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担当マスター:燕乃
シナリオ形態:イベント
難易度:不明
リプレイ完成日時:2013/11/5


リプレイ本文


 ざわめきはゆっくりと、けれど確かな熱を帯び行く。
 まるで人々の期待と比例するように活気が溢れている。明るい人の声も絶え間なく、まるで陽の光のように降り注いでいる。
 決して人を不快にさせる騒がしさではない。人を落ち着ける、暖かい音。声だけではなく、作業の立てる音の一つ一つがそうなのだ。
 多少の苦なんて気にならない。
 毎年生徒数の増加する久遠ヶ原。その、たった一年の一度のお祭りの為に。
 思い出にしたい。振り返って笑い合える記憶が良い。一人でなんて、とても寂しいから。
 優しくて、強くて、抱きしめてくれるような記憶にしたい。
 高鳴る鼓動は、誰のもの?
 胸を打つ心は何処まで響く?
 願わくば、そして叶わくば、今日という日が決して色褪せないように。



 ふと、見上げた空は何処までも澄んだ青色を広げていた。
 その果てなど、見えはしない。青春に終わりなんて、ない。



 喧騒の中、消える事のないゆったりとした少女の声が響く。
 ふんわりとした口調はともすれば周囲の音に掻き消されてしまいそうだが、少女の浮かべられた白い華のような微笑みを見ればどうしても釘づけになってしまう。
「人が沢山なので、慌てず、並んでください、なのです」
 にへらと緩やかな笑みと共に口にするのは華愛(jb6708)だ。
 彼女の座る机の横には出場者受付の旗が印として立っている。かなり大規模な人数なのだから、参加者の名簿を作って確認するだけでも一苦労だ。
 参加者がそろそろ終わるが、次は更に人数の多い観客の分の名簿だ。もしも忘れ物などがあれば大変と、華愛が勝手出た役目。終わった後に、悲しい亡くし物は悲しすぎるから。ただ、一人で捌くには多すぎる量ではある。
 それでも微笑み続けている華愛。桃色の和服の袖で口元を覆い、小首を傾げる。
「それにしても聞くべきでしたです。受付は審査対象に入りますか? なのです」
 応えられる者はいない。だが、この会場に来る人々に笑顔を振りまいた華愛は、もしかすると一番顏を覚えられている少女だったかもしれない。

 そんな華愛の後方で、最後のチェックにとステージの土台が組み上がっていく。

 雑踏は好まない。
 けれど、この場には人々が織り成すような無数の感情たちがあった。
 それらが透明な秋の風に乗って頬を撫でた気がして、バルドゥル・エンゲルブレヒト(jb4599)は目を細めた。
 生きる者が、生きるからこそ持つ思い。生きて明日を楽しみたくて、今を必死に、笑い合いながら。
「……皆の思い出に残るものになるといいな」
 天界から背き、人の地へと降り立ったバルドゥルは、未来の為に生きる人の心を好ましく思っている。
「ん、どうかしたのか?」
 汗を流しながら、重い舞台装置や機材を運び続けていた藤堂 猛流(jb7225)が問いかける。
 足場組みは十分。ただし、万が一にもトラブルがないかと舞台の裏を覗き、骨格に歪みがないかとチェックをしている藤堂。
 それに笑ってバルドゥルは首を振る。
「いや、出場するのは見た目に自信のあるもの達だろう。なら、それをどう輝かせる設営にすればいいか、とな」
 静かな眼差しで出場者から聞いた希望の衣装、演出、そしてBGMを確認するバルドゥル。資材は足りている筈で、後はその準備だけの筈。ただ、そこは専門に受け持ったメンバーに任せるべきなのかもしれない。
 適材適所に、役割分担。一人で出来る事なんて、少ししかない。
 それでもだ。
「ステージは同じであるが、一人一人にとって大事な場であろう……出来る限り希望に添うよう努力するのが設営の手腕というものだ」
「同感だ。俺は力仕事がメインだが、この舞台を成功させたいぜ」
 と、少し表情を崩す藤堂。率先してより重いものを運び続けたせいで痺れる腕を振るって、口にする。
「これだけの明るくて楽しそうなお祭りだ。好きな女にアピールでもしとくべきだったかねぇ?」
 まだ開催されていない、けれど絶対に成功すると信じられるステージへと、視線を向ける。
 そこではきっと、みんなが笑っているだろう。その為に続けられる、最後の調整。



