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【至天の尖兵はかく嗤いて・中心】 担当マスター:離岸


「いくら何でも普通じゃないわ」
「何だってんだ、この空間は…」

 ナナシ(jb3008)と君田 夢野(ja0561)が呻くように漏らした言葉は、その場に居る全ての者の気持ちを代弁しているようだった。
 確かに神社という場所には平時からどこか神聖な空気が漂っているような気がするものだ。
 だが、今のこの場はあまりにも、清浄が過ぎる。
 清濁併せてこそヒトはヒトであることが出来る。聖しか存在しないこの場所が撃退士達に与える圧迫感のようなものは、まるで。

「本当に、ゲートではないのか…?」

 己が言葉にしたそれに近いとすら、大炊御門 菫(ja0436)には思えてしまう。
 かつて幾つも乗り切ってきた、天魔の支配の象徴。中に居るだけで自身の力を十全に発揮できなくなるあの空間。
 過ぎた清浄に適応するため、普段以上にアウルを搾り取られるような感覚は確かにゲートの中に居る時の感覚と酷似している。

 だが、自分達よりもこの手の事象に詳しいレミエル・N・ヴァイサリス(jz0006)が「ゲートではない」と判断している。
 だからこそ、戸惑わずにはいられない。今、この地に何が起きているのか。それを正しく説明できるものが、誰も居ないのだ。
 今から踏み込むのは、この地球上でこれまで起こることのなかった『何か』への第一歩に違いない。

「これが連中の探し物の成果なのか?」

 黒羽 拓海(jb7256)が考えを整理するように言葉を漏らす。
 ゲートを展開することすらせずに、アウルを持たぬものが息をすることすら出来ない空間が発生したこの現実。
 一体何を掘り当てればこんなことが出来るのだろうか。
 少しの間、誰もが次に発すべき言葉を見つけられず、無言。

 その静寂を破ったのは地領院 徒歩(ja0689)が車のドアを閉めた無機質な音だった。

「車の準備は出来た。有事の際はここで合流だ。
 とにかく、ここで立っていても始まらないだろう。人命も、情報も、あわよくば全部欲しい」
「そう、だな。考えるのは後だ。今は次へ繋ぐことが肝要だ」
「そうね。レミエルさんは学園の大切なイケメン枠よ。助けないわけにはいかないでしょう!」

 拓海が徒歩の言葉に肯定を返す隣でどん、と胸を叩いてアルベルト・レベッカ・ベッカー(jb9518)が笑って頷いた。
 既にレミエル達を救助するためのメンバーは彼と連絡を取り合い、行動を開始している。
 彼らが人命を救うならば、この場に居る者達は情報を掬わなければならない。

 周辺を警戒しながら、石段を登り出す。
 レミエルを経由した宮司の話によれば、本殿で男の笑い声が聞こえたらしい。
 ならば、まずはそこを目指さなければ話が始まらないだろう。

「しかし、男、な…?」
「誰なんでしょうねー?」

 アスハ・A・R(ja8432)の独白に櫟 諏訪(ja1215)が首を傾げた。
 男の声が聞こえた、ということはそこに居るのは男性なのだろう。レベッカのように性別の怪しい者も居るには居るが、それはレアケースと考えていい。
 男の声、という情報で本殿に居る可能性があるものを地球上に居る全ての存在から半分に絞り込むことが出来る。だが、それだけでは明らかに情報が足りない。
 このような事件を起こせるのだから天魔だと当然考えられるだろうが、天使、あるいは悪魔で、男性。これでもまだ選択肢が多すぎる。
 過去に顔を合わせた誰かなのかもしれないし、あるいは今まで名前すら確認されていなかった新たな登場人物の可能性だって排することが出来ない。

「それを確かめるために、我らはここに居るのだろう」

 ギメ=ルサー=ダイ(jb2663)の言葉が、普段よりも僅かに熱を帯びていることに気付いたものは居るだろうか。
 そこに居るものは自身のそっくりさんたるあの男かもしれない。あるいはそうであると良い。
 あの男の使徒が活動しているという報告もある。現時点ではまだ断定は出来ないが、ギメの希望じみた予測は、可能性としてはそれなりに高いようにも思える。
 彼の言葉に同意を示すように、既に黒の甲冑に身を纏った天羽 伊都(jb2199)も頷いて。

