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●光輝にして暗黒
 眼前に広がる荒涼たる風景。
 生活の匂いも消え失せ、ただ瓦礫の山だけがここが未開の地ではなかったことを示すのみ。
「良くも悪くも予想通りか」
 平坦な声が事実のみを口にした。
 背に紫の光翼を広げ、イスカリオテ・ヨッドは荒れ野を見下ろす。
 整然と突き進む己の軍勢、それを迎撃する人間の軍勢。巻き上がる土埃に富士すらも霞んで見える。
 だが黒衣の天使の瞳はただそれらを事実として映しているだけだった。
 未知の戦力に対し、可能な限り多くの戦力を向かわせる。成程、敵の行動は理に適っている。だから予想通りだ。
 進撃する手勢に追加の指示を飛ばしたところで、イスカリオテはやや高度を下げる。


 紫の光が瓦礫の彼方に降りて行った。
「これで互いの姿は見えないか。吉と出るか凶と出るか」
 鳳 静矢(ja3856)が深く静かに息を吐く。鳳 蒼姫(ja3762)は細い指を伸べて、大きな手に添える。
「凶になんかならないのですよー。これはおまじないです」
 微笑みはすさんだ戦場を潤す雨のようだ。静矢の厳しく結ばれた口元に柔らかな気配が浮かぶ。
「そうだな。だが無理は禁物だ」
 繋いだ手と手、絆の力。
 華桜りりか(jb6883)が伏せ目がちに声をかけた。
「あの……んと……静矢兄さま、蒼姫姉さま、お気をつけくださいね」
「りりかこそ気をつけるのですよぅ」
 蒼姫が優しく抱き寄せると、りりかは小さく頷く。
 蒼姫の肩越しに、水無瀬 快晴(jb0745)が気遣うように見ていた。
 りりかは蒼姫から伝わる暖かさと、いつもと変わらない快晴の顔を見ているうちに、少しずつ心が落ち着いて行くのを感じる。

 黒衣の死天使イスカリオテが大軍勢と共に攻め寄せてきた。
 その意図ははっきりとは判らないが、何も考えずに突っ込んで来て力を誇示するようなタイプでないことは疑いようがない。
 甘く見れば蹂躙される。刃を交えるからには、全力で。
 だが袋井 雅人(jb1469)の笑顔は、少なくとも表面上は普段通りだった。
「黒井君、これで『光と闇の王子』コンビですよ!」
 絆を結んだ雅人の明るさに、もともと生真面目な性格の黒井 明斗(jb0525)は少し反応に困ってしまう。
 けれど力強い相棒であることは間違いない。
「ここを破らせる訳にはいきませんね。精いっぱい戦いましょう」
 互いが相手を信じられる、そんな相手と共にならこの苦境もきっと乗り越えられるだろう。

(こんなときにもアンタの眼は、ただ闇だけを見てんのかね……)
 小田切ルビィ(ja0841)は幾度か肉薄した虚ろな黒を思い返した。
 一度燃え上がった炎を胸の奥に、ただただ死と破壊を撒き散らす冷たい瞳。
 天使でありながら悪魔の血を身体の内に滾らせ、かつて死天使と呼ばれた少女天使の復讐だけを望む男。
 その真の殺意が向けられているのは、彼女を殺めた者達――という訳では、実は無い。ルビィはそれを知っていた。
『あの娘にあんな生き方をさせあんな死に方へと追い詰めたこの世界の総てを破壊する』
 イスカリオテはかつてそう言った。
 あの男は天魔人が相争うこの世界構造そのものを憎んでいる。だから総てを破滅させる。きっとそれは天界の上層部も知らない。ある意味、イスカリオテの野望こそもっとも現実味の無い話だった。
 しかし、ファーフナー(jb7826)は、理由が何であれ生きる目的というものを見つけたイスカリオテを何処か羨ましいとすら思う。
 叶うならば、この葛藤ごと自分の血を捨てられたら……あのハーフブラッドはそう望んだことはないのだろうか。半魔の男はそんな事を思う。
「行くか」
 口にしたのはそれだけ。感情を殺した青い瞳に、紅玉の瞳が頷く。
「ああ」
 ルビィが広げる翼に、ファーフナーは自らの背中を切り裂かれるような痛みを感じた。
 確かにそれは自分の背中にもある。必要であれば使う。それだけだ、と自分に言い聞かせる。
 二人に続き、巫 聖羅(ja3916)も翼を顕現させる。
(まずは敵情を確認しなくてはね……)


 空に上がると、敵の布陣が確認できた。
 長大な剣を担いだ白面の巨人と、笑いながら踊り続ける緑の巨人を両脇に並べ、先頭に立つのは黒衣の死天使。
 その背後ではプロフェッサーメイデンが、澄んだ歌声を響かせている。
「あれがヒーラーね。敵陣の一番奥に居るけれど、明らかに餌よね?」
 聖羅が僅かに眉を顰めた。
 天上の楽とはこういうものか。だがその無垢そのもののような美しい少女が響かせる歌声に、熱は感じられなかった。
 少なくとも人の心を動かすものではない。
「――でも、あれを狙わずに済む選択肢は無いわ……」

