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第7話

 日本列島から南、青く広がる太平洋の大海原を渡った先に一つの島がある。
 表向きは観光と漁業を主産業として発展しているが、裏向きにはアンゲルス・オクルスと呼ばれる地下組織が支配している島の一つとして知られていた。
 AOとも呼ばれるそれは構成員二万から四万とも噂される巨大組織だ。表社会との結びつきも強く、彼等が扱う商品は多岐に及ぶ。形あるものであったり、無いものであったり、様々である。
 ただ、その組織を良く知る者達からは非常に恐れられていた。彼等に逆らい怒りを買ってしまったら、その者はもうこの世にはいられないという。
 アンゲルス・オクルスはその手から逃れようとする者がどれだけ巧妙に姿を隠しても、必ず暴き、捕捉し、そして裁きを与える。組織によって人知れず地上から消された者の数は膨大であり、また巧妙である為、正確な所は把握されていないが、地方の都市ならその住民がまるごと消える程度の数は、彼等によって消されていると言われていた。
 事情を知る現地の人々は畏れと共に口を揃えて言う。

「天使の眼から逃れる事は出来ない」

 と。


 久遠ヶ原の夜の街。
 仄かな灯かりの中で黄金色のサキソフォンが黒塗りのピアノと共に静かに気だるさを歌っている。

「マスター」

 琥珀色の液体に浮かぶ氷が、透明なグラスに当たって音を立てた。くたびれたスーツにネクタイを締めた三十程度の男――黒瀧辰馬は、スコッチのグラスを片手に視線を上げる。

「天使の眼、って知ってる?」

 その問いかけに対し、清潔な白布でグラスを磨いていた初老の男は一瞥を問いの主へとやった。バー「カルミナ・ブラーナ」の店主だ。

「天使の眼、ねぇ…………」

 彫りの深い顔立ちのマスターは、手のグラスを翳し、透明なそれに透かして店内を見た。深夜の小さなバーには店の人間と男の他には酔い潰れた客が二、三人いるだけだった。

「あんまり気軽に話題にだせるもんじゃないですね」
「悪いね」
「南の海の方達でしょ、それ」

 白髪混じりの初老の男はグラスを翳しながら素知らぬ顔をしてそう言った。

「知ってるんだ」
「そりゃここで商売やってればね」

 言ってマスターはまたグラスを磨き始める。

「最近、揉めてるんですって?」
「久遠ヶ原は天使やら悪魔やらとは因縁深いからねぇ」

 撃退士達は天界や魔界からの侵略者である超常の存在を撃退するからそう呼ばれるようになったという。撃退士は天魔と戦う者達であり、ならば、撃退士である黒瀧がそれと戦うのも必然である――そんなような事を三十男は火酒を口にしつつ言った。
 マスターは視線もやらずに呟く。

「人間の組織でしょ、南のは」
「悪魔だろ、人の皮をかぶった」

 サックスがスウィングした。

「アラ・アルバ――最近若い子達の間で流行ってます。実に気持ち良く、飛べるそうで、全てから解放されて」

 日本の言葉に訳せば白い翼という意だという。

「白い翼、ねぇ」
「天使になれるそうです」
「翼じゃなくて――だろ。なれるもんなのかね」
「天国へ行けるなら、どっちも似たようなもんでしょ、彼等にとっちゃ。天使は、飛ぶ」

 意識がぶっとぶだけだ。
 と、黒瀧は思った。
 行きつく先は天国ではなく地獄だ。ただ、そう、見えるだけ。
 惑わされて飛んでいるうちに本当に持ちえていた筈の未来という名の翼はもがれて朽ち、人は何も出来なくなる。
 少年少女が幸せそうに笑いながら壊れてゆく。
 黒瀧の脳裏に撃退士に殺された妹の顔がよぎった。死んだ時、黒瀧の妹はまだ十六歳、少女だった。この世の幸せの大半も知らぬまま、無残に殺されて逝ってしまった。