 開催はもうすぐ。
 だが、万全の状態を持って、出場者には挑んで欲しかった。
 腰に工具用のベルトを巻き付け、パタパタと闇の翼で上空を飛び回るのはナナシ(jb3008)だ。
 撃退士の力ならば確かに重機はいらないが、それでも重量を抱えながら空を飛び廻るのでは限界がある。ふらふらと、時折上空で揺らぐナナシの小さな姿。
 見兼ねて、片霧 澄香(jb4494)も闇の翼で空へ飛びあがり、手を貸す。
「有難う、片霧さん。もう少し上手くやれると思ったのだけれど、意外と重いわ」
「いえ、どうやら元は同じ世界の出身だったようですし。……けれど」
 翼持つ種族。はぐれ天魔。空を飛び、頭上のライトを設置する天上の部分へと透過能力で手を滑り込ませ、しっかりとライトを固定していくナナシ。
 ダンスやお立ち台となるものも用意して欲しいとの希望が出た為、急遽専用のスポットライトの増設に取り掛かっているのである。空を飛べる二人がいなければ、刺し込みのようなこの作業は間に合わなかったかもしれない。
 そして、その間に位置を支える片霧。その二人へと、危ない、或いは気を付けてと心配と応援の声が投げかけられる。
「どうしてでしょうね。悪魔と仲良くして、とか言っても場の空気にそぐわないでしょうし。でも、どうして、こうも」
 元は敵。種族も世界も違う。自己嫌悪の類ではなく、単純に片霧はそう思うのだ。
 だからやるならばイメージアップ。他人に干渉しない性質ではあるが、こういった行事の裏方に力を貸せばはぐれ悪魔全体のイメージアップになると思ったのだ。
 だが、違う。空気が柔らかい。
 それこそ、片霧の言うようなイメージアップなんて要らないのではと思う程に。
「平穏、とでも言うのかしら。この世界、この国では『和』が重んじられていると言いますけれど」
 そうしてふと視線を下ろせば、空を飛ぶ二人へと応援の声。
 むしろ、その翼で魅せて、ステージに出演してしまえば良いのに、とまで声を掛けられる。
「……解りません、ね」
 利己的で、他人を蹴落としても気にしない。
 この行事だって自分達の立場の向上が狙い、なのに。
「そういう場所なのよ、この久遠ヶ原は。天使も悪魔も関係ない。それこそ、誰でも受け入れてしまうような所。元々、誰かを助けたいって思いから撃退士になろうとした人が多いでしょうしね」
「…………」
 工具でボルトを締めながら口にするナナシに、片霧は返す言葉を持たない。
 ただ、天魔を絶対の敵と見做す人ばかりではない。それだけは、日常の中でも理解し始めてはいる。
 来年は、はぐれ天魔部門などというものが出来るかもしれない。そうやって、少しでも遠慮してしまったり、人間界に未だ馴染めないもの達の為に。
 そうして、また一人空へと飛ぶ、白い姿。
「ふむ、なんとなく勝手は解って来ましたが……人間界では本当に様々な催しがありますね。飽きません」
 ミズカ・カゲツ(jb5543)だ。クールで淡々とした声だが、興味深いものを見つめような、黒い瞳の色。風に吹かれて、白銀の髪が靡く。
 そんなカゲツ達へと、下から精一杯の声が掛けられた。
「ミズカちゃん、それに二人も気を付けて下さいねっ」
 見下せば深森 木葉(jb1711)が三人へと声を掛けている。
 身体も小さく、体力もない自分は邪魔にしかならないかもしれない。だから目立たないようにとスタッフ業務をしていたのだが、友人であるミズカが空へと飛んで一瞬心配して、声を上げてしまったのだ。
 空を自由に飛べれば良いのに。
 それこそ、憎悪や敵意という茨の絡み合う地平を歩くだけではなく、自由に交わる空を共にいければ良いのに。
 少しだけ、そう羨望してしまう。空を飛ぶ友達を見て、飛べない深森は。
 天使、悪魔、そして人、それらが共に進み往く世界の為に、少しだけこのコンテストが役立てばいいのだけれど、と。
「大丈夫ですよ、木葉。私も空は飛び慣れています」
 そう大切な友人へと、ゆっくりと口にするミズカ。表情は動かないものの、狐耳がぴこりと、穏やかに微笑むように揺れている。
「ええ、高所作業は任せてもらって構いませんよ、伊達に羽が生えてるわけじゃありませんから」
 口にする片霧に、ふとナナシは思うのだ。空を飛ぶコンテストなんてあっても良いのでは。人はずっと空を飛びたがっていたと図書館の本にはあったし、天魔ではなくとも空を飛ぶ能力をアウルで疑似的に得る事だって出来るのだから。
 その近くでは久木野鶇(jb3550)と、彼の召喚したヒリュウが別の照明や音響の取り付けを行っている。
 はぐれ悪魔に堕天使、そして異界のセフィラ・ビースト。空を舞う様々な種類。天と魔と人だけではない、きっと限りなく広い世界と未来。
 よし、という声と共に久木によって取り付けられたカラボールは、様々な光の欠片を散らしている。
「気持ちよく舞台にたって欲しいからね」
 明日は、きっと明るくて様々な色に満ちている。それを示すように、くるくると光を乱射させていた。
 では、次はどうなるのだろう?
 それはまだ解らないから。
「ま、それはきっと来年に期待ね。……さて、念の為に用意した控室の、関係者以外立ち入り禁止エリアは大丈夫かしら」
 一作業がついて、ふと息をつきながらそちらの方を見るナナシ。
 男女分けでしたのも、こういう出来事には毎回、イタズラ心の狼藉者が現れるせい。世の常となってしまって、悲しい限りだ。
 ただし、だからこそ対策も万全な訳でもある。







