた。
 わずかにしか動かない体で、ガブリエルは紙一重の回避を試み、あるいは偃月刀で弾こうとする。だが、撃退士達の攻撃は熾烈だった。頑強さを誇るガブリエルだったが、満足にかわせぬ状況においては、あっというまに鮮血に染め上げられてゆく。
 それでもガブリエルは満身創痍の傷を負いつつも、白秋の束縛を抜けて一気に飛翔する。しかし深手を負ったのは確かであるようだった。
「……無念、ですわね。あの子達は助けたかった」
 血染めのガブリエル・ヘルヴォルはそれでも艶然とした笑みを浮かべて喉を震わせた。
「見事、と言って差し上げましょう」
 高く空に舞い上がらんとするガブリエルの行く手をさえぎったのは海だ。
 槍を手に進路をふさぐ。
「付き合ってもらうと言ったよね」
「ふふっ、あなたの翼では……今の私には追いつけませんわ」
 銃弾、炎、矢……海を回避するためのわずかな時間でさらに追撃が飛ぶが、衣に蓄えた力を解放し速度を増したガブリエルに命中したものは1発きりだった。
 翼ある撃退士をはるかに超える速度でガブリエルは姿を消す。
「……倒しきれなかったか」
 誰かが呟いた。
 しかし少なくとも後退させる事は出来た。ガブリエルは退却の指示を出したのか、周囲の戦域のサーバント達も撤退に移っている。
 この方面に三島市に向かえる敵はいない。
「女が逃げるのは、捕まえて欲しいからさ。次はいただいてやるぜ」
 肉食獣のような笑みを、白秋は天使が逃げ去った方角へと向けたのだった。


【願い達の血路・西】 担当マスター:青葉桂都








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