「敵を見定め、この状況を理解するいい機会です」
「何にせよ、神社の聖域を汚すとは許せません」

 巫女の家系に生まれた夜桜 奏音(jc0588)にとって、三峯神社のこの現状は決して他人ごとではない。
 故に、この場で最も士気が高い者はもしかしたら、彼女なのかもしれない。

「腹の減りが尋常じゃない件について」

 全身黒ずくめの悪魔、Unknown(jb7615)のこの場の緊張とはあまりにもかけ離れた発言に、誰かが小さく肩を落とした。
 逆に、この圧迫感の中でそれを口に出来るのならば大したものかもしれない。

「お腹が空いたのならば、すぐに沢山食べられますよ――ほら」

 平時と変わらぬ笑みを浮かべながら石田 神楽(ja4485)の言葉と共に撃退士は石段を登り切る。
 登り切った先、真正面には神社の拝殿。
 そして、二体の阿修羅像のような存在が仁王の如く阿吽の構えで拝殿へ続く階段の両脇に立っていた。
 それらの周囲には七体の白玉のような発光体。
 どちらも、以前ナターシャが管理していたゲートの付近に出現した存在と酷似している。
 阿修羅が報告よりも一回り以上大きいことを除けば、同様の特性を持っている存在だと考えていいだろう。
 一同がそこまで思い至ったタイミングで、こちらを認めた阿修羅達が敵意を膨らませていくのが張り詰めた空気で感じられる。

「本殿に行くのを邪魔しようとしている…? 何があるんだ?」
「ハッ、番人ってか? 阿修羅が戦いを挑んでくるってことは、この奥に居るのはよっぽどの別嬪さんに違いねえな」

 菫の言葉に二丁拳銃を手元に顕現させて赤坂 白秋(ja7030)が獰猛に笑う。
 まるで、何かを守るように立っていたサーバント。ならばこの奥、本殿にはおそらく重要な『何か』が存在する。
 それが宮司の聞いた笑い声の主なのか、声の主が残した何かなのかは分からないが、この不可解な現象の謎を解く鍵は間違いなく、存在する。

「来ます!」

 森田良介(ja9460)がストレイシオンを喚び出すと同時、二体の阿修羅が地を蹴った。白玉も阿修羅の装飾品か何かのようにその動きに付随する。

「いやあ、身体が重い。少々早まったかねえ?」
「随分と簡単に言ってくれるね、きみ」

 強敵が居るらしい、よし行こう。そんなノリでこの場に居る鷺谷 明(ja0776)が他人ごとのように笑いながらアウルの流星を生み出し突っ込んでくる阿修羅たちへと放つ。
 それに合わせ、アイリス・レイバルド(jb1510)も同様に流星を落とす。
 明が言葉に出した通り、実際に戦闘に雪崩れ込むと身体の重さを否が応でも突き付けられる。それに、相手は元より回避能力に優れた個体であるという報告もある。
 二人がかりで放った広範囲に広がる隕石の群れを阿修羅は図体のデカさに反して俊敏な動きで掻い潜り、尚も撃退士との距離を詰めていく。
 だが、二人の放つ流星が二体の阿修羅を僅かに分断させた。

「連携を密に取る必要があるでしょうね。頼みましたよ、アスハ」
「任された。存分に、な。偽神」

 アスハに一言だけ言葉を残し、マキナ=ベルヴェルク(ja0067)が阿修羅目掛けて強く地面を蹴る。
 まずはこちらから。言葉に出さずとも一同にそう告げる彼女の動き、どの道各個撃破は常套手段、乗らない理由はない。
 マキナが選ばなかった阿修羅へは伊都や拓海が抑えに向かい、その後ろで獅堂 武(jb0906)が結界を敷き、四神の力で味方に防御を与える。

 マキナと阿修羅、彼我の距離がとんでもない相対速度で詰まっていく。
 そんな中で阿修羅の周囲に付随する白玉がわずかに光ると同時、その身体を突如槍のように変質させてマキナを貫かんと彼女を襲う。