 抜き足差し足と、歩く影。
 不埒な方はこの学園にはいない筈だと思いつつも、神月 熾弦(ja0358)は溜息を一つ。
 それは期待を裏切られたのではなく、むしろ予想が当ってしまったから。気を取り直して脱力感を拭い去り、出来るだけ柔らかな声でその影へと呼びかける。
「審査員の渡辺 あつし先生ですね。ここは関係者以外、立ち入り禁止ですよ? どうしました、道に迷われたのでしょうか?」
 びくりと震える、中年男性の姿。やはりとしか言い様がなく、好色かつスケベな審査員である。
 こういう予想はしていた為、神月は控室の近くで警戒と整理に当っていたのだが。
「いや、何。わしも関係者だ。色々とね、下見をしておきたいのだ。どんな様子でコンテストに励むのかを見るのも、審査員の大切な一つだと思ってだね。いや、現場を知らなければ、その熱気や活気は解らないものだろう?」
 冷や汗をかいていたのも一瞬、表情を一瞬で切り替えて口にする渡辺。だが、もう時は遅し。びくりと震えたのも冷や汗も神月は見逃さない。もはやただの詭弁であり、嘘を並べているに過ぎないのだが、喋り続ければ幾らでも誤魔化そうとするだろう。
 作家だけあって語彙は豊富。悲しながら、言い逃れする気満々なのは神月にも解る。だからこそ。
「公平な審査の為にも、ステージ上だけで見て頂くようにして頂かないと」
 そう言って、惜しむ様子を見て取れば言葉で反論されるより早く、そっと渡辺の優しく手を取る。
「どのような苦労や準備があっても、ステージの上での三分間がコンテストの審査の全てです。舞台装置や衣装が伴わないせいで完全ではなく、例えば蝶になる前の蛹を見て、似合わない、と先入観を持たれてしまっては悲しいですよね。それに、全員を見て回ることなんて出来ないのですから、是非、ステージの上の晴れ舞台で見て下さいね?」
 優しげな少女に手を取られ、良い気分になり何も言えなくなるとは憐れ中年男性、渡辺。
 返す暇もなく神月に手を引かれて、場所を後にさせられていく。言葉を操る職業でそれはどうかというのはあるが、喋ることではなく書く事が本業なのだから仕方ないのかもしれない。
「そう、晴れの舞台。一度しかない、その新鮮で、輝かしい……その姿を。是非」
 忘れられない日に、神月とてしたいのだから。
 例え無意識のものだとしても、悪意なんて一欠けらも、あって欲しくない。
 降り返って指先で撫でれば、今日という日は温かいものであって欲しいから。