「不安なんですよ。こんな時代で、そんな境遇の子達ですから……多感な時なら、なおさら、ね」
「時代ねぇ……」

 そういうものが、あるのかもしれない。
 だが、

「あんまり好きな言葉じゃねぇな」
「黒瀧さん」
「うん?」

 マスターが灰色の瞳をやった。

「構えるんですか」
「Aが退かない、Bが退かない、ABはぶつかる」
「物理ですね」
「足場、とか知ってる?」
「高いですよ」
「まけてよマスター」
「黒瀧さんが聞きに来た事も売っていいなら」
「商売繁盛だぁね」
「おかげさまで」

 黒瀧はやれやれと嘆息して肩を竦めると、

「解りましたよ。頑張って経費で落としましょ?」
「ボトルはサービスにしときますよ」
「どーも」

 グラスを呷ってテーブルに置く。氷が澄んだ音を立てた。

「黒瀧さん」
「うん?」
「サービスついでにもう一つ」

 初老の男はグラスを翳しつつ言った。

「気をつけた方が良い、ですよ」

 その言葉に黒瀧は口端を吊り上げて笑い、言った。

「…………何に?」
「ご存知でしょう」
「役に立つような立たんような忠告だねぇ〜」
「サービスですから」
「納得」

 サックスとピアノの曲は終わっていた。



「け、経費でって……これ、使い過ぎでしょ長!」

 久遠ヶ原学園、風紀委員会が根城とする会議室にソプラノの声が響いた。

「情報ってのは高いんだよセニョリータ」
「誰がセニョリータですか。いくらなんでも限度があるでしょ。予算にだって限度があるんですからね!」
「それは〜解ってるんだけども〜、そこはぁ、ほら、ヒロコちゃんの華麗的な手腕で、なんとか、みたいな〜?」
「私はヨ・ウ・コです!」

 黒髪の女生徒が怒りに表情を歪めて叫び、黒瀧が「ああ、そうだった、御免御免〜」などと笑う。

「他人様の名前をダシにからかうな長」

 銀髪の青年が言った。

「洋子は真面目なんだ。あんたの趣味の悪い冗談は通じない」

 青年は青瞳で睨みつけて言う。長身の痩躯で、その体型と同じように眼つきもまた刃物のように鋭い。

「じゃー、キース君が相手してくれよー、やーもう、最近心に潤いがなくってなくって」
「遊びに来ている訳ではない」
「ここ風紀委員の本部なんですよ!」

 キースが言って洋子が叫び、二人から睨みつけられて黒瀧は降参とばかりに両手をあげた。

「あー、怖いな〜、悪かった、悪かったーって、そう睨まないでくれよ、ほら、洋子ちゃん。美人が台無しだぜー?」
「調子ばっかり良いんですから! まぁ一応処理しときますけどね、今回だけですよ!」

 洋子がむすっとしながら言った。

「ありがとー! さっすが洋子ちゃぁ〜ん、やっさしー!」

 軽い調子で笑って黒瀧。

「まったくもうっ、それで長、大枚はたいて何の情報集めて来たんですか?」
「ん〜……AOの前線基地みたいな?」
「AO」

 洋子が顔色を変えた。

「裏は?」

 キースは相変わらずの無表情で問う。

「取った」
「何処までやる気だ」
「あちらさんの出方によるかね」

 黒瀧はそう答えてソファーに腰を落とした。

「あちらの出方か……そもそも、あちらの目的はなんなのだ?」

 銀髪の風紀委員は疑問を口にした。

「うん?」
「久遠ヶ原は撃退士の集団だ。撃退士というのは、強いだろう。拳銃弾程度なら直撃しても打撲で済む。まず、普通の人間ではない。その久遠ヶ原を相手に天使でも悪魔でもない、ただの人間の一組織が、何をどうしようというのだ?」
「キース君は随分と自分達の事を評価してるんだぁね」
「事実だ」
「ライフルで頭ぶちぬかれりゃ死ぬぜ」
「だが容易ではない」