「怖いけど…メリー、頑張るのです!」

 だが、次の瞬間にはマキナの喉を貫くはずだった白の槍に、メリー(jb3287)が展開したアウルの盾が割り込んだ。
 拮抗は一瞬。次の瞬間には霧散してしまう防壁だが、マキナが防御のための猶予を作るには充分過ぎる。
 黒焔を纏う右腕が喉元に迫る槍を直前で受け止め、貫かれた腕から漏れる血を払うように槍を振り払う。
 同時、マキナの側頭部をかすめるような軌跡でアスハが光の弾丸を阿修羅へ放つ。
 奇襲じみたその一撃を阿修羅は真横に飛ぶことで回避するが、それに追いすがるようにマキナが肉薄。偽神の領域。
 防御を無意味と断じる一撃が阿修羅の胴に叩き込まれる――と、思われた次の瞬間。
 阿修羅の周囲に揺蕩う白玉が阿修羅を守るようにマキナの一撃に割り込んだ。
 守られた阿修羅はそのまま六本の腕で嵐のような拳打をマキナへ。一撃一撃の重さに、マキナはその場で捌くよりも一度腕の射程外に逃れることを選ぶ。

「阿修羅を守るように動くんですかねー?」
「そうみたいね。回避が上手い上にそれを守るナイトもいる、か。けれど、私はその上を行く」

 周囲の木々へ登り、スコープ越しにタイミングを見計らう諏訪とレベッカが得られたパターンを自身に落としこむように言葉にする。
 諏訪が自身がここだ、と判断したタイミングで一射。
 これも白玉が割って入って阿修羅へは届かないが、諏訪の放った弾丸は装甲を脆くする特殊なものだ。守るなら守るまま落としてしまえばいい、その一助にはなるはずで。
 前衛で戦う者達に通信機越しに装甲が脆くなった事を伝えると、また新たな狙撃ポイントを求めて移動を始める。

「ァアアアッ!!」

 諏訪の一撃で脆くなった白玉目掛けて徒歩が聖なる気を込めた咆哮、一つ。
 だが、相手はサーバント。冥魔にならば通じただろう聖は、その場の強すぎる聖にかき消されるように白玉を縛るに至らない。

「遊ばせてもらうぞ、そしてその白玉、喰わせてもらうぞ」

 たたみかけるようにUnknownが白玉周辺の敵目掛けアウルの刃を放つ。
 まるで料理の前の下拵えのように四方八方から白玉が刻まれていくが、脆くなったとは言えまだ落ちない。

「来るで! 離れて!」

 白玉が帯びる光が一瞬強くなったのを見て亀山 淳紅(ja2261)が叫ぶと同時に、白玉からピンポン球大の光球が飛び出した。
 光球は撃退士達を巻き込むように爆発。それに巻き込まれてしまったUnknownは爆風によって地面に叩きつけられ、起きることが出来ない。
 過剰とも言える装備が生命力を大幅に奪っていることに加え、ナイトウォーカーという防御に優れないジョブや彼我のレート差があまりにも不利に働き過ぎた。

「全く…世話を焼かせる」
「フハハハ! 未だ死なんとも!」

 ギメがUnknownを引きずるように後ろへ下げていく。口は達者に回っているが身体は立派に重体だ。これ以上の戦闘は望めないだろう。

「とにかく白玉を減らさないことには阿修羅に届きませんね。亀山さん、リョウさん!」
「任しとき!」
「ああ、これ以上奴らの好きにさせてたまるか…!」

 ユウ(jb5639)の呼びかけに淳紅とリョウ(ja0563)が両側面から阿修羅と白玉を囲むように位置取る。
 後衛からの援護射撃の中、まずユウと淳紅が仕掛ける。
 同時に生み出される刃の群れと焔の腕。阿修羅はその尽くを避けていくが、白玉はそうはいかないようだ。
 焔に抱かれ黒く煤けた様に見える白玉を属性攻撃が付与された刃が二つに、四つに、八つにと刻んでいき。

「全く。次から次へと…!」

 リョウがトドメとばかりに放った焔の槍が白玉を呑み込み、消滅させる。
 これで一体。波状攻撃を重ねに重ねての成果だが、能力が強く制限されている現状、畳み掛けるような連撃で一体ずつ潰していくのが最も確実な方策だろう。
 過去の事例を考えれば阿修羅には再生能力を持つはずだ。それを上回るためにはまず周囲の白玉の数を減らさなければならない。

 と、一同がそこまで考えた次の瞬間、阿修羅達が突如、弾かれたように拝殿の方を振り返った。
 同時、まるで戦闘を放棄するかのように拝殿の方角目掛けて走り出していく。
 突然の方向転換にその場の撃退士は一瞬何が起きたのか理解できなかったが、すぐにその意図に気付いた。