 聖羅は状況を地上の結城 馨(ja0037)に知らせる。
 他には黄金の鷲頭騎士が両翼に2体ずつ。これは伊豆でよく見かけられた銀騎士と呼ばれるサーバントに似ていた。
 敵は癒しの力を持つ少女型サーバントを守る形に展開している。
「わかりました、有難うございます。やはりメイデンから排除しましょう」
 馨は厳しい目で瓦礫の彼方を見るように顔を上げた。
 それまで静かに報告を聞いていた咲村 氷雅(jb0731)が、口を開く。
「銀騎士に似ているなら、突撃の可能性がある。予備動作に注意して直線上から離れるように注意するんだ」
 今の状況は去年に似ている。そう思うと、氷雅の胸に苦い思いが甦る。
 また大きな戦いも近いだろう。同じ過ちを繰り返す訳にはいかない。
 その横顔を少し思案気に水無瀬 雫(jb9544)が窺う。
「氷雅さん……?」
 氷雅がそれに気付き、表情を和らげた。
「味方の手勢も少ないからな、背後を突かれたり挟撃されたりしないよう注意しよう」
「氷らしくもない。挟撃だろうが罠だろうが、仕掛けられる前に早く倒せば問題無いだろ?」
 Zenobia Ackerson(jb6752)が旧友の深刻さに比して、余りにさらりと言ってのける。
 その言い草に氷雅も冗談めかして返した。
「では行くぞ雫。折角だ、ゼノより先に倒してしまうぞ」
「精々頑張ってくれ。期待しているぞ」
 ひらひらと手を振り、Zenobiaは自分の決めた配置へと移動して行った。

 ミリオール=アステローザ(jb2746)の背中で薄羽根が艶やかな虹色の光を放つ。
「イスカリオテ、今日こそは決着をつけて見せますワぁ♪」
 強敵との対峙に心は躍りこそすれ、恐れなど微塵もない。ある意味もっとも幸せかつ健全な動機かもしれない。
 翼ある物が舞い上がることは、即ちこちらの位置を敵に知られること。
 開戦の合図である。
「さて、行かせて貰うよ」
 快晴は『ハイドアンドシーク』でなるべく気配を消す。暫くは皆が相手の気を引いてくれるはずだ。その間に可能な限り接近する。
 長槍を手に、大炊御門 菫(ja0436)は前を見据える。
「あの大物は引き受けるぞ」
 長大な剣を振り回す巨人の動きを窺い、勝機ありと判断したようだ。
「あたいもそっちね! ひっくり返してやるんだから!」
 雪室 チルル(ja0220)が今にも飛び出しかねない様子で眼を輝かせる。
 阻霊符に力を籠め、九鬼 龍磨(jb8028)が頬を引き締めた。
「皆のために、今ある全てを! 必ず役目は全うして見せますよ」
 月詠 神削(ja5265)は無言のまま魔法書を手にする。
(強敵とはいえ、何処かに隙はあるはずだ……)
 それはおそらくほんの一瞬。秀麗な横顔が研ぎ澄まされた意識そのもののように鋭くなっていく。
 『慧眼』で臨戦態勢を整え、天羽 伊都(jb2199)の瞳が金色に変じた。
「ボクはボクの手で人を救える事を全力でやるだけだ、さあ死天使よ、勝負だ!」
 獅子の咆哮のように吠えると、大地を蹴って駆け出した。
「ここ一番の分水嶺ってやつね! 全員突撃ー!」
 チルルの威勢の良い声が、乾いた風を跳ねのける。


●沈着にして苛烈
 当然ながら、イスカリオテの方でも撃退士の接近を確認していた。
(あれは囮だろうな。かと言って無視するわけにもいかんか)
 充分な距離を取って瓦礫に潜んでいたはずの撃退士達が、これ見よがしに空を翔けて来る。
 別働隊がいると思って間違いない。
 イスカリオテは配置を終えたサーバントを少し呼び寄せた。
 能う限り強力な手札を用意したつもりだが、今のところこちらに向かって来る敵の数が判らない。警戒すべきは各個撃破。敵の数が多いなら、逆に密集させて纏めて叩く方が後が楽だ。
 その間にも翼持つ敵は、それぞれが見定められるまでに接近していた。


 アサルトライフルを構えたルビィが西側から回り込むように現れる。
「行くぜ!」
 白衣の少女の前には、何の表情もない顔をこちらに向ける死天使の姿。だが両手に握る十字剣がそれぞれ白と黒の光を帯びていた。
「また遭ったな、イスカリオテ」
 相手の射程を考えて充分な距離を保ち、撃ち込む銃弾。それを軽々と避け、イスカリオテは紫の光翼で浮かび上がる。
 真紅の色の瞳と虚無色の奥に怨讐の火を宿した瞳が交錯した。
「貴様か」
 ルビィの言葉にも眉一つ動かさないまま、剣を握る手に力を籠めた。
 その動きが一瞬止まる。

