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第11話

 雨に濡れた鴉の黒羽のように、その女の黒髪は艶やかだった。

「おはようございます会長!」

 少年が女の背に声をかけると、長い黒髪をさらと風に流して女が振り向いた。夏の女学生服に包む身はしなやかで、顔立ちはまだ幾分か幼さを残しているが、熟練の彫刻家が丹精を込めて彫りあげた女神像のように整っている。
 女はにこりと輝くような微笑を浮かべ、甘く涼やかな声で言った。

「ええ、おはよう」

 巨大学園久遠ヶ原の生徒会会長、神楽坂茜である。若くして数ヶ国語を操る才女であり、撃退士としての単純な戦闘能力も突出して高く、光速の刃と称される神速剣を以って学園最強との評を取っている。

(会長‥‥今日もお美しい‥‥!)

 少年は胸中で呟く。歩き方からして他とは違う。その柔らかな佇まい。美しく、強く、そして心優しい。完璧超人であると一部から尊敬され持て囃されているのも納得出来る。

「会長! 今日も良い天気ですね!」
「ええ、そうね」
「会長! 今日は暑くなりそうですね!」
「ええ、水分補給はしっかりね」
「会長! 最近寮に野良猫が集まって困ってます!」
「あら、それじゃ執行部から担当を向かわせましょう」
「会長! 最近彼女がヤンデレて困ってます!」
「ふふ、空の鍋を用意すると道が開けると思うわ」

 神楽坂はにこにこと微笑を浮かべつつ、道すがら声をかけてくる生徒達に気さくに言葉を返してゆく。少年にとってその姿は天女のように美しく、光の粒子が舞うかの如く煌めいて見えた。
 生徒会長の女は憧憬の視線を受けながら校舎に入り、やはりそこでも微笑を浮かべながらすれ違う人々からの声に応え、煌めきを撒きながら通路を進んでゆく。やがて執行役員室と書かれた部屋の前まで来ると扉を開いて中へと入り、笑顔のまま後ろ手に扉を閉めた。
 神楽坂茜は笑顔のまま溜息をつくと、カバンを無造作に部屋の隅の椅子へと放り、ネクタイを緩めワイシャツの第一ボタンを外して襟を広げ、笑顔のままの己の顔へと両手を当て、ぐにぐにと凝り固まった筋肉をほぐすかのようにほぐし始めた。
『会長』と書かれたプラスチックの置物が添えられている机に向かい、椅子を引いてどすんと着席する。出ている所に沢山ついてるから美容体重に届かないのだ、と胸中で自己弁護する。
 既に笑顔はなくどんよりとした半眼の目つきに変化した女は、十代なのに何処かくたびれた空気を纏って、ぐてっと机に前のめりに突っ伏した。

「暑い……! だるい……! 死ぬ……! 不快指数が鰻登りで死んでしまう! 真夏の太陽に干乾び死ぬ! 何が良い天気だって言うんですか。太陽のばかやろ〜」

 毒づきながら、がりがりと力なく机の表面を掻く。生徒達の目があるところでは平然を装っていたが神楽坂は夏の暑さにとても弱かった。冬の寒さにも弱かった。小学生の頃、夢は何かと聞かれて夏場に北極で暮らし冬場に赤道直下の南国で暮らしたい、と答えた事もある程だ。それでは一年中寒い暑いで逆に地獄であると後になって気づいたのだが、ともあれ神楽坂茜はそれくらい温度変化に弱い生物なのである。

「くーらー、ああ、くーらーが欲しいよぅ」

 ぜぃぜぃと息を乱して憐れっぽく呟きながら思う。そう、久遠ヶ原の棟の大半は冷暖房完備でありそしてそれはこの執行室も例外ではない。本来ならば涼風が神楽坂を出迎えてくれる筈だったのだ。
 しかし、今年はやんごとなき理由によって電力不足が予想されるので世の為人の為学園では電力消費は控えましょう、という話になり、学園の有志達の間ではクーラー等を出来るだけ使用禁止にする事が決められてしまっていた。