「アスハさん! 狙われとる!」

 瞬間移動じみた歩法で拝殿の屋根に陣取り、本殿の様子を伺っていたアスハが淳紅の声に振り返った。
 が、遅い。阿修羅が拝殿の壁へ吸い込まれるように消えて間もなく、階段を登るように屋上へとたどり着く。
 足場にする地点だけを透過能力の範囲外とみなし、壁の中を登り切ったのだろう。
 位置取りのため、あるいは本殿の様子を見るため。目的があれど味方のフォローが受けられない地点に単独で向かうのは自殺行為と言っていい。己の力が制限されているこの状況下ならば尚更だ。
 逃げることすら出来ず都合12の拳に全身を砕かれ、アスハの意識が途切れる。
 意識を失ったことで興味から外れたのか、阿修羅は拝殿入り口の側へアスハを投げ捨てると再度境内に飛び降りた。

「…何故、あれらは急に奴を狙ったのだ?」

 早くアスハを救助しなければ、と浮足立つ者も多い中、フィオナ・ボールドウィン(ja2611)は別のことに意識を向ける。
 目の前にいる脅威を無視してまで阿修羅達はアスハの排除に動いた。戦いのための存在ならばそれが大きな隙になることを知らない訳ではないだろうに。

「元々、本殿を守るように配置されていたようですし、そこに向かう者を優先的に狙うように作られているのではないでしょうか」

 木の上から戦場を見渡しつつ良介が立てた仮説は、目の前で起きた事象と照らし合わせれば正解だと考えても良さそうだ。
 同時に、誰もが思う。

 この性質は使える、と。

「回りこむぞ。何名か、我と共に来い」

 フィオナの声に、菫、明、伊都が応じて移動を開始する。
 この場から離れるように動き出した四名を阿修羅の目線が追ったが、まだ本殿へ向かうものと判断していないのか、すぐに場に残る者達へと視線が向かう。

「なら、その間に白玉の数を減らしていこうか」
「ええ…ところで、石田さん。救助班の方は?」

 夢野の声に頷いた後、ふと思い立ったように奏音が神楽へ声を投げかける。
 その声に周辺に別の敵が居ないか索敵を続けていた彼は一言二言通信機の向こうと言葉をかわして。

「ちょうど、接触できたようです。ひとまず、第一段階は成功と言って良さそうでしょうね」



「――バァ…♪」
「良かった、無事よね?」
「ひっ…!」

 拝殿の方から聞こえる戦闘音に怯えたような表情で震えていた神社の巫女が、突如壁から生えてきた黒百合(ja0422)と何もない空間から現れた巫 聖羅(ja3916)に腰を抜かしたようにへたり込んだ。

「こらこら、あまり脅かしてあげないでくれ…大丈夫ですよ、久遠ヶ原の学生、味方です」
「ごめんなさいねェ…罠とか敵がいる可能性を考えると、こうやって透過で進むのが確実だったんですよぉ」
「レミエル様、ご無事でよかった!」
「ああ、ありがとう。君も無事なようで何よりだ」

 様づけされることに慣れているのか、聖羅の弾む声にもレミエルはそれまでと変わらないトーンで応える。
 君も無事で何より――隠れとは言えレミエル様ファンクラブたる組織に身を置く聖羅にとって、その言葉がどれほどの魔力を持つのやら。
 重傷を負ったわけでもないのに気が遠のきかけるが、流石に今そういうことをしている場合ではないと意識を切り替える。

 突如社務所へ現れた二人に関係者がわずかに浮足立ったが、レミエルが味方だと告げればそれもすぐに安堵に変わっていく。
 事前にレミエルと連絡を取り合い、すでに彼と神社の関係者達が社務所で息を潜めて救助を待っていることは分かっていた。
 レミエルからの報告によれば周辺に敵は居ないようだったが、それでも救助班は念を入れて透過や瞬間移動という手段を採用した。
 何が起こるか予測すらつかない地となってしまったこの場所において、その用心深さは重要となる。

「とはいえ、本当に敵も罠も無さそうですねぇ」
「君達の仲間が頑張ってくれているおかげで敵の目がこちらに向かないのではないかな」

 安直にそう断じるのも危険だろうが、外で警戒態勢のまま待機している残りの二人も一端社務所内に入った方が良いだろう。
 黒百合は通信機で月詠 神削(ja5265)に連絡を入れ、慎重に中に入ってきてもらう。
 ほどなくして、神削と翡翠 雪(ja6883)が社務所へ足を踏み入れた。