 範囲攻撃を警戒しつつ、ファーフナーが少し距離を取ってルビィに続いていた。
 だが標的は死天使ではない。
「あれがそうか」
 ファーフナーは死天使の背後にプロフェッサーメイデンを認めた。その瞬間、引鉄を引く。
(成程、至極当然の狙いだな)
 イスカリオテは思う。
 歌声は変わらず響いている。多少の傷は癒えるだろう。ならば、一人ずつ潰すまで。
 しかし簡単にそれを許す程撃退士達も甘くはなかった。
「喰らえ!」
「足元がガラ空きなんだよ!」
 上空のルビィと、瓦礫の陰に隠れつつ東側から接近していた伊都が、同時に死天使を狙ってアウルの銃弾を撃ち込んだのだ。
 足から鮮血が迸る。だがイスカリオテは顔色一つ変えないまま、急降下し伊都に向かって剣を振り下ろした。
 身構えた伊都に一太刀浴びせ、すぐにまた浮かび上がる。
「チッ、まだまだ元気ってわけか」
 一旦通り過ぎたルビィが振り返り毒づいた。
 イスカリオテの足元から乾いた大地に落ちる赤い雫は、既に乾いていた。プロフェッサーメイデンの歌が傷を癒したのだ。
「残念だけど、長期戦は覚悟の上だよ」
 伊都も動じていない。受けたのはかすり傷だ。
 もとより自分達は囮なのだ。イスカリオテの意識を引きつけるための――。


 イスカリオテがかかった。
 それを確認し、翡翠 龍斗(ja7594)は瓦礫を縫って真っ直ぐ走り抜ける。
 狙いは東奥の鷲頭騎士。
「敵に因縁などはない。ただ、与えられた任を全うするだけさ」
 身体から立ち昇る黄金の輝きが、数多の龍の姿となって絡み合い、ついに牙を向く黄龍をかたどる。
「お前という悪夢を終わらせる」
 目前に迫る黄金の騎士に向かって、双銃が火を噴いた。
 イスカリオテの指示に従い初期位置から西へ移動しつつあったサーバントは、動きを止めざるを得ない。
 確かに手応えはあった。だが、鳥人はまるで嘲笑うような声を上げる。左手に構えた盾から立ち昇る黄金の焔が輝きを増すと、龍斗の弾丸はそれに飲み込まれてしまったのだ。
「簡単にはいかないか。だがお前は俺が食い止めてみせる」
 まるでその言葉に呼応するように、黄金の騎士は長大な剣を振り上げた。

 その少し手前では、別の鷲頭騎士が陣取る。
 命令に従って西へ移動しつつあったそいつは、後方の敵を仲間と挟み撃ちにしようと向きを変えていた。
 そこに地領院 徒歩(ja0689)が潜んでいた瓦礫から飛び出す。
「この程度の敵、未来の決戦に比べれば、恐れるに足らず!」
 勇ましい言葉と共に、握りしめた宝石の欠片から光球が飛び出してゆく。
 いずれ訪れる日は約束されている、今ここで我々が負けるはずはない。それが例え思い込みであろうと、信じることで徒歩は己を奮い立たせる。
 徒歩の攻撃に動きを止めた黄金の騎士。そこに釘付けにせんと翡翠 雪(ja6883)が回り込む。
(我々の世界の秩序を乱す者……許しはしない!)
 盾で以て征し、容赦なく殲滅する。普段は可憐な少女の中に秘められている強く激しい闘志がむき出しになる。
 回り込んだのは、大切な人もまた見守れる位置。
(龍斗さま、どうぞご無事で……!)
 彼の力を信じてはいる。けれど共に生きると決めた相手の背中に、祈らずにはいられない。
 その間に、黄金騎士は突破口を探すように二人の動きを追いながら宙に浮かび上がった。
 だが徒歩は充分な距離を保ち、相手を移動させないことに徹していた。
(できればもう少し、死天使から引き離したいのだが)
 徒歩は再び魔宝石をかざし、一撃を撃ち込んでから距離を取る。狙い通り、黄金騎士はこちらへ動いた。

 神埼 煉(ja8082)と桝本 侑吾(ja8758)は瓦礫の陰を伝って西へ。
 目指す奥の黄金騎士は、初期位置よりかなり東に寄っていた。
「これ以上固まられると厄介ですね」
 煉の言葉に侑吾も頷く。普段の何処か掴み所のない様子はなりを顰め、今は鋭い戦士の顔がそこにある。
「押し込もう。神埼君、よろしく」
 かわす言葉は短くとも、互いに相手の意図はわかる。
 敵の目を遮る最後の瓦礫の手前で呼吸を合わせ、侑吾が魔法書を開く。
 燃え盛る炎が敵へと伸びる。それを追う様に煉が飛び出した。
 長い髪を翼のように靡かせて突進。
 黄金騎士は向きを変え、手にした長大な剣を振りかざした。
 迸る光が煉を焼き尽くそうとするかのように襲いかかる。
 煉の前に銀光の壁が現れた。防御術『絶』。だがこの絶対的な壁ですら、黄金騎士の焔は通り抜けてしまう。
 激しい攻撃に、煉はどうにか足を踏ん張り耐える。そして不敵な笑みすら浮かべ、敵を睨んだ。
「どうしました? その長剣は唯の飾りですか?」
 挑発の言葉が通じたかどうかは分からない。だが黄金騎士は奇怪な叫び声と共に、再び剣を振り上げる。
 だがその剣が振り下ろされる前に、黄金騎士は地面を抉りながら己の意思とは無関係な方向へと押し込まれていた。
「神埼君、無事か」
 魔法書を大剣に持ち替えた侑吾のウェポンバッシュだった。
「問題ありません。できるだけ引き離しましょう」
「分かった」
(だが『絶』はあと一回……耐えられるか?)
 煉は腕に走る痛みを堪えながら、そんな心中を全く表に出してはいなかった。 