 開幕はもうすぐ。
 それでも慌ただしく動くのは、何もミスがあったからではない。
 少しでも良くしたいのだ。少しでも記念の一日にしたいのだ。設営に関わる皆が、そう思っている。
 だから神崎・倭子(ja0063)や五十鈴 響(ja6602)達もギリギリまで参加者達の希望を聞き取りやインタビューに回っていた。
 その結果として、ダンスパフォーマンスのお立ち台が出来て、歌う人や演奏の音響も入る。更には洋風だけではなく和風の特技披露もあった為、一気に慌ただしくなったのだ。
「これは出場者達の晴れの舞台! 全員が全力を出してアピールできるよう、気合を入れていこう!」
 神崎の言葉に頷く面々。絶対に成功させたいのだと、最後の一秒前まで気を抜かない。抜きたくないのだ。
 必要ならばと様々な小道具が調達され、或いは簡単なものはその場で作られていく。
 更に神崎はステージの真ん中や立つ予定の場所にマークを施し、何処に立てばいいのか解らなくならないようにしている。
 それを更に補足しているのがカーディス=キャットフィールド(ja7927)だ。参加者がステージの端からどのように移動すれば良いのかという道筋の線をうっすらと引いている。
 全体的に暗めの色で塗り、その線を辿れば迷わないようにと。緊張した時にだだっ広い舞台に立たされると、人はどう動けば良いか解らなくなって戸惑ってしまうから。
 そして暗めの色で塗れば、その上を歩く出演者がライトに照らされて映える。そんな細かな、気遣い。
 誰もプロではないのだから。そんな小さな優しさ。
 それを振りまくのは、何とも愛くるしいカーディスの姿だった。
「ぺったぺった〜ハリハリ〜♪」
 黒猫の着ぐるみに襷を巻いて、ハチマキでやる気を示している。
 でもやはり良い意味で場違いなのは確かで、それを見たスタッフがくすりと笑う。
 出演者も下見に来てびっくりして、けれどその愛くるしいカーディスの猫の着ぐるみに緊張がほどけていた。
「ぺたぺたー。はりはりー♪」
 そして順路に張っていくのは、猫の手型の蛍光色の白いシールだ。きっと舞台を歩く時、微笑みと一緒に背を推してくれるだろう。
「カーディスさん、借りて来る事が出来ましたよ」
 そう軽やかな声色で語るのは五十鈴だ。
 舞台の隅に新たに設置されたのはシャンボン弾噴出機。そう複雑なものではないが、それ淡々でも綺麗に煌めく儚い光の粒達。
 更に複数の色彩のライトを脇に添えて、明るい中でも光の演出が出来るようにとしている。
「後は風船に……それに意外と和風でいきたいという人もいましたね。ちょっと予想外でしょうか」
 そう口にしながら、風船を膨らせてバルーンアートを作っていく五十鈴。時間も押している為、複雑なものは難しいかもしれない。だが、簡単に用意出来るものであればとドライアイスでのスモークなども用意している。
 紙吹雪にしても、様々な要望があった。
 自分の好きな、そして魅せたい色というのはそれぞれ違うのだから。
「一番は、たった一人」
 けれど、と呟いて風船を一つ浮かべた。
「一人ひとりが一番になれるように応援します♪」
 沢山の出演者に聞いたのだ、その想いを。
 どれもが輝いていて、優劣なんてつけられない。
 どうか、ひとつ、ひとつ。輝いて欲しい。どんな結果になっても、それが素晴らしいものであったと、振り返って欲しくて。
 また一つ、願いを浮かべるように風船を含まらせる五十鈴。
 そこに込めた、祈り。
 とても優しい、たった三分の、大切な時の為に。