「一体、何が起きたかって分かりますか?」
「すまない。ここから拾える状況を合わせても、まだ俺の知識の外の物事だ」

 改めて問いかける聖羅の声に、レミエルは申し訳無さそうに目を伏せて首を横に振る。
 レミエルほどの者が未だ予測のつかないこの一件。本人の口から知識の外、という言葉が飛び出たことで、改めて今の状況の異常さが浮き彫りになってくる。

「何にせよ、推測はここを無事に離れることが出来てからだな。
 レミエル、それと皆さん。音で分かる通り、今俺達の仲間が拝殿の方で敵と戦っている。だから、拝殿を迂回するように駐車場の方まで向かう。
 怪我人もいるだろうが、必ず全員助けるから安心して欲しい。翡翠さん、大丈夫?」

 神削が脱出の方針を大まかに告げた後、怪我人の様子を見ていた雪の方へと視線を向ける。

「ええ、月詠様。一番の怪我人も捻挫程度です。私が肩をお貸しして歩きましょう」
「頼んだよ――と、その前に。ここの責任者の方って、いらっしゃいますか?」
「…? はい、私ですが」

 まさか今このタイミングで呼ばれると思っていなかったのだろう。初老の男性が神削の声に小さく手を挙げる。

「もしあれば、の話ですが。神社の防犯カメラの映像記録を回収することは出来るでしょうか?」

 最近は神社でも設置されていると聞く。もしもその映像にこの場を訪れた「何か」が映っていたとしたら。
 その意図を理解できたのか、男性は一つ頷くと社務所内の奥へと一度姿を消し、すぐに記録媒体を持って戻ってきた。
 社務所で記録を残していたようだ。道中での回収も考えていたが、一刻を争うこのタイミングでは回収の手間が省けたことはありがたい。

 その間に聖羅が戦闘班と連絡を取り交わす。救助対象は確保、これより脱出に入る。
 その一報が、戦い続ける味方の背を押す力になればいいと願う。

「巫様、あちらの様子は…?」
「戦闘はまだ続いてるみたいね。何人か戦闘不能者も出ちゃっているみたい」
「あまりのんびりも出来なさそうですねぇ…」

 黒百合の言葉のとおりだ。
 第一目標は何よりもこの場に取り残された者達の救助にある。
 今は拝殿以外に敵は居ないようだが、その状態が何時までも続いてくれると楽観視も出来ない。
 合流が適い、監視カメラの映像が手に入った以上、この場に長居する理由は存在しない。

「では、参りましょうか。ヒー君、おいで」

 雪の呼びかけに応じて、彼女の視線の先にヒリュウが顕れた。
 小さく喉を鳴らして雪に擦り寄るヒリュウを彼女は小さく撫でてやる。

「茂みに紛れながら、静かにね。さ、行って」

 任せろと言わんばかりにふんすと一つ鼻息を立てると、ヒリュウは一同を先導するように静かに駐車場目掛けて移動を開始する。
 ヒリュウだけに頼らず、自身の五感を総動員しながら慎重に先を急ぐ。
 黒百合や神削は有事の際は自身を囮に出来るようにと身構えている。
 速やかに、だが長い長い撤退の道中が始まろうとしている。
 


 誰かから借り受けた蒼雷。それを帯びた拓海の剣が白玉を貫き、その動きを硬直させる。
 同時、硬直により阿修羅の動きに追随できなくなり孤立してしまった白玉目掛けて良介のストレイシオンが牙を立て、そのまま食い千切る。

「阿修羅が来るぜ! 離れろ!」

 白玉に腹を貫かれた痛みをこらえながら、白秋が言葉と共に阿修羅の背面から弾丸を放つ。
 後ろに目が付いているのではないかと思ってしまうほど正確に弾丸の飛んでくる方向を見切った阿修羅はわずかに身をよじりその一撃を回避。
 後方から放たれる諏訪や神楽の銃撃も次々とかわしていくが、三手を費やすことで拓海やストレイシオンが余裕を持って阿修羅の攻撃と向かい合うだけの暇は稼ぐことが出来た。
 六本の腕が放つ拳打の威力を、拓海は腕の一つを切り落とすことで減衰させる。
 当然、切り落とした阿修羅の腕はすぐに再生してしまうのだが、拓海はまだ倒れない。