「誰ですか。執行部役員たるもの全校生徒の規範となるべきです、率先してクールビズに当たるべきです、執行室のクーラー使用率は極力抑えましょう! とかのたまった人は!」

 夏の前、あの季節の会議で、そんな良い子ちゃんぶった事を発言した奴は誰だ。思い出す、記憶、響く、ソプラノの女の声。今の状況の元凶。

「私じゃないですかーっ!!」

 だむっと渾身の力を込めて机を叩いた。発言の主は神楽坂自身だった。
 机に激突した拳は、アウルの力を解放していなかったのでなかなか良い反動が返って来た。
 暑さで汗をかき不快指数限界一杯な所への走る鈍痛に泣きそうになりながら机でのたうち回っていると呆れたような声が響いた。

「茜ちゃん、あさっぱらからなに一人でノリツッコミやってんねん」
「ノリツッコミじゃありません!」

 涙目で叫び顔をあげるとそこには褐色の肌と短めの赤毛を持つ見るからに活発そうな外見の少女が立っていた。執行部会計長、大鳥南である。

「大真面目にやってたならそっちのが奇行やと思うで。暑さで頭おかしくなったんか?」
「ひどいっ」

 ガーンとショックを受けて神楽坂は叫んだ。

「違いますよ! でも暑いというのは実に確かだと思います!」
「そやなー、今日は暑くなりそうやわ」
「これ以上の暑さなど人の世にあって許されるべきものではありません!」
「南の島のど真ん中で叫んでみぃなそれ」
「全インフィルトレイターは天帝の弓以て太陽の中の九つの鴉を撃ち抜くべきです!」
「クーラーつけたらええやん」

 大鳥はあっけらかんと言った。

「くっ、くーらー?」
「なんでそなオーバーリアクションでよろけるねん」
「し、しかし、いけません、それは悪魔の囁きです。執行室はクーラー使用率は低く抑えようと春の会議で決めた筈なのです」
「じゃあ、ここじゃなくてクーラーが効いてる教室へ移動すれば?」
「『生徒会長』をやるの疲れるんです。せめて朝はゆっくりしてたいんです。人目、嫌」
「素でいりゃええやん。このひきこもり生徒会長め。別に茜ちゃん演技なんてせんでも今のままでええと思うで?」
「駄目です!」

 神楽坂は言った。

「生徒会長というのは、学園の顔なのです。集団へ対する世論というものは、たった一人の行いによって全員のイメージに影響してしまいます。それが生徒達のトップである会長となればなおの事。会長というのは外に向けての学園の第一の顔であり、内にあっては生徒達の第一の規範であらねばなりません。理想を謳うならまず自らこそがそれを率先してやらなければなりません。危険な箇所には自らが第一に立ち、苦労をするなら自らが第一に苦労をする、そうでなくて何故人に信じてもらえますか。そうでなくて、何故長として立つ資格がありますか。だから生徒会長というのは常に完璧にあらなくてはならないのです」
「なるほど、御高説、ごもっともやな」

 うん、と頷いて南は言った。

「でも今の茜ちゃんはあれも嫌これも嫌で全然完璧やないと思うで?」
「うっ! そ、それは……!」
「人間完璧なんてはなから無理なんやから、意地張らんとどっかで適当に力抜いたりやー」
「出来る限りはやらねばなりません!」
「だったらあたしの前でもぐだぐだ言うの止めといてくれへんか?」
「そんな、南ちゃんヒドイっ!」