 黙々と作業を進めるのは西垣 弥(ja0269)だ。
 巻き込まれたのが嫌だという素振りで、けれど自分の仕事に集中している。
 もしかしたらこういうお祭りごとが嫌いなのかもしれない。が、段々と増えていく紙吹雪の量と数に、眉を顰めた。
 音楽やライトの設置場所に疑問を覚えたのではない。今作っている紙吹雪のその手触りに、違和感を覚えたのだ。
「気づかれましたか?」
 そんな西垣に、くすりと笑うのは織宮 歌乃(jb5789)だ。
 歌乃の手に握られているのは通常の紙ではない。淡い色彩の、びわ色やさくら色、あさぎに若竹といったような和の色のものだ。加えて手触りからしても、和紙を使用している。
 余り時間もない今、そこまで凝っている事は出来ないだろうが、出来るだけ希望に近づけようとしているのだろう。洋風や現代風の演出を希望している人が大半である一方、巫女舞や書道など和の伝統演出をする人も少数だがいたのだ。
「……確かに、強い色だとそういうのには似合わないか」
「ええ、残念ながら。色というのは人の語感にもっとも強く左右するのでしょうしね」
 成程と西垣は頷いた。余り会話する気もないが、派手なパフォーマンスの準備ばかりしていれば、そういった静かで落ち着いた雰囲気の人をないがしろにしたかもしれない。
 琴や尺八の音楽に、和柄のセットやつい立となるボードなどを用意していた歌乃も、無駄にならずに済んでほっとしているようだった。
「一度しかない、青春の為に。私に出来る限りを」
 ゆるゆると、微笑みながら呟かれた言葉を、誰が拾ったかは解らない。








 舞台は完成し、リハーサルが始まっている。
 集まった設営陣の助力を得て、多種多様、人も天も魔も、色んな想いを抱えた人々のミスコンは始まるのだ。
 きっと華やかで、煌びやか。でも、静かで、切なくて、そして綺麗なのだろう。
 季節は秋。吹き抜ける涼やかな風が、肌の下で脈打つ熱い期待を撫でる、心地よい感触。
「さて……一息入れましょうか」
 そんな中、観覧席の近くに救護室を兼ねた休憩所を作った御堂・玲獅(ja0388)が呟く。
 誰かを助けたい。そんな想いが御堂の根幹。表に立たなくても良い。誰かを救いたい。医師を多く出していた一族の教えもあるのだろうが、そんな彼女が選んだのは、もしも気分が悪くなった人がいたら、という対応だった。
 勿論、そんな想いの向きは御堂一人だけではない。祁答院 久慈(jb1068)もまた、そんなもしも、を危惧した一人。
 具合が悪くなって、倒れる人がいたら嫌だと思う。
 それが自分の晴れの舞台で、無理をして倒れられても嫌だ。
 何より、そんな可能性に気付いても、何もしない自分は、久慈はもっと嫌になると思う。
 傍観者よりの立ち位置なのだと思う。けれど、御堂の用意したスポーツドリンクを数えながら、この休憩所が通って良かったと、そう思う事に偽りはない。
 怪我の手当の準備も万端。いざ熱気で具合が悪くなった人がいれば、抱えて誘導する打ち合わせも終わった。
 だからこそ。
「そうだな、一息、いれようか」
 眩しそうに、リハーサルの始まった舞台を見つめる久慈。
 ほんの、僅かな凪の時間。
 静かな時は、瞬く間に過ぎていく。
 この休憩所が使われなければそれでいい。御堂も、久慈も、遠くから舞台を眺めればそれでいいのだから。
 そっと、瞼を閉じた。
 音が消える。光が弱くなる。でも、鼓動は強く。
 始まるのだ。
 ここまで準備し続けた、