「っと、治療するぜ」

 武がすかさず拓海の治癒力を活性化させ、その傷を塞いでいく。
 追撃に入ろうとするもう一体はアイリスの放つアウルの矢が牽制し、近寄らせない。
 同時、メリーの放つ光の衝撃が阿修羅の周囲にたゆたう白玉を弾き飛ばし、阿修羅の援護を受けられないそれをリョウやナナシを始めとした者達が攻撃を集め撃破する。

「これで、半分…!」

 阿修羅を守る存在はこれで残り3つ。
 後一歩だ、と自身を叱咤激励。荒い息を繰り返し、夢野が手に持つ剣を再度持ち直す。
 その身体には阿修羅の拳や白玉の攻撃による幾つもの傷が見られる。
 夢野だけではない。その場にいるもので傷のない者は後方からの射撃に徹していた者達くらいだろう。
 最悪を想定し撤退まで治療の術を残すものが多いためか、いざ戦闘に入ると戦線を維持するための手立てが不足している。
 もとより再生能力を持つ阿修羅へは短期決戦を挑むしかない。そういう意味では回復を考えない前のめりの姿勢は必要な気概だろう。
 だが、そこに至るまでの仕込みが長ければ、前のめりに走ることすら出来ないこともありうる。
 それでも今の所倒れている者が少ないのは、良介のストレイシオンが生み出す防御のための結界、そしてこの場で唯一治療を考えた武による所が多い。
 とはいえ、それらのスキルに加え、ナナシやリョウの切れる絶対回避という札もすでに尽きている。
 これ以上の消耗が続けば自然とこの場の敗北は決まってしまうだろう。

「石田さん! 囮の皆に連絡を!」
「了解しました」

 神楽に短く告げ、ナナシが右手に蛍火のような赤い光を生み出す。
 それは神話に伝えられる禁断の林檎。わずかに力を込めて握り潰せば砕けた赤は彼女の周囲に立ち上り、天の従者を穿つ力を作り出す。
 ナナシのその行為を皮切りに、多くのものが次の必殺のための布石とすべく、自身のアウルを練り上げ自身の能力を高めていく。
 アイリスや徒歩のように、より強い力を持つものに託すように、祝福を与えていくものもいる。
 だが、当然それを黙って見ている阿修羅たちではない。
 攻撃による防御を行えない者達を蹴散らそうと足に力を込め、

「やらせるかよ…!」

 次の瞬間、夢野がその進路上に割り込み、左手に収束させた音の歪みを叩き込む。
 二礼後に打つ拍手よりも鋭く高い音が周囲に一つ響き、音が秘めた衝撃が阿修羅を強引に押しのける。
 もう一体はメリーと奏音が二人がかりで抑えに入る。
 メリー目掛けて放たれた白玉の一撃を彼女は蒼い聖骸布により受け止め、そして怯まない。
 阿修羅の拳打を奏音の目が捉え、予測し、突破のための道筋を導き出す。鉄扇で相手の力を盗むように退き、破壊を殺す。

「――行くぞ。散りすぎるなよ。一斉攻撃の効果が落ちる」
「分かっている。が、こうまでして守る本殿に何があるのだろうな…」
「何があろうと、これを乗り切れば分かることだよ、大炊御門君」

 そして、フィオナの号令で四人が一斉に本殿の方角目掛けて走り始めた。
 阿修羅達が一斉にこちらへ視線を向けたのを背中で感じる。伊都が自身のレートを天界側へ強く引き上げ、それを維持するための準備も出来たようだ。
 遮二無二に四人めがけて迫る阿修羅達が残る者達に完全に背を向けるように位置取りを調整し、わずかに速度を落とす。
 それにより、阿修羅は四人に肉薄。明が仕掛けた邪毒の罠は踏み抜かれてしまったようだが、こちらを愚直に狙う動きは、狙い通り。

「これ以上、振り回されるのは御免だ…!」

 一体がこちらへ狙いを定めて拳を振り下ろすのを空気で感じた菫は振り向きざま、霞状のアウルを自身に纏い盾とする。
 アウルの盾越しの衝撃に構わず、焔を纏った槍を拳に合わせるように振り下ろす。
 衝撃。腕に返る痺れは、阿修羅の拳が地面に叩き付けられその動きを一瞬止めることに成功した代償としては充分過ぎる。
 もう一体が伊都目掛けて迫っていく。今この瞬間、阿修羅が完全に分断される。