 キースは言う。

「単純に金儲けだけなら、正面から久遠ヶ原と抗争するのは被害が大きすぎる筈だ。法の締めつけが緩いといっても、俺達が居る」

 黒瀧は口端を上げてた。

「AOは久遠ヶ原だけに手を出している訳じゃあない。本州の方へも警察や現地と争いながら喰い込んでるって話だ。元々国外の組織なんだから、そちらでも手広くやっているだろう。やっこさんがたは基本的には商売熱心だ。だから、あれだけ巨大に成長した。よく売れ、よく儲かる美味しい市場は見逃さない。総合の収支がプラスの間は、骨はしゃぶってるんじゃないかねぇ? 過去のAOを見ると、そうやりながら相手を骨無しにしてゆく。抵抗できなくなったら、生かさず殺さず、もう離さない」
「文字通り、俺達を舐めてると?」
「というか、探ってる所なんじゃないの。アウルというか霊能力を扱う学生組織の治安部の実力ってどんなもんよ? って外から見れば思うところじゃなーい? いざという時、こちらが何処までやってくるのか。儲かりそうなら踏み込む、とね。そんな感じなのなら、総合収支をマイナスにしてやれば良い。泥沼にならないようにね」
「だから連中の久遠ヶ原方面のアジトの場所、か……潰すのか?」
「さて」
「それで、退くと思うか」
「退いてくれると嬉しいんだけどねー」

 キースはじっと黒瀧を見た。青い色の瞳には疑念が浮かんでいる。

「何を企んでいる」
「企んでいる訳じゃない。ただ、相手が天使か悪魔か人間かも解らないのに決めの一手は選べないだろう。お前は相手が俺達を舐めている、と言う、ただの人間の、と言う、だが、もし真にただの人間の組織なのだったとしても、俺達は本当にその力量を正しく評価出来ていると思うか撃退士?」

 その言葉にキースは沈黙した。思考しているようだ。

「ま、ともあれ今は動く時さ。街をゆく愛しの女の子には声をかけてみなけりゃどうやって口説くべきかは解らないってもんだ」
「なるほど……とは言えない。その例えは理解できない」
「うん?」
「生憎、声をかけた事がない」
「あら、お前さんも大概堅物だぁね」
「だが……言わんとする所は大体解った。情報が必要だと、そういう事だな?」
「今は、その通り。頼りにしてるぜぇキースちゃーん」

 黒瀧は頷き、そんな事を言って笑ったのだった。



――ケルビムの火は放たれた。

 夜、シャワーを浴びた後に火村飛鳥は寮の自室で顔を顰めていた。視線の先にはケータイがあり、ディスプレイにはメール欄が表示されている。
 差出人不明のメールの件名に、一文が記されてあった。

(ケルビムって何よ)

 胸中で呟く。
 こういう得たいの知れない物は、削除に限る。火村はそう思った。しかし、何処か気になった。
 ディスプレイを切り替えると記憶させてある名前を選択し番号をかける。
 耳に当てているとしばらくの呼び出し音の後に繋がった。

『もしもし』
「律紀?」

 携帯からがやがやと人の声が聞こえる。夜分だというのに出歩いているのだろうか。

『うん、そうだよ。こんばんは火村』
「こんばんは。ケルビムって知ってる?」
『相変わらず藪からスティックだね』
「は?」
『でも今回ばかりはそうとも言えないかな……ケルビムの火は放たれた、って奴かい?』