●強靭にして柔軟
 イスカリオテの西側を固めるコールウィンドは、接近して来る人影二人に、威嚇するかのように大剣を振りかざして見せた。
「こけ脅しね! 馬鹿にしてるわ!」
 チルルは当然、恐れてなどいない。
 菫は瓦礫を背にし、真正面から巨人を見据えた。
「大振りだな。隙はあるはずだ」
 だが大剣が白い光の塊と化すのを見て、菫が鋭い声を上げる。
「来るぞ!」
 だが目は離さない。剣が振り下ろされない。
(溜め、か……!)
 思った瞬間には菫の身体は動いていた。
 姿勢を低くして槍を構えたまま一気に懐へ。ほとんど同時に巨人の剣が暴風を巻き起こし、土塊を巻き上げ、それまで菫が立っていた背後の瓦礫を吹き飛ばす。
 返す刃が邪魔者を切り裂こうとするが、その時には菫は槍を絡め、強引に刀身を地面に縫いつけようとしていた。
「後は頼んだ……!」
「わかったわ!」
 一体どうやって力を掛けるのか、チルルの小柄な身体が、大の男の背丈にも勝る巨大なクリスタル状の刺突剣を軽々と振り回す。
「これ以上好きにはさせないわよ!」
 剣を押さえられてガラ空きの脇に、容赦なく刃を突き込む。
 怨嗟の叫びが、白面を通して響き渡った。風の巨人は力を振り絞り剣を持ち上げた。
 流石の菫もこれは抑えきれない。
 すぐに後ろ飛びに距離を取り、体勢を整える。

 その間にも天上の歌が荒野を流れていた。
「何……?」
 菫が思わず目を見張る。
 巨人の右脇を流れる血は見る見る乾き、やがて生々しい傷跡も塞がって行く。
「面倒くさいわね! まあいいわ、暫くつきあってあげる!」
 風の巨人を睨みつけ、風雪の娘はじりじりと立ち位置を変えて行く。
 他の仲間には決して近づけさせない。強い決意が眦に浮かぶ。


 コールウィンドの反対の東側には踊る風神がいた。
 ニカッとした笑い顔のまま砂塵を巻き上げ、両の手に構えた曲刀を光らせている。
 巨体を揺らし、音もなく奇妙な足捌きで動き続ける様子は、どこか不気味であり滑稽ですらあった。
「何というか……ちょっと変わったサーバントですね」
 雅人が思わずそう漏らしたほどだ。
 巨大な球体のバリアの中で踊る風神、その周りには橙色の三つの球体が飛び回っていた。
「ともかく、ここで食い止めないと! 行きますよ!」
 雅人は奈落の王の名を持つ弓を構えた。
「この攻撃はどうですか!」
 放たれた矢は冥魔の気を乗せた白い光の尾を引いて飛んで行く。
 が、その光がバリアに届くかと見えた瞬間、橙色の球体が強く輝く。
「! どういうことでしょう!?」
 雅人の渾身のコメットは弾かれたように向きを変え、霧散した。風神の足踏みはまるで喜びの踊りのように激しいものになる。
「あれが敵を守っているのでしょう……」
 眼鏡の奥で明斗の目が険しくなった。
「やっかいなモノ、先に落さないと」
 明斗はすっくと立ち上がると弓を引き絞り、橙色の球体のひとつを狙って矢を放った。
 アウルの矢が迫るが、球体は反応しない。そしていとも容易くはじけ飛んだ。
「どうやらあの球体自体は反撃しないようですよ」
「有難うございます! では先にアレを撃ち落としてしまいましょう!」
 二人は互いに距離を開け、風神の動きを牽制するように展開する。


 それぞれがサーバントを個別に抑え込む。各配置において、それは概ね成功していたと言えよう。
 だがイスカリオテの予測以上ではなかった。――尤も彼の予測の中でも、最良とは言い難い状況ではあったが。
「思ったよりも少ないが仕方があるまい」
 東側から迫る伊都に向かって、構える男の双剣より爆発的に光が膨れ上がった。
 少し離れた場所で戦況を見ていた馨は彼の意図を察した。
「危ない、下がってください……!」
 馨が東側へ叫ぶのと、死天使の双剣から白と黒が螺旋に絡む巨大な光波が放たれたのは、ほとんど同時だった。