 神楽坂はあからさまにショックを受けた顔をすると、指を組んでうるうると上目遣いに視線を寄越して来た。

「貴女は親友だと思ってたのにっ!! 南ちゃんが冷たいっ!」
「ああ、もう、面倒くさい親友やなぁっ!!」

 そんな事を言い合っていると不意に執行室にノックの音が響いた。こんこん、と軽く二度鳴る。
 瞬間、神楽坂は勢い良く背筋を伸ばすと目にも止まらぬ速度で襟元を正しボタンを止めネクタイを締め直した。そこには既に『久遠ヶ原の女神』の煌めく姿があった。文字通り南が瞬く間の出来事だった。その剣、光速の刃と称される程の敏捷性を利用した一瞬の速技である。
 実に才能の無駄スキルだな、と南は思った。
 感心して言う。

「茜ちゃん、どうでもええ事だけはほんま凄いな」
「ほほほほ、お客様をお通しなさってくだされるかしら会計長さん?!」

 額に青十字を浮かべながらも、にっこりと輝く笑顔を向けながら神楽坂が言った。なんとなくこの笑顔も鏡の前とかで練習したりしてるんだろうな、と大鳥は思った。既に本人の感情では崩されない鉄壁の笑顔である。
 ほいー、と生徒会長に返事をかえしながらドアの前まで移動して扉を開くと一人の男が立っていた。見知った顔だった。スーツを着込んだ三十がらみの男。風紀委員会の長、黒瀧辰馬だ。会計長として大鳥は幾度か顔を合わせた事がある。

「あ……黒瀧さん?」
「よう、お久しぶりだねぃ会計長」

 片手をあげニヤと口端を上げて笑い男は言った。

「お久しぶりやね。今日はどないしたん?」
「いきなりで申し訳ないが、ちょっと風紀委員会から会長に直接お耳に入れておきたい事がございましてね。会長いる? 今、時間もらえるかな」
「おるよ、茜ちゃーん」

 振り返って問いかけると会長は涼やかな声で「入ってもらって」と答えた。

「ん、そちらさんは?」

 長身の男の陰で気づかなかったが黒瀧は後ろに二人、連れて来ていたようだった。

「使える奴等なんで面通しとこうと思ってさ」
「へー、黒瀧さんがわざわざ連れて来るなんて珍しいね。ま、入ったって〜」

 黒瀧達は頷くと執行室の中へと入り、そして神楽坂へと仰々しく一礼して言った。

「やぁ、御機嫌麗しゅう。我等が剣の女神様は今日もお美しい」

 生徒会長はくすと柔らかく微笑を返すと、

「黒瀧さんも、お元気そうで何よりです。どうぞ、おかけになってください」

 と来客用のソファーとテーブルへ移動し優雅に腕を差し出して席を勧める。黒瀧はどうもと礼を言って席に着いた。

「そちらは?」
「ああ、こちら、中山律紀と火村飛鳥という。AO支部を攻めた時にも活躍してくれた奴等ですよ」
「まぁ、報告は受けています。こちらがあのフラウロスや炎の剣と戦った中山さんと火村さんですのね」

 黒瀧の答えに神楽坂は嬉しそうに言った。
 その様を見ながら大鳥は思う。

(……敏腕の黒瀧さんも目の前の『これ』が、まさかさっきまで机に突っ伏してうだうだ言ってたとは思わんのやろぉなぁー……)

 大鳥は思う。神楽坂のそれは会長たるべく彼女が彼女なりに努力をしているのだとは思える。しかし半ば詐欺を働いているような気分になるのは気のせいだろうか。今はしゃんと背筋を伸ばし実にきらきらと神々しく微笑しているが、さっきまではどんよりと夏の暑さについての愚痴を撒き散らしていたのである。神楽坂茜をして学園の女神と人は言うが、とんだ女神もいたものだ。

「初めまして、神楽坂茜です。どうかよろしくお願いいたしますね」

 仮面の女神は微笑をふりまいて言う。
 黒瀧が連れてきた少年はそれに対し、彼もまたにこ、と純真そうに微笑して答えた。

「初めまして、ご紹介に与りました中山律紀です。こちらこそ、どうかよろしくお願いしますね」



(Illustration. ワニ)

 続く






◆「かわいい」というより「美しい」「格好…



【楽園】第一回行動入力開始

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