「――コイツを!」

 叫ぶと同時、伊都は阿修羅の拳を避けるでも防ぐでもなく、真正面から受け止めに走った。
 超至近距離から放たれた拳は獅子鎧の奥にある彼の意識を刈り取りかけたが、自身の攻撃すら捨てて放つレートリンクの術が、阿修羅の持つレートをサーバントが持つはずのない値まで跳ね上げる。

「……では、花のように散れ」

 いつの間にか、背を向けていたフィオナが阿修羅に向き合っていた。
 彼女の周囲には、赤光に彩られた球体が生み出す門。
 真正面からの一撃ならば避ける自信がある――言葉に出せたならば、阿修羅はそう口にしていたのかもしれない。
 だが。

「――今!」

 ナナシの叫びと共に、嵐が訪れた。
 背面。攻撃の準備を終えた撃退士達が、ナナシの号令で一斉にアウルを解き放つ。
 迫り来る嵐への一瞬の動揺が、阿修羅の未来を奪い去った。

「有象無象の分際で、随分と余裕だな?」

 まず感じたのは身体を縛る重圧。フィオナの展開する魔術が高重力の場を生み出し、阿修羅から初速を奪う。

「ありったけで行くぞ!」
「応さ!」

 動きの鈍る阿修羅目掛けて次に飛来したのは、夢野と武の声。

「ティロ、カンタビレェェェェッッ!!」

 武が刀印を切ると同時に生まれた焔の球体を、夢野が放つ音の刃が呑み込み、更に威力を増幅させる。
 謳うような一射。焔の歌声に包まれて、阿修羅が苦悶の表情を浮かべたように見える。
 全身に荒れ狂う嵐のような痛みをねじ伏せ、阿修羅は一度退こうと足に力を込めた。
 次の瞬間には解き放たれた力がその場からの離脱を許す。そう在るはずだった未来を、四方から飛来する弾丸が赦さない。

「逃がしませんよー?」
「そうですね。囲みから抜けられると困りますので」

 物陰に潜む、四人の狙撃手。
 白秋、レベッカ、諏訪、神楽が放つ漆黒の弾丸は伊都によってレートを正に跳ね上げられた阿修羅にとって、天敵以上にふさわしい形容の言葉が存在しない。

「It rains cat's and dog'sってか! 土砂降りには猛銃も忘れないで欲しいもんだぜ!」
「こうなると鴨撃ちと変わらないわね。真正面から撃ちぬけなかったのはちょっと残念かも、ね」

 高いレート差、阿修羅がすぐに認識出来ない地点からの狙撃、元より動きを封じられている状況。いくら四人の能力が落ちていても、ここまでお膳立てが揃えば当てられないはずがない。
 正確に両足の膝と腱を砕く四つの弾丸に、阿修羅は立つことすら出来ず境内に伏せる。

「徹底的にやらせてもらうわよ」

 だが、嵐はまだ終わらない。
 上空からナナシが薔薇の花びらを散らすように周囲に残る白玉ごと阿修羅を包むと同時、ユウと拓海がその中へと飛び込んだ。
 二人を焼かぬ神秘の炎は尚も腕の力でこの場から逃げようとあがく阿修羅のみを焼きつくしていき――そして。

「これで――」
「終わり、です」

 神を断つ渾身の刃が阿修羅を両断し、二つに分かたれたそれらを、黒の刃が塗りつぶしていった。



 倒しきれた、という手応えが得られれば、残る一体も倒せるという確信に繋がる。
 目の前で相方が完膚なきまでに叩き潰されたというのに、残った阿修羅は本殿へ向かうように見える者達を狙うことをやめようとしない。
 一斉攻撃の準備が終わるまで狙われ続ける囮班の負担は大きいが、明が要所で癒しの風を吹かせ、囮班が倒れる気配は見えない。

「もう一度、行くわよ!」

 ナナシの合図と共に、再度総攻撃が始まる。
 誰の攻撃がどう当たったかすらもわからないアウルの嵐に阿修羅はただ翻弄されるだけで。

「これで……どうだ!」

 良介が放った胡蝶の付随する弾丸によって動けぬ阿修羅の聴覚に、とん、と菫が境内の石を蹴った音と、だん! と目前で石を踏みぬく音が届いたのはほぼ同時。
 音すらも抜き去る勢いで放たれる彼女の刺突に合わせるようにリョウがその背面から放つ雷を帯びた黒い槍。
 前後から串刺しにされるように縫いとめられた阿修羅に、マキナが終焉を与えてその身体を灰塵と為す。