 イスカリオテが狙ったのは、参式天魔螺旋撃の射程内になるべく多くの敵を巻き込むタイミング。
 この猛攻は、味方は傷つけない。その為に撃退士が張り付いたサーバントを、少しずつ中央に寄せていたのだ。
 光闇が螺旋に入り混じる極大光波は東へと伸び、伊都、風神を挟みこんでいた明人と雅人、そして東前側の黄金騎士を押さえていた雪を襲う。
 凶悪な光が過ぎた後、それでも伊都は立っていた。
「死天使、ボクにはそれでは効かないな!」
 不敵な笑みすら浮かべている。光も闇も天羽伊都には影響を及ぼさない。
 となれば純粋な破壊力の勝負となるが、手数で攻めるイスカリオテの一撃はガブリエル程には重くない。そして伊都の防御は鉄壁無双である。

 だが彼以外の被害は小さくはなかった。
「袋井さん、大丈夫ですか!? しっかりして下さい!」
 明斗は自らの傷を顧みず、雅人を気遣う。『神の兵士』のお陰で、どうにかお互いに気絶はしないで済んだ。
 だが天冥いずれのカオスレートをも利用する螺旋撃は、雅人を激しく痛めつけていた。
「はは……すみません、結構やられちゃいましたね……」
 言葉の最後は血を吐く音に紛れる。
 迷った結果、明斗は一度引くことを選んだ。
 もしも再度風神が襲いかかれば、雅人の命に関わるのだ。いや、明斗自身も一度回復の暇が欲しい。
「すみません、一度離脱します!」
 雅人に肩を貸し、可能な限り急いでその場を離れた。
 風神が踊りながら西へ移動するが、今はどうしようもない。

 徒歩は雪の身体が螺旋に飲み込まれるの見て、叫び声を上げた。
「雪さん!!」
 だが雪は咄嗟に盾で攻撃を受け止めていた。
「大丈夫……です!」
 内心で攻撃を受けたのが自分で良かったとすら思う。だって私は、まだ立っている。
 しかし二人で交互に攻撃することで何とか止めていた黄金騎士がすぐ傍にいた。
 弱っている敵から確実に潰すことを思いつく程度の知恵はあるサーバント。
 全身に金色の焔を纏い、まるでジェット噴射のように焔翼をなびかせ、黄金騎士は雪に突進してきた。
「……!!」
 叫び声を上げる間もなく、今度こそ雪の身体は弾き飛ばされた。
「くそっ、くそッ!!」
 徒歩は狂ったように黄金騎士に魔眼を叩きつける。全力でチャージをかけた黄金騎士は、その猛攻に僅かに身を捻る。
 その時間で充分だった。
 徒歩は素早く雪の身体を担ぎあげると、即座に後方へと下がっていく。

 その気配を痛い程に感じながら、龍斗はそちらを見ることすらできない。
(雪、無事なのか……!)
 誰よりも大事な存在が傷ついたことに、龍斗の怒りは燃え上がる。だが自分はたった一人で、厄介な黄金騎士を相手にしているのだ。少しでも気を逸らせば、自分自身が危ない。
 黄金の焔を纏った剣が、すんでのところで身を掠める。
「簡単にはやられない」
 相手の鎧を足場と蹴り上げ、龍斗は距離を取る。相手の閃光の如き剣技は龍斗の技術よりも勝っていたが、回避に集中する事でかわしきっている。
 しかし、きつい相手だった。
 回避に神経を集中してさえ避けるのは決して楽とは言えない。
 先に隙を見て一撃を返してみたが、頑強な盾でがっしりと受け止められてしまっていた。あれは本気で攻勢に出ても抜くのは容易くないだろう。
 ――せめて二人で当たるべきだったかもしれない。
 そう思った瞬間、黄金騎士の全身が眩い光に包まれた。
(来るか……!)
 溜めの時間の間に、避ける先を探す龍斗。そして悟った。
 徒歩と雪が下がったために、自由に動くことのできる黄金騎士が一体増えていたのだ。
 猛然と突進してくる切っ先を受け、それでも倒れないのはせめてもの矜持か。
 だが続く一撃が容赦なく振り下ろされる。
 おびただしい血を撒き散らしつつ、龍斗は全力で後退するしかなかった。


●無垢にして無情
 死天使の描くのは地獄絵図。
 けれどその業火は余りに眩く眼を焼き、影を濃くする。
 つまり乗じる隙があるということだ。
(予測通りだな)
 神削は内心で呟く。螺旋撃を効果的に使う為に、イスカリオテ自身が高く飛ぶことはないだろうと見越していたのだ。
「当たれ……!」
 渾身の力で『ウェポンバッシュ』を叩きつける。
 イスカリオテは無駄の少ない動作で紙一重に避ける。だが、無視はできない。それで充分だ。
 ミリオールがその上空を滑っていく。狙いは癒し手のメイデンだ。
「あの歌を止めないうちは、色々と面倒なのですワ!」