 漂うスモークは、ドライアイスから。
 照明は絞られ、次に何が起きるか解らない。
 ただ、重音だけが鳴り響く中、ついにコンテストは始まるのだ。
 開幕を告げるアナウンや挨拶はもう記憶の遠くに。始まる興奮に、胸が高鳴る。
 そして一番は、恵夢・S・インファネス(ja8446)。その声が高らかに、舞台端から飛び出す。
「ルュエム・S・インファネス、いっきまーす!」
 そう、飛び出したのだ。それは比喩ではなく、20メートルを超えるジャンプを見せ、舞台の端から中央に一瞬で着地した恵夢。
 ドライアイスを吹き飛ばすような激しい動き。着地と共に纏っていたローブをほどけさせ、踊るように旋回。ヒヒイロカネより光が溢れ出し、一本の大剣をその手に握らせる。
 派手な登場とは裏腹に、その淀みのない流麗な動き。ローブを脱ぎ捨て、大剣を構える姿は凛々しき女剣士のそれだ。
 まずは注目を集めたと、微笑む恵夢。与えられた時間は三分。ならばまだ余裕はあると大剣を諸手で構え、中段に薙ぎ払い、袈裟に斬り、片膝を付いて斬り上げる。
 勿論、それだけでは終わらない。今度は黒い靄を纏う。
 貫いたのは閃光。それも双光。黒靄を撃ち払う轟音と共に姿を現した恵夢の手に握られているのは、今度は双銃。それも、衣装も細部で違っている。瞬間、瞬間でのヒヒロノカネを利用した三段変身。
 そして違う二つ武器での演武だ。
「学業も戦闘も本分! そんな久遠ヶ原のミスコンならこれも正解じゃない?」
 構えを取り、口にする恵夢。掴みとして派手な一番槍が、こうして開幕を斬る。



 そして、恵夢の出番が終われば待ちきれないと駆け抜ける黒い影。
 漆黒の衣装に身を包み、赤いマフラーを靡かせるのはルナジョーカー(jb2309)だ。
 手にしているのは双剣。中央付近まで全力で失踪し、銀色の光を湛えるその刃を閃かせる。
 鋭利にして迅麗。黒衣と銀光が煌めき、乱舞を描く。色彩を飾る赤の帯。
 そのまま止まらずに中央まで滑るように移動すると、双剣を重ねて切っ先を空へと向ける。
 瞬間、轟いたのは無数の烈しき色彩。炸裂したファイヤーワークスが無数の火花を散らす。
「さあ、お前の罪を数えろ」
 双剣を構えて、決めのポーズを取るルナジョーカー。
 何もミスだけではなく、ミスターとてあり。女性限定でないのだから問題はない。
 何処までもスイタリッシュに決めるのだと、再び残る時間を一杯に銀刃が踊る。