「終わった、か」

 徒歩が肩で息を繰り返しながら、一度武器をヒヒイロカネへと格納する。
 その場にへたり込みたい程の疲労感が、一同を包んでいた。

「気を抜くのはまだ早いぞ」

 疲労感を覚えているのは彼女も同じだろうに、フィオナの顔色は戦闘前と変わらないように見えた。
 自身の在り方を王と定める彼女には、他人に見せる弱さなど持ち合わせていないのだろう。

 既に明やリョウ、ナナシは用意していたカメラであちこちを画像や動画として収め、良介はヒリュウを喚び出す準備をしている。

 だが。

『ク、ハハハハッッ!! クハハハハハハッッ!!!』

 突如本殿から響いてきた野太く、聞き覚えの在る哄笑が、無情にもタイムリミットを告げた。
 次いで周囲の気温が落ちたような錯覚。既に地球と呼ぶには住まうものを選びすぎるこの場が、更に異質なものへと変貌していくような気配。

「何が起こってやがる!?」

 静寂を無音で塗りつぶしたような不自然な静けさの中、武の声がいやに強く周辺に響く。
 彼の疑問は全員が抱いた物だ。故に答えられるものは居ない。
 けれど、一つ明確なことはある。

「あの笑い声…どこぞの筋肉達磨以外に考えられんな」
「然り。どこに雲隠れしたかと思うておったぞ――ツァダイよ!」

 ギメル=ツァダイ。学園と何度も刃を交えた筋肉質の天使。
 彼がいると思わしき本殿の方角からは青白い光が漏れ出ているのが分かる。
 その光を見た何人かの脳裏を『ゲート』という単語がよぎる。

「…これは撤退だねえ。いるのがあの禿頭だと分かった以上、これ以上踏み込むのは真面目に危ない」

 明の言葉に、誰も否を返せない。
 異常な空間の中に発生した更なる異常な現象。それ以上に今この満身創痍の状態で天使と戦うことになったのならば。
 行きつく所まで行ってしまう可能性は、極めて高い。
 そこに居たのがギメルだ、という情報を得ることは出来た。神削が回収したという映像記録に姿が欠片でも映っていれば、それは確定情報となるだろう。
 それを考えれば最低限必要な情報を得ることは出来たと考えられる。
 可能な限り最後まで情報を集めようと、良介がヒリュウを本殿へ放つ。召喚解除によって危険を回避できるヒリュウならば、最後の最後まで偵察が出来るはずだ。

「我も行こう」

 倒れた者を回収して多くの者が引き返していく流れに逆走するように、ギメが本殿の方へ向かおうとする。
 だが、それを淳紅と共にアスハを担いだレベッカの声が止める。

「止めておきなさいよ、死ぬつもり?」
「あの者とこの身果てるまで語れるのならば、それも構わぬ」
「アカンよ。皆心配するで」
「何を求めているかは分からないが、焦る必要はないだろう。ここに居るとわかったんだ。
 首根っこを抑えたのだから後は引きずり出してやるだけさ。それが今である必要はないと思わないかい?」

 見上げるような視線と共に放たれたアイリスの声に、ギメは少しの間考えるように目を閉じて。

「……分かった。この場は貴公らに従おう」


 徒歩が事前に準備をしていたおかげで、撤退は非常にスムーズに行うことが出来た。
 雪崩れ込むように全員が車に飛び乗れば、扉を閉める時間も惜しいとばかりにキーをひねり、エンジンが唸りをあげる。
 全力でアクセルを踏みしめ猛スピードで走りだす車内、良介がわずかに顔をしかめる。
 本殿にもやはり敵は居たのだろう、サーバントらしき存在に発見されたそうだ。攻撃を受ける前に召喚を解除し安全を確保する。

 車窓から先ほどまで居た神社を見遣る。
 青白い光はどんどんとその強さを増し、まるで太陽のように強い輝きをここまで届けてくる。
 あれはゲートだ、と多くの者が改めて直感で悟る。そしてその勘が、きっと外れていないことも不思議と分かってしまう。

 これから、一体どうなるのだろう。
 誰もがこの日何度も考えただろうその疑問を残し、撃退士達はその場を離れていく。







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