 宙を突き進む虹色の光に、黄金の騎士が飛び立とうとする。
 雫はその足元に突進。
「逃がしません!」
 護って貰うだけの過去の自分ではない。今は自分が皆を護ってみせる。
「天を蝕む魔の牙となりて、敵を滅してください! 穿天・水牙!」
 布を巻いて固めた拳が、闇を纏う。想いを籠めた一撃が黄金の鎧を強打した。頑強な鎧は貫けずとも、衝撃は通る。
 キィエエエエッ!!
 耳をつんざく奇声が響き渡り、サーバントは焔の剣を構え直した。
 その切っ先が真っ直ぐ雫に突き出される。
「こんなところで倒れる訳にはいきません……!」
 身構える雫。しかし必殺の一撃は、雫の身体を貫いていた。
 崩れ落ちる少女の身より焔の光刃を引き抜く黄金騎士は、背後に迫る影に気付いていなかった。
「雫、すまない……!」
 氷雅が背後を取るために、敢えて身を晒した雫。
 助けに行くにもまずはこの敵を排除せねばならないのだ。
 宙空から『魔剣黒竜』と共に黄金騎士の背後にぶつかるように落ちて行く氷雅。
 魂の一撃が背中にぶつかり、黄金騎士の身体がよろめく。
 その隙に氷雅は舞い降り、雫を抱きかかえて地を蹴る。追いすがる刃が熱となって足を切り裂く。
 そこに駆け寄ったZenobiaが間に割り込んだ。
「待たせたな氷、雫。行け!」
「ゼノ、お前も無理はするな!」
 氷雅はそのまま飛び去った。
「後は追わせないぞ」
 Zenobiaが黄金騎士に対峙する。
 無理に突出するつもりはなかったが仕方がない。Zenobiaは腹を括った。
(暫く引きつけて様子を見るしかないな……)

 イスカリオテはメイデンの守りに回した黄金騎士が抑え込まれている事を知る。
 紫光の翼が広がり、イスカリオテの身体が浮き上がる。
「どこへ行く?」
 ファーフナーが牽制の一撃。だがメイデンの長射程攻撃を意識してイスカリオテを挟むように動いている為、メイデンに向かっていくイスカリオテを止められない。
 イスカリオテはだが、メイデンに向かった訳ではなかった。
 真っ直ぐ上方、虹色の光へと接近する。
「んふー、ご無沙汰しておりますワっ!」
 見る見ると接近してくる黒衣の死天使に、ミリオールが身構えた。
「そうだな、見た顔だ。そして俺の記憶が確かならば、お前を自由にさせておく訳にはいかん」
 虚無色の瞳の黒衣の男が、白光と黒光を宿した双剣を携え、黒い疾風の如くに唸りをあげて迫り来る。
 交差する瞬間、ミリオールは『吸引黒星』の黒い球体を幾つもぶつける。イスカリオテに当たれば、いくらかでも生気を奪うはずだ。
 だがそれを確認する暇はなかった。
 颶風の如くに剣閃が荒れ狂う。
 三連撃に身体を裂かれ、バランスを失ったミリオールは地上へと落下していく。

 静矢はざわつく心を鎮め、敢えて正面からイスカリオテに向けて駆け出す。
 りりかは死天使の意識を逸らす為に、薔薇の霊符を胸に抱く。
「静矢兄さま、絶対にけがはしないで……!」
 祈るように送る紅薔薇の花弁が、静矢の後を追う様にイスカリオテへ向かって飛ぶ。
 静矢はそれを確認しながら、剣にアウルを籠めた。迸る紫の焔が刀身に収束して行く。
(今のうちに、行け!)
 見据えるのは死天使、だが心中で呼びかけたのは快晴だ。

 快晴は潜行しつつ、サーバント達の間を抜ける。常時ならば目に留まるはずの行動だが、皆、激戦によって視界が狭くなっている。
 そのまま突き抜けた快晴は、歌う少女に肉薄。
 細身の身体が建御雷を振り上げた。『グローリアカエル』によるマイナスに傾いたカオスレートの斬撃をメイデンに叩きつける。
 その瞬間、メイデンは片足を引き低い姿勢で身構えた。細い手足が光を帯び、白い焔が立ち昇る。
 冥魔の気は中和された。
 少女はそのまま拳を握り、足に力を籠める。
 一撃必殺の攻撃を終え、快晴が下がる。代わりに後を追ってきた龍磨が進み出た。
「さあ口を噤め、こっちを見ろッッ!」
 激しい気迫で迫る龍磨を、儚げな少女が真正面から待ち構える。
 固めた拳と拳がぶつかり合い、龍磨は何とか踏みとどまった。
(肩が……!)
 軋んで悲鳴を上げる。小柄な少女の姿のサーバントは、思いの外強かった。
 しかし一撃で倒すつもりで来た訳ではない。
「今のうちに、早く……!」

 蒼姫が決意を固めるように唇をきゅっと噛み締める。
 が、すぐに瞳を上げ、潜んでいた瓦礫の陰から身を晒した。
「さぁ、アキの全力、行くですよ!」
 それは快晴に届けた声。今の今まで、焦れるような思いでこの瞬間を待っていた。
 絆・連想撃。
 人を思う心が形をなした猛攻。
 伸びゆく青い炎が敵の間を縫い、メイデンを包んだ。