 僅かな停滞。場の空気が変わろうとしている。
 激しい風に逆らうように、ゆったりと変わる日常の明るさのミュージック。
 少しのんびりとした音に身を推されるように、ゆっくりと舞台の裾から一人の少女が観客の視線の海へと歩き出す。
 いや、ある意味では先の美麗絢爛な武舞よりも視線を奪っているかもしれない。
 唖然と、観客たちはその少女……最上 憐(jb1522)、ではなく、彼女の押している台車を見ている。
 漂うのは独特のスパイスの香り。目で見る筈のコンテストが、嗅覚で刺激されるという不可思議。だが、燐にとっては当然である。
 台車に乗っているのは、燐が持ち込んだ大量のカレーなのだから。
 大食い大会ではない筈、だが。ざっと見て十人前はあるだろうか。
 そもそも、これだけの何処からカレーを持ち込んだかが謎。湯気を立てている辺りから見るに、設営スタッフたちが頑張ったのかもしれない。
「……ん。最上 憐。初等部。4年。ナイトウォーカー」
 ゆるゆると流れる空気と、無感情で無機質に喋られる燐の言葉が続く。
「……ん。学食一年分を。入手する為に。来た」
 誰も問えず、ツッコめず。唖然とする中、一つ目のカレーの皿に手を伸ばす。その眼からは無関心の色が消えていた。食べ物への、執着心。
 光纏の輝きが、底なしの食欲のように煌めいていた。そして傾けられるカレー。流し込まれるカレー。
 咀嚼する暇があっただろうか。いや、ない。一瞬で飲み込まれていった一皿目。約三秒。神速である。
「……ん。カレーは。飲み物。飲む物。飲料」
 飲み物でもそんなには早くない筈だと、ようやく観客がツッコミ始めたが、燐は気にせず、二皿目、三皿目へと手を伸ばしていく。
 後は語るまでもない。登場や自己紹介に一分以上掛けたというのに、まだ燐の三分のアピールタイムは半分程残っている。加えて言うなら、空腹も止まっていない。
「‥‥ん。何か。食べ物を。投げて。くれれば。飲み込むよ?」
 最早、会場の興味や関心をその一身に奪い去っている燐。そのまま、好奇心に突き動かされて投擲されていく出店で売られていたホットドック、たこ焼きも一分も持たず、するりと消えていく。飲んだ、文字通り、飲み干したからこそ。
「……ん。胃が。満足しないので。出店を。襲撃して来る」
 アピールのひとつと捉えるべきだろうか。時間制限が終わると共に、速足でステージを下りて出店へと向かっていく燐。出場者の帰り道はあちらなどと無粋な事は誰も言わない。言えない。
 嬉しい悲鳴のような、食材の断末魔が出店群の方から響き渡る。が、きっと大丈夫だ。
 その日、驚異的な売り上げを出店の殆どが叩きだす事を、誰もが予知している。食材の方が足りない程に。
 果たして燐が満足出来るかは、新しい材料を調達に走り回る出店のスタッフに任せるしかないだろう。慌ただしい気配を後に、スタッフがが咳払いで空気を戻そうとするが、失言が漏れてしまった。
「カレーは、飲み物ですね?」
 いいや、違う。
いいや、そうだ。
 実にどうでも良い事の筈なのに、観客たちの中で意見が割れて、口論が始まった。
 それが楽しげなのが、どうしようもなく、罵倒ではなく自分達も楽しむ為の自慢だというのが、本当にどうしようもない久遠ヶ原の楽しい日々の現れだった。







 そんな強烈で鮮烈で、戦や喧騒を思い出させるものばかりが久遠ヶ原ではないのだ。
 ゆったりとしたBGMが流れ、照明が絞られる。
 そんな中、舞台端から、ゆったりと黒いドレスに身を包んだケイ・リヒャルト(ja0004)が現れる。
 先ほどの一分一秒を争うような速さはない。けれど、何処か触れる事の出来ない、夢幻の黒揚羽蝶のように、するりと舞台の中央へと足を進める。
 ただ、静かにいるだけで人の視線を奪う、けれど、決して実体を掴ませない妖艶な歌姫の登場だった。
 口にしたのは、透き通る声。
「ケイ・リヒャルト。高等部2年のインフィルトレイターよ。何処にでも居る唯の女よ」
 何処にでも居て、何処にもいない。そんな蠱惑的な声色で囁いて、ウィンクを一つ。すると消えるバックミュージック。
 閉じた瞼が、蝶の翅のように震えた。
 そして、アカペラで紡がれていく、儚き歌。
 何処までも妖しく、けれど綺麗に。絶対にその眼も耳も、この三分間放さないのだと。


――火照る身体
揺らめく心
それは弱さの裏返し? ――


紡がれるケイのオリジナルソング。彼女の想いを綴る、歌声の調べ。
それこそ、自分も観客も、熱を帯びて火照るように。揺らめいて願って、恋焦がれてと、問いかけるように。
これはきっと儚く、けれど激しい恋歌。

――多少の不安を伴ったって
突き進める強さを
どうか、どうか、この手に ――

明日がどうなるかなんて解らなくて。
一秒先の自分だって解らないから、この瞬間に全てを注ぎ込んだケイの歌が、紡がれていく。
儚く消えるのだろうか。それとも、強く、この観客たちの胸に刻まれたのか。
ただ、ケイは誰にも掴み取れない歌姫として、くすりと笑って舞台を後にする。
幼い頃は親しんで、少女の時は活きる糧で、そして今は……