 何故解ったのだろう、と一瞬思って、ピンと来た。

「そっちにもメール行ったの」
『うん、こっちにも来てる。火村の方にも送られて来たんだね』
「中は見た?」
『見てない。削除しようかどうか検討してたとこ』

 律紀もそうだったらしい。まぁそれが通常の反応だろう、と火村は思った。

『ケルビムっていうのはあれだよ』

 少年が言った。

『偽ディオニシウス・アレオパギタで言う第二位階級の天使だよ、多分。セラフィムの次でスローンズの上』

 よく解らない単語が色々出た。

「それらは、なに?」
『天使の分類。火村も天界についての講義取ってなかったっけ?』
「多分、寝てたわ。そんなの知らなくても天使は斬れるから」
『……確かに、知らなくても斬れる、っていうのは、真理だぁね』
「必要な時は律紀が知ってる。火っていうのはどういう事か解る?」
『うーん、ケルビムで火っていうと、エデンの東の回転する炎の剣の事かなぁ』
「炎の剣?」
『創世記三章の二十四、林檎喰って追放されるくだりの最後の方に一文がある。確か、こんな感じだったかな――かくて、神は人を追放し、生命の樹への道を守る為にエデンの東、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた』
「それが、ケルビムの火?」
『推測だけどね。炎の剣っていうのは、火焔でなく雷霆の事だ、って話もあるけど、いずれにせよ、つまるところは、ケルビムは神から命じられた番人で、炎の剣というのは罪人を払う武器だ』
「ふぅん……それが放たれた?」

 何処となく、物騒な気がした。
 火や雷というのは、危険だ。

(断罪の火か)

 しかし神はメールなど打たないだろう。ならばそれは別の存在の意志だ。

『火村、今から俺の居る棟の男子寮へ来られる? 場所は知ってるよね?』
「え? 知ってるけど、今、夜よ」
『解ってる』
「なんで?」
『それは……』

 律紀は言った。

『……ケルビムの火って、もしかして、これかなぁって』

 遠くでサイレンの音が聞こえた。


 男子寮が燃えていた。
 紅蓮の焔が夜空を貫き焼き焦がすかの如くに吹き上げている。
 こんな状況で律紀はのんびりケータイの受け答えなどしていたのか、と少し呆れる。

「いやぁ、ケータイ見ながらカップメン食べてたらいきなりドーン! で表に出たら火がごわー! で、吃驚したよ!」

 着替えて懐中電灯を持ち火村が向かうと律紀はそんな事を言った。
 寮の周囲には人だかりができていて、しかし風紀委員が既に出動して現場の処理にあたっていた。ホースが持ち出されて放水が始まっている。

「律紀」
「ん?」
「インスタント食品ばかりだと身体に悪いわよ」
「結構美味しいし手間もかからないからついさー」

 あははと頭を掻きながら少年。大抵の事はそつなくこなすが、割と不養生な所がある。
 今度何か作ってあげようか? とか言ったら、どう思うだろうか? などという言葉が脳裏をかすめる。だがそれは今は聞かずに目の前の事を問いかけた。

「何があったの?」
「解らない。でも部屋が一つ吹っ飛んだみたい」
「誰の?」
「黒瀧さんの、って話」
「黒瀧って、風紀委員長の黒瀧辰馬?」
「うん」
「彼は?」
「解らない」

 沈黙が降りた。
 人のざわめきが耳についた。
 火村は律紀と共に寮を焼き焦がす炎を眺めていると、炎の前に立っていた者達のうちの一人が振り向いた。銀色の髪の若い男だった。彼はそのまま何処かへ向かうとしていたようだったが、不意に火村と律紀を見て足を止めた。
 方向を転じ、大股で近づいて来る。

「今晩は、また会ったな」

 銀の青年はそう言った。
 火村は憶えがなく、訝しく思った。

「ダンスクラブで売人を捕えた時」
「ああ」

 思いだした。言われてみれば、目の前の男は、あの時、踊る人の中から抜け出て売人の手錠を取った男の顔だった。

「俺はキースだ。キース・レストーン。風紀委員をしている。すまないが、少し、来て貰えないだろうか」
「何故?」

 火村が問うとキースは無表情でじっと見つめて来た。何か、考えているような気配。青色の瞳が燃える火の光を照り返して、煌めいていた。

「――協力してもらいたい事がある。天使の眼に関する事だ」

 闇に爆ぜる火が踊り、星は見えなかった。


 続く






■長い前髪で両目を隠した、大人しそうな印…



完結記念ピンナップ 集合イラスト化と配置について

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