 金の髪が舞い、白いドレスが翻る。
 死の舞踏。そして絶唱。
 長く細い叫び声を最後に、白衣の少女サーバントはもの言わぬ躯となった。
  

●荒涼にして灼熱
 後方に下がった面々は、それぞれの傷の具合を確かめる。
「雪……!」
「龍斗さま、その傷……!」
 ぐったりと横たわる最愛の者の姿に、龍斗は自身の傷の痛みすら忘れる。
 それは雪にとっても同じことだ。だが命をつないでいた事に今は安堵する。
「俺がついていながら、すまない」
 徒歩が膝の上で固く拳を握った。彼にとっては何よりの屈辱。それはただ雪に重傷を負わせたことによるものではない。全員を回復してやれないことにあった。
 明斗にとっても同じことである。
 意識を失い倒れる雅人の傷をなるべく癒してやりたい。しかし。
「最前線で戦闘を継続している皆さんが心配です。戦線復帰できる方を優先しましょう」
 明斗は敢えて平坦な声で言う。心に嵐を抱えながら。
 抱えて来たミリオールを横たえ、龍磨も眉を曇らせる。だが戦線が崩壊すれば、彼らを連れて帰ることもできない。ここで引き下がるわけにはいかないのだ。
 ファーフナーとルビィの傷に手をかざし、聖羅は強い眼差しを向けた。
「……おじさま、兄さん。――負けないで……ッ!!」
 本当は危ないことなどして欲しくない。けれど、彼らの求める何かが戦いの場にあるのなら送りだすしかないではないか。
「大丈夫だ、心配すんな。さて、行くぜ」
「ああ。……助かったぞ」
 ファーフナーは聖羅の肩を軽く叩き、ルビィの後について飛び立つ。


 その間、最前線で奮闘を続ける者もいる。
 チルルはクリスタルの剣を手に、白く輝く軌跡を描きながら刺突を繰り出し、鉄塊の如き大剣を振り回す巨人と切り結び続けている。
「ほんっとにしつっこいわねえ!」
 コールウィンドの足に付いた赤い筋が、じわじわと消えてゆく。
 癒し手のメイデンが倒れたことで攻勢に転じたが、この巨人自身が異常にタフだったのだ。ちょっとした傷では暫くするとふさいでしまう。
 懲りる、諦めるという言葉とは無縁のチルルですら、文句の一つも出ようというものだ。
「じわじわ痛めつけるのが無理なら、多少強引でも一気に行くしかない。……やれるか?」
 菫が息を整え、チルルを見る。
「そうね、わかったわ!」
 短い打ち合わせの後、チルルが飛び出る。
「いっくわよー!」
 巨人の剣に稲妻が収束して行く。その足先が、じり、とチルルに。
「今だ」
 菫が側面から回り込み、重心のかかった足に向けて『Gクラッシュ』を撃ち込んだ。
「貴様などに邪魔をさせるかァ!!」
 風の巨人は身震いしたまま動かなくなる。スタンがかかった。
「貰ったわ!!」
 チルル両腕が、イスカリオテのそれのように黒と白の光を宿す。
 奥義・混沌の片鱗。動けないままの巨人はまともにその一撃を喰らった。
「やったわね! あたいたちの方が強いんだから!」
「続いて行くぞ、回復されるより先に削るんだ」
 菫がチルルを促す。

 イスカリオテと戦闘を継続している者もいる。
 馨は戦力を立て直して戦線復帰する仲間が駆けつける事を、彼らに伝える。
「もう少しです、耐えてください!」
 そう声をかけて目くらましの一撃を与えては、瓦礫の陰を移動する。
 イスカリオテは動けるサーバントを配置し直そうとしていた。踊る風神が正面を固め、黄金騎士も近付きつつある。
「そうはさせんぞ」
 死天使の意図を読み、静矢は大太刀を構え直す。
 両手に絡む明暗の紫色が螺旋を描いて膨れ上がり、振り抜いた大太刀から鳳凰を象り迸る。
 奥義、紫鳳凰天翔撃。本当は相手の背後に回ってから使いたかったが、サーバント達がそれを許さなかった。
 だがイスカリオテの螺旋撃にも似たカオスレートを利用した攻撃は、立ち昇る焔に行く手を阻まれる。
 黒衣の男は目を鋭く細めると静矢目がけて疾風の如くに地を蹴った。
 その足元を神削が狙う。
(倒せなくてもいい、ただ相手のリズムを崩せばいいんだ)
 思う通りに動けないこと。それが少しずつ相手の調子を狂わせるはずだ。
 事実、イスカリオテは神削を面倒だと思ったらしい。
 両手に纏う光が膨れ上がったと見るや、標的を転じ神削目がけて放たれた。その猛攻は、同様にタイミングをはかっていた快晴をも巻き込む。
「よくも……!」
 常に冷静な静矢が、珍しく怒りの色を目に浮かべた。大切に思う者を傷つけられ黙っていることはできない。
 次撃を防ぐためにも、封砲でイスカリオテの注意を自分に向かせる。
 紫の焔を受けて、燃え上がる紫炎の壁。色合いの異なる焔がぶつかり合い、絡み合う。