 いや、そんな問答はさせないと、重く激しいビートが掻き鳴らされる。
 それはヤナギ・エリューナク(ja0006)のベースだ。友人であるケイの歌に、そして同じミュージシャンとしての感性に揺られて、もはや火がついて止まらないのだ。
 一瞬でも早く響かせてくれ。
 余韻に浸るには、俺達はまだ若いだろう?
 全て吹き飛ばすような、烈しい音色を奏でたい。
「ヤナギ……、ヤナギ・エリューナク。一介のバンドマンだゼ」
 そして少女の一群にウィンクを一つ。ああ、でも飄々としていても、愛用のベースが唸っているのは解っている
「告白してくれる可愛いコはいつでも募集中だからな……あ? 意気込み? そんなモン無ェよ」
 ない。ある訳ない。ただこの晴れ舞台で、刻ませてくれ。ヤナギという男の音楽を。心を。
「強いて言うなら面白そーだったから? ま、思い出っつーコトで!」
 そして一気に掻き鳴らさせる、腹部に届き、身体の内部で震えて木霊すベースのビート。
 序から激しく、けれど何処までも駆け上がって掻き鳴らされる早引き。リズムもメロディも、全ての瞬間、存在、人にも物にも刻み付けろと、楽しげに笑ってヤナギは限界に挑む。
 そして、それに釣られて身体を揺らす観客たち。
 ああ、呼吸がし辛い。だって今のヤナギの身体の全てはベースの弦を鳴らす為にあるのだから。
 それでも言わせて欲しい。


――なあ、楽しいだろう。俺の音楽は。忘れんなよ!


 この日を忘れるなんて……絶対、ない。


 そうやって、ケイとヤナギという友人が紡いだ音の旋律を、ユウ・ターナー(jb5471)が引き取る。
 はぐれ悪魔なユウ。でも、だからどうしたというのだろう。想い揺らすモノに、差なんてある筈がない。
 天使の友達がいて、人で兄と慕う人がいる。それが全て。そして、これからはそれだけじゃ足りないのだ。
 まだ足りない、もっと欲しい。繋がって広がっていく輪が、この久遠ヶ原だと信じているから。
 そこに一点の疑問も不安もなく、純粋な瞳を瞬かせてぺこりとお辞儀をするユウ。そして、弾むような声で自己紹介を始めた。
「ユウはね、ユウ・ターナーなのっ☆ 皆、宜しくねッ!」
 だって、まずは名前を知って貰わないといけないから。
 出来れば、この場にいる、観客も、そしてライバルの参加者の皆の名前も知りたいけれど、今は無理だから。
「ユウ……お友達がいーっぱい欲しいの。このコンテストもそのキッカケになれば良いな……って思って参加してみたんだよっ♪」
 だから、このコンテストの後にみんなの名前を聞かせて欲しい。
 名を知られて、聞いて、覚えて覚えられて。それで初めて友達の第一歩だから。
 優勝より、尊い友達って、いる筈。
 そうしてユウが奏で出したのはハーモニカだった。得意だから、聞いて欲しいのだと。
 そうして流れるのは透明な音色。何処までも澄んで、遠くまで響いていく哀愁漂う切ないメロディ。
 ……でも、この天真爛漫な悪魔の少女がそれで終わる筈がない。じわりと滲んだ心の雫を感じ取り、一瞬で転調。兎が跳ねるように、心が弾む軽快なメロディへと変じている。そし天気のように、そしてユウの浮かべる表情のように変化していくのだ。
 けれど、最後にはやはりユウらしさに戻るのだ。
 ハーモニカの旋律は楽しさを魅せる。だって、友達というのは楽しさを共有する関係を言うのだから。
 だから、きっとこの音色に共感してくれた人は、友達の筈だから。

「聴いてくれてありがとなのッ♪」

 そうやってツインテールを揺らし、大きくお辞儀をするユウ。
 次に何を言えばいいのか解らない
 ただ、数えきれない程の拍手に胸を打たれる。
 聴いてくれた。感じてくれた。その事が何より嬉しくて、少しだけ視界が滲んだのだ。
 涙、だろうか。
 嬉し泣きだろうか。
 解らないから――それが解るまでは、この学園にいたいのだ。



 そうして、続いていく学園祭。








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