 蒼姫が必死で仲間を鼓舞する。
「近づけてはだめなのですよぅ! 撃てるだけ撃つのです!」
 既に連想撃は撃ち尽くした。だが黄金騎士の楯に塞がれ、思うように攻撃が通らない。
 せめて連中をイスカリオテに合流させてはいけない。
「あの……もう、無理はなさらないでください!」
 りりかは必死の思いで声を上げた。普段ならこんな強い調子で物を言う少女ではない。
 黄金騎士の気を逸らそうと動きまわるZenobiaが限界だったのだ。
 だが背中を見せる訳にも行かない。そこにようやく援軍がやって来た。
 激しい攻撃に、黄金騎士がズズッ、と後退する。
 続いて緑色の閃光が飛び込んできた。
「一度下がってください。引き受けます」
 煉が拳を固め直し、侑吾が頷く。
「すまない、頼む」
 ようやくZenobiaは下がることができた。りりかが駆け寄ってきて、傷を癒す。
「大丈夫ですか?」
「ああ、有難う」
 息をつき、再びZenobiaの瞳に闘志が戻る。このままで終わらせない。


 イスカリオテは上空に迫るファーフナーとルビィを見上げる。
(やはりというか、一筋縄ではいかん連中だ)
 正直なところ、ここまで膠着状態に持ち込みたくなかったのが本音だ。
 幾度か刃を交えるうちに、撃退士達は確実に戦術を磨き、そして力そのものもつけていた。
 カオスレートを利用する彼の攻撃は、効きにくくなっている。イスカリオテは純粋な力対力で押し切るタイプではない。相手の、天にせよ冥にせよ、それに対応し、彼等が持つ力を一方的に利用、逆手に取って攻める。それがイスカリオテの戦い方である。利用する力がそもそも無い、レート零を揃えられると十全の力は発揮できない。それをカバーする為のサーバント達は分断されている。
 そしてその間にも、イスカリオテ目がけて突っ込んでくる者がいた。
 伊都の刃を左手の剣で受け、右手の剣を打ち込む。この男のように、とても人間とは思えない程に強靭な撃退士も出て来るようになった。
 尤も撃退士の方でも、イスカリオテを狙って集まり過ぎ、互いの攻撃が通りにくい状況だ。
 しかし、今はじりじりと拮抗していても、いつそのバランスが崩れるとも解らない。
(ここで壊滅する訳にはいかん……時間くらいは、稼げたか?)
 出撃したからには出来る限りは援護してやりたかったが、イスカリオテにもイスカリオテの目的がある。撃破するのが最善だったが、一部隊を引きつけ消耗させられれば、ガブリエルやリカ等に対して義理は果たしたと言えるだろう。
(潮時か)
 死天使は伊都を突き放すと、宙に舞いあがる。
 ルビィの紅玉の瞳がその姿を見据えていた。
「――言った筈だ。幕を降ろしに行くってな」
 できればもう一度、その瞳に宿る何かを見たかったが。
 大剣を構えるルビィに続き、ファーフナーが斧を手に接近。
(こいつも苦労のせいか、随分と老けて見えるな)
 ファーフナーは皮肉な思いで相手を見つつ、両側から同時に攻撃する。死天使は表情を変えないまま、双剣で受け止めた。
 まさにその時。
「――気を付けて! 下から攻撃が来るわ……!」
 聖羅の悲鳴のような声が響いた。
 ほとんど同時に、暴風が吹き上げる。
「何……ッ!?」
 木の葉のように踊らされながらファーフナーが見たのは、笑いながら地を踏む巨人の姿。
 範囲は狭いが、果てしなく思われるほど上昇する風が全てを切り裂く。

 その間にイスカリオテは号令した。
『一旦後退し、部隊を立て直す』
 撃退士側には追撃をしかけるだけの余力は無い。それを見切ったイスカリオテは配下のサーバントに思念を飛ばし、双剣より光を爆発的に膨れ上がらせた。
 死天使の手に光が収束し、それに気付いた快晴が咄嗟にりりかを庇う。
「危ない、りりか!」
 イスカリオテは最後に残していた螺旋撃を放った。
 踊る風神は笑いながら足踏みを続ける。
 黄金騎士は揺らめく光焔の翼で浮かび上がりながら長剣を振り下ろす。
 全ての攻撃が放射状に広がり、砂塵を舞い上げ、砕けた瓦礫が飛び散らせた。

 霧が晴れて行くように、砂塵が収まる頃。
 既にイスカリオテ率いるサーバント達はあらかた立ち去っていた。
 周囲の戦域のサーバント達も整然と後退してゆく。
「勝った……のでしょうか?」
 馨の呟きが、その場に響き渡った。


 撃退士達はイスカリオテの部隊を後退させた。勝利であった。
 しかし、撃退士側にも被害が多く出ており、追撃をかけるだけの余力はなかった。
 イスカリオテの部隊は後退はしたものの北部隊に対して睨みを効かせており、他方面の援護に動く事を許さなかった。
 それはつまり、全体の勝敗は他方面に委ねられた事を意味したのだった。


【願い達の血路・北】 担当マスター:樹シロカ








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